「王座の居心地は」 テイエムオペラオー


テイエムオペラオー 1996 牡 栗 / FNo. 4-m / Sadler's Wells 系
*オペラハウス
Opera House
1988 鹿
Sadler's Wells
1981 鹿
Northern Dancer
1961 鹿
Nearctic
1954 黒鹿
Nearco Pharos
Lady Angela Hyperion
Natalma
1957 鹿
Native Dancer Polynesian
Almahmoud Mahmoud
Fairy Bridge
1975 鹿
Bold Reason
1968 鹿
Hail to Reason Turn-to
Lalun Djeddah
Special
1969 鹿
Forli Aristophanes
Thong Nantallah
Colorspin
1983 鹿
High Top
1969 黒鹿
Derring-Do
1961 鹿
Darius Dante
Sipsey Bridge Abernant
Camenae
1961 鹿
*ヴィミー
Vimy
Wild Risk
Madrilene Court Martial
Reprocolor
1976
Jimmy Reppin
1965
Midsummer Night Djeddah
Sweet Molly *シャミエ
Chamier
Blue Queen
1967
Majority Blue Major Portion
Hill Queen Djebe
*ワンスウェド
Once Wed
1984
Blushing Groom
1974
Red God
1954
Nasrullah
1940 鹿
Nearco Pharos
Mumtaz Begum Blenheim
Spring Run
1948 鹿
Menow Pharamond
Boola Brook Bull Dog
Runaway Bride
1962 鹿
Wild Risk
1940 鹿
Rialto Rabelais
Wild Violet Blandford
Aimee
1957 鹿
Tudor Minstrel Owen Tudor
Emali Umidwar
Noura
1978
Key to
the Kingdom
1970 黒鹿
Bold Ruler
1954 鹿
Nasrullah Nearco
Miss Disco Discovery
Key Bridge
1959 鹿
Princequillo Prince Rose
Blue Banner War Admiral
River Guide
1971
Drone
1966
Sir Gaylord Turn-to
Cap and Bells Tom Fool
Blue Canoe
1958 鹿
Jet Pilot Blenheim
Portage War Admiral
SireLine for Windows Ver1.50 - Build 547 / 9代クロス血統表はこちら

 去る1999年のJRA年度代表馬争いは、交わらなかった座標軸にどのような結論を下すべきか、多くの人が意見を述べ、諸所で議論が交わされました(投票結果は、スペシャルウィーク83票、エルコンドルパサー72票、グラスワンダー56票、エアジハード1票 → 決選投票7対4でエルコンドルパサーに決定)。
 一方その陰で、再三交わっていたはずの4歳(3歳)3強から1頭を選び出す過程もあったはずですが、そこではほぼ予定調和的にテイエムオペラオーが選ばれています(当馬132票、アドマイヤベガ51票、ナリタトップロード32票)。

 明けて2000年の活躍を見てこの選択が妥当だったと評価するのは、少々話が倒錯してるような気もしつつ、鞘次郎自身の「春の楯・宝塚ではオペラオー/秋の楯ではトップロードから入ってみたい」という思いは、昨年以来強まるばかりです。

 本項はそのオペラオーに取り組むものですが、彼の活躍を巡る記録や言説は、それこそウェブ上に氾濫することですから、ここでスルーアウトに詳述するのは止めます(興味のある向きは各種データサイトや私設応援サイト That's Operao!等をご覧下さい)。
 代わりに、オペラオーの戦歴においてターンマークとなっている2点、すなわち皐月賞に至る過程と、ステイヤーズS前後の秋数戦を切り口として、オペラオーの姿を描きなおしてみることにしましょう。


それぞれの、そしてたった一つの皐月賞/現場の場合

 8月の京都(代替開催)初日の新馬戦でデビュー2着した直後、軽度の骨折によって戦列を離れたオペラオーが、再び栗東へ入厩したのは、はや暮れも押し迫った頃でした。
 時期的なもの+成長分は当然としても、このとき岩元師「体がドボッとしてて、まともに走れる状態やなかった(『優駿』1999年6月号)」と見たのなら、クラシックの第2回登録(登録料3万円)を自粛したのも不思議ではありません。

