|
|
| せかちゅう。 |
| あしたは早起きで出張するので、帰りは営業者にのって帰宅した。雨降りだったせいか、道が混んでいた。自転車で15分のところを30分かかってしまった。きのう、ペチカが本屋で「世界の中心で、愛を叫ぶ」をもらいものの図書券で買ってきた。もう読んでしまったらしい。やっぱり泣いたか、ときいたら、そうでもない、とけろっとしていた。だいたいにおいてペチカはけろっとしている。いまさら300万部も売れてしまった本を買って読もうというのは、やや勇気がいるように思ったがペチカが買ってきたのでよかった。近々読もうと思う。 |
|
2004年05月31日 22時06分43秒
|
| ペンテコステ |
| 今日は、キリスト教にとって、クリスマス、イースターとならんで大事な日で、ペンテコステ、という。これは子供の礼拝のときに教会学校の先生がおはなしをしていたが、教会の誕生日なのだそうだ。イースターでイエスさまが復活されて50日目、エルサレムで集まっていたイエスさまの弟子のもとに天から聖霊が降ってきた日(使徒行伝2章にその日どのようなことが起こったか書いてある)。聖霊に満たされた教会の歴史がはじまった日であるから教会の誕生日であるとのことである。毎週教会に行くといろいろ知識が増えてくるのである。あまり関係ない話かもしれないけど、そのとき、だれだれちゃんの誕生日はいつかな、とひとりひとり先生が子供たちの誕生日をきいていた。なぜか6月生まれの子が多かった。ペチカも6月生まれだった。あしたちょうど1歳のたんじょうびになる男の子もいた。その子のお母さんは聖歌隊なので、子供の礼拝が終わったあと、大人の礼拝がはじまる前に聖歌隊の練習をするので、そのまもなく1歳になる男の子は礼拝までの40分ほどつねにいろいろな人にかわいいかわいいと抱っこされているとても愛されている男の子だ。きょうは、たまたま、ぼくが一度抱っこしたら、そのままずっと抱っこすることになった。Qの1歳くらいのころよりも小さな子なので、軽くてかわいかった。ぼくによく慣れて、ほかの人が手を出しても、ぴたっとぼくにくっついた。他の人が抱いても、ぼくのほうにきたがった。小さな子がぴたっとくっついてくるのはうれしかった。 |
|
2004年05月30日 17時01分17秒
|
| ほぼ昼寝 |
| 今日は、起きてから鼻水がよくでて、おなかの調子もよくなかった。起きてからもずっとだるくてねむかった。ジョギングをしたが途中でケイタイ電話が3回鳴って、中断された。得意先からの電話だった。土曜日は出荷をしているので営業担当者は午前中は必ずケイタイ電話を肌身はなさず持っていなければいけないのである。そしてとちゅうでとぼとぼ歩いていたら、道端で80歳くらいではないかと推測されるおじいさんが倒れていた。そのまわりを3人ばかりのおじさんおばさんが囲んでいた。おじいさんは血だらけだった。横に自転車が置いていあるので、たぶん自転車からこけてどこかぶつけてしまったのだろう。おじいさを囲んでいるおじさんが手にもっているタオルも血まみれだった。そんな光景を見てぼくはそのまま通り過ぎた。通り過ぎてから、ぼくはなにかあそこで行動するべきではなかったのかと思った。とても他人に対して冷たい。無関心すぎる。ああ。そしてやっぱりそのまま家に帰ったのだ。なんだか朝から調子が悪かった。シュンタのベッドで転がっていた。一日の大半をうとうとしていた。こんなに昼寝ばかりしている一日はひさしぶりだった。夕方また心を入れ替えて走った。おじいさんの転んでいた場所にはすでに誰もいなかった。 |
|
2004年05月29日 17時42分50秒
|
| Qにあわなかった金曜 |
| 今日は、朝会社に行くときに、めずらしくまだQは寝ていた。そして会社から帰ると、めずらしくすでにQは寝ていた。ということで今日は一度も起きているQに会うことはなかった。それはそれで、物足りないような気がする。会社から帰ってシュンタと野球ゲームをした。負けた。そしてフロに入って、なんだかとても静かな夜である。でもやっぱりQは明日の朝までぐっすり寝ていてほしい。 |
|
2004年05月28日 20時51分52秒
|
| 暑い |
| 暑い一日だった。今日は仕事でクレームが重なりばたばたと忙しかった。ややこしい事態はなぜか続くのである。それでも無事一日が終わって、今日もQをねかしつける。週も半ばになるとだんだん、寝かしつけてから起きるのがつらくなるけど、やはりそのまま眠ってはいけない暑い一日だった。今日は仕事でクレームが重なりばたばたと忙しかった。ややこしい事態はなぜか続くのである。それでも無事一日が終わって、今日もQをねかしつける。週も半ばになるとだんだん、寝かしつけてから起きるのがつらくなるけど、やはりそのまま眠ってはいけない. |
|
2004年05月27日 22時37分18秒
|
| 少しものたりないような気がする水曜日 |
| 今日は仕事終了間際に、得意先から緊急の用事があったため、一度会社に帰ってからまた、でかけたので帰りが遅くなり、教会の祈祷会に行くことができなかった。行けないこともなかったが、教会の前を通ったときはすでに祈祷会がはじまって30分すぎてしまっていたので、今日はやめておこうと思って、帰宅した。少しものたりないような気がする水曜日である。ちょうど妻がバレーボールの練習に行っていたので、子供3人が留守番だったのでちょうどよかった。帰ってしばらくしたらピンポーンと誰かがやってきた。ハイ、とインターフォンで出たら、学習塾の勧誘だった。気弱そうな男の人だった。あの、近所の何々学習塾の者ですが、お母様はいらっしゃいますか、というので、いない、間に合ってます、といって、インターホンを切った。ちょとそっけなさすぎたかなと思いつつもまた同時に、気弱そうなのは実は作戦かもしれない、とも思った。しかし訪問セールスであればもうすこし気合を入れた元気な声出さないと、誰もドアなんてあけてくれないとも思った。シュンタとQとおふろに入る。今日はマンションの植木の消毒の日だったので、カメを室内に入れておいた。昨日水替えをしたのにまたフンをたくさんしていたので、また水を替えた。 |
|
2004年05月26日 21時34分08秒
|
| 労働火曜 |
| きょうもQは昼寝をしたからぴゃあぴゃあだった。しかし30分だけの昼寝だったので、布団に入ると比較的早く寝た。昼寝をしないと8時過ぎには確実に寝るのに、たった30分の昼寝でぴゃあぴゃあである。今日は9時前に帰宅。ちょうどそのころシュンタも妻といっしょに空手から帰ってきた。空手の先生の都合で今日で空手教室は終了なのである。ピザとジュースの宴会をしてシュンタはごきげんだった。そしてばたばたとフロとメシと、オトウサンネヨウヨというQを絵本読んで寝かした。そして最近は食欲旺盛で毎日大量のフンをする、カメ2匹の水槽(プラスチックの衣装ケース)を洗う。カメの背中を使い古しのハブラシで丁寧に洗う。水槽のコケをスポンジでみがいて落とす。カメの水替えはとても念入りにする。なぜカメなど飼っているのだろう。なぜカメの甲羅をみがいて、水をせっせと替えるのだろう。2匹のカメはそんなことなんの感謝もしていないで、こんな夜になんだというような迷惑そうな顔をしている。そしてぼくはきれいになった水槽のカメを少しながめてベランダに置く。カメがぷかぷか浮いている姿というのはほっとする。一日の仕事がおわった。 |
