「ハイセイコーの影に輝く」 タケホープ

 二冠馬タケホープ、という馬は、その強さに対して常に一般的評価の伴わない存在でした。確かに、彼を宿敵ハイセイコーと切り離して語ることは、さほど意味のあることではないでしょう。しかし、彼らの物語を、昼=ハイセイコーの側からではなく、夜=タケホープの側から記述し直すことはできるように思います。夜空の月を愛でるように。


早吹雪の忘れ形見

 タケホープの母ハヤフブキは、現役時代31戦して4歳牝馬Sなど4勝を挙げた活躍馬です。小岩井の至宝*ビューチフルドリーマー Beautiful Dreamer の末裔、しかもカブトヤマの母アストラルからオーマツカゼを経る主流の一翼とあって、大いに期待され、浦河の名門・谷川牧場で繁殖入りしました。彼女は初年度から*パーソロン Partholon、*インディアナ Indiana、シンザンと交配されますが、3頭目の子を出した1971年、急死しました。
 しかしハヤフブキはこれらの希少な忘れ形見によって、歴史に残る名牝となります。

 まず、初仔タケフブキ京成杯3歳Sを3着、4歳牝馬特別(東)をタカイホーマの2着した後、本番のオークスではタカイホーマを破って優勝しました(勝ち時計2.28.8、18頭立て3番人気)。
 タケフブキの血統構成は、笠雄二郎氏の名著『日本サラブレッド配合史』の中で称揚され「3勝馬も、名馬の部類に入れたい」と述べられたほどで、必見の価値あるものです。

タケフブキ 1969 牝 鹿 / FNo. 12 / *パーソロン 系
*パーソロン
Partholon
1960 鹿
Milesian
1953 鹿
My Babu
1945 鹿
Djebel
1937 鹿
Tourbillon Ksar
Loika Gay Crusader
Perfume
1938
Badruddin Blandford
Lavendula Pharos
Oatflake
1942 鹿
Coup de Lyon
1930
Winalot Son-in-Law
Sundry Sunstar
Avena
1936 鹿
Blandford Swynford
Athasi Farasi
Paleo
1953 鹿
Pharis
1936 黒鹿
Pharos
1920 黒鹿
Phalaris Polymelus
Scapa Flow Chaucer
Carissima
1923 鹿
Clarissimus Radium
Casquetts Captivation
Calonice
1940
Abjer
1933 鹿
Asterus Teddy
Zariba Sardanapale
Coronis
1935
Tourbillon Ksar
Heldifann Durbar
ハヤフブキ
1963 黒鹿
*タリヤートス
Tulyartos
1957 黒鹿
Tulyar
1949 黒鹿
Tehran
1941 鹿
Bois Roussel Vatout
Stafaralla Solario
Neocracy
1944 黒鹿
Nearco Pharos
Harina Blandford
Certosa
1951
Prince Chevalier
1943 鹿
Prince Rose Rose Prince
Chevalerie Abbot's Speed
Arctic Sun
1941 黒鹿
Nearco Pharos
Solar Flower Solario
ラインランド
1957 鹿
*ライジングフレーム
Rising Flame
1947 黒鹿
The Phoenix
1940 鹿
Chateau Bouscaut Kircubbin
Fille de Poete Firdaussi
Admirable
1942 黒鹿
Nearco Pharos
Silvia Craig an Eran
マーヴェラス
1951 鹿
*プリメロ
Primero
1931 鹿
Blandford Swynford
Athasi Farasi
オーマツカゼ
1944
*ダイオライト Diophon
第参アストラル *シアンモア
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 なるほど、父母が持っていた多くのインブリードを解消しながら、ハリナ Harina=*プリメロ Primero の全きょうだいクロスをアヴェナ Avena でもう一度継続し、これとファロス Pharos のラインブリードでもって全体をきわめてシンプルに構成した、見所の多い配合ですね。もちろん、母ハヤフブキのX染色体径路上のクロス Nearco:4x4 も見逃せません(これは弟も同様)。
 後にタケフブキは、早世した母の後継として繁殖入り、タケマサル(1977 牡 鹿 by シンザン ― カブトヤマ記念-2着)タケファイター(1978 牡 芦 by *カラード Karad ― 毎日杯-2着、きさらぎ賞-3着)らを送り出しています。

