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90年春季号
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(中華民国89年12月16日) この会に出席できて、たいへん光栄です。多くの養和会の皆様に会えてたいへん嬉しいです。 いつも台北養和会のことは、気にかけておりました。25年は長いようでもあり、又短いようにも思えます。25年は実に四分の一世紀です。優に成人式は過ぎている、愉しい素晴らしい会です。 私は1974年(昭和49年)から4年余り、当地に滞在しました。その間、皆様方に公私とも親しくしていただき、たいへん、お世話になりました。(台北市は第二の故郷で大好きです。) 従いまして、旧きこと、新しいことの思い出が、温かい友情が溢れているこの集会を、ここにいらっしゃる皆さんと一緒に祝うことが出来て本当にめでたく、嬉しい限りであります。高興!ありがとうございます。 多謝! 深謝! 私たち養和会がスローガンとして目指したものは、ご存じの通りの「友誼至上・運動不分国境」です。人類が「和を尊ぶ」こと「友情」を大切にすることだと思います。 また、運動・スポーツは人種、民族、宗教は関係なく、そして国境を越えて、自由闊達に行われるものでした。 この立派な「友誼永存と幸福」は、ここにおられる養和のみなさま方によって、見事に引き継がれており、今日に至っているものです。誠に誇りに思います。 テニスで快い汗を流し、共に語り合える、そして苦楽を共有しながら、21世紀に向けての確かな第一歩を踏み出す記念日になったら、いいなあと思ったりしています。皆さん如何でしょう! 養和会25周年記念集会、計画から実施へ大変なるお世話をいただき、このような立派な行事を催してくださった向井領隊ご夫妻、劉炳祥総幹事はじめ中国人隊友、世話人、各幹事さんには御礼の言葉もありません。 衷心よりありがとうございましたと重ねて厚く御礼を申します。そして、内外の隊友ご一同様に親しくお会いでき、懐かしさで一杯です。 感謝・感激いたすところであります。真によろこびの御礼の申し上げます。 新しい21世紀。世界の多文化共生とアジア太平洋地域の国境を越えての、人間味溢れる温かい「絆」を、みんなで大切にして行きたいものです。 そこに、地道で着実な皆さんの「養和会」があります。未来を感じて元気が出るものと固く信じております。 皆さん本日はありがとうございました。「我終生的伴侶・・・網球」テニスを生涯の友として。合掌
台北市養和会硬球隊
仁王治政 静江
幹事の皆様ありがとうございました。 久しぶりに皆様に会えてとても楽しい25周年の催しでした。 100人にもなるたくさんの参加者をトラブルなしに楽しませて頂いた幹事の皆様、本当にありがとうございました。
原稿を依頼されて書こうと思ったのですが少しも筆が進まない。書いては破り書いては破りをくり返している内にはっと思い当たりました。一生懸命練習してきたのですが、当日内容が悪すぎて、テニスに関するメモリーは私の体内のウイルスが食べてしまった様です。 でもそれ以外は楽しいことでいっぱい。少しテニスが上手になった私の家内は柴田さんと組んで出場して、結構いい試合をしていたのですが、柴田さんが蜂に刺されて名誉の負傷! その結果敗退。
私は由良さんと組んで勝には勝ったのですが対戦相手の伊藤さんは宿泊客の私達の顔をみて「勝ったらまずいかな」の勝利。
台湾隊友の皆様ありがとうございました。 土曜日は満珍楼で美味しい北京料理をごちそうになりありがとうございました。 久しぶりのごちそうを本当に美味しく頂きました。それより台湾隊友の歓迎の気持ちが嬉しくて本当に忘れられないパーティーでした。
