2002年10月の日記です。

布団で読書
急降下で寒い。今朝も寒かった。目覚まし時計がリンリンリンと鳴っていた。うるさかった。だから消した。そしてまた布団にもぐって眠った。しかし今週の日曜日に無事21キロと少しを完走するように足を慣らしておかなければならない。カカトの痛みも休憩のおかげでだいぶよくなった。今日は会社から帰ると、夕食を食べずに50分ほど走った。風が吹いていて寒かったが、ペースを速めに走ったのですぐに汗をかいた。身体が軽かった。しかし走り終わったら若干脚が全体的に張っていた。休みすぎていたのかなあ。すぐに筋力は衰えてしまう。とにかく完走を目的にがんばろう。

ペチカとシュンタは熱心にハリーポッターを読んでいる。ペチカは、「炎のゴブレット」、シュンタは「秘密の部屋」を読みなおしている。映画に備えているみたいだ。妻は「アルジャーノンに花束を」を読んでいる。僕は昨日からスコット・ペック「死後の世界へ」(集英社)という小説を読んでいる。精神科医の主人公が死んで死後の世界でいろいろ探求している物語。最後どこでオトシマエをつけるのであろうか。みんな静かに風呂上りに布団の上に一列に並んで腹ばいになって読書をしていた。こういう感じはなかなか僕は好きである。ケンカをしてはいけない。つまらないことでイライラしてはいけない。みんな干物のように、布団に腹ばいになって平和に読書をしよう。それぞれの世界を並行に平和に抱え込もう。Qも仕方がないので、絵本の「3匹のこぶた」を持ってきて、挿し絵のこぶたの一匹を指差して、QたんQたん、とつぶやいていた。

それにしても寒い。体調をくずしカゼをひいている人が会社でも多いみたいだ。それにしてもキミはいつも元気やな、と、とある人にいわれた。キミがカゼを引いてるのを見たことがない。そんなことはない。僕だって体調悪いことはある。つねにまったくカゼひかないなんて、なんだかそんなこといわれると、僕がまるで、バカみたいではないか。・・・え?ちがうの!・・・そうかもしれないところが問題である。
2002年10月31日 22時38分15秒

ホテルにこもる読書
日本海側は雨降りだった。海には軍艦が停泊していた。ホテルの前は海だった。戦争がはじまったらどうしよう。海の向こうから知らない国の人たちがやってきて連れ去られたらどうしよう。僕は部屋の鍵をしっかり閉めて、読書をした。村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」(講談社文庫)、読了。この小説は、あるホテルが物語の中心的役割をしめる。いるかホテル。奈良県の某所には「いかるがホテル」というビジネスホテルがある。この「いかるがホテル」の前をよくクルマで通り過ぎるけど、そのたびにいつも僕は「いるかホテル」のことを思い出す。しかしここは「いるかホテル」でも「いかるがホテル」ない。日本海に面した軍艦のある港のそばにあるビジネスホテルである。そしてこのホテルはむしろ「海辺のカフカ」の田村カフカ君が泊まったビジネスホテルに似ていた。そんな場所で僕は部屋に鍵をしっかりしめて「ダンス・ダンス・ダンス」を読んだ。ホテルにこもっていても羊男もあらわれなければ従業員のユミヨシさんもやってこないけど、雨の夜、ホテルの部屋にこもって読むにはとても向いている本であると思った。

「ダンス・ダンス・ダンス」の主人公は同級生の友達の五反田君と酒を飲みながらつぶやいていた。「我々はどちらも34歳で、それは13歳とはまた違った意味でとてもむずかしい年齢だった。二人とも年をとるということの本当の意味を少しずつ認識しはじめていた。そして我々はそれにたいしてなにがしかのものを準備しはじめなければならない時期にさしかかっていた」(下巻189ページ)

以前この本を読んだときは僕ははたちそこそこであったと思う。だけど、いつのまにか僕もむずかしい年齢にさしかかっているのである。鏡に全身をうつして、むずかしい年齢の肉体をしげしげと眺める。それから僕はせっせと田村カフカくんみたいに屈伸と腕立てと腹筋をした。ひとりで部屋にこもるのはたまにはいい。いろいろなことを念入りに行うことができるのである。そして不思議な夢を見たら面白いなと思って寝たけど、あまり楽しい夢は見なかったように思う。やわらかに尋問されているような夢をみた。誰かにアンケート調査をされているのだ。あるいは参考人としての取り調べの夢か・・・。僕は僕についてのいろいろな質問に答えていた。ひどくくたびれる夢だった。枕もとの明かりをつけっぱなしにして眠っていたせいかもしれない。
2002年10月30日 22時46分09秒

ウサギウサギ
昨日お伺いした少年野球のコーチの家ではウサギが飼われていた。3歳のオスのミニウサギ、ということだが、毛並みもよく、カゴの中におとなしくしゃがんでいた。Qはおおよろこびで、ウサギの背中をさすってイイコイイコと言っていた。そうするとコーチの子供である女の子がウサギを外に出してくれた。ウサギはひょこひょこと、部屋のすみへ跳ねて行ってカーテンのかげに隠れた。Qはイイコイイコといながら、ウサギといっしょに跳ねていった。僕もいっしょにウサギにのそばに行って背中をさすった。スナネズミの背中はひとさし指の指先でさするくらいで、すーちゃんはすぐに逃げてしまうのであるが、ウサギはどっしりとおちついて、存在感があった。

僕のうちにもウサギが一匹いたら、とても日々の生活が豊かになるような気がしてきた。おととい、すーちゃんの冬用の巣箱を買いに、近所のスーパーの屋上のペット屋へ行ったら、少し大きくなってしまったウサギが500円で売られていた。大きくなったといってもまだたぶん1歳にもなっていないと思う。毛並みもよい、外国産のミニウサギである。うーん。ほしい。しかし、うちのマンションでは犬、猫、ウサギ、小鳥、ハムスターは原則として飼育禁止であると、契約書に明記してあるのである。スナネズミとカメは名前が載っていないので、いいのかもしれないと思ったので飼っているのである。別の階の人はイグアナを飼っているらしい。こないだ逃げ出して、ちょっと騒ぎになったみたいだけど、たぶんイグアナも名前が載っていないから飼うことは大丈夫なのだろう。

ウサギウサギ。Qがもう少し大きくなって、動物好きになってウサギウサギと泣いてほしがるように少しずつ教育していこう。うちではみんなあんまり動物好きではないのである。仲間を増やさなければいけない・・・。

それにしても昨日もコーチの家でお酒をごちそうになり、今日も会社の帰りに強要され、非常にめまいがするのである。くたびれた。月曜日なのにくたびれた。くたびれた夜に、ウサギがいたら、とても日々の生活が豊かになるに違いない。

くたびれたので、明日は泊まりで出張するのである。今夜はすーちゃんのそうじをしよう。
2002年10月28日 22時46分15秒

素振り指導
今日はシュンタの空手の地区大会だった。朝からメールがきた。シュンタの野球のコーチからで、このコーチの息子さんも空手大会に出場するのだ(空手の練習にもいつも熱心に見学にきているこの人によって、シュンタは野球チームに勧誘されてしまったのだ)。メールには空手の試合のあき時間に、キャッチボールができると思いますので、グローブと、バットも持ってきてください、ということが書かれていた。朝8時に家族全員で空手の大会の行われる市民体育館に行った。しばらくいたが、シュンタの試合はなかなかはじまらないし、Qがそこらじゅうひょこひょこ動き回り、さらに、オムツも忘れたので、Qを連れてすぐに家に帰った。帰る途中、新しいペットショップでいろいろな動物を見物し、それからBOOK OFFで立ち読みしているうちにQが寝たので、家に帰る。家の中は、朝バタバタと出かけたので、いろいろ散らかっていたから念入りにそうじをした。日曜日にひとりで家の中をそうじするのは、とても気分がいい。

Qが起きてから、家の前のグランドで、バザーのようなことをやっていたので、見物し、それからもう一度、空手大会の会場に行く。シュンタの試合は結局見ることができなかったが、僕が行った時はちょうど試合のあき時間であり、シュンタはさっそく野球のコーチの指導の下、駐車場で熱心に素振りをしていた。僕はクルマの中で本を読んでいたかったけど、目の前で素振りをされていては、そうもしていられないので、今日はとてもつめたい風がぴゅうぴゅう吹いていたが、シュンタの素振り指導に立ち会った。イッタイオレハナニヲシテイルノダロウ?

