いつも今日からはじめる日記

愛と努力と忍耐と・・・
あしたから7月。今までの人生の中でもっとも長く続いている日記である。だれかが読んでくれると思うと、毎日書くのが楽しくなる。僕は俳優にあこがれる。別に2枚目スターになりたいわけではない。もうすこし、自分自身のことを正確に相手に伝えたい。どうも僕はそういうことがかなり下手だ。そうそう、伝えたいことは、愛なのである。Love〜Love〜Love♪オ〜ルユウ〜ニ〜ディスラブ♪

ピース。ではまた来月。
2001年06月30日 23時14分39秒

月末
あっというまに6月もおわりだ。2001年も半分がすぎてしまった。時間が過ぎるのがどんどんはやくなっているような気がする。それなのに僕の日常生活のテンポは非常に遅い。いつもぼーっとしているといわれがちである。遅いのに、時間ははやく過ぎる。僕は自分が33歳であることが信じられない。会社のはたちそこそこの女の子と僕はそんなに気持ちの上では変わらないような気がするけど、きっとむこうではそうは思っていないのだろう。

彼女はライオンに似ている。佐野洋子というイラストレーターの描くライオンに似ている。とても大柄で、たてがみみたいな金色に染めた長い髪をしている。シマウマを丸呑みするみたいに毎日バリバリ働いている。そしていつも豪快に笑っている。僕は彼女に、キミは佐野洋子のライオンみたいだと言いたかった。でもなかなかそれを伝える機会がない。しかしそれを伝えたとしても彼女に、だからなんなのだといわれたら僕は困ってしまう。

伝えたいことはいつも、不完全にしか伝わらない。そして僕はしばしば自分でなにを考えているかもよくわからなくなる。伝わる不完全のみなもとである完全が、どこかにあるのだろうか。そこでは夫婦ゲンカもおこらないのだろうか。伝えたいことはいつも不完全にしか伝わらない。でも伝えたいことは、いつだって、愛なのである。わかってほしいのであるが、その点がうまく伝わらない。
2001年06月29日 22時44分56秒

窓をあけて眠ることの不安
窓をあけて眠ると夜中はすずしい風がふく。しかしあけて眠るのはすこし不安でもある。以前住んでいたマンションも2階に住んでいた。新大阪駅から歩いて10分の殺伐としたマンションで、ほとんどがワンルーム。100世帯以上は押し込まれていたのではないかと推測されるその高層マンションには、一人暮しの生態不明の人ばかり住んでいた。現在住んでいるマンションはほとんどが家族もちで、すれ違えば軽く会釈程度の挨拶はするが、そのマンションでは、挨拶すると、ぎょっとされた。みんな目をそらして、極力他人とはかかわらないようにしていた。

うちはそのマンションの中の、数少ない家族世帯で、ペチカは3歳くらい、シュンタは赤ん坊だった。となりの人も、なぞの一人暮しのおじさんだった。しばしば真夜中におじさんはうおーうおーっとほえていた。なんでほえていたのかなぞである。たまに通路ですれ違ったが、その小柄なおじさんは目をそらして、通りすぎた。

ある夏の朝、おじさんは朝帰りをした。けれどもおじさんは部屋の鍵をなくしていた。そこでおじさんは、1階のごみ置き場の屋根にのぼり、2階の一番はしにあったうちの、開けっ放しにしておいた窓枠に手をかけて、えいやとよじ登る。うちの窓を伝って、おじさんの部屋のベランダに入ろうとしたらしい。目がさめた僕は、朝日の差すカーテンの向こうで、そんなおじさんの影がゆらゆらとゆれているのを見た。

「なにしてるんですか!」僕は窓にかけよりカーテンをあけた。窓には酒くさいおじさんがへばりついていた。「かめへんかめへん」こちらを見ずに窓をわくを見つめたままのおじさんはいった。「わし昔、トビやっとったから大丈夫や」そしておじさんはするすると窓を横切り自分の部屋のベランダへ滑り込んでいった。僕が部屋の中を振り返ると向くとふとんの中の妻の顔がひきつっていた。

おじさんはその後もたまに通路ですれ違ったが、やはり目をそらして通りすぎた。夜中にはしばしばうおーうおーとほえていた。とても殺伐としたマンションだった。

現在住んでいるところには、そういうなぞの隣人はいないが、やはり窓をあけて眠るのは少し不安である。
2001年06月28日 22時57分31秒

生活を人生に昇華したい夜
今日は雨の音で目がさめた。目がさめると雨がやんだ。雨上がりの朝は、はじめさわやかだったが、走っているうちにむしむしして体が重たかった。しかし、どのようなコンディションであっても、それなりに走ろう。ああこれはなにかに似ている。多少の気分の上下はあるだろうけど、僕はそれなりに走っていこう。しぶとくじょうぶにいきていこう。朝から、とても前向きな気持ちになった。あしたも早起きをしよう。

本がなかなか読み進まない。『ジェーン・エア』やっと上巻を読み終える。長い小説は、マラソンのようだ。マラソンは好きであるが・・・。今日は会社の帰り焼き鳥を食べ過ぎた。眠い。老ける前に寝よう。でも時間がおしい。夜の一人の時間はとても好きだ。夜の時間。生きられた領分。

昔読んだ本の引用。
・・・世界はある意味で十分広いかもしれないし、人生はある意味で十分長いかもしれないが、『生きられた領分』というものは、また何と、狭く、短いものだろうか。一人の人間の精神によって、生きられた領分というものは、生活に、時折り、ほんの時折り、垂直に交わる。(中略)この生きられた領分において、生活は人生に昇華される(後略)。(『文藝評論』新保祐司著・構想社刊)。
2001年06月27日 23時35分16秒

熱帯の夜
昼間のラジオの天気予報の通り、今夜は熱帯夜である。熱帯といえばジャングルである。ジャングルといえば、アマゾン。アマゾンといえば、『アマゾンのミドリガメ』である。

今から35年ほど昔、あるお菓子会社の景品として、『アマゾンのミドリガメ』が採用された。くわしいことは知らないが、お菓子を買って応募券を贈ると、抽選で、この『アマゾンのミドリガメ』が当たる。当たった人にはプラスチックの石鹸箱に入った、小さな生きているミドリガメがプレゼントされたそうだ。これが初代ミドリガメ、コロンビアクジャクガメである(注)。しかしコロンビアクジャクガメは、南米北部に分布するカメで、実際にはアマゾン川には住んでいないそうだ。

しかし僕は熱帯→ジャングル→アマゾン→ミドリガメと連想が流れていく。朝のジョギングコースのため池のまわりを走っていると、朝日を浴びて、巨大な野良ミドリガメが何匹も池のコンクリートのふちに集まったりしながら日光浴をしている。ミドリガメは成長すると甲長30センチを超えるものもある。おそらくそんなに大きくなることを知らず、もて余した飼い主に捨てられてしまったカメたちなのではないかと推測される。熱帯の朝である。あしたも野良カメに会いに行こう。


