|
89年春季号
|
平岡昭壮 一生懸命自分が打ち込めるものを持つことは実に魅力的。 次世代を担う方々に対してこうあらねばなどというのはおこがましい。 世界が時代が変わり、人も変わる。 人生哲学がどうなんて時代が変われば多くは通用するはずがない。 世の中のお役に立てる限りは、すべてに頑張りたい。 「みんなと仲良くする。 それが一番! そして健康第一で」 さわやかな人生を送りたい。 “祝イ不身体健康快楽” 2000年 業務にテニス、益々の伸展を期待致します。(日本・広島) (2000年9日日曜日) <晴れ時々うす曇・22−24度のテニス日和> 参加者 :32名の内李孟冀先生ノンプレイ(試合後の講評)。 台湾隊友9名、女性6名。 試合数 :15試合内エキジビジョン2試合含む。 試合成績:白7対紅6の接戦にて白の勝ち。随所に好・珍プレイあり、特に最後の福山・梅津対石井・加藤の試合はタイブレイク7対5の熱戦でこれがザ・テニスの良い見本になつたと思いました。 ト−ナメントデイレクター梅津副領隊の進行で和気あいあい、楽しいテニスの一日でした。 閉会式は 校長先生より参加者全員に参加賞(紅包)。 尚、試合に先立ち向井領隊夫妻に記念品の贈呈が会を代表し小山会計幹事より行われました。
<養和と共に> 向井和夫 今週末には、第4代目の総統が選出と選挙一色の台北市に養和が産声あげて25年になりますが、私も養和と共に歳を重ねてきました。 45歳の時に第三代目の領隊の指名を受け今日まで、大黒柱の中国人隊友と優秀な幹事団に守られてきた事にまず感謝したいと思います。 11歳より始めたテニスを休む事無く継続できるのも養和があるから、待ち遠しい日曜日があるので我武者羅に仕事をするので最近はアツという間に週末のこの頃です。 この養和が私の生活のリズムになつており、この養和を創立された平岡総領隊(元三菱重工台北支店長)、劉総幹事、江幹事、他中国人隊友の方々に感謝の気持ちで一杯です。 したがつて養和のお手伝いをするのは私の義務であると自覚しておりますので、会の為になる事であれば ドシドシ 申しつけてください。 2000年は養和25周年です、奇しくも在籍の皆様と想いでになる年にしたいと思いますので、皆様のアイデアをお待ちしております。 「養和会の皆様へ」 石橋 俊一
先日は帰国以来約1年振りの台北訪問で各隊友と楽しくテニス、食事をすることができ、最高の休暇となりました。有難うございました。 またゲームでは当方逆転負けの流れにありながら5:5の引き分けとして頂いた呉さん、校長先生:圧倒的優位に立ちながら20%の力で最後に花を持たせて頂いた佐藤さん、鵜飼さん、さすがに「養和」の精神が健在と感服しております。 さて当方も、これまで鬼門であった夫婦ペアでのゲームが今年に入り5勝1敗1分けと好調です。 遅まきながら我が夫婦にも和の精神が宿りつつあるようです。 我々帰国組も連絡を取りながらテニス交流を続けておりますが久し振りに会うと格段に腕を上げている人もいて大変刺激になります。 皆さんもご帰国の折には是非、ご連絡を頂きまたコートで楽しい時間を過ごせることを楽しみにしております。 以上 出戻り入会 岩永康久 小生は1988年より1983年までの4年半台北に駐在。当初養和会の存在を知らず、テニスをしたいけど、機会無しでウズウズした時期を過ごしていました。 駐在半ばより養和会の存在を知り入会、その後は出席率の高い模範会員として楽しい時間を過ごさせてもらいました。 帰国後も時々養和会の仲間と東京又は郊外にてテニスをしたり、酒を飲んだり旧交を温めてきました。 今回赴任にあたり、到着と同時に参加。一番嬉しかったのは校長先生,呉作煌さん、向井ファミリー達が昔と変わらず元気にテニスを楽しんでおられる姿に接することが出来た事でした。 私は台湾を第二の故郷と感じています。