 こうした背景から、タケホープと名付けられた2番仔は、「母の忘れ形見」に加え「オークス馬の半弟」という期待を背負うことになったのでした。

タケホープ 1970 牡 鹿 / FNo. 12 / Sayajirao 系
*インディアナ
Indiana
1961 鹿
Sayajirao
1944 黒鹿
Nearco
1935 黒鹿
Pharos
1920 黒鹿
Phalaris Polymelus
Scapa Flow Chaucer
Nogara
1928 鹿
Havresac Rabelais
Catnip Spearmint
Rosy Legend
1931 黒鹿
Dark Legend
1914 黒鹿
Dark Ronald Bay Ronald
Golden Legend Amphion
Rosy Cheeks
1919 黒鹿
St. Just St. Frusquin
Purity Gallinule
Willow Ann
1942
Solario
1922 鹿
Gainsborough
1915 鹿
Bayardo Bay Ronald
Rosedrop St. Frusquin
Sun Worship
1912 鹿
Sundridge Amphion
Doctrine Ayrshire
Court of Appeal
1931
Apelle
1923
Sardanapale Prestige
Angelina St. Frusquin
Brown Princess
1925
Tetratema The Tetrarch
Swagger Cane Charles O'Malley
ハヤフブキ
1963 黒鹿
*タリヤートス
Tulyartos
1957 黒鹿
Tulyar
1949 黒鹿
Tehran
1941 鹿
Bois Roussel Vatout
Stafaralla Solario
Neocracy
1944 黒鹿
Nearco Pharos
Harina Blandford
Certosa
1951
Prince Chevalier
1943 鹿
Prince Rose Rose Prince
Chevalerie Abbot's Speed
Arctic Sun
1941 黒鹿
Nearco Pharos
Solar Flower Solario
ラインランド
1957 鹿
*ライジングフレーム
Rising Flame
1947 黒鹿
The Phoenix
1940 鹿
Chateau Bouscaut Kircubbin
Fille de Poete Firdaussi
Admirable
1942 黒鹿
Nearco Pharos
Silvia Craig an Eran
マーヴェラス
1951 鹿
*プリメロ
Primero
1931 鹿
Blandford Swynford
Athasi Farasi
オーマツカゼ
1944
*ダイオライト Diophon
第参アストラル *シアンモア
SireLine for Windows Ver1.50 - Build 547 / 9代クロス血統表はこちら

 彼の血統は、母を重視した形の姉とは対照的に、ネアルコ Nearco とソラリオ Solario の組み合わせに注目し、これを揃ってインブリードした配合となっていることがわかります。
 これは当然 Nearco:3x5*5*5(血量21.9%) と Solario:3x6*6(血量15.6%) の〈組み合わせクロス〉ないし〈ニックスインブリード〉と呼ぶべき構成ですが、それも
父*インディアナ Indiana の段階でサヤジラオ Sayajirao と Solario がガッチリと結合していたからこその成果である、という認識は必要でしょう。
 そしてこの両要素は、世代ズレを技巧的に(すなわち、大血量もある程度近交弱勢を避けつつ)用いながら、共有するサンシモン St. Simon(7〜9代に計30本)へと至る、強力な流れを産み出しているわけです。



 さて、タケホープは、姉のオークス制覇から間もない1972年7月、府中でデビューします。鞍上は、姉と同じく嶋田功騎手(現調教師)。この時の様子について、当時の厩務員萩原氏は次のように語っています。
「牡馬のわりにカイバ食いの悪い馬で、その苦労はしたけど、気性は素直だったから、ラクだったよ。本当はもっとゆっくり仕上げていく予定だったんだけど、先々のことを考えて、早めにひとつ勝っておけばその後が楽だから、とにかく一勝しておこうと、多少無理をして仕上げたんだ」(渡辺敬一郎『最強の名馬たち』1999,講談社より)
 何とか緒戦を勝ち上がったタケホープでしたが、2戦目には同厩の評判馬シカゴ(1970 牡 青 by *ミンシオ ― 後にスプリンターズS-3着(2回))と対決、5頭立てのシンガリに敗れてしまいます。さらにはこの後も連戦連敗、結局2歳を7戦1勝で終えました。
 それでも、シカゴやナスノチグサ(1970 牝 鹿 by *パーソロン ― 後にオークス、京王杯AH、新潟記念、ビクトリアC-2着など大活躍の名牝)を蹴ってまでタケホープを選んだ嶋田・萩原両氏は、「この時期、しかも短距離を負けた所でどうってことはないさ」と全く焦ってはいなかったそうです。