そして親切なコーチは、せっかくですから空手大会の打ち上げということで、うちで夕飯をいっしょに食べませんか、とさそわれてしまった。さそわれたら断れないので、行くことにする。というか、このコーチはなにごとも断りきれない状況に追いこむのが得意である。野球チームもこのコーチのおかげで、かなり新規入団の少年少女がいるようだ。すごいなあ。

今から、食事招待されるけど、もしこのコーチが悪人で、例えば、たくさんごちそうになったあと、「実はこの料理はすべてこの鍋とフライパンで作りまして・・・」とはじめて、とても高い鍋やフライパンを売りつけ始めたらたぶん僕は断りきれない状況に追いやられることだろう。そういうことをやってもこのコーチはうまそうだ。そんな勝手な失礼な空想をする。まあそういうことはないだろうけど。というわけで、行ってきます。
2002年10月27日 18時19分31秒

りふじんの土曜
今朝7時過ぎに起きたら、シュンタが寒い眠い野球へ行きたくないと泣いていた。そういう理由で行かないのはよくないと思う。行きたくない時はあるかもしれないけど、朝起きて寒いとか眠いという理由でいかないと、これからことあるごとに休むのではないかと思う。休むときは事前に正々堂々と休むべきなのである。だから僕は、行け、と言った。シュンタはグズグズと泣いた。

そうすると、妻がシュンタの弁護にまわる。どうせ今日も雨が降るだろうし、午後から試合だからずっとまたベンチの横で立っているだけなのだからたまには休ませてもいいのではないか。あなたが、行け行けというのはおかしい、そんなに行きたければあなたがいけばいいではないか、なんで朝からそんなに怒っているのか、ぜったいにあなたはおかしい。というような言いかたをするのである。微妙に論点がずれる。僕の性格上のおかしさについて、身勝手さについて僕を非難する(僕は歴史に名を残すような聖人にでもならない限り、妻には認められないのではないかという気がする)。僕とシュンタを同列に置いて僕について文句をいう。それは正しいことだとは思えない。

僕は間違ったことをしょっちゅう、言うのである。夫婦間であっては、そのことについて、マトモに正面衝突してもかまわないが、子供に対して僕が言うことに、いちいち子供の前で反論するのはどうかと思う。不満である。親は極力理不尽であるべきなのである。理不尽であることに自覚的であるべきなのである。理不尽な親とぶつかって子供はモノを考え成長するのである。しかし反論されたら仕方がないので僕は子供の前でも正々堂々と夫婦ゲンカをする。しかし、朝から少し不愉快であったが、今日は気持を押さえ、そのまま着替えて、走りに行く。

カカトの調子は休んでいたのでだいぶよくなった。50分ほど走って帰ると、家の中には、妻とシュンタの姿はなかった。Qは子犬みたいにすやすや眠っていた。ペチカはベッドの中で朝から「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」を読んでいた。シュンタは?と聞くと、知らない、起きたらいなかったと言う。無事野球に行ったのである。妻が戻ってきたので聞いたところ結局、シュンタに朝、急に寒いとか眠いとかいう理由で行かないのはよくないから行きなさい、と僕と同じことをシュンタに行って行かせたのである。わかっているくせにつねに僕に反論するのである。だけど、今日は用事があるということで、午前中にシュンタは帰ってきた。なんの用事があったのだろう。僕は知らない。今日は雨も降らなかったではないか。妻もまだまだ甘いのである。そして僕自身もまた、朝起きてどうしてたかが少年野球に行く行かないのはなしで腹をたてているのだろうと、くたびれてきたので、その件については特に意見交換はしなかった。野球から帰ってきてごきげんのシュンタと野球ゲームまでしてしまった。

そして午後は僕はスーツを買いに行った。国道沿いの量販店に行った。妻から「ママの遺伝子」というドラマのお父さん役の人が着ているような3つボタンのついたスーツを着てほしいと言われた。妻は店員に、ねえ見ました?きのうの「ママの遺伝子」、なんて聞く。いえ、見ておりません、と店員は律儀に答える。僕も見ていないので知らない。そして僕のカラダのサイズにぴったりとする手頃な価格の3つボタンのついたスーツはないのである。僕が胸を張ると、どの3つボタンのスーツの一番上のボタンもパチンとはじけそうになる。僕の肉体は高級オーダーメイドの紳士服用に出来ているのである。安物が残念ながら似合わないのである。なのに、我が家の経済状態もまた僕には不足なのである。おかしい。たぶん肉体に限らず、いろいろなもののサイズが僕にはあわないのである。妻はたぶん僕が本当はすごくかっこいい人であるということを理解しているのであると思う。たぶん、僕よりも僕のまわりをとりかこむ「さまざまな合わないサイズ」について腹をたてているのである。世界は理不尽なのだ。子供に親は理不尽だ。だけど親だって理不尽な世界に身をさらされているのである。

そしていつかは子供は理不尽に親の元を離れていくのでる。だから僕たちは、手を取り合って理不尽な世界をなんとか生きて行きたいものである。と、思っているのは僕だけで、結局、人は、孤独なのか・・・。
2002年10月26日 20時42分27秒

マイペンラーイ
そういえば昨日、マラソン大会のゼッケンが届いていたのである。いよいよあと1週間とちょっとでハーフマラソン大会があるのだが、今週はカカトの養生のため、まったく走らなかった。それでも、だいじょうぶだいじょうぶ、ひとやすみひとやすみ、である(By 一休さん)。だいじょうぶだいじょうぶ、というのはなかなかいい言葉である。英語ではこれを、ノープロブレム、という。タイ語ではこれを、マイペンラーイ、という。韓国語では、これを・・・ええと、忘れた。世の中はいろいろ悲惨な事件に満ちているのである。酒を飲んできたが、みんなろくなはなしをしないのである。生きていくのはたいへんなのである。しかし、まあ、マイペンラーイと歌うように言って前にすすみましょう。腹筋して寝よう。
2002年10月25日 23時01分23秒

Qを抱える
ここ何日か、僕がQを寝かしつけています。僕がパソコンをしたり本を読んだりする部屋にこもって、電気を消して真っ暗にして、CDをききながら、Qを寝かしつけております。これはあくまでも、僕が自発的にやっていることで、決して妻に対して、

「わたしはこのようにして子育ての協力しておりますこんなふうに子供の面倒を見る立派でやさしい父親がこの世のどこに存在しておりますでしょうかだいたい同じマンションのあちらのお父さんもこちらのお父さんもたぶんみんないいかげんなのんべえのオッサンで決して端正で理知的で優しさに満ちたわたしのようには子供の世話をなどしていないはずであります」

などと、押し付けがましく、アピールをしているわけではありません。電気をつけてほうっておくと最近Qはいつまでも起きていてキャッキャと言ってそこらじゅうを走りまわったり、プーさんのパズルを仕上げるよう僕に強要してきたりして、静かな夜の時間をすごせないので、僕はだんだん気分がすぐれなくなるのです。以前は無視して布団に転がっていると、そのうち寝たものですが、このごろは、いつまでも布団で死んだ振りをする僕の回りを飛びまわる。そうして横たわっていると、ああこうやって時間がどんどん流れてオレはどんどん年をとるのだと悲しくなるので、先手必勝といいますか、積極的にこちらから働きかけ、元気なQをむりやり抱いて、暗やみの中でCDを聴かせながら眠らせることにしたのです。

これを3日も続けていると、Qのほうも、すっかりこの方式が気に入ったみたいで、お風呂から上がるとネンネ、といって僕に抱っこをせまります。そして、僕はQを抱えて部屋に入り、「よいこのどうよう」のCDをかけて、電気を消すのです。前20曲のうち、だいたい7、8曲くらい目にはQはすやすやと眠ります。おいでおいでおいでおいでコアラ〜♪なんて曲が暗やみに流れて、2歳児の重たいQを抱えて僕は軽くスクワットをしたり、腰をまわしたりして、ちょっとしたトレーニングをするのです。そして暗い世界で一日を振りかえりいろいろ反省するのです。これはなかなかいい時間です。昨日は、少し眠らせるのにてこずりましたが、本日は、昼間あまり寝なかったようで、実にすばやく眠りました。おかげであまり夜の反省ができませんでした。でも一日の終わりに寝顔のQを抱えて揺らすのは、精神衛生上非常に有益であると思います。しかしこれはあくまでも僕の自発的な、むしろエゴからくる行為であり、こういうやりかたで寝かしつけるのは、教育的に正しくないと妻より批判されます。2歳にもなって抱っこしなければ寝ないクセをつけるのはよくないというのです。しかし、抱えられるうちは、抱えていてもいいように思います。責任を持って毎晩抱えようと思います。
2002年10月24日 21時49分44秒

カサブタ
会社から帰ると、インターネットで注文していた「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」が届いていた。これから子供がまず読み、それから読むことになるのではないかと思う。熱狂的なファンではないが、けっこう好きである。しかし僕は現在昨日から村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」を読みなおしている。かなりひさしぶりに読むので、内容をほとんど忘れている。読んでいるとだんだん思い出してくる。前世の記憶のようである。昔読んだ本を読み返すと、読み返しているうちに、本を読んでいたその時の自分のまわりの状況までも思い出す。この本は今文庫で読んでいるが、はじめはハードカバーで読んでいた。そのときの本の重みまで思い出す。そういう感じにいろいろ記憶が引き出されてくる。ラジオで昔の懐メロ番組などを聞いたときでもそうである。記憶はどこかに隠れて生きているのである。

妻は「アルジャーノンに花束を」という小説を読んでいる。今この小説を原作としたTVドラマをやっていて、妻は熱心に見ている。僕は「アルジャーノンに花束を」という小説を18歳のとき、教習所に通いながら読んだ記憶がある。この本を読みながら教習所のトイレにいって、そのトイレはなんかいつもと違う風景だなあと思って、個室に入って本を読みつづけた。そうして用をすまして、突如として、自分が女子トイレの中にいるのに気づいた。さいわいトイレには僕一人しかいなくて、あわてて飛び出した。そういう記憶がある本で、実はこれも内容はほぼ忘れている。この本のタイトルをきくと僕はいつも教習所での恥ずかしい記憶を思い出す。たぶん記憶はかくれてどこかで生きているのである。