 しかし陣営の予想に反して、休養明け2戦目を圧勝するや3連勝を記録、使うたびに逞しさを増すオペラオーを見て、岩元師はあわてて馬主の竹園正繼氏に電話をかけました。
 この内容が傑作。同じ中学に通ったという2人ですが、かたやバンブーアトラスで栄冠に輝いたかつてのダービージョッキー、かたや一代でテイエム技研を起こした実業家、さすがにトボケた遣り取りをしてくれます。
 「皐月賞に出してみよう。こんなチャンスはめったにない……(ところが)…青葉賞を使ってダービーに照準を合わせればいい、とそっけない返事なんや。それで追加登録料200万円の半分をこっちが負担するぐらいの覚悟はあると説得して、何とか皐月賞の出走にこぎつけた。しかし、あの馬主、すぐにウンとは言わんかったなあ(笑)(前掲書)」
 いやはや、一口に実業家馬主と言っても、新入社員を大量解雇するどっかのフサオさんとは、商魂のあり方が一味違いますね。だけどテイエムさんも、その安直馬名だけはどうかと……何、T.M. Opera O だなんて永野護チックではあるとな? r(^o^;
 かくしてオペラオーは全くの裏街道から「関西の秘密兵器(不発で有名 (^^;;;)」として皐月賞に駒を進めることになります。同時に、騎乗する和田竜二JKも、2年前同じく毎日杯を制してクラシックに参戦した際の苦い敗北(テイエムトップダン、6番人気12着)を、他ならぬここで乗り越えんと決意していました。
 4年目の和田騎手は、若手の実力派と目され、初年度サージュウェルズでのステイヤーズS以来、トップダンやその僚馬テイエムトッキューポートブライアンズで重賞勝ちも飾っていながら、同期にアイドル福永祐一JK(直前プリモディーネでG1初制覇)のいたがために、評価を据え置かれてきた部分がありました。彼が突き抜けるために、これ以上の舞台は無かったに違いありません。

 周知のとおり、雨中行われたレースは、ワンダーファングの負傷除外 (; ;) で、岡部アドマイヤラックの逃げる流れとなりました。3番人気のマイネルプラチナムも、道中かかり気味に進出。3コーナー付近で、2番人気ナリタトップロードオースミブライトが動き出すと、馬群は一団となります。
 直線向いても1番人気のアドマイヤベガはいつもの器用さを見せず、好位から追い出した連中で決着か…と見えたところを、その外からオペラオーが急追、坂上で一気に栄光を奪い取ってゆきました。

 ―― このレースに関して、展開や馬場が嵌まったのじゃないかと言えば、それは事実でしょう。しかしこの乱戦を差し切る度胸と技術こそが、勝負(含むバクチの対象)では求められるのも確かです。ちょうど先日某調教助手の方からも、現実論として「勝負事では(場合によっては技術に多少難があっても)思い切りの良い者が勝ったりするものだし、その勝利が彼をより高みに引き上げてゆくことも多い」とお教えいただきました。実際この勝利以後、和田騎手はオペラオーとともに大きな飛躍を遂げて行き、やがて別の問題に直面することになるのです。


それぞれの、そしてたった一つの皐月賞/産地の場合

 さて、オペラオーの勝利は、当然資本や現場サイドだけのものだけではありませんでした。
 同馬の生産者は浦河の杵臼牧場。1959(昭和34)年の創業になる、典型的な中小規模・在来型の牧場です。

 先代の牧場主・鎌田信(のぶ)氏は名門鎌田牧場の流れを汲み、浦河の全盛期にはその中心となって、*ブレイヴェストローマン Bravest Roman 導入など馬産振興に尽くした人物でした。生産馬にはキングラナーク(1973 芦 牡 by *ラナーク ― 大阪杯、中日新聞杯、中京記念 他9勝、高松宮杯-2着。管理は布施正師、岩元師はその弟子にあたる)などが挙げられる所です。

 そしてまた当代である鎌田信一氏もその息子に似つかわしく、*スティールハート Steal Heart を輸入する際には大きな役割を果たしています。年間十数頭規模の生産から、最近もマルカアイリス (1990 鹿 牝 by *ブレイヴェストローマン ― 小倉3歳S)マコトライデン (1994 黒鹿 牡 by タマモクロス ― シリウスS、セントウルS2着)を出していたとはいえ、この杵臼牧場にとって、初めての、そして市場取引馬でのG1勝ちは、決して大きすぎない報酬だったと言えるでしょう。
 もっとも、表彰式での鎌田氏は、少々複雑な気分でもあったようです。それはこの皐月賞、同じ杵臼地区から出た2頭 ―― 僅差2着のオースミブライトと、発走除外となったワンダーファング ―― が、テイエムオペラオーの陰で涙を飲むことになったからでした。


