6月の日記です

雨の日曜日
目がさめるとすでに妻はママさんバレーの大会に出かけていたので、雨の日曜日は、子供3人と留守番をした。雨は降ったりやんだりした。ペチカもシュンタも、もう、放っておいてもだいじょうぶで、放っておくとQの面倒もよく見てくれるので、別に僕は苦労はしないので、ひとりでゆっくり布団を片付け、食器を洗い、カメのそうじもした。僕は働き者だった。それから読書もした。恩田陸「パスル」(祥伝社文庫)。薄い本なので、1冊読めた。恩田陸さんの小説は文庫になったものを「上と外」以外全部読んでいる。文章がとても好きだ。妻は、一回戦で負けて昼過ぎに帰ってきた。

夕方雨が小止みになったときに走った。走るコースには、ため池がホテイアオイにおおわれているところ以外にほかにも、ふたつある。そのふたつのため池は、ホテイアオイ池よりも大きくて、水もきれいだ。どちらの池にもポツポツと細かい雨が、水面に落ちている中、大きなミドリガメがたくさんプカプカ浮いていた。池のカメはとても大きい。絵本に出てくるカメさんみたいに背中が丸く盛り上がって、ずっしりとした安定感がある。浮かんでいるカメを横目で見ながら、ゆっくり走った。

夜、マンションの非常ベルが断続的に、何度か鳴った。テレビを見ていたら、ぜんぜんきこえなかった。歯磨きをしに洗面所に行ったペチカとシュンタがジリリリという音を聞きつけた。僕はペチカとシュンタを連れて、管理人室に行った。原因不明だが、火事ではないという。そう言っているうちにまたジリリと鳴った。本当に火事じゃないんだろうな。不安になるのである。それからしばらく時間がたつが、結局何事も起こっていないので、たぶんだいじょうぶだろう。だけど、あれがもし本当の火事だったら、どうするのだろう。非常ベルの音が鳴っても、100世帯以上が住んでいるこのマンションはしーんとしたまんまなのだ。管理人室に行った時も、僕とペチカとシュンタのほかには、2名の管理組合の人と思われるおじさんたちしかいなかった。みんなきこえなかったのだろうか。きこえていなければ(うちも、テレビを見てたら聞こえなかった)それはそれで問題だし、聞こえていてしーん、というのは・・・みんな図太いというか、危機意識に欠けるというか、なんか心配である。

注意深く行こうと思う、6月の終わり。
2002年06月30日 22時44分00秒

このようにして僕は日々大人なのである。
朝は曇っていただけなので、雨が降らないうちに走る。休日の朝は走るのである。田んぼ道はぬかるんでいた。去年ホテイアオイが全面に繁茂し、秋にそれが枯れたあとずぶずぶと水の中で腐って、クサイ匂いを放っていたため池から、再びなんとしっかり今年もホテイアオイがところどころにょきにょきと生えてきて、濃い緑の葉っぱを広げている。真夏になるまでにまた池は全面的にホテイアオイで覆われるのであろうか。おそろしい植物の生命力である。静かでいるようでいて、日々植物は壮絶な戦いを繰り返しているのである。僕も曇り空の朝、とろとろと走っているだけのようでいて、実は日々壮絶な戦いを繰り返しているのである。

午前中は妻が髪の毛をカットしに行き、ペチカはポートボールへ行ってしまい、シュンタとQと留守番をしていた。まだ雨が降っていないので、公園でプラスチックのバットでひさびさに野球をした。シュンタは打撃が上達していた。ボールが転がるとQはよろこんで走って追いかけた。でもそのうち飽きて、ひとりでとぼとぼ歩いていた。僕はQがどこかへいってしまわないよう、充分注意しながらシュンタと野球をした。僕はこうして日々子供の面倒をきちんと見ているのである。

午後は、妻が、近所の奥さんたちみんながケイタイ電話を持っていて、妻だけもっていないと、みんなから仲間はずれにされるからどうしてもケイタイがほしいというので、電器屋にケイタイ電話を買いに行った。ケイタイ電話は会社で仕事の都合上持たされているが、僕はとてもきらいなのだ。仕事で使うと、かかってくるのは得意先か会社の事務の女子社員ばかりで、たいていあまりよい話ではない場合が多いので、着信音が鳴るたびに、なんともイヤな気分になるのである。留守電が入っていたらもうどうしようというくらいオロオロしてしまうのだ。たまにメールが入ったかと思うと、営業活動に疲れ果てたと推測される後輩より、救いようのないダジャレのメールが入っていたりする。そんなメールがくると、メールのである・・・ま、そんな感じのやつがくるのである。

というわけで僕は妻がケイタイ電話を持つことはまったく必要ないように思うのである。でもどうしてもほしいのだそうだ。ともだちとメールのやりとりもしたいそうだ。妻がメール、とは、とても想像できない。笑ってしまう。わっはっは。でも僕はケイタイを買ってやった。一度、家に帰り、夜8時にもう一度電器屋に行き、登録設定を終えたケイタイを引き取りに行った。僕はこうして日々、妻の面倒もきちんと見ているのである。

あしたも妻はママさんバレーの大会があり、それに参加するため、僕は子供3人と留守番をする。ケイタイから電話するから、と、とてもうれしそうに、妻は言う。無邪気なものである、コドモである。うちにはコドモがたくさんいるので、僕ひとりがしっかりしなくてはいけないのである。日々ホテイアオイ的に戦っている。
2002年06月29日 21時58分30秒

シンプル日記
金曜日。今朝も起きて走れなかった。6時20分に目がさめたが、起きる気力がなかった。こういう週もある。よく眠った。金曜日。6月もおしまい。一年の半分がもう過ぎる。とても蒸し暑い一日。

Qがブドーブドーとちゃんと言えるようになった。ブドーブドーとブドーを食べる夜。朝の子供番組で、ありがと、ありがと、ありがと〜♪と歌っている歌がある。Qはそれをみながら、何度も頭を下げてアリットウ、ア、リットウ、と真剣な顔でお礼を言っている。若いのに腰の低いヤツである。いろいろ最近コトバを覚えはじめておもしろい。

新潮OH文庫刊、池田清彦著「正しく生きるとはどういうことか」読了。現代はしんどい時代であるなあとこの本を読んであらためて思う。いちいち自分で規範を考えなければならない。しんどくない世界はどんなだろうと考えてしまうことじたいがとってもしんどいけど、あとにはひけないのである。「人間は個体の行動に規範からの逸脱が起きても進化しないでいられるヘンな動物なのである」。

あしたは走ろう。
2002年06月28日 23時05分38秒

食欲の子供たち
今日は9時過ぎに帰宅する。おなかがすいた。遅い夕食をしっかり食べた。まだ眠っていないシュンタが、おかずを食べたがった。Qも腹をすかせた子犬のようにクンクン鼻をならして寄ってくる。しかし僕は誰にも邪魔されずに夕食を食べたいのである。Qの鼻先にボールをゆらゆらさせて、よーし、Q、とってこい、と、ボールを部屋の隅に投げると、Qは、おおよろこびで、ボールをおいかけて行ってしまう。シュンタにはそういう術は通用しない。腹減った腹減ったと言っている。夕飯は2時間ほど前に食べたのに、まだ腹が減っているという。今はシュンタはとてもスマートな体型をしているが、こういう変則的な時間に食べ過ぎるとデブ少年になってしまう危惧があるので、僕はかたくなに僕の夕食をシュンタに分け与えるのを拒否した。妻によると、近所の子供たちの同級生の家庭に比べうちはかなりごはんを食べる量が多いらしい。今夜は寄ってこなかったが、ペチカも大きな声では言えないが、ものすごく食べる。これからみんなますます食べる量が多くなると思う。少しこわくなった。
2002年06月27日 22時38分03秒