|
2004年05月25日 22時40分56秒
|
| ぴゃあぴゃあの月曜 |
| Qは平日は必ず昼寝をするからぼくが会社から帰ってくるといつも元気いっぱいでぴゃあぴゃあいってなかなか寝ない。Qは本当にぴゃあぴゃあ言う。生きていることが楽しくてしかたがないように見える。そしてしゃべり方がふと思ったけど、オママゴトふうなしゃべり方をする。関西弁をしゃべる小さな女の子はオママゴトをするときはなぜかたいてい標準語になるのであるが、Qはつねにそんなかんじのオママゴトふうの標準語をしゃべってぴゃあぴゃあ言っている。 |
|
2004年05月24日 21時23分30秒
|
| 日曜 |
| 今日は自転車にのって教会に行った。教会のとなりには小さな公園がある。そこで、子供たちが、四つ葉のクローバーをさがしていた。何枚も四つ葉のクローバーが生えていた。五つ葉のクローバーまであった。それは5000本にひとつしかないのだと小学生の誰かが言っていた。誰が統計をとったのだろう。この公園では三つ葉のクローバーをさがすほうがむずかしいくらいだった。それはもしかしたらクローバーではない葉っぱなのではないかとも思った。礼拝がはじまる前に、最近教会に来ていない人に週報や今度行われる特別伝道のための案内を入れた封筒の切手貼りをした。みんなまたこれるようになることを神様に祈りつつぺったんぺったん、切手を貼って、教会のスタンプをおした。礼拝が終わって、妻がつくってくれた弁当をQとペチカと3人で食べた。小学校高学年の子は礼拝後、最近教会学校の先生のひとりが一時間ばかり算数の勉強を見てくれることになり、ペチカもよろこんでその勉強会に参加した。ぼくはせっかくだから大人の聖書勉強会に出ようと思ったのだけど、Qが公園に行きたいというので、一時間ずっと、葉っぱの数の多いクローバーがたくさん生えている公園ですべり台をして遊んだ。教会の子ではなく、近所に住んでいると思われる、父子がやってきた。小さな女の子だ。女の子も、そのお父さんもQのことをお兄ちゃん、お兄ちゃんと呼ぶ、そうかQもお兄ちゃんになったのかと思って、女の子に年齢を聞いたら、この8月で4歳になるという。Qより二ヶ月年上だった。しかし、Qのほうがずっとでっかいのだ。しかし、でっかいQはその女の子が首から下げていたセーラームーンの大きなペンダント状のおもちゃに興味深々だった。その女の子はとても親切な子でQに一度そのおもちゃを貸してくれた。Qは、ペンダントのボタンをおして、シャワワワと音楽を鳴らして幸福そうだった。そして、おとうさん!Qはおおきくなったらセーラームーンになるね!と固く決心していた。買い物をして家に帰ったら2時前だった。久々に昼寝をしてしまった。昼寝からさめてジョギングをして、また夕方Qと家のそばの公園にいってすべり台をした。するととなりにすんでいる小学校3年生の女の子がやってきてQの面倒をみてくれた。Qはやたら女の子のともだちがいっぱいいる。道をあるいているとしょっちゅう、Qちゃーんと声をかけられる。きのうも逆どなりのおないどしのゆめちゃんと会うなりひしっと抱きしめあって、それからなかよく手をつないで歩いていた。手をつないで腕をふりながらあるいて、がっこうみたいだねえゆめちゃん、とでれでれしていた。べつにうらやましくはない。 |
|
2004年05月23日 18時52分17秒
|
| 本を売るなら・・・ |
|
天気がよくなるときいていたが、一日くもっている。午前中、本棚の整理をしてもう読まないと思われる本を94冊選んでブックオフに売りに行った。本棚にはすきまができた。いくらかすっきりした。妻とQをのせて、シュンタの野球の練習場に連れて行き、それからひとりでブックオフの買取コーナーに持っていった。 周期的に本がたまるとブックオフに売りに行くのである。読んだ本をつみあげると、自分はそこそこ読書家ではないか、と思う。読んだ文字の数を数えたら膨大な量の他人の言葉を読んだはずなのに、なにも身についていない。あまり本を読まなくても自信に満ちて世の中を渡る人はたくさんいる。しかし世の中を渡るための身につく読書、という考えは読書するにあたり下心があるようで、潔くないようにも思う。 綿矢りさと金原ひとみの小説が載っている文芸春秋2004年3月号も持っていったが、これは買取不能といわれた。買取不能であっても引き取ってもらった。94冊のうち10冊強、そういう本があった。そしてこの引取り不可を別のブックオフに持っていったら、またいくらかでは買い取ってくれるのだろうか。そしてまたまた残った買取不可の本をまた別のブックオフの別の店に持っていって、そういうことを繰り返したら、しまいには全部売り切れるかもしれない。そもそも一度に全部どかっと一店舗に持っていくよりも分割で何軒かの店に持っていったほうが合計の買取価格が一度に全部もっていくより、もしかしたら高値で売れるかもしれない。 そういうことを考えている人はきっといろいろいるのだろう。そういう裏テクニックがあるのかもしれないけど、そこまでがんばる気になれない。94冊で2550円である。CD、マンガなしでまあまあの値段だろうか。でも昔、家の近所の個人営業の古本屋ではもっと高値で買い取ってくれたように思う。本の一冊一冊の価値を評価してくれていたように思う。 今回売った本の半分以上がブックオフ各店で買った本ではないかと思う。またまたシュンタの練習場に行き、フリーバッティングで、本日はあまり調子のよくなかったシュンタの空振りを見てから買い物に行った。スーパーで買い物をして、1000円以上にたまご1パック特売というので、ぼくと妻でふたり分、約2600円でたまご特売2ケース買った。今日、ぼくが売った本、読んだ本は、この夕飯代よりも安い金額でブックオフのアルバイト店員にぱっぱかさばかれて売られてしまったのだった。あまり無駄づかいをしないで厳選して本を読もうと思う。 |
|
2004年05月22日 16時42分04秒
|
| 雨のやんだ金曜 |
|
朝目覚めると雨は降っていなかった。台風が梅雨を押し戻し、また、5月の天気が復活したのだそうだ。今日は帰りに久々に、誘われたのでビールを飲んで帰った。ほぼビールだけであった。頭はすっきりしているが、少しおなかがすいている。帰りに本屋に寄った。本屋の新刊コーナーというのは読んでみたい本がいろいろとある。いろいろあるが、まだ読んでない本も家にはたくさんあるので見るだけで帰った。 大河ドラマ「新選組!」は視聴率が悪いらしいけど、ぼくは好きで毎週見ている。新選組関係の本がいろいろ出ていた。ずっと前に、「燃えよ剣」は読んだことがある。しかし、これはBOOK OFFに売ってしまった。売らなければよかったと少し思う。新選組といえば、大昔に、「鞍馬天狗」というドラマがやっていて、このときは鞍馬天狗が草刈正雄、杉作少年(だったけど実は女の子だったという設定だったっけ?忘れた)というのが伊藤つかさ、適役である新撰組で近藤勇役は財津一郎、土方歳三に細川俊之という配役だった。あまり人気がなく早期に打ち切りになったように記憶しているが、土方役の細川俊之は、かっこよかった。伊藤つかさも、ぼくはなぜかシングルレコードを一枚持っている。夕暮れ小道坂道帰り道〜♪という歌、このドラマの挿入歌だっただろうか。どうしてそんなレコードをかってしまったのだろう。たぶん今でも実家の押し入れに眠っているだろう・・・。 家に帰るとシュンタが泣いていた。みんなでミュージックステーションを見ていて、平井賢が歌っているのといっしょにシュンタが歌ったけど、すごく真剣に音程がはずれていたので、妻が愛情をこめて微笑んだのだそうだ。そうしたら、それをひどい侮辱と感じたシュンタが泣き崩れていた。シュンタはまだまだ若いので自分を笑うということを知らないのである。 |