記憶は隠れて生きていて、僕はどんどんカサブタのようになるのである。ものごとを忘れっぽくなるということは、カサブタ化が進行しているのである。記憶はどこかで生きているのである。そこから切り離されてカサブタになってある日僕はポロリと落ちてなにもなくなってしまうのではないか。だけどたぶん記憶はかくれてどこかで生きているのである。ということで僕は本を読む。前世の記憶を思い出すみたいに僕は本を読んでいる。僕はかくれてどこかで生きている。いくつものカサブタは離れていく。時々カサブタはカサブタ以外の何物でもなくなるような気もするし、カサブタが離れていくのを僕は別のところから見ることもある。いろいろである。
2002年10月23日 22時07分28秒

M字のV
カカトが右も左も痛いので、昨日も今朝も走るのをやめる。明日も休もうと思う。休んでいるうちに、朝がどんどん冷え込んでくる。今朝も通勤時、寒いくらいだった。ハーフマラソン大会まであと2週間を切った。今年はろくに長距離を走っていないのでほぼぶっつけ本番になるが、僕の出る大会は非常に制限時間がおおらかなので、完走はできると思うけど(タイムについてはあまり深く考えないようにしよう)カカトが心配だ。僕はきっちりとした肉体をもちたいものだと常日頃から思う。

でも毎日腹筋してもおなかはとてもやわらかい。このおなかのやわらかい部分はすぐにすきあらば増殖しようとする。しょっちゅう、ベルトの穴がゆるくなったりきつくなったり、ベルトには穴が5つあいていて、いちばんきついところで締めているが、この5番目の穴の攻防がここ数年続いている。どうも不安定な肉体である。妻などは安定的に年を重ねている。主観の問題であるから、あえて美醜は述べないが、計量的に数値的にひじょうに安定的である。そういう点をすごく僕は尊敬する。

そうそう、あまり気にしないようにしてはいるが、僕は髪の毛だってこのところまた不安なのだ。あまり気にしないようにしてはいるが、M字的に額は勢力をじわじわと拡大しつつあるように思う。さらにあまり気にしないようにしてはいるが、このMのまんなかのVの部分のとんがりの中の密度が若干うすくなってきたのではないかというおそれがあるのである。この前限りなくスポーツ刈りに近い髪型にしたのだが、このMのV部分がみょうに透き通っているのである。地肌がみょうに目立つのである。僕は比較的白髪が多い(たぶん苦労しているのだろう)、だから白髪のパーセンテージがこのVの部分に増えてきたため、透き通って見えるのではないかと、必死にさまざまな仮説をたてているのであるが、実に不安である。僕がカッパちゃんのような頭になったら、キミは僕を愛してくれるだろうかと、僕はよく妻に聞くのだが、いつもさっぱり僕の深刻な問題について関心を示してくれないのである。

会社では、比較的透き通った、もしくはつるりとした頭部の持主の方が多いので、最近しばしば、彼らの頭部をじっとみつめてしまう。そして僕は心配なので、僕の頭髪の問題についてそうした人たちにアドバイスを求めるのだが、他人の頭部なんて、実のところ誰も関心なんてもたないのである。みんな自分の問題でせいいいっぱいなのである。人はなんて自分を含めて利己的にできているのだろう、と、そういうときに僕は、人生の過酷さというものにぶちあたるのである。

過酷な人生にきっちりと対処しようと思うのだ。できる限り、対処する肉体と精神をタフにするのである。なのに、しばしば僕は流れていくのだ。

カカトをやすめて、冷え込んでいく朝にまた立ち向かおう。とりあえず、明日はゆっくり寝よう。
2002年10月22日 21時06分01秒

ヨクアツされた無意識の行動
今日は雨降りだったので電車通勤であったが、いつもより15分ほど早い電車に乗ると、身動きの取れないくらい混んでいた。本を読む隙間もなかった。昨日夜中まで起きていたので眠かった。仕事は忙しかった。クルマの運転をしていると何度もケイタイに電話がかかってきた。あんまり忙しくておなかが空いたのでおやつにコンビニでパンを買い、駐車場で食べているときも電話がかかってきた。パンを食べて、ゴミをゴミ箱に捨てて、またクルマを走らせる。ああそうだ、会社に電話をしなくちゃと思って、クルマをとめてケイタイを手に取ろうとするが、どこにもない。あれ?車内のどこをさがしてもない。カバンの中にもない。あ。コンビニ。あわててコンビニに戻る。ゴミ箱に手を突っ込みさっき僕が捨てたつつみを取り出すと、ケイタイ電話が入っていた。ヨクアツされた無意識の行動、というのはこういうことをいうのだろうか。ケイタイには不在着信が一件入っていた。ゴミ箱の中で鳴っていたのだ。週のはじめはくたびれる。金曜日から継続していたややこしい話もなんとか解決した。今週はあと4日ある。ふう・・・。頭の中に霧がかかっている。
2002年10月21日 21時26分47秒

あしたは月曜日である。
本日も昨日に引き続き、雨の1日。シュンタは元気に野球に行った。本当は、朝少し眠くて、半ベソをかいて行ったのだが、今日は1、2年生対3年生チームで紅白戦を行い、試合には負けたものの、非常によい成績を上げたそうで、迎えに行くとすっかり機嫌よくなっていた。今日は昼間、Qとふたりで近所のスポーツ店に行って、シュンタにZETTの金属バットを買ったのだ。これから毎晩素振くらいなら横についてつきあってやってもいいなと思う。

雨の午後はうちの中で静かに過ごす。「アンナの小さな神さま」(立風書房刊、フィン著、パパス絵、深町真理子訳)という本を読む。これは3年くらい前に1度読んだ本。5歳児の家出少女が8歳になる前に事故で死んでしまうまで、著者フィンの家族といっしょに住むようになって、19歳のフィンといろいろ神さまについて問答する話しであるが、実話なのかフィクションなのかよくわからないけど、世界の捉え方がとても鮮やかなのである。鮮やかなのだけど、僕は読みながらしばしば議論にこんがらがってうとうとしてしまう。僕のたましいは、やや曇っている。僕の中の曇り空をかきわけて、アンナの言葉が届くのである。初版は20年以上も前に出た本であるが、今でもたまに本屋でみかける。そういうときはとてもうれしい。静かに読み継がれる名著、という種類の本であると思う。

明日はまた月曜日なのである。深呼吸をして、立ち向かおう。
2002年10月20日 18時23分05秒

雨のパイレ
朝はくもり空でした。くもり空なので、朝8時前にシュンタ(とQ)をクルマに乗せて、野球の練習場に行きました。野球場にはすでにパイレ(注)の少年たちがすでに練習前なのに自主的にキャッチボールをはじめていました。(注:シュンタのチームは正式名称パイレーツといいますが内輪の人たちはパイレと呼んでおります。関西弁の「マイド」とおなじイントネーションで「パイレ」といいます「パイレの○○です。今週の練習は・・・」と連絡網がまわってきます)。これから夕方までずーっと練習するのに、少年たちはとても熱心でありました。シュンタもクルマから飛び出ると、元気にグランドに走っていきました。イッチャッタ・・・とチャイルドシートに固定されたQは言いました。イッチャッタ、は最近覚えたQの言葉です。

僕たちは野球場につくまでの間、ラジオを聴いていました。ラジオでは今年の阪神タイガースの反省会をしていました。シーズンが終わってから大阪の民放ラジオではいたるところで毎日、今年の阪神タイガースの反省会をしています。今朝のラジオでは今年阪神タイガースがいかにケガ人が多かったかという点について語っていました。そして昔の偉大な選手、巨人の王、広島の衣笠がいかにケガに強かったかということに話が及びました。「お父さん、王さんはすごいんだね」とシュンタは言いました。こないだ読んだ野球入門のマンガに、王選手のことがいろいろ描いてあって、それを読んで以来シュンタは王さんをひそかに尊敬しているようです。今日もまたケガに負けない王さんのエピソードを知り、「オレもがんばるよ」と野球にとりくむ決意を新たにしておりました。そんなシュンタがグランドに走っていく姿はかっこよく見えました。僕もケガに負けずに元気にがんばろうと思いました。そしてすぐにクルマをUターンして、家に帰りました。

家に帰ると雨がパラパラと降ってきました。妻はことあるごとに窓を開け手を伸ばし雨の降り具合を確認していました。こんなに雨が降ってシュンタは大丈夫だろうかと、ずっと心配をしているのです。僕も1度でいいからそれくらい心配してもらいたいと思いました。だから僕も雨の中、少し走ってきました。そうしたら、うちの前のグランドのリトルリーグの中学生も、そのとなりの主婦のソフトボールチームも小雨のなかみんなウエーイウエーイと声を出して練習をしていました。

「リトルリーグも練習してたぞ」と僕は言いました。「しかし彼らは中学生じゃないの、シュンタは小学2年生よ」と妻は言いました。「ソフトボールもやっていたぞ」と僕は言いました。「しかし彼女たちはおばちゃんじゃないの、シュンタは小学2年生よ」と妻は言いました。「僕も走ってきたぞ」と僕は言いました。「勝手に走ればいいじゃない。シュンタは小学2年生よ」と妻は言いました。

