ブサックの配合資源と革命的手法


米血が濃縮された基礎牝馬 Durban と Durzetta

 マルセル・ブサックは繊維業界での成功によって上流階級に足を踏み入れ、ついで友人ド・カステルバヤック伯爵の誘いで、サラブレッドの生産にも手を出しました。
 当初はごく小規模な活動で、生産馬も競りで売ることが多かったのですが、そのうちの1頭、のちに Sun Briar と名づけられた馬が大西洋の向こう側で2歳王者となり、さらに真夏のダービーことトラヴァーズSを制したと聞くと、売却を激しく後悔し、今後は趣味以上の情熱と努力をもって馬産に臨むことを決意します。

 一方この頃、欧州競馬にとって大きな市場だった新興国アメリカから、反対にサラブレッドを還流するという動きも起こっていました。
 その一人、ハーマン・デュリエはアメリカに牧場を持ち、Irish Lad などの活躍馬を出していましたが、当地での馬券発売が禁止されたため、フランスへ本拠を移し、米競馬史上最高の種牡馬 Lexington らの血が濃い自分のアメリカ風配合馬を、今度はヨーロッパで走らせるようになります。
 彼が Sweeper で英2000ギニーを獲るに及んで、イギリスでは1913年、こうした「由緒の怪しい」血統を自分たちの牧場から締め出す〈ジャージー・アクト〉を制定したほどです。ちなみに、当時イギリス以上の親米国家だったフランスにはそのような非関税障壁はなく、翌年デュリエは自分の生産馬 Durbar をフランス産馬として堂々英ダービーにエントリーし、半血馬と貶されながらこれを制して、前年制定された悪法を笑い飛ばしてみせました。なおこの勝利は、Gladiateur 以来半世紀ぶりの仏産馬制覇としての栄誉も同時に運び、仏米両国の蜜月を一層祝っています。
 デュリエはほどなくして亡くなり、その未亡人は夫の英ダービー馬 Durbar と仏1000ギニー Banshee を交配して Durban という牝馬を、また同じ年 Banshee の母 Frizette にも Durbar を付けて Durban の3/4同血の叔母にあたる Durzetta を生産します。いずれも St. Simon と米血(つまりイギリス人の言う半血)Hanover の二重近交を持つ強烈な配合馬です。
 もう少し細かく言うと、この配合においては St. Simon よりも Hanover クロスの方がずっと影響力が強くなっています。Hanover の経路 UraniaHamburg が、いずれも Lexington を始めとする近交系を持ち、父 Hanover 以上にアメリカ血統として純系化されているからです。Irish Lad が母父に挟まる Durban の場合、母父母 Arrowgrass もまた Urania や Hamburg と相似で、これら3頭の相似交配になっています。つまり、ただの Hanover クロスではなく、類似血脈のサポートを近くに添えることで、実際の位置よりも強く効果を表す、という仕組みになっているのです。
 I理論なら「Durban の配合における〈主導〉は Hanover である」と表現する所ですが、こうした手法はクロス論一般で〈組み合わせクロス〉もしくは〈ニックスインブリード〉などと呼ばれ、広く認知されています。
 その頃、生産規模を拡大しようとしていたブサックが、他ならぬデュリエ未亡人のもとを訪ねたのも当然でしょう。30頭あまりの繁殖牝馬すべてを買いたい、というブサックの申し出は断られますが、代わりにその年の1歳馬を全頭一括で購入する契約で合意。ブサックは、Durban や Durzetta を自分の名前と勝負服でターフに送り出します。
 果たして、米血の濃い彼女らは、2歳時から圧倒的なスピードを発揮しました。また、同時に購入した牡馬 Grazing は仏ダービーで Ksar の2着に入っています。
 ブサックの馬主としての実質的なキャリアはこの世代をもって始まり、翌年友人と共同生産した Ramus で仏ダービーを制覇して、早くも軌道に乗ります。

