2004年9月の日記です

階段
朝は台風の影響で雨だった。雨では外でジョギングができない。しかし、いいコースがあった。うちは10数階建てのマンションに住んでいるのである。これを一階から最上階まで階段で昇り降りしたらとてもよい運動ではないか。さっそくシュンタを揺り起こすが、今日は眠い眠いとちっとも起きてこない。仕方がないのでひとりで階段を昇り降りすることにした。うちは、2階にあるので、そこから階段を上りはじめた。しかし、6階くらいまで登って階段の手すりのむこうをふっと見たら、あ、そうだ、自分は高所恐怖症なのだと思い出した。6階から見る下界は、ぼくにとってはもう目がくらむほどの高さだった。こんなとこに住む人の気が知れなかった。さらにまだまだ十数階の部屋に住んでいる人たちがいるのだ。ものすごい勇気と度胸のある人たちである。6階の踊り場から、するりするりとおそるおそる降りて家に帰った。

今日は水曜日なので台風が来るけど会社の帰りに教会に寄る旨を妻に告げると、そういうなにがあっても教会に行こうとするその態度が気に食わないといわれた。ぼくがなにかをなそうとするとことごとくがきにくわないのだ。教会がきにくわないのではないと思う。以前は朝早起きしてフルマラソン目指して走っていたときは、朝からうるさいとかさんざん文句を言われた。休みの日になんとかたくさん走る時間をつくろうと努力していたら走ることばっかりで気に食わないと激怒された。ではなにをすればいいかというと。よそのだれそれさんと同じように行動することを求められる。しかしそのよそのだれそれなんていうのは、まったくもって抽象的な概念であって、実際に具体的によそのだれそれさんのそれぞれの日常そのとおりにぼくが生きようとすればそれはそれで確実に気に食わないのだ。

以前昔ペチカが小さい頃会社の人間関係がうまくいかず毎日5時に会社が終わるとすぐさま帰宅して「お母さんといっしょ」がおわるまでの時間に確実に帰ってきたことがあった。そういうときにはよその家庭のお父さんはもっとつきあいがよくて毎晩お酒のいっぱいでも飲んで帰ってくるものだ、と非難した。そのときぼくがとても苦しくて死んでしまいたいくらい毎日がイヤだったのに、それはあんたの態度が悪いからだと、まったく理解をしめさないで頭ごなしに否定された。赤ちゃんペチカがにこにこ笑ってそれがどんなに救いだったか。だからペチカペチカと甘やかしたら、そうやって甘やかすのはよくないといやな顔をした。

そして今度は事態が変わってぼくが毎晩飲んで帰ってくる時期があるとそれはそれで、また飲んできたのかとぶつぶつ文句をいうのだ。ぼくはいつもなにもかも否定されている。否定されているので、それがきにくわないから真剣に怒る。否定されてしまって黙って引っ込んではいけない。それでは否定のし合いで絶望である。ファシズムというのは考えたり抵抗したりするのをやめて、もういいや、と思って、それなりにぬるまゆ的にここちよい状況のなかでやってくるのである。コンフリクト・フリー。思考停止。「安心のファシズム」(斎藤貴男著・岩波新書)という本に書いてあった。ということでぼくは今朝もやや険悪な感じで出社した。死んでも教会にいってやろうと思った。バカみたいであるが。まったくこのような観点で意地をはるのはやや原理主義的で狂信者的であるので100%自分がまちがっていると思う。わかっている。

ただこれにはもうひとつ理由があって、天候によって、なにかを中断するというのが、すごくいやなのだ。子供のころそれほど親しくもない友人数人とやはりそれほど見たくなかったアニメ映画を見に行く約束をした。ガンダム、かなにかだったと思う。人気の映画だから日曜日朝はやくから並ばないと見れない。ぼくたちは朝の6時に集合して映画館に行こうと約束した。約束の日曜日が来たがその日は朝から大雨だった。こんな大雨の日にやめなさいカゼをひいて肺炎になって死んでしまうと両親に言われた。それにそんな朝早くから映画に行くのは世の中の常識から考えておかしい、そういう価値観をもつものたちを友達とするのはいかがなものか、という内容のことも言われた。そこでぼくは一応待ち合わせ場所まで傘をさして行き、映画には行かない、と告げ、ひとり家に帰った。しかし帰ったのはぼくだけだった。残りの数人はみな雨の中ガンダムを見に行った。次の日の月曜日は、行ったやつらはとても親しそうだった。ガンダムは彼らにとって世の中で最高の映画だった。そしてぼくはかれらとはさっぱり親しくもなくなり、ガンダムはみたくもない映画だったということになった。それはなにかさみしい思い出なのだ。だから雨の日に、雨という理由で教会へ行くのをやめるのは、自分のトラウマにかかわることとしてすごくいやだから今朝は口論になったのだ。

仕事でクルマにのりながら、いろいろ考えた。なにか自分自身の信念に関する「おとしどころ」がないものか。すると都合のよいことに、この台風の中、遠方の取引先から緊急の配達以来の電話が入ったのだった。ぼくは遠方に行って、すっかり帰る時間が遅くなって、結局教会にいけなくなった。渋滞の高速道路で、牧師先生に電話をして、今日は、遠方にいて7時半までには祈祷会にはいけそうにありません、というと、それはたいへんだ、台風もくるから、心配しないではやく家に帰りなさい、と言われた。ということで、本日は教会に行くのはやめにした。
2004年09月29日 21時46分11秒

今朝もシュンタと走る。昨日ははりきっていたが、今朝のシュンタはぶつぶつ文句をいいながら少し遅れてついてきた。肩いてえとか、腹がどうしたとか、ぶつぶつぶつぶつ言っていた。そして、走るコースに通りかかる、昼間は静かだけど朝はジャンジャンジャンとなにかを打ち鳴らしてにぎやかなT理教の教会の前で、なんじゃこれと、ぎょっとしていた。走り終わって腕立てをした公園で、ポッポークックルウウ。と鳩が鳴いているのを聞いて、少し警戒した顔で「なんの音?」と聞く。シュンタは鳩の声もわからないのだった。だからぼくはポッポーという声の聞こえる木を軽くけっとばした、そうすると元気に一羽の鳩が飛び立った。おお、鳩だ、とシュンタは感動していた。朝はいろいろな音が新鮮に聞こえた。またまた台風がやってくるみたいで今現在はポツポツと雨が降っている。明日の朝は走れるだろうか。
2004年09月28日 22時05分36秒

