私と競馬(2001.06.13)

 私が初めて競馬というものを見たのは、競馬史上最高の人気馬ハイセイコーが引退した直後の昭和50年1月のことである。小学校から帰った時に、兄がサンテレビ(関西ローカルのU局)で競馬中継を見ていたのを横からのぞきこんだのである。その日のメインレースはシンザン記念で勝ち馬は後の天皇賞・宝塚記念馬エリモジョージだったということを今でも覚えている。以来26年以上の間、一時殆ど見なかった時期もあったが、競馬と付き合っている。

 私の競馬歴の中で、最も印象に残っている馬はテンポイントである。因縁の血脈、美しい栗毛の馬体、3歳時の鮮烈なデビューと連勝、宿命のライバルトウショウボーイの登場とクラシックレースでの挫折・骨折・復活、5歳になってからの頂点への飛躍、そして競走中止による悲劇的最後・・・彼の競走生活には競馬のロマン・面白さと厳しさが全て詰まっていたように思う。そして、彼との出会いがなければこうまで競馬にのめり込むこともなく、一つのギャンブルとして接してきたのではないだろうか。

 競馬はギャンブルである。そして競馬が一種の動物虐待であることもわかっている。けれども、神にならんとした人間が生み出したサラブレッドが懸命に走る姿は、私の目に美しいと映り、心を捉えるのである。これからも幾多の名馬が私の前を駆けぬけるだろう。私はその馬達の姿を心に刻みながら競馬に接していこうと思う。



追悼 エルコンドルパサー(2002.07.17)

エルコンドルパサーと私の出会いは、「ダービーを一生遊ぶ」(懐かしい)誌上POGでした。サドラーズギャルの95として小さく載っていた馬体写真に惹かれて指名したことが本当に懐かしく思い出されます。そうです、私がPOGで指名した初のG1ホースがこのエルコンドルパサーです。

この馬が4歳(旧年齢表記)のころ、私が一番贔屓にしていたのはサイレンススズカでした。そして、この2頭が対決した最初で最後のレース(グラスワンダーもいましたね)である毎日王冠は、サイレンススズカに軍配が上がりましたが、このレースを見て「エルコンドルパサーも化け物だな。来年になったら凄い馬になるぞ」と確信しました。サイレンススズカはその直後の天皇賞でこの世を去り、エルコンドルパサーはエアグルーヴ・スペシャルウィークを退けジャパンカップを制したことから、必然的に私の注目はこのエルコンドルパサー1点に注がれることになりました。翌年の海外遠征では、サンクルー大賞典の強さが際立っていました。当時の欧州の古馬トップクラスが集ったこの一戦で圧勝した強さは、まさに当時の「世界最強グラスホース」だったと言えるものでした。残念ながら凱旋門賞は泥んこ馬場と斤量差からモンジューに敗れましたが、本当に感動できる一戦で、レース後暫く放心したように動けなかったことが昨日のように思い出されます。

エルコンドルパサーは、自分の競馬歴の中で出会った数々の名馬の中でも最強馬だと思っています。種牡馬として成功するかどうかを見届ける前にこの世を去ったことは、失敗して競走成績の評価まで落すより、ある意味幸福だったのかもしれません。私の中では、史上最強競走馬「エルコンドルパサー」として、永遠に行きつづけるのですから。合掌。


さよなら河内洋騎手(2003.02.25)

河内洋騎手は私が競馬を見始めた前年の1974年デビューです。同期には今も現役の村本騎手がいました。

河内騎手の戦歴と言えば「アグネス」なしには語れません。アグネスレディーのオークス、アグネスフローラの桜花賞、アグネスフライトのダービー、アグネスタキオンの皐月賞というアグネスレディー一族との宿縁です。特に、アグネスフライトのダービーは、エアシャカールに激突されながらも勝利への執念を感じる追いっぷりで、非常に感動したことが今でも忘れられません。

弟弟子の武豊騎手や若手の上位騎手のような決してスマートな騎乗スタイルというわけではない河内騎手ですが、ゴール前での勝利への執念・追い振りはすさまじく、これこそが河内洋の真骨頂であったと思います。この執念はゴール前で手綱を緩めてしまうことが多い今の若い騎手にはないもので、「河内のおっさんが追って負けたのなら仕方が無い。」と馬券を持っているファンとしても納得できる数少ない騎手でした。

私の競馬歴とほぼ同じ期間を騎手として活躍した河内騎手のことはいつまでも忘れないでしょう。そして、調教師河内洋としての成功を願って止みません。さよなら、そしてありがとう河内騎手。