 拙が別表で〈助走期〉としたこの時期は、デュリエ未亡人やド・ロトシルト男爵、ド・サンタラリ、ブランらから購入した繁殖牝馬に、同じく彼らの種牡馬を付けることで生産されており、まだブサックの生産者としての個性や配合手法を見出すことはできません。
 しかし後でも述べるように、この時期購入したり生産した馬の配合は、その後のブサックの配合手法の基礎となり、手本となり、根拠となってゆきます。そこでまずこの時期の重要な存在を、3頭取り上げることにしましょう。

父は外交、母と自身は近交の Zariba

 19世紀からヨーロッパ各国の金融・情報界に隠然たる勢力を持っていたロトシルト(英語読みロスチャイルド)家は、20世紀になるとロンドンとパリにそれぞれ居を構え、サスーン家とともに、国を持たないユダヤ民族のリーダーと目されていました。
 ロンドンのロスチャイルド家は Favonius、Sir Bevys、St. Amant と3頭の英ダービー馬を出しましたが、その後家督を継いだパリのロトシルト家も同じくらい馬産には熱心で、Le Roi Soleil、Sans Souci から Le Nain Jaune まで、およそ100年の間に11回パリ大賞を制しています。
 そのうち Verdun、Sardanapale を生産所有したモーリス・ド・ロトシルト男爵は、従兄弟の当主エドゥアール・アルフォンス・ド・ロトシルト男爵と違って放埓な人物だったと言われます。ブサックの(金銭的なものを含む)熱意にほだされた彼は1920年に、3頭の1歳牝馬を売りました。そのうちの1頭が名牝 Zariba です。

 Zariba の配合は、一昔前のイギリス的な種牡馬いわゆる主流血脈を、とりわけ牝馬経由で引く点で、この時代のフランス(もしくはアメリカ)的な色合いを帯びています。というのも、これら主流血脈は〈St. Simon の悲劇〉以降、イギリスの牧場が涙を呑んで放出した良血馬だったからです。
 近親には Man o'War の父 Fair Play や、インドで活躍し Dante & Sayajirao の母父となった Dark Legend がいる、なかなかの良血。そしてそれ以上に瞠目すべきは、母 St. Lucre がエドゥアール卿の名馬 Sans Souci の母と同じ、St. Serf × Bend Or という、伴性血縁上クロスを伴う近交配合になっている点でした。
 一方、父はモーリス卿の代表的名馬 Sardanapale。外交配の種牡馬ですが立派な馬格を伝え、Zariba と、のちには Apelle や Fiterari を出して、2度首位種牡馬となりました。
 Zariba は2歳時から大活躍し、クラシックこそ惜しくも逃したものの、スピードにかけては当初期待されていたよりもはるかにすぐれた能力を示しました。繁殖入り後の成績はさらに驚くべきもので、産駒のほとんどが勝馬となった上、Goyescas、Corrida、Abjer、Goya の4頭が一流馬となって、ブサックを狂喜させたのです。

母はやや外交、父と自身は近交の Asterus

 Zariba が走った翌年、ブサックは再びモーリス卿のもとを訪れ、より良血な、種牡馬にするための牡駒を買い求めています。のちに6年連続首位BMSとなる Asterus です。
 母は、パリ大賞馬 Verdun(フィリーサイアー)と仏オークス馬 Saint Astra の間に生まれ、姉に仏1000ギニー馬 Diavolezza がいる、モーリス卿秘蔵の良血牝馬。
 そして父は、第1次世界大戦中は戦火を避けてバスクで短いキャリアを送ったブランの傑作 Teddy。新参種牡馬でありながら、2年目の産駒 Sir Gallahad が仏2000ギニーなどを勝って注目されていました。
 Sir Gallahad は米クレイボーン牧場に輸出され、4回米首位種牡馬となります。ちなみに、Durban の全妹でやはりブサックがデュリエ未亡人から購入した Heldifann は、2歳重賞で Sir Gallahad と対戦し、これを破っています。
 やがて Zariba に Asterus を交配した Abjer が、5代内にクロス2種のほぼ外交配合となったように、両者は同時代同生産者の手になる割に、案外共通点の少ない血統です。
 ただその配合形、すなわち父母のどちらかが近交配合馬、もう一方が外交配合馬であるという形式は(ついでに言えば、自身は近交馬である点も)同じです。これは、「外交配合の牝馬には近交種牡馬を、近交配合の牝馬には外交種牡馬を」というのが彼らの常套手段だったからです。そして実はこれこそ、近交弱勢と外交配ゆえの遺伝力の弱さをともに避けて、競走能力と遺伝能力の継続的な両立を目指す〈基準交配〉と呼ばれる方法論に他なりません。
 ブサックは貴族的馬産家のこうした手法に学びながら、自らはまた違った方法論を模索してゆきます。

