「テシオの秘蔵っ子」
トゥールーズロートレック Toulouse Lautrec


波乱の陰に名血あり

 先月(1999年10月)23日のデイリー杯3歳S(G2・京都芝1600m、11頭立て)は、波乱の結果となりました。勝ったのは笠松のレジェンドハンター。父はサクラダイオー、京成杯勝馬サクラサニーオーの半弟にあたる地味種牡馬です。そして2着にラガーレグルス。こちらは新種牡馬サクラチトセオーの産駒でした。
 ともにマル桜(父がサクラの内国産種牡馬、の意。鞘次郎の造語 (^^;)であるこれら2頭ですが、面白いことに、血統にはそれ以上に共通の点が見られます。

レジェンドハンター 1997 牡 黒鹿 / FNo. 16-a / Nijinsky 系
サクラダイオー
1984 鹿
マルゼンスキー
1974 鹿
Nijinsky
1967 鹿
Northern Dancer Nearctic
Flaming Page Bull Page
*シル
Shill
1970 鹿
Buckpasser Tom Fool
Quill Princequillo
*サニースワップス
1975 鹿
Hawaii
1964 鹿
Utrillo Toulouse Lautrec
Ethane Mehrali
*アイアンエイジ
Iron Age
1962 黒鹿
Khaled Hyperion
Iron Reward Beau Pere
サクラソフティー
1983 鹿
サクラショウリ
1975 鹿
*パーソロン
Partholon
1960 鹿
Milesian My Babu
Paleo Pharis
*シリネラ
Shirinella
1968
*フォルティノ Grey Sovereign
Shirini Tehran
サクラタニマサ
1976
*ネプテューヌス
Neptunus
1961 黒鹿
Neptune Crafty Admiral
Bastia Victrix
*スワンズウッドグローヴ
Swanswood Grove
1960 黒鹿
Grey Sovereign Nasrullah
Fakhry Mahmoud
SireLine for Windows Ver1.50 - Build 547

ラガーレグルス 1997 牡 鹿 / FNo. 4-r / *ゼダーン 系
サクラチトセオー
1990 鹿
*トニービン
Tony Bin
1983 鹿
*カンパラ
Kampala
1976 鹿
Kalamoun *ゼダーン
Zeddaan
State Pension *オンリーフォアライフ
Only for Life
Severn Bridge
1965
Hornbeam Hyperion
Priddy Fair Preciptic
サクラクレアー
1982 鹿
*ノーザンテースト
Northern Taste
1971
Northern Dancer Nearctic
Lady Victoria Victoria Park
*クレアーブリッジ
Clare Bridge
1967 鹿
Quadrangle Cohoes
Abeyance Lass Ambiorix
レインボーパーク
1984 黒鹿
*ドン
Don
1966
Grey Sovereign
1948
Nasrullah Nearco
Kong Baytown
Diviana
1957 鹿
Toulouse Lautrec Dante
Desublea Niccolo Dell'Arca
シルバーアロー
1970 黒鹿
*テスコボーイ
Tesco Boy
1963 黒鹿
Princely Gift Nasrullah
Suncourt Hyperion
ヒサエ
1954 鹿
*プリメロ
Primero
Blandford
ミツマサ 月友
SireLine for Windows Ver1.50 - Build 547

 ご覧のように、2頭の血統表には、いずれも近い代にノーザンダンサー Northern Dancer、グレイソヴリン Grey Sovereign、そしてトゥールーズロートレック Toulouse Lautrec の血が入っていたのでした。このうち Northern Dancer は言うまでもないとして、Grey Sovereign もタマモクロスや*トニービン Tony Bin の父祖、あるいはセイウンスカイらの中でクロスとして、頻繁に現れていますから、すっかりお馴染みと言えるでしょう。それらに比べて、Toulouse Lautrec をよくご存知だという方は、そういらっしゃらないのではないでしょうか。
 というわけで本項では、この「知られざる名馬」の秘密に迫ってみたいと思います。