走る朝
昨日Qはモーモー泣きながら夕食前に寝てしまった。Qはいつもなくときモーモーという。うしみたいだな、というとモー!モー!と怒る。モーはどういう意味のモーなのだろう。いわくいいがたくモーみたいだ。モーモー。そして昨日は妻ペチカQチームとシュンタとぼくのチームで寝た。どうしてかというと今朝、シュンタとふたりで走ろうと約束したからだ。しかし朝の5時にモーQは、おしっこをしたあと、子供部屋のぼくのベッドの中に飛び込んできた。モーモーは言っていなかったが、早くに寝たので、5時過ぎですっかり目がさめてしまったらしい。しかしほうっておいて6時まで眠る。6時から6時半までQをベッドに転がしておいて、シュンタの机で聖書を読んで、お祈りをして、Q、おとうさんはこれからジョギングにいってくる、と、威厳を持って告げると、モーモーと言うかと思ったQは素直に、うん、イテラシャイ。と言った。そこでシュンタを起こし、Qをおいて二人で朝のジョギングをした。20分ほど走った。このように親子で走る日がきたことを幸福に思った。明日もまた走ろう。20分でも毎朝走っていれば、最近また少し膨張しはじめたシュンタも、引き締まると思う。走ったあと、シュンタと公園で腕立てと腹筋をした。なかなかいい感じな朝だった。
2004年09月27日 20時22分14秒

水草
今日は日曜日なので、ペチカとQと三人で教会に行った。教会ではバザーをしていた。Qが10円で売っていた光るヨーヨーとクルマのオモチャを買った。それからハート型の目玉焼きができるフライパンを買った。はじめにバザーで並ぶオモチャを見てしまったので、Qは礼拝に行かなーい!とその場から離れずまた泣き始めた。ペチカもシュンタもこんなにわがままで泣き虫ではなかった。これはすべてぼくが甘やかして育てているせいなのだそうだ。ペチカとシュンタが比較的しっかり育ったのは、これはまったくぼくのせいではないそうだ。悪いのはすべてぼくなのである。そんなことないわよ、あなたにはいいところがここにもそこにもあそこにもほおらこんなにたくさん、愛しているわダーリン、とかぜったい誰も言ってくれない。人間に対してそういう期待をしてはいけない。愛するというのは、人と人が向き合っていても、そこには愛はないのである。今日は主の愛についての説教だった。愛について考える、そのように頭で考えたところで愛なんてわかりはしないという意見もあるかもしれないけど、だんだん生活にくたびれて年齢を重ねると愛なんてことばさえ考えもしなくなるものなのである。生活につかれても年とっても大真面目に愛とはなんだろうと考えて考えるだけでちっとも愛の人でなくてもそれでも愛とはなんだろう、などと考えることができることは幸福なことである。午後から買い物に行ってザリガニ用の水草を買う。プラケースがだんだん水族館みたいになってきた。少し多めに買ったので、余分なものはカメにやった。カメもたまには野菜もとらなければいけないのだ。
2004年09月26日 18時31分49秒

朝は7時前に起きたので、ジョギングをする。夏の間はセミの声ばかりだったけど、今はコオロギのルルルルという声がいっぱいで涼しい朝だった。ここ1週間は休みが多かったので、よく走れた。午前中は「福翁自伝」の続きを読む。福沢諭吉は緒方洪庵の下で勉強ばかりしていた。そしてアメリカに行ってヨーロッパに行った。ぼくは中津にも大阪にもアメリカにもヨーロッパにもさらにはインドもネパールもそのたもろもろの国へ行ったけど、外国語ひとつしゃべれなくて日本語もけっこうあやしいのであるから福翁自伝もなかなか読みすすまない。昼からシュンタの野球を見に行く。野球を見ているとき、Qとふたりで砂いじりをしていて、ああそうだザリガニのために砂を持ち帰ろうと思いポリ袋にひとつかみいれて持ち帰った。ザリガニの小さな水槽(プラケース)の底に砂を敷き詰めた。コーヒーカップの隠れ家と砂敷きの床、今度は水草もさがそうかと思う。
2004年09月25日 17時41分58秒

福翁自伝
今日、また会社に行って、帰って、またまた明日は休みだ。シュンタの野球の試合があるというので、見に行くことになった。ぼくはそのように、子供思いで家族思いである。子供のため家族のためには最大限、尽くすようにつとめている。しかしあまりそのことが、正確に家族に伝わっていないのではないかと思う。しかしだからといって、そういうことですぐに腹を立ててはいけない。先日古本屋で岩波文庫の「福翁自伝」を見つけた。夏休みに福沢諭吉旧邸に行ったし、最近幕末好きになったので、ちょっと興味があった。立ち読みしたら晩年の福沢諭吉の口述手記なので文章も口語体で読みやすいし、しかも105円だし、さっそく買った。で、喜怒色を顕さず、という言葉は福沢諭吉の座右の銘であったそうだ。と25ページに書いてある。そこで自分もいろいろあるけど、喜怒色を顕さず、というのは見習おうと思った。そこで、家庭内でなにか孤独を感じるときがあっても喜怒色を顕さずである。昨日から読み始めて、福沢諭吉は大阪の緒方洪庵の弟子になったところまで行った。しっかり読んでまた来年福沢旧邸に行こう。
2004年09月24日 21時14分44秒

留守番木曜
今日も休みだったが、みんなそれぞれ忙しく、Qと二人で留守番だった。

午前中は近所の体育館に行った。体育館2階の畳敷きの武道場がはいはい道場という名前で幼稚園以下の子供に定期的に開放されていて、今日も午前中は、はいはい道場だったのだ。Qは体育館の入り口でチケットの買い方を教えてくれて、二階まで連れて行ってくれた。そして広い武道場の中をだだだだと走り回っていた。そのほか子供ようのマット遊具がいろいろあって、Qを放牧しておくには便利だった。9時過ぎくらいから12時までいた。いろいろな子供がいた。観察するとおもしろかった。

お昼近くなるまでには小さな子がいっぱいになった。Qは知らない子を追いまわして、ときどき気の強そうな女の子にヤメテ!といやがられることがあって少しベソをかいていたけど、たいていはごきげんだった。お昼は駅前のマクドナルドにいこうとしたらとても込んでいて、近所にロッテリアもあったのでそこへいくとすいていた。ロッテリアに入るのはとても久しぶりのような気がする。