父母は近交、自身は外交の Tourbillon

 購買馬ではなく、ブサックの自家生産馬として初めての一流馬が Tourbillon。4連勝で仏ダービーを制した後は今一つ精彩を欠きましたが、Corrida、Djebel 以前にブサックが所有した中では、最も高いクラスの名馬でした。
 Tourbillon の母はデュリエ未亡人から購入した Durban、そして父はエヴレモン・ド・サンタラリの配合馬 Ksar。
 Ksar は、ドーヴィル市場の史上最高価格でエドモン・ブランに落札され、第2回・第3回の凱旋門賞を連覇した名馬であり、その血統は、孤高の生産者サンタラリの信念が結晶化したものといって過言ではありません。
 クラシックレースと自家生産馬だけを信じるサンタラリは、アンリ・デラマルの仏オークス馬 Kasbah に、自分の最初の傑作 Omnium(30戦15勝のスラヴ的な意味における名馬。Pocahontas の近交馬)を交配し、仏史上最強牝馬と言われる Kizil Kourgan を生産しました。この女傑に、同じ Omnium を母父に持つ自家生産のパリ大賞馬 Bruleur を交配したもの、つまり Omnium:3x2 の超近交配合馬が Ksar だったのです。

 このように Ksar も先に述べた Durban も、ともに強い近交を持つ名馬でしたが、それぞれの近交対象は仏米それぞれの特徴が色濃く、共通点はほとんどありません。Tourbillon の代では、St. Gatien:5x5 のクロスがある程度の、外交配合になっています。
 外交配の理論的意味を思い出してください。望ましい資質とともに否応無く固定され、血統中に澱のように溜まっていた有害な遺伝子を、一気にヘテロ化する〈雑種強勢〉効果。それによって外交馬は一般に、健康で能力の高い、ただし基本的には遺伝力の弱い個体となります。その際、両親が異なった環境のもとで、各々の近交系を重ね純系化されているほど、〈雑種強勢〉効果も高まります
 イギリス的なサラブレッドからほぼ半世紀をかけてフランス血統として純化された父方と、同様にアメリカ血統として純化された母方をダイナミックにぶつけ合った Tourbillon の配合が、高い競走能力をもたらしたとしても何の不思議もありません。こうした手法は、俗に〈インターナショナル・アウトブリード〉と呼ばれます(国際外交、と訳したいが全然別の意味になってしまうか…)

 〈雑種強勢〉効果にも関わらず、Tourbillon が種牡馬として成功したのはなぜでしょう。それにはおそらく3つの理由があります。
 第1に、Tourbillon を迎える牝馬が、Zariba、Asterus 牝馬、Teddy 牝馬、あるいはその娘など、血統的に高い資質を持つものだった点。
 何も字面の血統だけの話ではありません。ブサックは特に初期、ひときわ厳密な基準で選抜を行い、選び抜いた牝馬だけを購入したり、競馬場から牧場に戻しました。1920年からの5年間に、ブサックの牧場から出て行かなかった牝馬はわずか6頭。La Troienne を輸出してしまったのも、この厳密な選抜のためでした。のちにその基準が緩んで、牧場に多数の、それも互いに血統が似通った牝馬が帰ってくるようになると、夜陰の氷山のように危機が忍び寄ってくるわけですが。
 第2は、母 Durban の持つ米血が、当時のフランスでもやはり珍しいものだった点。
 多少米血が入ってきていたとはいえ、主流はやはりイギリスのクラシック馬であり、Durban ほど濃い米血を持つ一流馬はわずかでした。一度やそこらの外交では Durban の特異性は消え切ってしまわず、いわば小規模・部分的な〈雑種強勢〉が次の代でも起こったと考えられます。ちょうど同じ頃、似た現象が Americus を母父にもつ Lady Josephine の牝系でも起こっていました。
 第3は、Tourbillon 産駒の配合にあたって、Cillas などの例ではブサックがデュリエ未亡人の牝馬を近交系として再活用した点。
 詳しくは次に述べますが、外交配合馬 Tourbillon の中には米仏の両近交配合馬が入っているので、米仏どちらかの近交系を再び呼び覚ますことで、Tourbillon の代の外交は言うなれば〈一時的な外交〉となり、また違った意味合いを帯びてきます。父方・母方どちらの近交系を用いても、反対側がカウンターウェイトとなって配合をビシッと締めてくれるからです。笠雄二郎氏が言う〈1/4異系交配〉の原理ですね。
 そもそもサラブレッドは淘汰圧をかけながら近交と外交を繰り返すことで、遺伝子のスクリーニングを行なってきました。ブサックは、それを恐ろしく早いペースで、あるいは激しく行なうことを通じて、やがて革命的な配合手法にたどり着きます。

