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| どうってことないさの月末 |
| たとえば会社の人間と酒を飲んでその場にいない人のはなしをするのはややこしい。いろんな人がいろんな人のことについてをいろんなことをいう。それで、さらに困ったことに僕も調子に乗ってべらべらと喋ってしまったりする。こうやって人間関係の独特のしがらみにがんじがらみにしばられていく・・・。そんな月末。だけどときどきそんなことすべてが他人事で遠くに感じられる。どうってことないさ。僕はそんなに他人の動向に左右されるほど有能でもない。時々、いろんなことをとっても軽んじてしまう。時々すーっとすべてを遠く見下ろして、どうってことないさ、すべてはたいていちっぽけなことさ。すべて僕の心の中におさまってしまうじゃないか。ちっぽけなもんさ。 |
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2001年08月31日 23時39分53秒
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| 村上春樹的朝の青空 |
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この前台風がきてから急に秋が近づいてきたような感じ。夏の始まりがものすごく暑かったので、終わるのが早いのだろうか。季節の変わり目は朝走るとよくわかる。またさわやかな気分で走れるようになってきた。真夏の朝は朝から負けそうになっていたけど、ここ数日はTシャツ短パンで外へでるとはじめはちょっとひんやりするくらいだ。今朝ひんやりした空気の中、空を見上げると、なんだか秋の色をして青くて遠い空だった。季節が変わっていくっていいなあと朝からなにか深い感動を覚えた。
高校生の時かなり熱心に読んでいたけど今残念ながら手元にない、村上春樹の「1973年のピンボール」(講談社文庫)という小説には印象的な秋の青空が描かれていたような気がする。主人公が双子の女の子と配電盤を湖に捨てにいく話だったかな?よくわかんない話なのにおもしろかった。秋の青空、というと、この小説のことを思いだす。それからこの本を熱心に読んでいた高校生の頃のこととかいろいろ思い出す。秋には、なぜか懐古的な気分になる。でもまだ8月である。しかし夕方から雨がふりはじめて(秋雨前線のせいだという)、ますます涼しい夜である。 |
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2001年08月30日 22時01分17秒
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| 有給の夕方 |
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昨日は遅かったので、今日はゆっくり8時に目覚める。今日は有給休暇である。朝携帯がいきなり鳴った。得意先から至急の納品依頼の電話だった。携帯電話はとても嫌いだ。便利だけど好きになれない。仕事上しかたなくもっている。会社の支給品で、個人的には持っていないし、これからも持たないだろうと思う。便利だからといって、それが好きだということとはまた別なのである。人間だってそうなのである。役に立つヤツだからといってそいつが好きかというと、案外イヤなやつだったりする。役に立つ立たないという視点で物事を見るのはとても正しくないような気がする。しばしば自分が世の中に存在する中でも有数の役立たずに思えてきて、そういうことで気分がすぐれないようなことになりがちであるが、僕は自分にいいきかす。僕は人間であってケイタイ電話ではないのである。電子レンジではないのである。コンビニエンスストアではないのである。とにかく携帯電話はきらいだ。・・・ということで会社に電話して後輩にかわりに急な配達を頼んだ。後輩は便利だ。あ・・・。 近所のショッピングモール内にあるひとつの建物に映画館が集合したところ(シネコンといのかな)へ行き、「千と千尋の神隠し」を見る。ここの映画館はできて1年ばかりたつが、たくさんの映画を上映していて、各館全席指定のとても豪華なところだ。いすもゆったりしている。予告編も堺東の映画館より豪華だ。平日だが夏休みでレディスデイのため、かなり混雑していて、「千と千尋〜」も11時25分の上映時間の券は30分前に売りきれ、ギリギリで並んだため、家族5人バラバラな席になってしまった(Qは妻のひざの上)。 映画はすごくよかった。おもしろかった。異界の温泉屋「油屋」。僕は夢で訪れたことがあるような気がする。あのコケだらけの風呂釜をそうじをしたような記憶ある。通りすぎる水の中を走る電車を知っているような気がした。いろいろな神様もとてもなつかしい感じがした。シュンタはこわくてわけわかんなくて隣にペチカがいなくて今一つ理解できていなかったようだが、ペチカはセンがハクと空を飛ぶシーンで涙が止まらなかったそうだ。実は僕もそうだった。Qは妻のヒザの上ではじめ眠っていたが、豪華で長い予告編を見ているうちに目がさめて、オウオウとときどきオットセイみたいな声を出していたが、本当は油屋にやってくるいろんな神様たちと会話していたのかもしれない。いい子でお母さんのヒザの上で2時間以上も座っていた。妻は椅子がいい雰囲気のいい映画館だとそんなことばっかりいって、ペチカと僕のように、絶大な感動をいまひとつわかちあえてくれないのである。どうも素直さに欠けるところがある。ホントは絶対泣いてたに違いない。千尋のお母さんはなんとなく妻に似ている。とシュンタがいった。「ペチカ!ぐずぐずするんじゃありません。さっさと歩きなさいシュンタ!とかお母さんいっつもいうやん。そっくりや」、と妙にウケていた。シュンタは実ははじめと終わりの現実世界のところだけを見てあとのシーンはこわくて目をつぶっていたと思われる。 |