涼しくて湿った夜道
久々に雨がやんだので、月曜日から会社に置きっぱなしにしていた自転車に乗って帰宅する。とても涼しい。これくらいの気候が日々続くととてもいいような気もするけど、そうなると異常気象となって、各方面に問題が生じるのであると思うので、無理やりあらゆる科学技術を活用して、このような気候を永遠に続けてもらうようなことは望まない。

こういう日がたまにやってきて、涼しい湿った風に吹かれて自転車に乗ってうちに帰る。ひとつの、たまにやってくる気持のいい時間。いろんなことは、たまにやってくるのである。いろんなことが、ときどき、ひとかたまりに見えて、みんな同じ繰り返しに見えてしまう気分のときもあるけど、さっき僕は、曇った夜空の下、たまにやってくるひとつの時間に遭遇した。
2002年06月26日 21時51分33秒

雨降りが続く
雨降りの一日。今日は市内をまわったため、雨の中、一日よく歩いた。歩くのは苦にならない。クルマに乗っているより歩いているほうが好きだ。雨降りに傘をさして街中を歩いたのは久しぶりのような気がする。雨はさらさらと、静かに降っていて、空気はひんやりして気持がよかった。

明日も雨かなあ。窓を少し開けて、サラサラと雨音をききながら寝るのはとても好きだ。なぜか遠くへ旅に出ているような気分になるのだ。子供の部屋のベッドは、窓際に置いてあるので、ちょうどいい。僕は今日は子供の2段ベッドの1段目で眠るのだ。ペチカと交代してもらった。でも今日は開けて寝たら少し寒いかもしれない。

寝台車みたいなベッドは好きである。雨の夜の旅の寝台車なのである。夜中に僕も転がらない、転がれない。Qもぶつかってこない。ひとり少し窮屈に、旅をしながら眠っているような気になれる。上の段でシュンタが寝返りをうってギシギシとベッドがきしむ音も心地よい。旅に出ているようだ。そう。僕もあなたも誰もかれもみんな、旅をしているのだ。ギシギシ。僕はどこへいくのだろう。そういうことを考えながら、子供のベッドで夢を見るのである。
2002年06月25日 22時48分50秒

ママと呼ぶQ
Qは教育テレビの「お母さんといっしょ」の影響と思われるが、歯ブラシを手に持たせると、たたたと妻のほうにかけより、ママー!と言う。「お母さんといっしょ」でも出演している子供がママーというと、お母さんが子供をヒザの上に仰向けにさせて、歯磨きの仕上げをする。Qもそのテレビ番組のおかげで歯磨きが好きみたいだ。

歯磨きは、よい。問題は、ママー、である。ペチカもシュンタも、小さい頃から、おかーさん、で育った。なのにQはママ、なのだ。妻もはじめは、ママと呼ばれて面白がってはーい、と返事をしていたから、ますますQはママである。しかし、ママである。妻は最近Qにママと呼ばれるとなんだか背中がカユクなってくるのだそうである。妻は親をママパパと呼んだ経験がないので、ものすごくそういう呼称に違和感を覚えるのだそうである。「お母さん」と呼ばせよう、と、最近日々指導中のようである。

ただQはママが母親を意味する言葉であるかどうか理解しているのかどうか疑問だ。僕を呼ぶときもママー!という。ママー!と壁に向かって叫んでいることもある。わっしょいわっしょい、のような掛け声の一種だと思っているのかもしれない。

僕は子供の頃親をパパママと呼んで育った。しかし僕もまたこの呼び方は好きではない。小学校5年生くらいの頃だったと思うが、授業中、先生が「キミたちの中でお父さんお母さんのことをパパママと呼んでいるやつは手を上げてみろ」なんて言うのである。どういう流れでそんなことを先生が言ったのか記憶にない。別に先生にしても深い意味があってそんなことを言ったわけでもないのかもしれない。

ともかく先生の意図がどうであれ、僕はマジメな正直者の小学生だった。だから先生の問いに、キチンと包み隠さず正直に、手を上げた。そうしたら、パパママと呼んでいるのは、女子では2、3人、男ではなんと僕だけだった。僕はクラスの男子みんなに「オマエ、まだママとかいってんのかよ〜」と、からかわれた。非常に屈辱的であった。だからその日以来親をパパママと呼ぶのをやめた。そういう経験もあり、僕はパパママという呼び方はあまり好きではない。母親が今だに父親のことをしばしばパパーとか呼ぶのも、非常に好きではない(だから僕は妻のことを名前のちゃん付けで呼ぶことにしているのである)。

僕はマジメな正直者の小学生だった。その授業の「パパママ事件」があったとき以来、僕は地道に級友たちの家庭での親の呼び方について追跡調査をした。級友たちの家庭に遊びに行った時、ヤツらが実際のところ、どのように親を呼んでいるか密かにチェックしたのだ。すると、ウソつきなヤツはけっこういたのである。ママー!とか呼んでいるヤツはほかにもけっこういたのである。そういうヤツはきっと今でも世の中をうまく渡っているのだろう。僕はマジメに正直に生きていくのである。
2002年06月24日 22時52分20秒

甲子園に行った日曜
今日は会社の人に阪神ーヤクルト戦のチケットをタダでもらったので、家族を置き去りにして甲子園に行く。甲子園には94年の夏の高校野球の時、ペチカを肩車して、行ったことがある。この年、シュンタはまだ妻のおなかの中にいた。ペチカを肩車して甲子園に入場する姿が夕方のテレビの全国ニュースに出て、関東地方の知人よりわざわざ電話でテレビ出てたね、と電話をもらった。ほかにも、何人か、そのことを指摘された。しかし僕はそのニュースを見ていなかった。とても残念である。

甲子園での阪神戦ははじめてだった。僕は日々朝日放送や毎日放送のラジオを聞いているので、それほどファンでもないつもりだけど、知らないうちにかなり洗脳されて阪神好きになっているかもしれない。先発投手は藪だった。藪が先発だととても不安である。不安を感じる僕はすでに阪神ファンである。不安は的中して、いきなりペタジーニにホームランを打たれた。しかし阪神は桧山をはじめ、単発的に打線は悪くなかった。ホッジスは決して万全な体調ではなかったはずだ。なのに、あと一本が出ない。今岡は本日はサッパリだった。アリアスもサッパリだった。遠山は、ワンポイントでこつんと打たれた。でも、見ていてそれほど負けているような気がしない。それなのに、回は進むのだ。これは、まさしくヤクルトの忍術のような勝ちパターンである。ヤクルトはいつも、知らないうちに2点3点とって、勝ってしまうのである。

このところテレビでサッカー中継を何度か見ていたので、野球の動きはすごくゆっくりに思えた。実際、試合は3時間半近くもかかったのだ。家には新聞屋の勧誘員にもらった缶ビールが箱に入ったまま数ヶ月放置してあったので、たぶんそのまま置いておいても永久に置いてあるままだと思ったので、クーラーボックスに何本か入れて甲子園に持っていった。一緒に観戦した会社の人3名にくばって、よろこばれた。僕は気が利くのである。ちゃんと枝豆だって持っていった。妻に命令されたわけではない。確かに提案は妻がしたが、僕もちょうど同じことを考えていたのだ。いずれにせよ、ちゃんと用意をしてくれたのは妻ではある。それについては礼を言おう。僕はそういう点でもとても神経がこまやかなのである。どうしていつもみんなさまざまな人が僕のことをがさつであるとか、注意深さが足りないとかそういう批判ばかりするのだろう・・・・僕はあんまり試合が長いので、珍しく缶ビール350mlを3本ほど飲んでぶつぶつ心の中でつぶやきつつ、しかし、かっとばせー桧山!と声を出して応援していた。