「雑草の不敗神話」ハイセイコーとの出会い

 明け4歳(現3歳)となったタケホープが、若竹賞でようやく2勝目を挙げ、続く東京4歳Sで3着してようやく才能の片鱗をのぞかせはじめた頃、彼の生涯に渡ってライヴァルとなる黒毛馬がターフに姿を現します。
 それが、南関東・大井でデビュー以来6連勝し、鳴り物入りで中央入りしてきた、あのハイセイコーでした。

 弥生賞で2頭は初めて顔を合わせます。かたや中央デビューの怪物、かたや有象無象の1頭、といった扱い。そしてこの構図は、以後2頭の対決に常について回ることとなります。
 この日15万を越える大観衆が詰め掛け、スタートを前にしてゴール付近の鉄柵が人の重みで倒れる、など未曾有の雰囲気が漂う中、ハイセイコーは期待通りの強さを見せつけ、関東屈指のスピード馬ニューサント、あるいはタケホープ(7着)などを問題にせず楽勝しました。

 この後ハイセイコーはスプリングS皐月賞NHK杯を立て続けに制し、無傷のまま、公営から数えて10連勝を飾ります。
 その人気はもはや理性や常識を突き破り、社会現象にまで発展しました。ダービーも間違いなくこの馬が勝つ、というのは当時ほぼ満場一致の世論でさえありました。

 一方、その陰でタケホープは密かに本格化、東京4歳中距離特別を勝っています。皐月賞こそ熱発で回避しましたが、陣営には「騒ぎは向こうで、お金はこちら(前掲書)」だとばかりに、心中期するものがあったと言います。

 そして迎えた1973年5月27日、第40回日本ダービー。カミノテシオが取り消して27頭の出走馬中、内枠5番ハイセイコーの単勝支持率は(いまだに史上最高の)66.6%と、まさに一本被りの状態。
 スタートから4・5番手の好位を追走したハイセイコーに、場内は早くも大興奮、21番枠からスタートし、ほぼ最後方を追走しているタケホープに注目している人は僅かでした。しかし最終コーナー、タケホープの嶋田騎手さえ思いもよらぬ展開となります。未勝利脱出に11戦もかけた地味馬イチフジイサミ(1970 牡 鹿 by *オンリーフォアライフ ― 後に天皇賞を勝つ)が、何とハイセイコーを交わして先頭に立ったのです。
 嶋田タケホープは予想外の事態に戸惑いながらも、増沢ハイセイコーを狙うべく立てた作戦を津田イチフジイサミに敢行、直線に入った所を一気に先頭に並びかけ、その前を叩きます(この行為は後日論議を招きますが、津田騎手は抗議申し立てせず)。悲鳴と歓声の入り混じる中、タケホープは1位でゴール、続いてイチフジイサミ、ハイセイコー。
 ハイセイコーの不敗伝説に土をつけた「悪役」タケホープの単勝は、5,110円をつけました。



 今から振り返れば、この時のダービーは異様な空気に支配されていたように思えます。
 そこでタケホープが暴いてみせたように、ハイセイコーを取り巻く「雑草の不敗神話」的言説の「不敗」という部分が願望の表れだったなら、「雑草」の部分もまた同様に、期待が作り上げた虚構に過ぎませんでした
 実際ハイセイコーは、「好位追走から早め抜け出し」という脚質だけでなく、血統的に見ても、むしろ良血を存分に活かしたエリート馬というべきものだったのです。