昼からは家にもどって、留守番の午後だった。風呂を掃除した。カメとザリガニの水槽の掃除をした。月曜日にもらったザリガニはまだ元気に生きている。ザリガニの水槽は部屋の中においていて、夜、じっとながめる。チクワやレタスやカメのエサ、ハムスターのエサなどいろいろ水に沈めると、パキパキと音をたてて食べる。ザリガニは、ザリガニにだけには食べられたくないな、と見ているものに思わせるような食べ方をする。カメはがぶりとかみつき、飲み込むので、まだ食べられても少しは楽かもしれない。でもなににも食べられたくないけど。ザリガニはハサミでおさえつけ、ジワジワとノコギリみたいな口でひとくちひとくちギリギリと食べるのである。ハムスターは、ほお袋にいろいろつめこんで、あとで、巣の中でポリポリとする。ハムスターなら一度食われたと思っても、まだほお袋だ。脱出するチャンスはあるな、と思う。巣の中で、吐き出されて、運良くそのままハムスターが眠っていたらその隙に逃げ出せる。ハムスターは隙だらけのようにも思う。

そういうことを考えながら、ザリガニの水槽の横で読書をする。Qはゲームばかりしていた。夕方、妻とペチカが帰ってきてから、ジョギングをしていたら、ちょうどシュンタも帰ってきた。
2004年09月23日 17時39分26秒

朝Q
昨夜は子供の部屋でペチカとシュンタとQといっしょに4人で寝た。ペチカとシュンタは二段ベッドで寝て、その横に布団を敷いてQとふたりで寝た。こういうふうに子供の部屋でばかり寝ていると夫婦仲が悪いみたいであるが、たぶんそんなことはないと思う。今日はQがタタミの部屋で無事早く寝ているみたいなので、今日はぼくもタタミ部屋で寝ようかと思う。でも朝方は子供部屋のほうが涼しいので、やはり子供の部屋に布団を敷こうかとも思う。今朝はとても涼しい朝だった。朝早く、子供部屋に敷いた一枚の布団でQとふたり横になっていたが、Qは布団から転がり落ちて、二段ベッドの下にすべってしまい、そのまま胸から下はベッドの下の隙間にはさまってしまった。そして、そのままQは「ウゴケナイ!!!ウゴケナイイ!!」と目をつぶったままものすごく不機嫌な顔でうなされていた。そのうなされ声でびっくりして目をさましたのだ。Qのうなされている顔は不謹慎ではあるかもしれないけど、なんか少しおもしろかった。すぐにベッドの下からひっぱり出して、ふたたびいっしょに転がった。涼しい朝はとても心地よかった。今日はほぼ一日涼しかった。そして夜は教会に行って帰宅した。教会では今日は、どうして教会にくることになったのかという話になった。どうして教会に行くようになったのだろうかということを考えると、実に不思議な気持ちになった。「あなたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたを選んだのである。」ヨハネによる福音書15章16節。
2004年09月22日 22時23分18秒

ザリガニ
暑い日が続いていて、今日もまた記録を更新した。しかし暑いのが続くのはもっと昔にあったような気がするけど統計上は今年が新記録らしい。夜中も昨日は暑かった。ぼくは子供部屋でシュンタとQと3人で寝ていた。枕もとに扇風機を置いて2段ベッドの一階で寝たら、二階のシュンタが暑いと降りてきて、ベッドの横のQの寝ているふとんにころがって、扇風機をじぶんのほうに向けて眠ってしまった。ぼくは暑くて目が覚めたけど、夜中にひとりで扇風機を独占していたことについてシュンタに朝から恨まれた。そういうふうに、恨まれたままおとうさんが会社に行ってそのままおとうさんが死んでしまったらシュンタは必ず一生後悔するぞとおどしてやった。しかし本日も無事に帰宅した。昨日、となりのゆめちゃんちが公園の池で釣ってきたザリガニを一匹もらった。カブトムシが入っていたプラケースに、おいている。不機嫌そうに、じっとしている。
2004年09月21日 21時02分55秒

王子動物園
今日は、月曜日だけど敬老の日で休みだった。しかし、家にはぼくとQしかいなかった。みんなそれぞれ休日も忙しい。天気もよいので動物好きコンビであるので、動物園に行こうと思った。いつもいくのは天王寺動物園であるけど、Qは最近テレビのCMで見た、神戸の王子動物園に行きたいと言う。王子動物園には天王寺動物園にはいない、ゴリラとパンダがいるのだった。

家から神戸の動物園までは、電車を乗り継ぐと2時間近くかかるが、ぼくもゴリラが見たくなったので、行くことにした。電車の旅は長いけど、Qはぜったいモーモーと泣かないとこを約束して、電車に乗った。南海線に乗って御堂筋線に乗って阪急電車に乗って長い長い旅をした。とちゅうで動物図鑑を見ながら、王子動物園の予習をした。ところが動物図鑑でカバの項を見ているとき、カバはウンチをするとき、じぶんのなわばりを示すためにそこらじゅうにウンチをぶちまけます、というのをイラスト入りで描かれていたのを見たQは突然カバが怖くなったみたいで。カバがこわいからおうちにかえりたい、と御堂筋線のとちゅうで、言い出した。しかし今さらあとには引けないので、そのままごまかしごまかし、動物園に行った。

天王寺動物園と比較して、山の斜面にあるような動物園であったので、坂道が多く、暑くて少しばてた。カバはどこどことものすごくこわがっていたけど、実物を見たら、おそれていたほどのものでなかったようで、ほっとしたようだった。ウンチもとばされることはなかった。パンダは混んでいたので、おしりだけをちらりと見た。ゴリラは、2匹ごろんと豪快にころがっていた。そのほか、ゴリラの資料館のようなところがあり、ゴリラの写真の顔の部分が穴があいていてそこに顔を出して記念写真をとるコーナーなどいろいろおもしろかった。Qがなによりもゴリラにあえてうれしそうだったのでよかった。ゴリラのマスコット人形200円をひとつ買った。お風呂に入る時のおもちゃの仲間がふえた。ゴリラの資料館には、サルから人間に進化していく様子が、イラストでかかれていた。そしてヒゲをはやした原始人のイラストをみて、Qはオトーサン!イエスさま!とよろこんでいた。ヒゲをはやしている人を見るとQはたいていイエスさまなのだった。

帰りの電車ではQは寝てしまうかな、と心配だったけど、何度も何度も動物園のチラシを見返してたのしかったねー、ゴリラいてよかったねー、ととても幸せそうだった。Qはチラシがとても大好きなのだ。5枚くらいもらってくればよかった。
2004年09月20日 17時59分47秒