 そのオペラオーの生産は、母*ワンスウェド Once Wed を鎌田氏がキーンランドのジャニュアリーセール(1987年1月)で購入したことから始まっています。
 80年代後半は円高が急激に進み、生産者が本格的に外国血統を求めだした頃でした。鎌田氏もこの時初めて海外の競りに参加します。カタログから20頭ほどピックアップしておいた候補の内、血統に造詣の深い丸山文典(ダービースタッド元場長)のアドバイスを受け、また現場での印象から選ばれたのが、*ワンスウェドともう一頭の*ウォータリー Wataree (1984 鹿 牝 by Majestic Light ― 産駒にフェードタッチ2勝も、早世)だったそうです。
 価格はそれぞれ15,000ドル、当時のレートで約230万円。数年の後、父種牡馬が直仔や孫の代で爆発したことを思えば、これは先見の明ある買い物だったと言えるでしょう。
 参考までに、ブラッシンググルーム Blushing Groom の代表産駒とお馴染みな末裔をこちらに掲げておきます。ヤマニンゼファー・錦岡牧場ほどの慧眼では無いにしても、杵臼牧場への導入がどの程度時代を先取りしたものであったのか、理解できるはずです。
 ちなみにマジェスティックライト Majestic Light の方も、やはり競りの数年後ソーラースプレンダー Solar Splendor やライトライト Lite Light、ニシノフラワーといった活躍馬を出していますね。
 ではその*ワンスウェドに、なぜ*オペラハウス Opera House が配合されることになったのかと言えば、鎌田氏は次のように語ります。
 「ワンスウェドの産駒は初仔からチャンネルフォー (1988 青鹿 牝 by *ノーザンディクテイター ― 中央4勝。CBC賞2着、阪急杯3着。Bold Ruler:3x4)が出て、その下もビクトリーマッハ (1989 黒鹿 牝 by バンブーアトラス ― 中央3勝。Tom Fool:4x6 & Nasrullah:5x4*5)シマノビューティ (1993 鹿 牝 by *ダンシングブレーヴ ― 中央3勝。Drone:3x4)とコンスタントに走ってるんだけど、わりとスピードタイプっていうか、比較的短いところで活躍する馬が多かったもんでね。オペラハウスはサドラーズウェルズの産駒で中長距離の大レースに勝ってるし、実馬を見に行ったらなかなか良かったし……それとあの頃はまだ、今ほどサドラーどうこうって話は出てなかったんじゃないかな。もうちょっと後からでしょう、日本に合わないとか言われ始めたのは(笑)。でも今年の4歳(3歳)は走ってるよね。ダービーなんか3頭も出たでしょう、オペラハウスの産駒が。(『書斎の競馬』2000年1月号より、括弧内一部引用者改訂)」
 生産者自身のこうした発言の中には、さすがにオペラオーの問題を鋭く突くものがあります。配合論に直行する前に、そちらも考えておきましょう。


チャンピオン/チャレンジャーとして、ステイヤーとして

 冒頭で述べたオペラオーの最優秀4歳(3歳)牡馬当選、という現象からは、言うまでもなく有馬記念3着への大きな評価が窺い知れるわけですが、もしこのグランプリが考慮に入らなければ(※)、より質の高いキャンペーンを行ったのはナリタトップロードだった、てな結論になっていたに違いありません。
 ※ …ナンセンスな仮定ではあり。されど「歴史に if は要らない」なぁんて頭の固いことじゃ勿体無い、と鞘次郎@貧乏性は考えます。
 それは裏を返せば、ダービー以降オペラオー&和田JKが取ったスタンスが、当時点での彼らの資質と微妙にズレ続け、有馬記念でようやくそれを回復した、ということでもあるように思います。

