2004年1月。あけましておめでとうございます。

今度こそ
今日は一日9時から5時半まで会社で仕事。朝は、まだ先行きがわからないような状態であったペチカとQだが、会社から帰ると、ふたりともすっかり元気になっていた。シュンタも元気に野球から帰っていた。ついにウイルスは今度こそどこかへいっただろうか。山盛りの夕食を食べた。明日はペチカもQもいっしょに教会にいくというので、とてもうれしい。
2004年01月31日 19時49分33秒

倦まず弛まず
我が家に滞在するウイルスは未だに立ち去っていない。Qは元気になったかと思ったら、また熱が出て、具合が悪くなってしまった。ペチカも今日も学校休み。シュンタは、何かとても期待しながら体温計をわきの下に入れてはかっていたが、36度と少しで、しぶしぶ学校に行った。シュンタは元気であるので、今夜もいっしょに外で素振りをした。100回くらいバットを振った。素振りはなかなかいい運動である。腰がきゅっと引き締まる感じだ。

明日は、来週ハワイのため、一日会社の営業日がなくなるため、変わりに明日全員出社となった。なにかうまくごまかされているような気がしてならない。ハワイ。きのうはあまり気が進まないと書いたが、しかし海外旅行は、とくにうちは家族が多いので、個人的にはしばらく行けないと思うので、せっかくいくのだから、たくさん前向きに観光してこよう。社員旅行もたぶん、今回のあとは、しばらくないのではないかと思う。ものごとは前向きに受け止めようと思う。そのように決めたのに、多少体調不良が続くと、性格もすぐに悪くなる。夫婦喧嘩をする。しかし、常に祈って悔い改めよう。何度も何度も悔い改めよう。倦まず弛まず生きていこう。倦まず弛まずというのは、いい言葉である。聖書を毎日少しずつ読みながら、倦まず弛まずと心の中で唱えている。日々、ちょっとした波風でアップアップしながら、倦まず弛まず日々悔い改め祈り聖書を読むのである。そういうことを忘れないように、決心をしたのであるが、病気で簡単にたましいは、波にのまれそうになる。ということを考えて、朝、聖書を読んでいたら、下記のみことばに強い印象を受けた。

すると突然、海上に激しい暴風が起こって、舟は波にのまれそうになった。ところが、イエスは眠っておられた。そこで弟子たちはみそばに寄ってきてイエスを起こし、「主よ、お助けください。わたしたちは死にそうです」と言った。するとイエスは彼らに言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」。それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。(マタイによる福音書8章24節ー26節)
2004年01月30日 21時14分46秒

ハワイ
今日はいくらかあたたかな一日だった。病み上がりはからだがとてもすっきりして、見える世界もすっきりして心地よい。あたたかいといえば、ハワイである。来週は社員旅行でハワイに行くので、行く前に風邪をひいておいてよかった。ハワイに行くというのに、ほとんどまったくなんの用意もしていない。パスポートはある。しかしほかに何がいるだろうか。ハワイ。いったことない。生まれてはじめてのハワイ。社員旅行のハワイ。それほどうれしくもない。できたら家族全員招待とかしてくれてもいいのにとも思う。なにしよう。ハワイといえばマラソンである。ホテルのまわりでも走ろうかな。
2004年01月29日 21時50分50秒

まだ続く
会社でも事務所の中はごほごほげほげほの人だらけだ。発信源はひとつではないみたいだ。一度くらい風邪を引いたからといって確実には安心ではないのかもしれない。うちでは第一波はおさまりつつある。これでおわりにしてほしいものだ。
2004年01月28日 21時45分15秒

ゴルフボール
夜中、ここ3日間横になってばかりいたらずっと背中がこわばってしまい、眠れなかったので、なにか対策はないかと考えた。そして、物入れの引出しの中から、なぜかうちにひとつだけおいてあるゴルフボールを取り出し、それをふとんの上におき、ちょうど仰向けになったときに、背中のこわばるツボにはまるようにした。そして微妙に背中をゴルフボールの上でゴリゴリ動かしているととてもここちよくなり、よく眠れた。

おとといまでは一人で隔離して眠っていたが、昨夜は熱を出したQと二人で眠った。Qはぼくにぴったりくっついていた。背中はゴルフボールでここちよく、わき腹はQでほかほかとあたたかかった。夜泣きもせずにすやすや眠っていて、朝方一度起きて、バナナ食べる!といった。そして、ひとりで起き上がり、居間のソファでひとりで寝ていた健康体の妻を起こして、起こしてから、やっぱりネンショウケイがいいと、ネンショウケイアミノサプリのナントカいう飲み物を飲んで、また布団に戻ってきた。おとうさんおやすみ。お!はおうさまのお!、や!はやぎのや!す!はすいかのす!み!はみかんのみ!、といっていい子で眠った。でもいい子だけど、今日会社から帰ってきても、熱が引かない。はやくなってほしい。ペチカもまた熱が出てきた。今日はペチカとQとぼくの3人で寝る。妻とシュンタは元気である。シュンタは元気に空手に行っている。しかしまだまだ予断を許さない状況にある(これで正しかったかな?「予断を許されない状況」かな?やっぱり「予断を許さない状況」?それとも「予断は許されない状況」?あるいは「予断は許さない状況」。正解はどれだろう・・・・)。

シュンタは12月25日が誕生日だけど、今日学校から、そのときにクラスのみんなにもらったおめでとうノートを持って帰ってきた。シュンタのクラスは誕生日のときに、クラスメートのひとりひとりがその子におめでとうの言葉と、その子のいいところを一枚ずつ紙に書いてそれを一冊のノートにして送る行事があるみたいだ。シュンタくんは、総合すると、明るくて、元気で、背が高くて、足がはやくて、のぼりぼうやてつぼうがとくいで、たんじょうびがクリスマスですごい(?)、といったところがよいところのようだ。結婚式の祝辞みたいだ。ぼくもこういうのをもらってみたいなあと思った。ぼくは走るのははやくなかったし、のぼりぼうもとびばこもとくいではなく、元気なつもりでいてものそっとしているように見られしかも誕生日はお彼岸なので、シュンタがぼくが褒められたことのない分野で褒められているのを読むと、ちょっとうれしい。
2004年01月27日 20時24分25秒