運動会
今日はペチカとシュンタの小学校で運動会があったので、教会には行かずに、運動会の応援に行った。ペチカもシュンタも元気に走りまわっていた。シュンタは骨折はまだ完全に治ったわけでもないのかもしれないけど、リレーの選手で力いっぱい走っていた。ビリだったけど、なかなかかっこよかった。ペチカは組み体操をしていた。先生が扇!とか、ピラミッド!とか叫んでそれにあわせていろいろ組み体操していた。ピラミッドは4段でペチカは一番下だったのでしんどそうだった。ぼくも小学生のとき、一番下だった。ひざに小石が食い込んで痛かったのを覚えている。そのほかいろいろ元気に運動していた。Qはときどき退屈するとモーモーと泣いていたが、おおむねいい子だった。Qは知らない女の子でかわいらしい子を見ると、ものおじせずに、近づいて、気が付くとなかよく遊んでいる才能がある。キューリのキューちゃん!などといわれてキャッキャとよろこんでいた。夜は焼肉を食べた。近所の焼肉屋は、運動会景気のため混んでいた。1時間ほど待って食べる。Qはほとんど食べずに寝てしまった。ペチカとシュンタと妻とぼくで、カルビ5、ロース5、タン塩3、豚トロ2、ニンニク蛸2、サンチュ1、ポテト1、チジミ1、クッパ1、ライス2、石焼ビビンパ2、ドリンクバー3、アイス2、を食べた。おなかいっぱいだった。帰宅して、新選組!を見た。
2004年09月19日 21時14分03秒

点検
朝ジョギングした。今日も暑い朝だった。汗がたくさんでた。午前中先週に引き続き歯医者に行った。念入りに歯垢を除去してもらった。口の中がすっきりした。虫歯になりそうな歯が一本あると指摘された。予言であった。3ヶ月くらいしたら経過を見たいのでまたきてくださいといわれた。そうしてたいてい歯医者にはいかなくなる。でも床屋感覚で3ヶ月に一回くらい歯垢を落としてもらいにいくのはいいのだろう。料金も床屋と同じくらいだし。昼からはクルマの定期点検をしに行った。クルマのCDプレーヤーがこわれていたので修理してもらおうと思ったが、これは3年間の保証期間中のため無償で直してくれるみたいで助かった。クルマの点検中、「斎藤一」を読む。歴史小説は書く人によって、人物像がまるでかわってしまう。歴史小説を読むたびに、人にとやかくいわれても、気にするな、と励まされるのである。著者の斎藤一に対する思い入れがすごく伝わってくる本だと思う。家に帰って、カメの水を洗う。甲羅をたんねんに使い古しのハミガキでこする。歯医者が歯垢をけずりとるみたいに2匹のカメの甲羅の隅々までよく磨いた。今日はいろいろ点検する日なのである。夕方買い物があり外を歩いた。くもっていて風が吹いてややすずしい。家のまわりは毎日自転車にのったり、走ったりしているが、歩くときの風景というのはまた違って見える。
2004年09月18日 17時49分40秒

斎藤一
今日は会社の帰りに一度食事をしましょうと複数の後輩に誘われていてそのようにさそわれた場合はぼくが金を出すべきなのだろうかなどいろいろ思い悩んでいたところ誘ってくれたうちの一人が体調不良になったため、今回は中止になっていおつもどおりに帰宅した。仕事の休憩時間中に立ち寄った本屋で、赤間倭子著「新選組副長助勤 斎藤一」(学研M文庫)を見つける。先日妻のお母様からいただいた2000円の図書館の「アフターダーク」を購入した残りである500円とプラス小銭で購入することができた。よかった。来週は休みが多いので読めるだろう。ハリーポッターはいつ読むのだろう。
2004年09月17日 21時03分37秒

昨日は子供部屋の2段ベッドの1階でQと寝たが、夜中こわい夢を見て気が付くとぼくは上半身裸になって、ベッドの横の床でひとりで寝ていた。こわい夢というのはどういう夢かというと夢の中でぼくはマンガを読んでいてそれはたしかに「ドカベン」だったのに読んでいるうちにとても気持ちの悪いホラーマンガになってしまったのだ。今こうして書いているとちっともこわくないが、夜中に目が覚めたときは、そのこわいマンガのカットなどが頭からはなれず目をあけるのも実はこわいくらいだった。そしてぼくはなぜかTシャツを脱いでいたのだった。上半身裸であると最近は夜中では少し肌寒いくらいで、その微妙な肌寒さが悪夢を誘引していたのであると思う。床で寝ると背中がいたいので、Tシャツを着てQの横によじのぼってふたたび眠りについたが、夜明け一時間くらい前に目が覚めたら、やはりまたぼくは裸になっていた。そして今度はQが不機嫌そうな顔をして床で寝ていた。ベッドでくっついて寝るにはまだ暑いのであるけど、一人になって裸であると寒い調整に苦しむ秋にはいりつつある夜明け前だった。今夜は、ベッドで寝るのは窮屈なので、ふとんの部屋で寝ることにした。Qはベッド好きなので、ベットオオと泣いて怒っていたが、さっきいっしょに布団の上にころがって、目をつぶらせて、ここは雲の上なんだよ、ほらおうちが見えるねえ、わあ海に出たよ、クジラがいるねえ、おおアフリカだ、オリックスもいるぞ、おやおや今度はあそこに羊がたくさんいるぞちょっとお父さん数えてくるからね、羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹・・・・羊が93匹くらいまでにQを寝かせることに成功した。今夜は羊の夢を見よう。
2004年09月16日 21時08分03秒

ぶどうの木
昼間は今日もいい天気だった。真面目に細かく得意先周りをした。大阪市内をまわるときは、クルマを駐車場にとめてよく歩く。暑いけど、ときどき日陰に入るとすーっとすずしくなる。いくらかハワイふうだ。ハワイに行ったのがもう何年も昔のように思うけど、今年のことなのだった。オリオリバスという巡回バスに乗って、ワイキキからアラモアナショッピングセンターに買い物に行った。あのときも暑かったけど、日陰に入るとすーっとすずしくなった。どこか遠くへ行きたいような気分になった。ラジオを聞いていたら、何泊何日か忘れたけどJTBツアーでカナダ旅行が5万円というのがあった。思わず電話しようかと思った。カナダというところは秋はとても壮大に秋のような感じがする。国旗の葉っぱも秋っぽい。でも大阪市内をくるくるとまわった。ときどき、公園の横にクルマをとめて休憩した。窓をあけて休憩するとそこはかとない秋の気配があった。夜は教会に行った。わたしはまことのぶどうの木、というところを読んだ。ヨハネによる福音書15章1節から6節。ぶどうの木というのは、ほったらかしにしておくと、あんまり実がならないそうだ。手入れをていねいにすれば、たいていの荒地でも、うまく実を結ぶのだそうだ。そういうぶどうの木の話をきいていたら、聖書の文面がまた違って見えた。
2004年09月15日 22時49分36秒