魔術師の私的な画廊 〜 Tラインの実験

 
ダンテ Dante の父ネアルコ Nearco を配合した生産者フェデリコ・テシオ Federico Tesio 氏は、別項に述べたように、アウトサイド・ブリーダー(←→ホーム・ブリーダー)と呼ばれる、自家種牡馬を置かない独特の生産形態を採っていました。
 そのため、長年に渡って多くの一流馬を送り出しながら、それらを父系として囲い込み、純粋培養することはほとんどありませんでした。最晩年の傑作リボー Ribot こそ父系3代が自身の配合によるものでしたが、これは彼の生産馬の中でも特異な例と言えます。

 そして、テシオが Ribot と同様、いやそれ以上に執着を示しつつ作り上げたいま一頭の名馬、それが Toulouse Lautrec なのです。
 以下の血統表をご覧ください。表中、馬名を太字斜体で表記したものが、テシオ自身の生産馬です。

Toulouse Lautrec 1950 牡 栗 / FNo. 6-d / Dante 系
Dante
1942 黒鹿
Nearco
1935 黒鹿
Pharos
1920 黒鹿
Phalaris
1913 黒鹿
Polymelus Cyllene
Bromus Sainfoin
Scapa Flow
1914
Chaucer St. Simon
Anchora Love Wisely
Nogara
1928 鹿
Havresac
1915 黒鹿
Rabelais St. Simon
Hors Concours Ajax
Catnip
1910 鹿
Spearmint Carbine
Sibola The Sailor Prince
Rosy Legend
1931 黒鹿
Dark Legend
1914 黒鹿
Dark Ronald
1905 黒鹿
Bay Ronald Hampton
Darkie Thurio
Golden Legend
1907 鹿
Amphion Rosebery
St. Lucre St. Serf
Rosy Cheeks
1919 黒鹿
St. Just
1907
St. Frusquin St. Simon
Justitia Le Sancy
Purity
1903 鹿
Gallinule Isonomy
Sanctimony St. Serf
Tokamura
1940
Navarro
1931
Michelangelo
1918 鹿
Signorino
1902 鹿
Best Man Melton
Signorina St. Simon
Fausta
1911 鹿
Spearmint Carbine
Madree Flying Fox
Nuvolona
1926
Hurry On
1913
Marcovil Marco
Tout Suite Sainfoin
Nera di Bicci
1918 鹿
Tracery Rock Sand
Catnip Spearmint
Tofanella
1931
Apelle
1923
Sardanapale
1911 鹿
Prestige Le Pompon
Gemma Florizel
Angelina
1913 鹿
St. Frusquin St. Simon
Seraphine Cyllene
Try Try Again
1922 鹿
Cylgad
1909 鹿
Cyllene Bona Vista
Gadfly Hampton
Perseverance
1904 鹿
Persimmon St. Simon
Reminiscence Carlton
SireLine for Windows Ver1.50 - Build 547 / 9代クロス血統表はこちら