ブサックの5つ道具:オリジナルの近交系

 Asterus と Tourbillon という2頭の種牡馬を擁したことで、ブサックの生産体制は安定し、さらに大規模化する中で、独自の配合パターンを確立してゆきました。やがて〈巡航期〉に差しかかる頃には、ブサックは大きく分けて5種類の近交系を発見し、使いこなすようになります。

1 米血近交牝馬 Durban=Heldifann
≒Durzetta=Frizelle のクロス
例:Cillas、Coronis(*パーソロンの三代母)、Tourzima、
Arriba(Auriban の母)、Cadir、Djeddah、Djelfa
 ブサックが本格的な生産活動を行なうにあたってデュリエ未亡人から買ったこれらの牝馬は、3/4同血の叔母と姪という関係にある2組の全姉妹でした。彼女たちから連なる系譜を、ブサックは50年以上に渡って終始生産活動の中心に据えています。ブサックが強い近交配合に目覚めたのもまたこの系統で、〈全姉妹クロス〉や〈3/4同血クロス〉として何度も用いられ、さらに〈近交馬の近交=望遠鏡効果〉であり、時には〈伴性血縁上クロス〉をも兼ねることで、ブサック血脈の形成に大きく寄与しました。
2 近交名馬 Ksar 内の Bruleur など
ド・サンタラリの近交系再現
例:Thor、Albarelle(Caravelle の母)、Goyama、Marveil、Hugh Lupus
 偉大な父 Ksar の前では Tourbillon もスピードと種牡馬成績くらいしか誇る所がありません。その後も時折サンタラリは自家生産馬を売却したため、ブサックは機会を捉えては度々 Tourbillon のブリードアップに用いました。Ksar の強くかつ統一された近交系は、Bruleur や Kizil Kourgan、Omnium、Upas などの一部をクロスで刺激するだけで全体が反応するほど鋭敏だったからです。
3 外交馬 Tourbillon のクロスおよび
Diademe との全姉弟クロス
例:Coronation、Canthare、Cordova、Apollonia、Janiari、
Arbencia、Astana、Anaram、Astola、*アーコー
 上記1,2の合わせ技、同時により大胆で直截な手法として、ブサックは自家生産種牡馬 Tourbillon のインブリードにも挑みました。そこには、自家生産馬 Omnium の近交で Ksar を出した先達ド・サンタラリや、基礎牝馬 Canterbury Pilgrim の近交で Alycidon らを出していた好敵手ダービー卿への挑戦、といった意味合いがあったのかもしれません。ただ Toubillon 自身は前述したように外交配合馬であり、それ自体の近交よりも、実質的には上記1,2の効果、それらが同時に成り立つ場合や、随伴する血脈との相乗効果が大きかったと言うべきでしょう。
4 ド・ロトシルト家の近交牝馬
Zariba≒Likka の擬似クロス
例:Nafah(Talgo や*フィダルゴの祖母)、Galgala、Asmena、
Canthare、Arbarah(Ariadne の母)、Astana
 Dame Masham の娘に St.Serf と Sardanapale を掛けた Zariba は、ブサックの生産馬ではありませんが、所有した中では間違いなく最良の繁殖牝馬でした。のちに彼は同牝系で相似形の Likka を買い求め、その娘 Astronomie を、戦災でほぼ断絶した Zariba 牝系の代わりに慈しみました。Zariba の牝馬クロスや、Likka との擬似クロスは、実例こそ少ないものの、その字面と効果の鮮やかさにおいて、ブサックの才気をひときわ明るく照らし出す近交系です。
5 Teddy の近交産駒同士の
組み合わせクロス
例:Hierocles、Djelal、Arbar、Djeddah、Coronation、Arbele、
Cordova、Apollonia、Janiari、Abdos、*アーコー
 これはちょっとわかりくいかもしれません。Teddy のちょっと遠めの近交は、ブサックのとりわけ中後期によく見られるものです。その際 Teddy の経路となっているのは Asterus、牝馬 Coeur a Coeur(Djebel の祖母)や La Moqueuse。実はこれらはすべて Hampton、Galopin、Lord Lyon≒Paraffin(f)≒Bend Or をクロスした 近交配合馬なのです。ただの Teddy クロスではなく、類似血脈のサポートが添えられているので、これは〈組み合わせクロス〉と呼ぶことができます。