でもやっぱりはじめに感じた不安の通り、阪神は負けた。6連敗である。六甲おろしの合唱をきけなくて残念だった。帰る足取りがみんな元気なかった。このところシュンタは、ペチカばっかり出かけて留守番パターンが多いのでシュンタのおみやげに阪神の帽子とパジャマを買った。ペチカには、トラッキーのボールペンを買った。Qと妻には・・・別に僕はおみやげを買いに野球観戦に行ったわけではないので、何も買わなかった。へんなものを買ってくると、また何いわれるかわからないのだ。阪神のユニフォームのパジャマについてもやっぱりひとこと何かいいたそうだった。でもシュンタもペチカもよろこんでくれたのだ。よかった。

ビールを飲むととても眠たい。あしたからまた新しい1週間がはじまる。元気に行こう。阪神が負けたって、僕の運命が左右されるわけではない。
2002年06月23日 20時59分07秒

トイレの中で僕は立ち昇る運気を感じていた
ここ最近、比較的感情が波打っているような気がする。波を打ってややバランスを欠いているのである。おそらく自宅トイレの便座が微妙に傾いていたことというのも、僕の感情に見えざる影響を及ぼしていたのかもしれない。月初めに傾きのゆがみが積もり積もって、水漏れしはじめたウオッシュレット付き便座は、とりあえずの応急処置はすませたが、その後の完全な修理には至っていなかった。

しかし、本日、ようやく修理屋が来て、新しい便座と取り替えてくれた。費用は当然のことながらマンション管理組合持ち。最新式のウオシュレット付き便座が取り付けられた。少し便座は大きくなったようで、座りごこちもよく、非常に落ち着く。基本的に僕はウオッシュレットは使用しないが、今回はせっかくなので実地で確認したところ、水の出もピュウウッ!と、以前よりパワーアップである。トイレに座りながら僕は、自分の運気が上昇していくのを感じた。トイレで運気・・・何かダジャレでも出てきそうであったが、そんなことをしてはせっかくの運気がさあああーっと消えてしまいそうなので、僕は便座におとなしく座り、立ち昇る運気の気配をただただありがたく感じていた。

今日は妻と仲良く、近所のホームセンターに行った。ちょうど、ウオッシュレットの便座売り場があったので、僕はそれがいかに高額なものであるか妻に教えた。ここの店では一番安くても1台3万円は下らなかった。そんなウオッシュレット付き便座が、タダで取り替えてもらえたのだ。タダといっても、毎月マンションには管理費というものを払っているから、厳密に言うなら、タダではないのかもしれないけど、とにかく僕たちは小さな幸せを覚えた。
2002年06月22日 20時09分29秒

日付が変った金曜日
今朝は目が6時に目がさめたので走った。僕が走っているうちに、Qも起きて部屋じゅうをかけまわってみんなを起こしてまわっていたみたいだ。帰るとみんな不機嫌に目覚めていて、Qは再び眠っていた。僕が注意深く起きないのがいけないのだそうだ。朝からそういう注意されると、すぐに僕は条件反射的に腹を立てる。性格的に多くの問題点がある。そうだ、その通りだ!問題ある! と、指摘されると、やっぱりまた腹を立てる。昨日書いた日記もとっても意固地である。今、何時?・・・意固地です。そんなラジオCMがあったような記憶がある。私は意固地である。まもなく夜中の1時である。

本日は会社の女性社員が退職のため、送別会があった。僕が幹事であった。そういうことはあんまり好きではないのだが、せっせと精を出して司会進行をした。僕はすでにもう決して若者ではないのでもういい加減に、ばかげた中学校の運動部みたいにとやかくいわれたくないのだが、たぶんほとんどただ単にとやかくいいたいがためにとやかくいう先輩というのがいて、僕はとやかくいわれるのは心の底から嫌いなのである。嫌い、という言葉はよくない、苦手、と言ったほうがいいそうだ。苦手のほうが、まだ改善の余地がある、という説だ。しかし、キライなものはキライである。信念を持ってキライであろうと思う。そして僕はそういう人にまったく隙をあたえずにせっせと働いた。

今日は2次会も行った。2次会には、いつも忍者のように消えるのが好きなのでめったに参加しないのだが、今日は幹事は逃げたらあかん、と、女子社員数名にスゴまれた。僕はいろいろな人にスゴまれている。2次会ではカラオケに行った。こういうところでも若い女性がものすごい声量で歌っているさなかに別世界の空間を作り上げて「まあ座れや」とえんえんとなにか説教みたいなことを語り始める人がいるのである。いきなり本日の幹事の問題点についていろいろ指摘をされるのは大変不愉快なので、僕は松浦亜弥ちゃんの歌を歌った。それからみんなのためにせっせと働いた。

イヤな事態に遭遇してしまった場合、へんな避け方をしてはいけない。関ヶ原の戦いにおける島津軍のごとく正面突破、である。本日僕は誰にも隙を与えずせっせとはたらいた。

くたびれる週末。あしたはゆっくり寝よう。
2002年06月22日 00時29分53秒

腰は重要であると思う木曜日
今朝は布団の上で、6時に目がさめた。しかし雨降りの朝だった。今週は月曜日以来走っていない。しかし、この3日間、某所にて商品展示会出展業務のため、ずっと立ち仕事で接客をしていた。腰が非常に痛い。からだがギクシャクしている。飲食店関係で毎日立ち仕事をしている人というのは偉いものだなと思う。

普段は外回りすることが多いので、あまり、同じ会社の人間と一日顔をつきあわすことがないのだが、こういう展示会の時は、朝から晩までいっしょにいる。今日は最終日であったので、さらに、終了後、一緒に酒まで飲む。とても疲れた。酒を飲んで何か言ったところで、何の解決にもならないのだ。たまらなくむなしい。僕は魂の底からむなしく思う。だけどこれがいろいろな疲労の解消になる人もいる。そしてむなしさを覚える僕が、その解消のひとつの道具にされてるような不快感がある。

たいていの年長者を僕は尊敬できない。言われた言葉に感謝の念を抱いたこともない。以前は何か年長者などから忠告めいたことを言われると、もしかしたら僕がいけないのではないかと、思ったこともあった。しかしそんなことはないのである。人は自分が見たいようにしか物事を見ることができないのである。だれかが自分のなにかの解消のために、適当な大義名分で何かを言っても、それは僕にはまったくなんの関係もないことなのである。彼らが僕の人生にいったいいかなる責任を持って関わってくれるというのだろう。全身全霊をこめて、自分自身を肯定しようと思う最近である。むなしい気持になっていてはいけないのである。腰を鍛えて丈夫に生きていこう。
2002年06月20日 22時34分22秒

日々進歩する水曜日
昨日は通常どおりに自分の布団の上で寝たはずなのに、目がさめると6時少しすぎで、なぜか居間のソファの上で寝ていた。なぜ自分がそこに寝ていたのかまったく記憶にない。たしかに眠ったのは、となりの部屋の布団の上であった。別に酒を飲んでいたわけではない。眠る前の意識ははっきりしていた。そのあと、ストンと眠りに落ちた。そのあとのストンの中の記憶がない。夜中のうちにこっそり宇宙人に身体検査をされてしまったかもしれない。そういえば窓は閉めて寝たはずなのに、窓も少し開いていたのだ。と思ったが、今妻に確認したところ昨夜は窓を閉め忘れていたようだ。これには少しほっとした。しかしソファである。このソファの上で寝ると、小さいソファなので僕のふくらはぎから下はソファから、はみでてしまう。とてもきゅうくつな姿勢で僕はソファの上で寝ていた。そして、朝のひんやりした空気が僕のからだの節々を固めた。とても損をしたような睡眠だった。これから起きて走ろうという気持になれなかった。僕はソファから墜落した。床の上で、あと1時間、眠った。なにか貧乏くさい睡眠だった。