結局1日中妻はそわそわしていました。昼から僕はペチカとQを連れてシュンタの練習を見に行きました。雨の中しっかり、シュンタは守備練習をしていました。そのことを僕はケイタイで家に電話して報告すると、妻は、すぐに連れて帰ってこい、なんて言うのです。でもそういうのはよくないように思って僕は家に帰りました。ものすごく怒られました。雨はますます強くなってきました。「まったくあなたはいつもそうだからこうだからああだから(どうなのでしょうか?)、私がいまからシュンタを迎えに行く!といって、妻が身支度を整えているとき、電話が鳴り、野球チームのコーチから、雨のため練習が早く終わったので迎えにきてくださいとの連絡がきました。ほら、どうして帰ってきたのよ、待ってればよかったのよ、シュンタシュンタかわいそうに、寒くて震えて泣いていたらどうすんのよ・・・そしてなぜか結局また僕が迎えに行ったのです。

野球練習場の用具置き場の下で雨宿りして、シュンタはケロリとした顔で待っていました。そして同じく迎えを待っていた友達に手を振って、クルマの中に飛びこんできました。楽しかったか?ときいたら、うん、と笑って頷きました。雨がひどかったから、途中でシュンタだけ連れて帰ってこいってお母さんが言ってたんだよ。といったら、そんなチョー恥ずかしいことやめてくれ、お母さんがこなくてよかったなあ、とシュンタは元気に答えました。シュンタは日々たくましくなっているなあと思いました。
2002年10月19日 17時54分13秒

くた・・・・・・・・・・。
先週の金曜日から、今日の金曜日まであっというまだった。今日は社内にいたので、非常にはやく、仕事が終わり、さっさと家に帰ってきた。早く終わったのだが、本日は精神的にしんどい1日だった。そして問題のいくつかは次週に持ち越しなのである。日曜の夜はなんともユウウツな気分になることだろうが、それまではもう仕事のことなどなにも考えたくない。帰るといつもくたっとなる。ごろごろころがりたくなる。いっきに緊張がゆるむ。ゆるんだままくたびれている。主婦はそのように休む時間はないのだそうで、僕がだらだら家の中にいるのはしばしば非難の的となる。しかし僕はくたびれたのだ。くたびれてくたびれて、もう誰にも会いたくない。穴があったら入りたい。スネナズミのすーちゃんは芸術的にカゴの底に敷いた新聞紙を切り刻み、おおきな新聞紙の洞穴をつくって眠っている。僕も洞窟をつくりたい。おおそうだ。ここは洞窟だったのだ。深い井戸の底なのだ。この洞窟であり井戸の底である世界で僕はつぶやいている。くたびれたくたびれた。このまましばらく闇の中に沈みたい。そしてこれからカタチなく融けてしまい、あたらしい鋳型に流れ込んでまたなんとかカタチを整える。このまま沈んでいてはいけない。いやこれは沈んでいないのである。中途半端にくたびれてタマシイがうわついているのである。沈むのである。沈むのである。そしてまたあらたなかたちを取り戻すのである。
2002年10月18日 19時42分54秒

もしや ついに 
今日、帰宅すると誰もいなかった。電気はついているのに、玄関のクツがない。台所には夕食の準備が中途半端にしてあるけど、誰もいない。僕は会社を出る前に電話をしたのだ。そのときはちゃんと妻が電話にでたのに、帰ったらだれもいない。妻のケイタイは置きっぱなしである。もしかして隠れているのではないかと思い、トイレや風呂場や押入れやベランダをのぞいてバアとしてみたが誰もいない。ぷう、と口でおならの音のマネをしたが、だれも笑わない。ついに・・・・。と思ったら、10分くらいして玄関をがちゃがちゃと扉を空けようとする音。僕は用心ぶかいのでドアの開け閉めの際は必ず鍵をしめる。自転車の鍵も必ず締める。そして時々鍵をなくす。のぞき穴をのぞくと空手の格好をしたシュンタがいた。空手は火曜日ではなかったのではないかと記憶していたが。ドアをあけるとシュンタがどかどかと入ってくる。それから妻とペチカとQが入ってきた。月の観察をしていたそうだ。月の観察をしてお父さんと空手の特別練習があったシュンタが帰るのを待っていたそうだが、僕は見事にすれちがってしまったみたいだ。残念だった。でも、帰ってきてくれてよかった。さまざまな想像が脳裏を横切り、一時はどうなることかと思った。今後はせめて置き手紙くらいしておいてもらいたい。もしくはケイタイ電話はつねにケイタイしてもらいたいものだ。
2002年10月17日 22時06分09秒

柵、UFO・・・。
今日は会社で長い長い会議がありました。会議の終盤にさしかかり、ある問題について、いろいろと意見の対立がありました。僕はがんばりました。たぶん僕の述べた意見は意見そのものとしては、間違っていなかったと思います。しかし、会社の会議での意見のやりとりは、正しいかどうかというよりも、手続きの問題というか、空気の配分というか、そりゃもうひとすじなわではいかないのであります。なんだかわからないうちに僕の正しいはずの意見は寝技に持ち込まれ、しまいには、いやあ、実りのある会議だったということで飲みにいって、なにもかもがうやむやになるのであります。正しい僕の意見はアルコールのはいった場所でむしかえすのは、正しさがケガレテしまうので、酒を飲んだらここだけのはなしやけどな、あのときはああやったけど、実はああなんや、なんて酒を飲めば急に元気のでる人のはなしをききながら、僕は僕の胸のうちの正しさを堅持したのであります。僕はただただビールをジョッキ一杯とコーク杯を飲んで、若干ふらふらしながら、電車に乗って帰宅しました。今日は、朝、電車で出張先に直行したので、帰りも電車なのです。ちょうど朝のラッシュ時でありました。ひさびさのラッシュ体験のなかで、しかし自転車通勤と違うので、よく読書はできました。

「田村カフカくん」と大島さんは『海辺のカフカ』の中でカフカ少年にかたるのです。「結局のところこの世界では、高くて丈夫な柵をつくる人間が有効に生き残るんだ。それを否定すれば、君は荒野に追われる事になる」。柵というものがなにを意味することかさっぱり理解できなかった17世紀以前の自由人であるアボリジニみたいに、柵を持った人間によって、荒野へ追われるのです。

腕立て伏せをして眠ろう・・・。

ところで昨日、またヘンな夢をみた。そこは奈良県なのです。僕はそこが奈良県の古代ふうな山の中というのがわかっていたのです。山を通る車道に僕は見知らぬだれかと横たわり、夜空を見上げるのです。もうすぐUFOがくるよ、ととなりで仰向けの人は言うのです。そして曇り空の向こうに光りの明滅、ああUFOだ。光りにつつまれてカラダが動かない、こわいこわい助けて・・・・ということでまた夜中に目がさめた。書くとこわくないな。今度は逃げずにUFOを見よう。
2002年10月16日 23時01分24秒

「海辺のカフカ」を再読中。無意識が刺激される小説のためか、断片的にいくつかの夢をみた。そのうちのひとつで、夢の中で僕が会社から帰ると、妻は、黒い服をした不機嫌な妻と白い服を着た愛想のよい妻に分割されていた。双子みたいにふたりで仲良く家事をしていた。僕は不機嫌の黒服の妻を玄関から追い出した。追い出しながらなんで僕はいつもこのように卑怯であるのかと思った。でもなにごともなかったように、黒い服の妻はカギを開けて、またはいってきた。台所の白い服をきた妻もやさしく笑っている。なんだかとてもこわくなって目がさめた。ああこわかった。思い出して書いてみると、ぜんぜんこわくないけど、夢の当事者であるときはこわかった。

夢分析をすると、この夢は僕のヨクアツされた何かが象徴されているのであろうか。夢のことをこうして書くと、フルチンで商店街を歩いているみたいで恥ずかしいのでほかにもいくつかヘンな夢を見たのだけど割愛する。でも見た夢をシロウト的に考察すると、基本的に僕はとても、なにかといろいろおそれているみたいだ。このところ夢などほとんど見なかったのになあ。

昨夜僕は「海辺のカフカ」に出てくる、佐伯さんという50代の女性が、カフカ少年の真夜中の枕元に15歳の少女の幽霊になって立っているというところを読んで寝たのだ。そして登場人物の大島さんは、生霊について語る。内なる魂の闇と外なる物質的の闇について語っていた。寝る前にそういうくだりを読んでいて、僕は物語の世界に浸かっていたら、心の奥のほうが非常に活発に動き出したようだ。日々はサラサラと過ぎ去っていくのであるが、サラサラと過ぎる表面の奥には、もっといろいろ不可思議な世界が開けているのではないかと思う。

しかしそれを見ることは、なんだかとてもこわいような気がする。しかし、サラサラなにもなく流れていってしまうことのほうが、もっとこわいことではないか。あっという間に過ぎてしまう年月。夢はしっかり見たほうがいいと思う。悪夢も歓迎しよう。今度妻が2人に分割されて出てきたら、よく話しあおうと思う。こうやって書いたらこわくもなんともないのである。
2002年10月15日 21時51分07秒

ひじきの食べ方
7日連続で朝走る。明日は休もうかな。今日は調子がよかった。調子がよかったけど、走る前、足の裏が、痛い。一歩歩くたびに、人間になったばかりの人魚姫みたいに足がずきずきした。走ればなんでもないのだけど、慢性的に足が痛い。左足のカカトが特にいたい。少し前はカカトではなく、足の裏のへこんでいるあたりが痛かった。すこし骨が疲労しているのかな。カルシウムをとらなければ・・・。夏暑いとき、今年はよくコーラを中心とした炭酸飲料を飲んでしまった。あれは骨によくないときく。しばらくコーラ類は飲むのはやめよう。なぜそんなにコーラ類を飲んでいたかというと、缶やペットボトルについているシールを送って、コカコーラオリジナルマウンテンバイクが当たる、というキャンペーンがあったのだ。だから僕はマジメにせっせとコーラを飲み、シールを集めた。現在は缶コーヒーのシールを集めると、皮のコートが当たるというのをやっているが、興味がないので集めていない。今はよい食べ物を食べ、カルシウムを取って肉体及び骨を鍛えなければ。うちでは朝食にはよくアジやサンマのヒラキが出る。そういうときには骨ごとすべて食べるようにしている。それから納豆も大事だ。納豆をしっかり噛んで食べると、とても体に力がつくように思う。「世界の盗塁王」の福本豊さん(元阪急)も子供の頃、納豆をしっかり食べて足が速くなったそうだ。

