「元祖南アからの刺客」 ハワイ Hawaii


「植民地」からの挑戦

 鞘次郎が今年(2000年)に入って最初にガッカリしたのは、金杯の馬券をハズしたことではなく r(^m^; 南アフリカ三冠を制して勇躍アメリカに遠征していたホースチェスナットHorse Chestnut が骨折、引退するという報せでした。北半球緒戦のG3ブロワードHを楽勝し、いよいよドンH以降の王道を歩まんとする矢先の故障だっただけに、勿体無いやら悲しいやら…。

 昨年のエルコンドルパサーが示したように、(植民地主義の投影である)近代競馬文化において、いわゆる周辺国から本家本元への挑戦、という形は、繰り返し大きなテーマであり続けてきました。かつてこれに成功したものは両国で大いに慶祝され、逆に失敗したものは本国を大いに気まずくさせたわけですが、後者の中には、ファーラップ Phar Lapフォルリ Forli、そしてホースチェスナットHorse Chestnut のように、新天地でその能力を十分に発揮することなく競争生命を絶たれた、残念な例もありました。
 日本からの数々の挑戦については、ハイタイム教授がこちらで「海外遠征史」として丁寧に解説されています。
 その点、18世紀末以来の歴史を持つ南アフリカ競馬は、苦渋をなめた今回から30年以上も前に、2つの華々しい成功を収めた経験があります。その1つがフォーゲルフライ牧場のコロラドキング Colorado King(1959 牡 栗 by Grand Rapids(ITY) ― 喜望峰ギニーズ/南アG1、ジュライH/南アG1、ハリウッドGC/米G1 他、北米7勝)であり、いま1つがプラットベルク牧場のハワイ Hawaii、すなわち本項の主人公です。

Hawaii 1964 牡 鹿 / FNo. 1-l / Dante 系
Utrillo
1958
Toulouse
Lautrec
1950
Dante
1942 黒鹿
Nearco
1935 黒鹿
Pharos Phalaris
Nogara Havresac
Rosy Legend
1931 黒鹿
Dark Legend Dark Ronald
Rosy Cheeks St. Just
Tokamura
1940
Navarro
1931
Michelangelo Signorino
Nuvolona Hurry On
Tofanella
1931
Apelle Sardanapale
Try Try Again Cylgad
Urbinella
1953 鹿
Alycidon
1945
Donatello
1934
Blenheim Blandford
Delleana Clarissimus
Aurora
1936
Hyperion Gainsborough
Rose Red Swynford
Isle of Capri
1942 黒鹿
Fair Trial
1932
Fairway Phalaris
Lady Juror Son-in-Law
Lady Josephine
Caprifolia
1932 鹿
Asterus Teddy
Carissima Clarissimus
Ethane
1947 黒鹿
Mehrali
1939
Mahmoud
1933
Blenheim
1927 黒鹿
Blandford Swynford
Malva Charles O'Malley
Mah Mahal
1928
Gainsborough Bayardo
Mumtaz Mahal The Tetrarch
Lady Josephine
Una
1930
Tetratema
1917
The Tetrarch Roi Herode
Scotch Gift Symington
Uganda
1921 黒鹿
Bridaine Gorgos
Hush St. Serf
Ethyl
1936 黒鹿
Clustine
1929
Captain Cuttle
1919
Hurry On Marcovil
Bellavista Cyllene
La Mauri
1922
Roi Herode Le Samaritain
La Maula Symington
Armond
1919 鹿
Lomond
1909 鹿
Desmond St. Simon
Lowland Aggie Alloway
Arcola
1907 鹿
Sir Visto Barcaldine
Ebba Hampton
SireLine for Windows Ver1.50 - Build 547 / 9代クロス血統表はこちら


南アフリカの芳香族

 近い代にお馴染みの名前が少ない血統表ですので、ひとつひとつじっくりと。

 Hawaii の母父メーラリ Mehrali は、快速パレスタイン Palestine(1947 芦 by Fair Trial ― 英2000ギニー、セントジェイムズパレスS/英 他)の半兄で、両親や弟同様、アガ・カーン三世によって生産されました。大きな所の勝ち鞍はないものの、計6勝を挙げています。
 弟 Palestine の活躍を見る前に輸出された Mehrali は、南アフリカで、7世代69頭の産駒から38頭の勝ち馬(7頭のステークス勝ち馬)を出しました。もっとも、そのうち重賞勝ち馬はプロフェッショナル Professional(1950 牡 栗 out of Yen ― 喜望峰ナーサリーフューチュリティ/南アG1 他10戦4勝)のみで、特別優秀な種牡馬だったとは言えません。
 しかしながら興味深いことに、Mehrali の産駒の中で、現役時代は14戦1勝と目立たなかった1頭の牝馬が、南アフリカの、世界の競馬史を塗り替える、重要な布石となったのです。