この貧乏くささは、今日の昼食のようだ。昼食はインド料理レストランへ行った。1000円にてバイキング形式でカレー食べ放題だった。僕は皿の上に何種類ものカレーを盛り、大きなナンも3枚食べた。黄色いごはんもたくさん食べた。ラッシーというヨーグルトジュースもなみなみとカップに注いだ。バイキングである、食べ放題である、元を取らなければいけないという、強迫観念に駆られ、必要以上に食べてしまった。食べながら、ああ、これは朝のあの1時間の睡眠に似ている、と思った。

でもカレーはおいしかった。インドのカレーはごはんで食べるより、ナンで食べるほうがおいしい。確かにナンを3枚もしっかり食べた僕の心の底には、貧乏くさい根性も潜んでいただろう。しかし、うまかった。食べ過ぎたあとのむなしさを超える味わいがあった。ふだんはおにぎり持参の昼食であるので、1000円のランチというのは、僕にとってはかなりの金額である。しかし、金銭的な面での後悔はまったくない。今朝のからだの節々が固まった状態で、それでもむさぼろうとするあの1時間の睡眠よりも、出会う運命に対する精神面における適切な対応という点で、僕は確実に進歩していた。よかった。僕はまだまだ終わらない。
2002年06月19日 22時26分08秒

朝にもう一度寝る快感の火曜日
映画を見た日の夜は、たいていシュンタは真夜中起きてくる。夢の中まで映画の世界が押し寄せてくるみたいで、眠れないといいながら、起きてくる。眠れないといいながら、さっきまで寝てたのに、目がさめてしまうみたいだ。昨日は、USJに行って、シュンタは、USJに行く前から、今夜は眠れないだろうなあ、なんてすでに気持の上で負けていた。だから昨日は、ベッドに入って30分もしないうちに、律儀にむっくり起きてきて、やっぱり眠れないと半ベソをかいて、親の布団に転がってきた。

そうすると僕は居場所がなくなるので、子供たちの2段ベッドの下の段で眠ることになる。しかし昨夜は下の段にはペチカが寝ていた。前はずっとペチカが上の段だったが、このところしょっちゅう、ペチカとシュンタは上下入れ替わる。僕が2段目で寝て、からだの重みで2段目の底が抜けて下のペチカの上に落っこちてしまうと大変なので、重たい10歳児のペチカを担いで、2段目に放り投げ、1段目のベッドで眠った。

夜中に非常に蒸し暑かったので目がさめた。ベッドは窓の横にくっつけて置いてあるので、窓をあけて再び眠った。今度はよく眠れた。朝、雨の音で、5時半くらいに目が覚めた。雨の朝、早起きすると、ほっとする。もう一度目をつぶって、眠りの世界に。雨の音と、開けた窓から入ってくる湿ったひんやりした空気がここちよかった。寝台車に乗って夜の間旅をして、どこか知らない町にたどり着いた朝のような気分になった。2段ベッドは旅の寝台車風だった。目を閉じたまま、見知らぬ町についていろいろ想像をめぐらし、朝の心地よい二度寝を愉しんだ。
2002年06月18日 19時51分15秒

月曜日の置き去り
今朝も無事6時に目がさめて、月曜の朝のジョギングをした。よし、今週もしっかり働こう、とスッキリした気分で7時に家に戻ると、すでに家族全員起きて着替えもすませていた。いつもはもうすこし、だらだらと起きてくるのに、みんななかなかいい感じだと思っていたら、昨日、学校で授業参観があったので、今日は学校は代休なのだ。そして今から、USJに行くから、あとはよろしく、と僕は月曜の朝、ひとり置き去りにされてしまった。少しさびしかったけど、今日も僕は働いた。働いて帰ってきても、家の電気は消えていた。別にかまわない。僕はぜんぜん気にしない。家族みんなが楽しければ、僕はそれで満足だ。

ウイリアム・サローヤンというアルメニア系アメリカ人作家の「ヒューマンコメディ」という小説を読んだことがある(ちくま文庫刊)。移民で子沢山で貧乏な家庭の物語だ。この物語に登場するお父さんというのはとても立派な人なのだ。ただもう生活のために、どんな仕事でもやった。ぶどう園や梱包工場やなんやかや単純で当たり前の作業ばっかりでも一生懸命働いた。それで奥さんには何ヶ月もローン組んでハープを買ってやったり、娘にもピアノを買ってやる。子供たちは、そういう、ハープなんかは、どこのうちにもあるもんだ、ってずいぶん大きくなるまで当たり前のように思っていたのだ。だけど、お父さんが死んだあと、長男のマーカスは戦争で兵隊にとられ、列車に乗って戦地へ向かうときに、そのお父さんのことを思い出す。おれね、おやじは、大した男だったと思うんだ、と戦友にお父さんのことを話し始める。やがてこのマーカスお兄ちゃんもすごくいいやつなのに、戦死してしまう。

そうとう昔に一度だけ読んだ本なので、中身の多くを忘れているが、このシーンはなぜかよく覚えている。この小説全体は基本的にとても悲しい話ではあるのだけど、そうでありながら、生きてこう、という勇気を与えられる本だった。またいつか読みなおそう。僕も、この本のお父さんみたいに、子供たちの心の片隅に僕が死んでもそんなふうな感じで生きていれたらいいなあと思うのだ。

だから僕は気にしない。ひがまない。コホン。
2002年06月17日 22時35分11秒

父の日の日曜
今日はペチカとシュンタの通う小学校で授業参観があった。Qを抱えて、ペチカの教室の廊下側の窓からペチカに手を振って、それから、シュンタの教室に行って、やはり廊下側の窓からシュンタに手を振った。Qはペチカを見てもシュンタを見ても、ニイニイ!と言ってよろこんだ。授業参観のあと、体育館で、創立130周年の記念式典があって、ペチカもシュンタも合唱や合奏をするらしかったのだが、長い時間を蒸し暑い体育館内でQといっしょにいるのは困難と判断したので、撮影係を妻に任せて、ア・ン・タ・ハ・ズ・ル・イというイライラとした妻のテレパシーを背中に感じながらも、僕はQと校庭で少し遊んだあと、家に帰った。Qは家に帰ると、ウンコをしたので、おしめを替えた。それから家の中を好きなようにあそばせて、僕は子供たちの2段ベッドの1段目に転がって、ノア・ゴードンの「未来への扉」を読み始めた。現代アメリカのお医者さんの話しなので、すらすらと読みやすい。が、そのうち眠ってしまった。僕はおじいさんのようにすぐ眠くなるのだ。昼前に妻が帰ってきて目を覚ますと、Qも僕の横で、まるまって眠っていた。

昼からはペチカもシュンタも友達のうちに行ってしまった。僕はまたQを連れて、子供たちの借りた本を返しに、図書館へ行った。図書館では、ゆっくり雑誌でも読みたかったが、Qがパッパラパッパラ踊るので、すぐに外に出た。ホームセンターの植物コーナーに行ったら、Qがサボテンをにぎりそうになったので、また抱え上げ、あまりゆっくりできずに、家に帰る。僕は休みの日はいつもQといるように思う。いるだけだ、と妻がいう。僕がQといっしょにいるあり方が、どうも気に入らないらしい。Qをひきずりまわすだけではなく、もっと創造的にQと遊んでくれと言う。いろいろむずかしい。今度綿密にQとの正しい遊び方についての指導要綱か何か書いていただきたいと思う。

しかし僕と妻が両手を広げて、Q!と呼べば、Qは必ず僕のほうに来る。

ペチカとシュンタはまだ帰ってこないので、よく晴れた蒸し暑い空の下、1時間あまり走る。田んぼには下着姿で麦わら帽子をかぶったおじいさんが農作業をしていた。ああいうおじいさんは僕の子供の頃にもここではない場所だけどいたように思う。もしかすると、さまざまな時代をさまよう農作業のおじいさんの妖精なのかもしれないと思った。今日はよく走れた。日に焼けた。