インフルエンザ続く
今日はまだ、若干微熱があり、会社を休む。昨日は、ペチカに感染し、ペチカは一日8度くらいの熱で、鼻をずるずるしながら早くに横になったが真夜中汗まみれになって目がさめて、不機嫌に起きてきて、しかし、汗といっしょにウイルスも流してしまったみたいで今朝は元気だった。昨日も熱はあったけど食べるのはいつもと変わらず食べた。朝も元気に食べた。よかった。シュンタはまだノウテンキに今日も元気に学校に行った。そしてノウテンキに帰ってきて元気だ。年末に少しダウンしたので、もう免疫ができているのだろうか。そして本日の感染者はQだった。朝はごきげんに起きてきたが、午前中、ぼくのふとんの脇でごろごろころがってきて、気が付くと、パタンと午前中に眠ってしまった。そして30分くらいたって真っ赤な顔で目がさめて、熱を測ると39度をこえていた。昼以降ずっと、ぐずぐずと不調だった。申し訳ないことをした。夕方ペチカが学校から帰って体温を測ると、36.5度、ぼくは37.2度、Qはイヤイヤではからせてくれない。妻の体温は36.0度だった。明日は妻が発熱するかもしれない。
2004年01月26日 17時42分52秒

インフルエンザ
1月24日ー25日。24日目がさめると、ものすごくからだがだるかった。食欲もわかなかったけど、納豆ごはんを一膳食べた。おかずは食べられなかった。熱をはかると38.6度あった。病院にいくと、インフルエンザといわれた。きのうはからだは熱いのにがたがたとふるえて、ひざをかかえて一日中寝ていた。ときどき、Qが枕もとにやってきて、ぽんぽんとぼくの頭をたたいて生死の確認をした。子供にはうつってほしくないけど、今朝になってペチカが鼻水をずるずると流しはじめた。きょうは教会を休んでまたじっと横になる。昨日よりは体調はよい。しかしまだたくさんのウイルスがぼくの肉体に生息しているのである。毎日必ず石鹸で手とひじと顔をあらってうがいも忘れたことがないのに、ぼくは必ず毎年発熱するように思う。世間にウイルスを撒き散らさないために明日も会社を休んで安静にしてようと思う。
2004年01月25日 16時09分06秒

きょうもさむかった。
きょうは会社の帰りに誘われたので、飲んで帰る。帰ったら、楽しかったか、と妻にきかれたので、楽しくなかった、と答えた。つまらない人だと軽蔑された。でもぼくは酒を飲んで楽しいなんて思ったことは、学生時代のころのほんの数回ぐらいである。そして楽しい楽しくない、好き嫌いで人生は成り立っているほど単純ではないと思う。だから楽しくないからといって、べつに酒を飲むことを否定する気持はない。ある意味で先輩にさそわれたら、義務であるといううふうにくらいに思っている。義務は鍛錬には向いている。そしてぼくは自分からは必要を感じないので、酒は飲もうとは思わない。でも以前はこうやって、会社の帰りに酒飲んで、ひとりで自転車に乗っていると、ああこうやって人生は終わっていくのだろうか、とわけもなくものすごくむなしく、悲しく感じた。そして、会社の帰り道に、ぼくが通う教会があって、いつもそれを横目で見て、悲しい気持ちで帰った。そしてぼくは、真剣に神様にもう一度教会にいける勇気を与えてくださいと祈った。そして、その祈りはかなえられて、ぼくは毎週日曜日に教会に通えるようになって、ものすごくうれしい。だからどんなによっぱらって帰っても、いっこうに悲しくも、むなしくもならない。酒を飲む行為はちっとも楽しいとは思わないけど、今こうして、以前のむなしい気持ちを思い出すとき、今の自分のたましいの状態を神様に感謝する。
2004年01月23日 22時16分42秒

マイナス
目がさめたらあたりは真っ白な雪の世界ではないかと思っていたが、雪はまったくふっていなかった。風の強い朝で、とても寒かった。朝の気温はマイナス2度くらいだったらしい。今の温度もマイナスであるのだと思う。マイナス!と思い、ベランダに出ると、カメの水槽の水が凍っていた。表面に薄く張っているだけなので、パリンパリンと割って水を足しておいた。念のため水底のカメを確認するが、生きている。たぶん去年もこんな具合であったから大丈夫であると思う。とくにミドリガメのほうは、真冬でも野良ガメはけっこう、プカプカ沼で浮いていたり日光浴をする場合もあるみたいだ。あわててベランダに出たので、石油の電動式給油ポンプをふんずけてこわしてしまった。もう6年くらい使用しているのだから、寿命である。しかし、ガムテープで修理したらウイーンと動いた。まだ使える。丈夫である。
2004年01月22日 21時01分26秒

今日は夕方会議があり、6時過ぎに終わったのでそのままさっさと帰ってきた。会議中にマナーモードの携帯電話がぶるぶると震えるのでなにかと思ったら、家からだった。会議が終わってすぐ電話をすると、ペチカの漢字書き取りノートがなくなったので買ってきてくれということだったので、帰りにスーパーの文房具屋に寄る。ジャポニカ学習帖漢字練習帖150字用というやつを買う。ジャポニカ学習帖は表紙に動物の写真が載っている。ぼくも小学生のころ使用した。スーパーを出ると、ものすごい勢いで雹が降っていた。雹に打たれて帰宅する。明日はこの冬一番の寒さであるそうだ。去年の1月29日以来であるとラジオで言っていたので、去年の1月29日の日記を見たら、ものすごく寒そうなことが書いてあった。そんな記憶はなくなっていたが、去年もやっぱり寒かったのだ。夕食は家族揃って食べることができた。今日はグラタンで、Qが大人一人前と3分の1くらい食べていた。
2004年01月21日 19時56分16秒

精神と肉体の腹筋
ときどき仕事をしていると、いらいらすることがある。人とのかかわりでどうにもこうにも腹が立つことは、日々必ずある。そのことについて、ああ腹が立つとえんえんとここに書き連ねると、そうすると自分も腹が立つにいたった人間と同類になるのではないかと思うので、こういう日々の小さな困難を自分自身のトレーニングとして受け止めようと思う。なにも戦場で戦っているわけではないのである。出会う困難はぼくに見合ったものしかやってこないのである。コリント人への手紙第一10章13節である。でもそういいながら、ぼくは、わりと、ぶつぶつ文句をいう。そしてそれをときどき妻に気に食わなかったことについてことこまかに話す。しかしぼくが腹を立てている内容というのは、当事者ではないとちっとも腹もたたなければ、面白くもない話なのである。そのためまったく妻は関心を持たずに聞いてくれない。聞いてくれないと腹をたてる。腹をたててから、ああぼくはクリスチャンになったのである、これではいけないと反省する。すぐ反省するのねえ、とばかにされてまた腹をたてて、またああこれではいけないと反省する。反省して、改善をするのである。上体起こしを繰り返して腹筋をつけるように。しかし、この腹筋であるが、ぼくは肉体的には毎晩50回腹筋しているが、いっこうに、おなかはかたくならない。肉体はぼくの精神の鏡であるのだろうか・・・。
2004年01月20日 20時44分43秒