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2001年08月29日 17時20分56秒
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| 質的に流れる時間 |
| 曽野綾子/アルフォンス・デーケン共著「旅立ちの朝に−愛と死を語る往復書簡」(新潮文庫)を読み終わる。昨日の日記は幾分この本に影響を受けていた。生真面目な本だ。なかなかよかった。一日のわずかな時間でも、なぜ自分がここにいるのかと問うようなことをしてみたい。そんなことは暇人がすることなのだろうか。みんなそんなことを考えずにもっと忙しく働いているのだろうか。満たされた生活をした人ならそんなことは考えない? なにか不満があるのだろうか。不満・・・なにか世の中に対するうらみというものもない。僕はこの程度のものだろう。別にひらき直るわけでもない。卑下するつもりもない。むしろ自分であることにあつかましいくらいだ。人生は短い。別に年をとってからあたふたと信心深くなる必要はない。僕は信仰というものはわからない。わからないけど、軽はずみな扱いはしない。貧弱な脳みそであっても、ここにいることを考える。考える。噛み締める時間。 |
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2001年08月27日 22時42分31秒
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| 身をかがめてひっそりと |
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土日をずっと一室に閉じ込められて、営業マン研修を受けていて、おわってからすっかりくたびれて、ひどく否定的な気分でいたんだけど、こうやってパソコンの前に座って、そういう気分でもつぶやこうかと思っていたら、もうこうやってすわっているだけで、そういう気分は消えてしまった。さっきまで、どうしてあんなに重たい気分でいたんだろう。 妻と子供たちは『モー娘。』の新メンバー発表のテレビ番組を見ている。別の部屋でこうやって一人で日記を書いている。こうして一人で書いていると心は落ち着いていく。身をかがめてひっそりと静かになる。 一人になる少しの時間。時間は限られている。人はいつか必ず死んでしまうんだなあ。 それはいったいどういうことなんだろう。なにかものすごくむなしいようなきぶんになる。そのむなしさを噛み締める。そのまま噛み締める。なにか別なものにゴマカシをもとめてはいけない。意識ははっきりしている。ひとりきりの気分。いろいろなすれちがいな気分。噛み締める。一人の時間。死ぬことを思い出す。生きていることを思い出す。なにかものすごくむなしいような、それでいて静かに生きていることを感じる。身をかがめてひっそりとこの位置に戻る。 |
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2001年08月26日 21時49分48秒
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| 休みの日は休みたい。 |
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あしたとあさっては泊まりかけで会社の研修がある。どこかの研修センターというところへいって、外部から講師を呼んで、なにかいろいろするらしい。その研修所はハブラシがないそうで、ハブラシは忘れずにもっていけといわれている。部屋は一人部屋だが風呂はホテルではないからみんなでいっしょに入る大きな風呂だそうだ。そなえつけのハブラシもないようなところだから、たぶんタオルもないだろう。タオルももっていかなければ。ヒゲソリもないだろうな。今から荷造りをする。あしたはいつもより1時間もはやく会社へいって、それから後輩にクルマにのせてもらって、いっしょに研修センターにいく。なにするんだろう。少しおそれおののく夜。土日というのが気に入らない。休みがなくなってくるとだんだん不機嫌になってくる。 でも来週の水曜日は休む。休んで映画に行く。「千と千尋の神隠し」に行く予定である。しかし、もしかすると休んでも見に行けないかもしれない。まずシュンタは強硬にポケモンが見たいといった。しかしポケモンならいつでもやっているではないか。きっとすぐにテレビでやるぞ。頼むから、ポケモンはやめよう。だまされたと思ってみてみろよ。いつかきっとお父さんに感謝する日がくるぞ、な、秋のナントカレンジャーの映画の時は必ずまた連れていってやるし・・・・とシュンタをなんとかくどく。どうやってみようか。まずお父さんシュンタチームで見て、次はお母さんペチカチーム、待ってるチームがQの面倒見て高島屋かどっかにいて、ええと・・・と、いろいろ計画たてていたら、でもあなたがいかなくてQをみていたらいいではないかと妻がとてもいじわるなことをいう。 夏休みにあなたはもうすでに2本も映画を見ているのだから、もういいじゃない。水曜日は女の人は半額だけど、男は通常料金だしもったいない。そんなに見たかったら「猿の惑星」なんて見なくてひとりでみてきたらよかったのに・・・とてもいじわるなことをいう。夏休みの日曜日に家族連れ一杯の中でひとりでアニメ映画を見に行く度胸は僕にはなかったのだ。僕のこの繊細な見栄っ張りな性格をどうして理解してくれないんだろう。僕は宮崎アニメの女の子の顔というのはとても好きなのだ。なにかうしなわれてしまったとても大切な思い出をおもいだすというかなんというか、今までビデオでたいていの作品は見たけど、映画館で見たのはないので、ぜひ一回みてみたいなと思っているこの気持ちをわかってほしいものである。もし僕を置いていったら、Qとふたりで見に行ってやる。 それにしてもあしたはとても気が重い・・・・。 |
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2001年08月24日 22時54分31秒