 皐月賞で出し抜いた分、今度は狙い撃ちされるリスクを甘受して早めに仕掛けたダービー(3着)に限っては、人気とのバランス+ある程度の積極性込みで仕方ない(1番人気や乗り替わりだったらこうは言わない<二枚舌)としても、その戦法を磨き上げようとした京都大章典(3着)や、逆に控えて斬れ味を出そうとした菊花賞(2着)では、明らかに鞍上の意図が先行し、それに応えきれないオペラオーの不器用さばかりが目立ちました。
 武豊JK級の技術&信用レベルになれば、そうした欠点を逆手に取って、バサラな騎乗に賭ける手があるのかもしれません。が、2年前の「案外乗れるアンチャン」段階から「G1でも呑まれず、重賞でも積極的に買える若手」段階に飛び級編入したばかりの和田JK(と、まだ実質的キャリア1年のオペラオー、そしてお互い)にとってみれば、何とも高い第二障害だったものと想像できます。
 菊花賞では渡辺JKも同様の課題を背負っていた分、こちらは見ていてパドックからゴールポストまで、じっとり汗をかきましたです。A(^^;;;;
 しかしながら、一線級相手に大舞台で、人気を背負って行われるこれらのトレーニングが、まだ4年目の騎手にとって、何より得難い経験であったことは疑いありません。これを経て武豊@スーパークリーク方面にジャンプアップして行くか、角●@ノースフライト&フジキセキ方面にフェードアウトして行くかというのは、和田/渡辺の両JKのみならず、博徒サイドにとっても重要な課題であるような気がします。

 以上の問題を、鞍上よりもオペラオー自身に傾斜して考えてみると、にわかに血統的な側面が見えてきます。


 オペラオー自身を取り巻く言説の中には、しばしば奇妙なジレンマが表れています。それは、「最も速い馬」の称号と「長距離向きでジリっぽい、サドラーズウェルズ Sadler's Wells 系血統」という定説との間に根をはる、ネジレた関係とでも言うべきものです。とりわけその話は、この馬/この系統に「決め手があるのか否か」という論点で、先鋭化します。

 皐月賞や菊花賞の走り振りから、オペラオーに斬れる脚があるのは確かですが、それはどちらかといえば(現代サンデーサイレンス産駒に代表される)カミソリ的斬れ味ではなく、ナタ的か、せいぜい肉切り包丁的程度の鋭利さであり、坂コースや荒れ馬場で相対的に浮かび上がる性質のものでしょう。
 例えばモンジュー Montjeu などは、これとほぼ同じタイプだと言えそうです。ただし他にも快速キングオブキングス King of Kings や素軽いシングスピール Singspiel から、本当に重厚なシルヴァーペイトリアーク Silver Patriarch まで、実例は幅広く、上記の性質は決して Sadler's Wells の系統に一般的なものではありません(<これが系統で括る血統論の陥穽)。
 具体的には、この系統の基調色である Hyperion & Son-in-Law の骨格ラインと Mumtaz Mahal 〜 Lady Josephine のスピードに加えて Ksar や Gay Crusador が強いことが、この手の「良い意味でナマクラな斬れ味」を演出している ―― そんな感触が、鞘次郎にはあります。

 だとすれば、オペラオーは「(結果として)図ったように差し切った」皐月賞を再現しようとするほど(すなわち相手なりに走るのが)難しいのであって、単にズブいジリ馬なのではないはずです。一人称の世界では、彼は十分に斬れるわけですから。

 先に述べた和田騎手の課題もおそらくは、こうしたチャンピオンらしからぬ馬を、チャンピオンとしての位置で御していく点にあるのでしょう。


 そうした意味合いで、くだんのステイヤーズSは、人馬にとって有馬記念よりよほど厳しいものであったように思われます。
 菊花賞を取り逃し、有馬で雪辱かと見られたオペラオーを、岩元師は「古馬の一級線相手にはまだ力不足」として、ステイヤーズSに向けました。ファンが彼を、前走での食い足りなさ、クラシック馬というラベルから、かつてのエアダブリンメジロブライト(いずれも菊花賞3着から1番人気1着)を超える、1.1倍という人気に押し上げたことは責められないでしょう。誰より陣営自身が「6400万円のボーナス」を意識していたようですし。
 しかし過剰な人気は、本命に激烈なプレッシャーを、相手方に付け入る隙を与えるもの。チャンピオンになり切れないままのオペラオーが、オタオタとあまりに不甲斐ないレースを展開してしまったのも、あまりに当然ではありました。
 4度目の対戦にして初めてオペラオーを下したペインテドブラックの姿や、管理する鈴木康弘師の「5歳(4歳)の暮れにこのレースをと思っていたんですが、1年早く勝てました」というコメントは、これまたチャンピオンとチャレンジャーの位置を考えさせるものです。