ハイセイコー 1970 牡 黒鹿 / FNo. 12-g / Rockefella 系
*チャイナロック
China Rock
1953 栃栗
Rockefella
1941 黒鹿
Hyperion
1930
Gainsborough
1915 鹿
Bayardo Bay Ronald
Rosedrop St. Frusquin
Selene
1919 鹿
Chaucer St. Simon
Serenissima Minoru
Rockfel
1935 黒鹿
Felstead
1925 鹿
Spion Kop Spearmint
Felkington Lemberg
Rockliffe
1928 鹿
Santorb Santoi
Sweet Rocket Rock Flint
May Wong
1934
Rustom Pasha
1927 鹿
Son-in-Law
1911 黒鹿
Dark Ronald Bay Ronald
Mother-in-Law Matchmaker
Cos
1920 黒鹿
Flying Orb Orby
Renaissance St. Serf
Wezzan
1924
Friar Marcus
1912 黒鹿
Cicero Cyllene
Prim Nun Persimmon
Woodsprite
1916 鹿
Stornoway Desmond
Wood Daisy Cyllene
ハイユウ
1961 黒鹿
*カリム
Karim
1953 鹿
Nearco
1935 黒鹿
Pharos
1920 黒鹿
Phalaris Polymelus
Scapa Flow Chaucer
Nogara
1928 鹿
Havresac Rabelais
Catnip Spearmint
Skylarking
1947
Mirza
1935 黒鹿
Blenheim Blandford
Mumtaz Mahal The Tetrarch
Jennie
1936 鹿
Apelle Sardanapale
Lindos Ojos Buen Ojo
*ダルモーガン
Dalmogan
1950 黒鹿
Beau Son
1938 黒鹿
Beau Pere
1927 黒鹿
Son-in-Law Dark Ronald
Cinna Polymelus
Banita
1933 鹿
Dark Legend Dark Ronald
Balilla Gay Crusader
Reticent
1941 鹿
Hua
1934 鹿
Heroic Valais
Gladioli Ethiopian
Timid
1922 鹿
Kildare Le Samaritain
Ardesia Spearmint
SireLine for Windows Ver1.50 - Build 547

 何しろ父*チャイナロック China Rock は、すでにメジロタイヨウ、タケシバオー、アカネテンリュウらを輩出し、サイアーランキングでも*パーソロンや*ネヴァービートと凌ぎを削る大種牡馬。
 そして母ハイユウも、南関公営で16勝を挙げた名牝(奇しくもその厩務員は、後に中央に移りタケホープを担当した萩原氏)でした。
 これだけの「良血馬」が地方デビューした陰には、当時の馬主が中央の馬主資格を持っていなかった、という事情があったようです。
 こう見ると、その境遇は何やら2代目アイドルホース・オグリキャップと通じる部分がありますね。
※ もちろん本稿はハイセイコーの名誉を傷つけようとするものではありません。タケホープも「お金はこちら」と言いながら、獲得賞金では結局敵わなかったわけですし、配合面でもサンインロー Son-in-Law のインブリードを軸に構成したハイセイコーは、時代を画するに相応しい血統構成を見せています。

延々と続く死闘(あるいは私闘)

 さて、両者はこの後も、実に7回に渡って対決します(というより、タケホープが出るレース全てにハイセイコーが出走したわけですが… A(^^;;)。
 京都新聞杯はハイセイコー2着、タケホープ8着(優勝は伏兵トーヨーチカラ)。
 しかし本番菊花賞は、タケホープが鋭い差し脚でハイセイコーをハナ差(3cm)破って二冠を達成します。
 有馬記念ではハイセイコーが、「関西の雄」タニノチカラと牽制し合って逃げ馬2頭の行った行ったを許し、3着。
 そのため、年度代表馬および最優秀4歳牡馬に選出されたのはタケホープの方でした

 翌年、AJCCで再びまみえた両雄でしたが、勝ったのは年度代表馬ながら3番人気のタケホープ。あくまで1番人気のハイセイコーは、初めての着外となるブービーに敗れます。
 ところが、続く中山記念では、ハイセイコーが巻き返して大差圧勝。NHK杯以来、しかも仇敵タケホープを3着に下しての勝利に、ハイセイコーファンは狂喜乱舞しました。
 にも関わらず、三度の大一番となった天皇賞では、タケホープの優勝。ハイセイコー6着。このような本番での強さこそが、タケホープの最もすぐれた特長だったと言えます。
 これで休養に入ったタケホープに対し、ハイセイコーは宝塚記念高松宮杯を連勝してアピールしました。

 両頭最後のシーズンとなった1974年の秋は、ハイセイコーが京都大賞典で始動し4着。ただ、当時肺からの微出血が頻繁になり、すでに往年の調子にはなかったと言います。
 それでもハイセイコーは、11月タケホープの復帰戦であるオープン特別に出走、ここで何とか2着(タケホープ5着)して通算対戦成績をイーブンに戻しました。