 それがC26、もといエタン Ethane。彼女が産み落とした産駒は、Hawaii を含めて13頭、そのすべてが出走し、うち11頭が勝ち上がりました。牝系図をご覧下さい。※ 表中重賞勝ち馬のみ黒太字で、準重賞勝ち馬は茶色で表記しています。


 牝系図:Ebba 〜 Armond 〜 Ethane / FNo. 1-l

Ebba ( 牝 1895 Hampton ) ― 全兄に英ダービー・2000ギニー馬 Ladas、半姉に名繁殖 Gas や 英1000ギニー馬 Chelandry  Arcola ( 牝 1907 鹿 Sir Visto ) ― 不出走   Poltara ( 牝 1916 Polymelus )   |Quadrilateral ( 牝 1924 Square Measure )   | Homer ( 牡 1932 Iliad ) ― AJCダービー/豪   Armond ( 牝 1919 鹿 Lomond ) ― 不出走    Gasoline ( 牝 1929 Kerasos ) ― 97戦18勝、産駒11頭中(10頭出走)5頭勝ち上がり    |Gasogen ( 牝 1937 Clustine ) ― 2勝    ||Premonition ( 牝 1950 Train Bleu ) ― 不出走    || Nikki ( 牝 1958 Alfa Romeo ) ― 未入着    || |Footlights ( 牝 1967 Drum Beat ) ― 2勝    || ||Section One ( 牝 1982 Lords ) ― 6勝    || || Sectional Title ( 牡 1988 鹿 Proclaim ) ― 喜DフューチュリティS/南アG3 他 19戦6勝    || |Pegasus ( 牡 1971 Drum Beat ) ― スミルノフP/南アG2 他 8勝    || Gaskell ( 牡 1960 栗 Hycar ) ― 喜望峰ギニーズ/南アG1 ソマーセットP/南アG1    ||             クイーンズP/南アG1-2着 喜望峰ダービー/南アG1-3着 他 57戦14勝    |Illuminant ( 牝 1940 Clustine ) ― スプリングマーチャントH/南アLR 他 8勝    |Paraffin ( 牝 1942 Chesham ) ― 未入着    ||Dieseline ( 牝 1948 鹿 Mehrali ) ― 15戦1勝    || Feudist ( 牡 1958 黒鹿 Hay Rake ) ― 南アフリカナーサリーP/南アG1    || |             ライオンエクスポートS/南アG3(連覇) 他 56戦14勝    || Bowline ( 牡 1967 Arsoli ) ― 喜望峰ナーサリー/南アG2 JGホーリスメモリアルP/南アG2 他 5勝    |Laurel ( 牝 1947 Pigling Bland ) ― 3勝    | Orlon ( 牝 1956 鹿 Netherwood ) ― 33戦1勝    |  Certain Smile ( 牝 1964 Sun Compass ) ― 1勝    |   Great Sun ( 牡 1974 Persian Wonder ) ― Admin.チャンピオンジュヴナイルS/南アG1 他 10勝    |   Sunshine Man ( 牡 1975 鹿 Persian Wonder ) ― J&BメトロポリタンH/南アG1(翌年は2着)    |                    クレアウッドウィンターH/南アG2 他 45戦10勝    Ethyl ( 牝 1936 黒鹿 Clustine ) ― 48戦13勝、産駒10頭中(8頭出走)8頭勝ち上がり     
Ethane ( 牝 1947 黒鹿 Mehrali ) ― 14戦1勝、産駒13頭中(13頭出走)11頭が勝ち上がり     |War Sprite ( 牝 1955 黒鹿 Battle Hymn ) ― 14戦未勝利     ||Banzia ( 牝 1964 鹿 Vallauris ) ― 未入着     ||Clear Win ( 牡 1965 鹿 Joy ) ― マーチャントGC/南アLR キャンベルロジャーH/南アLR 他 47戦13勝     ||Joyous Victory ( 牝 1972 Ragtime ) ― 1勝     || Sweet Surrender ( 牝 1977 Mexico ) ― 6勝     ||  Princess Vikki ( 牝 1979 Jamaico ) ― 3勝     ||  |Bold Chieftain ( セン 1987 鹿 Singh ) ― 喜望峰ダービー/南アG1 他 9戦4勝     ||  Blended Splendour ( 牝 1984 Esplendor ) ― 2勝     ||   Fine Things ( 牝 1990 Dancing Champ ) ― PNゴールデンスリッパー/南アG2 他 3勝     |Ethylwood ( 牝 1956 栗 Netherwood ) ― 喜望峰フィリーズナーサリー/南アG1-2着 他 30戦8勝     ||Fragrant ( 牝 1963 Joy ) ― 未入着     |||Youth Dew ( 牝 1972 Utrillo ) ― 2勝     ||| Bold