夕飯の時、ペチカは昨日キャッツを見に行った帰りに買った、父の日のプレゼントであるネクタイを僕にくれた。シュンタとQと3人から、とやさしいペチカは言った。でも、シュンタは今日が父の日であるということはぜんぜん知らなかったらしい。本当なの?今日は父の日なの?お母さん。とシュンタはすぐに妻に確認する。たぶん妻と僕が並んで、両手を広げたら、シュンタは迷わず妻のほうに行くだろう。小さい頃からそうだった。ペチカは、もしそういうことをしようとしたら、どっちが好きとか、そういうことは言ったらアカン!ペチカはお母さんもお父さんもどっちも大好き!と怒り出して説教をはじめるので、僕はしない。

シュンタと今日も野球ゲームをした。今日は僕が勝った。135試合のリーグ戦なのでまだまだ終わらない。
2002年06月16日 20時03分34秒

指輪物語読了(2002.6.15)
ついに指輪物語文庫本9冊を読了した。はじめどうもなじみにくかった、まったくの異世界の話し。ホビットにドワーフにエルフといわれてもなんだかさっぱりわからなかった。正直なところ最後まで、読んでいる途中にしばしば、うとうとした。だけど毎晩毎晩、読んでいると、それはそれで、中つ国という世界がなじみになってきて、フロドにサム、アラゴルンや、ピピンやメリーに親しさを覚えていた。特にサムは僕にはとても魅力的な登場人物となった。また中つ国の地図を見れば、そこでくりひろげられた物語が浮かんでくるのである。

後半は戦争シーンが多く、死屍累々というところもあってますます陰気な世界になっていたが、この陰気さが読書を続ける磁力になった。話しはだいたい第9巻の3分の1くらいで片付いてしまったのではないかと思って、あとの残りはどうなるのだろうと、心配していたが、その残りのエピソード的な部分もとても充実して最後までぎっちりな内容だった。10年以上前に購入して(その頃僕が読んだ作家の何人かがこの作品を非常に褒めていたので読んでみたくなったのだ)、購入したのに、気分がのらずどうも読めなくていつか読む日があるのだろうかと思っていた本だったので、読めてとてもうれしい。たぶん本も人もいろいろな出来事も最適なときに最適なものに出会うのである。まだ未読の「ホビットの冒険」もそのうち読もうと思う。

留守番土曜
今日は朝からペチカと妻は、ペチカの誕生祝という名目で、ミュージカル「キャッツ」を見に行った。僕とシュンタとQは留守番だった。このように留守番する場合が非常に多いように思う。シュンタと、ふたりで、64の野球ゲームをした。シュンタはたぶん、野球よりこの野球ゲームが好きなのだと思う。5回ほどゲームをして、一回だけ勝つ。まわりでQがはねていたが、そのうち眠ってしまった。

昼から、3人でペチカのケーキを買いに行った。ペチカの本当の名前はペチカではないけど、ペチカという名前は本人も気に入っているようなので、ケーキにサービスでつけてくれる、お誕生日おめでとうの小さなプレートに書く名前を店員にきかれた時、僕は「ペチカ」と言った。「カタカナで、ペ・チ・カ」。店員はチョコレートの文字でお誕生日おめでとうプレートに、「ペチカ」と書いてくれた。呼び捨てであった。

僕とシュンタとQは3人で蒸し暑い午後、ケーキの箱を抱えて散歩した。Qは、ときどきしゃがみこんで、「ジー、ポン!」といって飛びあがった。たぶんカエルのまねをしているのだと思う。田んぼには水が張られて、稲の苗が植えられていた。3人で立ち止まって、じっと田んぼをみつめていると、水面に、たくさんのカブトエビの幼生が泳いでいた。カブトエビというのは、ダンゴムシみたいな姿をした水性昆虫である。Qはお、お、と指差して、小さなカブトエビが泳いでいるのに感激していた。シュンタは、これ、カメ食べるかな、でも持って帰ったら、お母さん怒るかな、といろいろ気にしていた。僕はカメにやらなくてもいいから、小さな水槽に入れて飼ってみてもいいなあ、と思ったりもした。

こうやって、妻とペチカがいなくて、3人だけでいると散歩もゆっくりできる。
2002年06月15日 18時16分21秒

ワールドカップの金曜
3時からラジオは全局いっせいにワールドカップだった。サッカーの実況中継をラジオできいていると、もともとサッカーのことをほとんど何も知らないので、一体何がおこっているのかさっぱりわからないけど、もの凄いことが起こっているのだということはわかる。仕事なんてしている場合ではないのではないかという気になってくる。得意先に訪問するのもこんな時に失礼だなとも思ったので、とりあえず、前半はラジオの実況をききながら、くるくるクルマで回っていた。それにしても実況のアナウンサーはものすごく興奮しているようであるのに、チュニジアのわかりずらい選手の名前をよく間違えずに言えるものだと感心した。しかしもしかしたら、間違って言っているのかもしれない。チェニジア人の本当の名前なんて僕は知らないのである。「チュニジア」だったか「チェニジア」だったかも書いているうちにわからなくなってくるのである。

前半が終わりハーフタイムになったので、僕は得意先を訪問した。やっぱりそこの事務所でもテレビがついていて、ワールドカップっをやっていた。15分で手短に商談して去ろうとしたら、後半戦がはじまった。今は、どこいったって、仕事になりゃせんから、ここに座って見て行け、と社長より事務所の片隅に椅子を用意してもらっちゃったので、断るわけにもいかず、従業員の人と並んで座ってしっかり後半を見ることになった。しかし、後半はじまった直後、僕は所用があり、一瞬、席をはずしてしまった。そのため、森島選手の1点めのゴールシーンを見そこなってしまった。しかし、恥ずかしながらほとんど唯一顔と名前の一致する中田英寿選手のゴールを見ることができた。われわれはおさるさんのように手を叩いてよろこんだ。なかなかよい一日だった。18日も、またここに訪問しようかな。
2002年06月14日 22時55分25秒

鯉について瞑想する木曜の朝のジョギング
このところ木、金というのは起きられなかったが、今朝は、無事早起きして、走ることができた。すでに太陽が昇ったなまぬるい朝。すぐに汗が流れてくる。僕にとっては空気のほどよい重たさと温度である。もう少し暑くなると、重たくなるし、もう少し涼しい季節でも、まわりが軽過ぎて、僕の肉体は置いて行かれるような感じなのだ。からだをしっかり感じられる空気である。ほどよい湿度と水でできている肉体はつながって環境と一致して走っているのである。サカナの気分の朝である。このサカナはとても着実にゆっくりと泳いでいるのである。沼の鯉のようにじっくり泳いで丈夫で長生きなのである。

東北地方だったか、とある沼の鯉は200年くらい生きるものがあるらしい。寒い地方なので一年の半分くらいは冬眠をしていて、その間は仮死状態であるらしいので、200年のうち実質生きているのは100年くらいだそうだ。100年でもすごいが、しかし鯉の肉体は200年続いているのである。ずっと水の中にいて、よくふやけてしまわないものだ。僕も見習おうと思う。どんな気分だろう。200年生きている鯉について瞑想しながら、朝のジョギングに励もう。細かいことで、神経をすりへらされず、すいーすいーとゆっくり泳いでいこう。
2002年06月13日 21時41分33秒

引き続き屁問題について考える水曜日
月曜日に考えた屁問題については、無事、家族の中では笑い話で落着した。笑い話ついでに僕が昨日出張中に、妻がこの件についてうちの両親に電話ではなしをしたそうだ。両親はひどく僕の行動について腹を立てたらしい。両親は妻にそんなふうな下品な人間に僕を育ててしまったことを心からわびたそうだ。僕はものすごく傷ついた。前にもいわれたことがある。妻に、「子供を育てるのがうまい」と両親は言った。わたしたちは失敗だった。つまり僕の育て方を間違えた、というのだ。