|
2004年05月21日 22時35分59秒
|
| 雨 |
| 今日も一日雨であるという予報だった。朝玄関を出て傘をさして駅まで歩こうと思ったが、雨がふっていなかったので自転車で会社に行った。そしてまた会社につくと、大雨になった。帰りも雨は続いていたが、今日は雨のまっただなかを自転車に野乗って帰った。あまりぬれなかった。よかった。一日のうち、毎日必ずよいことがひとつくらいはあるのである。 |
|
2004年05月20日 22時12分43秒
|
| 雨 |
|
今日もまた雨。朝は降っていなかったが確実に雨になるのは気象予報士でなくてもわかる空模様であったが自転車で出勤。到着するとすぐに雨になった。雨の日は、街中のスーパーの駐車場などで休憩をとろうとする場合、晴れている日よりもきがねなく休憩できる。晴れている日はあまりスーパーの駐車場などで休憩すると、お店の人に注意されるのではないかと小心者のぼくは思ってしまう。しかし、雨がザアザアふって、クルマをとめて、フロントガラスに雨がザアザア流れているとそのまま自分自身も雨の中にまぎれてしまうような心理的な錯覚を持って安心感を得るのである。 今日もまじめにはたらき、夜は雨が降っていたが自転車で教会に行く。教会学校のQの先生の発題で、ルカ8章43節から48節。12年長血の病をわずらった女の話。この女がうしろから近寄って(イエスの)みころものふさにさわったところたちまちいやされた(44節)。「わたしにさわったのはだれか」(45節)とイエス様は言う。女は隠し切れないのを知って震えながら進み出てみまえにひれふし、イエスにさわった訳とさわるとたちまち直ったことをみんなの前で話した(47節)。 ぼくはこの女性と、まったく境遇は違うが、しかしぼくもまた、しばしばイエス様のうしろからこっそりと服のはじっこをさわっていたのだ。そして聖書のフレーズのいくつかにいやされたこともあったのだ。そして、いやされつつ、また人ごみにまぎれてどこかへ行こうとした。しかし、いやされるというのは、一時的なことである。どんなにいやされても人は確実にいつかは死ぬのである。しかし、イエス様の前に震えながら進み出た、12年の長血をわずらった女は「娘よ。あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」と言われたのである。癒されたのではなく救われたのである。そして、ぼくにもまた、イエス様は振り返り、わたしにさわったのはだれか、とたずねられたのである。というような話をした。そういうことは、この箇所を以前読んだときには有名な箇所ではあるが、有名である分かえって、自分にとっては特別強い印象をもっていなかったが、今日、出席者の人のいろいろな話を聞いていて、自分関する問題として受け止めることができてよかった。 |
|
2004年05月19日 23時02分11秒
|
| 火曜日 |
| 平日というのは書くことがあまりない。今日は早起きをして、早く会社に行って、日本海側まで所用があり出張した。そして用事は早く終わったので家にも早く帰った。今週まあまあ晴れているのは今日くらいでまた明日から雨らしい。ごはんを食べて、腹筋腕立て屈伸をした。これからカメの水を洗って、あしたの準備をして、静かに夜をすごすのである。でも今日もQは昼寝をした。シュンタがまもなく空手から帰ってくる。あまり静かにはできない。 |
|
2004年05月18日 20時23分52秒
|
| くもり |
| 月曜日の朝早く会社を発熱して休む夢を見て目覚める。しかし特に体調は悪くなかった。雨が降っていたが朝食をとっているうちにやんだ。やんでいるうちに自転車で会社に行った。会社についてから大雨になった。そのままほぼ一日じゅうくもりの中途半端な一日。梅雨みたいだ。こういうくもり空の天気はいろいろな記憶がぼわんとよみがえる。日常の中に過去の出来事が、くもりぞらの世界の隙間から境界をこえてやってくるような感じがする。どうもぼーっとしている月曜日だった。まだ夢をみているみたいだ。でもきょうはたしかに会社に行った。きちんと自転車に乗って帰ってきた。 |
|
2004年05月17日 21時37分01秒
|
| 終日雨降り |
|
今日は朝から大雨だった。一日中ずっと雨が続いている。たいていいつも週末は朝か夕方には雨は一時的にあがることがほとんどで、だからたいてい毎週末は確実に走っているが今日は休む。シュンタの野球チームのある町内運動会も休みである。運動会はいつ行われるのだろうか。テントは永遠に張られないのであろうか。 シュンタに教会行くかというが、いやだといわれたので、ペチカとQと三人でいった。Qは「教会で動物ごっこするの!」とはりきって動物の人形キリンとゾウと、それから恐竜の人形ティラノザウルスとトリケラトプスを手提げ袋に入れて張り切って教会に行った。子供礼拝の時はQはぼくの横にすわって、ときどき、ぐるぐると礼拝堂の中を歩き回っていたがおおむね良い子で先生のおはなしをきいていた。外はものすごい勢いで雨が降っていた。でも教会の礼拝堂の中はとても静かで落ち着いていた。大人の礼拝がはじまる前に聖歌隊の練習がいったんおわり、10時前まだあまり礼拝堂の中に人がいないときに、週報を見て、今日の歌う賛美歌はどれとどれか、説教箇所はどこであるかというのを確認しながら座っている時間というのはとても好きである。礼拝が終わって、子供部屋にペチカとQを迎えに行くと、Qは小学生のおねえちゃに抱っこされてふりまわされてキャッキャと喜んでいた。キャッキャとよろこびながら、おとーさん、どーぶつごっこ、だれもしてくれなかったの!と報告してくれた。だれも動物ごっこをしてくれなくてもとても楽しそうなQだった。 昼からペチカは大雨の中ポートボールの練習に行き、シュンタ、Q、妻と4人で買い物に行く。買い物ばかり行っているような気がする。以前日曜日にもし礼拝に行かずにこの買い物だけで終わるとぼくは、とても悲しく、むなしく、死にたいような気分になった。死にたいような気分になっても死ぬことはなかっただろうが、妻が日用品を買いに行っているあいだ、おもちゃ売り場でQが遊んでいるのを見ているだけで、ああ今オレはこうして日々死んでいるのだというのをじわじわじわと感じてたまらなく日曜日はむなしかった。それは妻や子供が悪いわけでもなく、買い物が悪いわけでもないが(タバコだって酒だって、プルトニウムだって、そのもの自体悪いものはなにもないのである)とにかく、休日の午後にただ買い物にいくだけの休日はなんともいえずむなしかった。それがバーベキューに行くとか、遊園地に行く、であっても結局すべては気晴らしか、気晴らしだけが人生か、と考えるとたまらなくむなしかった。しかし今は毎週教会の礼拝に出て、そういう種類のじわじわとしたむなしさをあまり感じなくなった。感じなくなったものの雨降りで、車が渋滞していた。そういうことには少しばかりいらいらしてしまうこともあるが。 |
|