Fragrance ( 牝 1980 Plum Bold ) ― 不出走     |||  Perfumery ( 牝 1986 Lost Chord ) ― 2勝     |||  |Patchouli Dancer ( セン 1993 栗 Mistral Dancer ) ― セレブリティクラシック/南アG1     |||  |                南アフリカギニーズ/南アG1-3着 他 23戦5勝     |||  Giorgio ( 牡 1989 Lost Chord ) ― ゴスフォースパークジュヴナイル/南アG2 他 6勝     ||Top Brass ( 牡 1964 Joy ) ― クレアウッドウィンターH/南アG2-2着 他 10勝     ||Sovereign Lord ( 牡 1966 Utrillo ) ― チャンピオンナーサリーS/南アG1-4着 他 5勝     |Courtella ( 牡 1957 栗 Netherwood ) ― WPナーサリー/南アG3-2着 他 97戦9勝     |Enrapture ( 牝 1958 黒鹿 Netherwood ) ― 31戦2勝     ||Morning Pride ( 牡 1966 鹿 Joy ) ― WPコルトナーサリー/南アG3-3着 他 14戦1勝     |Entrance ( 牝 1959 黒鹿 Netherwood ) ― クレアウッドナーサリーS/南アG2 他 31戦9勝     ||Whirl A Way ( 牡 1965 Wilwyn ) ― 8勝     ||Smart Girl ( 牝 1967 Joy ) ― 1勝     |||Marilyn ( 牝 1974 Utrillo ) ― 未入着     ||| Military Song ( 牡 1982 鹿 Song of Songs ) ― コンピュタフォームスプリント/南アG1     |||                 ゴールデンスパー/南アG1-2着 他 25戦8勝     ||Goddess ( 牝 1973 Port Merion ) ― 5勝     ||Winged Princess ( 牝 1974 Another Prince )     || Fair Model ( 牝 1990 鹿 Model Man ) ― アランロバートソンブラッドラインCS/南アG1 他 29戦4勝     |Bardahl ( 牡 1960 鹿 Netherwood ) ― 9戦1勝     |William Penn ( 牡 1961 鹿 Netherwood ) ― 南アフリカギニーズ/南アG1 メトロポリタンH/南アG1     ||                ニューベリS/南アG1 チャンピオンS(Wfa)/南アG1(連覇)     ||                ロスマンズジュライH/南アG1-2着 他 58戦16勝     |Enchanter ( 牡 1962 鹿 Joy ) ― 喜望峰プロヴィンシャルH/南アLR 他 76戦11勝     |Heaven Sent ( 牝 1963 鹿 Joy ) ― 5勝     ||Meteorite ( 牝 1977 Jungle Cove ) ― 未入着     || Parhelia ( 牝 1984 Northern Guest ) ― ダッツンニッサンH/南アLR 他 7勝     |Hawaii ( 牡 1964 鹿 Utrillo ) ― ゴールデンマイル三冠(ベノニ・喜望峰・南アの各ギニー)/南アG1*3     ||                他 南ア18戦15勝、マンノウォーS/米G1 他 米10戦6勝     |Malabu ( 牡 1968 鹿 Utrillo ) ― 45戦6勝     Onward ( 牡 1950 鹿 Battle Hymn ) ― インヴィテーションフリーH/南アLR 他 84戦15勝     Sabine ( 牡 1953 鹿 Battle Hymn ) ― 38戦7勝     Lyric Lady ( 牝 1954 鹿 Battle Hymn )
SireLine for Windows Ver 1.50 - Build 547
 この牝系は、英二冠馬 Ladas の全妹エッバ Ebba の直孫アーモンド Armond の代に南アフリカへ運ばれて根を下ろしました。Ethane の仔をはじめ、初期には有機化学じみた命名が目立ちますね。そこへどうして合衆国由来の William Penn や Hawaii なんだ、って気はしますが。(^^;
 その後もこの一族は、ガスケル Gaskellグレートサン Great Sunサンシャインマン Sunshine Man の全兄弟などから、つい先年の活躍馬パチョリダンサー Patchouli Dancer まで、名馬をたゆまず輩出し、南アの名門としての座を不動のものとしています。鞘次郎は、Hawaii とも縁浅からぬ配合の快速ミリタリーソング Military Song あたりに、なかなか魅力を感じます…。

 さて、話を1960年代に戻しましょう。この頃すでに Ethane は、大種牡馬ニザーウッド Netherwood との蜜月を通じて名声を高めていましたが、Netherwood の逝去に伴い、61年からマイバブー My Babu の弟ジョイ Joy、そして63年はイタリアから輸入されたばかりの新種牡馬ユトリロ Utrillo と交配されます。

