韓国病闘病生活記

☆このページは韓国との出会いから韓国病発病まで2年間、発病から6年・・・の闘病生活を記録したページです☆


93年 バレーとの出会い  
   
当時中学生で水泳部だった私が何故かある時、たまたま見ていたテレビでバレーの日本リーグを見た。
   
確か、富士フィルムVS新日鉄。授業でバレーをした事は有ったが、最高級のバレーを見て虜になるの
   に10分とかからなかった。そして、180cmというバレー男子の身長としては背が低い背番号8番の小野
   選手(新日鉄)のファンになってしまった。小さい背でブロックを抜き、スパイクを決める。拾う。勢いで
   録画ボタンを押していた。バレーってこんなに面白いんだ!と思った中学生、思春期の私だった。

93年 韓国バレーとの出会い
   
かくしてバレーが好きになった私は自然に他のバレーの試合もチェックするようになった。93年に行わ
   れたワールドグランドチャンピオン大会。日本のライバルと言われている韓国との試合。私は勿論当時
   は日本のふぁん。だが、相手国、韓国との壮絶な試合を見て、韓国に引かれていた。170cmのセッター。
   拾い捲る韓国、青山選手も舌を巻くと言う選手。何より、あの小野選手と背番号が同じである8番びょん
   そん選手に魅力を感じた。けれども、まだまだ日本を応援していた。日本以外で好きな選手は韓国8番
   炳善選手。そんな感じだった。

94年 韓国病へ感染
   
94年アジア大会。日本VS韓国でアナウンサーがこんな事を言った。「炳善選手は身長が2mあり
   ますのでこの選手は軍隊に行かなくてもいいんですねー」「皆さんもご存知の通り韓国には青年期に軍
   隊の義務があります」「この大会で優勝すれば6人は軍隊を免除されます」
   今となってはとても有名な話だ。そして、この話にショックを受けたのは私もだった。知識としては軍隊が
   ある事は知っていた。たが、現実に目の前にいる選手が軍隊に行かなければならない。平和ボケしてい
   ると言われている日本人の奢りかもしれないが・・・むしょうに韓国に対して知りたくなった。今、韓国
   チームがどんな思いで試合をしているか。このチームを勝たせてあげたい。次第に韓国チームに気持ち
   が傾いて行った。 

95年 韓国病発病
   
私の家ははっきり言って強い(笑)。その時も妹と喧嘩して、半年間口を利いてなかった。その妹がある夜
   言った。「びょんそん選手亡くなったって。」
   今もはっきり覚えている。「嘘でしょ?!」を何度連発したか・・・彼のバレーする姿を思い出しては信じら
   れない思いでいっぱいになった。バレー雑誌に小さく出ていた彼が死亡したことの記事を何度も読み直し
   た。そして以前にもましてむくむくと韓国へ対する感心が沸いてきた。完全に私の生活と心は韓国で一杯に
   なった。完全に韓国病に掛かってしまった。

   この年は初めてバレーの試合を観に行った年でもあった。運良く我が街の仙台で試合があった。
   高校生になったばかりの私にはお金が無かったが、頑張って貯め、3日間通い詰めた。
   もう、愛するびょんそん選手はいなかったが、彼と一緒にプレーした事があり、話した事があり、
   彼の空気に触れた事がある選手達をこの目で見れ、感激した。
   日本チームの出待ちをする日本ふぁんを尻に、私は妹と先に出てきた韓国チームのバスを自転車で
   追っかけた。しばらく走って運良く(?)赤信号でバスが止まってくれたが、私はバスの中を直視することが
   できなかった。
   威勢の良い(?)妹が手を振り始めた。私は恥ずかしくて相変わらず、バスの中をちらちら見ることしか
   出来なかった。だけど、私達側にいた選手が気づいてくれ手を振り返してくれているのが見えた。
   感激!!!炳善選手を見たことがあるその目で私を見ている!!!!!感動!!!
   涙が溢れて止まらなかった。。。。T-T  韓国万歳。。。。 