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| なんとなく感じた幸福感の朝 |
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会社が近所なので朝は余裕がある。今夏休みなのでペチカもシュンタも朝はゆっくりしていて、子供とも遊べる。Qを中心にきゃっきゃきゃっきゃと朝からにぎやかだ。こういう光景というのは一生覚えているだろうな、という感じで、今朝は幸せな気分でそのままごろんとして会社にいきたくなくなったけど、僕は真面目なのできちんと出社した。 ペチカもシュンタもいつもは僕より40分はやくうちを出て学校に行く。僕はQと遊びながらだらだらうちに残っていて8時半近くなってからようやくうちを出る。Qがいて本当によかったと思う。朝から夫婦ふたりきり残されたら少しさびしいような感じがする。 この春までシュンタは幼稚園児で、Qが生まれてから毎朝、僕は自転車のうしろにシュンタを積んで、幼稚園に送り届けてから、出勤していた。こうやって、シュンタを乗せて幼稚園へ送るこの瞬間というのはもう何年も何十年もあとになってもずっと覚えているんだろうなと考えて、すぎさる時間というのはせつないなあと感じていた。せつないけど、過ぎる時間の品質がいいような感じがする。 シュンタは幼稚園を卒業して、夜寝る前、横で添い寝をしないとなかなか寝つけなかったのに、最近はさっさとひとりで寝てしまう。ペチカなんて、もう、なんか、ときどきものすごくオトナっぽい。おばちゃんみたいなとこがある。子供はどんどん大きくなる。僕は押し上げられ、年をとっていく。時間がすぎてしまうのがときどきこわいようでもある。でもこわさを見つめなくなったらおしまいのような気もする。 |
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2001年08月23日 22時23分18秒
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| 台風は通りすぎた |
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台風が通りすぎ静かな夜。コオロギの鳴き声が聞こえる。若干蒸し暑くもあるが、コオロギは昨日はどこにいたんだろう。すっかり数は減ったように思うが、今日の午前中にセミの声も聞いた。みんなたくましく生きている。 僕は時々、仕事でクルマのって、一日の終わりにとてもくたびれて、遠くへ行ったときなんて、なんどもなんども高速道路のトンネルを出たり入ったりを繰り返して走って、僕の人生とはいったいなんなのだろうか。暗やみの中ずっとトンネルを出たり入ったり・・・ととても陰気な気分になることがある。夜高速道路を一人でずううっと走っていると、どんどんどん自分が小さくなっていくような感じがすることがある。ところが時にはクルマがそのまま空まで舞い上がってしまうのではないかというくらい高揚した気分になることもある。 心の状態というのはとても信用がならないと思う。心はどんなかたちをしているんだろう。僕はどこにいるんだろう。波のようにゆれる心にへばりついているのか。心とは僕であるのか。僕はその波を見ている。そこにはりついている。波の源の海の奥深くは僕のものなのか。僕はただへばりついているだけなのか。へばりついてたまらないちっぽけさを感じる、せせこましい僕はマボロシではなかろうか。誰が見ているマボロシだろうか。見ているそれは誰だろうか・・・ |
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2001年08月22日 22時57分20秒
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| 飛ぶマンション |
| すこしあけている窓から風が吹きこみぴゅうぴーとものすごい音がしている。窓をしめきると蒸し暑いので、少しだけ開けていて、すずしい。台風はゆっくりと移動している。これからどうなるのかわからないが、思っていたほどはこの辺はひどい暴風雨にはなっていない感じだ。マンションの建ち方と微妙な形状のせいか、風の通りぬけはいいが、その際いろいろな風の音がきこえる。ぐおんぐおんぴーぴい。目を閉じて、実は僕が住むこのマンションはゴーゴーいいながらだれも知らないうちに夜空をとんでいるんじゃないかと、想像する。すーすーごーごーぴゅーぴゅーと音をたてて夜空をゆっくり移動している。目を閉じたままでいるとそのうち体までふわふわしてくる感じだ。眠い。眠るとからだをぬけだした魂が夜空を旅することもあるかもしれない。誰かはぼんやりと光る小さな光のカタマリが風の吹き荒れる夜空を横切るのを見かけるかもしれない。 |
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2001年08月21日 21時27分50秒
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| 又三郎な夜 |
| あしたは本格的に台風がやってくるのだろうか。今夜も風が吹いている。昨日の夜も風が吹いていた。昨日の夜もひとりで別の部屋で窓を開けて寝た。風がびゅんびゅん吹きこんで、寒いくらいでふとんにくるまって眠った。目を閉じていると風の吹き荒れる荒地をさまよう詩人のような気分になった。風がびゅうびゅう耳もとで鳴り、僕は旅の途中寝袋にくるまり瓦礫の上で眠っているのだと想像した。僕はさすらっている。どうしてさすらっているのだろう。目を閉じた世界の中では暗く銀色に輝く夜空の下、荒涼とした風景がどこまでも続いていた。びゅうびゅうびゅう。旅の途中の荒地で眠るさすらいの詩人の夢をみた。そのまま朝を迎えて子供たちのラジオ体操へ向かう声で目がさめた。「あの、さむいんですけど」。妻は荒地よりも冷ややかな声でそういって、ぴしゃりと窓を閉めた。どうしてこんな風の夜に窓を開けたまま寝るのか。うちの中じゅう風が吹き荒れて寒くて眠れなかったと文句をいわれた。今夜はよりいっそう風は強くなってきている。今夜窓をあけておいたらちょっとキケンだと思うのでやめておこう。雨はまだふっていない。風の吹く夜。いろんな音がきこえる。救急車のサイレンまできこえる。どきどきする。どきどきといえば、台風の日に出産する妊婦って多いらしい。くれぐれも注意して出産してほしい。風が昨日より不吉な音をたてている。ベランダのカメをしまっとかなきゃ。 |