 Utrillo は、Pharis の半姉から3代を経た牝馬ウルビネッラ Urbinella に対し、ドルメロ牧場が亡き主人フェデリコ・テシオの名馬トゥールーズロートレック Toulouse Lautrec を配して生産した馬。優秀な競走馬ではあったものの、伊2000ギニーを3着、伊ダービーを1着入線も失格…と恵まれずに現役を終え、南アフリカはプラットベルク牧場へと輸出されました。
 Utrillo の命名では、もちろん「画家の人名」「母系のイニシャルを継承」というテシオ流が踏襲されているわけですが、実はもう少しタネがあったりします。
 画家モーリス・ユトリロ Maurice Utrillo [1883-1955] を未婚のまま産んだシュザンヌ・ヴァラドン Suzanne Valadon [1867-1938] は、自身すぐれた画家であり、またルノアール、そしてロートレックの絵のモデルを務めた人物でもあったのです。流石にユトリロの実父がロートレック…なんてことはなさそうですが (^^; ヴァラドンとロートレックの恋仲は有名でしたから、リディア・テシオ未亡人としてはその辺りを意識した命名だったのでしょう。
 果たしてこの種牡馬は、Hawaii の活躍によって早くも南アのリーディングサイアーに輝きます(初年度産駒はわずかに8頭、うち勝ち馬は Hawaii 含め5頭)。ただし、その後の繁殖成績は産駒数の増加にもかかわらず下落してゆき、結果的には Hawaii が突出して記録に残ることになりました。生涯産駒数は12世代113頭、うち97頭が出走し50頭が勝ち上がり、8頭がステークス(うち Hawaii 以外の3頭がG3)を勝っています。

 このように父自身の資質が特筆すべきものではなかった点から、後述するような Hawaii 自身の能力は、実際には母方 Ethane の資質(特にそのX染色体径路上のインブリードによる部分)、および父母の相性、といった要素が大きかったと考えられます。Rosy Legend の項や別論で述べた言葉を用いれば、偉大な Ethane こそはまさしく〈ダブルコピー牝馬〉だった、とも言えるからです。

Ethane 1947 牝 黒鹿 ― William Penn、Hawaii らの母
Una
1930
Scotch Gift
1907 鹿
Siphonia
1888 鹿
St. Angela ●Pocahontas
Adeline
Palmflower ▲Madame Eglantine
Jenny Diver
Maund
1898
Ruth Miss Ann
Hilda (F8)
Ianthe La Belle Helene
Devonshire Lass
Uganda
1921 黒鹿
Bitter Orange
1906
Gravity Aline
Enigma (F2)
Tragedy Queen Moorhen
Clarion (F7)
Hush
1911 鹿
Feronia Alice Hawthorn
Woodbine → ●
Silent Lady Arcadia
Miss Gunning
Ethyl
1936 黒鹿
La Mauri
1922
Roxelane
1894
War Point Nightingale
Piracy
Rose of York Doralice
Rouge Rose → ■
La Maula
1912 鹿
Siphonia St. Angela → ●
Palmflower → ▲
Maund Ruth
Ianthe
Armond
1919 鹿
Lowland Aggie
1900
Lady Morgan Alice Hawthorn
Morgan La Faye
Agnes Sarum Farewell
Agnes Osborne
Arcola
1907 鹿
Vista Jocose
Vendure → ●
Ebba Lady Langden
Illuminata → ▲
SireLine 改メ HeartLine

 上の5代伴性血縁血統表をご覧下さい。母方の La Mauri と Armond は、伴性血縁で言う4から5代目にかけて、名にし負う3頭の名牝(■/●/▲)を共有していますね。こうやって特定の資質を固定したのが Ethyl の代。そして次の代では La Maula の全姉を持ってきて Siphonia を拡大強調、もちろん Alice Hawthorn もおさえる、という心憎い演出(一種の〈戻し交配〉)が行われているわけです。
 これと似た手法を用いたのが、あの
ホワイトナルビー。世に名繁殖牝馬と称される馬には、ほとんど必ずといっていいほど、こうした配合上の秘密が隠されているものです。

 では Hawaii 自身はまったく母の七光りに過ぎないのかといえば、さにあらず。母方が古く、多少構造が錯綜しているきらいはあっても(9代表を参照)、Galopin や Newminster に貫かれた既存の構造を、Alycidon と Mahmoud の組み合わせでざっくりと統御している辺りは、なるほど見るべき所があります。その謂いでは、*スイフトスワロー Swift Swallow との現代的な組み合わせにも興味を覚えますね。
 また部分的に見ると、Mehrali は The Tetrarch:4x3 の持ち主でしたが、Ethane では微妙に趣向を変えて、Tetratema と La Mauri の〈3/4同血クロス〉で快速を伝えています。そして Hawaii の代では、後に広く知られるようになる Blandford と The Tetrarch と仏血の組み合わせを用いている、とも読めるのです。ここには、緊張を維持しつつ、少しずつ懐を広げていく手法が観察できます(やがてそれが転回し、より完全な近交へと結実を見るのが*ハンザダンサー Hunza Dancer(1972 牡 鹿 ― ボーリンググリーンH/米、英ダービー/英-3着)の配合。本項末尾参照)。


