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91年春季号
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新年おめでとう御座います。 領隊 向井 和夫 マニラ日本人会対抗試合 栗原 淳 テニスの輪・和 向井創 香港は素晴らしくレベルの高い所 佐々木昭 嫁さんを探そう 佐々木登 私のもう一人の恋人・・・・テニス ≪養和会 会報原稿≫ 明石浩治
向井 和夫 今年の初打ちは1月6日快晴の中、28名の皆様で賑やかにボールを打ちました。このニュ-スをお読みになる頃は台湾の”新年快楽”と、台湾に住む日本人隊友は毎年2回の正月をエンジョイしておりますね。 私などは30年X2=60回のダブル正月を迎える幸せ者です。 昨年の納会で発表された今年度幹事の皆様を御紹介しますので宜しくお願いします。 総領隊 平岡 昭壮(三原市) 總幹事 呉 作煌 領隊 向井 和夫 副領隊 梅津 雅彦 幹事 江 徳栄 幹事 セン 出錐(コート) 幹事 鵜飼 博(広報) 幹事 小山 京子(会計) 幹事 中村 英雄(渉外) 幹事 向井 薫(ボール/コート) コーチ 小山 忠雄 コーチ 向井 創 #名誉總幹事 劉 ヘイ祥先生は名簿に残す。 今年は馬年、お仕事、テニスのレースは始まりました、色々な事が今年一年有ると思いますがベストを尽くし頑張りましょう。 皆様に福が”マーサンライ馬上来”を願っております。
(帰国後の礼状より抜粋) 昨日は大変お世話になり有難うございました。我々一行は台湾遠征の敗戦を反省に本日空港から直接コートに行き次回のための練習を開始しました。 ちょっとした思いつきで企画した台湾遠征は、我々お邪魔する側からすると想像以上に楽しいものでした。メンバー一同台湾の良さに触れ、養和会のあたたたかさに触れ、大変によい思いで帰国できました。 我々の受け入れ準備をしていただきました鵜飼さんならびに創ちゃんには特にご迷惑をお掛けしたのではと思っております。すべてのアレンジに一同感謝しております。 次回の対抗戦がどういう形で行えるのかわかりませんが、お互い日本から離れた所で暮らすもの同士で、また機会がもてればと思っています。 今回写した写真を下記にアップロードしていますのでご覧下さい。 http://www.photohighway.co.jp/AlbumPage.asp?un=27008&key=565342&m=0本当にありがとうございました。皆様によろしくお伝えください。
向井創 (花の昭和38年トリオ←かなり古い!) 鵜飼幹事より養和会春季号の原稿を書けと命令され?文章を書くのが下手なうえ、仕事柄普段は日本人と接する事がほとんどなく、日本語が日に日におかしくなっていくこの頃ちゃんとした原稿が書けるか非常に心配ですが、題名の通りテニスの輪・和について私事で恐縮ですが書かせていただきます。 高校までは野球をやっていましたので、テニスを本格的にやり始めたのは大学にはいってから、父の学生時代に後輩だった方が開いたスクールに入ったのですが、いつのまにかコーチのアルバイトをするようになり、大学時代は卒業するまでほとんど毎日のようにスクールで球出しをしているか、試合に出ているかというテニス漬けの5年間?をすごしました。 社会人になってからも、テニス倶楽部に入り休みの日は試合に出たり、転勤しても(名古屋、仙台、東京、台湾)コートを探しテニスをし、出張してもラケットを持って行きました。そして2度の台湾駐在では養和会のお世話になっています。 ここからが本題なのですが、テニスを始めたおかげでいろいろな人と知り合うことができ、お付き合いさせていただいていますが、これこそテニスをやっていたおかげだと驚くことと感謝することが私としては多々これまで起きているのです。 1.太々とはあるテニスコートに練習に行った際知り合い結婚することになったのですが私達が知り合う以前に、テニス関係の仕事で父と太々の母が知り合いであった。 2.高校時代の同級生、安田氏に台湾で20年ぶりに再会した。(お互いテニスをやっていなければ会わなかったかも) 3.前回、台湾赴任時に、大学時代コーチをしていた生徒さん(梶原さんご夫婦)が台湾に転勤され養和会で再会した。 4.前回、台湾赴任時に養和会で一緒にやっていた野村氏(伊藤忠)と、お互い日本に転勤した後、テニスの団体戦で偶然にも再会した。 5.日本人学校に通う次女の同級生のお母さんが、大学時代コーチをしていたスクールの生徒さんだった。(直接教えてはいませんが) 6.今回2回目の台湾駐在で養和会に入りなつかしい台湾隊友や新しい方、また出戻りの方?と知り合うことができた。 *このほかにも結構いろいろあるのですが・・・ どれもこれもテニスを続けていたからで、これからもテニスでできた輪・和を大切に養って生きたいと思います。本当に養和会とはチョーグッド?な名前ですね!