2004年05月16日 17時26分54秒
|
| さつきごれい |
|
昨日の真夜中、ぼくは読書をしてひとり起きていた。すると、かちゃ、と子供の部屋の扉があく音がしてシュンタがやってきた。そして、ぼーっとした顔で「おとうさん、さつきごれい、って何?」ときくのであった。さつきごれい?なんじゃそれは。とぼくがきくと、シュンタは、「だからさつきごれい、ってどういう意味?」とくりかえし、3回もきくのだった。わからない、とぼくは言った。わからないけど、一応テーブルの上にあった広告の隙間に「さつきごれい」と書いておいた。シュンタはそのあと、「ふきつなよかん・・・」とつぶやいて、またまわり右をして子供の部屋に戻っていった。ああこわかった。なんだったのだろう。 ときどきシュンタはねぼけておきてくる。こないだも暑い暑いと汗びしょりかいておきてきて(暑いのにふとんにくるまって寝ていたのだ)、寝巻きを脱いですっぱだかになってまた戻っていって、そのままハダカで布団にくるまって朝まで寝ていた。そしてそういうことを次の朝、さっぱりおぼえていない。昨夜の件もさっぱり覚えていないようだ。シュンタ、さつきごれい、って何だ?ときくと、え?なに、それ。という。そして昨日シュンタがいかに不気味であったかという話をすると、どうしておとうさんはいつもオレをからかうんだと、怒り出した。シュンタはからかうとすぐに怒る。真剣に怒る。だけどぼくはからかったわけではない。さつきごれい。なんだろう。インターネットで検索してしまった。残念ながら、検索にはかからなかった。あったらどうしようかと思ったが少し残念である。今夜もシュンタは起きてくるのだろうか・・・。 土曜日の朝なので、ジョギングをする。ため池のひとつで、20センチほどのフナが腹を上にして死んでいた。その死骸に二匹の大きなミドリガメが寄ってきてかじりついていた。走ってからもう一度カメを見に行こうと思ってQを連れていっしょに、ため池にいったが、すでにカメはいなかった。 このため池のうしろに、住宅街のはずれに人気のないもうひとつのため池があって、まわりは柵でかこっているが、とてもひっそりとして何かが出てきそうなため池がある。そこにQをつれていった。そうっといったつもりなのに、そこの沼の周囲のコンクリートで固められた岸に10匹くらいのカメが日光浴をしていて、われわれの足跡に気づいたため、いっせいに、じゃぼんじゃぼんと水の中にとびこんだ。ため池は緑色ににごっていた。その緑色の水面に警戒をしながらプカプカ浮かぶカメがたくさんいた。「野生の王国」みたいだった。そのカメはすべて北米産のミドリガメである。ここは外国の見知らぬ沼なのだ、と想像しながら、緑色の水面を見た。 このため池の真中には小さな島がある。一周10mくらいの、木がうっそうと生えている小さな島である。なにか宝物を隠すにはよさそうなところである。しかし、そこに行く手段がないのが残念だった。少年少女物語では、そういう島をめぐってなにか事件が起こるのである。あの島には足を踏み入れる人はいるのだろうか。池の中にはボートなんてない。しかし、あそこではきっとカメも産卵をするのではないか。小亀の姿もため池の隅っこに浮かんだ板きれの上などでよく浮いている。池の周囲はみんなコンクリートであるので、たぶんあそこはカメの産卵場所なのだ。一度機会があればいってみたいものである。ぼくがカメ観察にいそしんでいると、横でQは、あ、ポテトチップスだ、と水面に浮かぶ、ポテトチップスの袋が気になってしょうがないみたいだった。ポテトチップス、いいなあ、どうしてここにあるのかな、ほしいなあ、おとーさあん!とずっとポテトチップスのことばかり言っていた。 昼からはQはペチカにつれられてペチカの友達の家に遊びに行ってしまった。シュンタは午前中で野球はおしまいだったので、部屋でごろごろしてマンガを読んでいた。妻とふたりで買い物に行った。ホームセンターのペット売り場にアカハライモリが120円で売っていた。アカハライモリというのは魅力的な動物である。姿が怪獣っぽくてかっこいい。特におなかが真っ赤なのがいい。水槽を指でつついたら、よってきて、ガラスごしにかみつこうとしてすごくかわいかった。ぜひ飼育したい、120円だし、買おうと決心したが、かたくなに拒否されたので残念だった。そのかわり、ビール券がたくさんあったので酒屋に行って輸入品のおかしを買った。ドライフルーツのバナナと、チーズをプレッツェルをくだいたお菓子を買った。おいしかった。 |
|
2004年05月15日 17時16分40秒
|
| てんちゃん |
| 今日は、7時少し前に家に帰る。まだ日は暮れていなかった。昨日の雨はどこかへいってしまった。だいたい晴れたよい天気だった。マンションの前の自転車置き場に自転車をしまっていると、家の中でシュンタとQがなにか歌っている声だけがきこえた。ほかの家の窓からはなんの物音も聞こえてこないけど、うちだけがものすごくうるさい。声がみんな正面の自転車置き場に聞こえる。どうしてうちだけがうるさいのだろう。今日は早かったが本当はもっと早く帰れるかと思った。しかし、会社の倉庫の前を通りかかったら、商品の箱詰めをしていて、手伝わされた。梱包作業というのは、はじめの10個くらいを仕上げていくと、だんだん調子が乗ってくる。いい運動になった。夕飯がおいしかった。ゴーヤーの入ったマーボ豆腐だった。ゴーヤーは苦かった。ゴーヤーはハムスターのてんちゃんは食べるのだろうかと思ってかけらを与えたことがあったが、関心をしめさなかった。てんちゃんはにぼし、キャベツ、チーズなどは好きだ。うちにきたばかりのときは親指に毛が生えたくらいの小さな小さなハムスターで、カゴの隙間から出てきてしまうのではないかと思うくらい生まれたばかりの小さなジャンガリアンハムスターであったがすぐに大きくなり、さいきんは手のひらにのせるとすっぽりおさまりよくまんまるになった。 |
|
2004年05月14日 21時15分05秒
|
|
|
| 今日は朝から大雨だった。雨はじゃんじゃんふっていた。仕事でクルマに乗っていたけど、目の前は雨でじゃんじゃん真っ白になった。車は少しきれいになったかもしれない。でもこのごろの雨は、あまりきれいな雨ではないのでふればふるほど、車は中途半端にあとでくすんでくる。でもきょうみたいに雨がじゃんじゃんふると、さっぱりした気分になる。家に帰ってベランダに出て今日のカメを確認したときにはすでに雨はこやみになっていた。雲の隙間の夜空が雨でだいぶあらわれてすっきりしていた。今日はQもはやく寝てうれしい。 |
|
2004年05月13日 22時03分12秒
|
| 休憩所の各拠点 |