   **このワールドカップ95’のパンフレットに「炳善」の文字が!!!お持ちの方はちょっとご覧になって
      見て下さい!彼が生きていた証です**

96年 初韓国進出
   
高校2年生の冬に学校へ高校生韓国研修のご案内が来た。先生が朝のホームルームで「韓国だ・・・」
   と言った瞬間一人で躍りたい気分になった〜〜!!!
   だが、行けるのは市で10名のみ。試験があったのだ。しかも、同じ高校の中に私以外に受ける人が・・・
   早速、偵察に出かけた。「韓国行く人がこのクラスにいるの探して!」と友人に頼んだら居たあ〜!!!
   同じ高校だったにも関わらず、彼女を知らなかった。ついでに言うと、お互い知らなかった。
   彼女とはすぐに楽に話せるようになり、試験も一緒に受けた。それが友人Kだった。
   落ちるかも・・・と口にはしていたが、「こんなに韓国が好きな私が落ちるはずがない」という変な自信が
   あった。(←ばかだったのだ。当時。(笑))しかも、その自信の通り受かった!!!勿論友人Kも一緒に。
   
   かくして、私の初韓国進出は決まった。96年3月27日〜4月2日の7泊8日の旅だった。
   もしかしたら、炳善選手が見たかも知れない、、、、という景色を私は見逃したくなかった。
   皆が疲れて寝ていても私は絶対に!寝なかった。日程は、釜山空港から慶州へ行き、せまうる号に乗り
   ソウルへ行き、ソウルで2泊のホームスティー。慶州はそんなんでもなかったが、ソウルへ着いたとたん
   嬉しさがこみ上げて来た。始めて見るバスから見る漢河の夜景はあまりにも綺麗で辛かった。
   聖子ちゃんの「素敵にOnce Again」の〜Going back 輝いてた あの日のよう Sharing our love forever
   Going back あふれるくらい 希望と夢に満ちてた〜と言うフレーズが頭の中をぐるぐる回り始め、
   (これは恋人を思う歌だが・・・)正に輝いてた彼が亡くなった街に私は居るのだと思ったら涙が出てきた。
   ホームスティ−先の友人に頼んで彼が在籍していた成均館大学にも連れて行ってもらった。
   時間が無かった為、1枚写真を撮って終わったのだが・・・・(しかも、フィルムに光が入ってしまい、その
   写真は駄目になってしまった。また日本で泣いたT-T) 帰国時帰りたくなくなって友人Kと泣いた。
   私は韓国上空でなら飛行機が墜落しても死んでも構わないと思った。。。。無事着いて良かったけど・・・・^^;;
   
96年 韓国オリンピック出場!
   
この年はオリンピック年!すでに非国民化していた私は申し訳ないが、日本チームには出場を諦めて頂き
   韓国が行ける事を祈っていた。試合は韓国と日本で行われる事が決定し、出場チームが2回づつ
   当る事になっていた。また(お金を)頑張って試合を見に東京行きを決定した。勿論、学校はさぼった。
   (韓国病の為、もう自分が見えなくなってた^^;;先生ごめんなさい。)
   ソウルで日本チームに負けたと聞いた時、日本の報道とは裏腹にすごく心配だった。もう、日本が
   オリンピック行きが確実視されていたためでもあった。お金の関係上、1日だけ見る予定だったのだが、
   中国が日本に勝ってくれたおかげで、韓国が日本に勝てば出場権を獲得できるようになったのだ。
   勿論、私はいても立っても居られず当日券を購入した。当日だったので、アリーナ席ではなかったが、
   試合全体を広範囲で見渡せたので結果的には良かったと思っている。審判の不手際があり、日本側は
   ブーイングの嵐だったが、私は嬉しくて嬉しくてしかたがなかった。激戦を勝ち、オリンピックの出権を獲得
   できた時、炳善のお陰だ!と思った。それと同時に、その場にいることの出来ない彼は今どな想いで
   いるのか考えてしまった。きっと炳善がいたら、すんなりと出場権を獲得できただろう・・・(問題発言?)
   嬉しくて、泣きながら届くはずも無いのに一生懸命つたない韓国語で「ちょっかはむにだ」と繰り返した。
   周囲の痛い視線が心地よかった。
   帰りの韓国バスを見送った時、太極旗を思いっきり振った。日本のファンで埋め尽くされていて、私が
   入る余地は無かったのだが、心の広い日本ふぁんが「今、日本はいないから」と言って席を譲ってく下
   さった。しかも、目の悪い私に代わって、「選手の方がこちらに向かって手を振っていますよ」と教えて
   下さった。本当に感謝しております・・・。(その後コンタクトを即購入(笑))