あいうえおでQ
秀才の義理の弟の下の子供のサキポン(仮名)は、Qとほぼ同い年であるが、やはり秀才の子だけあって、すでにひらがなを読むことができるのだそうだ。Qも半年ほど前にアルファベットのパズルで遊んでいたときは、しっかりABCをおぼえて、道をあるけば、「あ、ほらおとうさんぴーだよ、ぴー!あ、こっちはけーだね、けー!」などと、駐車場の表示のPやら、不動産広告の3LDKのKを指差しては喜んでいたのであるが、いつのまにかそのパズルで遊ばなくなったら、アルファベットもすっかり忘れてしまった。そして、もちろん今現在ひらがなもさっぱりわかっていない。

まだ3歳なので、今から覚えさせることもないかもしれないけど、と思いながらも、妻の母親が「サキポンは、わたしがひらがなで書いた年賀状をちゃんと読むことができるけど、Qは読んでくれたか、え、まだひらがなも読めないの」などという趣旨の電話が妻にかかってきたのをあとから聞いたりすると、私の息子は秀才だからその子供のサキポンも秀才だけど、Qのおとうさんは頭が悪いからやっぱりQも頭が悪いのね、などといわれているような気がしてくるので、ぼくはQにあいうえお特訓をすることにした。

先週の月曜日の夜、カレンダーの裏にマス目をひき、あ、から、んまで、字を書いて、そして、それぞれの字に、イラストもつけた。あ、は、ありの、あ。とか、て、はてぶくろの、て、とか。ぼくはそういう表をつくるのは好きである。工作していると、何かこう、創造的な活動をしているような気分になる。Qも横にいて、ほ、はホラーマンにしよう、とか、と、はトンネルのと!などと、大喜びであいうえお表作成におもにたずさわった。あいうえお表は無事完成した。なにかひとつのことを成し遂げるというのは気持ちがいいものである。そして、壁に貼って、なかなかうまくできたと満足してながめて、そのまま、Qの特訓をするのを忘れてしまって、1週間がたつ。

しかし、Qは、少しずつ、自発的に、このあいうえお表を見ながら、ねこのね!とか、わにのわ!とか、時々、叫んでいる。おにぎりの、の!なんていう。の、の字のところは、のりの絵を書いたのだ。でも、のりだけではうまくかけないので、おにぎりの絵を書いた。だからQはその「の」の字のところは、おにぎりの「の」と覚えている。のりまきの絵にするべきだった。妻が、どうぶつの絵本をもってきて、うさぎはどこかなあ、などと、ときどき、Qに質問する。するとQは、「ええと、うさぎのうは、うしさんのう!でしょ。えーと、あ、い、う、え、お!の、う?でええと、あ、い、う、え、お、うーん。(あいうえおまでは言えるのに、あいうえおといっているうちに「う」がどこにあるのかわかんなくなるQ)どこどこ、Qわかんない」とあいうえお表の前でQは頭をかかえる。Qがどうしてそんなにむずかしく混乱しているのかよくわからないけど、まださっぱりひらがなのことはわからないみたいだ。



    あいうえお表
2004年01月19日 21時02分57秒

結婚式の日曜日
今日は会社の後輩の結婚式があるため、教会にはいかなかった。結婚式は、梅田の某ホテルで行われ、ホテル付属の簡易的な礼拝堂でキリスト教式にて行われた。牧師は外人で、英語でコリント人第一の手紙13章4節から8節を読み上げ、なにか英語で祈っていた。日本には日本語の立派な聖書があるのに、わざわざ英語で式を執り行うのは、何か意味があるのだろうか。葬式でお坊さんが難解なお経を唱えるみたいに、わかんないけど、日本語より英語のほうがありがたく感じる人が多いのであろうか。賛美歌312番を歌う。いつくしみ深き〜。これは日本語であった。ぼくは大きな声で歌った。なにはともあれ、神様が祝福してくれるのはいいことである。

披露宴までの待ち時間、会社の先輩3名と待合室で待っていた。ひとりの人のおばあさんが現在非常に重態であるのだそうだ。年末に倒れて、ずっと意識不明で、昨日も一晩中つきそいをしたのだそうだ。そして、その話から、ほかのふたりの人もそれぞれおとうさんが亡くなったときのことや、おじいさんが亡くなったときの話をはじめ、ずっと葬式の話ばかりをして披露宴を待った。ひとりの人にいたっては、うっかりポケットに数珠まで持ってきていた。結婚披露宴は、フランス料理のコースだった。少しずつたくさん出た。たくさん出たけど、少しだった。結婚式というと、妻の妹の結婚式の時を思い出す。何を食べたか細かくは覚えていないが、量はとてもたくさんあったような気がする。おそらく妻の実家近辺では今でも伝説として語られていると思われる豪勢な結婚式であった。

結婚式の終わりには、新郎新婦および親族一同みんな泣いていた。結婚式の涙というと妻の弟の結婚式を思い出す。妻の弟はなにごとにも動じないような、クールな秀才であるが、結婚式の終わりの挨拶の時に突然泣いたのは、実に衝撃的だった。なにか、結婚するにあたり人には言えない隠された深い悩みでもあったのであろうかと心配になってしまうくらいだったが、今現在とても幸福に暮らしているみたいなので、ただそのとき単に感動しただけだったのだと思う。でも普段感情を表に出さない人が泣き出すというのはいろいろよからぬ想像が膨らんでしまっておそろしい。それに比べると、今回の後輩が泣くのは、なんとなく泣きそうに見えたので、ほのぼのとした気持ちで見ることができた。新郎のおとうさんが泣くというのははじめて見たように思うが、なかなかよい風景だった。

横にすわって新郎新婦および親族一同の涙に深く感動していた40代半ばの先輩が、そういえば来週うちも結婚記念日や、と言っていた。もう十二年もたつんだなあ、と遠い目をして言っていた。12年なんてすごいなあ、と思ってよく考えて見たら、うちは今年で結婚13年目だった。もう一回13年たったら、下手すると孫がいるかもしれない、なんて考えたら、これもまた義理の弟の涙よりもおそろしい。
2004年01月18日 17時57分57秒