今日の夕食に妻はひじき煮つけをつくってくれた。それだけではなく、ほかにもいろいろつくってくれたが、夕食のメニューについてはここでは割愛させていただく。ひじきの煮つけ。これもからだによさそうなものである。僕は結婚してから今まで料理といえば、カレーライスを3回ほど作ったことしか経験がない。諸般の事情でいつひとりきりになってもかまわないように、危機管理の一環としてぜひ家事一般(料理、洗濯裁縫、新聞の契約の更新等)をそつなくこなせるようになりたいのだが、現状にしばしば甘えてしまう。明日は何が起こるかわからないのだ。いつでもどこでも一人で生きていけるように常に準備を怠らないようにしなければ・・・と考えつつ今日も妻の作った夕食を食べる。そしてひじきの煮つけは体によさそうだ。人生における自主独立路線とは、などと、いろいろ考えながら僕は夕食を食べる。そしてとにかく、ひじきは体にいい、と。

そしてふと、横の子供イスのQを見る。

Qはこれがだいすきでごはんにどばっとかけて、オイシイオイシイ、ヤミーヤミー(英語でおいしいという意味、TVで覚えたらしい)、といって食べていた。ごはんにどばっと、なんてとても品のない食べ方であるし、実際Qはところどころポロポロこぼしながら食べてはいるのだけど、一口一口ひじきごはんをスプーンでいとおしげにすくって、口に入れる。この食べている瞬間にQはものすごく集中している。その集中のしかたになんともいえぬ、品がある。食べ物を食べる、それをたとえば、空腹を満たすため、とか、健康のため、とか理屈をつけたり、効用を求めたりする、そういう、うわべな食べ方ではなく、全身全霊をあげて、ひじきごはん。僕は静かな感動を覚えた。

そうした静かな感動を覚えつつ3連休が終わる。ペチカもシュンタも家族のみんなは忙しく、僕ひとりぶらぶらしていた。Qもぶらぶらしていたが、それは意味合いが違うのであるとわけもなく迫害された。僕は仕事で使用しているケイタイの留守電にはややこしい予感のするメッセージが2件ほど。連休最後の夜は若干ユウウツである。しかし、僕は今夜の夕食のQのなんともいえない、瞬間に集中してものごとを受けとめる姿に、今週を乗り切るヒントを得たように思う。
2002年10月14日 19時47分09秒

とりたててなにもない3連休の中日
6日連続で朝走る。おそらく距離にして6キロ弱くらいではないかと思う。それでも毎日続くとだるくなってくる。中学生くらいのとき、やはり毎晩5キロくらい走っていたころがあったが、中学生のころというのは毎日走っていると体がどんどん軽くなっていくような感じがしたのに、このごろは、運動が続くと体に疲労がたまってくる。11月3日のハーフマラソンの大会までにうまいぐあいに体調を持っていきたいものであるが、どうも本番まで21キロ試しに走ってみようという気になれないので、この調子でちびちびと走って調整しつつ本番にぶち当たろうと思う。

3連休の2日目である。今日は近所の神社のお祭りで、だんじりという、車輪のついたお神輿を子供たちが大勢で引っ張って町内を練り歩いていた。いくつかの地区にわかれて複数のだんじりが引かれていて、方々で、掛け声が聞こえる。ペチカもシュンタも朝からハッピを着てでかけてしまった。Qを自転車に乗せて近所の図書館にペチカたちの本の返却へ行く途中、ペチカとシュンタたちの引くだんじりに遭遇した。Qは、わあQちゃんとペチカのともだち多数に手を振られて人気者だった。そしてだんじりにさよならしたあと、Qと図書館に行った。

ペチカはこの前借りた、淀君と豊臣秀吉の伝記を気に入っていたみたい(聖徳太子の伝記も借りたが、ピンとかなかったらしい。僕も聖徳太子はピンとこない)なのでシュバイザーとエジソンと徳川家康の伝記を借りた。それからカバについて動物園の飼育係の人が書いたエッセイをえらく気に入ってたみたいなので、同じ動物ものということで、カブトエビという田んぼにいる泳ぐダンゴムシみたいな甲殻類の生物がでてくる子供向けの物語を借りた。シュンタには長島茂雄の子供向けの伝記を借りた。子供向けの野球の本はそれしかなかった。イチローのお父さんの書いたイチローの少年時代の本はえらく気に入ってたみたいなので、もしかしたら、長島の伝記も感動するかもしれないと思ったのだ。でも僕は別に長島茂雄の信者などでは決してない。長島の現役の時も知らないし、プロ野球に興味を持った頃は王選手の時代だった。そして今はどちらもあまり興味はない。でももしかしたらシュンタは長島の伝記に深い感銘を受けるかもしれない。平日も長島めざして素振りをはじめるかもしれない。そして野球がものすごくうまくなって、プロに入って、お父さんにラクな老後をすごさせてくれるかもしれないので、長島の伝記を借りておいた。Qにはノンタンの絵本を3冊ほど借りた。のんたんのんたんいないいないバア・・・。図書館で読んでやったらキャッキャと喜んだ。ちょっと幼い2歳のQである。こうやって熱心に僕が選んで本を借りてくる場合、たいてい子供たちは読まなかったりする。やはり本は自分で借りるのが一番だと思う。

午後になると、Qも妻も祭りに行ってしまった。僕は海辺のカフカをまた読み始めた。カフカ少年はとてもきっちりしている。僕は日常のきっちりさにすごく欠けている。しかし、この本を読むと、とてもきっちりしようという気になる。腹筋をはじめたくなる。ごはんは飲みこまずにひとくちひとくちじっくり噛んで味わおうと思うようになる。3時過ぎに、僕も神社に行ってお祭りを見に行く。境内では獅子舞をしていた。獅子舞の獅子は4頭ほどいた。Qは妻に抱っこされて真剣な顔で見ていた。縁日はたいしたお店が出ていなかった。僕は射撃とウズラのヒヨコ売りとヘビ女の小屋とがある縁日が好きだ。その3つともなかった。フランクフルトとヤキソバと、あと、キャラクターグッズのくじ引きのお店しかなかった。そこで僕は神社を去り、近所をひとりで散歩した。たまにひとりでゆっくり散歩するのはよかった。ウオーキングの女の人にさっさっさと追い越された。
2002年10月13日 17時48分47秒

オレンジ色の夕方
子供たちがたくさんとまったので、僕と妻とQはペチカとシュンの部屋で寝た。2段ベッドの1段目に僕は寝て、その横に、ペチカと妻が寝た。2段ベッドの1段目はきゅうくつで、寝ているうちに体が固まってしまう。そして昨日はビールを飲んだから、また早く目がさめた。さめてトイレに行ってまた布団に入ったらくしゃみがとまらない。そうして土曜日の朝は目ざめた。

今日はとくにどこにも行かずに、Qとふたりで家の中にこもっていた。シュンタは野球、妻とペチカは昨日のオオタさん一家さよならパーティーの流れが続いていて、よそのお宅に昼飯を食べに行ってそのまま夕方まで帰ってこなかった。僕はQとふたりで昨日のさよならパーティーの残りものと推測されるおでんをたべた。Qはすぐに昼寝をした。

ヘルマン・ヘッセの「デミアン」を数年ぶりくらいに再読読了。たまたま本だなの本の中で目についたのだ。しかしたまたま、というのはないのである。僕のどこかで必要を感じて読んでいる。求道者の物語。世界の暗い半面も含む神アプラクサツ。鳥は卵の中から抜け出ようと戦う。僕はこういう本はすごく好きだ。主人公が自らの内面世界にどっぷりと浸かっている描写がとても惹き付けられる。またヘッセの作品をいろいろ読みなおしたくなる。僕の読書の傾向は非常に、軽いというか、いつも、うわっつらだけでわかったつもりで終わってしまうところがある。反省する。5時間かけてフルマラソンを走るように、遭遇する出来事にはじっくりと忍耐強く立ち向かいたいものだ。

夕方4時くらいに、本を読んでいたら、窓から夕日が差し込んで、部屋の中がオレンジ色になった。こういう部屋の色がゆっくり変わっていく時間を感じるのはいいことだと思う。なにごとも、急いでなにかをやろうとしても、ゆっくりなにかをしようとしても、結局のところ、宇宙的見地か見るならたいしたことはできないのだ。急ぐことはないのだ。自分が惹き付けられるものを大事に受けとめようとオレンジ色の部屋で思う。
2002年10月12日 21時58分22秒

不安なトンカツ
いつもはおにぎり持参でありますが、今日は昼ご飯は得意先の人といっしょだったので、久しぶりに外食をしました。はじめ、パンがおいしいと有名なレストランへいこうと思ったのですが、子連れの主婦の団体でいっぱいで、11時45分に行ったのに、すでに店の外まで行列ができていたのです。世の中の主婦の人は、まったく・・・。行列してまでも主婦軍団の中で食事はしたくなかったので、われわれは、あっさりとそこで食事をするのをあきらめ、少し先にある、トンカツ屋に向かいました。