| 蒸し暑くなってきたので、今日はワイシャツは半そでにした。昼休みはとあるホームセンターの駐車場で昼飯のおにぎりを食べた。営業活動するにあたり、休憩場所はいろいろ拠点があるのである。地球環境のためエンジンを切って車の中にいたら熱がこもり汗がでてきた。窓を開けて少し昼寝した。昼寝をちょっとするのは気持ちいい。夜寝るのも気持ちよい。しかし、子供のころほどぐっすり眠れない。うとうととする瞬間が多くなった。そういうときはクルマを運転するのは、危険なので、安全を見ていつも確実に休憩する。そういう休憩場所があるのはいいことだ。夜は水曜日なので教会に行った。今日は会議があって遅くなっていけないかなと思ったら、ちょうどいい時間に終わったので無事に行くことができた。牧師よりインターネットについて質問された。インターネットのチャットというところや掲示板というところでよくひどい書き込みがあったりいい争いがあったり犯罪予告があったりするらしいけど、それはどうしてかときかれた。どうしてみんなそんなことをするのか、そのヒマがあったら、聖書を読むとか、手紙を書くとかすればいいのではないか。出会い系サイト、というところなら、まだ目的(?)があるからわかるようにも思うが、ああいう掲示板というところはいかなるものなのか、と聞かれた。なるほど。言われてみると、実に不思議である。ぼくはなんでこんなところで日記を書いているのだろう・・・。ぼくはけっこういろいろな人が意見交換しているところを見たりするのは好きである。カメの飼育についてのホームページなどをいろいろ見るのも好きである。そういうところで書き込みをすることはほぼないが、たとえばカメに関する掲示板でもそういえば、エサに人間の食べる塩分タップリのチクワを与えているとか、洗剤で水槽を洗うなどと書いた人に対してカメ愛護の立場から掲示板で熱く限りなくケンカに近いような議論が行われていたのを以前見たことがある。やはりケンカばかりしているのである。人間とはなんであるかを知るひとつの知識としてもインターネットは面白いのではないかと、ぼくは思う。これがすべてではないだろうけど。ただぼくがヒマなのかもしれないけど・・・あるいはこれが一番大きい理由かもしれない。帰ると今夜もQが元気に起きていたので、絵本を読んでいっしょに転がった。こういうときは眠い。うとうとの快感である。しかし、もったいない気がして起きる。そしてまた遅くまで起きるのである。 |
|
2004年05月12日 23時26分02秒
|
| 空手 |
| 今日はいくらかはやくかえったので、夕食後、カメんの水をとりかえて、空手の練習にいっているシュンタを迎えにいった。いつもは8時半すぎまで公民館の中で熱心に練習しているが、今日は8時25分に公民館前につくとすでに練習は終わり、公民館出口に小学生たちは空手着をきたまましょんぼりと立っていた。どうしたのかときくと、今月で空手教室おわりやねん、と子供のひとりが言って、先生からの手紙を見せてくれた。先生の仕事の都合で今月いっぱいで空手教室をやめてしまうのだそうだ。シュンタもとてもがっかりしていた。野球がだめだったら、空手で有名になろうと思ったのに、とまじめに残念がっていた。しかし、かえってフロに入ってからテレビドラマを見はじめてそんなしょんぼりはどこかにいったかのようにぼけっと熱心にテレビを見ている。 |
|
2004年05月11日 21時39分07秒
|
| 読書の月曜 |
| 昨日はよく歩いたせいか、からだぜんたいがだるい調子で目が覚めた。雨だったので電車で通勤した。幸福論第三巻が半分くらいまでいった。その中の「現在の聖徒」というタイトルのエッセイを読んでいる。なかなか読み終わらない。あと4つ。本というのは読んだらきちんと、その内容の要約とそれにたいする意見などをきちんとまとめておいたほうがいいのだと思う。昨日食事をした教会の人たちは読書家な人が多かった。ある人は読了した神学関係の本をきちんとワープロでまとめなおして打っているのをみせてくれた。読書をすると本が赤線やら青線だらけになってしまうのだと話していた。そういう読書というのをほとんどしたことがない。毎週水曜日の聖書の勉強会でもみんな注解書を読んでまとめて、きちんと聖書の勉強をするのである。ぼくもせっかく毎日日記を書いているから、ここで、そうやってアカデミックな文章を書いてみたいものであるが、今日もまつらつらとただ思いつくままに書いている。帰りは電車通勤で運動不足にならないため一駅だけ歩いた。そこの駅の構内で330円均一の古本販売をしていた。内村鑑三聖書注解全集第五巻を見つけた。詩篇関係の注釈の載っている巻である。本格的なヘンクツな主人がいそうな古書店ではなく、こういういいかげんなところの古本屋というのは、意外とお買い得品が置いてある。 |
|
2004年05月10日 21時31分33秒
|
| 雨の日曜 |
| 今日は朝から雨が降っていた。午前中、ペチカとQをつれて教会に行く。礼拝の終わりに信仰生活30周年の夫妻のお祝いが行われた。昼からいったん、ペチカとQを家に置いて、兄弟会で食事をごちそうしてくれるということだったので、もう一度教会に行く。雨はあがっていた。一回目に教会に行ったときは、クルマで行ったが、もう一回行きなおすときは、今度は歩いていった。もしかするとまた雨が降るかもしれないと思い、運動をかねて30分ほど歩いたのだ。15人ほど集まって、近所のレストランで食事をした。兄弟会のメンバーは50代前後のひとがほとんどだった。ぼくはとっても若輩者であった。今までどんなふうに教会が形成されてきたかというはなしは、午前中の30周年ではなされた人のはなしとあわせて非常に興味深かった。あとは五十肩の話、であるとか、奥さんの話、であるとか。だいたい夫婦で教会に来られている人が多い。ふつうは、奥さんが教会に通ってだんなさんがあとからというパターンが多いようだ。そうやってだんなさんに影響を与える奥さんは偉大であると思う。ぼくもそのように家庭で影響をあたえるような夫になりたい。なにか現状であると、ただたんにぼくのことなどどうでもよいと思われているみたいでとても悲しい。価値観の押し付けはよくないが、価値観というものは持ってはじめてどうこう言えるものである。ぼくは何を信じているのか、ということを家庭内では常に明確にしておこうと思う。だから子供たちにもいつもお父さんは神様を信じているのであると、言うことにしている。そのことを明確にしてそこではじめて共感や反発というものが出てきて、そこになにかが生まれるのである。そういう中に神様はいるのであるとぼくは信じている。だからどうでもいいようには日々はすごさないようにしようと毎週日曜日につねに思いを更新する。食事が終わって、雨は結局降らずに曇り空が広がっていた。家が近所の「兄弟」の一人といっしょに電車に乗らず歩いて帰った。歩くにはちょうどよい距離であった。帰宅して、シュンタとキャッチボールをした。ジョギングをしたが疲れたのでいつもの半分だけ走った。 |
|
2004年05月09日 19時35分11秒
|
| 町会の土曜 |
|