距離不安、ギニー三冠、兄との対決

 と、まぁ一通り血統背景を読み込んだところで、次に Hawaii の活躍ぶりを振り返ってみましょう。

 Hawaii は幼い頃からすでに素晴らしい馬体の持ち主だったと言われ、実際、イヤリング(1歳)当時のランドショウの品評会では優勝を遂げています。その直後、コンテストの審査員だったジョージ・アッツィー師を通して、アメリカ人大富豪エンゲルハード氏に9030ランドの高値で購買され、トランスヴァール州ヨハネスブルクのアッツィー厩舎へ入りました。なお、エンゲルハード氏は*インディアナ Indiana やニジンスキー Nijinsky のオーナーとしても知られる、Dante / Sayajirao 系にとっても重要な庇護者です。

 2歳夏(といっても11月)、地元ベノニのメイドン(未勝利)800m戦で7馬身差の圧巻デビューを飾った Hawaii は、ターフォンテインのペプシコーラC(1182m,LR)、ベノニのイーストランドジュヴナイルH(1000m,G3)をともに8馬身差で逃げ切りおおせ、白人社会の注目を集めてゆきました。
 続いてナタル州ダーバンに遠征すると、アフリカンブリーダーズS(1200m,LR)も辛勝、ところが大一番のチャンピオンナーサリーS(1400m,G1)では、マスタービルダー Master Builder の3着と初めて土をつけられます。この年の内にもう1戦消化して、結局 Hawaii は明け3歳を6戦5勝で終えました。ただその内容に、いかにも当初の輝きを失っていくような観があったため、短距離びいき(ダービーよりギニーの方が価値のあるほど)の南アにあっても、Hawaii には今ひとつ好ましい評価は与えられなかったようです。

 そのため3歳の Hawaii も、はじめは慎重なローテーションで使われました。まずはデビュー2戦目と同じ舞台のターフォンテインスプリントを勝ち、そして南アダービートライアル(1600m,LR)で距離への対処法を実践した上で、古馬との混合戦で軽斤量のチェアマンズH(1182m,G3)を楽逃げ切り、そのまま「3大ギニーズ」の1戦目、ベノニ・ロイヤルリザーヴギニーズ(1600m,G1)を陥れて、足下を固めます。
 そうしてようやく状態が整った所で、Hawaii は南アの中心であるケープオブグッドホープ(喜望峰)州に遠征、ギニーズトライアルS(1400m,LR)を経て、3歳戦の頂点、喜望峰・メロウウッドギニーズ(1600m,G1)に挑みました。このレースの賞金は実にベノニギニーズの4倍以上にあたる22,200ランドとあって、Hawaii の弱点を狙う各馬が集結、真価を厳しく問われる場となりました。ここで、直線遅れた仕掛けから素晴らしい伸びを見せて優勝したことで、Hawaii は半兄の一流馬ウイリアムペン William Penn にも比肩しうる存在、と認められるようになったのです。

 さらに秋を迎えた Hawaii はますます円熟、昨年苦杯をなめたダーバンへ遠征すると、クレアウッド記念P(1200m,LR)を楽勝、3大ギニー最後の南アフリカギニーズ(1600m,G1)もきっちり勝って、9連勝で「ゴールデンマイル三冠」を達成しました。同時に馬主のエンゲルハード氏は北米遠征計画をぶち上げ、若き英雄への期待は高まる一方でした。

 ただしこの後の Hawaii は、適鞍を離れたためかどうもスムーズさを欠き、年度総決算のロスマンズジュライH(2100m,G1)では大外を引いて4着、クレアウッドウィンターH(1800m,G2)は快勝も、4歳になってグレイヴィルのチャンピオンS(2000m,G1)では他ならぬ半兄 William Penn に膝を屈して2着、地元トランスヴァール・スプリングチャンピオンS(1400m,G2)は楽勝と、多少浮沈のある所を見せました。