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2001年08月20日 22時17分01秒
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| 雲が走っていた |
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今日はひさびさに妻と子供達が妻の実家より帰宅。台風はまだきていないけど、風の強い一日。いろいろなカタチをした雲が、すいすいと空を気持ちよさそうに横切っている。もし台風がもっと早いペースで上陸していたら、またまたひとり暮らしが長引いたかもしれない。 ひとりでいるとQの写真に向かってバブバブとはなしかけたりあやしくなってしまうので、無事帰ってきてくれてうれしい。うれしいけど、帰ってきたQはありがたいことに一段と元気に成長して、部屋じゅうをはいまわり、時によたよたと歩いて僕のことをぺちぺちとたたきにくる、ペチカとシュンタはきゃんきゃんふたりでケンカばかりするし、妻はああいそがしいいそがしいととってもいそがしそうで、一人暮らしのだらーっとした時間と空間があっというまに破壊された。あしたからまた日常生活がはじまる。僕はつくづくわがままであると思う。 来週の土日はまた泊まりで研修というものがある。なにをするんだろう。気が重い。やすみがないと不機嫌になったりする。やすんでなにするかというと、たいしたことしないのに。やはりなまけものなのだろうか。 これくらいの風だったら気持ちいい。昨夜は窓を開けたまま寝ると、カーテンがぶわんぶわん踊っていた。僕の部屋を風がグオーっと通り過ぎる中、眠っていた。ねむっている間にたましいが雲のように流れていくようで、気持ちがよかった。今夜もぐっすり眠ろう。あしたはペチカとシュンタはラジオ体操があるらしい。最近の小学生は前半10日チームと、後半10日チームに分かれてラジオ体操をするそうだ。ペチカとシュンタは後半10日チームなのだ。きっとあしたもいい日だろう。 |
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2001年08月19日 22時24分50秒
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| 寡黙な週末 |
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飲みすぎて酔った状態で扇風機を顔面に向けてつけたまま眠っていたら、扇風機の風のゴーゴーいう音のせいか、川のほとりで気を失っている夢をみた。こう書くとなんだかよくわからないのだけど、耳元でゴーゴー流れる川の音を感じているんだけど、自分は気を失っていて身動きできず、あたりも暗やみで、ものすごく不安で、僕にとってはおそろしい夢だったのだ。だから夜の1時頃寝たのに、冷や汗につつまれて5時半に目がさめてしまった。あれは三途の川だったのだろうか。 夕べはまずはじめにビール中ジョッキ2杯に、それからお湯割の焼酎をぐびぐび、途中から調子に乗って喋りすぎて、喋りながら、何杯飲んだかあまり記憶にない。そう昨日は飲んである領域まで達すると突如として人格が変わるこわいセンパイが僕の隣にすわっていた。僕はこのセンパイがとなりにすわると、とってもびびってしまうので、センパイの人格が変わる前に僕のほうが酔っ払ってしまって、オイ大丈夫かと、逆にセンパイを心配させるという、高度なテクニックで対処するよう努めている。 きのうは、僕はなんどもセンパイの体をぺちゃくちゃしゃべりながら、いやだなあ、センパイとかいいながら、何度かどついていたような気がする。朝目覚めたら突如としてその記憶がよみがえった。どうしよう。でもセンパイもとっても酔っ払いなので、きっと忘れていることだろう。 このセンパイの先祖は代々神主さんの家系だったそうだ。そのせいか飲酒時におけるセンパイの人格の変化はなにかとっても憑霊的なのである。とってもおっかない。おっかないことは、王様の耳はロバの耳♪という感じでここに書いてしまうのである。それからセンパイの実家は現在は神主さんではないが、とても広いお屋敷で、たまに妖怪がでるらしい。イッタンモメンというふんどしのような妖怪がおじいさんの部屋の天井で踊っていたこともあるらしい。世の中身近にいくらでもミステリーゾーンがあるのである。 朝の6時まだ体内にはしっかりアルコールがたまっていて頭はガンガンしていたが、1時間ほど走り、 汗を流すと、しゃっきっとした。明日家族が帰ってくるので、午前中は掃除洗濯アイロンかけをした。それから本だなを整理してBOOKOFFへ行きもう読みそうにない本を売る。だいぶすっきりした。夕方コンビニに弁当を買いに近所を歩く。コンビニの駐車場にはエンジンをかけたまま、3歳くらいの子供を乗せっぱなしにした車が駐車していた。どうしてこういうおろかなことをするのだろう。と社会的に憤慨する。 風がすずしい。秋な感じがする。そういえば今日はほとんど、言葉を発していないな。と気がつく。しゅるるん。秋な夜。 |
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2001年08月18日 20時18分43秒
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| くらくらな夜 |