買い物の土曜日
朝から雨まじりの雪が降っていた。とても寒い。朝食後1時間ほどジョギングした。身が引き締まるようで気持ちがよかった。比較的静かな一日で、シュンタも野球が練習中止になったため、昼から家族5人で、買い物に行く。ペチカが今度学校で、近所の金剛山という山に耐寒登山に行くため、登山用の靴と、アイゼンを買いに行く。そんなもんはどこに売っているのだろうかと、とりあえず、大きなスポーツ専門店に行くと、入り口脇に大きく、子供向け金剛山耐寒登山用品売り場が設置されていた。このへんの小学生はみんな金剛山の耐寒登山に行くので、売り場は小学生がたくさんいてにぎやかだった。

スポーツ店の一階はホームセンターなので、靴を買い終わったあと、ホームセンターのペットショップを見た。ハムスターの子供がいてかわいいなあと見ていたら、すーちゃんが昨日死んだばっかりなのに、と妻はすーちゃんを思い出して、ぽろぽろ涙を流していた。そんなにすーちゃんが好きだったとは知らなかった。ぼくは涙は出なかったので、なんだか申し訳ないような気もする。でも、きのうみかんを食べたとき、ひと房はすーちゃんにやろう、と思って、ああでもすーちゃんはもういないのだな、と思うと少しさびしいような気がした。動物飼育はまったく、ぼくのエゴのようなもので、夜中にすーちゃんを見ていると、それだけで、イヌネコとは違い寄ってもこないけど、活動する姿を見るだけで、癒されるところがあった。

今から9年前の今日の早朝、阪神大震災があったときも、うちには、一匹のハムスターがいた。そのとき、妻もペチカも、生まれたばかりのシュンタといっしょに妻の九州の実家にいた。シュンタを里帰り出産するためにその前の年の11月ぐらいからずっとぼくを置いて実家に帰っていたのだ。ひとりでさびしいので、ぼくは近所のペット屋でハムスターを買ったのだ。そのころは新大阪に住んでいて、神戸と比較すれば、大した被害はなかったが、ものすごく揺れた。夜になっていくにつれ、神戸では火災が激しくなって、死者の数がどんどん増えていって、そんな映像をハムスターのカゴを抱えつつ、テレビで見ていると、時々グラリと余震がきた。非常にこころぼそく、ぼくはハムスターのかごを抱えていた。神戸方面に住んでいる知り合いが数人いて、かわるがわるうちに非避してきた。何日か泊まっていった。ハムスターのカゴを囲みつつ、ぼそりぼそりと地震のあったときのおそろしさをはなしあった。ハムスターはずいぶんと、心をなごませてくれた。ハムスターにとってはいい迷惑かもしれなかったけど、そのように、動物になぐさめられることはあるのである。

そして、空っぽのかごにはハムスターもすーちゃんもいないので、少しさびしいような気がする。またそのうちに、なにか動物を飼おうと思う。
2004年01月17日 17時04分52秒

さよならすーちゃん
今朝会社へ行く前にスナネズミのすーちゃんのカゴをふと見るとすーちゃんは仰向けになって死んでいた。すーちゃんはおおきな垂れ目をしているので、目を閉じて死んでいるすーちゃんの顔もまたとてもおだやかであった。ここ数日少し元気がなかった。背中には、ひと月前から大きなこぶのような腫瘍ができていた。もう長くはないのではないかと思っていたが、死んでしまうときは、こういう小さい動物はあっというまだ。2年と2ヶ月。スナネズミの寿命としては、やや短いのだろうか。でも今までハムスターも何度か飼育したが、だいたい2年と少しで死んでしまう。はかない命である。仕事の途中、ホームセンターでシャベルを買って、夜帰ってからペチカとふたりで近所の公園に行き、すーちゃんを埋めた。寒い夜である。あしたは雪が降るのだろうか。
2004年01月16日 21時37分40秒

地道
今日は、比較的平穏に終わった一日だった。冬の空は冷たそうな雲でいっぱいだった。冬は風邪がはやっている。うがいと、石鹸で手を洗う、ひじまで洗う。それが大事である。ウイルスは、地道な習慣で防げるのである。地道な習慣というのは大事である。腹筋、腕立て、ジョギング、日々の読書、この日記、地道に続けるのである。ウイルスを撃退するのである。
2004年01月15日 21時38分23秒

しんどい
今日は、会社の某氏を車に乗せて、得意先を回る。いつもは会社の中での仕事をしている人なので、車にいっしょに乗るととてもよろこぶ。京都に行った。京都は大阪と比べると、ずしんと寒かった。まわりを囲む山が白かった。得意先を何件か回ると、神社に初詣に行きたいと言われたので、とある有名な神社に行く。どうしてみんなこう正月は信心深いのであろうか。某氏は賽銭をじゃらんと投げ(けっこうたくさんの小銭を投げていた)パンパンと神社で手をたたき、神妙に頭をたれていたのをぼくは後ろで見ていた。それからこの神社の横に有名な縁切り寺があるので、そこで気に食わない会社の誰それと縁を切りたいので、よし、おまえと連名で絵馬を奉納しようではないかというのである。おまえもあいつは気に入らないだろう、とけっこう真剣な顔をしていうのであった。しかしぼくは、そのようにして仮に縁が切れたとしたら、この寺に借りができる、今日はじめて行こうとする寺にいきなりそんな頼みごとをして借りをつくるのは、なんというか癪である、縁を切るのであるのあれば、自分で切るので、けっこうですと必死に断って縁切り寺は行かなくてすんだ。それから、また得意先訪問をして、それから、おおきなスーパーとパン屋と和菓子屋に寄って、帰る途中に営業車のエンジン音がおかしいので、車の修理屋によって、そこで車を置いて電車に乗って直帰をする前に、途中下車して、居酒屋で、2時間ほど食事と酒を飲んだ。途中で、ほか2名がきた。そして会社の誰それはバカであるという話をして、バカな誰それがたくさんでてきて、でもそうすると、ぼくのつとめる小さな会社にはバカしかいないということになってしまい、そしてここにいる人たちだけがかしこいことになってしまう。そしてぼくは、はいはいときいていたが、けっして自分から誰かを論評するのは極力避けた。はいはいと聞いていた。しかしついつい同調してそうだそうだ、だいたいあの人は、なんてちょっといってしまったかもしれない。言ったつもりはないが言っているのかもしれない。反省する。でも今日は極力何もいわなかったのだ。キミはいいやつだといわれた。おそろしい。このつぎは、ぼくはどこかであいつはバカだといわれているにちがいない。そして店を出ると、2対2で分かれて、ぼくといっしょに帰った人は、今度は別れたほうのひとたちの悪口をいいはじめた。おそろしい。ぼくも悪口をいわれているのだろうか。酒を飲むのはおそろしい。極力避けたいものである。とても生きていくのが億劫にもなる。どこか知らない天国でも行くことができるのなら。しかし、そのように空想的に望む天国などはないと思う。「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ(ルカ17:21)」である。明日もまた一日がはじまる。一日の労苦は一日にて足れり。明日のことを思い煩うことなかれである。
2004年01月14日 22時57分22秒

