ここは、J's Web Siteの読者から投稿されたコラムのコーナー。
唯読むだけでなく、自分も意見を述べたい、という人のコーナーである。
バスケットの話題に限らず、何でも良いので下記宛mailで送ってください。
(特定個人を中傷する様な記事や、健全な本siteにそぐわない内容で無い限り、殆ど掲載させ
て頂きます。)


2005年11月3日 英語
昨今バイリンガルなんて言葉死語だろうか。海外生活者・・って言っても香港さ。アジアだよ。
昔は一応英語圏だが、今はどうなるんだろうか、世界の評価はどうなるんだか知らないけど
通じなくなっていることは事実だろう。
ソレより何より私は英語もできなきゃ、広東語もできやしない超堕落した海外生活者なのです。
戦後”ヤミドル”を持ってアメリカに渡ったという日本での上司に言わせれば「大都市では言葉が
できなくとも暮らせる環境と土壌とコミュニティーがある、だから安心するがよい」と私の渡港を
推した。もちろん彼は英語がものすごく達者で外資畑を歩き続けて今は某有名CDメーカーの
社長である。
 
その言葉に甘え日本コミュニティーでぬくぬくと暮らし、日系スーパーで買い物し、日系企業勤務。
友達は皆日本人という”使えない外国生活者”路線まっしぐらに10年を迎えた。鎖国に近いかも。
そんな私に少しずつ、遅ればせながら開国の波がやってきた。友達は日本人だがその配偶者が
外国人というパターンだ。私は彼女達を「ペリー来航」と見ている。
「家でBBQするから飲みにいらして」とペリーさんに呼ばれ出かければ当然他のゲストは外国人。
ペリーさんは英語が達者のため配偶者は日本語を理解しやしない(おはよう程度)。
壁の花になるにも狭すぎる・・・。
よって下手な英語を披露するハメになる。辛い。
平素仕事で使うのは日本語と英語なので、英語を喋る機会はないわけではない。が、私が英語で
会話する相手は香港人であり互いに第二言語であるし、イザとなれば必殺「筆談」が可能な相手。
甘えと互いの語彙の浅さを知り狭い範囲での単語のやり取りがあるだけ。香港人の英語には
過去変化がないし(例:Eat →ate)、日本人には度胸がない。
狭いカテゴリー内での話しになりなんとか分かる。
が、BBQともなるとそーはいかない。会話は飛び、拡散、テンポも違うし、なんせ相手は英語が
母国語。漢字なんぞ私達が「アラビア文字」を見て「こりゃミミズかいな?」と思うのと同じ位だろう。
余談:ロシア人曰く「漢字圏の人は画数が多いから近眼になりやすい ロシア人は少ない。」本当か?
 
英語、英語、英語、英語を話すと〜、頭、頭、頭、頭が痛くなる〜♪ と童謡を歌ってみても仕方なし。
 
周りを見渡せば皆できるんです!英語!本当に。
アメリカ留学5年だの、香港のインター校からカナダの大学進学(このパタンだと広東語もできて
尊敬スタンプ2倍付与)、企業留学ロンドンだ、上智英文科卒、津田塾,外資畑一筋、アメリカの大学院卒
母が外国人の、LAで遊んでいたの、マリファナの購入元が外人だったの、手を出した秘書がアメリカ人だったとか、フィリピンの残党兵だの(これは嘘)・・・・もうゴロゴロぉ〜!
みんなできるんだよ〜!
できないのは私だけなんだよ〜。
なんでできないんだよー、
 
勉強してないからなんでは?・・・うん。
そうそうそう。そうだ。
そう指摘され「基礎から学ぶ中学2年生英語ドリル」を贈られたが数頁で飽きた。つまらん。
もっと興味沸く内容にしなくちゃ、学生は覚えないでよ!文部省しっかり考えろよ!と
こぶしを握り学問進まず。贈られた相手には報告もできず月日が経つ。
 
先週とあるPartyに呼ばれた。特権階級社会(ほら香港って元英国植民地でしょ?)の
官僚のお宅で気さくなPartyだけどゲストは皆「英国夫婦(50歳以上)」。
英語なんてもんじゃない、内輪話のイデオムだらけでアジア娘が入り込む隙間なんてありゃしない。
アマと間違われて飲み物頼まれなかっただけありがたく思わなくちゃ。仕方ないからワイン飲んで
バルコニーから眺めたさ、香港島南側の景色、アバディーンの水上レストランを。
英語だ、英語。英語だよ、と帰る道すがらまたもやこぶしを握ったさ。
 