(注)現在ミドリガメという名でペット屋などで売られているのは北米産のミシシッピアカミミガメで、うちの近所にいる野良ガメもうちで飼育しているミドリガメもこの種類である。コロンビアクジャクガメは見かけない。どこにいったのだろうか。
2001年06月26日 23時09分04秒

燃える体脂肪の記憶
今日も昨日の午後と同じく、しかし朝からよく晴れたもわっと暑い一日だった。朝6時に起きて1時間ほど走ると汗でぐっしょりとなった。白いTシャツがぺたりと体にはりつき肌が透けて見えなかなかセクシーである。でも実ははりつく肉体があんまり、きゅっとしていないのである。毎朝肉体を朝日に照らして脂肪を燃やそう。

僕の人生の中で、僕は何度か体脂肪をめらめらと燃やしてきた。そのうちのひとつが、高校3年、17歳の冬である。僕は3月生まれなので高校3年の冬が17歳なのである。

付属高校だったので受験勉強もなくすでに進学もきまり、ひまだったその冬の1ヶ月間。僕は春からの大学生活に向けてやせようと思った。トレーナーを2枚重ね着し、その上に雨の日の通学用の雨合羽を着こむ。それで毎晩10キロ走った。食事は一日一食朝食のみ。これで、ひと月で10キロ以上やせた。身長180センチ、80キロのところ、最終的には68キロくらいまでいったのではないか。僕は毎晩体重計にのり、少しでも目盛が減るごとにうれしくて友達に電話した。高校生というのはしょうもないことで電話をする。

(そして現在もしょうもないことを毎日こうして日記に書いている)

ある程度目標を達した時点で走るのをやめ、もとの大食いにもどったが、若いときは新陳代謝がさかんなのか、その後数年間は70キロ前後の体重をキープしていた。

しかし最近は、なかなか体重が落ちない。いつもおなかが空いていて、一食たりともぬくことができない。現在は体重は80キロを少し割るくらいではないかと推測される(意識的にか無意識的にかうちには体重計がない)。

春には会社の保険組合による成人病検診がある。30歳をすぎると健康診断がこういう名称に変わり、バリウムを飲んで胃の検診もしなければならなくなる。バリウムを飲んだらゲップをしてはいけない。この春その成人病検診で、体重を測定したときは78キロであったので、たぶん現在もそのくらいではないかと思われる。しかし現在の僕は17歳の美少年ではなくバリウムを飲む33歳であるので、急激な減量はいけないのである。そもそも減量ということも考えていない。じわじわ脂肪が燃える瞑想をしながら、朝の気持ちよさを深く味わっているのである。そのあとの朝食もおいしい。

晴れた朝は、どんなに、もわっとしていようと気持ちがいい。そして、こういう、むし暑い一日は仕事でクルマに乗っていてもあまり眠くならない。僕はいつでもどんな季節でも魅力を感じる。世界は美しいのである。
2001年06月25日 22時32分21秒

アジアな日曜
今日は朝方はまだ雨が降っていた。8時前くらいから一時間ほど走る。小雨の中いつものコース。鉛色の空の下、ため池と苗を植えたばかりの水田の間を走る。あたりはもわもわと湿っていてとってもアジアな気分だった。切り取られたアジア・・・。

雨が降るたびに緑は鮮やかになり夏がはじまる。「古代インドはいつも初夏だったような気がする。」江國香織の掌編小説『デューク』での、せりふ。インドの古い細密画を見ながら主人公のわたしに、不思議な少年がそう言っていた。あまり関連がないかもしれないが、なぜかこの言葉を思い出した。僕は江國香織の小説のファンである。できれば辻仁成の代わりに僕が江國香織さんと競作で小説を書きたかったものである。声がかからなかったのは、実に残念である(『デューク』は、新潮文庫『つめたいよるに』に収録。このなかの『ねぎを刻む』というはなしもいい・・・以上本の紹介)。

昼からは雨があがり、ひさびさに青空を見る。今年一番の蒸し暑さ。アジアな空気。アジアな空気なので、買い物に行って、沖縄のおかしのサーンタギーというまるこい揚げドーナツを買う。沖縄といえば、NHKの連続テレビ小説『ちゅらさん』である。えりいの笑顔はかわいいなあと思う。それからaikoのニューアルバム(『夏服』・・・今聴きながらこれを書いている)を買う。aikoもかわいいなあ。仕事でクルマにのって、aikoの歌でどれだけ元気な気持ちになれただろう。とてもしあわせな気分だった。よし、あしたもがんばろうと思った。

Qを抱いている。蒸し暑い夜。でぶQはなんだかねっとりしている・・・。
2001年06月24日 21時22分24秒

雨の土曜日
一日雨が降っていた。昼過ぎに少しやんだような気がして、せっかくなので走りに外に出たが、すぐ大粒の雨が落ちてきたので、今日はやめにした。あしたは晴れるそうなので早起きして走ろう。

ペチカは学校のポートボールチームに最近入って、朝から出たきり夕方までもどってこなかった。いまどきポートボールなんてかなり珍しいらしい。今は全国的には小学生が体育館で行う団体競技といえば、ミニバスケのほうが主流だそうだ。僕が小学生の時は、体育の授業で、よくポートボールをやったような記憶がある、僕は大きなにぶい子供だったのでいつも台の上に立って、ボールを受けるポジションだった(あのポジションはキーパーというのだろうか?・・・忘れた。ペチカにあした確認しよう)。ポートボールはそうやって僕の居場所があったので、体育の科目の中ではなかなか気に入っていた。でも体育の授業はやはりいやだった。たとえばサッカーなんて、ぜんぜんできなかった。どうしていいかわからなかった。それから小学生の体育は男女いっしょなのだ。僕は鉄棒も跳び箱もかけっこもなにもかも男女会わせて下の方だった。小学生の体育の授業。あまり明るい記憶がない。

ペチカもシュンタも、運動神経は、ひとなみにはあるようだ。あまり僕の味わったような、体育の授業での暗く困り果てた思いは経験していないようだ。まあ暗く困り果てた思いの記憶も、それはそれで、僕は別に、抹消したいとも思わない。なんだかんだいってもこれでも33年間生きているのである。たいしたものである。そう思わなければやっていけない。

一日雨でうちの中にいた。時々Qの世話もした。カブトムシの幼虫が最近、サナギになったので、状態のチェックと、別のプラケースに成虫になってからの環境を整える。カメにエサをやる。サボちゃんに水をやる。夕方にはシュンタとふたりで近所の銭湯へいった。シュンタは温泉温泉♪といって大喜び。僕の現実において僕は週末もそのようにはたらいている。しかし妻の現実において見える僕は違って見えるらしい。そのことについて、いくつか意見の相違がありそれについて僕の現実においては紳士的におだやかに話し合う。妻の現実については知らない。しかし少なくとも僕の現実において僕は妻を愛している。そういうことは別になんのためらいもなくいつでもいえるのであるが、あまりにもためらいなくいうので、ありがたみがわかっていないようだ。
2001年06月23日 22時27分37秒