ヨーロッパの朝
今朝は会社に行く前にものすごい雷が鳴って雨がザッバアっという感じで降ってきてなおかつとても寒かったので、家にこもっていたいような気分にもなったが、それでもよし、と決意して玄関を出たら雨はやんでいた。そしてくもの向こうに晴れ間も見えたので、気を取り直して自転車で会社に行った。なんとなくヨーロッパな朝であった。ぼくは17年ほど前の真冬に、学生ばかり40人くらいの団体ヨーロッパ旅行に行ったことがあるのである。23日間、7カ国をバスと飛行機であわただしくとおりすぎた。2月のヨーロッパはたいてい雪か曇りで、朝は8時過ぎても暗かった。今朝は2月のパリの朝のようであった。おとうさんがパリにのべ48時間くらいたころにはちょうどこんな朝であったと子供たちに解説をした。曇りの朝のたびごとに、ぼくはパリの朝について子供に語るのである。そして妻はそのとき同じツアーにいたので、パリの朝は知っているのである。しかし、ぼくがしつこく同じことばかり言うのを極度に嫌うのである。しかしぼくがしつこく、妻を愛しつづけたからこそ、ヨーロッパ旅行の時は赤の他人であったのに、今ここでいっしょに生活して子供も3人もいるのである。旅行が終わって、また会えたらいいね、と社交辞令を言うのを間に受けて、ぜひ会いましょうと、ぼくはきちんと約束を守って、埼玉から九州に会いに行って、そしてめでたく結婚することとなったのである。雨はやんで雷は去ったが、とても寒い朝だった。寒い朝は17年前のヨーロッパの朝を思い出すのだった。23日のあいだほとんど毎朝、真っ暗なうちに起きてバスで移動ばかりしていたのだ。おおヨーロッパヨーロッパ、英語で発音したらヨーロップッ!とつぶやきながら寒い朝自転車で通勤した。
2004年01月13日 22時05分45秒

夕食前
今日は朝からシュンタは元気よく、野球に行った。ぼくもちょうど7時半に起きて、シュンタを送ることができた。朝は、必ず行ってきますの挨拶をして機嫌よく出かけるべきであると思う。ドアを出て、それが最後のわかれということだってあるのである。そのように日々を真実にすごせたらいいと思うけどしばしば、朝、夫婦でケンカして、ふくれて、出てしまうことが過去数百回はあったように思う。そしてもう死んでやろうかという自暴自棄な気持ちになったこともある。もうそのようにしないことに決めたので、つねに朝会社行くときは、遺言のつもりで、いってきますとにこやかにいこうと思う。そして、子供を送り出すときも、おとうさんは最後の日もにこやかに送ってくれたと覚えてもらえるよう、こころがけよう。去る1月9日は22年前に祖父が亡くなった日であるが、その日も祖父は元気に会社に出勤した。67歳か68歳かどちらかだったと思うが、その年になっても元気に働いて会社に行っていた。7時15分くらいにはもう家を出ていたのではないかと思うが、中学生のぼくは、すでにぐうたらで、その土曜日の朝もその時間はまだ布団の中でおきているけど寒いので起きられなかった。祖父が元気な声でいってきますと祖母に言って、玄関を出ていく声はきいたけど、顔は見なかった。そしてその日の午後クラブ活動で中学の校庭で腹筋運動をしていたら、父と兄がずかずかと校庭を横切って歩いてきた。そして、おじいちゃんが死んでしまったということを聞いたのである。朝、ぼくは祖父がいってきますと会社へ行く声をきいたのに、午後にはその祖父の死に顔を見たのである。死ぬ気配などまったくなかったのに、突然脳溢血で死んでしまったのである。正直なところ祖父には酒を飲んでややだらしなくなるところやテレビを見ながら入れ歯をはずしてそうじするところなど、あまり好きではないところも多々あったが、しかし、死ぬ前にはきちんともうすこしお別れをしておきたいものだと思った。だから中学生のその日から、朝は機嫌よく家を出よう、また、機嫌よく送り出そうと思ったのである。しかし、そう思いながら、以来数千回は不機嫌に出かけ、送り出している。その中で、祖母もある日突然、交通事故で死んでしまった。そのときはもう結婚して家を出ていたが、でも最後に祖母に会ったとき、ぼくはちゃんとやさしくしてあげただろうか。なにもおぼえていないのがものすごく申し訳ないように思う。ということで、朝の挨拶は大事である。不測の事態というのは、いつどこでどうおこるかわからないのである。そして今日はシュンタも野球、ペチカもポート、ぼくとQは外で散歩して、家族はそれぞれ、別別に過ごした。そして、夕飯の時間には本日も無事、揃うことができた。日々は大事である。このように書くとなんだか、ぼくはもうすぐ死んでしまうのではないかという気がしてくる。わからないのである。あしたのことはわからないのである。だからすべては大事なのである。
2004年01月12日 18時49分20秒

スーパーでハンコを探す
今日は日曜日なのでペチカとQをつれて教会に行く。子供礼拝の時、ペチカが献金当番になって、献金を集めたあと、お祈りをした。ペチカはすらすらとマイクを持って祈ってアーメンと言った。子供礼拝に出ていた大人の人たち(教会学校の先生数名)からペチカちゃんはすごいと褒められた。ペチカはマイクを持つと張り切るのである。それから子供礼拝では毎週交代で教会員の大人の人が先生になって、聖書の言葉を引いて短い説教をする。先生は毎週変わる。みんなふつうの、おじさんおばさんなのに、壇上に上がるととても上手に身振り手振りを交えてお話をする。今日話しをされた人も、マタイによる福音書19章18節から25節から、自分のために祈ること、誰かのために祈ることについてお話をした。Qがとちゅうで、歩き回りだしたので、親子室に連れて行き、好きなように遊ばせてから、ひとりで正座してガラス越しにその説教を聴いた。ぼくは頭で聖書を読んで、わかったような気になっている部分が多分にあるように思う。もっともっとからだ全体で知らなければいけないなあと思う。