自身は〈一時的な外交〉、産駒は近交の Djebel

 これら5種類の近交系を組み合わせたり使い分けたりすることによって、ブサックは自分の理想に合致した馬を安定して大量に生産できるようになりました。いかにも工場経営者らしい、カイゼンの巧みさです。
 40年代に入ると、ブサック帝国は紛れもなく欧州最強の勢力となり、フランスだけでなく、近代競馬の本家と自称するイギリスのターフまでを、その鉄蹄で打ち伏せます。
 個々の名馬が驚異的なパフォーマンスを見せたのは〈巡航期〉、軍団として頂点をきわめたのが〈滑空期〉とくに1950年のクラシック戦線でした。この年、ブサックは仏1000ギニー、仏ダービー、英ダービー、オークス、セントレジャー、愛オークスを制覇。仏オークスと仏2000ギニーも2着しています。
 快進撃を支えたのは、新たな自家生産種牡馬 Pharis と Djebel でした。まずは Djebel の方から見てみましょう。

 ブサック初の英クラシック勝馬 Djebel は、Tourbillon の仔で祖母が Teddy 牝馬 Coeur a Coeur ですから、上記のうち4種類までの近交系に同時に対応することができます。実際ブサックはしばしば複数の手法を組み合わせて使ったため、Djebel の代表産駒はその多くが強い近交配合、かつ多重近交配合になっています。別表に挙げた Djebel の代表産駒の自由世代数は、平均すると2.7。これは3x4以上の近交水準を意味し、ダービー卿も凌ぐほどの濃さです。
 そんな Djebel が、自身は5代内完全外交配なのは興味深い所です。Galopin 近交の戦時三冠馬 Gay Crusader と、Hampton 近交の未勝利 Teddy 牝馬 Coeur a Coeur からなる母は、Bay Ronald 〜 Hampton の色濃い近交馬。半弟 Hierocles がそれらの近交系を利した、上記の「5」Teddy の近交産駒の組み合わせクロス配合であるのに対し、Djebel はそれらを自身ではクロスせず、外交配に転じています。その様子は父 Tourbillon と似て、より鮮やかです。
 ただの外交馬であれば、種牡馬としては相対的にマイナスですが、Djebel はこのように〈一時的な外交〉とでも言うべき状態をつくることで、却って次世代での近交を準備しえたのでした。こうした配合なら、次の代で Teddy をクロスした際、より強い効果が期待できますし、Tourbillon や Durban をクロスした際にも、字面の位置ほど弊害を心配せずに済むからです。母や祖父母は近交、自身は〈一時的な外交〉、産駒は近交というリズムですね。
 そして、次代に近交を行なうと決まっていれば、中間地点の〈一時的な外交〉は、より大胆な外交であることが望ましいのも事実。5代完全異系交配の名馬 Djebel は、その点非常に近交向きの種牡馬でもあったわけです。
 すなわち、Djebel は近交の取っ掛かりとして有用な要素群と、その安全を担保し、効果を引き出す自身の外交配合によって、大きな成功を手にしたと言えます。