   また、とても嫌なこともあった。某雑誌で、この試合中韓国を応援している日本人をみかけ、「愛国心は
   ないのか!」と投稿していたのだ。私は怒りに狂った。この人は何も知らない。私がどれだけ韓国に、
   炳善に様々な事を教えてもらったかを。どれだけ韓国をびょんをんを愛しているのかを・・・。
   私が日本人だから・・・日本を愛さなければならない・・・?私の中でそのことは当然ではなかった。
   余りにも怒り、投稿し返してやった!怒りが通じたのか、載せて頂いた。編集者のコメント「何かを好きに
   なる時は理屈よりも感情。選手を好きになって、そのスポーツを見るようになって、国にも興味を持って。
   そうやって自分の視野や世界を広げていけたら、それはとても素敵なこと。」
とても救われた気がした。
   これを読んだ瞬間スーッと嫌な血が引いて行った。(これを「セイセイシタ」と言うのだと実感。)

   勿論、私はオリンピックに応援に行ける筈もなく、うずうずしながらオリンピックの結果を待っていた。
   10位以内には入ったもののかんばしくない結果だった。「オリンピックに出てメダルを取りたい」と言って
   いた炳善の夢を韓国チームには叶えて欲しかったが、世界の壁は厚かった。次に期待!!!

96年 FIVAワールドスーパーチャレンジ観戦
   
はい・・・わたくし、オリンピックを観戦できなかったイライラから逃れる為、またまた東京まで試合を見に
   行ってしまいました。今回は土日だったので学校はさぼらずきちんと行ってまいりました。
   今回の目標は「しん・じんしく選手にプレゼントを渡す事」だった。どうしてじんしく選手なの?と言われても
   自分でもはっきりとは言えないが、以前仙台での試合で初めてじんしく選手を見た時、「これはすごい
   選手だ!!」と思ったのだ。周りは勿論、日本応援ばかりで韓国ファンらしき人はほとんど見当たらなく、
   その中で韓国を応援するのは少し気が引けてしまうのだ。(負けてる試合ならなおさら・・・)
   だが、じんしく選手は日本の大応援団の中、素晴らしいプレーを見せてくれた。力強いジャンピング
   サーブ!!!スパイク!!あの時会場にいた誰もが彼を素晴らしい選手だと認めていたに違いない。
   彼のジャンプサーブ時には大きなどよめきが起こったほどだった。
   これからの韓国を背負う彼に何故か何かしなければという変な気が起こったのだ。(妙な気ではありません)
   試合後、チャンスは訪れた。ある一角に韓国選手が日本チームの試合を観戦する為にやって来たのだ。
   小心者の私は妹の後ろに隠れ、こそこそと近づいて行った。韓国選手を前にすると何も言えなくなって
   しまった。妹に後押しされてじんしく選手の前にプレゼントを出すのがやっとだった。そうすると彼は
   「ありがとうごじゃいます」と笑顔でお礼をして下さった!あああ〜幸せ〜〜〜>< じんしく選手の
   手のひらは大きくて暖かかった・・・・・・・

97年2度目の渡韓
   
この年は大学受験を控えた、高校3年生になっていた。それと同時に「卒業旅行は韓国へ」と友人Kと
   密かに計画を立てていた。勿論、高校生のお小遣いで外国旅行なんか出きる訳も無く、韓国へ行く為の
   旅費を親が出してくれる訳も無かった。炳善が亡くなった事により、「体育」へ対する関心が大きくなって
   いたので体育大学を志望する進学希望学生だったが、勉強より「韓国旅行」の方が大事になっており、
   高校3年生の冬からバイトを始めた。バイトの合間に勉強をする。そんな感じだった。(ごめんなさい。
   お父さん、お母さん)大学受験に失敗するのではないか、という両親の期待を裏切り(?)無事、合格し
   旅行代も貯める事が出来た。2度目の韓国だ〜〜〜!!!