 見れば当馬の母方には、最初期の活躍馬であるファウスタ Fausta(伊ダービー、伊オークス)から、
Ribot の父母となるトファネラ Tofanella、そしてトカムラ Tokamura(伊1000ギニー、伊セントレジャー)まで、実に8頭もの自家生産馬が名を連ねています。ちなみにテシオの他の名馬では、Donatello は母系2代、Nearco は母1頭のみ、Ribot の場合でさえ、母方2頭(←→父方5頭は下記 Tenerani による)が自らの作であるに過ぎません。
 おそらくこれは、Tラインの Tofanella に対して、テシオが別種の扱いを与えていたということなのでしょう。
 この牝馬に付けられた種牡馬は、ナヴァロ Navarro(ミラノ大賞、イタリア大賞。両親同様テシオの生産)ベリーニ Bellini(伊ダービー。父同様テシオの生産)ニコロデラルカ Niccolo dell'Arca(Nearco の半弟で伊ダービー 他大活躍。母や兄同様テシオの生産)。いずれもがテシオの自家生産馬であり、当時は輸出されイギリスに繋用されていました。
 Tofanella には、このような配合がむしろ積極的に行われた節があり、テシオの生産活動を通して、前/後期を分かつ兆候ともなっています。
 本来リスクを嫌って自家種牡馬を用いず、英仏へ種付けに行くはずのテシオが、その旅先でわざわざ自家生産馬を利用するということは、一見矛盾しているととれなくもありません。
 しかし、彼の姿勢はもともと「自家種牡馬に囚われないため」の方法論だったと思い直せば、自由な発想と選択の俎上にある限り、対象が自家種牡馬だろうと他家の種牡馬だろうと関係はない、と考えることができます。さらに、当初と異なりテシオの生産馬がすでにトップレベルへ到達しているという状況の変化も加わり、ここにテシオのラディカルな思考=試行の第二局面が表れます。
 こうした「ホームブレッド@アウトサイド」的姿勢は、在英ドイツ系の生産者や、現在では在愛北米系のクールモアなどに見受けられる所ですが、テシオがそうした方面へ急速に傾斜していくのは、まさに Tofanella への実験的な扱いとその成果を受けてからになります。
 こうした行為は、実際はじめのうちは、Donatello や Nearco を越えるための実験のひとつだったのでしょう。あるいは単に、当初Tラインにさほどの期待を抱いていなかったということの表れなのかもしれません。
 いずれにせよ、結果は目論見を規定し直すものです。Tofanella に対する一連の配合から、連続して トカムラ Tokamura(1940 牝 栗 by Navarro ― 伊1000ギニー、伊セントレジャー。Toulouse Lautrec の母)テネラニ Tenerani(1944 牡 鹿 by Bellini ― 伊ダービー、伊セントレジャー、ミラノ大賞、英クイーンエリザベスS(現「キングジョージ」)、グッドウッドC。Ribot の父)トレヴィサナ Trevisana(1945 牝 鹿 by Niccolo dell'Arca ― 伊2000ギニー、伊セントレジャー、イタリア大賞、ジョッキークラブ大賞 と牡馬に伍して17勝、凱旋門賞で1番人気となるも敗北)と、国際的にも通じる成果を得て、テシオは自信を深め、今度はそれらを足がかりとして実験を積み重ねてゆきます。

 周知の通り、Tenerani はイギリスへ輸出されてから、相似交配によるテシオの2歳女王ロマネラ Romanella と結ばれ Ribot を出すわけですが、半姉 Tokamura に関しては、再びテシオの「マイルール破り」が敢行されたのです。


一度きりの恩赦

 意外なことに、この時点で誰もがテシオの最高傑作と認めていたネアルコ Nearco を、テシオ自身は用いようとしてきませんでした。初年度に1頭の牝馬を送り込むも、これが不受胎とわかると、翌年からは全く無視。Nearco の未完成さに対する、彼の査定は非常に厳しいものでした。山野浩一氏は、「ネアルコに関しては自分の馬産活動が完結したものと考えていたようだ」と記しています。
 しかし、自らの禁を堂々と破り、自家配合に手を染めたテシオは、一度は捨てた Nearco をも、一度だけ拾い上げます。ただし、それは直接種牡馬としてではなく、Nearco の代表産駒ダンテ Dante を通してのものとなりました。
 Nearco の欠点が Dante では克服されていると考えたのか、「早熟性を有する英ダービー馬」というキャラクターが、より好みに合致したのか。テシオのこの選定は逆説的に Dante への高い評価を示しているとも言えます。
 ※:テシオの没後には、Toulouse Lautrec の全妹にあたるトリアーナ Torriana という牝馬が生産されています。この馬は2代後になって、ティバルダ Tibalda(1977 牝 栗 by *ヴァイスリーガル Viceregal ― 伊1000ギニー/伊G2)を出しました。
 たった一度だけの Nearco 導入、それも既に
Nラインの血が入った自家生産牝馬へ……しかもそこには、もう一本の Spearmint が、Catnip 購買のきっかけとなった Fausta 経由で含まれていたのですから、老テシオ渾身の配合というに相応しい格好です。ここに晩年を迎えたテシオの個人的・感傷的な動機を見ることは、あながち無理読みでもないでしょう。