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久々の労働。めまいがする。京都まで、至急の用事でクルマをはしらせる。名神高速茨木から大津まで25キロ渋滞のため、山道をまわる。くねくねくねくね目が回る。はんぶん寝ぼけた一日だった。 夜は上司を囲んで飲む。上司の娘は最近結婚した。最近結婚したのになぜか孫がいる。この人は飲むととめどなく喋る人だが、娘のダンナとはどうはなしていいのかわからないという。お盆にきても、酒ものまんやつだし、話がすぐとぎれてしまうという。そんなとき、孫は便利やでえ、という。孫をまんなかにおいてあやしておけば、それでとても間がもつという。なんだか、とっても境遇がおんなじ感じで面白かった。売上のはなしするわけにもいかんし、なにはなしたらいいんやろ、カギケイタくん。僕の方こそ聞きたい・・・。そんなはなしで、なぜか盛り上がり時間がすぎる。そんなくらくらな一日の終わり。 |
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2001年08月17日 23時51分07秒
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| 夏休みの終了 |
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妻の実家より帰宅する。妻と子供たちは日曜日まで帰ってこないので、また一人暮しだ。でも、今日はとてもゆったりした気分だ。妻の実家でゆったりできなかったというわけではないけど。 妻の実家にいる時、特に気を使ってはいないけど、もしかしたら妻の両親が気を使っているのではないかという疑念がおこる。もしかすると妻の両親はわれわれがこんなに気を使っているのに、この娘の夫はなんて気を使わないあつかましいやつなのだろうと思っているのかもしれない。僕はもしかして妻の両親がそういうふうに思われていたらどうしよう、なんて考えることに僕はものすごく気を使う。けれども。そういうふうにこちらが考えていても実はやっぱりむこうは特になにも考えていないかもしれない。考えてないなら僕がこんなに頭の中でいろいろな架空の会話で頭がくるくるしてけっきょく、Qをあやすふりして親密な会話を避けてしまってはいるが、本当は僕がとてもいろいろ敬意をこめて気を使っていることをわかってくれていないのかもしれない。それとも僕の言うことなすことすべてが悪いほう悪いほうにとられ、僕は毎年毎年嫌われているのではないだろうか。 いろいろいろいろ考える。でも今夜はとてもゆったりした夜だ。雨が通りすぎた。涼しい夜だ。 夏休みに読んだ本。コリン・デ・シルヴァ著、真野明裕訳「イエスの若き日」(二見書房)。2段組482ページの長い小説。伝奇小説の一種なんだろうか。基本的には福音書をベースにした、イエスの伝記であるが、福音書に記されていない空白期間、イエスの13歳から30歳くらいまでの間、この小説ではイエスはインドでヨーガの修行をしている。福音書を読んだことがある人なら、あ、こんな解釈もあるのかと、面白く読める。読んだことのない人は・・・もはや正統的な読み方ができなくなってしまうのではないか(笑)。正統的な読み方というのもよくわからないが。隆慶一郎の「影武者徳川家康」(新潮文庫)を思い出す。 恩田陸「球形の季節」(新潮文庫)。帰りの新幹線で読む。前からこの作家の本を読みたいなと思っていた。妻の実家の近所の古本屋で150円で購入。学園ホラーと裏表紙に書いてあったが、ホラーというのだろうか。中毒になりそうな感じの作家である。僕は自分が高校生の頃のことを思い出した。とてもせつないきぶんになる。僕はどうしてこんなにとしをとってしまったのだろう。どうして妻の実家へいって、帰ってきてからいろいろ反省してしまったりするのだろう。 あああしたからまた仕事だ。夏休みが終わった。 |
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2001年08月16日 19時55分38秒
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| あしたから夏休み |
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あしたから夏休み。日記はしばらくおやすみになる。しかし何か一言でも日記に書かないと、1日が終わらない気がする最近である。さっき部屋を整理していたら、2年前にちょっとだけやっていた家庭内交換日記が発見された。1冊のノートに家族の誰かが、何か書きこんでいく。お絵描きだってかまわない。楽しい楽しい交換日記♪だけど、それはいつのまにか僕のひとりごとのノートに変わっていた・・・。だれも読んでくれない誰も書いてくれないひとりごとのノートはさびしくそのまま自然消滅してしまった。 ああでもペチカも3年生になったことだし、そろそろまた交換日記は復活できるのではないか。しかしまず母親からしてやる気がないのがいけない。どうしてこの僕の妻のくせに筆不精なのだろう。いろいろな意味で僕は主婦になるべきだった。妻は立派な社会人のおっさんとして外で働いているほうが似合いそうだ。多元宇宙のどこかでは、そんなふうに僕が主婦な世界もあるかもしれない。そうしたら、午前中からFM番組にFAXリクエストするのである。 リチャード・バックの『ONE』(集英社文庫)というパラレルワールドをさまよう夫婦の物語がある。飛行機で海の上を飛んでいて、波が光できらきらして網目模様になっていて、その無限な網目模様の数だけのいろいろな多次元宇宙を訪問する。とっても好きだ。・・・ちょっとはなしがずれた。パラレルワールド的にずれたか。ずれたむこうに永遠はある。 ずれた宇宙のはなしとして、ついでにもうひとつ。ケン・グリムウッド『リプレイ』(新潮文庫)。この本はある男が同じ記憶と知識は保ったまま18歳から43歳の人生を何度も何度も繰り返し生きる話。