朝起きると昨夜のビールのせいか多少だるかった。午前中は会社に行く。昼から帰宅し、覚悟を決めて、シュンタの野球の練習場に行く。野球の練習場では明日の町内会運動会のため、白いポロシャツと町会帽子をかぶったおじさんがたくさんいた。ぼくは先日ユニクロで買った緑色のポロシャツで、無謀であったので、すーっと自転車でグランドに入ると、ん?誰だこの男はと、いう顔でなんにんかがチラチラと見た。この緑のポロシャツを着ていたらこないだは警官に自転車泥棒と間違われて尋問された。ぼくがあやしいのではなくたぶん緑のポロシャツが悪いのである。 ぼくは悪くない。と、こころでもう一度つぶやいて、自転車を降りてグランド内の町会帽集団の中に入った。知っている人が見あたらなかったが、ようやくシュンタの野球チーム関係者を一人発見した。シュンタの属する4年生チームのキャプテンのお父さんである。シュンタはキャプテンのことを同い年であるがすごく尊敬しているみたいである。先日野球ゲームを買って、シュンタは毎日ピコピコと遊んでいるが、その野球ゲームでは自分で好きなキャラクターをつくることができる。そしてそのキャラクターを阪神のチームに入団させてペナントレースに参加させることができるのである。そういうゲームであれば、ふつう自分の名前のキャラクターを作って、遊びそうなものであるが、なぜかシュンタはキャプテンの名前をつけたキャラクターをつくっていた。そして、おお!コーヘイがヒットを打った。すげえコーヘイが変化球を投げたとか、どうした、ああした、とか喜んでいる。シュンタはそのようにキャプテンを尊敬しているのである。 そしてその尊敬するキャプテンの父は、ほぼいつも野球の練習に準コーチくらいの熱心さで参加して、チームの身の回りの世話をいろいろとする、息子キャプテンと同様立派なキャプテン父なのだ。そしていつもシュンタの野球チームの関係者として子供たちと同じ野球帽をかぶっていて、その姿がとてもよく似合う。しかし今日は町会の帽子をかぶっていて、白いポロシャツを着て、それはそれで町会の熱心な役員さんになっていた。とても立派な人である。このような人の息子もやはり立派であるのだろう。キャプテンを野球ゲームのキャラクターにしてしまうシュンタの気持ちがわかるような気がする。 「あの、いつもお世話になっております、シュンタの父親でありますが」とぼくはキャプテン父に声をかけた。キャプテン父は、一瞬、ん?誰だこの人という顔をしたが、こないだゴールデンウイークの時も野球の応援に行って一度お会いしていたので、すぐにああ、とわかってくれた。笑顔がさわやかであった。しかし、ああ、といってくれたが、すぐにとても申し訳なさそうに、「せっかくきていただいたのですが、実は明日はおそらく雨になるだろうということで、テントを張るのは中止になったのです。すいませんね、わざわざきてくれたのに。今日は、あと、町会だけで準備しますので、お引取りいただいてけっこうですよ」と言ってくれた。 悲壮な決意を持って明日のとなり町の運動会のテント設営準備のために足を運んだのであるが、実に残念である。いや、残念です、実に残念です、と言ってぼくはにこにこして家に帰った。 |
|
2004年05月08日 17時32分06秒
|
| ロバの子の金曜 |
| 今日は新人君の歓迎会があった。前回3月の終わりに会社を辞める人の送別会をやって以来、久々にビールを飲んだ。中ジョッキ2杯で非常に頭がくらくらする。帰りにおみやげにシュークリームを買っていこうと思ったら、駅構内のシュークリーム屋さんはぼくの前できちんと売り切れた。明日は、土曜日出勤、昼からは帰るが、いつもシュンタが野球の練習をしている運動場で日曜日に運動会があるので、保護者の特にお父さんがテント設置等に手伝いに来てくださいというFAX回覧が回ってきた。日曜日以外は極力シュンタの野球関係に協力するといったが、こういうお手伝いというのは気後れする。シュンタの運動場で運動会があろうが、そこはとなり町の町会の問題でありあまりぼくなどは関係ないのではないか。そういうところにいっても知らない人ばかりでぼくはぽつりと立って役立たずで終わるのではないか。とそういうことが心配で心配でぶつぶつつぶやくとそういう態度を取っていると、ものすごく妻から軽蔑される。しかし、そういう態度を取られると不愉快であるが、たしかに、妻の見解は正しい。正しいが、正しすぎて、ぼくの弱さをさらに塩でもかけてふみにじられるような気がすることもないではない、しかし、しかし、こういうときにただただ拒絶的になってはいけないのである。そういう利己的な考え方はクリスチャンとして正しくないのである。ああどうしよう、どうしようと、なやむのであれば、それはただ、神様の前で不安を訴えるべきなのである。そしてそれですでに充分である。妻に不安をぶつけてどうするのであろうか。結局不愉快になるだけである。人に対して何か恐れることがあろうか。あしたも元気に働こう。私たちはロバの子、という子供の賛美歌がある。わたしたちはロバの子です、馬のように早く走れない、ライオンのような力なんてない、ただのちっぽけなロバの子です♪という歌で。でもそのロバの子は、イエスさまを背中に乗せてエルサレムに行くという大役をおおせつかったのである。走れなくても、強くなくてもいつもイエスさまはいてくれて、そしてロバの子であるわれらを用いてくださるのである。気後れしても、逃げてはいけないのである。主のためと思い働けば、たいていな困難な出来事も、神様はすべてをよいことにしてくださるのである。そしてそのときぼくがどんなにつらくてかなしくて不安でいっぱいなのかはなにもかもわかってくれるのである。ここまでの大決心をして明日の手伝いにぼくは挑むのである。アーメン。 |
|
2004年05月07日 23時08分24秒
|
| 連休明け |
| 久しぶりに会社に行くように思う。連休の終わりがいきなり月曜日であるより、木曜日はじまりのほうが徐々に心身がなじんでいくようで、ちょうどよい。今日は、連休中にいやになってやめてしまったらどうしようかと少し心配していたが無事に出社してきた新人社員を横に乗せて、先週に引き続きまた一日得意先をまわった。先週とは違い新人君は車酔いすることはなかった。新人君は営業活動をしたことがなくて人と話すのが苦手で、「別の先輩に営業はお客さんと下ネタの話をしたら一番早く親しくなれるから大丈夫だと元気付けられたんですけど、ぼくは下ネタの話など話せませんどうしたらいいでしょうか」と、相談された。それはたぶんその先輩がリラックスさせようと思ってそのように言ったのであって、下ネタの話をしなくても、別にたいした影響はないのではないかとぼくが言うと、「では、ぼくがもしお客さんにそういうはなしをふられたらきっぱりそういう話はきらいです、と断ればよろしいでしょうか」というから、いやことさらにそのように挑戦的になるのはあまりよくないのではないかと、いろいろ話あった。ぼくも筋金入りに人とはなすのは苦手であり、ときどき仕事をしていて、泣きたくなることも多々あるが、このように悩みある青年と話をしていると、墜落しそうな飛行機で落ち着いて仕事をこなすステュワーデスみたいにこちらはとてもしっかりした気持ちになれたので、有益であった。 |
|
2004年05月06日 20時15分57秒
|
| 続連休5日目 |
|