 かくて、本国における Hawaii の成績は18戦15勝に落ち着きます。この数字は確かに立派ですが、彼の距離延長に弱い点には誰もが気づいていました。ですから北米遠征の成否も、正直かなり疑わしい部分があったと言えます。望みは、アメリカにも拠点を持つエンゲルハード氏のコネクションと、Hawaii 自身の更なる成長力でした。
 あるいは Hawaii の遠征を、相性の悪かった半兄 William Penn との対戦(星の潰し合い)を避ける行為、と見ることもできるかもしれません。何と言っても、この兄に対して Hawaii はロスマンズジュライ(兄2着/弟4着)、チャンピオンS(兄1着/弟2着)と、ついに勝てぬままでしたから。
 ちなみに William Penn は、半弟の北米遠征後も末永く現役をつとめ、数々の大レースで健闘しました。一度引退・種牡馬入りしてから、11歳で改めてレースに復帰するなど、こちらも相当に面白いキャラクターではあったようです。
William Penn 1961 牡 鹿 / FNo.1-l / Nearco 系 ― 南アギニー、メットH 他 58戦16勝
Netherwood
1950
Nearco
1935 黒鹿
Pharos
1920 黒鹿
Phalaris
1913 黒鹿
Polymelus Cyllene
Bromus Sainfoin
Scapa Flow
1914
Chaucer St. Simon
Anchora Love Wisely
Nogara
1928 鹿
Havresac
1915 黒鹿
Rabelais St. Simon
Hors Concours Ajax
Catnip
1910 鹿
Spearmint Carbine
Sibola The Sailor Prince
Hyaline
1938
Hyperion
1930
Gainsborough
1915 鹿
Bayardo Bay Ronald
Rosedrop St. Frusquin
Selene
1919 鹿
Chaucer St. Simon
Serenissima Minoru
Rosenun
1929
Tangiers
1916
Cylgad Cyllene
Orange Girl William the Third
Rosedale
1926
Captain Cuttle Hurry On
Rosewyn Polymelus
Ethane
1947 黒鹿
Mehrali
1939
Mahmoud
1933
Blenheim
1927 黒鹿
Blandford Swynford
Malva Charles O'Malley
Mah Mahal
1928
Gainsborough Bayardo
Mumtaz Mahal The Tetrarch
Una
1930
Tetratema
1917
The Tetrarch Roi Herode
Scotch Gift Symington
Uganda
1921 黒鹿
Bridaine Gorgos
Hush St. Serf
Ethyl
1936 黒鹿
Clustine
1929
Captain Cuttle
1919
Hurry On Marcovil
Bellavista Cyllene
La Mauri
1922
Roi Herode Le Samaritain
La Maula Symington
Armond
1919 鹿
Lomond
1909 鹿
Desmond St. Simon
Lowland Aggie Alloway
Arcola
1907 鹿
Sir Visto Barcaldine
Ebba Hampton
SireLine for Windows Ver1.50 - Build 547


北米上陸、芝王者へ

 ともあれ、2ヶ月という長い検疫期間もあって、4歳時をほぼ棒に振る形で北米入りした Hawaii には、マック・ミラー師の下でまず馬体を再構築するという仕事が待っていました。
 5歳夏になってひとまず完成した Hawaii は、M・イカサ騎手を背にベルモントで芝7ハロンとダート8ハロンのアローワンスを使い、前者を圧勝/後者を凡走したことで、やはり芝路線に目標を定めます。

 まずアーリントンパークでスターズアンドストライプスH(芝9f)を四角マクリの3/4馬身差で制し、B・バエサ騎手に乗り替わったタイダルH(芝9f)では追い込みを試みてフォートマーシィ Fort Marcy (1964 セン 鹿 by Amerigo ― ワシントンDC国際S/米(2回)、マンノウォーS/米 他。1970年度米年度代表馬)の3着。サラトガでのバーナードバルークH(芝8.5f)はイカサ騎手が向こう正面からマクって4馬身差の圧勝でした。
 アトランティックシティでのケリーオリンピックH(芝9f)では、再びバエサ騎手が追い込みを敢行するも、やはり Fort Marcy には届かず3着。南アでの走りから考えても(もしくはそれゆえに?)、Hawaii には根本的に、逃げやマクリといった早めに動く脚質の方が向いていたのでしょう。
 そして同地の大一番ユナイテッドネイションH(芝9.5f)はJ・ヴェラスケス騎手への乗り替わりで挑み、向こう正面で先頭に立ったノースフライト North Flight (1966 牡 by Misty Flight)を直線1/2馬身差交わして優勝、Fort Marcy(3着)に対しても初めての先着を果たしました。

 こうなると、いよいよ10fを超える距離での勲章が欲しくなり、Hawaii はサンライズH(芝12f)に挑みます。これを制し、さらにその勢いで乗り込んだベルモントパークのマンノウォーS(芝12f)が、この馬にとって生涯を通じたクライマックスとなりました。
 逃げるはガンソング Gun Song、それを North Flight が交わしたところに、またも Hawaii が襲い掛かり、ゴールポストを通過する時には2と1/4馬身の決定的な差がついていました(勝ち時計2.27.2)。ここにおいて Hawaii は本国で不安視されていた距離や成長力の問題へも十分な答えを示し、あまつさえ全米芝王者の地位を獲得してみせたのです。

