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理想を見つつ 現実を離れず しかも現実を一歩ずつ向上させねばならぬ
永遠を仰ぎつつ 現在を離れず しかも現在を一歩ずつ向上させねばならぬ
あせってはいけない
油断をしてはいけない
突破!突破!
全てに現状を突破して 一路向上すべし
夢や希望は叶うものではない
夢や希望は叶えるものである
奇跡は起こるものではなく
奇跡は起こすものである。
自分に厳しくすれば、困難なことが易しくなり、
自分を甘やかせば、容易なことが難しくなる。
成功とは、決して失敗しないことではない。
同じ失敗を繰り返さないことである。
自分から逃げていては、決して道は開けない。
練習しても、うまくなるとは限らない。
しかし、練習しなければ絶対にうまくならない。
「学ぶ姿勢」がなければ、得る物は一つもない。
生きることは、学ぶこと
学ぶことは、考えること
考えることは、工夫すること
工夫することは、努力すること
努力することは、継続すること
力を抜いて、力が出せる人間になりなさい。
「強い人」というのは、無理を超えたところで何かができ、それを楽しめる人。「無
理」という壁を超えなければ、強くなれない。無理とは常識のこと。自分の決めたワ
ク・限界。本来の限界ではない。「無理」だという心のとらわれを超えることが大切。
自分が自由に生きるためには、勝手は許されない。自由に生きることは、自分の
自由な言動への責任が伴う。
自分を律すること、日常生活のあらゆる事に負けないことが、勝ちにつながる。挨
拶をする、時間を守る、約束を守る、といった日常の生活態度をいい加減にして、
試合だけ勝とうとするのは甘いということだ。
一生懸命やって失敗したら失敗したでいい。一生懸命やったということは、決して
無駄ではないのだから。
緊張したっていい、失敗したっていい、一生懸命に。
優勝しようとか、タイトルをとろうとか、そういう前提に立ったら、人間は甘くなる。ひ
とことで言えば、「途中経過の強さ」が求められるべきなのだ。その時その時の強
さを身につけなくてはならない。ただその日その日にやらなければならないこと、や
るべき事をやればいい。心を込めて、その時、その日を生きること。今を生きるこ
と。それだけでいい。そうすることで自然に力が付いて、目的達成につながるもの
だ。
それが「勝つために」などという目標があったとすれば、私欲が入り込む。私欲が
入れば「心を込める」ということが難しくなる。冷静な判断力を発揮することも難しく
なる。「〜のために」と思えば思うほど、勝つことを意識すればするほど、苦しさは
増してくるものだ。ただ勝つことなど意識せず、日々のやるべき事に心を尽くすだ
けであれば、心理的葛藤、苦しみなど存在しない。授業を真面目に受ける、宿題を
一生懸命する、掃除を心込めてする、手伝いをする、心を込めて挨拶するとか、そ
の連続でもって心を強くしていくことが、勝負に強い心を育んでくれる。積極性や勇
気もそうすることで、次第に身に付いていく。「〜のために」となると、「〜のために」
なること以外の日常生活などのことは、適当にやることになってしまう。日常生活を
いい加減に生きる者に、勝利の女神は微笑まない。
心を強くするためには、日常生活の中で、面倒くさいことから逃げないで、自分を
律することを心掛ければそれでいい。そういう日々の積み重ねが、心を強くしてくれ
る。
頂点を極めたいというのは、スポーツ選手として究極の自己実現をしたいというこ
とだ。
能力がない、素質がないことは責めない。なぜならば、素質がないのはその人の
責任ではないからだ。しかし責められるべきは、努力しないことに対してである。努
力しないことは、努力しない者に責任がある。
人間の楽しさのうち、「自己実現」に勝る楽しさはない。努力も汗も、苦労も苦痛
も、それがあればこそ耐えることができる。「勝つこと」と「楽しむこと」、その両者を
目指して選手は汗を流し、闘うものだ。
やる気のない者が、勝者になることはあり得ない。
勝つ事への意欲にも差がある。より強い選手になって頂点を極めるには、多大な
プレッシャーがかかる。それが闘う選手の感じる楽しさの中身だ。その感じを楽し
める選手は、いずれ頂点を極めるはずだ。それこそがスポーツ選手としての自己
実現に他ならないからである。
人はどんな仕方であれ、自己実現を目指している。何かに賭けて自分を高めたい
と思っている。その思いの強い者ほど、自己実現への距離は近いだろう。問題は
「楽しい」か「勝つ」かという二者択一ではないのだ。「楽しい」と「勝つ」は、分離され
るものではなく、シーソーゲームのように、選手を自己実現に向けて押し上げていく
