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89年夏季号
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2000年6月 菅野英典 去る2000年5月14日に向井領隊ご夫妻を迎え、合同練習会を開催いたしましたのでその報告を兼ね、東京支部の近況を報告いたします。 私は妻と子供の三人で1987年〜1994年6月の6年半台北に駐在し、養和會でテニスの楽しさを教わりました。 帰国直後に東京支部に参加しましたが、この会は台北養和會の帰国者が、正月とお盆の二度集り、テニスと飲食で台北談議に花を咲かそうではないかということで発足されたと先輩から伺いました。 日本生命の久我山コート・大倉テニスクラブ等(場所・時期等は不詳)を経て、埼玉県坂戸市にある日東鰍フご好意で会社のテニスコートで開催しておりました。 このコートは、日東鰍フ故三町社長が向井領隊の大学・日本テニス協会の先輩であるというご縁から、東京支部のホームコートとして利用させていただきました。 出席メンバーは、養和會初・中期の方が多く、それぞれの事情で参加者も減少し、1998頃には8名集るのがやっとという状況になっていました。 日東蒲lのご事情により、1999年4月にコート閉鎖となり、ホームコート探しを余儀なくされこの年のお盆の開催を中止しましたが、ここ1,2年に帰国された方々が中心になり、10月に開催できました。 そして今年5月14日には、千葉県船橋市のララポートテニスクラブに向井領隊ご夫妻を迎えて、合同練習会を幕張で開催いたしました。 当日は、雨降りの予報が見事にはずれて好天に恵まれ、養和會の悪運の良さを改めて感じました。 参加者は予想を上回り22名に上り久々の対戦表作りに苦労致しました。珍プレー・好プレーやプレー中の掛け声の中に向井ご夫妻の声が聞こえてくると、"台北でテニスをしているのでは?"と錯覚を覚えたのは私だけではないと思います。 プレーの後は、「ららぽーと」の焼肉レストランで食事会を行い、台湾隊友や台北の思い出話に大いに盛り上がりました。そして養和會のメンバーである幸せを感じながら家路につきました。 はるばる台北からお越しいただいた向井ご夫妻、会の開催に当り企画・連絡に奔走された石崎隊友、ならびにコート及び食事会会場のセッティングをしていただいた仁王隊友に改めて御礼を申し上げます。
向井先生 向井太太 野村 山本成 河崎 内藤 仁王 仁王太太 石橋 石橋太太 山本進 山本太太 石岡 石岡父 厚浦 厚浦太太 石崎 佐々木 角田 柴田太太 西尾太太 菅野 養和会が誕生して25年、夫婦で言えば銀婚式これを記念して25周年記念大会の準備が進んでいます。 時期は12月16日(土)、17日(日)です。 日本から多くの隊友を迎える為16日午後は室内コートを予約し雨天に備えています。16日夜養和会発祥の地マンダリンホテルでの式典を挟んで翌17日はホームコート新興中学でプレーします。 現役隊友は全員参加して今日まで養和会を支えて頂いた多くのOBを迎えたいと思います。具体的スケジュールは10月の秋季号にてご案内させて頂きます。
梅津雅彦 50才迎えるその年の正月、一念発起してフルマラソンへの挑戦を決意した。 松本市の市内を流れる「すすき川」のジョギングコースで行われる恒例の早朝元旦マラソン-5Kmの部-への参加で壮大な計画―フルマラソンへの挑戦―の火蓋が切って落とされた。 身を切るような寒さの中、小、中学生も混じってのスタート。 年間を通してテニスをやっており、大きな大会前には多少走った事もあるので、たかが5Kmと気楽にスタートしたのが大間違い。子供達の早い事、それに引きずられオーバーペースとなりゴールした時は酸欠状態で、しばし道端にうずくまっていた程で前途多難を思わせるスタートであった。 