自身までは近交、産駒は〈一時的な外交〉の Pharis

 Djebel とは逆に、Pharis だけは5種類の近交系すべてと関係を持っていません。ブサックの手になる Pharis の代表産駒は、その自由世代数がすべて5以上で平均が6を越える、つまり外交配合になっています(ただしブサック以外の生産者による産駒は、必ずしも外交馬ばかりではありません)
 Pharis がドイツに接収されていた5年間、表で言う〈巡航期〉の後半に、ブサックは Tourbillon、Goya そして Djebel を用いて、もっぱら近交配合馬の生産に勤しんでいますが、もしこの期間 Pharis がいたならば、傾向は自ずと異なっていたはずです。

 Pharis 自身は、これまた Djebel とは反対に若干の近交配合。当時デュプレのウィイー牧場で供用されていたダービー卿の Pharos と、ブサックの仏オークス2着馬 Carissima という、いずれも St. Simon を近交し当時最先端の流行血統を集積した馬同士による、ブサックらしからぬ配合馬でした。Pharis 内の近交系は、まるでテシオかダービー卿の生産馬を思わせます。
 つまり、Pharis はブサックにとって近交の取っ掛かりに使える要素をあまり持たなかったにも関わらず、自身までみっちり3代積み重ねられた近交によってヘリタビリティを確保し、産駒に早熟性と持久力を伝えることができたのでした。祖父母・両親・自身は近交、産駒は〈一時的な外交〉というわけです。
 ただし Pharis が相手としたブサック牝系に特殊な配合馬が多く、St. Simon 近交や流行血統が少なかったからこそ、その長所は存分に発揮されえた、という側面も見逃せません。仮にダービー卿のもとに Pharis がいたとすれば、これほどの成果を残すことはなかったでしょう。近交馬だからこそ Pharis には、産駒が外交になるような土壌が適していたのです。

 ただ Pharis 血脈の行く末までを考えれば、いずれまた近交が必要になるのも確か。その点もし Ambiorix が輸出されずにブサックの牧場で供用されていたなら、その母 Lavendula の特異な血統構成、Blue Kiss の例から考えて、おそらく Pharis 牝馬との間に実り多い関係を築けたのではないかと、また Nasrullah 血脈を導入する布石にもなりえたのではないかと思われます。
 しかしブサックにとっては、Pharos 〜 Pharis はあくまで半外部的な血統でしかなかったのか、近交で資質を固定する対象、6種類目の近交系にはなっていません。Ambiorix は早期引退後に即輸出。Pharis と同期の Pharos 牝馬 Semiramide と Pharyva の牝系に、Pharis の血が入る機会も、ほとんどありませんでした。
 ブサックも後になって*ファーウイン*コランディア*オベイド*ヴァレンシアナのような配合を試みていますが、それらを自ら活用する余裕はなかったようです。これらは日本へ輸出され、すぐに日経新春杯のタイクラナ、障害名馬でオリンピック馬術にも出たインターニホンや、天皇賞馬ベルワイド同2着馬キームスビィミー、その半兄タイギョウらを産んでいます。
 これら牝馬の子孫には宮杯のメジロモンスニー、菊花賞馬ホリスキー、女傑ルイジアナピット、マジックキスなどが出ていますが、残念ながら以前別項で述べたように、必ずしも十分に活用されてはいません。
 また、この手の配合でフランスに残ったものは意外なほど少なく、もっぱらローカル血統として沈潜し、時折 Pistolet Bleu のように一流馬を出しています。

近交と外交の超ダイナミズム、Coronation

 ブサックの名は、仏ダービーを12回、モルニー賞を13回、凱旋門賞を6回勝ったこと、仏英両国のクラシックレースをひとつ残らず勝ったこと、大種牡馬を個人で4頭所有し、うち3頭を自分で生産したこと、首位馬主を19回、首位生産者を16回占めたこと、凱旋門賞を名実ともに世界一の大レースに育てたことなどとともに、超近交配合馬で成果を挙げたことで、よく知られています。