 こうして破格の上に破格を積み重ねて生産された当馬は、Tラインであることに鑑みて、フランスの画家・版画家アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec Monfa[1864-1901] からその名を授けられたのでした。
※ ロートレックと言えば、モンマルトルの猥雑な夜の雰囲気を描いたポスターで有名です。
 これは全くの電波系邪推ですが、テシオがこの画家をわざわざ選んだ、というのも何か意味ありげに思えます。というのはこの人物、フランス屈指の名門伯爵家の嫡子でありながら、10代に事故で下半身の成長が止まると父のような騎士になることを断念、画家となってからはパリの怪しげなキャバレーに出入りし、放蕩の限りを尽くした末に37歳の若さで世を去る、という実に数奇な人生を送っているのです。
 モデルを美化せず、逆にその欠点を誇張するかのような彼の画風は、功なり遂げて感傷に浸っていたテシオ自身の自嘲気味な諧謔とも、共鳴する部分があったのかもしれません。

 あるいはまた、彼が自らの方法論に忠実であるべく売却した愛娘ネラダグッビオ Nella da Gubbio が、後にドイツで名牝ネレイデ Nereide を出し、また Toulouse Lautrec が生まれた年にニーデルランダー Niederlander、そしてその翌年に名馬ネッカル Neckarという独ダービー馬を送るに至っていたことも、彼に皮肉な名付け方をさせた理由のひとつだった、という解釈もありえるでしょう(<これは魔春さんの推論。氏の力作、名牝列伝 Nereide の巻を参照のこと)。もしくは、Nereide の輝きこそが、Nラインを重ねる「不健全な」発想を導いた、ゆえにこの馬名だ、などとも。
 歴史の大河は、これら無数の可能性を豊穣に孕みつつ、彼方へと流れ去って行きます。
 …閑話休題。A(^^;
 さて、テシオの暗い情熱を一身に受けた Toulouse Lautrec は、その感情のゆえか、はたまた体質や能力の問題か、イタリア国内だけで競走生活を送りました。
 明けて3歳、伊版リュパン賞=ウニオンレネンたるエマヌエーレフィリベルト賞、伊版パリ大賞ことイタリア大賞と、クラシックレースを制し(伊ダービーの出否や着順は不明 -o-; )、テシオにとって19勝目となる伊王者決定戦ミラノ大賞も勝ち抜くなど、Toulouse Lautrec は、通算10戦して7勝を挙げ、伊3歳チャンピオンにも選ばれています。
 もっとも、Ribot とは対照的に、その活躍が国内に留まったことで、遂に国際的な名声を得ることは叶わなかったわけですが、しかし当馬を、上記の経緯や、次に述べる配合の形態から、かの魔術師の「私的な鑑賞空間」と見る限りでは、こうした帰結は自然であるようにも感じられるのです。


もうひとつの傑作として

 では、テシオの思い入れは、Toulouse Lautrec 当代でどういった形態を採っているのでしょうか。9代表を手がかりに考えてみます。

 Toulouse Lautrec の血統表で目立つのは先に挙げた Catnip:4x5 → Spearmint:5x5*6 のインブリードですが、これは後方の支援に乏しく、「外骨格」程度の役割を果たすものだと考えられます。より注目すべきは、Ribot よりも見事なセントフラスキン St. Frusquin:5x5 → サンシモン St.Simon(=アンジェリカ Angelica):(6*6*7*7*9)*(6*7*7)x(6*6*8*8*8)*(6*7) というラインブリードの方でしょう。