ための両輪なのである。
頑張ればそれでいいという気持ちは、あれだけ頑張ったのに何故だめなのかとい
う自問自答する気持ちに比べれば、迫力に欠ける。「頑張ること」と「執着心」は違
う。頑張ったからいいじゃないかといって執着心から解放させてしまうのと、頑張っ
たのに何故だめなのかとこだわる気持ちでは、後々雲泥の差となって現れる。や
るべき事はすべてやって、後は運を待つという気持ちの方が、紙一重先をいってい
るように思う。
試合は勝つことを目指し、また勝たなければならないが、勝つことよりももっと大切
なものがある。スポーツでずっと勝ち続ける人はいない。誰でも負けることがある。
ならば、負けたときの矜持(きょうじ 自分の能力を信じて誇ること、プライド)こそ
が、本当に大切ではないだろうか。おそらく人生というのは、その瞬間にこそその
人の生きざまとか高潔さが、試されているような気がする。真の強者は、負けたと
きもなお強者である。
理想の集団
1.心から気持ちよく挨拶できる集団
2.心から人を愛し、愛される集団
3.心から人と語り、話し合える集団
4.心から素直に、人の話を聞く耳を持つ集団
5.心から誠実に行動し、人に尽くせる集団
6.心から相手の立場を理解しようとする集団
7.心から計画を立て、実行に移せる集団
8.心からすべてのものに感謝できる集団
必勝五箇条
1.必勝の信念を持て
勝利は信念の強さで決まる
2.団結せよ
チームワークの根本は、信頼と感謝である
3.常、今に全力を尽くせ
明日を待つ者は、勝利者とは、なり得ない
4.己に勝てずして、人を制することはできない
5.失敗をおそれるな
失敗して発憤する者が、最後の勝利者となる
人生とは、毎日が訓練の場である
私自身の訓練の場である
失敗もできる訓練の場である
生きていることを喜ぶ訓練の場である
今、この幸せを喜ぶこともなく、
いつ、どこで幸せになれるか
この喜びをもとに、全力で進めよう
私自身の将来は、今、この瞬間にある
今、ここで頑張らずに、いつ頑張る!
「優勝」
それは、あらゆる条件を満たす力を備えていかなければ成し得ない難しい事なの
だ
選手と控えの部員、みんなの気持ちが勝利へ、勝利へ、ひたむきな願いと自信、
その一つに徹しきれた時、初めて和というものができ、チームのまとまった力が発
揮されるものである
中に一人でも、俺は試合にでないのだからどうでもいいのだと思う者がいたとした
ら、その試合にはおそらく勝てないだろう
今日の我に欠けていたものは、「チームの和」
自 戒
つらいことが多いのは、自分のことしかわからないからだ
苦しいことが多いのは、自分に甘えがあるからだ
悲しいことが多いのは、感謝を知らないからだ
心配することが多いのは、今を懸命に生きていないからだ
行き詰まりが多いのは、自分が裸になれないからだ
勝者の条件(真の勝者とは)
一、意欲(欲求・願望)は成功への原動力
飽くなき向上心と競争心、そして勝利への強い意欲を持て
二、自ら行動を起こせ(積極性)
三、強い意志は意欲を生み、勝利を生む
四、自らの行動に全責任を持て
五、多くの人の協力、声援、仲間に感謝せよ
六、自分の可能性に自信を持て
七、自己をコントロールする能力を持て
八、不撓不屈の精神を持て
九、指導者を尊敬し、その教えを尊重せよ
十、高い人格を持て
十一、仲間を信じ、親を信じ、先生を信じ、そして自分を信じる心を持て
我々の中には失敗を避けたいという気持ちはある。
しかし、避けなければならないのは失敗ではない。
まさに「失敗を避けたい」という気持ち自身を避けなければならないのだ。
敗れることは決して惨めなことではない。
惨めなのは、精魂の限りを尽くして敗れた敗れ方ではなく、努力なくして敗れたとき
なのだ
発憤しなければ十分な努力はできない
それがなければまた十分な成功も得られない
失敗し、発憤し、努力し、
それが成功への第一歩となるのだ
一度の失敗で意気消沈しては
一生何事も成さずに終わってしまうものなのだ
我々は現在だけを堪え忍べばよい
過去にも未来にも苦しむ必要はない
過去はもう存在しないし、未来はまだ存在していないのだから
大切なことは 何を堪え忍んだかではなく いかに堪え忍んだかである
知ることではなく学びとることが、
所有することではなく獲得することが、
そこにいることではなくそこに到達することが、
最も大きな楽しみを与えてくれる
思うに人生とは、負けの連続ではないだろうか
時に勝利を収めたとしても、いつまでも栄光の座にばかりいるわけにはいかない
やがて敗北が待ち構えているものだ
大切なのは負けてもそれにくじけずに、また頑張ることだ
叩きのめされてもまた立ち上がって戦いに向かっていく、その努力と勇気だ
楽しむということが、なぜ意欲を持つのに必要なのか?