夜は夕食後、教会の祈祷会に行く。教会の受付のテーブルにはなんと「パッション」の劇場用チラシが、束になっておいてあった。今日見てきたんですよ、と話をすると、牧師より、どうでしたかと尋ねられた。どうでしたか、ときかれると本当に困る。ぼくが一番感動したのは全編セリフがアラム語であったという話なのであるが、そういうことではなく、いかに感動したか、いかにこれを見て多くの人がキリスト教に導かれるか否か伝道的であったかどうかという話を、どうでしたかの期待に答え説明できればいいのかもしれないけど、そういうことはやはり神様だけが知ることであって、そういうことをきかれると、いややっぱり映画は映画ですし、とぼくは見当違いな返答をしてしまったようにも思う。まあとにかく、これが、今日買ってきたパンフレットです、と700円のパンフレットを見せると牧師はとても興味深く手にとりぜひ日曜日まで貸してくれというので、本当は今夜ゆっくり読もうと思ったのだけど、貸してしまったのであった。無事日曜日に戻ってくることを祈るのである。しかしそのかわり、プロテスタント教会関係者が作ったのだろうか、「ジーザス」というルカによる福音書にもとづいて2000年に製作された映画のビデオをもらった。週末にペチカと観よう。祈祷会では、コリント人の手紙について学んだ。パウロという人はいかに優れてなおかつボロボロであり、断固として自分が偶像視されることを拒絶した。「植えるものも水をそそぐものもともに取るに足りない。大事なのは成長させて下さる神のみである」(コリント人への第一の手紙3章7節)。つねに人を見るのではなく神様を見るのであるということを繰り返し述べている。神様はさまざまなものを用いてわれわれを導いてくださるのであると思う。用いるものと用いられる方とを取り違えたり混同したりしてはいけないのだということを考えた。 今日は、休日だったので、ポロシャツにジーンズで自転車に乗って教会に行った。帰りに自転車を走らせていたら、バイクにのった警官が近づいてきて、「ちょっといいですか。その自転車には鍵がついてませんね」と言い、自転車を停車させられた。ぼくの自転車はこの前鍵をなくして、前輪の横についている鍵を破壊してしまって今はチェーン式にしているのである。だからカゴにのせてあるチェーンを見せて、私は断じて盗難自転車に乗っているのではないと主張したが、警官は不審そうにぼくの自転車をあちこち懐中電灯で照らすのであった。最近盗難の自転車が多いので、調べさせてもらいます、と無線で連絡を取り、ぼくの名前と自転車の登録NO.を照合された。そして結局間違いなくぼくの自転車であることが判明し、失礼しましたと、解放された。暗い夜道でよく自転車の鍵がついているかどうかチェックできるものだ、仕事熱心な警官だと関心もしたが、ぼくは過去通勤でほぼ毎日この道を自転車で走っているのに一度としてそういう尋問を受けたことがなかった。夜の9時過ぎに、ポロシャツ姿の自転車男は怪しいのであろうか。仕事熱心な警官には敬意を表するが、怪しい男に思われるのは若干不愉快でもある。しかしもし警官がぼくの持っていたバッグの中身を調べて、中から聖書と賛美歌とジーザスのビデオとQの教会学校カード帖と教会員の方からもらった連休みやげのおまんじゅうがばらばらと4つ入っていているのを発見されたら、ますます怪しまれたかもしれない。そこまでいかなくてよかったと思い感謝して明日からの久々の仕事に備え眠ろう。 |
|
2004年05月05日 23時28分32秒
|
| 連休5日目 |
|
今日もシュンタは野球休みであるし今日は本当は、家族そろってどこか公園にでも行こうかという案もあったが、それほど天気もよくないので、昨日の時点で中止となった。ペチカとシュンタを映画に連れて行くことにした。そして昨夜インターネットで近所の全席指定の映画館の指定席を予約した。朝はまたジョギングをする。そしてシュンタとキャッチボールをする。そして昼から、ペチカとシュンタをつれて、チケット予約をした複合映画館に行った。Qも行きたがったが、これから病院に行ってお注射するんだよ、といったら、「ソウカ、チュウシャカ」と言って素直に送り出してくれた。「Qハオカアサントライフイク!」と妻といっしょにスーパーに行くことになった。Qのしゃべり方はカタカナ的にとてもカンキンコンと高い声なのである。 ペチカとシュンタは「名探偵コナン」の映画を見た。ぼくはその間に、「パッション」を見た。「パッション」のほうが、はじまりが30分ほど早かったので、ペチカとシュンタにコナンの上映館の入り口を教えて、チケットを渡して、ちゃんと仲良く見るんだぞ、と言って、ふたりを置いて先に「パッッション」の上映館に入った。ペチカとシュンタはいつもケンカばかりしているが、こういうときはとても仲良しで、ふたりで肩を寄せ合ってゲームをして上映時間まで待っていたみたいだ。 「パッション」はキリストが十字架に架かるまでの12時間を福音書に基づいて、映画化された作品である。受難のシーンがあまりのリアルな描写のため、アメリカではショックで亡くなった人もいるそうだ。そんな話をペチカにしたら、おとうさんだいじょうぶ死なないでね、ととても真剣に心配してくれた。無事死なずに見通すことができた。登場人物はすべて、紀元1世紀のイスラエルで話されていたアラム語という言語でしゃべっていて、字幕が英語と日本語であった。アラム語をきいてももちろん意味などはわからないが、この言葉をきくことができただけでも映画を見た価値があったと思う。 ペチカにも妻にも、どやった?どやった?と聞かれてもうまく感想を述べられない。ぼくはこ感想というのが何事においても苦手である。何かを感じてそれを言葉にするのは大切なことなのだろうけど、どうも、うまくいかない。別にこの映画を見て涙がとめどなく流れたり、新たに信仰が燃え上がったということもない。覚めている自分もいるのである。あ、ここのシーンは、聖書的というよりも、西洋絵画的な解釈であるな、とかいろいろチェックをしてしまう自分もいるのである。当たり前の話であるが、映画はやはり映画であるように思う。何事も偶像礼拝はいけないとも思う。でもこの映画をきっかけに結婚式以外のキリスト教や、聖書に関心を持つ人が増えるのであれば、それはいいことであると思う。こうやって書くと、これもまた感想になってないような感想であるが、少なくともエンドロールがすべて流れ終わるまで席を立つ気にはなれなかった映画だった。 |
|
2004年05月05日 18時07分17秒
|
| 連休4日目 |
|
今日は一日中雨という予報だったが、朝目がさめたときは雨はやんでいた。ただ風が強く吹いていた。1時間ほどジョギングをする。連休中なので毎日走っているとだんだん調子が上がり体が軽くなってくる。いい感じである。走り終わって今日は野球の練習が休みのシュンタと少しキャッチボールをする。キャッチボールをしているうちに雨が降ってきた。午前中は、部屋の中で読書。ヒルティの幸福論が3巻目に入った。この人は、別に専業の宗教家ではない。19世紀のスイスの法律家であるが、この著書で、信仰とはなんであるか、生きるとはどういうことであるか、ということを率直に書いている。「宗教においては、決して枝葉のことをほじっくってはならない、ただ本質的なことをますます深く把握しなければならない。」宗教的安逸というものを戒めている。働け働けと書いてある。働くけど、金が名誉が、その目的ではないのである。目に見えるものがこの世界のすべてではないのである。しかしなおかつこの目に見える世界で神を信じて過去を振り向かずに前にむかって働くのである、というようなことが書いてある。そういう本をごろごろしながら午前中読むのはなにかいけない気がしてときどき正座して読んだ。こういう率直で、ある面でものわかりの悪い頑固で偏屈であるとも受け取れる本というのは好きである。 昼から家族5人で雨の中でかける。ラーメンを食べ、おもちゃ屋(トイザらス)に行き、古本屋に行き、ゲームソフト屋に行き帰宅。おもちゃ屋で、子供のころ大好きだったおもちゃのミクロマンという人形が売っていた。899円だった。たぶん子供のころのものとは違う新シリーズのものである。買おうかと思って悩んだが本日はやめておいたが買っておけばよかった。でも買ったからといって、買ってきてどうするつもりだったのだろう。昔は、ミクロマンが3つ4つもあればそれだけで、お話を創作して数時間は楽しくひとりで遊べたものである。想像力を豊かにはぐくむおもちゃであった。しかし、今これを買ってきてなんかひとりで遊ぶのは少しへんなかんじもしなくもない。しかし、売り場でミクロマンをにぎりしめながら、半分あやしい人になっていた。 |