ハリー・ポッター
朝ラジオを聞いていたらハリーポッターの翻訳者の人が出演していろいろ話していた。NHKラジオはあまり関心がなかったが、先日新選組の脚本を書いている三谷幸喜さんのときと同じく本日もついつい熱心に聞いてしまった。ハリー・ポッターの5巻はアマゾンで予約購入して、ペチカとシュンタが熱心に読んでいる。ぼくは2年前の正月に2巻と3巻だけ読んだ。そのあと、読んでいない。翻訳者の人の話をきいていると、面白そうなのでまた読んでみたくなった。今度まとめて読もうと思う。マンガしか読まないシュンタも熱心に読んでいるのだからすごい本であると思う。2巻3巻もたしかにおもしろかった。1巻目は映画を先に見たので、そのせいか、そのあと読んでいない。こういうところから考えるとぼくはみんながおもしろいというから読んでいるのであって、心からおもしろがっていないのかもしれない。しかし気になる。ハリー・ポッターはずいぶん成長してしまっているらしい。
2004年09月14日 21時31分59秒

まわしぐるま
クルマのフロントガラスごしに見上げる空は青い色がすこし薄くなった感じで涼しげに見えるけど、外に出ると暑さはまだまだ激しい。だまし討ちのように激しく暑かった。今日はクルマをおりていろいろ歩き回ることが多かったのでくたびれた。夕方になるとあたりは涼しくなる。夜から朝方にかけて涼しい。とても気持ちいい。2、3日前の真夜中もすずしくて、このところたぶんそこが一番風通しがいいせいか、回し車の上で昼間も夜もベターっとのびていたハムスターのてんちゃんが、ものすごい勢いで回し車をまわしていた。真夜中にしゃらしゃらしゃらときこえる回し車の音は、タイミングによってはちょっとこわくきこえる。
2004年09月13日 20時28分56秒

留守番の午後
今朝は7時半に目が覚めた。週の始まり、今週も、元気に行こう。自転車にQを乗せて教会に行った。今日はQはいい子だった。素直に礼拝に出て、おはなしも聞いて、分級にもぼくがつきそわなくても先生と遊んでいた。今日は牧師出張のため、執事の人が、説教をした。水曜日に読んだ創世記のバベルの塔の箇所だった。礼拝が終わると、Qが子供室でおしっこをもらしていた。2階の子供室でおにいちゃんたちがゲームをしているのを見ているのに夢中になり、おしっこにいこうとおもったときにはすでに手遅れで1階におりるまでにもらしてしまったのだ。ふたつ年上の女の子のサンダルにおしっこをひっかけてしまったので、こらQ!とおこられていた。でも、Qはけろりとしていた。そして礼拝が終わってもまだおにいちゃんたちと遊ぶというので、せっかくなので、礼拝後の聖書勉強会に参加した。久しぶりだったので、ひじょうにたのしかったが、とちゅうで、Qが入ってきて、オトウサンカエローといいはじめたので、やむなくとちゅう退席した。しかしまあまあ今日のQはよかった。家に帰るとみんなそれぞれでかけていて、Qは昼寝をしてしまった。雨がふってきた。夕方走ろう。
2004年09月12日 14時10分40秒

土曜の午後の日記
朝はとてもひんやりしていたので、8時過ぎまでゆっくり眠った。それから朝食後ジョギングをしたが、空はとても青くて高くて丸くてああここは太陽系第三惑星地球であったのであるとあらためて気づいた。午前中、歯のぐあいが悪いようであったので、歯医者に行く。虫歯はなかった。歯垢を念入りに削り取られた。床屋に行くみたいに歯医者にも定期的に行って歯垢をとってもらったほうがいいのだろう。鏡をもたされて先生にほらここにこんなにとかピンセットで歯石やら歯垢をこそぎとったのをつきつけられるのはあまりよい気分ではない。なんか自分の口の中がとても不潔に思えてくる。悲しい。ぼくの人生の中で数少ない合コン経験というものがあって、大学1年生のとき歯科技工士の専門学校の女の子たちと合コンが執り行われたことがある。そのうちのひとりの人とは、その後一度だけデートをしたことがある。しかし、どうもその人とも話もあわなかったようで、その後二度と会うことはなかった。そうそう、次会おうと約束をしているうちにぼくはなぜかヨーロッパ旅行に行って、そこでとてもかわいらしい鼻の大きな色の黒い髪の毛の硬いふたえでタレ目の女の子とであったのだ(そして数年後その人とそのまま結婚してしまうのだった)。そうしたら、その歯科技工士のたまごの人のことなど忘れてしまったのだ。しかし、人生にもしもがあるとするなら、ぼくがその歯科技工士の人とまかりまちがって結婚したとするならば、歯の健康上ずいぶん便利であったのではないかと思う。話もあわなかったといったって、妻ともたいして話はまったくあわなかったりするので、べつにそうであってもよかったようにも思わないこともない。いやいやしかしやはりそういう人を便利かどうかで判断するのはいけないなとも思う。しかし便利でもなく話しもあわなくてもつなぎとめる最後のきずなというのは・・・子供だろうか?いやいやこれも悲しいことだ。結婚というのは、夫婦の関係というのは、そこで苦闘することに価値があるのである。苦闘の中でなにか真実はあらわれるのである。なにごとも。ところで合コンといえば、もう一回、これはナースの卵の人たちとも執り行ったことがあった。ナースのたまごの人は全寮制の専門学校生で、その寮はキリスト教系だった。そしてその人たちはふたことめにはこんなに遅くまで飲んではシスターに怒られるなどといって、結局オールナイトの映画まで見て帰っていった。ロバートデニーロが出てくる映画だった。シスターがシスターがという声のほかはその女の子の顔も、映画の内容もさっぱり覚えていない。そのように若い頃はいろいろな局面で、朝になるまで、どこかさまよっていたりすることがよくあったように思う。でももしそのシスターがシスターがという女の子とまかりまちがって結婚していたら、歯のほうはともかく、肉体の健康上妻がナースであれば、非常に便利であったのではないかと思う。さらにシスターがシスターがというくらいだから、きっと教会にでもいっしょにいってくれたかもしれない。しかししかしやはり合理的には人生は行かないのである。ぼくは非常に早く結婚して、とくにここ数年はおどろくほど、生真面目な毎日を送っている。おもしろくもなんともない人生を送っているのかもしれない。でも、なにをもって面白い人生なのだろう。というようなことを昨日は渋滞の車の中で考えていたのだった。ただ、ときには、ご苦労様です、いつもたいへんですね、わたしたち家族のためにありがとうと、ナースでもなくて歯科技工士でもないし、ときにはいろいろな局面でぼくに対して抑圧的でもある妻からやさしいことばをうそでもいいからひとことでもかけてくれたらいいのにな、とも思う。だけどそういうことを期待してはいけないんだ。苦しいこともあるかもしれないけど、苦しみながらいっしょうけんめいどうしてだろう、どうしてだろうとうんうんうなることが大事なんだ、神様はうんうんうなるときにもそばにいてくれるのだ、ということをかんがえて、ぼくは昨日幸せだったのだ。・・・・そして今日、ぼくは、歯医者にいってきたのだった。そしてその帰り道、本屋に寄った。村上春樹の新刊が売っていた。「アフターダーク」。夏休みに妻の実家に行ったとき、妻のお母様より図書券を2000円ぶんいただいた。その2000円図書券を子供たちのために差し出せと妻に言われたけど、これは、わざわざお母様が、本好きのぼくのために特別にくれた図書券なのだ、と抵抗してなんとか、奪われずにすんだ。きをつけないと、すぐになんでも子供のためという名目で、いろいろなものがぼくから奪われるのだ。アフターダークは1470円だった。だからあと500円残っている。コロコロコミックのためにはつかわせない。なにか文庫本を買おう。それで今からゆくりアフターダークを読もうと思って、いまのうち日記を書いておこうと思ったら長くなった。