驚きました、香港がこんなに洗練された技術と高度な組織的運営のもとに事業が行われているなんて。 いきなり難しそうな話しとなりますが、出来るだけ話しが堅くならない様に気をつけながら、感動(Impressed)と感嘆(Admirable)と癇嘆(Deplorable)の入り組んだ日常起こり得る現実的な可能性の問題について形而学上の観点から論述を進め、少しでも皆さんの香港に対する,認識と理解が新たな安全への道標なれば幸甚です。――――どうも話しが堅くなるなあー!! で!!何の話しかと言うと中国の蛇口まで出張する話し!!なーんだ、と思わないで下さいあなたにとってとても為になる話しだから。 当社三洋電機のコーポレートスローガンは、確か?、人と地球にやさしい!!!!何とかで?、アジア,中国地区の各会社の責任者が集まり「人と地球にやさしい環境経営、CS経営、による企業価値向上を目指して」と言うテーマで三洋グループの環境保全活動について話し合う合同会議が開催され、台湾から小職が代表として参加することになりました。 蛇口までは香港からフェリーで1時間も有れば行けますが、VISAが必要で取得の為,香港で申請をしなくてはなりません、朝9時に申請し3時頃にはVisaが入手出来その日のうちに蛇口迄行く予定でした。 ついでの機会ですから(会議の方ではなく!)Visaの申請は香港にいるテニス仲間に頼み小生は朝から、観光バスに乗り映画、慕情(Love is a many splendor thingsの歌で有名)の舞台となったビクトリアパークなど,機嫌良く回り3時頃テニス仲間からパスポートとビザを受け取り、ホテルからフェリー乗り場へ出発しました。 右手にかばんを持ち、左はショルダーバッグをかけ、地下鉄の階段を6段降りた所で、前を歩いていたカップルの女性が気分が悪くなったのか、手すりに持たれかかり、唾を吐くしぐさをした為、ちょっと立ち止まざるを得なかったのですが、3−4秒立ち止まり,そのまま階段を降り切符売り場まで行ったところでショルダーバッグのファスナーが開けた状態になっており、前のファスナーの所に入っていたパスポートが消え、後ろのファスナーの所に入っていた現金15万円とシンガポールドル500ドルがカードホルダーと共に消えていました。 Oh!No!頭は真っ白、パスポートがない!、フェリーの切符がない!、Visaも無い! 会議に行けない!パスポート入手に1週間かかる!一瞬行けなかった観光地がすばやく頭をよぎる。昨夜2時間しかプレイ出来ず物足りない思いのテニスもついでに頭をよぎる。でも会社のことはなぜか浮かばない行政改革はどうした!!責任者出て来い!!(この30年前のギャグが理解出来る人は凄い!!)悔しいと思うより先にその手口の華麗さに感動!スゴイ!すぐ行動開始、警察へ盗難届Police report を入手、日本領事館へコンタクト、カード停止の電話、写真撮影、パスポートの再発行申請、入手までに早くて4−5日かかりますかねーと言う領事館員のつれない回答。あらゆる人脈を使って(こういう時のテニス仲間は頼りになるし長年海外駐在している人の中にはその道の専門家がいる、ちなみに小生は海外生活25年の歴史を有し、心臓麻痺による病死,交通事故による死亡,自殺などのケースを扱い、死後の処理,警察への報告,大使館への報告書作り,葬式 火葬の方法、遺体の運搬,日本での運搬許可などの死体に関する専門家, でもこれはシンガポールのケースだから台湾では,何か有っても決して小生を当てにしないで下さい)色々な所と交渉してもらいパスポートのコピーを持っていたことも有り,結論として会議には出席出来、でも会議では疲れ果て、疲労と睡眠不足解消が出来た頃には終わっていたという、本当に人にやさしい会議であること! さて手口ですが、香港はシンジケートがあって、大使館の話しによると毎日1件以上は必ずこんなケースがあるそうです、偽造の為にかなり日本のPPは高い値段で売れるとか彼等はグループで行動し、エスカレーター、交差点、バス乗り場、地下鉄,切符売り場、百貨店、階段,などが特に危ないようで、大抵前をブロックされ止ると後ろから押されその時やられると言う手口がポピュラーで、前をブロックするのは、年寄り夫婦、カップルが多く、瞬時に抜き取る高度な技術を持っており狙われると,大体やられるそうです。 ヨーロッパ等はかなり荒っぽいやり方が多く、アイスクリームを背広につけ汚れてますよと注意をそらせたり、ひどいのになると、赤ちゃんを相手に向かって放り投げ抱きとめたところで盗むと言うのも有るようですが,香港は芸術的とも言える高度なテクニックでそんなことはしません。 