「こんな事で挫けては男の恥じ」と、その後は時間を作っては地道な練習に励み、その年の3月:桃源郷マラソン 10Km,6月:北軽井沢マラソン 20Km,と順調に距離を伸ばし、8月:遂に同年12月沖縄・那覇マラソンへのエントリーを決意した。 夏から秋にかけては月1回のペースで各地のハーフマラソン大会に参加しながら強制的に練習量を増やす。 この頃になると、いわゆる「ランナーズ・ハイ」と言われる陶酔状態も体験、体重は減るし、脚力はアップするし、更に心肺機能も強化されてきた為か走る事がさほど苦にならなくなっていた。 12月:いよいよフルマラソンへの初挑戦である。もしもの事を考え女房を帯同しての参加であった。 <大会前日>:観光を兼ね地元走友会の人の案内でコースの下見が行われ、制限時間内での完走を目指す人にはそのペース配分表が配られた。 途中3ヶ所に関門が設けられ、それぞれに制限時間が決められていた。 今迄走った実績から第一,第二関門はクリヤーできそうだが第三関門(たしか33Km地点?)は未知の距離であるため大いに心配である。 <大会当日>:この大会は2時間10分台で走る一線級の人から、私の様な制限時間内での完走を目指す人まで2万人を超える参加者が全国から集るマンモス大会である。 スタートの合図があってから我々初心者がスタートラインを通過するまで10数分かかった。この時間はギリギリでゴールを目指す者にとっては予想外のロスタイムであった。 フルマラソン初体験ため元気のある内に距離を稼いだ方が早くゴール出来ると勘違いし、ハーフマラソンのペースで前半を走り第一,第二関門は難なく通過、ところが25Kmを過ぎたあたりから急に足が前に進まなくなった。(筋肉疲労とエネルギー切れである) 第三関門は「あと5秒,4秒,3秒,2秒、1秒」のカウントダウンの声にありったけの力を振り絞って間一髪で通過。 無情にも私のすぐ後の人達は皆失格となってしまった。 ここからゴール迄の10Kmは正に死闘であった。 「もうここまで走れれば十分だ」とあきらめそうになる自分に「この意気地なし!折角ここまで来たのだ。 頑張れ!なんとしても6時間以内にゴールしろ!」と、もう一人の自分に叱咤激励され最後の関門であるゴールの陸上競技場をめざし、ただひたすら一歩一歩、足を前に進めた。そして、ついに「5時間59分18秒」でゴール。 「やったー」と大声で叫びたくなるような達成感と「良くここまで頑張った。偉い!」ともう一人の自分に誉められ何故か急に涙が込み上げてきた。
及川 正規さん、向井 創さん、向井 昌子さん、安田 祐一朗さん、安田 祐子さん、佐々木 昭さん、佐々木 寿里さん、明石 浩治さん、 明石 真紗子さん、笹峰 清さん
2000年4月6日 翁 世 沢 より二〇〇〇年を迎え、世界いたる処で慶祝の催しが行われました。平和で希望に満ちた年を期待している。 台湾でも二〇〇〇年の一刻、蒋介石記念館広場でユニークな巨大のミニールドラゴンを膨らませて一気に色とりどりのレーザー光線を放して慣習を嬉した。 二〇〇〇年は又中国語で、千禧龍年と言って二〇〇〇年を龍年だと言う意味です。 龍は昔から吉祥をもたらす縁起深い象徴物として使って来ましたので龍年の子は龍子だと、龍子を持ちたがる家庭が増えるため、しいてはあらゆる面でも激しいプレッシャーになります。 龍は十二支での第五支に当り、鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猴、鶏、狗と豬の順に廻り二〇〇〇年生まれは丁度龍年になりますので意義深いものです。 小さ正月とも呼ばれている元宵節には記念館の正門を覆う巨大な龍提燈の観光客が開通間もないサブウエイ駅は寿司詰めの盛り上がりでした。 元宵節で正月気分も終わりをつげました。 3月の第一日曜日は石橋俊一と夫人えりか夫婦が一年ぶりに台湾訪問(第二故郷だから帰省とも言えるかな!)で各隊友と楽しくテニス、食事でもテニスの話しが絶えませんでした。 久しぶりに会うと石橋夫婦も格段に腕を磨き上げていました。 皆さんも休暇の折には美しき宝島の新興コートで楽しい時間を過ごせる事を楽しみにして来てください。 