少し反省の夜
会社の後輩の某君より、カギさんって酒飲んでいるときとか、にこにこ笑いながら、けっこうずけずけとひどいことをいいますねえ〜と言われた。そういうことを、何度か言われたことがある。別に酒を飲んでいなくてもしらふであっても僕はときどき、とてもしつれいなことへいきでいうこともあるらしい。僕としては自覚症状がない。そうなのだろうか。そんなつもりもないのに、いいすぎて、人に不愉快な思いをさせる才能があるのだろうか。いやそれとも世の中の人が必要以上に傷つきやすくなっているだけではないか。どうも人にうまく気持ちを伝えるのがへただ。基本的には、僕は非常に生真面目な小心者の性格だと思う。初対面の人と打ち解けるのが相当苦手だ。そうやって、ずけずけいえるような関係の人だって、実はほんの一部で、最近ようやく、まあ、なんとかそういうことが言えるようになってきたのではないか。むしろ僕は自分自身のかなりの進歩だと思っているのだけど・・・。でも後輩にそういうふうに言われると、なぜかこっそり傷ついてしまう。そしてくよくよ悩む。僕は真剣な人がとても好きだ。なんだかんだいっても僕はオトナになってずるくたちまわっているだけなのではないか。おっさん的冗談を言えるようになって、そうやって、うまくやりすごすことになれてしまって、てきとうにごまかしながら生きているのではなかろうか。

学生の頃、内村鑑三の『後世への最大遺物』という、岩波文庫から出ているとても薄い本を読んだことがある。「われわれはこの世に何を残していこうか、金か、事業か、思想か、・・・何人にも遺し得る最大遺物―それは高尚なる生涯である」というただそれだけのはなしなのだが、非常に衝撃を受けた。それから内村鑑三の本をいろいろ読み滑稽なくらいクソ真面目な内村の生き方にとても深い影響を受けた。クソ真面目なかっこよさ、ってすごいのである。僕のなかには甘っちょろいところがたくさんあって、いろいろ生きていく上でごまかしていることが多いのではないかと時々反省する。
2001年06月22日 22時59分29秒

こけるQを見ると本当は・・・
Qがこけるのを見ると、本当は僕はとても心配だ。僕はあらゆることを心配する。これはある面で僕の育てられ方が問題だったのかもしれない。結婚するまで、あまりそういうことを考えたことがなかったのだが、結婚してからことあるごとに妻から僕の育ちについて批判される。僕ほど過保護に育てられた人をみたことがないという。そうなのだろうか。いわれてみると、両親と離れて暮らしてもう10年になるが、なんとなくわかるような気もする。過保護というよりも、両親の恐怖心につつまれて育てられたのではないかと、結婚して子供ができて、ようやく気づきはじめた。

父にしても母にしてもなにか見えない極度の恐怖にとらえられつつ生きているのではないかと思う。あれをするとあぶない、これをするとあぶない、これを食べたら病気になる、これをしたら、死んでしまう、あんなことをする人はおろかだ。最近でもなにか事件がおこるたびに、ああこわいこわいだいじょうぶそっちはだいじょうぶと、すぐに電話がかかってくる。え、なに?ケイタはパソコンなんてやってるの、パソコンパソコンああこわいこわい。パソコンだってこわい事件でいっぱいじゃないの。だいじょうなのぶだいじょうぶなの。

いまさら両親についてどうこういってもはじまらないが、こういう傾向というのは、僕が子供に対する接し方で、無意識のうちに継承しているところが多々あるように思う。おそろしいことだ。あ。おそろしいだなんて。なにがおそろしいんだ。ほら、ね。親そっくり。いやだなあ。と、思ったところから進歩がはじまる。心の奥に心配を隠して、Qがこてんこてんと転ぶのを僕は、少し離れて見守っている。
2001年06月21日 23時52分43秒

こわばる夜をほぐしていきたい
ここ最近の日記はすこしココロがこわばっているような感じがする。以前立ち読みでコリン・ウイルソン著『至高体験』河出文庫版のうしろの、訳者である四方田犬彦による解説を読んだ(単行本は持っているがこの解説はついていない)。コリン・ウイルソンがいかに観念的に二日酔いを克服するかについての伝説が書いてあった。コリン・ウイルソンは痛む頭を抱えて二日酔いは存在しないということを徹底的に思考して夕方までには完璧に二日酔いを克服するとかなんとか。何ヶ月も前の立ち読みなので細かい内容をほとんど忘れたがとても感動した。感動したと同時にくすくすくすといった感じでおかしかったけど。また立ち読みしてくわしい内容を確認してこよう。なぜかここ最近こわばってるように見うけられるココロもコリン・ウイルソン的に克服していこうと思う。

Qは最近つたい歩きをするようになった。壁やテーブルやソフアにつかまって、カニ歩きをする。時々こてんと転がる。こてんこてんこてんとそこらじゅうで転がる。はじめのうちはこけると情けない顔をして泣いていたが、最近はこけ方がうまくなってきて、あまり泣かなくなった。ほんの数秒だが、なににもつかまらずに、静止状態で、ぱっと立つこともある。そんな時Qは、立っている自分が信じられない、というようなおどろいた顔をして、次の瞬間、こてんと転ぶ。でも最近は、こてん、というより、すとん、と言う感じである。どことなくスマートにこける。しゃがみこむ。赤ん坊なのにというのか、赤ん坊だからというのかいろいろ日々学習しているんだなあと感心する。今日はとても早く帰れた(夕方6時過ぎ)ので、Qと転がりながら遊んだ。遊んだけど、夕飯を食べたあと、外は雨が降っていないので、そわそわしてきた。そわそわしてきてやっぱり少し今日も走った。かぜがとてもすずしい。あしたは雨だろうか。早起きしたら、また走ろう。
2001年06月20日 22時35分37秒

雨の夜
雨降りの夜は落ち着いた気分になるので好きだ。あしたの朝は、走るのはおやすみ。夜ふかしをしよう。なかなか進まない名作読書計画。シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』を読み始める。エミリ・ブロンテのお姉さん。これも新潮文庫で2巻本で、いつ読み終わるか・・・。好きになれそうな話です。こうやって、ここに書いたら途中で投げ出したくなっても最後まで読めそうな気がするので、書いておこう。もっとコドモだった頃、本を読んでも、途中で投げ出したりすることも多かった。特に名作といわれる本、これは読んでおかないと、と思うと必ず挫折していた。最近は忍耐強くなってきて、時間かかっても最後まで読みとおす習慣ができた。時間の試練に耐えて生き残っている本(小説でも宗教書のようなものでも)というのは、現代の一般娯楽小説などとと比べたら、とっつきにくいし、日常生活とはなれていればいるだけ、こんなの読んでなにになるのだろう、と思わないでもないが、長い時間を生き残っているその本の生命力というものがじっくり読んでいくとじわっと感じてくるように思う。本を読むことは大切なことだと思う。僕はかしこくないかもしれないけど、かしこくないことに開き直ることはやめようと思う。バカを売り物にする人は信用できない。本音をいうとどうこう、だなんて、本音なんてものを信用できない。そういう意見に媚びへつらって、本音の意見はすばらしいなんていう人はたいてい自分がかしこいなんてうぬぼれていて、人を見下している場合が多いように思う。僕は本を読むことを軽んじない。頭でっかちな人を尊敬する。ぐずぐずと理屈っぽい人に深い愛情を覚える。いくらバカだといわれても頭の悪さに開き直らない人を愛している。そういう人に私はなりたい。
2001年06月19日 23時57分07秒