 そして皮肉なことに、この敗北が、今度は人馬双方の無理な力みを解消する方向に働きます。グランプリ3連覇を期すグラスワンダーに、秋G1のグランドスラムがかかるスペシャルウィークと、役者も揃った有馬記念では、オペラオーの人気は急降下。おまけに両雄があまりに他馬を舐めたマッチレースをした分、チャレンジャー側にシフトしたテイエムオペラオーは、多少なりとも呪縛から解放され、本来の力を発揮しえたのです。
 他方ここで、妙な期待に絡められて先行し直線ズルズル下がったナリタトップロードは、以降テイエムオペラオーの後塵を拝し続けることとなります。

 前走との比較や連続で考えるのは競馬の基本とはいえ、この辺りの経緯には、実に競馬の玄妙さが表れ出ているではありませんか。


血統構成と応用パターン

 慣れない切り口で書くと疲れますね。(^^; 最後に、オペラオーの血統構成やその発想についても少し。

 先に見たように、安価で取引された*ワンスウェドですが、現代的に見ればその字面は一級品です。祖母リヴァーガイド River Guideワイルドウック Wildwook (アディロンダクS、Cozzene の祖母)の3/4同血半妹にあたり、名牝キーブリッジ Key Bridge の血を引き入れたヌーラ Noura に至って、伴性遺伝的な基礎を固めます。そこへ導入した名血 ブラッシンググルーム Blushing Groom が、欧州血統への接続をも用意したことで、*ワンスウェドは実に使い回しの利く繁殖牝馬となったのです。
 なお、*ワンスウェド産駒でもオペラオーの姉たちの配合は、いずれも比較的鷹揚な近交で全体をリードしたものでした。それと比べればオペラオーはかなりアウトクロス寄りですから、これ一つとっても短い所で走った姉たちとの差が明瞭です。
 それでいて、母父 Blushing Groom(特にその母ラナウェイブライド Runaway Bride)を強調するのに、同様の相似的パーツであるハイトップ High Topフォルリ Forliマジョリティブルー Majority Blue などを用いるあたり、やはり気の利いた組み合わせではあるのでしょう。

 ちなみに、逆回りの Blushing Groom 系 × Sadler's Wells 牝馬という組み合わせには、欧州でブラッシングフレイム Blushing Flameビントサルサビル Bint Salsabilストレタレツ Stretarezハッピーヴァレンタイン Happy Valentine などの重賞勝ち馬が出ていますが(うち3頭は サルサビル Salsabil やその全姉の産駒だから、似ていて当然か)、これらもやはり Runaway Bride/Forli/Welsh Pageant/Busted などの相似血脈を組み合わせた配合となっています。…ま、Salsabil や Nashwan、Saumarez ら自身の配合を敷衍すれば、その先にこうした形が浮かび上がってくるのも、別段不思議ではありませんね。
 あるいは、同じ Abernant≒Tudor Minstrel の〈擬似クロス〉でも、High Top ではなく例えばエイワン A. 1. を用いれば、これはヤマニンゼファー。というわけで、60年代の類似配合同士を出会わせるパターンは、他にも色々と発想できるのでした。

 ただ、父*オペラハウス Opera House に対して言えば、産駒でも最低限の米仏ローカル血統(それぞれ Ksar や Rialto 〜 Rabelais、Sir Gallahad や Blue Larkspur など)は母から入れて継続しておきたい所。
 ニホンピロジュピタミツルリュウホウマイネルシアターマルブツオペラなども、その点では一致しています。逆にそこを欠くカリスマサンオペラの場合は、実態として相当BMS*テスコボーイに依存していますので、多少違ったタイプとなっています。

2000/04/24
参考記事:吉沢穣治「王者の秘めたる自信」,『優駿』1999年6月号,日本中央競馬会
江面弘也「いくつもの絆」,『優駿』1999年8月号,日本中央競馬会
望田潤「血統屋の世紀末馬産地紀行〜4」,『書斎の競馬』2000年1月号,飛鳥新社


目次へトップへ戻る