今日は午前中、シュンタは野球を休み、もうやめたらいいのではないかと思う英語教室の試験があった。試験が終わったらラーメンが食べたいというので、教会の礼拝が終わってからすぐ帰り、シュンタも帰ってきて、家族全員でラーメンを食べに行った。非常に繁盛しているラーメン屋で行列ができていた。並ぶのは好きではないので、やめようか、とも思ったが、せっかくきたので、並ぶことにした。すると案外回転よく、すぐに店に入って食べることができた。店員の女の子は、しゅっと背が高くて、きれいな子で、しゅっとしてるけど、胸は大きいなあ、という感想を漏らすと、ペチカとシュンタから、「お父さんはエロだ」と非難の雨あられだった。シュンタは、「そんなエロいことを言うお父さんは警察にツイホーしたるで」と言った。ツイホーではなく、ツーホーであると思う。時々シュンタはへんなことを言う。

昨日シュンタは野球の練習でバッティングの調子がよかったらしく、コーチから「日ごろの練習のタガモノやな、っていわれたよ」と喜んで帰ってきた。タガモノではなく、タマモノであると思う。それからこないだは、今日の夕飯はなに、とお母さんにたずねて、「鳥のから揚げよ」と聞くと、「お母さんオレのアンケートに答えてくれてありがとう!」と喜んでいた。アンケートではなく、リクエストではないかと思う。そのように、へんなことを言うシュンタくんは英語より先に国語の勉強をするほうがいいと思う。

ラーメンを食べたあと、スーパーに買い物に行った。スーパーの駐車場は込んでいた。並ぶのが嫌いなので、やめようか、と思ったがせっかくきたので、満車と書いてある、屋上駐車場に入ったが、思いもよらず、屋上出入り口の目の前のスペースが空いていてすぐ駐車することができた。金本が阪神にFAしようかどうしようか迷ったときに、星野監督(当時)は、「迷った時にはオレは前に出る」と言ったのだそうだ。その言葉を聞いた金本は阪神入りを決意したのだそうだ。今日はラーメン屋でも、スーパーでも迷ったときには、引き返すのではなく、前に出ることでぼくもまた、金本と同じく成功した。

スーパーでぼくはシュンタをつれて文房具屋に行った。そしてシャチハタのハンコケースの前で、阪神の選手と同じ名前のハンコを探した。井川、浜中、矢野、金本・・・「お父さん、おれたちなにしてるんだろう」とシュンタは言った。なにしてるんだろう。そうやって思い悩んで悩みつつ前に進むのである。ひさびさにシュンタもいてみんなそろってすごす日曜の午後でうれしかった。
2004年01月11日 17時54分23秒

お船お船
朝から夕方まで、一室にこもり、研修を受ける。夕方に終わりダッシュで自転車で帰宅。夕食前に、40分ほどジョギングをする。からだもあたまもすっきりした。どうしてぼくの勤める会社は研修ばかりするのだろう。これで今週はおしまい。夕飯前に腹筋をしていたら、Qがぼくのヒザの上に乗ってきた。腹筋するのにちょうどいい重さだった。腹筋をくりかえすと、ぼくのヒザの上のQのからだが上下するので、それが船にのっているみたいに感じたのか、おフネおフネ、とよろこんでいた。でもQは船になど今まで乗ったことはなかったと思うけど、どうしてそれをお船と感じることができるのだろう。そしてお船お船とよろこんでいるうちに、今日のQはお昼寝をしていなかったので、ねむくなってしまったようで、ご飯を食べるときに寝てしまった。今日は朝も3分、夕方もお船お船で、10分くらいしか起きているQを見ていない気がする。少し残念だ。
2004年01月10日 19時41分25秒

希望
今年はじめの一週間が終わった。と思ったら、あしたは会社で研修がある。今日は、トラブルがいくつかあって、まいった。くたびれた。小さなことではあるが、ふってわいたような困難が起こるのである。

「あなたがたのあった試練で世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時にそれに耐えられるように、のがれる道も備えてくださるのである。」コリント人への手紙第一、10章13節。ぼくは今日仕事しながらこの言葉のことを考えていた。この言葉は非常に勇気付けられる。試練、だなんて、ぼくの日常の分際でとても使用すべきものではないのかもしれない。しかし、そうなのである。いかにも、そうなのである。ぼくが困難であると思うことは、ぼくには必ず耐えられることなのである。どんな事態が起ころうとも、ぼくには必ず耐えられるのである。

世の中起こる「常でないものはない出来事」は、なんでもおこりうるという点で、理不尽である。起きてしまう出来事に対してはもはやどうしようもないようなこともある。「キリスト教を問い直す」(ちくま新書・土井健司著)という本を読んでいるが、この本にも、理不尽なこの世について述べられている。そしてその中で十字架にかけられ復活したキリストについて述べられている。

「(復活が)歴史的にどのような出来事であったかはともかく、理不尽さに対する勝利として捉えることができます。それは『希望』なのです。希望にみちびかれることによって、この世は肯定されるべきものなのです(中略)ですから、希望は、あくまで希望にとどまるべきであり、この世の理不尽さを忘れて単純にこの世は美しいと思いなすべきではないのです」。

「あくまで希望にとどまる」、というのはいい言葉であると思う。とどまるとどまる、今日もしんどいこともあったが世の常でないものはないのである。ぼくはとどまろう。いろいろなことにとどまろうと思う。あしたも、元気に働こう。
2004年01月09日 21時13分19秒

メスシリンダー
ペチカの書いた作文が、市の小学生の作品を集めた文集の特選になって、掲載された。ぼくの子供のころにもそういう文集はあった。ぼくは書くのは好きなのであるが、作文で表彰されたことはない。ペチカはそれほどすきでもなさそうだが、ぼくは小学生のころから変態的になにかノートに書いたりするのは好きであったが、それを正当に評価されたことがない。でももしかすると評価されないことがまさしく正当なのかもしれない。だから評価されたペチカがとてもうらやましい。運動会で、係をやったときのことを書いたとってもよい子な作文である。中学生になって反動でぐれないことを祈る。

ところで、今日学校でいきなりペチカの学校では宿題がでたようだ。その中の、理科のプリント問題集では、理科の実験道具の絵が書いてあり、その名称を述べよとの問題があった。その中のひとつの、道具について、ペチカは習ったことがなくて知らない、と怒っていたのだそうだ(ぼくも帰ってその絵を見たが、なんかみたことあるんだけど、名前が思い出せなかった)。そこで、妻の父は元小学校の先生なので、さっそくペチカは電話をかけた。作文特選のペチカは、電話で、その道具について的確に描写をしておじいちゃんに質問した。