いろいろ
今日会社に行っている間に、妻が11月の淀川市民マラソンの申し込みをしておいてくれた。もうあとにはひけない。日々筋肉の積み立てをしていこう。こうやって書いていると自分がとても運動部員な感じがしてしまう。しかし僕は実は運動部員であることよりも、どちらかといえば文芸部員でありたいなあと、心密かに願っている。日常のこまごまとしたことに注意深く愛情を注いで、静かでありながら豊かな毎日をすごしたいと思っている。そういうふうに子供のころから願っているのに、心で思っていることと、自分が招き寄せる現実というのは、いつもずれているような気がする。どうもなかなか思いというのは伝わらない。そういう人はきっとたくさんいるんだろうな。どんな人でも、いろいろあるんだろうな。いろんな人のいろいろについて考えると、誰だってとても魅力的に感じる。魅力的に感じたとしても、その人と友人になれるかというとまたそれは別の問題だったりするんだろうけど。いろいろある。だからなんなんだといわれればそれまでなんだけど。それまでなんだけど、その気持ちをここに書きとめる。あしたも早起きしよう。
2001年06月18日 22時49分35秒

日曜の夜の深呼吸。
あしたはもう月曜日である。どうして月曜日のことを考えると、あまり明るい気分になれないのだろうか。無理して明るい気分になっても仕方がない。気分に対しては注意深くあるべきだろう。僕はこうやって、書いていることで深呼吸をしている。時々、つまらないことが心にひっかかる。ひっかかりがもとで夫婦喧嘩などになり、自分自身のペースを見失うこともある。喧嘩というのはよくない。といって今日喧嘩したわけではない。

基本的に僕は、感情の波はあっても、調整はできるほうである。妻を観察していると、どうしてああも感情のおもむくままの態度をとれるのだろうかと感心する。しかし遠目に感心しているだけではすまされず、その感情を直接的に僕にふりまわしてくると、こちらの調整能力も、かなり乱されて、喧嘩となる。僕のせいではない。気分の調整能力の未熟さは反省するが、喧嘩のきっかけはぜったい僕のせいじゃない。僕からふっかけたことは過去を冷静にふりかえれば、たぶん一度もないとわかるはずだ。こんなことを面と向かっていえば、きっと喧嘩になると思うが。

夫婦喧嘩なんてどうでもいい。あしたがが月曜日だからなんとなく気が重いのだ。しかし重いときも軽いときも気分には最大限の注意を払いつつ、日々淡々となすべきことをして生きていくことが大切なように思う。僕は日記を書きながら深呼吸している。
2001年06月17日 22時37分24秒

ペチカ9歳。
午前中は、近所の公園へ行き、2週間ぶりに3キロ×7周=21キロ走る。うち6周は、かなりゆっくりで走っていて、走っているうちに少し飽きてきてますますのろくなる。そうなるとここのところ、そのまま失速してしまうことが多かったのだが、最近はこまめに走っているせいか、からだの疲れはなかった。だから最後の一周はダッシュで走って、僕の現実においては、思っていた以上にスピードが出た。去年よりいい感じ。僕の現実においては(なかなかいい言いまわしである)非常によい。

午後はペチカの誕生祝いを兼ねて、堺の高級ホテル『リーガロイヤルホテル』の最上階にあるケーキバイキングへ行く。ケーキバイキングなんてはじめて行った。少し若くない女の人ばかりいた。いろいろ食べたが名前がわからない。大食いの一家なのでもとはとったぞと考える自分はやはり貧乏性である。ああおいしかった!とペチカは大満足で腹をさすっていた。やや繊細さがたりない家庭である。

ペチカは9歳になってしまった。時々、僕の背中によじ登ってくるが、からだが折れそうになる。いや、そういえば最近、ぜんぜんよじ登ってくれないぞ。すこしづつすこしづつ、ペチカは僕から離れていくような気がする。すこしさびしくもある。
2001年06月16日 19時13分36秒

雨ふり
今朝はひさしぶりの雨降りだったので、朝のジョギングはやめたが、夜会社から帰ると雨が一時的にやんでいたので、少し走る。50分。途中からまた雨が降りだし、びしょぬれになったが、心地よい。これで5日連続で走っている。毎日少しづつ走って筋肉を積み立てて、フルマラソンに挑戦しよう。毎日走ると、やる気がでてくる。本当は今日は休みの日にしようと思ったのだけど、もったいないような気がして、雨がやんだスキを見て、走ってしまった。貧乏性である。11月の淀川市民マラソン。枚方公園からずっと淀川沿いを走り、十三大橋を渡って数キロ反対側の川沿いを走ってから折り返しでまた同じコースを戻る。最後の10キロは枚方公園の遊園地の観覧車がずっと見えているのに走っても走ってもたどりつかない。からだはカラカラになる。僕と同じレベルのランナーが、前にも後ろにもたくさんいて走っているのか歩いてるのかよろめいているのかよくわからないような状態で、のそのそゆらゆらと流れ動いてている。なにか違う風景を同時に見ているような感じ。晴れた大空から水戸黄門のテーマ曲がきこえてくるような気がする。本当に聞こえてくるみたいだ。走っているとそのようにいろいろな不思議な感覚が目覚めてくる。ある種の酩酊状態。やはり僕は酔っ払いの一種か。・・・あしたはまたまた夜飲みにいかなければならないので日記も、それからはげしい雨降りらしいのでジョギングもおやすみ。あしたはペチカの9回目の誕生日。
2001年06月14日 23時03分58秒

私の飲酒体験
数年前のちょうど今ごろだ。夕方の6時くらいから会社の近所の飲み屋さんで、「呉春」という日本酒をぐびぐび飲んだ。めったに日本酒は飲まないのだが、たまたまいっしょにいったメンバーが、ふだんは震え勝ちの指先が飲めばピタっとして、動作もしゃきっとなるような日本酒愛好の人たちばかりで、そのなかで一般人の僕がどういうわけかまぎれこみすすめられるがままにぐびぐびいってしまったのだ。

夜の9時に、店を出て、身の危険も感じたのでそのままひとりはぐれて、うちに電話をして「今から帰る」と伝えてから、地下鉄に乗った。そのころ僕は現在と違うところに住んでいて、地下鉄で通勤していたのだ。地下鉄で40分ほどかけて通勤していた。だから9時に今から帰ると電話すれば10時には、自宅へ帰ることになる。