午後は、きょうは妻はシュンタの野球の手伝いにQもつれて行って、ペチカはピアノの稽古に行っていたのでヒマではあったのだけど、アフターダークは夕食後電気を消して子供の部屋で、シュンタの机のスタンドの灯りだけをつけて、読んだ。真夜中の出来事。ぼくはそういえば真夜中に出歩くことなどさっぱりなくなった。真夜中に出歩くことを思い出して切ない気持ちになった。小説の内容自体は、もっと長い小説のプロローグのような感じがする。それでこれからどうなるのだろう。ひとりひとりの断片的に登場する人物たちはその切り口が魅力的に感じることもなくはないが、なにか物足りないようにも思った。そう思うが、村上春樹の小説は好きなのでとくに不満はない。不思議な夢が見れそうだ。
2004年09月11日 14時58分19秒

こうふくになさけなく
今日は朝から曇り勝ちであり、日が暮れて会社から帰るときはすずしいくらいになった。雨にはうまく降られずに帰宅した。しかし仕事中にまわった先では大雨だった。大雨で阪神高速が渋滞していた。渋滞の中、ラジオをききつつ人生について考えた。人生について考えるとしばしばとても情けない気分になる。渋滞の高速道路でぼくはしばしば泣きたくなったものだ。しかし、教会に毎週いくようになっても、情けない気分になることもあるし、現実の状況はなにひとつ変わらないのにもかかわらず、そのまま絶望的な気分になることはないのである。どんなことがあっても、ぼくはクリスチャンになれたのだ、イエスさまがどんなときでもいてくれるのだ、と思うと、とても幸福に情けない気分になれるのだった。そういうふうにして雨の中渋滞をすごし、会社にたどりついたら雨もやんでいたのだ。すずしい夜だった。
2004年09月10日 22時01分03秒

なんときのうも
なんときのうの夜も地震があった。今日はもういいかげんにないことを祈ろう。
いつもふとんの上でなにもかけずにTシャツと短パンをはいて眠っているが、今朝は春先以来ひさしぶりに寒くて目が覚めた。ここ数日は子供の部屋にふとんをしいて、子供ふたりの2段ベッドの横にねている。つい最近までお盆休みが明けてからずっと2段ベッドの1階で、Qとふたりで寝ていたのだけど、あまりにQとくっつきすぎで、Qが甘えん坊にありすぎるとの強い抗議が妻よりあり、Qは妻とふたりで寝かせて、ぼくはしばらくQとはくっつかないようにしたのだ。そして、Qがいない布団で目を覚まし、ふと横を見るとシュンタが、うすい夏がけ布団にくるまって心地よくねむっていたので、いっしょにくるまろうと思って、ベッドに入ったが、シュンタは大きくなってしまったのですぐに暑苦しくなって、また布団にもどった。肌寒さをかんじつつうとうとしているうちに明るくなった。それでも昼間はまだまだ暑かった。暑かったけど日が暮れるのがはやくなってきた。6時をまわるとどんどんくらくなる。冬になって日が早くくれて、ラジオの野球中継が終わって、仕事を終えた頃民放法ラジオで懐メロ番組を聞くのがとてもすきなのである。仕事が終わる頃にしっかり日が暮れるのは、いいものだ。冬はさっさと日が暮れるからあまり働いていないようでも働いたような気になるし。だんだん夏も終わって秋がくるなあと暮れていく6時過ぎの空を見ながら思った。空には地震雲というのがあるという。雲を見ながら、ほら、あれが地震雲だ、あしたは絶対地震がくる!と高校生の頃いつもそんなことばかり言っているやつがいた。でもあたったためしがなかったように思う。そいつもへんなやつだったけど、どうして、いいかげんなことを真剣にいってそれがやはりいいかげんであることがあきらかであったのにもかかわらず、そのあともまったく気にしないでいいかげんなことを自信にあふれつついいつづけるやつが世の中には多いのだろうかと思うのである。
2004年09月09日 20時40分58秒

ゼロへぇー
寝ていて気づかなかったが、昨日の夜中もまた地震があったらしい。こうやって細かい細かい地震が続いて、うまく地面の下からブウとなるおならみたいなやつが、スっと抜けて、壊滅的な地震が起きたりしなければいいなと思うけど、東南海大地震が起こるのは、今回とは違うメカニズムで起るらしい。今夜も揺れるのだろうか。今日は水曜日なので、教会の祈祷会に言った。今日は、創世記の11章1−9節。バベルの塔の話。「さあ町と塔をたてて、そのいただきを天にとどかせよう。そしてわれわれは全地のおもてに散るのをのがれよう。」そんなふうに人間は思い上がり、その結果、神の介入により簡単に地に散らされてしまうのだった。別に地震のためにこの箇所を選んだわけではないだろうけどここ数日感じたところとつながる部分があった。

家に帰ると、子供たちは「トリビアの泉」を見ていた。ちょうどちらりと見たときには「近藤勇は3人お見合いしたうち一番ブスな女性を選んだ」というのがあったが、そんなことは、ぼくには、ゼロへぇーなのであった。そういうことに小さな幸福を覚えた夜だった。
2004年09月08日 22時32分54秒

朝会社に行くとまたぐらりと揺れた。よく揺れる毎日だった。午前中はよく晴れていたけど、午後からだんだん風がはげしくなってきた。夕方会議をしていたら事務所が風でグラグラしてきた。また地震かと思ったほどだけどこれは台風だ。風は吹いていたが雨は降っていなかったので、自転車で帰宅。風に乗ってときどきとても早く走れたけど、ときどきおもいきり向かい風になったりもした。家に帰るまで風に吹かれまくりなのに、汗をたくさんかいてしまった。風がごうごうとうるさい夜。
2004年09月07日 21時19分44秒