これからも日台人一緒にテニスを楽しみ、且つ日台友好に少しでも役にたてればと思って 陶山 晃さん 守屋 克則さん 福山 泉さん 近藤 修一さん 矢田 新也さん 岩永 康久さん 瀬古 芳雄さん (1月以降入会者、本来は簡単なコメントを付けて紹介をすべきでしょうが適切なアイデアーが浮かばず次回以降の企画とし今回は名前のみ紹介させていただきます。) 文責 佐 藤 昨年中頃から養和会に寄生して増殖を続けている「山歩きの会」をご紹介させていだきます。 通常「おっさん山歩きの会」などと軽く言われていることが多いのですが、正式名称は「華の単身(ドクシンと読みます)山登りの会」と言う実に高尚な名前を戴く会なのであります。毎月第一土曜日を定例日として活動しています。 会の名称と参加資格は関係ありません。どなたでも大歓迎しております。 開催のご案内は、コートで口頭説明を行う他、E-mailでも行っています。 次回は4月15日(土)を予定して、皆様の参加をお待ちしています。 尚、この会は、隊長鵜飼、小使い佐藤で、お世話させていただいておりますので、ご不明な点がありましたらお問い合わせください。 以下に、昨年6月発足以来の実績から、主なものを厳選して紹介いたしますので参考にして下さい。 ◍6月12日(土)男性3名参加 内湖忠勇山(320m)、鯉魚山(220m)縦走。 ◍9月24日(金、中秋節)男性4名、女性1名参加。 七星山(1120m)登頂。北投温泉で温泉と食事を楽しむ。 調子に乗りすぎ下山後、林森北路で遭難、明け方無事救助される。 ◍11月6日(土)男性5名参加 観音山(610m)登頂。淡水の落日鑑賞。一同祖国を思い感涙 にむせぶ。 ◍12月4日(土)、5日(日)男性6名、女性3名参加 宜蘭礁渓温泉の旅。五峰旗瀑布見物。初めての一泊旅行に皆興奮。 ◍2月19日(土)男性3名、女性1名参加 金面山(181m)、前刀山(252m)、文間山(184m)を 踏破。 海軍クラブで夕食会。ランタン祭り鑑賞。林森北路飲茶店で夕食会。 ◍3月4日(土)男性3名参加 大桶山(910m)、烏来山(820m)縦走。 参加者の一人、ベテランアルピニス トのUさんをして「玉山よりキツイ」と言わし めた最難行登山。烏来温泉の露天風呂 に浸り、生きている喜びをかみしめながら隊 長深く反省する。 <礁渓温泉の旅>
中国語を習いはじめて 鵜飼 博 教科書を開いて親しみの有る漢字が並んでいるのを見てこれは難しくないと多寡をくくってスタートしたのが1年前。 やればやるほど難しくなり耳と口がちぐはぐな動きをして意味を理解するなんてとても及ばない状態が半年ほど続き、こてはとても難しい、世界で一番難しい言葉だという事に気が付くのに長くは掛りませんでした。 中国語を習った経験のある人は多いけど中国語を話せる人(外国人)が非常に少ないのはこの事なのだと気が付きました。 この時期に踏ん張って集中したのが功を奏したのかこのトンネルは長くは続きませんでした。 今再び中国語は日本語と同じだと実感出来るようになりまだまだ話せる段階ではないけれど、駐在している間気長に続けていれば必ず話が出来ると思いようになりました。 何処が日本語と同じなのか一言で言えば文字を持たなかった日本文明が仏教文化と共に中国より入って来た漢字に日本古来の読みを当てはめたものが日本語なのだと思うからです。 従ってそれらのほとんどが中国語の中の文語体なのです。 だから中国の会話勉強が少し高度になって文語体の表現が増えるに連れてどんどん日本語との類似点が多くなってきたのです。 中国語は文字が先にありきの言葉でそれを人為的に発音法則に割り付けたものではないかと思っています。 だから其の割り付けルールを理解すれば混乱せず憶えられるのではないかと。 もっと言うと其の頃の中国語が中原語と言われる台湾語のルーツで有るとすれば日本語と台湾語の発音の類似点もなるほどと納得出来るものです。
|