楽しんでいるときは自分のしていることに打ち込んでいる
逆に楽しくないと思うと、身が入らず全力投球できない
楽しくないと思うことに対しては、真剣に取り組めない
しかし楽しくない、おもしろくないと思えても、やるべきことはたくさんある
どうせやるなら楽しんでやることだ
楽しむことにより、自分のしていることに価値を見いだす
そして自分の行動に意味を見いだせば、意欲が生まれそこから
さらに新たな楽しみが生み出される
楽しむというのは、おもしろおかしくという意味ではない
自分を高め、可能性を広げていく努力の中に見いだされる
自分には自分に与えられた道がある。
天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、他の人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。
広い時もある。せまい時もある。登りもあれば下りもある。
淡々としたときもあれば、かき分けかき分け汗する時もある。
この道が果たして良いのか悪いのか、思案に余る時もあろう。
慰めを求めたくなる時もあろう。
やめたい時も、にげたい時もあろう。
しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
あきらめろと言うのではない。
いま立っているこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。
自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。
他人の道に心を奪われ、思案に暮れて立ちすくんでいても、道は少しも開けない。
道を開くためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
それが例え遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道が開けて
くる。
深い喜びも生まれてくる。
自信というものは、実践の中で成功体験を積み上げていくことから生まれるもので
あり、
それは基礎力に裏打ちされている
基礎がしっかりしていなければ、大きな成功は得られない
基礎練習は、やってやり過ぎることはない
自信は繰り返し基礎を反復させることによって生まれる
目標のない人生は寂しい、また空しいものである
達成困難な目標を前にすると、不安とおそれを生じるのは、人の常である
自分の力では少々困難と思えるような目標を立てて、知恵を出し、努力し、挑戦し
てやり遂げたとき、人間は、自分が生きている素晴らしさを実感する事ができる
結果はどうあれ、決して無駄には終わらない
目標のないところには、
前進も勝利も希望もない
常に現在の目標を明確にして、
ひたすら果敢に、それに挑戦していきたいものである
不満を重ねて成功した人はいない
原因は、常に自分にある
自分が変わらなければ周囲は変わらない
出来ない事としない事を混同してはならない
生きがいを知ってこの世に生まれた人は一人もいない
では生きがいはどこから生まれるのか
それは自分の生き方から学ぶのである
一生懸命に生きている人には充実した人生が与えられる
惰性で生きている人には人生の不平不満しか生まれてこない
確信のある人生とは続けることから生まれる
何をしているかではなく何を続けているのかが大切なのである
一里の道を歩む人
十里の道を歩む人
百里の道を歩む人
人には人それぞれの目標がある
人には人それぞれの能力がある
しかし、大切なことはそれぞれの目標によって第一歩の踏み出しが違うのだ
それぞれの決意によって第一歩の燃え方が違うのだ
一里を歩んでたたずむ人がいる
一里を歩んで力を付ける人がいる
二里を歩んで休む人がいる
二里を歩んで汗の充実に感動する人がいる
三里に向かって足の動かない人がいる
三里に向かって燃え出そうとする人がいる
続けるには、常に第一歩から始める
若々しい勇気と希望を持つことである
続けてこそ道なのである
続いてこそ光なのである
切磋琢磨とは、仲間同士がお互いに戒め合い、励まし合い、競い合って向上して
いく様である
人間は競争心を駆り立てられると、負けてたまるかと意欲を刺激され、練習の苦し
さに耐えて努力するので、ぐんぐん進歩する
競争心は人間を限界にまで挑戦させ、成長させるエネルギー源である
自分を苦しめるライバルを作れ!