「ええと理科の実験につかうやつで、ビーカーじゃなくって、試験管じゃなくて、めもりがある細長いガラスのつつみたいなやつ、って何?」

するとすぐさま、おじいちゃんは威厳を持って答えた。

「それはな、ペチカ、メスシリンダーというものじゃよ」。

メスシリンダー。そうそう、そんな名前の道具があった。デシリットルと同じくらい、大人になってからまったく口にしない言葉である。デシリットルは単位であり道具ではないけど、デシリットルの軽量カップというのもあったような気がする。面白いなあ。よく知ってるなあ、おじいちゃん。さすが学校の先生である。
2004年01月08日 21時05分06秒

週の真ん中
今日はいい天気だった。久しぶりにひとりで、行動するような気がする。担当地区を一日回る。朝、仕事につく前に、後ろ向きになるのはやめようと強く思う。ぼくは新しく生まれ変わったのであるのだから、以前のように、すぐに腹をたててしまったり、ぐちをこぼしたりしないようにしようと思う。ぼくは生まれ変わったのだ。そして年も改まって新年なのである。日々はあかしなのである。と元気にでかけた。しかし、このように書くと、だんだん日記が清く正しくなりすぎるようにも思う。しかし清く正しくあろうとしてはじめて清く正しくありえない自分を知るのである。そしてぼくは、まだ案外自分自身を清く正しいなんて思うから、仕事上でも家庭内でも少しでも気に入らないことを言われると、ものすごく腹をたてる。その腹の立てるのを正当のように思う。いやそれは絶対間違っている。新しく生まれ変わった自分は自分自身に対してもっと厳しくならなければいけないと思う。日々はあかしなのである。人に腹をたてる前に自分自身がまず生きることが大切なのである。知りうることはわずかである。数量的にものごとを知るとなると、どんなにそこに知識をつみあげても、少し観点をずらせば、そういう種類の知識はまったくないに等しいのである。風に吹かれる草の花である。草は枯れ、花は散るのである。そしてぼくはしばしば、自分自身をまったくあってもなくてもどうでもいいなんてつまらない人間であるかと、悲しくなった。悲しくなって、生きているのがむなしくなった。しかし、ぼくは生まれ変わったのである。とにかく、ぼくが知ったことを、聞いたことを受け止め生きることが大事であるということがわかったのである。わかったけど、冬至の次の日だって、まだまだ暗いのある。すごく寒くなったりする日もあるのである。昨日と今日はそんなに変わらないのかもしれない。でも昼は少しずつ長くなるのである。ということで今日も元気に一日が終わった。
2004年01月07日 20時56分26秒

じゅわじゅわ
昨日今日と営業担当者でぞろぞろと車を連ねて主要得意先に挨拶まわりをする。早く帰れるが、くたびれた。どうも密度の濃い社内はしんどい。寒い。トイレが近い。このごろトイレが近い。今朝は用心して朝コーヒーも飲まなかったし、水分もとらなかったけど、いくたびかトイレ(小)にいった。これは神経性のものか。早朝も5時くらいに目がさめる。しかし、あまりガマンして膀胱に排泄物を滞留させると、膀胱のためにはよくないのである。タバコを吸う人は、最後の最後に毒物が膀胱にたまって膀胱ガンになるのだときく。さっさと出るものは出すほうがいいのである。朝トイレに立った時、もそもそと寝ぼけたQがあとからついてきた。そしてぼくが布団に戻ると、ピタリとはりついてきた。朝方は冷えるので、Qを抱えて眠るとあたたかくていい。このように、ペチカもシュンタも抱えて寝たものだが、最近は特にシュンタはむさくるしくなってきたし、こちらがくっつこうとしても、ペチカもシュンタも寄り付かないのである。そのように健全に育っている。いつまでもくっついていたら、これも気持ち悪い。Qだけはまだ、べたっと夜中にくっついてくる。ほっぺたもぷくぷくして、非常に心地よい。しかし、Qは3歳にしてはでかくて重い。Qを抱えて寝るせいか、どうも首が寝違えたみたいになってうまく曲がらない。ダンベルをして眠ろう。うちには、1キロ、2キロ、3キロの各2個づつのダンベルがあるが、これはけっこう役に立つ。簡単に、上に振り上げたり、腰の周りでまわしたり、ダンベルを抱えて体操すると、体のコリが取れる。からだの奥底から、眠っている筋肉がむくむくと起き出し、微細な血管に、血液がじゅわじゅわとしみこむように流れこみ、体が活性化されるような気がする。単純な器具であるが、役立つ丈夫な器具である。文鎮替わりにもなる。なにかの重しにもなる。そのなにかについてなにの重しにしようか、といろいろ想像がふくらむ。私はダンベルのようになりたい、なんて考えたりする。ダンベルの私、とはいったいどんな私だろう。なんて考えて自分自身の内面を見つめられる。内面を見つめる時間を持つことは幸福である。だからぼくは一人で車に乗っている時間はとても好きだ。だからこの二日間は、自分の内面と切り離されていた日中だったのだ。でもぼくにはこうして夜がくる。ダンベルを振って、肉体と精神の内面を活性化させる。じゅわじゅわ。
2004年01月06日 20時57分15秒

仕事始め
今日から仕事はじめ。ぼくの勤める会社はローカルな会社であるので、朝、みんなで集まって挨拶したあと、みんなそろって初詣に行く。ぼくは今年からクリスチャンになったので、初詣はいくことをやめることに決めたのだが、じゃ、9時15分になったら、みんないくぞ、と上司がいうので、車の運転手をして、近所の神社にいった。みんなパンパンとしていたけど、ぼくはおおきなくすの木を見ていた。どうしてパンパンとしないのかときかれたらどうしようかと思ったが、人もいっぱいだったし、とくに気にもされなかった。でもぼくは毎年おみくじを買っていたのだけど、それも買わなかったら、どうしてあんなにおみくじ好きのキミが今年はおみくじを買わないのかと不思議がられた。ぼくがおみくじを買う買わないが気にかかるなんて、へんなことを人は気にするものだ。今年から占いに頼るのはやめたのです、とぼくは答えた。旧約聖書のレビ記 20章27節でも引用しようかと思ったが大いに誤解されそうなのでやめた。そうだな、へたに、おみくじひいてもなんだか凶がでそうな気がする、といって、いっしょにいった人たちは今年は全員おみくじを買わなかった。神社から帰るとき、車に同乗していた、ぼくがおみくじを買わなかったことを心配してくれた先輩が、最近の車は正月飾りをつけないからけしからん、と憤慨していた。一度だけ親戚のおじさんが正月飾りをつけずに正月車を運転したところ、新年早々犬をひき殺してしまったことがある、それ以来一族郎党、みな車には必ず正月飾りはつけるのである、と言った。いろいろな信念があるのである。ぼくも信念をもって正月飾りはつけないのである。しかしなんと家の玄関のドアに、小さなしめ飾りのアクセサリーがあるのである。ついこの前まで、小さなクリスマスリースがはりついていたのに・・・うむ。家庭内ひとりクリスチャンはがんばろうと思う。「なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出していることを知っているのである。そして希望は失望に終わることはない」である。ローマ人への手紙5章3−5節。いや、・・・患難は、なんていうのはぼくの場合使用してはまことに傲慢である。今日は早く帰り、夕飯を家族全員で食べた。こういう小さなことでも、真剣に感謝しよう。そして、本当にいろいろな困難に出会ったとしても、感謝できる今日の気持ちを忘れずに生きていこうと思う。
2004年01月05日 20時44分26秒