よって、皆さん香港に行かれるときは、まずチャックのついたバッグには必ずすぐ開かないようにフックをつける事、小生は帰国後すぐ釣り道具を利用し簡単には開かないよう細工をしました。背広のポケット,ズボンのポケットは結構狙われやすく,ボタンをつけるとか他の方法を考える、ウエストポシェットもファスナーを開けて取られるようです。 また人ごみの中で後ろに人が近づいたら,体を横にずらすとか、防御態勢を取る等充分気をつけてください。 さて台湾への再入国が大変な問題で,簡単には行きません。Visa Officeにつれて行かれえらくブスの本当にブスの若い小姐が(ブスはまったく本人の責任ではなくどちらかというとご両親に責任がある様でこの点については何も言うつもりは有りませんが,ブスはもともと阿片の実ブスマからの語源だそうです)加えて足は太いしスタイルは悪く(これも全く本人の責任外、太めは一部責任有り)。 おまけに態度が凄く悪く、でかい態度だけでなくアホで(これは本人の責任が多々有ると思われこの点のみ問題にしているわけですが)双方でこんな会話が交わされました。 Aho:あんたなんでVisaがいるの? Futsuu:PPを取られちゃって、あたしゃここに住んどるんじゃがの! A:なんで? F:働いてまんねん! A:何ヶ月いるの? F:1年とちょっとだんべ! A:どっから,来たの? F:香港じゃど! A :帰りの切符を見せて? F:ハーアー? おいドン台湾に住んでいるんでごわす! A:解ったよ、それで帰りの切符は? F:あんた英語わかりまっか? A:解るよ F:じゃなんでそんなこと聞くの? A:帰りの切符がなきゃVisaを出せないよ F:あのね!あたしゃここにすんでるの、台湾から香港に行って今台湾に帰ってきたの! (だんだん真剣になる!) A:じゃ何で出國とVisaがパスポートにないの F:だから取られたって言ってるジャン!!はいこれがPolice Report A:じゃ一回限りのVisaを出すけど香港に帰る切符を取ってきて F:おれ、香港に行きたかねーよ!ちょっとそこに有る判子を押してくれるだけで良いんだ けど、美人でチャーミングだからきっと出来ると思うよ!(米国なら大体これでOKなん だけどーーいい加減で無責任な人が多いから)! A:できねーよ!(本人は自分のことを事のほか、良くご存知)だって規定だもーん。航空 会社のOfficeへ行っておいで。すったもんだの挙句予約だけして、そのコピーを もらい提出 A:30日滞在のVisaを出すけど、1回限りで延長は出来ないからね。後はどうするか自分 でやんな!はい1500ドルさっさとだしな! F:分かったョ〜〜!、会社で何とかするから良いよ!最後に F:あんた、まだ独身でしょう? A:そうだけど何の関係があるの?F:いやな んとなく、じゃあまたね! A:????????!!
先日深沢がめでたく結婚した事で、花の同年代カルテット(ジュン、石井、深沢、佐々木)の中で、独身はとうとう俺一人となってしまった。 決して四人の中で一番女性にもてない訳でも、一番魅力がないという訳ではない。たまたま、運がなかった。タイミングが合わなかっただけだと、自分に言い聞かしている。
それに、別にこういう文章を書いてるからと言って、早く結婚したいとか、結婚に対して焦りがあると言う事でもない。けれど、俺ってホントに結婚できるのだろうか? どうやって嫁さん見つけようか?
って不安に思う時はやっぱりある。こういう事は考えても仕方がないかも知れないけれど、じっとしているだけでは、出来るものも出来なくなると思い、何でもいいから行動に出よう!と考えた。
でも、人に紹介してもらうのを待っていても時間が過ぎて行くばかりだ。 昔、『お見合い』ではないが、『ねるとんパティー』などと呼ばれる彼氏・彼女のいない男女が、彼氏・彼女を見つける為に開催されるパティーによく参加していた時期があった。 当時、彼女のいない私は、このねるとんパティーが楽しくてしょうがなかった。結果はさておき、初対面の女性に対し、限られた時間内に自分をアピールするのは非常に難しかった。ホントに待っているだけではだめで、自分から積極的に自分を売り込まないと、彼女なんか捕まらないと言うことを思い知らされた。
こういったパティーは新鮮な感じがして、とても貴重な経験だった。『お見合い』もきっと同じだ。積極的に自分をアピールしよう。何事もチャレンジが大切だ。頑張ってみよう。
しかし、恋愛って何だろう?