もう一人の自分に勝ちたい。
自分が想像した姿
それは明日の自分の姿だ
将来の自分の姿を想像することが出来たら具体的な課題も浮かんでくる
自分が本当にそうなると信じることが出来たらそこに必ず行ける
心のスイッチ
人の目は不思議な目
見ようという心がなかったら見ていても見えない
人の耳は不思議な耳
聞こうという心がなかったら聞いていても聞こえない
人の話を同じように聞いていても、
ちっとも聞こえない人もあれば
本当にそうだ!と心の底まで聞く人もある
毎日ぐんぐん進歩する人もある
今まで目立たなかった人でも、
心のスイッチが入ると
急に素晴らしい人にもなる
心のスイッチが、
人をつまらなくも素晴らしくもしていくのだ
電灯のスイッチが
家の中を明るくもし、暗くもするように
夢のある者には希望がある
希望のある者には目標がある
目標のある者には計画がある
計画のある者には行動がある
行動のある者には実績がある
実績のある者には反省がある
反省のある者には進歩がある
進歩のある者には夢がある
一技万錬
スポーツでも何でも、一つの技術を身につけようと思ったら、同じ練習を少なくとも
一万回以上するといい
天才的な能力の持ち主は別として、普通の人でも一万回以上練習を繰り返せば、
まず日本一になれる
しかし一万回と一口に言っても、大変な数である
よほどの覚悟と忍耐力が無くては、根気が続かないのではないか
とは言え、遙か彼方にあるゴールであっても、一万回という具体的な目標が与えら
れると、勇気が湧いてくるのではないだろうか
この世に努力に勝る天才など存在しない!
大事を成すには、坂道で車を押す心構えがなければならぬ
いったん押し始めたら、腕が折れようと足が萎えようと、
息もつかずに押しまくらなければ
車はかえって我が身の上にのしかかってくるものだ
敗北とは、行動の結果ではない
何か目的に向かって、一生懸命に努力していこうとする姿勢があるかどうかである
はじめから結果を否定的に予測し、成功や勝利を期待せず、あきらめてしまい、
行動しない態度を敗北という
全力を尽くして生きようとする姿勢のない者は、敗北者である
わたしはただの一度も失敗したことがない
失敗したところでやめるから、失敗になる
成功するまでやり抜いたら、失敗は失敗でなくなる
人からやらされているのは、練習ではない
自分からやっているのが練習だ
自分の意志の伴わないのは、練習ではない
大事なのはイマジネーション(想像力)を持つこと
こうなりたい、ああなりたいという目標があるから練習できる
イマジネーションがなければ、頑張りようがない
目標を持って練習を重ねれば、イメージがより鮮明になり、現実に近づいてくる
「もうだめだ」と思ったときから、本当の辛抱が始まる
運命の中に偶然はない
人間は、ある運命に出会う以前に
自分がそれをつくっているのだ
人間は一人では何もできない
しかし、まず誰かが始めなければならない
「人を育てる」という意志だけがあっても、人は育たない
育てたいという気持ちと、育とうという意志が、うまく絡み合ったときに、人は初めて
成長するのである
そこには、育とうとする側の欲と努力が不可欠である
その努力が強制された努力、義務的な努力などをしているうちは、本物ではない
ツキの無い者が、大事を成し遂げたためしがない
ツキは単なる幸運や心の持ち方ではない
常に「何が何でもやって見せるぞ」という気迫を失わず、
そのための小さな努力を積み重ねる者に、微笑むものだ
何気なく見上げた夜空に、流れ星が一つスーッと走る
その瞬間に願い事を念じるとかなうという
しかし私たちは、「アッ」と思う間にこのチャンスを逃してしまう
しかし、ある人たちは違う
彼らは常日頃から、前向きの姿勢で生きている
明快で、具体的な目標を持っている
それを自力で達成しようといつも考え、努力を続けている
だから何年に一度あるか無いかのこの好機に、すかさず願い事をとなえる幸運を
得る
人生の勝負強さを発揮する人たちの秘密は、そんなところにある
勝ち続けるためのセオリーというものがあるとすれば、それは地道な練習、
なおかつ勝つための基本練習をどれだけやりおおせたかという以外にはない
スポーツを見る時に「自分ならどうするか」と常に問いかけていれば、
必ずスポーツの中から重大なヒントを得られるものである
限界のないものに挑戦する以上、その挑戦も当然限界がない
我々は限りある身ではあるけれども、誰でも限りないものに挑戦する自由をもって
いる