小説としてはこちらのほうが面白い(が僕はリチャード・バックは小説的技法がどうだろうと好きである)。人は何度も何度も同じ人生をさまざまなパターンで生きなおしていたり、まったく別人に生まれ変わっていたり、天国で永遠に生きていたり、あるいは同時にたくさん生きていたりとかいろいろなありかたがあるようである。そのへんのはなしはとても興味がある。 ・・・とにかく僕はいろいろな点で家族の和をつくろうとがんばっているのだけど、なかなかみんな同じ方向を見てくれないからこうやってグレて全世界に向けて日記を書いている。 今日は蒸し暑い夜。扇風機がまわっている。からだがだるいのでる。 ジャングルスマイルのCDが流れている。僕はジャングルスマイルがすごくすきなんだけど、すごくきらいな人がいるので、ふだんはこんな大きな音できけないのである。そういう点、ひとりはうれしい。どんどん自分の世界にはまっていく。どろどろぐにゃぐにゃになってかたちをなくして眠るのだ。 |
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2001年08月09日 23時00分39秒
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| 忘れられた夜 |
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くたびれている感じなので今日は走るのはお休み。会社から帰り部屋を整理。整理整頓はとても好きだ。しかしどうして毎晩整理整頓しなければならないのだろう。どうして朝刊はひらいたままテーブルに載っているのだろう。朝脱いだTシャツと短パンが床に投げ出されているのか。微妙にいろいろ散らかっている。つねに使ったら、使ったその時にかたせばいいものの、そのままやりっぱなしで、まとめて夜に整理整頓している。整理整頓は気持ちいい。整理整頓をしたいから、無意識のうちに部屋を散らかしているのだろうか。風呂にお湯をためてゆっくりつかる。最近は水のシャワーだけだったのだが、今日はゆっくり風呂につかりたかったのだ。冷蔵庫の中に牛乳パックを発見。賞味期限が8月7日になっている。たぶん大丈夫だろう。はやく飲んでおこう。 電話はこちらから2、3回はかけた。しかし向こうからはかからない。昨日も今日もかかってこない。子供たちはお父さんどうしてるのかなと気にならないのだろうか。むこうでは毎朝おじいちゃんと一緒にラジオ体操にいってるらしい。そんな早起きなら、ああそうだお父さんも早起きだったなと、思い出して、おはようの電話の一本でも入れる気はないのだろうか。お父さんは毎朝ひとりで『ちゅらさん』を見ている・・・。なんだか僕のことなど忘れ去られてしまったみたいだ。もうこちらから電話をかけるのは絶対やめよう。 今夜もすずしい夜だ。 |
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2001年08月08日 21時19分25秒
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| アイロンをかける夜 |
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今夜も涼しい夜で、夜空は厚い雲に覆われていた。走ると昨夜より汗が出た。すずしいが昨日よりやや湿度が高いのか。風が強い。田んぼ道の草むらではコオロギやキリギリスの一種のバッタっと思われる虫の鳴き声が聞こえた田んぼの中からはカエルの合唱。妙に遠くに聞こえるカエルの鳴き方が春と比べてなんだか秋っぽいという気もする。夏は少し早めのお盆やすみとのことで、ここ数日はいくらか過ごしやすい。といっても昼間の気温は33.3度であるが。立秋の夜には秋の雰囲気がそこはかとなく。しかし、だまされてはいけない。明日からまた、高気圧は復活するとのことである。 今日の夕方、久しぶりに雨と出会う。にわか雨は極所的に降るので、極所にどかっと降っても貯水地域に振らないと、水不足解消にはならないらしい。近畿地区の場合は、滋賀県にじゃんじゃん降って琵琶湖に水がたまってもらわないと困った事態になる。日々節水が必要である。節水、節約。よく雑誌やテレビなどで、節約に情熱をかたむける主婦が登場する。ああいう番組は好きだ。尊敬する。見習おうと思う。いろいろ工夫してきりつめたり、なにかとリサイクルしたり、そういうことはこれからの時代とても重要である。これからの時代、というよりそもそも、わが家の経済状況からいって、緊急にとても重要である。ひとりの夜にせっせと掃除をして洗濯してカメの水かえして、こぎれいな部屋の中で、ああ今日もエアコンつかわなかった。おひるは380円のカレーだった、夕飯は冷蔵庫の残り物だった。僕はやりくり上手な主婦向きである。ひとりの夜はつづく。あ、アイロンかけなきゃ。 |
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2001年08月07日 21時53分40秒
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| 涼しい… |
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今夜もすずしい夜。きのう朝晩走って、昼間も歩き回っていたので、早朝ジョギングは休み、帰宅後、夜のジョギング。久々の夜のジョギング、すずしい風の中、体が軽く感じて、いつもより早く走れたような気もするが錯覚かもしれない。それでもさわやかである。一日の疲れがとどめをさされるような、夜のジョギング。 夕飯を作る。作るといっても、冷蔵庫の中のご飯その他をあたためるだけである。なかなか、わびさびな夜。チーン。洗濯もする。こまめに洗う。ゴミもきちんとまとめる。部屋をきちんと掃除する。僕はだらしなくなんかない。一人でいたって、こぎれいにできる。部屋の中をきれいにするのは好きなのだ。 洗濯物をベランダに干していると、足元のプラスチックケースの中に住む2匹のカメがゴソゴソ興奮して暴れている。エサの時間と間違えているらしい。今は夜だよ、寝ていなさい。と声をかける。わびさびな夜である。 風がとてもすずしい。今夜もクーラーはいらない。本でも読もう。明日は立秋。こんな夜だと秋の気配がちょっとだけするが錯覚かもしれない。それでもさわやかである。そしてわびさびである。よく眠ろう。 |