この次は頑張ります 健康の為に始めたテニスも時間だけは、結構長くなりましたがいつまでもうまくならない。変則的な空手チョップスライスを卒業しようと、思いきって生まれて始めてのテニススクールなる所に通いだしました。若いコーチに球出しをしてもらって基本練習を始めました。 年令も既に61今年の10月には62才になりますが今回の養和会の諸先輩のプレーをみてまだまだ頑張らなければと発奮しています。この次ぎ機会があれば練習の成果をテストしてください。
東京養和会 パーティーの最中、石崎さんから東京養和会は以前もっと活動していたよと平岡総領隊からも話が有ったとの事。これを受けて手伝って欲しいとの事で、連絡係りを志願しました。すこし暖かくなったら連絡を取り合って楽しいテニスをしましょうね。 できればもう一度台湾へ行って楽しいテニスをしたいですね。
日本と台湾とのテニス交流万歳! 民国90年の新春を迎え 台湾養和会の皆様益々 ご健勝のことと思います。本年も昨年同様 会員の皆様にとり、また台湾養和会にとり良き年であり更に 21世紀が素晴らしい世紀であることをお祈りします。 さて 私こと 角田智(つのださとし)の自己紹介と小生が滞在した1990年11月から1994年12月までの当時の養和会のことについて、また 昨年12月16,17日 台北にて開催された 養和会設立25周年記念式典に参加させて頂いた時の感想を述べてみたいと思います。 小生は、1951年6月9日 熊本県熊本市生まれの49歳。 現在総合商社の住友商事の東京本社勤務で、会社のテニス部の監督を兼務しています。テニスは、81歳で亡くなった 父要(かなめ)が大好きで父から教わったものです。 都立新宿高校、東京大学で体育会硬式テニス部主将を務め、1975年に住友商事入社してからも オール住友のテニス大会のダブルスAクラスで16年間にて9回優勝しました。今も小生の人脈は、好きなテニスを通して作りあげたテニス人脈です。 テニスをやっていたお陰で 実に多くの方方と知り合うことが出来 本当にテニスをやっていて良かったと思います。 小生が駐在していた頃の思い出は、当時関東学生の春のリーグ戦で女子一部にて10連覇(優勝)を果たした青山学院女子テニス部(後の全仏ミックスダブルスにインドのブパシと組んで優勝した平木理化選手も当時のメンバーであったが平木選手は、残念ながら参加していなかった)がご褒美として青山学院大学テニス部OBらの援助もあり来台し、当時の養和会のメンバーと懇親テニスをし、更に 林森北路のカラオケクラブで青学の女子テニス部の小姐さん達約20名と養和会のおじさん達のテニス好き仲間が、カラオケに興じ大いに盛り上がったこと。 また 台北での台湾企業主催のテニスの団体戦に養和会代表チームで何度か出ていつも残念ながら ブロックの決勝で台湾の強豪チームに惜敗したこと。その試合を養和会の大勢の方々が、雨の中でも、夜遅くまででも一生懸命応援してくれたこと。 台北市の市民テニス大会一般男子シングルスに40歳で出場し、当時まだ20歳代の向井創君と小生の2名が養和会メンバーでシングルス ベスト8に入ったこと。この大会で優勝したのが、当時まだ中学生で、 現在日本大学庭球部NO1で1998年の全日本学生選手権(インカレ)男子シングルスで優勝した 陳威儒君でした。もう少しで向井創君がこの陳君に勝つ所でした(確か 7−8のタイブレークで創君が惜敗した)。 また 数多くの台湾のテニスのプレーヤーと更にアメリカンクラブ・ 円山大飯店のテニスクラブで数多くのテニスを愛する外国人と親しくなれたことが、台湾での4年間の駐在で大きな収穫で貴重な体験をすることが出来ました。 これもひとえに 向井さんを中心とする 養和会の方々のお陰であると 感謝しております。 昨年12月に開催されました、養和会25周年記念式典にも 日本から有給休暇をとり参加しました。 現養和会の中心メンバーである同じ会社の革島さんのご自宅 ”ホテル 革島”に4泊させて頂き 美人でお酒好きで、気持ちのお若い、お話好きな 革島太太に何から何までお世話になり、2年振りの 台北そして養和会の皆さんにお目にかかることが出来ました。 台湾養和会の台湾人メンバーの皆さんが今でもお元気で、テニスを愛され 我々以上に日本を愛され本当に親身になって 日本のことを 憂いておられること肌で感じました。 