「苦しいときは、伸びるとき」
今日のお昼、NHKであのオリンピック銅メダリスト三屋選手の中学校時代のことをインタビューしていました。三屋選手は、今は大学とかで、バレーを教えているようでした。
三屋選手のご両親がえらいなと思ったのは、三屋選手を特別扱いしないで、家の手伝いをずっとさせておられたことです。(バレーボールの都合で、2、3年だけは、家に帰れなかったそうですが)
三屋選手のご両親は、その町では大きな製麺所をしておられて、三屋選手は、今でも大みそかには年越しそばのお手伝いに帰られるそうです。
中学1年生のとき、バレーを始めたのですが、その頃は、「サインはV」とか「アタックナンバーワン」とかがはやっていて、みんながバレー部に入るのに抵抗感を感じて、初めの内はバトミントン部に入っていたそうです。
先生に勧められる前は、自分の背が高いことにコンプレックスを持っていたようですが、その先生がどう言って勧誘されたのか忘れてしまいましたが、三屋さんのやる気を起こさせて、楽しく入部できたようでした。
なかなかアタックが上手に出来なくて、通学路の道を1(ステップ)、2(ステップ)、3(ジャンプ)と、アタックの練習をしながら何日も通ったそうです。
でも、なかなかうまくならなくて、先輩の試合も台無しにしたこともあったと言っておられました。
上手になられたのは、3年になってからと言っておられましたが、どうやらそのときは、キャプテンをしていたみたいで、階段の上り下り10周が単調で苦しい練習だったのか、ほかにもきびしい練習があったのか、よくわかりませんでしたが、練習がいやで怠けた人に、「1日やらないと取り戻すのに3日かかる。1週間やらないと○ヶ月(?)…」と言っていたそうです。
これは、ピアノとか楽器を習っている人にもよく言われる言葉ですよね。
この言葉からもきっと練習熱心だったと想像できるのですが、それを快く思わない人もいたみたいで、三屋選手には直接言わないで、セッター対角の人に文句を言わせていたみたいで、三屋選手とそのセッター対角の人はよくけんかしたそうです。
けれど、三屋選手は、中学時代は、頭も体もいちばんよく使って、バレーがいちばん楽しかったそうです。
それからは、毎日ごはんを食べるのと同じで、克服すべき課題だったと言っておられました。
この言葉は、すごく重みのある言葉だと思います。
それと、三屋さんがモットーにしていた言葉かなと思いますが、三屋選手の通っていた学校には、三屋選手がオリンピックで活躍した写真のパネルがあって、その下に「苦しいときは、伸びるとき」という言葉が書かれていました。
| ◎三屋さんの講演の感想に先立ちまして、三屋さんのテレビ放送の感想を書きます。 三屋さんのことや三屋さんの講演をより理解しやすいかと考えるからです。 |
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