トンカツ屋はけっこう大きなお店で、清潔そうな店であったのに、パンがおいしいレストランとは違い昼なのにほとんど客はいませんでした。僕たちは、ロースカツ定食を注文して食べました。しかし、ロースカツは手のひらふたつぶんくらいの大きさの一枚のトンカツを包丁でいくつかに分割された状態で出されましたが、ふたつほど食べてふと見ると、トンカツの肉が赤いのです。一緒に食べていた得意先の人に確認するとその人のトンカツも赤い。僕は赤くないところをもう一切れ食べてから店の人を呼びました。店は割りと広々としているのですが、おばちゃんが一人しかおらず、ぽつぽつと入っている客(勤め人のおじさんのかたまりがいくつか、主婦はいない)が、時々スミマセンスミマセンとおばちゃんを呼ぶのですが、おばちゃんの反応が悪いのです。僕たちが呼んでもおばちゃんはなかなか来ませんでしたが、ようやくやってきました。そして僕たちの皿を引き取ると、あらためてもう一度、ロースカツを一枚揚げてくれました。だから僕は、1枚と3きれ食べることができました。そしてごはんとキャベツがおかわり自由でしたので、ついついしっかりおかわりしました。そしてついでにアイスコーヒーをたのんだのですが、おばちゃんは意識的にか無意識的にか知りませんが、伝票にコーヒー代を記入しませんでした。ということで、僕は昼飯には満足をしました。

僕はそういううれしいことがあると、すぐに人にしゃべりたくなるので、会社に帰ってから女子社員のひとりにペラペラとそのトンカツでトクをした話をしました。女子社員は、どこの店かと聞くので、どこそこである、と僕は答えました。そうすると、「ああ知ってる、あのいっつもガラガラのトンカツ屋」と女子社員はすぐわかりました。そして、あんなガラガラのところで食べて、不安にならなかったか?などと僕にきくのです。あんなガラガラのところは不安になるのでとても入りたいとは思わないそうです。・・・そうか。そういえば、確かに異様なほど、ガラガラでした。ガラガラであることに僕はむしろ喜びを覚えたのですが、言われてみるとどうしてあの店がガラガラであったのか、ガラガラを不安と解釈することに新鮮な驚きを覚え、そのおかげであとになって僕もだんだん不安になりました。不安はいろいろな方面からやってきますが、この場合は、内臓からくる不安です。でもいまのところおなかの調子はいいです。今夜はあしたシュンタの友達のオオタくん一家が引っ越してしまうので、たまり場であったオオタさんちはすでに引越し準備完了したため、今回はわが家がさよならパーティー会場になりうちの中は、子供だらけなのです。そして台所は酒のみの主婦だらけなのです。僕はゆっくり帰ってきていい、できれば帰ってきてほしくないと愛する妻にいわれたので、会社の人と飲みたくもない酒を飲みに行ったのですが、8時半に終わってしまったので、もう帰ってきたのです(ひとりでどこかで時間をつぶせるオトナの場所を知らないコドモなわたくしなのです)。そして自分の部屋に閉じこもっています。酒を飲んで夜ごはんはあんまりたべてないんだけど、おなかのなかには不安なトンカツがまだ残っているから大丈夫なのです。
2002年10月11日 21時48分09秒

すっきりした青空
今朝は5時半に目がさめた。アルコールを摂取して眠ると、かならず早起きになる。トイレも近くなるが、あたまがのしんがキンと固くなって、ゆっくり眠れないのだ。アルコールが体内に入っているときは、あたまの中がぼわっと膨張してゆるむのであるが、眠っているあいだのアルコールが抜けていき、今度は逆に頭の中がしめつけられるようになって目がさめるトイレにいってもう少し眠ろうと布団に入るが、クシャミがとまらないのでしかたがないので起きる。今週は火、水、木と、早朝ジョギングをすることができた。Tシャツだと寒いくらいだ。朝日も引き締まっている。そのまま今日は昼間もとてもいい天気で、澄んだ青空が広がっていた。クルマで走っていても気持よかった。昼寝したいくらいだった。昼ご飯をクルマの中で食べて、30分ほど昼寝した。そのままいつまでも眠っていたいくらいだったけど、午後もしっかり働いた。早起きからはじまって、今日はすっきりと後腐れのないいい1日だった。
2002年10月10日 21時52分13秒

とりとめもなく、小さなものについて
久しぶりにビールを飲んで帰宅。Qがよってきて、新しく覚えた言葉を何度も繰り返す。アノネ。アノネ。アノネ。と、何度もアノネと言う。ナアニ?ときくと、喜んでまたアノネという。毎日何か新しい言葉を覚えている。ここ最近覚えた言葉は他に、マッテイル。というのがある。時々思い出したように、マッテイル、エイ!と言う。これは「お魚天国」という歌の歌詞で覚えたらしい(歌の終わりのほうで、♪魚はぼく〜らを〜まっている、イェイ♪という歌詞がある)。たぶんQの頭の中では時々、「お魚天国」が流れているのだろうなと思う。だからついつい、歌ってしまうのだろう。僕もそういうことはよくある。朝からなぜか、坂本冬美の演歌がずっと頭の中を流れていたりすることもたまにはある。Qの頭の中でもそのように音楽が流れているのだと思うと、Qも大きくなったものだと感慨深くなる。みんな風呂に入ってしまったので、ひとりで風呂に入る。風呂には山のようにいろいろな指人形が浮かんでいた。うちには細かな人形が山のようにある。ウルトラマン、ハム太郎、アンパンマン、ケロヨン、いろいろな指人形がいろいろなところに転がっている。小さなものがいろいろ転がっている風景は好きだ。僕のパソコンの前にもいろいろ細かいものが転がっている。僕も時々豆粒みたいな小さな人になりたくなる。佐藤さとるさんの童話の影響だと思う。そしていつもと同じ部屋の中をちいさくなっていろいろ歩いてみたい。あたまの中が心地よくふわりとしている。小さな人の物語である、ホビットの冒険、あとちょっとなので読もう。
2002年10月09日 22時24分19秒

休日の自由
夕食のとき、妻から、少年野球のコーチの人が、シュンタくんのお父さんもたまには練習にきてコーチをしてみてはいかがですか、と言っていたという話しをした。僕は即座に、絶対イヤだ。と答えた。そういうところがすごくよくない、と僕は非難された。シュンタに対して野球がんばれがんばれというくせに、どうしてよそのお父さんみたいに積極的に練習に参加しないのか。よそのだれそれがどうなのに、あなたはそうでない、ゆえにあなたは協調性に欠けた間違っている性格であるという、いつもの論理で僕は批判されて今夜も不愉快な気分になった。どうしてみんなと同じでなければいけないのだろう。いやでも、あるいは自分でまったく気がつかないうちに、同じでなければならないことが日々の生活の中には、山のようにあるのだ。出きる限り僕はみんながこうであるからという理由でかくあるという行動は慎みたいと思う。

シュンタが野球がだいすきで、がんばっているのは見ていてうれしい。子供ががんばる姿というのは、こんなに感動するものだとは思わなかったが、でも、だからといって、どうして僕が、シュンタの少年野球チームの手伝いをしなければならないのだろう。まったく関係のない話だ。シュンタが野球をするのは自由だし、その姿を見て僕が感動するのも自由だけど、僕は朝から晩まで休みの日に、たとえ1日だって、少年野球の練習につきあいたいとは思わない。それはとっても不自由だ。

包み隠さずいうならば、僕はものすごくそういう運動部的なつきあいが苦手だ。よそのお父さんは得意かもしれないけど、僕はすごく苦手なのだ。社会に出て人と付き合うのが苦痛で、でも相当苦労して、だいぶ矯正されてきたけど(あまりに当たり前のことで誰もほめてくれないので、自分で自分に拍手したいくらいだ)、基本的には苦手なのだ。基本的には苦手だけど、僕は妻のことをとても愛しているので、決して僕の性格上の問題点について逃避しないで真正面からその事態を受け止めてきたのだ。だけど、平日何十人となくいろんなヘンクツな人と出会って、そして週末またさらに煩雑な人付き合いをしなければならないかと思うと苦痛だ。シュンタはこういう不幸な人格になってほしくないから、少年野球をがんばるのは大賛成だが、僕はもうすでに手遅れなので、手遅れなりの自分の人生を生きなければならない。その僕の選択肢の中には休日を少年野球に奉仕するという項目はないのである。

僕がこういう不幸な性格であることを素直に告白しても、それは頭から否定される。性格に致命的な欠陥があるようなものの言い方をされる。たしかにそうかもしれないけど。子供の短所(例えばちょっと人前でもじもじしてしまうとか)すべてが僕の影響であるという。でも僕は子供の短所、なんて裁くようなものの言い方が正しいとは思わない。つらい。わかってもらえない。わかってもらいたいと思う。わかってもらえないからこうやって毎日日記を書いている。僕は少なくとも誰も頭ごなしには否定しない。
2002年10月08日 23時16分27秒

ブレーカー
今日は夕食時に妻から僕の性格を非難され、僕は非常に不愉快になり、その気持をうじうじとパソコンに向かって書いていました。たぶんこのように内省的な僕の性格の美点が、あまり内省的ではない人から誤解されるのだと思います。そして僕の内省的告白手記は、なかなかうまく書けました。せっかくなので、本日の日記にそのままのせようと、思いました。しかしその時、風呂上りのシュンタがやってきたのです。

「お父さん、ブレーカーってなあに?」。ともだちのオオタくんから借りたマンガに、ブレーカーが落ちて家の中が真っ暗になったというシーンがあったそうで、そのブレーカーというのが、どこにあってどういうカタチをしているのか見てみたいというのです。そこで僕はパソコンの前から離れ、玄関脇の収納戸を開けて、その上のほうにこっそりとりつけてあるブレーカーをシュンタに見せました。「おお、ブレーカー!」とシュンタは感動していました。「お父さん、このレバーを動かしたら、部屋が真っ暗になるの?」とシュンタは好奇心いっぱいに目を輝かせて聞くのです。子供の好奇心には答えなければなりません。だから僕は、「そうだよ、この一番左のレバーをバーンっておろしたら、家じゅう真っ暗だよ」と説明してレバーをおろそうとしましたが、ぜんぶおろすとさまざまな困難が予想されるので、「とりあえずお父さんの部屋を真っ暗にしよう。シュンタ部屋に入りなさい」といって、シュンタが部屋に入ったあと、僕の部屋のブレーカーのレバーを下げました。バシ!