それを自ら放棄してはならない
悩むときは精一杯悩むがいい
苦しむときは力一杯苦しむがいい
自分が置かれている場・時に精一杯の生き方をするなら、
自分を完全燃焼した上での結果なら
後になってそれがプラスになって還ってくる
しかるにそれを中途半端でやめるから、
失敗は失敗で終わってしまうのだ
「志」を持つということは、「理想と目標と実践」を明らかにすることである
実行の裏付けのない言葉には意味がない
勇気とは、天性のものではない
臆病者が自分自身を錬り、言い聞かせ、知恵を持って自らを鼓舞することによっ
て、かろうじて得られるものであり、いわば、後天的なものである
成長する人は、下の人から学ぶことを知っている
私は勝ちたいと思っている選手に興味はありません
興味があるのは、勝つための準備をしている選手です
練習さえすれば完璧になるのではなく、完璧な練習のみが完璧さに近づく唯一の
方法である
「知・学・慣・等・越」
まず、知ること。相手を知り、自分を知る。次にそこから学ぶ。そして、その状態が
当たり前であるかのように、相手にも慣れ、自分も高いレベルを保つ。それは、繰
り返し繰り返し、忍耐のいる作業を克服して慣れになる。こうして、相手と等しい状
態になって、初めて対等にライバルとして、戦えるのである。最後は勝負。一線を
越えることによって、初めて相手を越え、自分自身も飛躍することができるというこ
とである。
一流と二流の差がなんであるかと考えると、それは辛抱できるか、できないかとい
うことだ
一流、二流の差というと、もって生まれた能力の差と考えがちだがこれは違う
能力に大きな差はない
差があるのは、超一流と言われるほんの一握りの人々だ
心から感動できる人間は本物だ
何かに感動できるというのは、理屈ではない
人は他人が認めてくれて初めて、自分が存在するように思うことが多いが、本当は
他人が認めようと認めまいと、自分で自分の存在を認めることから始めるべきで
はなかろうか。天からいただいた「いのち」の無限の可能性を認める、そのことを
自分で認めないで、他人が認めるわけはないと思う。まず、そこに目覚めなければ
いけない。「先生が悪い」、「上役が悪い」、「他人が悪い」と他を怨んでも問題は少
しも解決はしない。問題の原因を他に求めている限り、自分に目を向けない限り、
解決は決してない。
友を高めることが出来ない者は、自分を高めることは出来ない
悲しみや苦しみを知らない人はいない
しかし、自分をどう慰めてみても、自分の淋しさをいやしてくれるものは、生まれて
こない
失敗の無い人はいない
落ちて落ちないことだ
苦しいことは誰だって逃げたい
だが逃げれば逃げるほど、苦しみは追いかけてくる
それが苦しみの正体である
いっそ苦しみの中に飛び込んでいったら
苦しみは人生のどん底であたたかく抱き留めてくれるのである
いたらない私は
「一生失敗 一生感謝」
であることが心にしみる
逃げられない恵みがあるからだ
凡人だもの、泣きたかったら泣こう
でも涙だけは、よごさないでおこうよ
慰められるよりも、慰める人に、生まれ変われるために
見えないところに心を配り、見えないとこに努力をすることが大切なのだ
その知らないところで努力していることを、みんな見ている
自己の能力を未来進行形で捉えよ
誰でも、現在自分の持っている能力を考えて、今、何が出来て何が出来ないかと
いうことは判断できる
しかし、新しいことを成し遂げようとするとき、それだけでは不十分である
現時点ではとうてい実現不可能だと思えることを、
何とか成し遂げようとする努力からのみ、
驚くような成果が生み出される
自己の能力に見極めをつけ、その範囲で生きていく人生を否定することはできな
い
だが、それは少なくとも挑戦する人生とはいえないだろう
そして挑戦なき人生は、その人に大きな驚き、あるいは喜びも、結局は与えてくれ
ない
心の力は、肉体の力を左右する
心がダメだと思った瞬間に、肉体の力はスルリと抜けてしまう
反対に不屈の精神で、何がなんでもやるぞと思ったとき、
限界だと思えた肉体に、不思議な力が湧くものだ
生きることは、学ぶこと
学ぶことは、考えること
考えることは、工夫すること
工夫することは、努力すること
努力することは、継続すること
叱られているうちこそ花と思え
人間は他から小言をいわれなく
なったらもうおしまいだ
陰で笑われているのだぞ
達成感は、新たな自信と新たな夢を生み出す創造力である
達成感は、努力した者だけが享受できる感動である