毎日
昨日、夜夕食を食べているときに、がたがたと音がして、ああ、雨がはげしくなってきたのかな、と思ったけど、それにしては、なんだか窓だけではなく部屋全体が揺れているなあ、と思ったら、それは地震だったのだ。実際はそんなに何分も揺れていなかったと思うけど、ずいぶん長く横に揺れていた。念のため家族一同食事を中断して、テーブルの下にもぐった。家族がひとつになったようで、よかった。この程度でよかった。と思って、眠るころには地震のあったことも忘れていた。そして布団に入って眠っていたら、夜中の12時、またまたグラグラ揺れた。がばっと起き上がって、家族みんなをたたき起こしたのにペチカは眠い眠いとまったく起きない。Qもすやすや寝ている。シュンタはわあこわいこわいと部屋の中を一周して、またパタンと布団に倒れて眠ってしまった。地震はやがておさまった。部屋の中はとくに散乱することはなかった。地震というのはおそろしい。こどものころは関東に住んでいてまたふたたび関東大震災がやってくると言い聞かされて育った。大阪に転勤になったときは、これで地震とは無縁になれるなと心のどこかで思っていたけど、引っ越した翌年にいきなり大地震であった。関西では東南海地震というのが近い将来必ず起こるのだそうだ。それは昨日の地震の比ではないくらい大きなものになるらしい。今日は仕事中ラジオをきいていたら、地震の話が各方面で多く語られていた。時々日常生活というのはもう永久に崩れることのない、息苦しいくらいまでに確定した世界のように思えるが、こうして生きているのは、ほんとうに、恵まれていることなのである。ちょっと外国に目をやれば、イラクでは戦争が起こっていて、ロシアでは学校でテロが起きてたくさんの子供が殺されていたりする。そして国内であってもいつどこでどうなるかわからない事件事故がたくさんあるのである。ありふれた毎日はとても大切なのである。そして明日はまたまた台風がやってくるらしい。
2004年09月06日 20時56分19秒

うたわないQ
今日はシュンタがまた別の野球の大会の開会式で開会式行進要員として妻と朝からでかけ、ペチカは地区の運動会、ぼくとQとふたりで教会に行った。3日続けて教会である。教会の中はすでに昨日の葬式の祭壇はなくなっていた。今日は教会学校の幼稚科の子が、礼拝後、前に出て歌をうたって挨拶をする日だった。幼稚科といっても、教会にくる小学生未満の子は多くても5人くらいしかいないが、今日は、Qともうひとりの5歳の女の子とふたりだけだった。Qは朝から寝不足なのかなんなのか、ずっと不機嫌だった。この2週間ばかり、この幼稚科の「発表会」のために、歌う「愛をください」というこども賛美歌を、毎晩特訓して、あと自分の名前と年齢を直立不動で言う練習も行っていたのだけど、残念ながら昨年と同様に、人前に出るとQは、いやだいやだと泣き叫んでぼくから離れなかった。Qよりはひとまわり小さくてでもとてもしっかりしている5歳の女の子は元気に歌っていた。とても残念だった。教会学校のリハーサルでは、元気に歌って、さらに牧師先生のモノマネまでしていたのに、どうも人前でなにかするのは得意ではないようだ。そのうち元気に歌う日もくるだろう。
2004年09月05日 16時45分25秒

スポーツ刈
朝7時にめがさめる。一時間ジョギングをして、走りながらやはり今日の告別式にも出席しようと思い、朝食後教会に行く。今日は昨日よりも参列者が多かった。教会員の小さな子供たちの姿も見えた。祭壇に故人が好きだったという赤いバラがたくさんが飾ってあるだけのシンプルな葬儀だった。
花輪とか、派手な霊柩車のない葬式というのははじめてだった。非常に得るものがあった。

昼からはうってかわってシュンタの野球の運転手として、少年野球の大会の開会式で藤井寺球場に行く。運転手のぼくのうしろには、3人のお母さんが乗っていた。ずっとおしゃべりしていた。ぼくは慎重に運転して非常に緊張した。藤井寺球場のまわりはとても普通の町中であった。プロ野球のホームグランドであったとは思えないほど、地味な町だった。藤井寺球場もそのうちなくなりそうなので、カメラをもってくればよかったと思った。コンビニでケイタイカメラでも買おうと、球場を出て、まわりはほんとうに地味でなんにもなくて、コンビニがみつかるまで1キロくらい歩いた。そして、カメラを買って子どもたちの入場行進を見た。

夕方雨が降ってきた。雨降る前に床屋に行って、スポーツ刈にした。すっきりした。

読書の夜にしよう。今週は遠藤周作の「銃と十字架」という本を読んだ。ペドロ岐部という人が主人公で、この人は江戸時代初期に国内の有馬神学校を出てキリシタンとなり、そののちマカオに追放されて、マカオから、ゴアにいって、それから中東の砂漠を横切って、エルサレムに行き、そしてローマまで行ってついに神父になった人だ。そして、ローマにとどまらず、禁教令の出ている鎖国日本に潜入して、殉教するのである。この人の生涯はただ殉教へとつきすすむのだった。そして、激しい迫害の中、殉教することができず棄教する人たちもいる。そういう殉教できなかった人たちについてもまるでその存在そのものを否定するみたいに隠しだてするのではなく正面から愛をもって描いている。遠藤周作の本は中一のときに担任の先生がおもしろい本があると「ぐうたら人間学」というエッセイをすすめてくれたのを読んだのが最初だ。そのときはおならの話とかのところでは面白かったが、少し真面目にキリスト教のことを書いてあるところではキリスト教自体知らないのであまり面白くなかった。さらに高校生になり「沈黙」が夏休みの課題図書になった時も、なんでそんな踏絵を踏むことになやんでいるのだろう、さっさとそんなもん踏んで、いいではないか、だから外人というのはわからない、キリスト教なんてややこしい宗教だなまったく、ああ日本人でよかったよかったくらいにしか思わなかったが、世の中に出てから非常に好きな作家の一人となった。ぼくがクリスチャンになることができたのは、遠藤周作の影響も少なからずあるのだろう。また集中的に読み直そうと思う。
2004年09月04日 18時40分43秒