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2001年08月06日 22時19分25秒
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| ONEな夕暮 |
| 風がふいてすずしい夜。朝も走ったが、夕方も走った。夕焼けがきれいで、走っていて、とても調子がよかった。田んぼのまわりにはたくさんのコウモリが飛んでいた。あんなたくさんのコウモリ、昼間はどこに隠れているんだろう。ヒラヒラ風にあおられるように飛んでいた。コウモリもまた魅力的な動物であると思う。目はほとんど見えず、超音波で世界を認識して、空飛ぶ虫を食べているらしい。そして休むときはさかさまにぶらさがっている。コウモリから見るこの世界というのは人間が見る世界とはぜんぜん風景がちがって見えるんだろうな。犬にしてもそうだ。犬の世界はニオイが重要だという。ニオイを中心にした世界もまたかわった風景だろう。目に見えているからって、それが唯一絶対ではない。もしかしたらぜんぜんちがうカタチの一部をぜんぜんちがうものとしかしかみていないかもしれないのである。この世界はいろいろな世界がまじりあっているのである。いろいろな生き物がいる。しかしいろいろというのは錯覚で実はたったひとつのものをいろんな角度から切り取り方から見ているだけなのかもしれない。コウモリはじつは僕かもしれない。カメは実は僕かもしれない。夕焼けは実は僕かもしれない。ただ気がついていないだけで実は、僕はたまたま僕であって、夕暮の田んぼ道を走っている。 |
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2001年08月05日 20時19分17秒
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| 一人暮らしの夜 |
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今日から僕はひとり暮らしである。朝、新大阪駅まで、妻と子供たちをクルマで送っていった。子供たちがニコニコ笑って改札を抜けていくのを見ると、涙がでてきそうになった。 新大阪の駅構内にある本屋で立ち読み。アン・タイラーの「歳月のはしご」(文春文庫)が発売されていたので買ってしまう。いつ読むつもりだろう。帯に女性必読と書いてある。僕は男性だけど、アン・タイラーの小説は好きだ。家族、家庭がテーマな小説というのだろうか。「パッチワーク・プラネット」「ブリージングレッスン」「ここがホームシックレストラン」を今まで読んだ。特別事件がおこるわけでもない。ふつうのアメリカの家庭の日常生活を描いているんだけど、読むとなぜかとても感動する。同じ文春文庫から、ビリー・レッツ(これもアメリカの女性作家)の「ビート・オブ・ハート」「ハートブレイクカフェ」という作品も出ている。これは10代の未婚の母や障害を抱えたベトナムの帰還兵のはなしや、現代的なぶっそうな事件のエピソードもでてくる作品だが、とてもあたたかな気持ちになる本だった。もし誰か読んでいる人がいたらとてもうれしい。それだけで、うれしい。 本でもなんでも、あ、それ僕も好きですなんて事態になると、たいして親しくない人でも、ぱっと仲良くなれてしまうことだってある。偏愛の人はとても魅力的だ、僕は日々偏愛のヘンタイになりたいものである。でも多くの場合、僕は世界の果てのカカシみたいな気分でいる。 今日はひさびさにひとりで映画に行った。『A.I.』を見る。土曜日の午後3時半からの上映、堺東の映画館はガラガラだった。寒い。僕には素直に感動できるような作品ではなかった。さっき友人よりメールが来ていて、パパにはつらい作品ですね、なんてたまたま『A.I.』について、書いてあった。それ見て、自分が素直に感動していない問題がわかったような気がした。ママがそんなにいいか!!もちろんそれもあるけど、いろいろな点で、どうも内容が重たく難解に思えた。息苦しい。よく理解していないのかもしれない。よく理解していないもののほうが、でもずっと覚えていたりする。いろいろなことを理解できなくても、受けとめていこう。感覚を眠らせてはいけない。明日は絵でも見に行こう。 |
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2001年08月04日 21時39分50秒
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| 本日の意見交換 |
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今週はばてている・・・。週末に生まれ変わろう。あしたから、妻子は里帰りしてしまう。孤独に弱いので、とてもさびしい。それなのに、今朝は、というべきか、今朝も、というべきか、妻とケンカをしてしまった。たぶんすべては僕が悪いのだろう。いや、でもクルマどうしの接触の交通事故だって、完全に片方が悪いということにはまずならない。それとも僕がかってにケンカだとおもっているだけなのだろうか。むこうから見れば、降って沸いた災難だというのだろうか。そんなことはないはずだ。 僕があやまれば、わたしだって、少し言い方がわるかったわと、せめて1%くらいは、そんなうそみたいなことをいってもらいたいものだ。私はこういう言い方しかできないの、結婚して何年もたってるんだからいいかげんにわかれという。だったら、僕がいつもどういういわれかたをされたら、腹を立てるかということもいいかげんにわかってほしいものだと思う。一日中、頭の中で朝から引き続く架空の会話に腹をたてることをむしかえす。蒸し暑い中でむしかえしているうちにすっかり疲れ果てた。そういうふうにいつまでも引きずる僕をまたバカにするのだ。 僕はものわかりのよすぎる亭主になってだまりこんでしまうことがいやである。理解しあうことに静かに絶望することはいやなのである。たぶんこれからもまたいろいろなことがくりかえされるのだろう。子供に隠れて、なんてことはしない。正々堂々と、きちんと意見を交換できるように、より関係を高めあい、できれば家族全員で、建設的なぶつかりあいをしたいものである。あしたから取り残されてしまうことが、とても悲しい。疲労している。明日はひとりで映画を見に行こう。 |