実は昨日「飲みにいかなあい?」 の誘いがペリーさん2号機から届いた。
気軽にYes! と言ったが、そうだよ、まただ。また英語よぉ〜。
一人は英国人のご主人、一人はカナダ育ちの香港人、一人はアメリカが長い香港人を配偶者に
持つ。独身の女性は私ともう一人・・・・でも彼女もできるぅ〜。
絶対に会話が英語だよ、英語。広東語なんて絶対出てこないよ、中国語も誰一人知らないよ。
英語が上達する良いチャンスじゃないかと言われるが、10年もいてこんな程度かよと思われるのが
辛い。ビール飲みながら英語だよ、英国サッカー事情だの、大リーグだの、ひいては株式市場動向とか、円安に、東シナ海の油田に、北朝鮮事情、ビルゲイツの保有するダヴィンチのノートに、北京の憂鬱、中国ロケット有人飛行とスパイ衛星の関連、に加えてプーケット島でのバカンスに、ケンブリッジの後輩の転職話・・・・
あぁぁぁ〜。家に帰るなりSCMPと日経新聞を1週間分とことん読みこまないと話についていかれないー。
日本を英語で紹介するには・・・
Mr Koizumi visit 靖国 few days ago (参拝はVisitなの?) 
油田開発 油田・・・ oil field ふぅ〜ん。
北朝鮮の後継者 as replace Mr Kim Yon jyoniru  でいいんかなぁ。
そうなったら「拉致問題」も覚えておきましょうか abduct でいいんですかね〜。
告白という名の本が売れてますね〜Mr Jenkinsu published his confess a secret かな〜。
と、いつもアタフタつめこみ英単語をまとめ、ビールを飲みに行くのですが、
中々この話題にHitしないんですよ、
油田の「ゆ」の字も出ずに「昨今の大気汚染たるやひどいもんだ」
北朝鮮でなくて「子供の世話で腰痛になり、今ヨガに通っている」だの
靖国ではなく「昔、香港の卵は魚の味がした」だの。
株式市場ではなくて「飼っている猫自慢」だったりする・・・・
アテがはずれたぁ・・・ これらはSCMPでも政治欄ではなく「Life」 同じく日経でも「土曜版」に該当する。
試験のヤマがはずれた私しゃ仕方なくビールを飲んでニコニコしながら、こぶしを握るわけですな。
 
と、まぁ笑われるのを承知でこんなことを書いておりまして、こんな私でも週1回英語の個人レッスンを
取り「こういう時にゃどう言うんでっかね〜」といつも先生の首を傾げさせております。
千里の道も一歩から、やってりゃいつかは実になるだろう。とボケたことを言いつつ相変わらず文法の
メチャクチャなやり取りを会社でしております。
 
英語なんです、最近のKeywordは英語なんです〜。
 
だからなんだって? 今日のコラムはオチがない。



2005年10月3日 香港パン屋事情

 
昔むか〜し。
朝ごはんに「ふかした饅頭」やママお手製「お粥」を食べていた中国人が
香港にやってきてイギリスの香に惹かれたのか、狭い台所に嫌気がさしたのか、
はてまた資本主義の世界で戦うには朝ごはんなど外でパパパと食べるべし!と
なったのか、皆、朝はお外という人が多い。
 
では、お外とは?
朝から優雅に飲茶? そんな人は引退したじじばばか、観光客。
忙しいし、お金もない香港労働者は喫茶店で麺をすするか、ファーストフード店で
セットを頼む。
それすらもできない超忙しい人達(大半はそうみたい)は、街角でパンと飲み物を
購入し、会社のデスクで食べる。
通勤時多くの人が右手にパンと飲み物持っていますよ、よく見ましょう。
 
そのパン!が今日の議題です。(前置き長し)
 
石を投げれば老人に当たるのは、香港イチの老人の街「ワンチャイ」次の老人の街は
我「北角」。確かに見回せば「老人院」ばかり。一寸話がそれる。
戻そう。
石を投げれば○○に当たる!香港では@銀行A不動産屋Bパン屋C携帯電話屋であろう。
パン屋、多いです。
本当に多い。よくもまあこんなにパン屋ありますねー。感心です。
3軒隣にもパン屋、その向かいにもパン屋です。
そしてどこでも同じよなパンを売り、おなじような造りをし、そして「マズイ」。
どうしてなんでしょ。
来港当時、あまりのマズさに私はパンを捨てました。
昔昔、母がGHQ進駐軍の配給する
パンがあまりにマズくて(プラス脱脂粉乳)給食の時間残して叱られ、持ち帰る道すがら
パンは鳥に与え、脱脂粉乳は袋の下に穴を開けポタポタたらして帰り、家に着く頃には
キレイさっぱりだったという話を思い出します。
あんなマズイものは飲めない!と戦後の食糧難をバカにする話ですが実話です。
ちなみに新潟の実家に疎開していた母は、毎日たらふく白米を食べていたため、
混ざり物の入ったごはんは「貧乏臭い」と食べません。ここに「健康志向」はないのです。
社会科の勉強にはてんで役に立たない母でした。反対に父は「収穫した米を軍人さんに
持って行ってもらったよ、当時はねぇ、芋ばかり入っていたよ」など大活躍でしたが。
あぁぁ〜中々パンにたどり着きません。
 