人を愛するって何だろう? よっしゃ、お見合いじゃ! 合コンじゃ! 数打ちゃ当たるかもしれない。 まだまだ苦難の日々が続きそうな佐々木でした。
向井 碧華 私は中学一年生の時テニスを始めました。テニスの切っ掛けと言えば、ある日,学校で『只今テニスクラブは初めて女性を募集していて,興味を持っている学生はテニスコートに向かって下さいと』放送していた。面白そうだと思って、友達と一緒に申し込みました。コーチは5分ぐらい説明した後,学生達にラケットを一つずつ渡し,先の先生のようにラケットを振って下さいと要求されました。次は体力テストと反射神経のテスト。最後は40人中6人しか合格しなかった。 中学を卒業する前に,あの時の基隆はテニスがまだ盛っていなかった。ある女子高校の校長先生は私達がテニスを続けて欲しかったから,私の学校へ来てください,それで貴方達が勉強する間に授業費はただですと誘ってくれました。皆は又テニスを続けたいからこの学校に行くことにしまいました。この決定のため、私は皆と一緒にテニスをすることができている、本当に良かった。 高校時代の時、辛い事も楽しい事もありました。自分の記憶の中で,夏休みは無し、毎日テニスの練習と体力の訓練ばかりしていた、時々10キロのマラソンにも参加した。三年間にそのような日を繰り替えし送っていました。テニスをするため、足が太くなったし、貴方は女の子じゃないと呼ばれたが、有犠牲就會有結果,基隆市社会女子組で優勝を勝ち取ることができました。 大学時代時、テニスクラブがなかったから大体3年間ぐらい中断しました。そこで、偶然に純ちゃんと出会いテニスの情熱がもう一度燃えて来ました。純ちゃんと付き合って半年ぐらいして正式に養和会に入りました。向井お父さんの手から養和会の旗を渡してくれました。旗に書いたある(運動不分國籍…….)のスローガンを見た時本当に深い感銘を受けました。その時の私は日本語は全然駄目なのに皆は私に優しくしてくれて、本当に有難かった。 日曜日のテニスが終わり、家に帰ると、すぐ次の日曜日の天気が気になります。日曜日にテニスをしないと、機嫌が悪いです。 わたしにとって、テニスは家族と交流を楽しむ事だけじゃなくて、心の安らぎを得ることです。 最後に皆さんがテニスを通じてもっと楽しい人生がおくれるようにお祈りします。 祝大家健康快樂 上記は華が自分で考え、作成、インプットしました。(純談) 台湾に赴任してようやくこの3月で丸2年になろうとしていますが、つい先日、転勤の内命を受けました。日本に帰国かと思いきや、何と中国の深セン支店への転勤でした。住まいは香港になる予定です。 今回、養和会の会報に寄稿する機会を戴きましたが、これがお別れの挨拶を述べさせて戴く場になろうとは夢にも思いませんでした。 思い起こせば、2年前に台湾に赴任して、まず最初にしたことはテニスが出来る環境作りでした。何とかテニスが定期的に出来ないものかと考え、日僑協会に問い合わせたところ養和会という昔からのテニスサークルがあるとのこと。これが素晴らしい養和会との出会いとなりました。 因みに、養和会との出会い以外にも、台湾に来てよかったことは色々ありました。以下列挙してみると、 @LASIK手術を受け、近視・乱視が治り、25年も付き合ったメガネとお別れしたこと(現在、両目とも1.5)、 Aゴルフのスコアがようやく3桁を切れるようになったこと、 Bおいしい台湾・中華料理を食べられたこと(おかげで減量することは不可能でしたが)等々あります。 しかしながら、やはりそれ以上に毎週日曜日、養和会の皆様と楽しくテニスをさせて戴いたことが台湾での最大の喜びだったと今更ながら確信しております。 弊行での海外1拠点での赴任期間が大体3年から5年ということを考えれば、通常よりも少し短い赴任期間でしたが、皆様のお仲間に入れて戴けたお陰で、夫婦共々大変充実した2年間を過ごすことが出来ました。ほんとに有難うございました。 現地赴任は4月中頃の予定をしております。残り2ヶ月程度ですが、今後とも宜しくお願い申し上げます。最後になりましたが、皆様のご健勝と養和会の益々のご発展をお祈り申し上げます。 <編集後記>最初に90年秋季号が発行できなかったことをお詫びします。 パソコンのアップグレード中の事故で過去のデータを全て消失してしまいました。 バックアップも素人がやっているものですから完全ではなく、結果として焼け跡から半分ぐらい掘り起こしたと言う結末になりました。 あんなこんなで秋季号をパスさせていただきました。 90年納会、マニラ日本人会対抗戦の写真特集を入れましたが、掲載容量が限られており掲載したい写真の半分ぐらいしか載せることが出来ませんでした。 でもある程度のボリュームの写真を見るとその時のざわめきとか雰囲気が目の当たりによみがえってきます。 縮小写真(サムネイル)がうまくいかず、時間切れでアップします。名前の隣をクリックしていただければ拡大写真が現れます。PCのダウンから完全に立ち直っておりません。 |