僕は失敗作だろうか?僕はもしかしたら失敗作な人間なのではないかと常々自覚はある。自覚はあるが、それを改めて実の親から指摘されて、これほどひどく傷つくのはやはり僕が失敗作のできそこないの人間だからなのだろう。だけどそんなに僕はひどい人間なのだろうか。ひどいなりにも、なんとか生きていこうと、能力のないなりに・・・・やっぱり日々じたばたしているのである。わかっているのである。わかっていることについて、あとからあらためてわかったように指摘されるのは、非常に不快である。世の中で、会社とかで、評価されて、あいつはできがいい、できがわるい、といわれるのは、まあ、しかたがない。そういうものである。でも実の親から、失敗だなんだかんだと言われるのは、月に向かって泣きたくなるほど悲しい。

僕をそんなふうに下品に育てた覚えはないのにという。僕の両親はとても品がよいのである。他人の品のなさに関する粗探しについてはとてつもない才能があるのである。たいしたものである。

屁をこいて寝たい気分だ。ぷっぷー。
2002年06月12日 23時10分07秒

屁問題について考える月曜日
昨日、シュンタがペチカをからかって、おいかけまわしてペチカを泣かしてしまった。そうやって、人をからかって泣かすのはよくないことだと思うので、僕は教育的配慮から、シュンタをつかまえて、シュンタの顔を僕のおしりに押し当てて、思いきり屁をした。プライドの高いシュンタはとたんに泣き出した。オマエがペチカにしているのは、これと同じことだと僕は説教した。

これを見ていた、妻は、ものすご形相でつかつかつかと僕のところにやってきて、「シュンタにあやまれ」といった。僕がまるで、幼児虐待でもしたみたいにモウレツに非難した。ペチカは僕を弁護した。お父さんは悪くない。だれだって、おならぐらいするやん!黙りなさいペチカ!と妻は言った。ペチカは涙ながらに訴えた。お父さんがかわいそうや!ペチカには同情され、妻には弾劾され、シュンタには、「お父さんと今日いっしょに山登り行ったことなんて忘れたる!」とさめざめ泣かれながら言われ、僕は宇宙で一番孤独だった。

だけど、僕がとった行動について、確かに品はなかったかもしれないが、そこまで非難されることが正しいとは思えなかったので、絶対に謝罪はしなかった。宇宙の果てのような孤独を感じながら、しかし家族そろって、ワールドカップを見た。サッカーは、とても難解である。一塁はここ、センターはここ、バッターボックスはここで、打ったら、こっちに走る、とか、野球のように、きっちり場所が決まってないので、すごく忙しい。忙しいから落ち着いてスイカも食べられない。みんなせっかく買ったスイカも食べずに、うーとか、きゃーとかいいながら、テレビの前で、ワールドカップを応援していた。Qも足踏みして踊っていた。

僕はスイカを食べたかった。食べたかったから、ひとりで冷蔵庫からスイカを取り出し、包丁で三角に切って、ひとりでテーブルで食べ出した。そうしていたら、Qが気づいて僕のほうにやってきた。やってきたのでスイカをひときれ与えると、イヤイヤをして食べない。Qはスイカ本体よりもスイカの種に異常な興味を示して、皿に顔っを突っ込みつまんで食べようとする。だが、僕も僕の兄も父親も盲腸炎を患っている家系なので、スイカの種は食べるのはよくないと思い、僕はスイカの皿を持ち上げた。皿を持ち上げたのに、まだQは僕にへばりついてスイカの種をほしがっている。だから僕はQの健康上の配慮から、子供の部屋にこもって、ドアを閉めて、ひとりでスイカを食べた。Qは、子供部屋のドアに貼りついて、フェンフェン泣いていたが、やがて、あきらめて、去っていった。

僕はスイカを食べた。満足して、子供部屋から出ると、居間のソファでテレビに向かっている妻が僕をにらんだ。「信じられない人!」と僕に言うのである。子供を締め出してまでスイカが食べたいの?・・・Qは台所の子供イスに座って、バン!バン!とテーブルを叩いている。なにか食べたくなるとQはいつも自分の子供イスに座ってバンバンバンと暴れる。ほら、せっかくいい子でテレビ見てたのにQがあんなになっちゃって・・・。バン!バン!バン!Qはとてもごきげんにテーブルを叩いていた。たしかにこれは、僕が大人気なかった。悪かったと思う。自分の非は率直に認めよう。しかし、シュンタへの屁説教については、僕は間違っていない・・・・。ハーフタイムで、妻がバナナヨーグルトを作ってくれるまで、バンバンバンのQをごきげんのままなんとかごまかした。

ワールドカップでは日本がロシアに勝利した。家族みんなとてもしあわせそうだった。僕だって、わからないなりに、途中スイカを食べたりしたけど、最後まできっちり見たのだ。だけど、密かに宇宙的に孤独だったのだ。寝る前にもう一度妻から、シュンタへの屁、Qを締め出してのスイカ、の2点について改めて注意された。しかし、スイカについてはともかく、屁については、決して、僕は、過ちを認めなかった。

しかし一夜明けて、今日は、そのことが、気になっていて、もしかすると僕はやはりシュンタにひどいことをしたのではないかという気も少ししてきたため、会社の20代女子社員約3名にシュンタへの屁説教について、意見を求めた。妻にケンセキされたこと、ペチカが泣いて弁護してくれたこと。20代女子社員3名の見解として、それは、説教というよりもむしろ笑い話に属する行為ではないだろうか、というものであった。そもそもシュンタが泣いてしまうのが、この話しをフクザツにしているのではないか、ということだった。それにしても、仲のよいご家族ですやん、と褒められた。ああ、わたしも子供の頃、お父さんによくオナラひっかけられましたわ、なつかしいわあ、なんて言う人もいた。僕はものすごくうれしかった。女子社員3名の好意的な見解を述べる姿をそのままビデオに撮って、今夜家族みんなで上映会を開きたいくらいだった。家に帰って、僕はこのことを妻に報告した。妻は僕に、あなたはいつも自分がとてもいい人のように言うからずるい、と言って僕の喜びをわかちあってくれなかった。いや、けっしてそんなことはない。僕はありのままの事実をこうやって書いている。

明日は出張のため、日記はお休み。ひとり静かに反省の夜をすごそう。
2002年06月10日 21時21分54秒

山登りの日曜日
昨夜は1時すぎまでかかり、指輪物語の8巻目を読了。あと最後は1冊を残すのみとなった。よかったよかった、と思いながら眠りにつくと、目がさめると9時前だった。あれ、ペチカは?ときくと、ポートボールの練習試合でもう出てしまっていたらしい。いいわね、ゆっくり眠っていられて、とイヤミをいわれた。わたしは、2時間も前から起きていて、ああいそがしいいそがしい、と、すごく不機嫌だ。それでも僕は朝ごはんをゆっくり食べて、今日もピシっと青空な天気の下、朝のジョギングをする。それからシュンタとキャッチボールをして、さて、また転がって、指輪物語の続きを読もう、シュンタはシュンタでゲームゲーム、とテレビの前に座ったら、不機嫌な妻が僕にひとつの提案をした。こんな天気がいいのだから、どこかでかけるべきではないか。どうしてそんなになにもしないで、転がっているのか。大阪には、金剛山という、ハイキングに最適の山がある、そこにでも行ってきたらどうか。

ということで、シュンタと僕は、ふたりで、クルマで50分ほどのところにある、金剛山という山へ行った。1000mほどの山であるが、大阪では一番大きな山だそうだ。われわれはクルマでクネクネと山道を上り、とちゅうでいつもどおりシュンタはゲロゲロと車酔いをして、ビニール袋にゲロを吐いた。「だからぼくはうちでゲームをしていたいんだ」と、ゲエゲエもどすシュンタの背中がつぶやいていた。