ぐでんぐでんだった。地下鉄に乗り込むとさいわいなことに、空いていた。そして座席に座るとそのまま意識がなくなってしまった。駅員にもしもしもしもしと揺り動かされて気がつくと、その地下鉄はいつのまにか午前0時すぎの最終電車になっていた。酔っ払って眠ったまま地下鉄を何往復もしたらしい。そしてカバンも定期もサイフもすべてすられて、そしてとてもだらしのないかっこうで、僕は座席の上に仰向けで横たわっていたのである。

揺り起こされも酔っ払いだった僕はスリにあった事情を駅員に説明しようとしたのだが、駅員は酔っ払いには近づきたくないらしく、改札を僕のためにさっとあけてくれて、そのまま外に出ることとなってしまった。外に出たけど自宅は3駅先なので、そこから歩いて帰った。歩いているうちにまたまた呉春が回ってきて、ますますぐらぐらしてきた。しらふだったらとても歩きたくないような、真夜中の物陰の多い、治安の悪そうな道をぐらぐらと歩いた。

やっとうちに帰りつくと、電気がついていた。時計を見ると夜中の2時をまわっていた。
妻が目の前に立っていた。何時間かかってるのよ!というから、僕はええと9時10時11時・・・酔っ払っているから、計算ができない。妻は僕がなにかの事件に巻き込まれ死んでしまったのではないかと思っていたらしい。ものすごくおこられた。それからサイフも定期もカバンもすられてしまったことを正直に告白すると、さらにいろいろおこられたが、おこられると頭がますますグアングアンしてくるのでそのまま布団にもぐりこんで眠った。

酒はおそろしい。酒は飲んでも飲まれるなである。それ以来私はつきあいで飲むにしても自分のペースはかたくなにくずさないようにしている。しかし飲むたびに僕の「呉春事件」はネタにされ、カギケイタが酒を飲むと「必ずいつも」正体なく酔っ払い、みぐるみはがされている、というあらぬうわさをたてられている(あとにもさきにも酔っ払ってスリに会ったのは一回だけである、みぐるみもはがされていない)。酔っ払いはしつこい。一度の失敗をいつまでもいつまでもネタにするのである。そこで最近は言われる前に自分からこの話をするようにしている。なんども同じ話をする自分もとっても酔っ払いなのではないかと最近若干心配している。

ところで、この呉春にまつわる話には後日談がある。この失態をおかした2ヶ月後警察から電話があった。スラれた定期券が見つかったのだ。僕の定期券とカバンとサイフを盗んだスリが、僕の定期券を使って、また地下鉄に乗り込み、スリをくりかえしていて、警察につかまったらしい。悪事はかならず露見する。因果応報である。警察署にいくと犯人の写真をみせてもらった。ふつうの貧相なおっさんだった。この写真、記念にくださいといったが、くれなかった。期限がわずかに残った定期券だけが返却された。そしてカバンもサイフ(現金で1万円くらい入っていた)も出てこなかった。
2001年06月13日 23時12分03秒

私はこんなふうにへんくつになりたい。
酒を飲むということについて、なにがいいのかわからない。酒飲みの心理がよくわからない。わかったふりをするのも不誠実である。わからないものはわからない。多くのサラリーマンは酒を飲んで憂さを晴らすという。アメリカほど精神分析がさかんでないのは、日本には居酒屋があって、そこがカウンセリングルームのかわりとなり、多くの人が救われているのだという説もある。しかし酒を飲んでなぜ人は憂さが晴れるのだろうか。人はともかく私にはわからない(私も人であるが)。あしたから一生あなたは飲酒をしてはいけませんといわれても私はいっこうにかまわない。別に私は酒を今まで1滴も飲んだことがないというわけではない。しかしどんなに酒を飲んでも、私の場合何事もわすれられない。いや、私は酒が入った席で言われたり言ったりしたひと言ひと言が逆に前後の脈絡がアルコールのせいではっきりしなくなり、かえってくっきりと断片的に頭の中に残ってしまうのだ。その断片的な言葉が、むかっ腹のたってくるものや、自己嫌悪におちいるようなものばかりなのだ。忘れ方のメカニズムが、飲酒によって、かえってくずれてしまうような気がする。よっぽどふしあわせな飲酒経験しかないのかもしれない。教養のない飲み方しか知らないのかもしれない。そういわれればそれまでなのだが、しかし、別にみんながみんな酒をあがめることはないのである。別に飲みたい人は勝手に飲めばいいのである。バカじゃないかなどとは別に思っていても口にしない。時々私はカチンコチンのイヤなヤツになりたくなる。あしたも早起きをしよう。
2001年06月12日 22時47分44秒

私はネコになれない
部屋のドアを中途半端にあけているのも、いすを引いたままでテーブルから離れるのも、テーブルの上の読みかけの新聞を広げたままにしておくのも、タンスの引き出しをきちんと閉めておけないのも、本棚が乱れているのも、着替えをそのまま投げ出しておいてしまうのも、僕がだらしがないからという理由だけではないのだ。僕はすべて整理がついてしまうのをおそれているのだ。死期を悟ったネコみたいに、すべて身辺をきっちりと整理するのをおそれている。ネコの身辺整理の話は本当だろうか。ネコに限らず、動物はおのれ自身のことをよく理解しているみたいに思える。適切に本能に従って生きているみたいだ。人間だって、わかっている人にはわかっているのだろう。もしかしたら、僕だって、僕の心の奥の奥の奥では、いろんなことをわかっているのかもしれない。僕の心の奥の奥の奥の僕を、このオモテにはりついた僕はわかっていない。このオモテにはりついた僕の知らないうちに、奥の奥の奥にいる僕が僕自身の運命をすでに定めているのかもしれない。そして、オモテの僕は無駄な抵抗なのかもしれないけど、日々身辺整理を拒否している。僕はネコになれない。そのようにして、今日も僕はだらしなく生きている。わかるか。君たちを残してある日突然いなくなるわけにはいかないのだ。お父さんはただ単にだらしがないわけではないのである。そこには深い深いわけがあるのだ。限りなく崇高な祈りに近いだらしなさといってもいいのである。

明日は、祖母の命日。はじめてのひ孫のペチカが生まれる3日前、車にはねられ天国へいってしまった。天国・・・・いつかすべてが報われる場所がどこかにあれば、どんなにいいだろうと思う。どんなにいいだろうと思いながら日々僕は身辺整理を拒否している。
2001年06月11日 22時25分39秒

野球を見に行く
昨日は女チームが夜遊びしてたので、今日はシュンタとふたりで大阪ドームへ近鉄対日本ハム戦を見に行った。シュンタが最近ちょっぴり野球に興味を持ってきたのだ。日曜日の大阪ドームはとても空いていた。途中の環状線の車内はとても混んでいたのだが、そのほとんどはUSJへ向かっていったと思われる。シュンタがはじめて自発的に野球をみたいといったので、記念に、少し高かったけど、当日券の内野指定席を買った。1塁側の前から3列目。まわりは空席が目立つ。外野自由席ライト側は一部多少盛り上がっていたが、全体的にこんな入りでよく経営がなりたつものだと心配するくらいだった。