 その象徴が、Tourbillon 牝馬に Tourbillon 直仔 Djebel を掛けて産まれた「超近交の代名詞」女傑 Coronation です。ここでは Tourbillon:2x2 という、ほとんど神話的なインブリードが行なわれ、成功しています。
 成功、と言い切るのには違和感を覚える向きもあるでしょうか。確かに Coronation は気性面で厄介なところをみせましたし、卵管閉塞のため不妊で、10年交配されながらついに仔を残せませんでした。しかし彼女の競走能力は、積極的なローテーションと水際立った勝ちっぷりを考えると、一流以上との評価が妥当です。
 子孫を残せなかったとの批判についても、彼女の全妹 Ormara らが普通に仔出しの良い牝馬で、名種牡馬 Locris を産んでいる(子孫には仏重賞勝馬の他、皐月賞2着馬ロングミラーなど)ことを考えると、この超近交配合と不妊の間に因果関係を求めてよいのか、疑問があります。
 Coronation の配合から偏見の覆いを剥ぎ取るためには、いっそ「彼女はメスのセン馬だったのだ」とでも考えるべきなのかもしれません。

 なお、同じくブサックが2x2の超近交を施した Tourzima は、競走馬としては神経質すぎ、1戦1勝のまま繁殖にあがりましたが、逆に繁殖牝馬としては優秀でした。
 もっとも Tourzima の場合、見かけの近交度こそ Coronation と同じ0自由世代であっても、それが先に述べたように〈全姉妹クロス〉かつ〈近交馬の近交〉であり、さらにまた〈伴性血縁上クロス〉でもあった(その謂いでは1x2とも書ける。Auriban の母や*パーソロンの三代母もこれに類似)点で、Coronation=Ormara よりも繁殖として成功しやすい配合だったとは言えるでしょう。

 ブサックがこれらの超近交によって、余人には勝ち得なかったもの、後に失う以上のものを得たのは間違いありません。
 2x2やそれに類する超近交配合馬は、近代でも米血に絡んで Lady Josephine の母父 Americus、Eight Thirty の母父 High Time など散見されますが、その中で Coronation ほど国際級の競走能力を見せた馬、Tourzima ほど自身の繁殖成績が優秀だった馬は、他に存在しないのですから。
 近交とそのリスクを巧みに避けて配合を設計したフェデリコ・テシオにもその晩年、超近交を持つ Tanaka という実験例があったことはあまり知られていないようです。Toulouse Lautrec の一歳下の半弟で、父は同族の叔父 Tenerani、つまり自家生産牝馬 Tofanella の2x2。馬名の由来は田中訥言あたりでしょうか。
 この Tanaka は近交の弊害をうかがわせず、キャリアを積んでレニャーノ賞など8勝をあげたものの、大レースには縁の無い馬でした。
 いったいなぜ Coronation は成功したのでしょうか。そしてなぜブサックは他にも近交配合馬を成功させることができたのでしょうか。
 生産規模の巨大さが近交への挑戦を支えていたことは確かですし、育成や調教にもブサックなりの工夫があったのかもしれません。しかし、何よりもやはり配合的な裏付けのあったことが、彼の快挙の原動力になったと拙は考えます。

 近交系のくだりで述べたように、近交対象が Tourbillon であること自体は、実はあまり重要ではありません。むしろクリティカルなのは、Coronation の両親が外交馬だった点、祖父母の代では Tourbillon に加え祖母 Sanaa までが外交馬だった点、他方で、曾祖父母の代では8頭すべてが強い近交馬だった点、の3つです。これらを整理すると、ブサックの驚くべき発想が浮かび上がります。

Coronation

0 自由世代
Tourbillon:2x2
Djebel

7 自由世代
St. Simon=
Angelica(f)
:5*6x7*7
Tourbillon

6 自由世代
St. Gatien:5x5
Ksar
1 自由世代
Omnium:3x2
Bruleur 5
Kizil Kourgan 7
Durban
3 自由世代
St. Simon:3x4,
Hanover:4x4
Durbar 7
Banshee 4
Loika