|
2004年05月04日 16時35分47秒
|
| 連休3日目 |
|
試合に負けたけどシュンタは今日も野球に行った。午前中は天気がよく、ジョギングをした。いつもより多少はたくさん走った。シュンタの野球チームのお父さんの一人は趣味が走ることだそうだ。この連休中は、山口県のどこかでおこなわれる250キロ走のレースに出場するのだそうである。だから、子供の野球の応援はお母さんだけで、昨日は、ぼくのクルマの同乗して、そのダンナさんのすごいはなしをたくさん聞いたのである。 ぼくはフルマラソンを走っただけで、かなりしんどかった。そのお父さんは数年前から走り始めたのだそうだが、はじめてのマラソンで3時間半くらいで走ったのだそうだ。ぼくははじめて走ったときは、途中で、リタイアして、最高記録でも4時間26分だったと思うが、もしかすると、この記録は大阪長居公園を15周するレースだったので一周くらいカウントし忘れていたかもしれない、そして、もう最近は10キロくらいがちょうどいいくらいである。見かけはごくふつうのおじさんであるのに、すごいなと思う。 ぼくは基本的に運動神経がないのだと思う。基本的に動作が鈍い。さらに鈍い上に、髪の毛が白髪が多いので、Qと歩いていると、おじいさんが孫を連れているみたいだなんて、妻にひどいことを言われた。白髪がみっともないから、髪の毛を染めたらいいのではないかとすすめられて、2回ほど染めたが、どうもやはり自分を偽っているような気もするので、もう染めないように思っている。白くなろうが禿げようがもはやひるまないのである。 しかし、Qと歩いてジーさんのようだというのは、よくない。おととい、電車の中で腕をふってジングルベールジングルベール5連休と一点を見つめわけのわからない歌を歌っていおじさんは尋常ではなかったが、しかし背筋は伸びてある面ではさっそうとしていた。さっそうとして、やや狂気じみていた。しかししゃきっと伸びた背中というのはいいものである。ぼくも背筋を伸ばそう。昼からペチカもポートボールに行ったので、Qと妻と3人で買い物に行く。ユニクロでポロシャツを買った。ユニクロには鏡がたくさんあった。Qと手をつないでいかにして背筋を伸ばして歩くべきかと研究した。それからスーパーに行った。スーパーでも歩く練習をした。しゃっしゃっしゃとからだのすみずみまで神経を行き渡らせて歩くのはよい感じである。ということをたまに周期的に感じる。 |
|
2004年05月03日 16時36分56秒
|
| 連休2日目 |
|
ペチカ、Qっをクルマに乗せて教会に行く。連休中のためか、いつもくる人の姿が幾人か見当たらない代わりに、今日は新しく来た人が何組かあった。転勤で大阪に来た人、連休中に近畿に訪れたため立ち寄った人、まったく新しい人。たいてい一家揃って来ていた。実にうらやましい。来週は、教会学校の遠足があるので、妻も引率で来てもらうようにした。遠足の引率はくるけど礼拝には来ないというのは残念である。夫婦で教会にきている人を見る少しうらやましく思う。 午後からは、シュンタの公式戦第2戦を見に行く。試合は負けであったが、2打席連続でシュンタはヒットを打った。打率10割である。バッターボックスに立った姿はなかなかかっこよかった。空が曇って夕方から寒くなってきた。 |
|
2004年05月02日 19時36分12秒
|
| 連休1日目 |
|
午前中、目がさめると、ジョギングをした。適度に汗をかいて気持ちいい。ジョギングコースのため池のひとつではアヒルが飼われている。そして池のふちにアヒルの小屋が建っている。これは誰が飼育しているアヒルなのかと池のほとりにいるおじさんにきいたことがあるが、特に誰かが飼っているわけではなくて、近所の人がボランティアで日々エサをやっているのだと聞いたことがある。そしてアヒル小屋からコンクリートのスロープがついて、池に通じているのだが、そのスロープの上で何羽かのアヒルがプルプルと体をゆすっていた。アヒルの足元には大きなカメが3匹心地よく日光浴していた。平和なため池だった。 せっかくの連休なのでどこかへいこうと思い、ペチカとQをつれて3人で天王寺動物園に行った。Qは動物園に行くと言っただけで、大喜びだった、電車の中でもゾウさんいるかな!ゴリラはいるかな!とうるさかった。最近Qは特にゴリラが好きみたいである。残念ながら天王寺動物園にはゴリラはいなかったが、Qが大喜びなのでうれしかった。天王寺動物園のサイチョウのオリにいっしょにいる、しゃべるカラスは今日もいた。なんとオリに今まではなんの標示もなかったのに、「イエガラスの陽ちゃんです!しゃべります」とイラスト入りのプレートが貼ってあった。陽ちゃんも出世したものである。陽ちゃんという名前だとは、はじめてきいた。陽ちゃんは今日も、なにかごにょごにょしゃべっていた。 天王寺動物園のまわりは非常にごちゃごちゃしている。地下鉄天王寺駅出口付近ずぼらや前に新聞販売スタンドがあるが、そこには、アヒルの新聞屋さん、と手書きの看板が出ている。新聞スタンドの横に金網の囲いがありアヒルが3羽ほどガアガアいっていた。そしてむぞうさに新聞売りのおじさんがじょうろで、アヒルに水をかけていた。不思議な風景である。 不思議といえば、帰りの電車には、不思議なおじさんがいた。となりの車両から腕をふりふり歩いてきてぼくたちが座っている席の前で立ち止まり空中の一点を見つめ。「ジングルベールジングルベールすずがーなる!今日からたのしい5連休!」と大きな声で歌って、また隣の車両に歩いていった。ペチカも、歌が大好きなQも、爬虫類館のワニみたいに固まっていた。不思議なおじさんだった。向かいの座席には、Qと同い年くらいの男の子の兄弟がいた。ふたりそろってデカレンジャーのキャラクター服を着ていた。帽子までデカレンジャーだった。不思議おじさんからの金縛りから解けたQは、すぐこのふたりに気づいて、ワアかっこいいといって歩いていって、その子達のとなりに座って満足そうにニコニコしていた。座られた兄弟たちもニコニコして、なんだかとっても楽しそうだった。 家に帰ってからQが本日は昼寝をしなかったので、このまま夜まで持たせようと、公園に行って遊ぶ。近所のいつもはいかないたてよこ10mくらいの真四角な公園に行ったが、ごみがたくさん落ちていた。小さな公園でゴミ箱がふたつも置いてあるのに、ここで遊ぶ子供の食べたおかしの袋や、大人が捨てたタバコの吸殻があたりに散乱していた。Qがすべりだいをして遊んでいて、すべり台のまわりにもポテトチップスの袋が落ちていて、そういうのを拾ってごみ箱に入れていたら、なんだかどんどん気になってきて、気が付くと公園中のゴミを拾ってきれいにしてしまった。ああいうのは、砂場で遊ばしているお母さんとか気にならないのだろうか。けっこう砂場にチューペットの空の袋とか捨てられているのに、まったく無関心に子供を遊ばせているのである。ぜんぶぼくが拾ってゴミを捨てた。ぼくはきれい好きなのである。怪獣を退治したウルトラマンのような気分になって腰に手をあて、ああよかったと、きれいになった公園を満ち足りた思いで眺めた。よい一日だった。 |
|
2004年05月01日 19時33分51秒
|