それでやっぱりいろいろと涙ぐましい経営努力をしているらしく、ゲーム開始の30分前、なんと突然、結婚式が始まった。梨田監督が立会い人となり、一般民間人の新郎新婦(女性はもちろんウエディングドレス姿)が、マイクをそなえつけたマウンドに並び立ち、高校球児ふうに宣誓!といいながら、結婚宣言をして、指輪交換してキスまでしてた。それを電光掲示板のスクリーンで大きく写して、みなさん、さあ、おふたりのしあわせに拍手を!と場内にアナウンスが流れみんな拍手と太鼓の雨あられ・・・。ああびっくりした。

そして、またまた続いて新婦がピッチャーで新郎がバッターの始球式が行われ、ようやくゲームがはじまった。最近ほとんど野球見ていないので、よくわからないのだが、現在首位打者で、イチローがいなくなったあとのパ・リーグの顔ともいえる中村紀洋くらいは知っている。彼のホームランを見てみたいと思っていたが、残念ながら、本日は内野安打1本のみだった。近鉄も5−3で負けてしまった。負けてしまったけど、ローズのホームランは見れた。それから去年まで阪神にいた北川捕手はいいところで打っていたし、同じく元阪神の湯舟もきっちり中継ぎをした。なんとなくうれしい。僕もがんばろうという気になってくる。昔巨人にいた吉岡なんて近鉄の5番を打っていて、石毛もまだはたらいているんだなあ。といろいろ感心した。けっこう知ってる名前の選手がいてうれしかった。あと、あ、小林繁がコーチしてる!とか。近鉄がちょっと好きになった。日ハムはどうも昔からいまひとつ思い入れがない。

シュンタは熱心にゲームの進行を見ていた。お父さん、どっちが今日は巨人なの?なんてときどきわけのわからないことを僕に聞いてきたが。まあわけのわからないのは僕も似たようなものだったけど。近鉄って今、パ・リーグ2位なのである・・・知らなかった。そして近鉄っていうのも正確ではなくて、現在はチーム名は大阪近鉄バッファローズという。そうか。そんなこと聞いたことあったようなないような・・・。

シュンタはとても満足したようだ。今日の日を覚えていてくれるだろうか。僕がはじめて野球をみにいったのは、3年生くらいだったかな。なぜか近所のおじさんとふたりで行った。この時もやっぱりパ・リーグで、日ハム対ロッテ後楽園球場(あ。日ハムは僕のはじめての野球見物にも関わっていたのだ。そのわりにあまり思い入れがない、ごめんなさい)。指定席だったんだけど、やっぱりガラガラで、だけど、僕の席はとなりの大きな覆面をかぶった男に占領されていた。その覆面男のからだが大きすぎたのだ。その男は、プロレスラーのデストロイヤーだった。よく覚えている。シュンタにはどういう記憶として、今日のことが残るんだろう。お父さん一緒に行った。覚えとけよ、そのことは。
2001年06月10日 22時37分30秒

留守番の夜
今日は10時より出社しなければならなかったので、土曜の午前中の長距離ジョギングはできなかった。しかし7時に目がさめたので、1時間弱、うちのまわりのいつものため池コースを走った。梅雨入りしたのに昨日も今日もとてもいい天気で、午前7時の空気は朝の光でキラキラしていてすがすがしかった。まあでも朝の7時の光は手ぬるいかな。このごろは5時半くらいからもうすでに明るい。目覚めたばかりで走り出すのは肉体的にはよいことかどうか難しいところだが、精神的にはとてもいいような気もする。「いいような気」の「気」がとてもすっきり気持ちいい。その気に押されて血液もうまく回ってくれるだろう。心臓は的確に動いてくれるだろう。昨夜、少し飲んでいたのが残っていた感じだったが、サラリと汗ですべて流れていった。

そうだ、平日も、朝走ればいいのだ。朝走ると、その日一日がしんどくなるような思い込みがある。ただの思い込みである。ただ40分ほど早く起きるだけである。最近はなぜかとても早起きである。そして僕は幸いなことにそれほど弱いな肉体ではない。なにか問題があるだろうか。さあここに書いたぞ。晴れた朝は走るようにしよう。以前、半年ほど真冬の暗い朝方せっせと修行僧のように走っていたことがある。別に慣れればどうってことない。またはじめればいいだけのことだ。夜の時間を本を読んだり、こうやって日記を書いたり、カミさんがテレビドラマを見ているのをジャマするようにしよう。晴れた朝でなくても、多少の雨がなんだろう。一日一日はとても大切ではないか。時間を大切に使わなくちゃなあ。やる気がでてきた。

妻とペチカがふたりでバレエの見物に行って今、10時を過ぎてるのにまだ帰ってこない。シュンタはなんとなくシュンとしていた。シュンとしたまま眠ってしまった。シュンタはどうして怒られてばっかりいるくせにお母さんがすきなんだろう。お父さんをなんだと思っているのだ。Qはずっと、バブバブと部屋中を這い回り、ご機嫌で、ミルクを飲ませたあと、ひとりごとをつぶやきながら眠ってしまった。もう少し遊びたかったのに・・・マイペースである。誰に似たのか。それにしても遅い。自分には甘いのだいつもまったく。さっさと帰ってこないか。電話の一本もない。何考えているんだ。ぶつぶつ。
2001年06月09日 22時23分37秒

パソコンが直ってうれしい夜
そう僕は昨日、ベイブレードのことをはなそうとしていたんだ。ベイブレードとは巷の小学生に人気の新型のコマである(なんかこういう表現をすると自分がものすごく年をとったような気がしてくる)。このコマが少なくともうちの近所の一部の男子小学生にとても人気で、おもちゃ屋ではいつも売り切れである。そしておもちゃ屋はわずかに仕入れたベイブレードをほかの商品と抱き合わせでけっこうな金額で売っていたということを、僕はアカオニ茶屋コーナーで先日書いた。

ところが、先週の土曜日、妻が近所の「ライフ」というスーパーマーケットに行ったとき、「あす日曜日ベイブレード入荷」との極秘情報を入手した。あさ10時開店には必ず並んで買ってくるようにという命令を僕は受けた(命令はとても嫌いである)。それで、朝の9時40分にシュンタをつれて、開店前のライフの入り口に立った。極秘情報はほうぼうから漏れていたらしくて、開店前までには10人ほどの小学生が集まっていた。シュンタと僕は2番目だった(1番目の子供はガラス窓にベタリとカエルのように張り付いていた)ので、必死に順番を死守した。ライフの店長はなんで子供たち(と約1名大人)が入口で並んでいるのか理解していなかった。「いったいなんなのですか」と店長は僕に聞いた。もしかするとこの10人ばかりの小学生の引率者と間違えていたのかもしれない。僕は事情を説明して、僕はあくまでも列の2番目の少年の一保護者であることを理解してもらった。