 それだけではありません。当馬は結合に良さのあった父 Dante の長所もまた引継いでおり、7代以内に生じたクロス馬のほとんどすべてが、8−9代目に広がる3重の基礎構造(以下のα、β、γ)にガッチリと支えられています。この構造についても Ribotと同じですが、その「分厚さ」に関してはそれ以上とさえ言えます。
α:Stockwell(= Rataplan):9代内34本 or 半弟 King Tom:同14本
                  → Pocahontas:10本(10代内では49本!)
β:Hermit:13本 or Lord Clifden:9本→ Newminster(= Honeysuckle):22本
γ:Vedette:17本          → Voltigeur (= Volley)   :12本
 若干分かりにくいと思われるので、6代内クロス馬のそれぞれについて、3重の基盤に立脚する様子を観察しておきましょう。
St. Frusquin → St.Simon(=Angelica) → α,γ
Sainfoin   → αx2,β
Hampton   → α,β,γ
Cyllene   → α,β,Isonomy(→α),Bend Or(→α) :計αx3,βx1
Flying Fox  → γ,Angelica(→α,γ),Bend Or(→α) :計αx2,γx2
Turio    → α
Suicide(=Dinah) → α,β
Catnip    → α,β, Spearmint(→αx3,βx1)   :計αx4,βx2
(Catnip と St. Frusquin は他にも Longbow、West Australian を共有し強固に結合)
 また、興味深いことに、Toulouse Lautrec の血統表におけるクロスの偏り(I理論で言う所の〈影響度バランス〉)は、父母が突出していた Ribot とは違い、2代祖先の全てがほぼ均等と絶妙の釣合いを見せています。これは程度に差こそあれ、アンバーシャダイ、メジロマックイーンらと通底するものです。

 ただ、比較的煩雑なクロスをつくった分、9代内クロス馬の合計は58種類と、Ribot のそれ(50種類)よりも多くなっており、その完成度において一歩譲ります(当馬のこの辺に、却ってテシオの自己満足の匂いを嗅ぎ取るのは穿ち過ぎというものでしょうか)。

 いずれにせよ当馬が、テシオ式配合の精髄とも言うべき質の高い血統構成を持ち、後世に残すべき価値を有していた、と言うことはできそうです。
 もちろん、テシオ晩年の方法論には、自らの富と経験をマージンに、敢えてハイリスクハイリターンな部分へ踏み込んでいった部分も、少しはあるのでしょう。思い入れ過多な Toulouse Lautrec よりも、比較的冷静にリスク回避策をとった Ribot の方がスケールの大きな活躍を遂げたことは、結果論として重く捉えるべきなのかもしれません。
 それでも、テシオが自らの方法論を鍛え、徹底し、その上で乗り越えていった道程を思えば、私はあえて当馬 Toulouse Lautrec を、Ribot に次ぐテシオ晩年の傑作」に推したいと考えます。


 ちなみに、当馬は引退後イタリアで種牡馬入りし、当地の名牝フェリア Feria(1956 牝 鹿 out of Feira de Rio ― 伊オークス、伊セントレジャー、ローマ賞、プリンシプアメデオ賞、ミラノ大賞-2着)や、テシオ亡き後のドルメロ牧場からマルグリートヴェルノー Marguerite Vernaut(1957 牝 鹿 out of Mariebelle ― イタリア大賞、英チャンピオンS)ユトリロ Utrillo(1956 牝 鹿 out of Urbinella ― 伊ダービー-1着失格、伊2000ギニー-3着。南アに輸出され当地の最強馬ハワイ Hawaii を輩出)といった産駒を送り出し、イタリアのリーディングサイアーに輝いています。

 その後 Toulouse Lautrec は、スワップス Swaps で知られる米西海岸の生産者レックス・エルズワース Rex Ellsworth 氏にトレードされ、かの地でケンタッキーダービー3着のザスカウンドレル The Scoundrel らを残しました。
 あるいは、メジロの基礎牝馬*アマゾンウォリアー Amazon Warrir(1960 牝 鹿 by Khaled ― メジロイーグルの母、ラモーヌ&アルダンの祖母となる)が輸入された時、受胎していた初仔メジロハクバも Toulouse Lautrec 産駒でした。
 日本にはこの他直仔はほとんど入っていませんが、輸入種牡馬*ドン Don の母父、南関東最強馬カウンテスアップの祖母の父として血統表中に現れる他、最近ではアメリカから盛んに輸入される馬の中で Hawaii の祖父として見かける機会が増えてきています。

1999/11/09-10 ― ( Revised on 11/21,2000/09/06, 2001/01/22 )


目次へトップへ戻る