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レース回顧 −その1− その1|その2|その3| その4|その5 |
| ライアン、デビューする
(1989年7月9日 函館 1200M)
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| 1989年夏。北海道は函館の競馬場で、一頭のサラブレッドがデビューしたそうな。・・・したそうな。というのは、私がこの当時競馬を見ていなかったからである。当時のスターホース、オグリキャップの名前も知らなかった。いや、それ以前に「競馬」とはどういうもので、いつどこで行われているのかも知らなかった。以下は、そんな私がやがてライアンと出逢い、青春をかけるに至った約3年間のドキュメントである(?)。 |
| 2戦目、1番人気も・・・
(1989年7月22日 函館 1200M)
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さて、デビュー戦で2着となったライアンは中一週で2戦目に挑み、単勝1番人気に押される。が、結果は6着。メジロライアンといえば横山典弘だが、この函館での最初の2戦に乗っていたのは柏崎正次騎手。柏崎騎手といえば、他にはあれですよ。うーん・・・。 ・・・ケープポイントしか思い出せない。ごめん、柏崎さん。 |
| 3ヶ月休養、京都の未勝利戦
(1989年10月29日 京都 1400M)
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新馬戦に勝てず、そのままソエで休養したライアン。3戦目の舞台は、秋の京都になりました。はんなりとな(すいません。京都のことよく知らないもので・・・)。翌々週のエリザベス女王杯にメジロモントレーの出走を控えた奥平厩舎は、京都に遠征していた模様。クイーンSを勝ち(鞍上は柴田政人)、春に引き続き関東のエースとして西下したモントレーに対し、関西では桜花賞馬「ユタカの恋人」シャダイカグラがローズSで復帰と、秋の4歳牝馬戦線も盛り上がりつつあった。そしてこの日、東京競馬場ではスーパークリークと武豊が記念すべき第100回の天皇賞を制覇。ほぼ同じ時刻、京都メインレース(スワンS)は安田記念馬・バンブーメモリーが優勝。天皇賞からマイルCSに参戦するオグリキャップとの対決に名乗りを上げていた・・・・・ こんな、こんな、競馬界がとんでもなく熱い秋を迎えている時に、私はいまだ競馬に手を染めていなかったのだ。一体何をやっていたんでしょうか。 ・・・高校受験生をやっていました。 土曜は学校と部活。さらに日曜は終日塾にいたため、競馬中継を目にすることはついぞなかったわけである。さらに家族や親類は、誰も競馬をやらない(ということには後で気付く)。だがこの翌週、家族の留守に塾をさぼった私は、偶然にもひとりで「スーパー競馬」を見ることになる。 |
| ライアン、初勝利!
(1989年11月18日 東京 1600M)
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空前の盛り上がりを見せた1989年の秋競馬。その序盤戦は見逃した私だったが、11月5日。「スーパー競馬・第50回菊花賞」を目にした瞬間から、ずるずると競馬道に迷い込む。それまで競馬はギャンブルだということしか知らなかったため、真っ昼間にテレビ中継されている(しかもNHKまでが)のを知った時はちょっと衝撃だった。・・・が。なんだかわからないけど、これが面白そうなのだ。というわけで後ろめたさより好奇心が勝利し、私は翌日から「競馬」の猛勉強を始めることになる。この時の勝馬はバンブービギンだが、その後レースに姿を現すことはなく、はかない縁であった・・・。が、私に競馬にはまるきっかけを与えてくれた、想い出の馬である。 そして翌週。6日間の間に入手した「優駿」89年11月号を熟読した私は、エリザベス女王杯を録画予約するほどの熱心なファンと化していた。なんにしても、熱を上げるときというのは急速なものよ。ただ、まだ馬券の仕組みには無知であったため、単勝43,060円の驚きを共有できなかったのは残念だが。さらに翌週はマイルCS。バンブーとオグリのゴール前のデッドヒート。いや、しびれた。あの面白い時期だったからこそ、競馬にのめり込んでいったのかもしれない、と思う。 で、メジロライアンはどうなったのかというと。京都の未勝利戦を3着に終わった後、このマイルCSの前日の東京競馬場、メインは霜月Sという地味〜な日の未勝利戦にて、ついに初勝利を上げている。が「クラシック候補」として注目を集めるのは、いま少し先のことになる。 |
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