人は誰しも自分自身の能力に対して多少の疑いを持つ。そのことが人を謙虚にさ
せてもいるが、一方では自分が成すべき事をしない体のいい口実にも使われてい
る。才能が足りぬ、実力が足りぬというような評価は、何かをした後の結果に対し
て下されるものであって、物事をはじめる前から云々すべきことではない。またそう
した評価は、他人が勝手にすることで、自分から言い出すことでもない。人はた
だ、自分の成すべき事に黙って着手すべきなのである。
成功は結果であって目的ではない。かりに目標に達し得ずして生涯を終えたとして
も、その努力の本質は成功者のそれと、変わるところはないはずである。志を抱い
て、日々よく自分の生を生きる者には、成功の二文字すら何の意味もなくなってく
るにちがいない。
決断も大事だが、途中で放り出さないことはもっと大事である。抵抗が大きくて押し
戻されることがあっても、前進をあきらめない限り志は続いている。目に見える成
果が無くとも問題ではない。本人が負けを認めない限り、負けはないのである。
勝利者は、決して途中であきらめない
成功とは決して失敗しないことではない。同じ失敗を繰り返さないことである。
人間が賢くなるのは経験によるのではなく、経験に対処する能力に応じてである。
経験は生かされなければ、何の意味もない
すべての人が失敗から何事かを学ぶわけではない。それは、失敗の原因を自分
に求めないで、他に求めるからだ。失敗した自分、倒れた自分を素直に見つめる
ことができないからだ。常に問題は自分の中にある。
努力してもできないこともある。しかし、努力を怠れば、開く運も開かない
充実感とは、困難な対象に立ち向かい、己を完全燃焼したと実感した時に、初め
て得られるものである
人間は常に今がベストと考えて努力する前向きな姿勢が大事である。あらゆる人
にとって直面する今が必然である。今がすべてだ。今以外にない。そうであるか
ら、いかなる困難な立場でも今を大切に、今の自分を生きる以外にあり得ない。
あなたが信じる人は、あなたの信じたとおりの人になる
あなたの疑う人は、あなたの疑うとおりの人になる
失敗すると、どうして辛いのだろう
失敗を誰かにみられたときに、他人がどう思うかということを考えるから辛いのだ。
他人にどう思われてもいいと、開き直ることができたら、失敗なんて本当はそれほ
ど大したことはないのだ
他人の目を気にしているのも、結局自分でしかないのだ
成功しないのは、才能がないからではなく、成功した自分を思い浮かべる想像力
がないだけだ
凡才は、もうこれ以上できないというところまで到達できない
秀才は、もうこれ以上できないというところまで到達する
そしてもうこれ以上できないというところから、さらに努力するのが天才だ
天才にとって、満足というブレーキはない
みんなが満足したところから、自分との戦いが始まる
暇なときに好きなことをやろうなんて好きなことに失礼だ
好きなことは、忙しい中でするから好きなことなのだ
「聞いてわかる」と「やってできる」は大違い
教えてもらったときは「わかった」と思っても
いざ自分でやろうとするとできない
わかったつもりでも、自分の力でやれて
はじめて本当の力がついたといえる
大切なことは、
習ったことを自分の手で、
意識しなくてもできるまで繰り返すこと
単純な繰り返しの練習が
基本をつくる
「何回繰り返せばいいんだろう?」
という気持ちが、やがて
「できた!!」という達成感に変わった時
君は一歩前進したことになる
YES I CAN
できると思う心のどこかに、無理かもしれないと思う心があると、
次から次に無理が出てくる
負けるかもしれないと思う心があると、
そこであなたは負ける
もう駄目だなと思う心があると、
そこからあなたは駄目になる
失敗しそうだなと思う心があると、
あなたは確かに失敗する
成功している人を見なさい
最後まで成功を願い続けた人だけが成功しているではないか
すべては「あなたの心」が決めるのだ
もしあなたがそうしたいのなら、
あなたはその通りのことができる
さあ出発だ!!
強い人が必ず勝つとは限らない
すばしこい人が勝つとは限らない
頭の良い人が勝つとは限らない
YES I CAN
「わたしはできる」
そう信じている人が、結局は勝つのだ
努力を忘れて努力する
それが真の実力となる
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