   3月19日〜31日当時のビザぎりぎりの13泊14日。これも当時になってしまうが、仙台から釜山まで
   行き、そこから友人の家を点々としながらソウルを目指した。
   まず、到着したのは当時仙台空港からまだ出ていた釜山。(今は廃止されなくなりました)
   飛行機で偶然に隣の席になったちょっとケバイお姉ちゃん(おばさん?)と共に楽しい時間を飛行機の
   中で過ごし、私達が随分幼いので心配がられ、無事釜山に到着した。
   一度目の韓国旅行中友人Kが知り合ったお姉さんの家に泊めていただく事になった。
   仙台での友人が春休みの為に帰省していたので、お姉さんが仕事の時は彼らと遊んだ。ただ、
   帰りが遅くてお姉さんに「私との時間も大切にして下さい」みたいなことを言われ、反省・・・ごめんなさい。
   そして、カルチャーショック体験!なんと夜10時にショッピングに行こうと誘われたのだ。
   私達は高校生。しかも、そんな時間に店が開いているのか不思議だった。(仙台の街は10時頃は
   飲み屋のみだし。)でも、本当に洋服屋さん等が昼間より元気に開店していた。韓国でジーパンを
   買いました^^。
   また、悪友達に連れられ初市場体験。釜山で市場デビューを果たした。チャガルチ市場は本当に
   怖かった〜!!外国慣れしていないせいもあって、周りにいる人全員が自分の荷物を狙っている
   ように見えてしまった・・・^^;;。リュックだったけど、怖くて前に下げてたりした。。。
   よくテレビ番組でしているような、店先で「この魚、さしみにしてくださーい」とか、「天ぷらにしてくださーい」
   というのをやった・・・・(やってもらった)。この時初めてお酒を飲まされたが、(韓国では刺身の前に
   酒を飲むのが習慣だ、と言われ信じて飲んでしまった。)まずくて、それからはスポイト1滴も飲めな
   かった。おばちゃんの凄まじい勧誘をゆうゆうと切り抜ける友人もすごいと思った。私なら嫌な顔して
   通り過ぎるだけだろう現場を、彼らは実に楽しんでいた。う〜ん!これぞ韓国!
   次にデビューした市場は国際市場。食料、衣類、雑貨、雑誌、なんでもかんでもある市場だと本で
   読んではいたが、本当に凄かった!迷子にならなかったのが不思議なくらい広い!本物も偽物も
   ごちゃまぜ!(値段の違いで分かる)当時一番好きだったDJ.DOCのアルバムと雑誌を買う。本物の
   雑誌をコピーした雑誌は紙の質はかなり悪いものの、初心者の私にとって安くて嬉しかった。
   とあるページが飛んでいたり、またとあるページは半分なかったりと「いかにも」の雑誌・・・。

   そこから次はジョンジュに向かう。ここでもまた、仙台で知り合った韓国のおねえさんの家に泊めて
   貰う事になった。余談ではあるが、このおねえさんこそ私が初めて知り合った韓国人なのであった。
   ジョンジュは食べ物が美味しいところと聞いていたが、本当だった。釜山で日本では連続で食べない
   ような物を連続して食べていたので、ピーしていたから・・・。(恥)ジョンジュで食べた食べ物はどれも
   これも私のお腹に優しくに接してくれた。
   でも、初体験した床に布団をしいて寝る事はつらかった・・。床は固いのに、布団はぺらぺら・・・
   朝起きたら肩が凝っていた。
   今回のジョンジュ旅行で残念だった事は、おねえさんが妊娠中だったことだ。まだまだ不安定な時期で
   共に遊んで歩く事が出来なかった。その代わりにおねえさんと一緒に住んでいる別のお姉さんが遊んで
   くれた。ある朝目を醒ますと、おねえさんとお姉さんが「キンパプ」を作っていた。これを持って出掛けま
   しょう。と言われ、ハイキングか〜?楽しそう☆と思っていたら、ジョンジュで有名な「馬耳山」に連れて
   行かれ「登山」をした・・・・。ヒールのある靴で、しかも、この韓国旅行の為に新調したお気入りの服を
   着て・・・・(涙)頂上に着いた時、靴も服もどろどろ・・・(涙)だけど、頂上に着いた時は爽やかな汗を
   かいていた。う〜ん!馬耳山って本当に神秘的な山☆