 最後の対決は、史上幾多のライヴァルたちと同様、舞台を有馬記念とします。関西の王者タニノチカラを加えた3強の人気は、タケホープ、タニノチカラ、ハイセイコーの順。ここにきて初めて、両者は当初の硬直した構図から逃れえたのでした。
 レースは、タニノチカラが直線抜け出す展開。タケホープとハイセイコーは、壮絶な2着争いを繰り広げた末、ハイセイコーが先着、9度に及んだ対決に幕を引きました。

 タケホープの通算成績は19戦7勝。八大競走に限っては3勝3着1回と抜群の勝負強さを発揮しました。一方のハイセイコーは通算22戦13勝、うち1番人気がデビューから17戦連続、通算19回を数えたのは特筆に価します。


引退後の両雄

 競馬場で常に覇を競った両者でしたが、繁殖成績には結果としてあまりに大きな差が出来てしまいます。


  〜 ハイセイコーの成功 〜

● 代表産駒
カツラノハイセイコ(1976 牡 黒鹿 out of コウイチスタア ― ダービー、天皇賞。最優秀4歳(3yo)牡馬)
キングハイセイコー(1981 牡 黒鹿 out of セントオープン ― 東京ダービー、羽田盃、札幌記念-2着 他)
ライフタテヤマ(1982 牡 鹿 out of チェリータテヤマ ― 札幌記念、ウインターS 他。最優秀ダート馬)
サンドピアリス(1986 牝 鹿 out of イエンライト ― エリザベス女王杯、京都記念-2着)
アウトランセイコー(1987 牡 黒鹿 out of エランドール ― 南関東三冠)
ケリーバッグ(1987 牝 芦 out of ジュラクジョウ ― 桜花賞-2着、オークス-3着)
ハクタイセイ(1987 牡 芦 out of ダンサーライト ― 皐月賞、きさらぎ賞)
 他に タツユウチカラ、セイコーリマン、イソノスピード、
     ワイドセイコー、アルファローズ、マルカセイコウ、ヤマニンアーデン など


○ 孫世代
ユウミロク(1983 牡 栗 by カツラノハイセイコ ― カブトヤマ記念、オークス-2着。母父は*インディアナ!)
マイネルマックス(1994 牡 鹿 out of サクセスウーマン ― 朝日杯3歳S、京成杯3歳S 他)
スノーエンデバー(1994 牡 鹿 by キングハイセイコー ― ブリーダーズGC、佐賀記念 他)

 内国産種牡馬不遇の時代、ハイセイコーが上記のごとく数多くの活躍馬を送り、孫世代にも良駒に恵まれたのと対照的に、タケホープは不遇をきわめました。

 はじめの頃こそ初年度44頭、2年目60頭、3年目40頭とまずまずの数を集めたものの、そこから活躍馬が出ないと、途端に人気は凋落。1986年を最後に、1頭の種付け申込みもなくなります。
 勝負強いステイヤーの血は、結果わずかにシンボルシチー(1977 牡 栗 ― 愛知杯-3着。母父は*チャイナロック!)ミナガワローレル(1982 牡 黒鹿 ― アルゼンチン共和国杯-2着)を出すにとどまりました(母系に入ってもワカクサホマレ(1989 牡 鹿 ― 戸塚記念)くらいか)。
 そしてこのため、日本に輸入されたサヤジラオ Sayajirao の直系は、遂に断絶の憂き目を見ることになったのです。

 タケホープは去る1994年の7月16日、喉嚢炎でひっそりと世を去りました(享年23歳)。永遠のライヴァル、ハイセイコーの方は、今も明和牧場で静かに草を食んでいます。

1999/11/12 ― ( Revised on 11/20,2001/02/10 )


 ライヴァルの死からおよど6年、ハイセイコーもまた2000年5月4日、心臓麻痺でその身を横たえました。
 葬儀に駆けつけたファンが約500人、直後の一週間府中で記帳を行ったファンは1126人と伝えられます。活躍から四半世紀を経てこれだけの人気を保つサラブレッドが日本に現れることは、もうないのかもしれません。
 改めて哀悼の意を捧げます。(-人-)


ふりむくと
一人の新聞売り子が立っている
彼の机のひき出しには
ハイセイコーのはずれ馬券が
今も入っている
(寺山修司「さらばハイセイコー」)

2000/12/26


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