 Hawaii の生涯最後のレースは、当時隆盛を極めていたローレルパークのワシントンDC国際S(芝12f)となりました。ここでこそイギリスからの伏兵カラバス Karabas (1965 牡 by Worden ― 翌年ハードウィックS/英を勝つ)に1と1/4馬身差で敗れたものの、負けて強しと称えられるほど、Hawaii はすでに確固たる人気と評価を獲得していました。

 彼の通算成績は、南ア 15-1-1-1(獲得賞金66,236ランド)、アメリカ 6-1-2-1(同279,280ドル)。抜群の快速に加え、すぐれた適応力と成長力を備えたその身体をもって、厚いカーテンに隠される直前、南アフリカ競馬の存在を知らしめる星となったのでした。


流転する意外性の血

 引退した Hawaii は、ケンタッキーの大牧場クレイボーン(30年後に Horse Chestnut も供用されることになる地)で種牡馬となり、1990年この第2の故郷に骨を埋めるまでに、以下のような活躍馬を送り出しました。
 死後もその血は広がりを見せていますが、母 Ethane の影響力からか、直父系よりもボトムラインに入っての活躍馬(しかも、きょうだいで!)が目立ちます。


  〜 ハワイ Hawaii の血脈 〜

▼父として
 サンアンドスノウ Sun and Snow (1972 牝 out of Alpine Peak ― ケンタッキーオークス/米 他)
 *ハンザダンサー Hunza Dancer (1972 牡 鹿 out of Oonagh ― ボーリンググリーンH/米 他)
 ハワイアンサウンド Hawaiian Sound (1975 牡 out of Sound of Success ― ベンソン&ヘッジスGC/英 他)
 カメハメハ Kamehameha (1975 牡 out of Desk Set ― シネマH/米)
 ヘンビット Henbit (1977 牡 鹿 out of Chateaucreek ― 英ダービー/英G1 他)
 アイランドチャーム Island Charm (1977 牝 out of Gaylord's Touch ― ファーストフライトH/米G1 他)
 キラウェア Kilauea (1980 牡 out of English Toffee ― レキシントンS/米G3)
 キャプテンハワイ Captain Hawaii (1983 牡 out of Bags in Orbit ― エマヌエーレフィベルト賞/伊G3)
 ポーターロードズ Porter Rhodes (1986 牡 out of Stella Matutina ― ガリニュールS/愛G2)


▼祖父として
 フジノテンユウ (1979 牡 栗 by *ハンザダンサー ― 日経賞2着)
 マレヴィック Malevic (1981 牡 by Hawaiian Sound ― 共和国大統領賞/伊G1 他)
 オーディナンス Ordinance (1983 牡 by Henbit ― フォワ賞/仏G3)
 ファミリーフレンド Family Friend (1983 牡 by Henbit ― エスペランス賞/仏G3)
 リワードパンサー (1983 牡 黒鹿 by *ハンザダンサー ― 白山大賞典)
 ボッロミーニ Borromini (1986 牡 by Henbit ― ドーヴィル大賞/仏G2)


▽母父として
 エンジンワン Engine One (1978 牡 by Our Michael ― ヴォスバーグS/米G1)
 サクラサニーオー (1982 牡 鹿 by *パーソロン ― 京成杯/G3)
  & サクラダイオー (1984 牡 鹿 by マルゼンスキー ― 公営6戦5勝、レジェンドハンターの父)
              ※ 両頭の半姉の産駒にダンディコマンド、半妹の産駒にパルスビート
 *シルヴァーエンディング Silver Ending
          (1987 牡 青鹿 by Silver Hawk ― ペガサスH/米G1 他。マイネルプラチナムの父)
 シャイトム Shy Tom (1986 牡 by Blushing Groom ― 亜三冠馬 Refinado Tom の父)
  & ヘネシー Hennesy (1993 牡 栗 by Storm Cat ― ホープフルS/米G1)
  & パールシティ Pearl City (1994 牝 栗 by Carson City ― バレリーナH/米G1 他)


▽祖母父として
 ミスジョッシュ Miss Josh (1986 牝 by Nasty and Bold ― ゲイムリーH/米G1)
  & ロイヤルマウンテンイン Royal Mountain Inn (1989 セン by Vigors ― マンノウォーS/米G1)
 ニフティニース (1987 牝 鹿 by Raise a Native ― 関屋記念/G3、セントウルS/G3)
  & ニフティダンサー (1988 牡 鹿 by *ノーザンテースト ― 七夕賞/G3)
 リルイーティ Lil E. Tee (1989 牡 鹿 by At the Threshold ― ケンタッキーダービー/米G1 他)
 ヴォードヴィル Vaudeville (1991 牡 by Theatrical ― セクレタリアトS/米G1)
 メイショウモトナリ (1994 牡 鹿 by *アレミロード ― スーパーダートダービー/G2 他)