葬式
教会員の60代の男性が亡くなられたで、会社の帰りに教会の葬儀に参列した。仏教式でいうなら通夜にあたる、前夜式という式である。亡くなられた方は直接には知らない。キリスト教らしき結婚式には出たことはあるが、キリスト教の葬式ははじめてだ。ぼくも死ぬときは教会で葬式をしてもらいたいと、心より思った。奥さんから故人の臨終のときの、お話をきいた。癌で相当苦しまれたようなのだけど、最後には、お見舞いにきてくれた人、お医者さんや看護にあたった人、にありがとうありがとう、最後に奥さんに35年間本当にありがとう、天国にいくのだから死ぬのはぜんぜんこわくないけど、もう少し、ながくいっしょにいたかったね、といってから亡くなったのだそうだ。奥さんもクリスチャンであって、本当によかったと、泣きながら笑っていた。1時間のあいだ賛美歌を歌いお祈りをして、献花をして帰宅する。
2004年09月03日 22時10分29秒

ねむい
昨夜は1時くらいまで起きていたが、今朝は6時に目が覚めてそれから東京に行った。そして日帰りで10時に帰宅。展示会に行ってきたので、いろんなブースでおまけをもらった。それから東京みやげミッキーの人形焼きを買って帰った。Qをねかしつけて、いろいろしているうちに日付が変わった。眠い。
2004年09月03日 00時32分48秒

9月のはじまり
今日から9月がはじまった。
今日は水曜日なので会社の帰りに教会に行った。本日の祈祷会ではぼくが、発題者だった。

マルコによる福音書4章1−20節。


11節に、「あなたがたには、神の奥義が授けられているが、ほかの者たちには、すべてが譬で語られる。」
とあります。この言葉は、イエスさまの直弟子以外の人間とっては、不公平で、秘密主義的すぎるような印象を受けます。その弟子たちにこっそり教えた、奥義、というものを、包み隠さず私にも教えてほしいと思います。奥義とは、いったいどのようなものなのでしょうか。おそらく、「奥義」の内容を、箇条書きに紙に書いて、壁に貼り付けて、その前で正座して読み上げても、ただそれだけでは、「奥義が授けられる」ことは、ないのかもしれません。弟子たちの前には、いつもイエスさまがいました。弟子たちはいつもすぐそばでイエスさまの顔を見て、声を聞き、会話をして、食事をして、体に触れることもあったと思います。ただ単に言葉だけではなく、ことばとともに、イエスさまとともにある生活すべてが「神の奥義」であったのだと思います。

しかし、4章のはじめのところで、海辺に集まった群集には、そういうかたちでは神の奥義は伝わりません。あまりにおびただしい群集が海辺に集まったため、イエスさまは海上の舟の上から彼らに語りかけることになりました。舟の上からマイクもない時代に語るのは、大変なことと思います。また、舟の上で語るイエスさまを後ろのほうからでは、見ることができない人も多かったと思います。イエスさまの声は群集にはなんとかきこえたのかもしれません。しかし、こういう状態ではイエスさまと弟子たちがともにあるようなかたちでの深い会話、交流はほとんど望めません。たとえば、こんなことは聖書には書いてありませんが、イエスさまが日々の生活の中で朝、ペテロやヨハネに「やあおはよう」といって、手をあげたり、うなずいたりしたとすると、そのすべてが「神の奥義」になりうると思いますが、群集に向けて「おはよう」というと、ただそれは単なるあいさつの言葉になってしまい、下手すると、お、は、よ、う、というただの4つの音の連なりだけになってそのままなにごともなく通りすぎていってしまうことにもなりかねません。そこには声を発するイエスさまも、受け取る一人一人の人もいなくなってしまうおそれがあります。

コリント人への第二の手紙3章6節に「文字は人を殺し、霊は人を生かす」
とあります。イエスさまが日々の生活の中で弟子に語ることばは、文字に書き写しただけではつたわらない、人を生かす霊の言葉であると思います。群集の中で発することばはしばしば、ただの音声の連なり、命をもたない言葉になってしまい、使い方を誤れば、たぶん人を殺すことばにもなります。しかし、言葉そのものは、悪くも善くもないと思います。いかに言葉を活用するか。そこに生命をやどらせるか。そこでイエスさまは、最も効果的に人の耳に届かせる音声のつらなりとして、たとえばなしを用いました。そしてそのたとえばなしの中に、人を生かす霊のことば、神の奥義を住まわせたのだと思います。

そして、たとえばなしは、きく人に、なにかはっとさせる注意をもたらします。
聞く耳のあるものは聞くがよい、とイエスさまはいいます。

おや、このはなしはいったいなんなんだろう。
ある人はそれでも、やっぱりそのまま聞き流すかもしれません。またある人は、ああおもしろいお話だな、と思って、家に帰ったら、そのことをきれいさっぱり忘れてしまうかもしれません。そしてある人は、そのおはなしの中に生きている神の奥義に気づくかもしれません。そしてそれを知りつつ、世の心遣いと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、たとえばなしの中の生命を殺してしまいます。しかしある人はきっと、30倍、60倍、100倍の実を結ぶのであると思います。3節から8節は、たとえばなしによるたとえばなしの注釈になっているようでおもしろいです。

たとえばなしの中に住んでいる神の奥義はこうしてふるびることなく現在も生きているのだと思います。そして2000年たった今も、聖書を通じて私たちはこの生きている言葉に触れることができます。しかしながら、毎朝聖書を読みながら、窓の外ではスズメがチュンチュンないていて、頭は半分眠っていて、聖書の言葉を読んでいても、何行か読んではっと気づくと、あれ、今、なんて書いてあったかな、ときれいさっぱり忘れてしまうことも多々あります。そのたびに、この箇所を思い出し、あ、今スズメの姿をしたサタンが御言葉をついばんでしまった・・・・!などと思ったりするのです。

しかし、半分眠って聖書の言葉がよくわからないことがあってもあまり深刻には悩まないようにしています。むしろ、そういうときに、この箇所が思い浮かぶということが自分には御言葉がまかれているのだ、とも思うのです。だからその御言葉を受け取る土の器である自分の、この土をせっせとたがやさなければいけないなと思います。

いろいろ困難な状況や情けない状況に出会ったときは、詩篇51篇17節に「神の受けられるいけにえは砕けた魂」とありますが、そのように自分いの内なる土のごつごつしたところをせっせと砕いて、砕いて、そして、あとはその土の中にまかれた御言葉が芽を出して、コリント人第二の手紙4章16節のように「だからわたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」のであると思います。あたらしくされていくなかで、30倍60倍100倍の実を結ぶかどうかというのは4章26節のたとえ話であるように、自分でどうこうできることではなく、まずは、文字の向こうで生きている御言葉を受け止めて、自分の中に住んでもらうことが大事なのであると思います。
2004年09月01日 22時21分21秒

私のホームページへ | Athlete-Olympiaのページへ | メイン | 今すぐ登録