『Mezzanotte』は街道沿いのレストランで、店内は細長い。
入り口の前には車があふれ、アルコールを扱ってもいないくせに入り口すぐに設置してあるウェイティングバーはNJ人の社交場と化してがやがやとしていた。
予約など、とっくに無視してテーブルを埋めてしまうのは、悪魔の店としては朝飯前のことだったのだろう。 3人はしばし、持参したワインをあけてテーブルが空くのを待たなければならなかった。

成金的有名人ともなると、なにかにかこつけて金を使わせようと言い寄ってくる輩が後を断たないものだ。
かつてフェドロフが絵の購入を勧められるが、自分は見るだけで充分だといっていた記事があった。
店内は奥まった窓側のテーブルについたポートは、壁にかかるリトグラフを見やりながら思った。
<ダニコはまんまと買わされた口かも知れない。>

コンスタンチーヌの頼んだエスカルゴは既成概念を覆す姿をしていた。
ガーリックトーストの上に転がっているのはつぼ焼き風のそれではなく、 黒々とした剥き身だった。
悪魔は食べ方の面倒なメニューは作らない。
隣のテーブルに搬入されてきた巨大な肉塊を見れば予期はできたが、薄く繊細に火を通された子牛肉と思ってオーダーしたヴィールは、明らかにやはりごろりとした肉塊だった。
<悪魔のメニューに繊細の文字はないってことか。>

キットにオーダーしたパスタボロネーゼには、南米料理に使われる唐辛子が親指第一関節までほどの大きさで大量に投入されていた。イタリアの食文化が南米化したのか、もしくは…deviledという形容詞は辛く味付けをした、という意味だから、場違いなところに親爺ギャグ的にダニコが独断でアレンジしただけのことかもしれない。
海老のラビオリはイカ墨で真っ黒に着色されたピンクッションがクリームソースを敷いた皿にのっているというもので、肉塊のあとでは多少なりとも繊細に感じられるかもしれない、がそれも量による。笑点ではないのだから座布団もおおければいいというものではないのだ。

可哀相に、キットがまともに口にできたのはオレンジジュースと食前に出されたパンだけだった。
それでも本人はホイップされたバターをパンに塗りつけることに熱中し、ショートケーキができた、とご満悦だったから、ポートは一食くらいの栄養がどうのこうのと、みみっちいことにはこだわらなかった。

コンスタンチーヌの見繕ったワインは赤も白も空けてしまった。
混んでいるときはあんなに緩慢な動きしかみせなかった巨体ウェイターは、最後の客を追い出して早く家路に着こうと、足しげくテーブルにやってきた。 しかし、サービスすべきは客ではない。ウェイターが何度こようとも、 3人が動じることはなかった。

「自分で探してちょうだい」
クロークの女性は、タクシー会社一本に振られると電話帳を差し出して、 その場を離れた。
ウェイティングバーでは既に今夜の売上計算が始まっていた。

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