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そもそもNWAとは何か NWAは1949年に米国中西部のプロモーター達によって設立されたプロモーター同盟である。 米国中西部には英国ランカシャー地区からの移民が多く、欧州の伝統的なレスリングスタイルである“キャッチ・アズ・キャッチ・キャン”も一緒に伝わった。中西部ではレスリングはポピュラーなものだったようだ。 しかし、第二次世界大戦によって、プロレスは下火になってしまった。プロモーター達はプロレスの人気を立て直そうと一致団結する。これがNWA(National Wrestling Alliance)の設立へとつながった。「世界選手権」というタイトルを武器に、プロレス人気の復活を図った。初代王者については、よくわからない。その後、加盟プロモーター数を増やしていき、1956年には40近い加盟数を誇った。しかし、同年全米ネットのTV中継が打ち切られる。これがきっかけとなり各地区ごとに世界タイトルが現れるようになる。NWAは独禁法違反、プロレスが賭けの対象から除外されるなど、いくつかのトラブルにも見舞われ、その権限は徐々に薄らいでいく…。こういった状況の中、AWA、WWWF、WWA等の新たな組織が次々と誕生していった。 WWFの前身・WWWFの発足 1960年前半、ニューヨーク、シカゴ、セントルイス間での利権争いが水面下で激化。1963年、ついにニューヨークエリアの有力プロモーターであるビンス・マクマホン・ シニア、 トゥーツ・モント達が、時のNWA世界王者“ネイチャーボーイ”バディ・ロジャース を “鉄人”ルー・テーズが下した選手権試合の判定を不服とし、NWAを脱退。1963年1月、新団体WWWF(World Wide Wrestling Federation)を設立した。初代王者をバディ・ロジャースと認定し、同年4月よりNWAを離れ独自に活動していくこ とになる。 この世界王者の分裂現象が、後のWWF誕生のきっかけとなった。 ちなみにWWWFはメジャーと呼ぶには程遠い小さな団体だったらしい。 1971年にNWAに再加盟するも、1983年にNWAと完全に絶縁し、 WWFヘビー級王座に?世界?の2文字を復活させる。 WWWFから?W?をひとつ削除し、正式にWWFに改称したのは1978年。 また1975年から85年まで、新日本プロレスと業務提携し、 猪木、藤波などがMSGに参戦していた。 1980年は米国マット勢力分布図が根底から塗り返された激動の時代だった。 マクマホン家 マクマホン家のルーツは、1930〜50年頃、 米国東海岸を拠点にプロレス、ボクシングなどの プロモートやマッチメイクを手掛けたジェフ・マクマホンである。 NWAを脱退し、WWWFを設立したのが“二代目”ビンス・マクマホン・シニア。 シニアが1956年、NWA加盟プロモーター時代に、 ニューヨークの“格闘技の殿堂”マジソン・スクエア・ガーデンで初興行をうつ。 後にWWFの本拠地となる歴史と伝統のアリーナである。 そして、三代目がお馴染みのビンス・マクマホン。 ジェフ、シニア、ビンス、そして現WCWオーナーのシェイン…。 マクマホン家は実に4代に渡って興行を生業とするファミリーなのである。 ビンス・マクマホンとWWFの歴史 会場に来ている観客すべてを買い取ることが可能な世界規模の資産家であり、 WWFの悪のオーナーであるビンス・マクマホン。 昔、新日本プロレス関係やWWF日本侵攻などで、雑誌で度々顔を見たことがあった。 私は、書かれていた横柄な態度や発言から「偉大な父の団体を相続した嫌なヤツ」程 度の 認識しかなかった。しかし、近年の情報によると、 かなり大変な思いをして今日の地位を築き上げたようだ。 途中まで |