「おお!真っ暗!」シュンタは大喜び。そして・・・あ。しまった。僕の部屋のパソコンの電気も消えちゃいました。僕の内省的告白手記も消えてしまいました。

そのことが僕にはすごく面白く思えました。おかしくて笑えてきます。自分の部屋のブレーカーを無意識におとしてしまった自分の行為が、さっきまでのうじうじした気持をどこかに飛ばしてしまったのです。そしてこのブレーカーの事件のため、今日は楽しい気分の日記になりました。
2002年10月07日 21時43分33秒

隠密散歩
今日は朝からシュンタは野球、ペチカはポートボール。ペチカは午前中帰ってきましたが、習っているピアノの試験があるそうで、午後から妻と出かけてしまい、僕はQと留守番。Qと近所を散歩しました。途中で「アッコアッコ(抱っこをしてくれよお父さん)」というので肩車をしたら、そのまま眠ってしまいそうだったので、またおろして、忍者ごっこをした。われわれは忍者になったのです。腰をかがめてあたりをうかがってみたり、さっと電柱の影に身を潜めてみたり。とにかく隠密的に行動するのです。そしてQにささやき声ではなしかけ、いいか、ここでじっとしていろよ、お父さんがいいというまでは動くな、とかいいながら、ばっと僕は次の電柱に駆けていきます。するとQはきゃっきゃとサルのような声をあげて大喜びで僕の後を追いかけてくるのです。さっきまでほとんど眠りそうだったことなど、すっかり忘れてます。こういう怪しい散歩をひとりでやっていると、警察に通報されそうですが、たぶんQといっしょだったから大丈夫だと思います。僕たちは隠密的散歩を愉しみました。

Qが昼寝をしている間、僕はカメのそうじを念入りにしました。カメの甲羅を子供の使い古しの歯ブラシで徹底的に磨きました。それからスナネズミのカゴもそうじして、あと、トールキンの「ホビットの冒険」(岩波少年文庫)を読みました。まだぜんぶ読んでいませんが、ガンダルフや若いビルボが登場していて、久しぶりに指輪物語の世界を再訪している感じで楽しい。書かれている世界はまったく空想の場所でありますが、とても身近に感じてしまいます。これもひとえに苦節10年(読まずにほったらかしてただけですが)、指輪物語を読破しておかげであります。ホビットの冒険を詠みながら、指輪物語を途中でひっぱり出して、読みなおしたりしながら、部屋を散らかしているのです。指輪物語第2回読破計画・・・いつの日になるか?
2002年10月06日 16時28分18秒

メモQ
今日は、Qの2回目の誕生日でした。朝目がさめて、オメデトウ、というと、Qもオメデトウ、といってペコリと頭を下げました。2歳のQがどんな子供であるか、記録しておくのはいいと思うので、いくつか箇条書きで書いておこうと思います。

A・しゃべれるコトバ。
まだ文章がほとんどしゃべれない。ここ1週間そろそろ2歳なんだからしゃべれるようになれと、特訓中です。
*オチャ、チョーダイオチャホチー(お茶または牛乳が飲みたいです冷蔵庫を開けてください)。
*トトオジャオジャ(お父さん高い高いをしてください)。
*アイチュポチー(アイスクリームを下さい)。

他に、
子供パーカーのフードをかぶってペチカに近寄り、首をかしげて「ペチカペチカコココ!」(あのお姉さん僕ってかわいいですよね?)そして鏡をみつめてにやと笑うのです。

B・しゃべれる英語
赤くて丸いものをみると、とても正確な発音で「アプオウ(英語でリンゴの意味です)」と言います。
それからメロン、とバナナ、オレンジもとっても正確な発音で「メイロン」「バナアナ」「オウレンジ」と言います。「英語で遊ぼ」という教育テレビの番組の影響が大きいかもしれないです。もしかすると前世がアメリカ人ということも考えられます。しかしぶどうについては、ブオーブオーと言います。ブオーブオーブティと言います。ブティというのがどういう意味か不明です。ヒンズー語かもしれないです。

他に、誰か家族のTシャツにアルファベットが書かれていたりしようものなら、ものすごく興奮して「エビチ!エビチ!(すごいや!これはこれはアルファベットだよ!)」、とTシャツをつっついてきます。

C・できる挨拶
朝はたいていニコニコしながら布団から出てきて元気にオハヨといいます。平日はペチカ、シュンタ、お父さん、の順番で家を出ていきますが、出ていく前にはかならず、アクチュアクチュ(握手をしましょう)と言って左手を差し出します。Qは左ききと推測されます。ちなみにシュンタも左利きです。見送りの挨拶は「バイバイ!バーイ!チーユー!」で、誠にうるさく見送ってくれます。チーユーとはSEE YOUのことと推測されます。うるさく見送るわりに、ドアがしまるとくるりと回り右をしてテレビの前にかけていって朝の教育テレビを見るのです。

ごはんを食べるときはイターキマス(いただきます)といってパチンと手をあわせ、食べ終えるときも、パチンと手をあわせてぺこんと頭を下げる。そしてオリルオリル(子供イスからおろしてください)といて両手を広げます。

おやすみは、ミーです。ミーは何回もいいますがなかなか寝ません。

D・好きなキャラクター
ディズニーのプーさん。絵本も好きで、よくプープーとかいいながら絵本を振りまわしています。道を歩いてプーさんグッズを見つけるとプー!プープ!プニャプー!と大騒ぎになります。最近はイーヨーもお気に入りのようです。Qが親愛の情を示すときは、好きな対象物にほっぺたを押し当てます。キスはあまり好きではないみたいです。クールなQです。

E・他
くねくねとタイの踊り子ふうに体をくねらす踊りが好きなようです。部屋の中をくるくるとよく走り回ります。そしてよく転びます。しかし転んでもめったに泣きません。しかし、たまに夜中に起きて泣きます。おしっこはまだ、オムツです。「いないいないいばあ」という教育テレビでおしっこのコーナーがあって、小さい子が便器にすわっておしっこの練習をするコーナーがあるのですが、そのコーナーがはじまると、いつも、チーチーといって、便所にかけていきます。かけていって、便器に座りますが、おしっこはでません。オチンチンをひっぱって、へららと笑うだけです。


F・姉兄に対して
姉ペチカに対しては甘えています。ペチカペチカとあとを追いかけます。はじめはネエネと呼んでいたのにいつのまにかペチカです。ペチカはネエネと呼ばせたいので、少し不満ですがQにはめちゃめちゃ甘いのでいつもつけ入れられています。兄シュンタにはあまり甘えないのですが、すぐモノマネをして、シュンタが空手の型などをしたりするといつもいっしょになっておなじ格好をします。けっこう尊敬しているみたいです。ニイニニイニと呼びますが、ときどきネエネとも呼びます。ネエネとニイニというコトバの区別がよくわからないようです。お母さんのことはなぜかママです。そのように呼ぶ習慣はペチカもシュンタもなかったのですが、なぜかママです。ママもけっこう調子よくハアイなんて答えます。ママの妹のさっさんは「呼ぶほうも呼ばれるほうもママは似合わないっちゃ」と言います。僕もそう思います。祖父祖母からの電話には出たがるくせに受話器を持たすと固まります。「ジジ」「ババ」とひとことくらいささやいてからあわててドゾドゾと受話器をペチカやシュンタにまわします。妻がケイタイで近所の人と楽しくメールをしているみたいなのですが、メールの着信音が鳴ると、「メル!メル!」といってママにむかって走っていきます。

まだいろいろありますが、2歳のQはからだはデカイわりにぽーっと抜けた子です。無事に2歳を迎えてよかったです。この記録はきちんと保存しておこう・・・。
2002年10月05日 19時08分50秒