3 自由世代
Bay Ronald:3x4,
Hampton:4x4*5
Gay Crusader
2 自由世代
Galopin:3x3
Bayardo 2
Gay Laura 3
Coeur a Coeur
3 自由世代
Hampton:4x3,
Galopin:5x4
Teddy 4
Ballantrae 5
Esmeralda

5 自由世代
Rabelais:4x5,
St. Simon=
Angelica(f)
:5*6x6*6*7
Tourbillon

6 自由世代
St. Gatien:5x5
Ksar
1 自由世代
Omnium:3x2
Bruleur 5
Kizil Kourgan 7
Durban
3 自由世代
St. Simon:3x4,
Hanover:4x4
Durbar 7
Banshee 4
Sanaa

6 自由世代
St. Simon=
Angelica(f)
:5*6x5,
Doncaster:6x5*6
Asterus
4 自由世代
Hampton:4x4,
St. Simon=
Angelica(f):5x4
Teddy 4
Astrella 4
Deasy
2 自由世代
Le Sancy:3x3
Alcantara 5
Diana Vernon 3
超近交 ← 2世代に渡る〈一時的な外交〉← 曾祖父母はすべて
かなりの近交
普通はこのように↑
近/外交が混在

 このように、Coronation の配合は、3代目祖先を強い近交レベルで揃えながら、両親祖父母でほぼ徹底して外交に転じ、2世代分の〈一時的な外交〉を挟んで、当代で再び超近交側に跳躍する、という形になっています。
 これは Tourbillon 産駒の一部近交馬、Djebel 産駒の大部分が用いていた〈一時的な外交〉からの揺り戻しという配合パターンを、外交側にも近交側にも拡張したものだ、とも言えます。普通の Djebel 産駒の配合がスラローム競技のような、細かいテクニックが要求される小回りコースだとするなら、Coronation の配合はジャイアントスラローム競技のような大回りコースで、スピードも遠心力も段違い、小手先の技術よりも筋力と大胆なコース取りが求められる…という感じでしょうか。
 従来の外交馬には近交馬、近交馬には外交馬を交配する〈基準交配〉的な考え方からは、このような配合は決して生まれえません。かといってもちろん、次代を意識しない行き当たりばったりの生産とも、一線を画しています。Coronation の血統表が刻むリズムには、歴史の流れから離脱したような奔放さと、計算され尽くした緻密さが同居し、近代音楽におけるパーカー、近代絵画におけるピカソにも似て、接する者に衝撃と解放感をもたらします。

 Coronation の後、ナチスドイツに接収されていた Pharis を取り戻したブサックは、Coronation が現役だった〈滑空期〉の数年間、外交配合を中心に多数の活躍馬を送ります。それは彼の方法論にとって、近交馬と同じくらい、外交馬が必要だったからに他なりません。
 そして次の50年代(失速期)において、また Coronation 同様の Tourbillon 超近交配合を、大量に行ないます。この時期の生産活動は、別項で述べる原因によって次第に不自由なものとなってゆきますが、ブサックはそれに抵抗しながら、Djebel 産駒、なかんずく Coronation において開花した、自らの新手法を改良し実践しつづけました。
 この時期の典型的な配合は Apollonia のように、Tourbillon 導入済みの牝馬を、Abjer や Pharis で〈一時的に外交化〉しておいて、最後に外交馬である Djebel や Arbar を掛けて超近交化する、という形です。
 我々はこれらの成果に、テシオに優るとも劣らぬ「配合の天才」の真髄を見ることができます。彼の前衛性が、アガカーン4世などほんの一握りの人々にしか理解されず、「単に一時期だけ幸運だった男」、場合によっては「インブリードによって自滅した生産者」とさえ見なされているのは、何とも朽ち惜しい限りです。

2004/11/20


マルセル・ブサックの名馬たち | 配合資源と革命的手法
帝国の没落とその原因日本における受容と展開
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