今年最初の日曜
今年はじめの日曜日。シュンタは野球の初練習。妻も野球関係で手伝い。ペチカとQと3人で教会に行く。教会というところは新年はやはりあけましておめでとうというのだろうか、とか考えながら、教会に向かう。入り口には、正月ではあるが、キリスト教会であるので、しめ縄であるとか門松などはおいていなかった。でもみなさん会う人はあけましておめでとうといっていた。これは、普通どうりである。クリスチャンの親戚知人等いないので、風習がよくわからないのである。Qは元気にかけまわり、アケテマシテオメデトゴザイマスと、少しへんな日本語で大人の人たちに挨拶していた。ペチカはディズニーランドのおみやげのキャンディーを小学生の子たちにくばっていた。教会員の証明書と手帳をもらった。そして、班分け表というものをもらい、ぼくも、班のひとつに入り、奉仕を行うことになった。掃除当番が月に1回くらいまわってくる。掃除は得意である。それに日曜日は子供といっしょなので、いつも早くに教会に行くので、毎週だってしてもいいくらいである。肉体を動かす奉仕はよろこんでできる。しかし、奉仕にはほかに、礼拝中に人前でお祈りしたりするものもある。小学生の子だって、きちんとお祈りをする。感動的である。そういうのは、しかし自分がやるとなると、ものすごく気が小さいので、ややかなり気後れする。でもいつでもどこでも祈りをささげるのは、神様なのであり、人にささげるのではないので、こういうことに臆するというのはよくないけど、臆するのである。しかし臆していようがどうであろうが、ぼくはクリスチャンになったのである。キリストを信じることにより晴れてじたばたすることができるのであると、誰かが述べていたように思う。そのことばのいわんとすることが少しわかるような気がする。明日から仕事なので、その前にまずはじめに礼拝に出席できてよかった。

昼からは、教会で昼食がなかったので、コンビニで弁当を買って食べる。正月にQがジジババに買ってもらった、ドンキーコンガという音楽にあわせて太鼓をたたくゲームを少しやる。Qはぜんぜんわかってないみたいだけど、ふたつ並んだ太鼓をとんとんとんと手でたたいているだけで、すごくうれしそうだ。昨日ややシートをせまくして長距離を運転したため肩が寝違えみたいな状態になっているので、1時間ほどジョギングをして、からだをほぐす。念入りに風呂場で体を洗ってシャワーを浴びる。あしたからしっかり働こう。
2004年01月04日 16時43分07秒

帰宅
一月二日は、朝起床して、5キロほどジョギングをしたのち、実家で読書をする。夜中に車で大阪に戻るので、早めに寝ておこうかと思ったがそう思うとなかなか眠れない。内村鑑三の「キリスト教問答」(講談社学術文庫)を読んだ。この本は学生のころ何度も読んだが、久しぶりに読み返す。内村鑑三は、とてもまじめな人である。まじめに世の中を正しく生きようとするのに、どうしてもずれてしまう。社会から放り出されてしまう。だけどそうしてずれてしまったことによって、もう亡くなって70年以上たつのに、今だに彼の書く文章を読んでも、その世の中と内村鑑三の生きかたのずれのあいだにできた隙間のようなところに生命が波打っているのである。そして今なお健全にずれているように思う。偉人といわれる人は、死んで偉人といわれるようになってしまうとすぐに、祭り上げられてしまって、世の中の社会的にえらいひとたちが、ほめあげたりして、毒にも薬にもならないように飾りものにされてしまうように思うのであるが、たしかに内村鑑三は明治の偉人ではあるが、いまだに、けっして、社会的にえらいひとたちが、ほめあげるにしては、まだまだ毒や薬がいっぱいある人ではないかと思う。そうやって読書をしていたら、目がさえて、ほんの2時間ほどしか眠らずに、夜中1時に実家を出て、8時過ぎに帰宅した。運転中にものすごくねむくなった。からだのなかがよどんでいる。家に戻り、少し横になったが、やはり眠くないので、からだのよどみを落とすために家のまわりを走った。すっきりした。すっきりして眠くなってきた。
2004年01月03日 12時38分54秒

新年
今日から新しい年がはじまった。例年は、初詣に行くのであるが、昨年末12月21日よりクリスチャンになり、それで年が明けたからといっていきなり神社に行くのは、信仰上抵抗を感じたので、ぼくは行かなかった。そういうことは別にこだわることではないという意見もある。神社に行ったら地獄に落ちるというわけではないと思う。地獄に落ちると教えるキリスト教というのもあるのかもしれないけど、ぼくはそういうふうには思えないし、今通っている教会の牧師に尋ねても、自分の信仰を尊重してもらうためには、他人の信仰は最大限尊重するべきであるということを言っていた。葬式のときも仏教式であるからといって、出席をしないとか、出席しても焼香をかたくなに拒否したりすることなども、することはないと言っていた。しかしだからといって初詣に行ってパンパンと神社で拍手を打つ気にはなれない。そしてぼく以外の家族に神社に対する特別の信仰心があると思わない。クリスマスだから教会に行って、正月だから、神社に行くという、そういうふうに単なる習慣のようなものに、そのようには考えたくないぼくが積極的につきあいたくないのである。慎重にゆっくりと神様のことは考えようと思う。午前中は、聖書の使徒行伝17章を読む。パウロがアテネの路上で神について語るのである。昼からは、ジョギングをした。このところあんまり走っていないので、毎日続くとふくらはぎがここちよくはっている。
2004年01月01日 21時13分52秒

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