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2001年08月03日 22時55分20秒
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| ウシな夜 |
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オンドリは悲しい。オスというのは悲しさがある。今日はやや疲労している。昼飯にマクドナルドのハンバーガーをたべたからか。ハンバーガーといえば、オスウシも悲しい・・・。今日の大阪の気温は「そうですねえインドのデリーとちょうど同じですね」とラジオの気象予報士が述べていた。インド・・・インドのオスウシはしあわせだった。町じゅうのいたるところにのほほんと寝そべっていた。クルマの行き交う大通りのど真ん中でも白くて巨大なオスの野良ウシがのんびりと散歩していた。僕がバナナをひと房買って、ぼーっと通りに立っていたら(僕はインドでいつもぼーっと立っていた、それから妻に毎日インドの神様の絵のついた葉書を送っていた)、歩いてきたオスウシにバナナをうばわれた。とても残念だ。10年以上もまえの話だが、とても残念である。 こんな暑い日はウシになるのである。それでも僕は働いた、今日はペチカの習い事(バレエ…僕としては本当jは護身術もかね武道でもやってもらいたいところである)の発表会の日で、会社を休む予定であったのだが、急遽都合がつかなくなった。休もうと思ったらやいつでも休めるようで、いざ休むとなるときに限ってなにか急な用事ができるのである。なにかこれもひとつの法則である。 本日の発表会のビデオ(妻がきゃっきゃとご機嫌なQを抱えながら、ぺちゃくちゃオシャベリなシュンタを黙らせながら必死に撮った)の中で、ペチカが踊っていた。くるくるまわってかわいらしかったが、やはり僕としては、そういう部分を追求するよりはナギナタでも合気道でもやってもらって、女一人でもたくましくいきていけるように育ってほしいと思う。とこっそり思う。いやそりゃあ、ペチカが踊るの大好きで一生懸命なのはいいことだ。僕はハンバーガーや牛丼や妻の手作り弁当で昼飯代を節約して身を粉にしてはたらこう。でもこっそり思う気持ちもあるのである。こっそり思う気持ちはこうして日記を書く。なぜか本日はくたびれているのであしたは、朝はゆっくり眠ろう。 |
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2001年08月02日 22時11分38秒
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| ヒヨコな夜 |
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7月の平均気温は戦後2番目の高さだという。1番高かったのは94年で、つい最近のことである。地球はどんどん温かくなってきているのだろうか。ある日、ぱかっと地球が二つに割れて、中からヒヨコでもでてくるんじゃないだろうか。地球はひ、と、つ、割れればふ、た、つ、おお〜ガッチャマン♪・・・という歌を子供の頃歌ったような気がする。たぶん替え歌だ。台所に置いておいた有精卵が、暑さでヒヨコになってしまった、というニュースをきいたことがある。それは何年か前の夏の日のことだ。今年もたぶんそうやって生まれてくるヒヨコがいるに違いない。営業車のエアコンをつけずにクルマを走らせ営業活動をしようとしていたが、今週になってから、もうだめである。暑さで頭がぐあんぐあんして割れそうになる。割れた頭からヒヨコが出てきそうだ。だからやっぱりエアコンつけて走っている。けれどもこう書いている今もなんだか頭の中がピヨピヨしている。 ヒヨコといえば、子供の頃、学校の前にヒヨコ売りがきていて、1匹100円のヒヨコを買ったことがある。すくすくと育って大きな白いオンドリになった。ポンちゃんという名前だった。ヒヨコのポンちゃんはピヨピヨととてもかわいいヒヨコで、僕のあとをついてきて、庭のミミズをつっついて食べていた。ネコにとられないように、父にポンちゃん用の小屋を作ってもらった。でもオンドリになったポンちゃんは強暴になっていつもイライラしていた。ヒトが近づくと、クワーコッコとつっついてくる。ポンちゃんにつっつかれないように、ポンちゃんはいつも小屋の中だった。真夜中にも住宅街のど真ん中にあるわが家の庭でしばしばコケッコッコーと鳴いた。ある日、近所の農家の人がどうしてもオンドリがほしいということで、ポンちゃんは近所の農家へもらわれていった。もらわれていったと信じていたんだけど、実はポンちゃんは肉屋さんに売られていたのだということをオトナになってから知った。ちょっぴりショックでもあった。僕はだまされやすい純真なコドモだったのだ。かわいそうなポンちゃん!オトナはみんなウソつきさ。そして僕もオトナになっているのである。 |
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2001年08月01日 22時50分25秒
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