日本政府・外務省が中国偏重の外交政策をとる現状 我々民間レベルでの台湾とのテニス交流本当に素晴らしいものです。 20世紀最後の海外旅行を 小生の第2の故郷である大好きな台湾で大好きなテニスを大好きな 台湾養和会の方々と楽しむことが出来最高でした。 少し残念だったのは、台北の街が 我々が居た頃と大きく変わっており、日本的な所が消えつつあり 徐々にアメリカナイズされていること(市内にスターバックスのコーヒー店が至るところにあるのには驚きました)。 また経済・文化の中心が 中山北路から敦化北路・南路に完全に移っていること。養和会のメンバーで若手の台湾の方が少なかったこと。しかし すべて世の中の流れ。 流れに逆らわず 全て 自然体で行きましょう。世の中は、なるようにしかなりません。 この養和会が テニスというスポーツを通していつまでも 日本と台湾との親善の草の根交流、民間交流として続くことをお祈りしております。とともに これからも 小生も台湾と日本との親善・交流に少しでも一日本人としてお役に立てればと 思っております。 幹事の皆様は、本当にご苦労が多いと思いますが、養和会が今後益々 充実し、かつ発展し、30周年、50周年の記念式典が開催出来ることを 期待してこの辺で失礼させて頂きます。長くて稚拙な文章に付き合って頂き本当にありがとうございました。 < 2001年 1月21日 うっすらと雪が降った東京桜台の自宅にて> ”お母さん”と呼ばれ第二のふるさと台湾に私の半生住みついてしまいました。 3人の息子達が幼少、育ち盛りの時は,あれも無いこれも無い台北生活でしたよ。 でも、3人の子供達のお陰で多くの友達,又楽しい想いでが沢山出来ました。 中学を出ると一人去り、二人去り,3人とも日本の全寮制高校に入り、子供達は 親元離れそれなりに苦労した様です。お父さんは脛が細くなりました。 そんな子供達が立派に育ち社会人として今それぞれ世帯を持って台北で家族全員 が会えるとは思っていませんでした。 是からも向井ファミリー仲良く頑張っていける様願っています。 団子3人兄弟のプロファイル。 <長男 創>おっとり、のんびり、はずかしや。 生活設計立てマイぺースで家族を大切にして、男家族から今3人の女性に囲まれ幸せね。 我が家のテニス,ナンバーワン <次男 純> 陽気で、世話好き、おっちょこちょい要注意。 持ち前のバイタリティーで前進するのでこの先、成功、失敗は貴方次第。 そんな 純。ハナちゃん 見守ってね。 <三男 望> 3人の中、一番格好良く、おしゃれ。 やっぱり末子の甘えん坊、気持ちにムラ有り、人に頼る所、要注意。 28歳独身、テニスの出きる健康なお嬢さんいませんか。募集中。 <ついでにお父さん> 家族全員 B型の中、一番心配性ですね? それとも私が無神経? 30から今年67歳良く働いてご苦労さん。 息子達の一言 ”おやじは、やっぱりすごい” と尊敬してますよ。 自分には定年無し、仕事が面白いと云っているけど、そろそろ日本に帰ろうよ。 えぇぇー 養和会が心配? 21世紀一年一月 加藤秀俊 ポルトガル人が、長い航海の末、たどり着いた島を、Formosa(麗しの島)と呼びました。経済的には、アジアの優等生。
富士山より高い山がひしめいている、温和な気候の島。私は、来台2年になりますが、台湾は、かつて赴任した香港、米国よりも数多くの発見がひしめきあっています。そんな台湾が、私は大好きです。
小生も、この地の利を生かし、森林大学に、入学。今年で早2年生。日本では、若い女性は、中年に見向きもしないが、当大学は、少し違う。一般台湾人には通じない北京語が、なぜか良く通じる。中には、化石のような女性もいるが、なせか蝶と蛾の判別が、難しい。当大学のOBいわく、森には、蝶などいなかったとのこと。まだまだ未熟な小生としては、当大学で勉学にいそしむ今日この頃です。
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