二〇〇〇年益々の益々の伸展と良き年を期待致します。 平岡領隊の名句「世の中のお役に立てる限りは、全てに頑張りたい。 みんなと仲良くする。それば一番!そして健康第一で」さわやかな人生を送りたい。台湾養和会の第二のフルサト、休暇で来るまた楽しからずや!フレー、フレー 向井 純 今年、養和会は25周年を迎えるという。 日本を離れた異国の地・台北でこの時間の積重ねはとても貴重なことであり、この四半世紀という長い歴史の裏に笑いと涙の物語があった。 確かな記憶はないが、私が物心ついた頃には、既に養和会は存在していた。 私も小さい頃から毎週、日曜日は当り前のようにテニスコートへ行き、たくさんのおじ様、おば様の中で可愛がってもらい、多くを学んだ。 そこに、人一倍世話好きな父を見て、毒舌だが皆の纏め役の母を見て、又いろんな素敵な方にお会いできた。 しかし、向井家は台北に半ば定住してはいるが、他の方はそうはいかない。会社からの派遣で3〜5年ほどで帰国してしまう。いつも、向井家は見送り方であった。私はその出会いと別れから子供ながらに喜びと悲しみ、さらには人との縁を学んだ。 日曜日に限らず、いつも向井家には仲間がいて、その中でいかに可愛がってもらうか、自然と自己表現をしていたのかもしれない。今の私の調子のいいところはこの頃形成されたのでは…?。そんな環境、時間を経て私は成長していった。 しかし、まだ幼かった頃はいいが、成長するにつれ、「向井さんちの次男坊:じゅんちゃん」というタイトルに重圧を感じた頃もあった。それは、向井さんちの次男坊と言う事で、一人の男としての見方をされないのでは?、いつまでも一人前として見てくれないのでは?と考えたこともあった。 昨年、テニスを縁に知合った華ちゃんと結婚をし、まもなく1年を迎える。最近は「向井さんちの次男坊:じゅんちゃん」でいいな〜、よかったな〜と思えてきた。テニスを通じ、養和会を通じ多くのことを学びました。そして、これからも……。 いつも、コートではしゃいでいるじゅんですが、この会報はちょっと真面目に書いてみました。 これからも、請多指教! 謝謝!! タイトルのわりには内容が支離滅裂で對不起。 革島貞彦 我が養和会は、テニスを中心として和を養う、との精神にて運営されていると理解しております。 その精神を更に実践すべく、鵜飼・佐藤両隊員を中心とした山登りにて身体・精神の健全化を図らんとする「花の独身おっさん山登りの会」が養和会内部に自発的組織として存在し、毎月第1土曜日に台北近郊の山山を活発に踏破していることは、既に鵜飼隊長によりレポートされている通りであります。 本稿は、その向こうを張って、台北市内の「亜熱帯性雨林」を踏破しようとする、養和会内部に自発的・自然発生的・かつ密やかに設立された、勇敢なるジャングル探検隊のレポートであります。 この森は「林森北路」と名のついた、一部同好の士にはおなじみの亜熱帯性雨林であります。
そして我が勇敢なる隊員たちはこの恐ろしい獣に戦いを挑み、時には果敢に攻めまくり、時には相手の攻撃をひらりとかわし、知恵の限り、体力の限りを尽くして戦い、また新しい獲物を求めて夜な夜な森をさまようのであります。
そうするとたちまちその棲家に引きずり込まれます。ここで勇敢ではあるが北京語が不得意だ、という隊員のコンプレックスを見抜くかのように、北京語を教えてあげる、と甘いささやきがあり、「そうだな、おれももう少し北京語を勉強しなくっちゃな。」と我が素直な隊員はつい反省して、お勉強を始めるのですが、高い授業料を払うのは我が隊員なのですが、我が隊員の北京語はいっこうに上達せず、森の獣の日本語ばかり上手になる、という現実が待っているのです。どうです、怖いでしょう。 