店長は4Fのおもちゃ売り場に確認を取り、間違えなく本日ベイブレードが入荷していることを確認すると、副店長を呼び、このお客様たちを安全におもちゃ売り場まで引率するようにと言った。スーパーでそんな丁重な扱いを受けるのははじめてだった。そしてわれわれは開店時間になるときちんと順番どおりに並び、エスカレーターで4Fまで行くと、一人一個限定でベイブレードを購入した。シュンタはおおよろこびだった。うちに帰るとひとり一個限定をきいた妻は、「あなたも一緒なんだからうちはあなたとシュンタで2個変えたのではないか」と僕の詰めの甘さを指摘した。

というわけでなんとかベイブレードは手に入れたのである。そしたら、昨日、僕のアカオニ茶屋で、ベイブレード抱き合わせ商法についてぐちをこぼしていたことを覚えていてくれた知人が、出張先のおもちゃやでベイブレードを見つけた!と、仕事中にものすごく興奮して電話をかけてきたのだ。彼にも息子がふたりいて、ふたりに2個づつ、計4個購入した。何個でも変えるからおまえのとこにも買っておこうかもちろんあとで金払えよ、と親切に電話をくれたのだ。タダならもらってもよかったけど、何個もいらんなあと思ったのでありがとうとだけいったのだが、つまり長くなったが、なにをいおうとしてるかというと、こうやって日記みたいに書いてても読んでくれる人がいるんだなあ、それで出張中にも僕のことを考えてくれるなんてうれしいな、と思ったのだ。その気持ちを日記に書こうと思ったら昨日はパソコン壊れてて、どうにも動かなくて、とてもがっくりしたのである。 でも、なんとか復活できてうれしいな。うれしいから日記かきたくなったのであまり内容のない長い文章になりましたが、こうして書いてしまった。明日は飲み会があるので、たぶん書けないだろう。そしてまたまた土曜日は出勤である。たぶん僕のつとめる会社はいつのまにか週休2日制を廃止したのだろう。ふうう。でもうれしいな、パソコンなおってよかったー。
2001年06月08日 01時05分11秒

今日から梅雨入り
今日から関西地方は梅雨入りして、昼間はさらさらさらと雨が降り続いていたが、夜になって、雨が一時的にやんだ。そこで今夜も走った。夜のため池周回コース。昼間はむしむししていたのに、夜になってすずしくなってきた。道路は濡れて、外灯のあかりできらきらしていた。最近は調子がいい。究もいい子ですぐに寝てくれる。平日も少なくとも2日は走るようにこころがけたい。こうやって、「はしるてつがく」という自分の公開日記的ホームページをつくったのだから、きちんと走ろうと思う。じぶんの言葉にはなるべく責任を持つように努めたいものである。筋肉が積み立てられていく。

こうやって、日記を書くのが、習慣になりつつある。今日はなにを書こう、なんて考えると夜になるのが楽しみになったりする。今朝新聞を読んでいたら、60何歳だかの女の人なのだが、息子に使い古しのワープロをもらい、それを使うようになって、毎日日記を書くようになった。日記を印刷すると誰かにみせたくなった。そこで書いたものを知り合いに送る。返事がもらえる。そういう行き来がさかんになり、とても楽しい・・・という内容の投稿があった。この女の人の気持ちがわかるような気がした。ぜんぜん知らないどこかで生きている誰かが、なにかの拍子で僕の前になんらかのカタチであらわれ通り過ぎる(たとえば今朝みたいに新聞の投稿の中を横切ったりする)、その通りすがりにあたたかな気持ちをもらう。ぜんぜん知らない人なんだけど、ガシっと握手したくなる。
2001年06月05日 22時46分26秒

月曜の夜の会話
ペチカには好きな男の子がいるらしい。小学校3年といえば、僕も好きな女の子がいた。しかし慎み深い小学生だったので、そういう気持ちはペチカとちがって、深く胸に秘めていた。でもペチカだって、××くんが好きやねんなんて言いながら、言いながらでもいいつくせない胸に秘めた思いというものをひそかにやっぱり養っているのかもしれない。オレもな、好きな子いっぱいおるでえ。とシュンタ。そして、女の子の名前を列挙する。まだあまりよくわかっていないような気がする。

お父さんも、好きな子いたんだよ、と言ったら、ペチカはとても興味をもってくれた。「え?誰なん?」「・・・ん?○×子ちゃんっていうんだけどな知らないと思うけど(知るわけない)」「もうたぶんその人結婚して苗字変わってるでえ」「そうかもな(だからなんなんだい!)」「お父さんそしたら悔しい?なあなあ」。小学校3年生の時のことは、けっこういろいろ覚えている。同じアパートのとなりどうしに住んでいた、その女の子はいつもピアノを弾いていた。壁ごしによくその練習音が聞こえた。誰かにとってはそれが、ろくでもない騒音にきこえたかもしれないけど、僕はその音がきこえるとその女の子のことで頭がいっぱいになり、何も手につかなくなって、ぼーっとしてしまい、母親にいつもぼーっとしていないで勉強しなさいと怒られた。つい昨日のことみたいだ。でも現在の僕には、あの頃ピアノを弾いていた女の子と、同い年の子どもがいるのだ。・・・こんなだったかな。昔の小学校3年生の女の子は、もっと、なんというか、うーん。
2001年06月04日 22時19分22秒

朝の瞑想
休みの日でも最近朝は必ず7時すぎには目が醒めてしまう。前の晩2時くらいまで起きていても、やっぱり目が醒めてしまう。昨日は僕のレベルでは非常にたくさん走ったので、よく眠れるはずだったし、実際ぐっすり眠ったんだけど、夜の1時半くらいに寝て7時すぎにに目が醒めた。じじいみたいだ。

目が醒めたので、うちの周りを一時間ほど走る。近所のため池周回コースである。少し太腿が張っている。張っている太腿の状態で走ると、自分が人間になったばかりの人魚姫になったような気分になる。人魚姫は魔女に人間にしてもらったばかりの時、一歩歩くごとに、足の裏を剣でぐさりと刺されたような感じでしたと、というようなことが昔読んだ本にはかいてあったような気がする。正確な文章の記憶はさだかではないが、とても痛そうだなあと子どもながらに人魚姫に同情した。しかしそうまでして人間の男に恋する人魚姫の気持ちはよくわからなかった。僕が人魚姫なら、人魚少年と地道に恋人どうしになっていたと思う。

僕の足の裏は剣をさされるほどの痛みはないが、一歩足を踏み出すたびにビインビインと張る太腿は他人の脚のような感じで新鮮だ。どことなく自分が昔の巨大なヒーローロボットになってガシャンガシャンと走っているような気分でもある。僕のおでこの中ではもう一人の小さな僕がガシャンガシャンの巨大ロボットである大きな僕を操縦しているのだ。このガシャンガシャン状態を何度も何度もつきぬけていくことで、すこしづつ僕の太腿は持久力のある筋肉がついてくるはずだ。そして小さな僕と大きな僕は一体となるのである。なんとなく深淵である。深淵になんとなくがあるかどうかは深い謎である。