無事に目覚める
今朝は無事6時の目覚ましにより目を覚ましました。でも昨夜は日付がかわってしばらくしてからも起きていて、もうほとんど明日は起きるのはやめようという気持になっていたのです。しかし僕は寝る前に目覚ましをOFFにするのを忘れたのです。夢の中で僕は眠っていました。夢の中の眠っている僕は眠りながら目覚ましのことを考えているのです。夢の中の夢の中で僕は今日は目覚ましを7時にかけているからゆっくり眠ろうと考えているのですが、考えているうちにほらほらそろそろ鳴るぞと僕は感じて、リンリンと目覚ましが鳴るのでした。おお、7時だ7時だ。そしていくつかの夢の皮をつきやぶって僕は目を覚ましました。おや。なんだ6時じゃないか。なんとなく心の準備の出来ていない朝でした。目覚ましがリンリンとなる直前の瞬間というのを夢の中で僕は時々感じます。夢というのか、眠っている僕を意識している僕がいて、目覚ましが鳴る瞬間がわかるのです。あれは不思議な感覚です。もしかすると、目覚ましが鳴ってその後、目が覚めてその目が覚めた瞬間に意識が時間を編集するのかもしれないですが、そうして時間を編集する意識というのはそれでそれで面白いなあと思います。

今朝はそれほど肌寒くはありませんでした。気持のよい朝でした。夜明けがだんだん遅くなってくるので、走りながら朝焼けの雲を見ることができるのがいいです。雲と言うのはいろいろ不思議な形をしています。形というのはいずれ変わっていくものですが、そういうことを時々忘れそうになります。雲は形がないのに形をつくり、変わっていくことにためらいがないのです。流れていきます。そういう空を見上げる習慣はいいことであると思います。
2002年10月04日 22時26分23秒

パンク
今朝も6時に起きられませんでした。目覚ましをかけていたのに知らないうちにOFFにしていました。7時20分に目がさめました。しっかり熟睡しました。空はとても青くよい天気です。朝のなんともいえない涼しい寝心地のよさ。まいりました。いいわけのひとつもありません。夢もさっぱり覚えていない。記憶に残らない夢を見ていたのならそれはおだやかな夢だったのでしょう。

今日は仕事中、クルマがパンクをしました。運転中に電話がかかってきたので、マナーのよい僕は、きちんと路肩にクルマをとめて、電話に出ようとしたのですが、路肩はたぶん怒り肩であったのです。左の前輪が石のでっぱりかなにかにぶつかって、あっというまにシュルルと空気が抜けました。

僕はJAFに電話をしてタイヤ交換をしてもらいました。でもタイヤ交換というのは、普通は自分で処理をするものなのだそうです。全国の毎日クルマに乗っている営業マンの実に98%までが、自分でタイヤ交換くらいはできるようです。僕の根拠のない推測によればたぶんそれくらいはできそうです。でももしかすると僕以外のすべての人は自分でタイヤ交換をしているのかもしれないです。そんな気もします。僕はぼやくのが比較的好きなので、JAFの人がくるまでケイタイで同僚約3名にぼやきメールをしたのです。そうしたら、JAFなんて呼ばないで、自分でタイヤくらい替えろと返り討ちに合いました。みんな立派です。僕の勤める会社の営業マンは平均して3回くらいは営業時間中、自分でタイヤ交換をした経験があるようです。誠に立派であります。みんなどんな困難でも逞しく生きていくんだろうな、と思います。僕は今回で3回めですが、過去2回はたまたまタイヤ交換のできる同乗者がいたり、目の前がGSでそのまますぐにパンク修理をしてもらいました。そして今回はしっかりJAFを呼んだのです。

JAFの人が来るまで路肩にクルマを止めて30分ほど待っていたのですが、返り討ちメールでいじめられだんだんJAFを呼んでしまったことがいけないことのように思えてきました。JAFなんて呼ぶ自分がつくづく能無しの情けない男に思えてきました。僕ははだからJAFの人がきたときにすっかり卑屈になってしまい「すみませんねえこんなつまんないことでお呼びだてして・・・」とへこへこしていたです。しかし、JAFの人は人の弱みにつけこむことなくにっこり微笑んで、「いやいや、お一人ではタイヤ交換するのはなかなか大変ですよ」と優しく僕をいたわってくれました。そしてテキパキとタイヤ交換をしてくれました。JAFのおじさんはいい人だと思いました。僕は親切な人がすごく好きです。胸が熱くなります。

胸が熱くなった日は心穏やかによく眠れそうです。いえ、熱くなった胸のせいで全身の血のめぐりがよくなってしまい興奮して眠れなくなってしまうかもしれません。明日は起きられるでしょうか・・・・。

本の感想。
「かみそりの刃」読了。語り手はモーム。主人公はアメリカ人ラリー。第一次大戦中空軍で戦友の死に遭遇したラリーは人生について思い悩み、インドへ行くのです。グルの下で修行して10年たって、ヨーロッパに帰ってくるのです。すごく魅力的な笑顔。ラリーの笑顔は通り過ぎるのですが、話しの結論としてどうなったのかよくわかりません。そして聖人ふうのラリーのまわりにはいろいろな俗物の人たちが取り巻いています。この作品にはラリーの笑顔が通り過ぎる魅力も書いてありますが、俗物な人たちも対聖人という観点ではなくそのままで魅力的です。けっして高みから断罪するようなことはしません。作中人物であるモームのつぶやきも面白い。でもこの本、7年前にモームコレクションでちくま文庫で出たのですが、今では本屋に売ってないのです。このあいだようやく、古本屋で新品同様で200円でみつけた。うれしかった。中途半端な話しの展開という気もしないでもないけど、けっこうよけいな部分で細かかったりする。読めてよかった。
2002年10月03日 21時28分04秒

うずきゅうめいがん
今朝は残念ながら起きられませんでした。いいわけするつもりもないのですが、昨夜は12時過ぎに布団に入り電気を消してすーっと眠りに入ったか入らないかのうちに、Qが心地よい寝返りに失敗したのか悪夢を見たのか突如としてホンギャアと泣き出しました。まもなく2歳になる子でも夜泣きというのでしょうか。目をつぶったままけっこうはげしく泣くのです。たまにこうやってQは泣くのです。上のふたりと比べても、もっと小さい頃でも、そんなに夜泣きはしない子ですが、そんな子でもこうやってたまに泣くのです。

僕は決して自慢するつもりはないですが、妻には横になっていていいよ好きなだけイビキでも歯軋りでもして眠っていなさい、と優しく言って、Qを抱き上げ歌を歌ってしばらく揺らしました。揺らしてもしばらく泣きやみません。しばらく揺らして、それから布団に寝かせておなかをさすってやるとようやくおとなしくなりました。妻は寝返りをうちながら最初から好きなだけ泣かせてほったらかしにしておけばいいのであると、Qを抱えて揺らして夜中に歌ったことなど僕の一連の行動を批判しました。しかし、結局はなにはともあれ、泣きやんだのです。夜泣きの子を抱えて揺らす経験なんて、もうあとちょっとしかできないのです。僕はQを抱えて揺らして歌うのが楽しかったのです。そして落ち着いたあと、ニヤっと笑ったQもとてもかわいかった。結局僕が取った行動はムダな行動だったのかもしれません。たしかに。いや。しかし。・・・こんなことを書いていると、なんだか妻がずぼらで何もしないで僕だけが子供思いのやさしい人物であると主張しているように読み取られてしまうかもしれないのではないかと心配です。そうではないのです。でも僕は僕の中にも一片の正当性があるということをどこかで吐露したいのであります。そうです。本当に立派な人はなにも言わないのです。たいしたことないヤツが虚勢を張るのです。わかっております。はい。

とにかく、まあ、でも今夜は泣いてほしくないです。明日こそ走ろう。

昔、うずきゅうめいがん(漢字忘れた)というクスリのテレビCMがありました。うずきゅうめいがん、とはたしか赤ちゃんの夜泣きに効くクスリであったと思います。赤ちゃんも夢をみるのかしら?という女の人のナレーションが入って、影絵がゆらゆらするCM。Qは昨夜どんな夢を見てあんなに泣いたのでしょう。かたくなに目をつぶって泣いていたのは、たぶん寝違えに失敗しただけではなく夢の領域をひきずっていたためであると考えられます。

僕はたまに夢を見ますが、夢を見てQみたいに泣き出すなんてことはないです。いやな夢を見る場合、それは、即物的にコワイ夢であるよりも、設定は比較的リアリズムで心理的に追い詰められるようなコワイ夢です。そういう種類の悪夢は何度か見たことがあります。泣くに泣けないような後味の悪いくたびれる夢。大人になると夢の見方もせこくなるのでしょうか。でもQみたいに思いきり泣いてしまう夢を見るのもやっぱり、こわいような気もします。そしてこうやって夢のことをかいていると今夜あたりヘンな夢がやってくるんじゃないかというこわがりなワタクシであります。そしてそういうことにびびってしまうから、中途半端なせこい夢しか見れないのではないか・・・。でもこのところ記憶に残る夢というのを見ていないように思います。今夜は夢を見るなら記憶に残るやさしい心地よい夢を見たいものです。
2002年10月02日 21時19分45秒

10月のはじまり
本日は10時過ぎに帰宅しました。しっかり働いておりました。夜の9時の道路は非常に空いていて、ラジオも懐メロ歌番組が流れていて、快適に帰社。会社もしっかり電気が消えていて、今日は朝、雨降りだったので、電車通勤、電車で帰宅。すでにQは眠っていました。帰って眠られているのも少しさびしい。遅い夕食。このように不規則な時間の食事は体調によくない。風呂に入って、それからちょっとずつ腹筋、腕立て、スクワット。だんだん習慣になってきた。ここ2日雨で走れなかったので、明日は走ろう。という10月のはじまりです。
2002年10月01日 23時18分03秒

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