またある日の戦いは、今日こそはくんずほぐれつ戦うぞ、との決意を秘めて森に分け入るのですが、棲家に入った時には、「イラッシャイマセエエーー」という日本語に似た咆哮があちこちで起こり、獣達も擦り寄ってきて、うんそうかあ、俺と戦いたいのかあ、などとしばらくは悦にいっているのでありますが、そのうち他の探検家を見かけると、こちらが話ししている最中であろうとお構い無しに、例の「イラッシャイマセエエーー」と声高に吼えまくり、新しい探検家めがけて飛びかかっていき、はっと気が付くと周りには全く獲物が無く、ただひたすらウイスキーを一人であおる事になってしまいます。 戦わずして戦意を喪失して、別の猟場に行こうかな、と腰をあげたとたん、「ハーイ、マイタンネ」と紙切れを突きつけられ、この森の通行税を悄然と支払うことになります。 そうです、申し遅れましたが、この亜熱帯性雨林を通り抜けるには、この獣に通行税を支払わなければなりません。これが高いのなんのって。どうです、怖いでしょう。 我が勇敢なる隊員は、このように恐怖心を克服しつつ、そして通行税を払ってまでして、なに故にこの戦いを挑むのでありましょうか。 そこに森があるから、では納得しがたい衝動があるに違いありません。それはジャングルの獣の中の獣、獣の女王、あの伝説に出てくる気高い、気品に満ちた真の獣の女王がどこかにいるに違いない、そしていつの日にか出会えるのではないか。 そしてそれと戦い、打ち破り、探検家の誉れを浴びたい、というロマンに求められるのではないでしょうか。「そんなもんこの森にはおらへんよ」と探検歴の長い森の古老はつぶやくのでありますが、我が勇敢なる隊員達は、かくして夢とロマンを胸に今日も森をさ迷い歩くのです。 昨年春以来単身者(正式名は花の独身者)を中心に毎月第一土曜日養和会特別部会として活動してきました。 多くの感動的な思い出を作り海外・台湾での生活をエンジョイしています。この満足を単身者に限らず若者も含めた養和会の方々にも味わって頂きたいと思います。
8月はお休みですが9月、10月、11月と3回、過去1年で印象に残った山のリバイバルシリーズです。若者・先生・太太こぞって参加しましょう。9月2日(土)は陽明山系七星山です。11時30分陽明山バス終点集合です。(雨天中止)
<写真は七星山の対面から撮影した七星山の雄姿>
(6月10日) 佐藤多喜男 昨年初めて本物のレースを見た時、私はレースの迫力、会場の雰囲気の華やかさにすっかり魅了されてしまい、3日間会場に通い詰めていました。そのとき、漠然と「参加してみたい」と思ってはみたものの、何の縁も手ずるも無く夢で終わると思っていたのですが、何と今年、夢が実現してしまいした。 TLI( 中華語文研習所)が編成したインターナショナルチームに、鵜飼さんと二人で参加してしまったのです。1ヶ月間の厳しい早朝練習に耐え、敗者復活戦を含め1勝2敗の成績は大満足でした。 (3回も舟に乗れたことが何よりうれしかったのですが)国際色豊かなクルーと乗船風景の写真で私たちの興奮をご披露いたします。 話は一転不粋になりますが、会場の基隆河はまったくのどぶ川でした。それを大勢でかき混ぜるものだから、その悪臭たるやもう大変。女性クルーなど練習のときはマスクをしてやったほどです。私と握手したよしみで馬英九市長さんにお願い、何とかしてください 7月1日より台北市でごみ減量作戦がスタートしました。@紙類、A紙類以外の資源回収ごみ、Bそしてそれ以外の3分類です。 紙類は再生紙としの資源再利用です、再生紙にした時不純物として残る広告類・牛乳パックは避けましょう。 資源回収ごみはペットボトル、ポリ袋、アルミ缶、鉄缶、乾電池、古着等です。これらの資源回収ごみは回収後更に分類されます、ボトル・缶類は軽く水洗いしておきましょう。 その他ごみは台北市指定のごみ袋に入れなければ受け取ってもらえません。そしてこの袋にごみ回収費用が加算されているので非常に高く価格設定されています、出来るだけ丁寧に分類してその他ごみを減らす事が家計の出費を減らし、また台北市のごみ回収費用を削減出来るというもくろみです。
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