深い謎ではあるが太腿は心地よい痛みがある。痛いところこそいじめぬく。かつて現役時代の野村克也はめっぽう故障に強かった。その秘訣は「逆療法」にあった。ヒジなり肩なり痛いところこそいじめぬきそこを鍛え上げる。実に野村は偉大な捕手である、と昔愛読した『ドカベン』に描かれていた。

いろいろなことが頭の中をかけめぐる朝のジョギングだった。
2001年06月03日 19時52分44秒

ひさびさにたくさん走った。
子どもたちは学校で、Qは朝からNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」を妻と一緒にご機嫌で見ていた(Qはキロロの歌う主題歌が好きみたいだ)。私は久々の土曜の休みなので、午前中、ひとりで近所の公園へいった。一周3キロのこの公園の外周を今日は調子が良く、7周21キロ、約2時間かけて走った。こんなに長い距離をはしったのはひさびさだ。ちょうどフルマラソンの半分である。このもう半分を同じスピードで走れば、4時間そこそこでフルを完走できるはずなのだが、なかなかむずかしい。もう少し体重を減らして、いろいろと筋肉をつけて、と思っているんだけど、食欲旺盛で、たるん、とした生活をしている。

会社の、以前の上司だった人は50過ぎてからマラソンを走り始めて、最高タイムが3時間20分という。今61になるが、ハーフのタイムでもいまだに私よりそうとう早い。すくなくともその点だけは、すごいと認めておこう。私にとって走ることは競争ではない。しかし、なんとなくくやしい。いつもまわりくどく、自慢するんだもんなあ。

公園には50代前後、中には60代ではないかと推定されるおじさんランナーがたくさん走っている。若者のランナーというのはほとんど見かけない。若者はウインドブレイカーで重装備してせっせとウオーキングしている女性をぽつぽつと見かける程度だ。私はここの公園ランナーとしてはかなりヤングチーム!だと思う。この公園内にはおじさんランナーを中心とした「走友会」という走る同好会があるらしくて、集団で、ものすごいスピードで私の脇をすりぬける。いやあ、昨日は飲みすぎちゃって、とか、時には、いやつまりグリコーゲンが体脂肪の乳酸してカロリーがどうしたとか(?)、とてもフクザツな話をしながら、すごいスピードで走っている。とても人間とは思えない。これもとてもくやしい。

前に一度、抜かれるもんかと必死で走ってこのおじさんチームとせりあったことがある。しかしおじさんたちは、私の後ろにぴったりと、一定の距離を開けてついていて、のんきに世間ばなしをしながら走っている。2周くらいはそんな状態で、3周目になると、とつぜん、スーッとペースをあげて、あっという間に私を追いぬいていった。私の脇をすりぬけていくおじさんの一人がささやいた「ニイチャンええバネしてまんなあ」・・・「いえいえ、あ、どーも、ははは」なんて愛想よく挨拶してしまう私であった。私にとって走ることは競争ではない。しかしやっぱりくやしいなあ。いつか抜いてやる。

と、思いながらも今日も走友会のおじさんたちにびゅんびゅんと追いぬかれていたのだった。ひさびさの長めの距離を走ったため、特に太めの人にはつきものと考えられる、ランナーの3ズレ、腿ずれ、脇ずれ、乳ずれ、でそれぞれのズレちゃったとこが、ヒリヒリしている。
2001年06月02日 19時09分43秒

シュンタのミミアカ/ベベカのはなし
今日シュンタは耳鼻科に行って、耳垢取りをしてきたそうだ。うちでシュンタの耳そうじをするときは大変である。タタカイである。泣き叫ぶシュンタを僕と妻でおさえつけ、むりやり耳の穴をかっぽじる。耳鼻科ではいったい、いかなる事態がおこったのだろうか。ところが耳鼻科でのシュンタはカチコチにかたまってはいたもののまったく泣かなかったらしい。耳鼻科には同級生の女の子がきていたのだ。シュンタは、そういう事態に遭遇するととてもみえっぱりになる。これからはうちで耳そうじをするときも、いつも近所の同級生の女の子を呼んで来ることにしよう。

「ほらこんなの取れた」とシュンタは誇らしげにティッシュにくるんだ耳垢のカタマリを夕食中の僕に見せてくれた。それはそれは大きなミミクソだった。直径5mmくらいの、カブトムシの幼虫のフンのようなミミクソであった。とれたばかりのときは、もっと大きかったのに、乾いてきたから、縮んでしまったらしい。シュンタはまた大事にそのミミクソをティッシュにくるんで、どこかに大事にしまいこんだ。よくあんなかたまりが耳の中におさまっていたものだ。非常に感動したので日記に書いておく。

それから今夜は姪のベベカから電話があった。ベベカは2歳の女の子。長崎に住んでいる。ベベカって、へんな名前だ。ベベカの父親はしょっちゅうメキシコへ出張にいってる。またまた今月も行ってるらしい。よっぽどメキシコが好きなのだと思う。時々、「僕はメキシコが大好きで大好きで大好きなんです親切でやさしい義理のお兄さん」と、とてもつらそうなメールが僕のもとに届く。だからそんな大好きなメキシコ人の由緒正しい名前からベベカというのは、とったのかもしれない。

でも、みんなどういうわけかヘンに気を使ってベベカのことを「モエタン」なんていってる。それでベベカの母親まで、そしてなんとメキシコ好きの父親まで!自分の子どもの名前が「モエタン」だと勘違いしはじめているらしい。勘違いはよくないなあ。ベベカっていい名前じゃないか。正月会ったとき本人に、なまえは?って何回きいても「ベベカ」といっていたんだから(それどころか何を聞いてもベベエベベエといっていた)、きっとやっぱりベベカが正しい名前なんだと思う、本人のいうことが一番まちがいないと思う。最近そこらじゅうに電話をかけまくっているらしい。あっちへかけてはベベエ。こっちへかけてはベベエ。。。ベベカの姿が目に浮かぶ。正月、パパはやっぱりメキシコに行っていた。僕はベベカに「今度パパにあったら、鼻の穴にこうやってほら、親指つっこんでね、残りの手をぱっとひろげて、パパあああ〜!っていうんだよ」と教えてやった。素直なベベカはパパア、パパアと、そこらじゅうで親指を鼻につっこんでパパとの再会の練習をしていた。かわいい姪である。

そんなかわいい姪の声を久しぶりにきこうとして、僕は電話をとった、「ベベカ〜!元気かあ〜!」

・・・電話の向こうで沈黙があった。そしてベベカは言った。「こんばんは、モエタンです!」思い切り普通の子どもの声だった。ベベカ、きみはついに、大人たちの勘違いに、まるめこまれてしまったんだね。もうきみはベベカではなくなったのか。どうしてそんなにきっちりしゃべれるようになったんだ。もう鼻の穴には親指つっこまないのかい?・・・僕はまた少し年をとったような気がした。
2001年06月01日 23時14分05秒

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