 それでは最後に……皆様にもお馴染みの存在であり、かつまた Hawaii の血を引く馬として、この配合を見てみましょう。

トウショウファルコ 1986 牡 栗 / FNo.1-w / Hyperion 系 ― 中山金杯、AJCC 他 31戦8勝
グリーングラス
1973 黒鹿
*インターメゾ
Intermezzo
1966 黒鹿
Hornbeam
1953
Hyperion
1930
Gainsborough Bayardo
Selene Chaucer
Thicket
1947 鹿
Nasrullah Nearco
Thorn Wood Bois Roussel
Plaza
1958 鹿
Persian Gulf
1940 鹿
Bahram Blandford
Double Life Bachelor's
Double
Wild Success
1949 鹿
Niccolo dell'Arca Coronach
Nogara
Lavinia Bosworth
ダーリングヒメ
1964
*ニンバス
Nimbus
1946 黒鹿
Nearco
1935 黒鹿
Pharos Phalaris
Nogara Havresac
Kong
1933
Baytown Achtoi
Clang Hainault
ダーリングクイン
1958
*ゲイタイム
Gay Time
1949
Rockefella Hyperion
Daring Miss Felicitation
ダーリング
1947
*セフト
Theft
Tetratema
第弐タイランツ
クヰーン
Soldennis
カメリアトウショウ
1982
*ハンザダンサー
Hunza Dancer
1972 鹿
Hawaii
1964 鹿
Utrillo
1958
Toulouse Lautrec Dante
Urbinella Alycidon
Ethane
1947 黒鹿
Mehrali Mahmoud
Ethyl Clustine
Oonagh
1964
Sword Dancer
1956
Sunglow Sun Again
Highland Fling By Jimminy
Uvira
1938 鹿
Umidwar Blandford
Lady Lawless Son-in-Law
ガールトウショウ
1975
*チャイナロック
China Rock
1953 栃栗
Rockefella
1941 黒鹿
Hyperion Gainsborough
Rockfel Felstead
May Wong
1934
Rustom Pasha Son-in-Law
Wezzan Friar Marcus
*ソシアル
バターフライ
Social Butterfly
1957 鹿
Your Host
1947
Alibhai Hyperion
Boudoir Mahmoud
Wisteria
1948 鹿
Easton Dark Legend
Blue Cyprus Blue Larkspur
SireLine for Windows Ver1.50 - Build 547

 Hawaii の代表産駒の一頭*ハンザダンサーは、先にも触れたように、Uganda:5x4, Blandford:6x4, Tetratema:5x6 の3重クロスを作ることで Mehrali を強調した、若干あざとい配合の馬でした。この馬は英ダービー3着、独オイロパ大賞2着の後、渡米してボウリンググリーンH、アメリカンHを勝つなど五カ国27戦を転戦して6勝を挙げ、日本で種牡馬入りします。しかし期待ほどの成功は収められず、米血牝馬との間にリワードパンサー(1983 牡 黒鹿 from エタンチェリー ― 白山大賞典)らを出すに留まりました。

 それらの産駒中、トウショウボーイの半妹ガールトウショウとの間に設けたカメリアトウショウは、地味ながらも Mahmoud, Son-in-Law, 父方 Tetratema & Uganda(St. Serf は母方も), 母方 Hyperion といったトウショウ牧場らしい成分からなっており、初年度にトウショウボーイの仇グリーングラスを迎えて、Hyperion や Tetratema を再びクロスした配合の牡駒を産み落とします。
 この馬は、やがて尾花栗毛の美しい姿に成長してトウショウファルコと名付けられました。彼は、慢性の裂蹄に悩まされながらも、先行力を武器に金杯・AJCCを連勝するなどして大いに人気を得ることとなります。
 ファルコは春の天皇賞でもステイヤー・グリーングラスの産駒ということで期待されたものの、体質ゆえの不調から回避。唯一G1出走がかなった秋の天皇賞でも敗れ、ついに完調な姿を見せぬまま、引退しました。
 彼はその後も東京競馬場で6年間に渡って誘導馬を務め、昨年からは根岸公園に移っています。どこへ行っても人々に愛される、という意味では幸運なファルコ。しかしその血脈に、弁証法的配合史が鮮やかに体現されていた ―― その意味では、実はステイヤーなどではなかった可能性が高い ―― ことも、どうか忘れないでいただきたいものです。

2000/06/09 ― ( Revised on 07/26,12/26,2001/02/10 )
Text for reference ――
Action Racing Online および
山野浩一:『伝説の名馬 PartII』, 中央競馬PRセンター, 1994


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