|
ジョーダンがバスケを始めた理由は、「きっと女の子にもてるだろう」と思ったからである。
小学5、6年生のとき、通学のスクールバスの中でであった少女アンジェラ・ウエストに恋をし、
彼女の1つ前の停留所から乗るマイケルは、必ず隣の席を彼女のためにとっておいたが、
彼女はいつも友達と一緒に座ってしまい、結局アンジェラに思いは届かなかった。
しかし、その分マイケルはバスケに熱中した。
毎日のように兄ラリーと家の裏庭で1対1をやるようになった。
しかし、いつもラリーが勝ち、マイケルは悔しがった。
父ジェームズはそのときマイケルの闘争心が養われたのだろうといっている。
ブルズに復帰したジョーダンがつけた背番号45は、
高校時代にプレイヤーとして活躍した兄ラリーの背番号だ。
そしてブルズの永久欠番となった引退前の23番は、兄のラリーの半分でもうまくなりたいと
願ってつけたナンバーだ。彼は今は198cmあるが、中2の時は172cmしかなかった。
しかし、中2でダンクができるようになった。そして、いろんなことをして背を伸ばす努力をした。
しかし、高2になっても180cmで、高校代表チームに選ばれ活躍をしたが、
ノースカロライナ大に進む時は自信がなく、
「4年問控え選手をして故郷のガソリンスタンドで働くと思っていたよ」と彼はいう。
ノースカロライナ大でバスケをして1982年3月24日、ジョーダンのノースカロライナ大は、
パトリック・ユーイングのジョージタウン大とNCAA決勝で対決。
後半のこり32秒で62対61でジョージタウンがリード。タイムアウトがとられ、
ルーキーのジョーダンにボールを集めろと指示し、ジヤンプショットを決め、
ノースカロライナ大は全米制覇し、ジョーダンは一躍有名になった。
翌年もチヤンピオンシップになりジョーダンはMVPに輝いた。
1984年シカゴ・ブルズに1位指名され、
その年彼はロサンゼルスオリンピックチームのキヤプテンとなり、金メダルを持ち帰った。
1985年ブルズに入団。82試合全試合出場し、1試合平均28、2点をあげ、
華々しいデビューを飾った。
1987年には平均37、1点を記録。1993年まで7年間、連続して得点王になった。
1991-93年ブルズは3年連続NBAチヤンピオンになり、90年、91 年にMVPを受賞。
92年にドリームチームの一員として2個目の金メダル獲得。
94年に引退して、メジヤーリーグ・ホワイトソックスに入団。95年3月ジョーダン はブルズに復帰。
現在にいたる。
|