ロープウェイ乗り場の駐車場にクルマをとめて、ロープウェイには乗らず、登山道をふたりで歩いた。途中休憩をいれながら2時間くらいかけて、頂上に上った。時々、中高年の登山者とすれ違う。コンニチハ、と挨拶をかわす。山の中はとても静かで、ウグイスが時々、ホーホケキョと鳴いていた。指輪物語はひたすら山道を登っている小説で、情景描写がこと細かく、読んでいる間に、わかんなくなってくるところがあるのだが、このように山道を歩いていると、指輪物語の世界に迷い込んだような気分になってきた。山の頂上付近には神社があった。神域の霊気を感じて歩いてください、と看板があった。神域の霊気、コトバがいい。すずしくてさっぱりとした青空の下の山道にはそんな気がただよっていそうだった。僕は魔法使いになりたかった。シュンタ、神域の霊気を感じるか?ときくと、シュンタは、わからん、と言った。もうつかれた。

でも頂上には公園がありブランコが置いてあった。シュンタはブランコを見たら大喜びでかけていった。売店でカップヌードルをしあわせそうにすすっていた。半分ずつわけて、とてもおいしかった。

たまの山登りは気持がよかった。僕は単純に、ひたすら走るとか歩くとか日記を書くというのはとても好きなのだ。心地よく疲れた。帰りのクルマの中ではシュンタはぐっすり眠っていた。僕もあしたはゆっくりやすもう・・・と思ったら、月曜日である。
2002年06月09日 18時17分08秒

夏のはじまりのうたたね
朝8時半に走る。太陽はまだ夏のはじまりの軽いギラギラでまだギ、ぐらいなので、汗は流れたが、心地よい。近畿地方では記録的に早い段階で真夏日が何日か続いているらしい。今日も真夏日になったのだろうか。でもたいしたことはない。セミの声も聞こえない。うちの近所は本当の夏になるとセミがとてもうるさくて、セミの声で目がさめる。どうにもこうにも暑くて仕方がなくなっても、それはそれで、決して嫌いではない。暑さには立ち向かう気分になれる。どちらかというと、冬のほうが負けてしまいそうな気分になる。冬の負けてしまいそうな気分は、でも、なんか心地よかったりする。負けてしまいそうな気分の方が、いろいろ、気分のバリエーションが増えるというか・・・。

午前中は走り終わったあと、家の中でごろごろしながら、指輪物語第8巻の続きを読む。今週はローペースである。窓から吹き込む風が気持いい。指輪物語の事細かな情景描写を読んでいると、うとうとと眠くなってくる。外がキラっと光っている中、午前中のうたたねは、心地よい。この場合の心地よさというのは、冬における心地よさとは異なり、非常に単純な心地よさである。こころの表面をさらりさらりとここちよくさまよう。

中学生くらいの一時期は、このうたたねがしばしば恐怖の時間になった。はっと気づくとグイーンと耳鳴りがして、金縛りにあった。半分眠っていて、半分起きていて、世界は茶色に変わるのだ。時々、茶色く変わった世界を(世界といっても家の中だけだが)、ひょろひょろと、意識の上で低空飛行でさまようのだ。そういう奇妙な幻覚状態にしばしば陥った。あれはなんなのだろう。別に金縛りにあってオバケに出会うとか、抜け殻の僕の肉体を天井から見下ろすとか、そういうことはなかった。ただただ、茶色の世界を息苦しくふわふわさまよう自分自身を感じていた。たぶん青少年であった僕の意識は今よりずっと繊細であったのだろう。今はとても単純に夏のはじまりの午前にうたたねをする。そして、さらりさらりとさして困難を覚えず、こころの表面を心地よくさまよう。
2002年06月08日 18時07分35秒

また金曜日がきた。
金曜日がやってきた。この前の金曜日からあっというまに、また金曜日がきた。今週は、すごく早く時間が流れたような気がする。もし思い悩むことがあるならば、それにとりつかれずに、まず動け、そうすれば、悩みなどなくなり時間は知らぬ間にすぎていくだろう・・・という考え方があるが、しかし、そのように、思い悩みを先送りして直視しないで、時間をやりすごすというのは、正しいことだろうか。正しくはないかもしれないが、思い悩みのないということは、幸せなことなのか・・・。正しくあるということと、幸福であるということは、並び立つものなのだろうか。先週の金曜日から今日の金曜日まで瞬く間であった。それはそれで幸福ではあった。が、正しさについてのじりじりとした時間というのは、最近あまり過ごしていないような気がする。じりじりじり。きっと誰だってたまにはそんな音は聞こえるのである。聞こえる時はしっかり聞いたほうがいい。じりじりじり。
2002年06月07日 22時33分53秒

事故運を適切に処理した木曜日
先週、会社で僕が乗っている営業車は、トラックに後ろからこつんとぶつけられて、うしろがすこしへこんでしまったので、今週は修理に出して、代車でレンタカーを借りている。しかし今日は、大阪市内の新しい担当地区を前任者のより引き継ぐため、レンタカーの方を会社に置いて、前任者のクルマに乗って、得意先まわりをした。今日もまたくるくると目の回る一日だった。やっと一日の仕事を終えて、会社に戻ると、なんと、会社の敷地内の駐車場に置いていた代車のレンタカーの左後部ドア付近が、大きくボコンとへこんでいた。僕が不在中に、会社の敷地内で、荷物の積み下ろしをしていたリフトから、なにかの拍子で荷物がひっくり返って、落っこちて、思いきり代車のレンタカーにぶつかってしまったのだそうだ。1週間で、2回もクルマをへこまされた。なかなか珍しい体験をした。このようにして僕の最近の事故運は使用された。しばらくは、災難にはあわないように思う。
2002年06月06日 22時05分44秒

即物的な水曜
朝は最近とても気持がいい。今朝も軽快に走れた。しかし、1日がはじまると、だんだん蒸し暑い季節になってきた。今までは比較的のどかな地域を担当していたのだが、最近、大阪市内の一部も担当地域になり、今日も一日市内をくるくるまわった。都会の道はとてもガラが悪い。路上駐車のクルマもいっぱい。神経がやすまらない。コンビニでトイレ休憩しようと思ったら、都会のコンビニにはなかなか駐車場がないのである。得意先に到着しても、やっぱりクルマをとめるところがない。少し離れた、一時利用の駐車場にクルマを止めて、それからひとごみの中、カバンを抱えて、歩きまわる。このところあまり歩きまわって仕事はしていなかったので、くたびれた。暑くて、だるくなってきた。なんだかこういう日の日記はとっても即物的である。

今日はちょっと遅く帰ってきた。Qは起きていて、ニヤ、と笑ってくれたが、僕が帰ってフロに入っているうちに眠ってしまった。夜の風はとてもすずしい。即物的に涼しい。
2002年06月05日 22時35分38秒

不安と戦う火曜日
今朝はすっきりと目がさめた。朝6時は、明るくてとてもすずしい。ウオッシュレットの便座へ水を送る管の水漏れも、夜のうちはそれほどひどい状況ではなかった。朝、僕は気持よく走る。

朝はトイレは出入りが激しい。子供たちは朝食を食べると、ペタンペタンと便座に座ったあと、元気に学校へ行った。子供の座り方は慎重さを欠いている。子供たちが学校へ行き、さて、僕も・・・と思ったら、ウオシュレットの管からの水漏れがボタボタボタとひどくなっていた。一晩で、わずか数センチしかたまらなかったバケツの水が、みるみるたまってあふれそうだ。僕は便座に腰掛ける心境にはなれなかった。

緩んだボルトをレンチで閉めると、やっとおさまった。しかし便座は、ずれている。便座と便器をつぐネジがひとつ、折れてなくなってしまっているのだ。ずれているとまたボルトがゆるみ、やがて水漏れが再び繰り返すだろう。不安定な便座に座るのはとても不安である。

今日、仕事中、トイレ休憩時にとあるホームセンターに立ち寄った。ホームセンターにも便座は販売していた。ウオッシュレットタイプの便座はどれも2万円以上もしていた。ますます不安になった。不安になりながら、ホームセンターのトイレで用をすませた。

しかし、この不安におそれおののいてはいけない。不安は正面から見つめ、立ち向かわなければならない。そういうことを考えているのである。便器のことだけではなく、日々は、不安であると考えると不安なのである。しかし、それに負けてはいけない。たとえ便座はずれていても、不安にはまっすぐ立ち向かおう。
2002年06月04日 23時00分12秒

体調
朝5時くらいにカミナリの音で目がさめた。カミナリだから走るのやめようと、7時過ぎまでまた眠った。目がさめたら、とてもよく晴れていた。カミナリがなっていた頃、雨が降っていたみたいで、地面は濡れてところどころ水溜りができていた。雨上がりの朝は清々しくて気持ちよい晴れだった。だけど、昼間は今年一番くらいに暑かったように思う。

これから暑い暑い季節がやってくる。体調に気をつけよう。自宅トイレが少し故障中。ウオシュレットの水が出てくる管のところからポタポタと水がもれている。なんかアクシデントの多い最近だ。しかし、ポタポタとこぼれる水ごときに、僕の精神も肉体も影響は受けはしない。体調は常に整えておこう。

そうはいいながらも、このウオッシュレットの修理代は、うちがもつのだろうな、なんて考えると、心が波立つ。この便器は5年前引っ越してきたときから、便座のとめるネジはひとつはずれていたのである。5年間もバランスの悪い便座に腰掛けているうちに、ウオッシュレットの水を送る管は少しずつねじれてもれてきたに違いない。僕はウオシュレットなど利用したことないのだ。べつにぜんぜん必要とも思わない。勝手にウオッシュレット標準装備をしているのは、マンションが悪い。賃貸住民なのに便器を取り替えるのはなんか、くやしい。真夜中にポタポタ落ちる水を受けているバケツがいっぱいになったら、大変である。そういうことを考えたらあまり深く眠れない。ポタポタポタ。ああ落ち着かない。人間の肉体も精神ももろいものである。体調に気をつけよう。
2002年06月03日 22時27分40秒

外出の日曜
クルマに乗り、近所の高島屋に買い物。クルマの中で、ペチカとシュンタがタマゴマゴマゴという歌を歌うと、Qが振り付きでおどっていっしょに、マゴマゴと歌っていた。高島屋では、妻とペチカとQが買い物をしているあいだ、僕とシュンタは本屋(紀伊国屋書店が入っている)で立ち読みをしていた。

立ち読みをしていたら、店内アナウンスがかかり、妻の名前が連呼されていた。「至急2階、○○化粧品売り場カウンターまでいらしてください」。いったいなにが起こったのだろう。ペチカとQがはぐれて、ぎゃんぎゃん泣いているのだろうか。いや、ペチカも赤ん坊じゃないんだから、親とはぐれたくらいでぎゃんぎゃん泣くことはないだろう。きちんと本売り場までQを連れてやってくるだろう。やや放浪癖のあるQはまだプーしか言えないから、たとえひとりではぐれてたとしても、妻の名前を店員にいうはずないし。なにがあったのだろう。ちょっと心配だ。シュンタといっしょに、2階の化粧品売り場にいったが、妻の姿も、ぎゃんぎゃん泣いているペチカやQの姿もなかった。くるくると2階売り場を見まわして見たが、見つからないし、警察も救急隊員もいないし、まあたいした事態ではないと思い、本屋に戻った。

それからしばらくして、妻が無事ペチカとQをつれて本屋にきた。「きいたきいた??私と同姓同名の人が呼ばれてたんで、びっくりしたわあ」と妻が言った。高島屋の化粧品売り場には、妻は今日もこれまでも足をまったく踏み入れていないので、その放送で呼ばれていた人は、間違いなく同姓同名の別人であると断定し、けっきょく、行かなかったそうだ。

そういうことだった。僕もびっくりした。でももしかしたら、化粧品売り場では本当に、妻をさがしていたのかもしれない。一度確認だけでもいったらなんかくれたのかもしれないのにとも思った。そうしたら、なにもくれなくても、もしかしたら、同姓同名さんと対面できたかもしれない。対面したからって、なにもないかもしれないけど、ちょっと、面白い感じだ。

本屋でQはプーさんのビデオのポスターを見つけ、ぺったりポスターにはりついて、ぷうぷうぷうぷう、非常に興奮していた。昨日のQも、図書館に行った時、司書の人にクレーンゲームの景品と思われるプーさん人形を貸してもらい、ペチカとシュンタが本を選んでいる間、しあわせそうに、ぷうぷうぷうといいながらプーさん人形を抱きしめていた。プーさんがとってだいすきなQである。

夕方、焼肉屋に行った。ペチカは学校の友達と、おなかいっぱい食べられるとこはどこか、という話題になった時、「餃子の王将」と言ったそうだが、ほかのともだちは、近所に新しくできた焼き肉屋の「のて」が一番であるというのだそうだ。だからぜひ一度「のて」に行きたかったのだそうだ。子供たちはQも含め非常にたくさん肉を食べた。思ったより安かった。しかしこれからどんどん子供たちは大きくなるので、脅威である。
2002年06月02日 20時49分18秒

すがすがしい6月のはじまり
昨日は会社のクルマが災難だった。今日は、子供たちを連れてでかかけようと、自分のクルマに乗ろうとしたら、キーを差しこんでまわしても、ピクリとも動かない。バッテリーが上がっていた。僕は週末しか乗らないので、絶対に僕のせいではない。僕以外に平日に乗っている妻が、ルームランプをつけっぱなしにしておいたので、すっかりバッテリーが上がってしまったのだ。困ったものである。妻は僕に対して「謝れ」と日々要求するくせに、自ら「謝る」ということをあまりしないのである。しかし今日は潔く僕に謝った。そうやって謝ってもらうと、実にすがすがしい思いがする。6月はじめから、なんだかとてもいい気分である。

僕は気持よくJAFFを呼び、それからクルマ屋に行って、その他問題点はないかいろいろ点検してもらった。もちろんすべて無料である。子供たちともとくにどこかへ行こうと急いでいたわけではないので、別に、本当のところ今日はクルマだって乗らなかくてもよかったのだ。厳密に論理的に、たとえば法律的に、あるいはイスラム教的見地などからといった、さまざまな側面より考えてみれば、もしかすると、妻だって、なにも、僕に謝る理由というのはないのかもしれない。しかし、なにはともあれ、ごめんなさいと素直に僕に謝る妻は非常に道義的に美しい。謙虚な気持でお互い接すれば、なにごともスムーズに行われるのである。これからも、日々常に自らの過ちと僕の正当性を素直に率直に認めてもらいたいものだ。

クルマ屋での点検を終えたあと、ホームセンターで、10号のプラスチックの鉢と、サボテン用の土を買った。たった一枚の葉っぱの頃から育てて、それなりに立派な木になっているカネノナルキの植え替えをするためだ。今までの鉢がいっぱいいっぱいになって窮屈になっていて、このごろ少し、葉っぱも小さくまるまりがちで、元気がないようだった。大きな鉢に植え替えて、また、元気になってほしい。はじめは、プリンのカップからはじまったのである。とてもうれしい。

指輪物語、7巻読了。あと2冊。ずっと曇り空の下旅をしている。
2002年06月01日 22時05分15秒

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