とにかく香港のパンはマズイんです。
理由をつらりつらりと考えて見ました。
@水   水がマズい。
A小麦  価格重視=質の悪い小麦利用
B牛乳が高いのでケチケチ使うから。
C牛乳 市販されている牛乳は皆、ニセモノで粉ミルク。それを使うからマズイ 
      (同様にクリーム類にも牛乳の影響は及びケーキもまずい)
Dパンとはなんぞやを知らぬ職人が適当に作っている 創意工夫ゼロ。
 
Dの理由は香港全土の飲食業共通の問題です。
これらの理由から香港のパンはバサバサとして、見かけも悪いものになっていると
考えられます。
 
しっとりした、ふんわりした、香たかい、もちっとしたパンはないのかぁ〜!
 
来港時、香港の食事にまったく合わず体重が激減してゆく私をとあるパン屋が救いました。
このパンと永谷園のお茶漬けによって私は生命の維持をかろうじてしていたと言っても
過言ではありません。実話です。
その命の恩人パン屋とは、当時「東急百貨店」(現新世界百貨店)に店を構えていた
サンジェルマンです。九龍唯一のまともなパン屋でした。
所用で出かけた東急に入り右側からなにやら甘い、懐かしい香が私を呼びました
ふらりふらりと進むと、見覚えのある日本のパンの名前があり、やがて私は小走りに駆け寄り
店に転がり込みました。
右見ても、左見ても日本のパンが陳列されている!小躍りしたのは言うまでもありません。
即、トレイとトンクをつかみ、物色しました。ヨダレをたらさぬよう、涙を流さぬよう気をつけながら。
あんぱん
食パン
あまりの動揺にこれしか買えなかったのです。嬉しくて。
ふと気がつくと私の横には同僚の香港人が居ました、不思議な顔をして。
そして彼女はこう言いました「こんな高いパン買って、近所で3ドルで売っているのに」
そうだろうけど、「いいんだ、いいんだ、あんぱんだもの」と相田みつをのような言葉が浮かんできます。
 
早速電気屋へ出向きトースターを買い、毎日毎日トーストを食べました。
それでも体重は減って行きました。3ヶ月で8キロです。あぁ、人間パンだけじゃだめなんだね。。。
またしても相田みつをです。
 
議題に戻ります「香港パン事情」でした。
パンは中身(具)、外側(生地)、トッピングに大きく分類されます。甘い中身には甘い生地、そこに
アクセントで塩気のあるものを載せる場合があります。いい例が「木村屋のさくらあんぱん」です。
中身:あんこ
生地:甘め
トッピング:桜の葉の塩漬け
日本人の心ですね、毎日飛ぶように売れています。
やきそばパンや、コロッケパンといった「中身勝負、生地添え物」という場合もあります。
それらは「具」勝負。パン屋はパンだけを作っていれば良いのではないんですな。
パンの公式 甘い=甘い、塩っぽい=塩っぽい、具メイン=塩っぽい
これらを平気で無視するのが香港のパン屋です。
外見が塩っぽいから、具も相応のものだろうと予測値で買うと、平気でクリームだったり、
パンプキンと書かれているので「かぼちゃあん」を予想すると「塩味のかぼちゃペースト」であったりも。
さらに甘い生地の上にピザが乗るわ、ソーセージが巻かれていたりメチャクチャです。
うまきゃエエよ。
いけません、つい言葉が荒くなってしまいました。
おいしければ文句も言いません。
でも美味しくないので文句を・・・・・言えませんか。
 
パンは売れます、そこそこに必ず。述べたように香港人の生活必需品だからです。
でもバカ売れはしません、皆満足していないから。どこそこのパンが食べたい!と並ぶ
価値のあるパンは存在しないのです。
パン屋を始める前にパンを習う、パン文化に触れる、新製品を出す、研究するという
気概はゼロなのでおそらくこのコラムを書いた10年後も我が家近くのパン屋では
同じ形の同じ味の同じパンが並んでいることであろう。いや、絶対。
 
最後に香港パン屋のベスト5を発表しましょう。明日からの買い物の指標にして
いただければ幸いです。
 
1 T:TITO (Tin Hau) 図書館脇の小さな店。種類豊富な手作りパンが並ぶ。
               モチモチ度最高。そして何より職人であり波動が高い。
2 リトルマーメイド City Superに店を構える日本のパン屋。小さいし高いのが難点。
            おやつに最適。主食にするには厳しい。
3 ドンク       そごう地下。ゆうに15年はあるだろうこの店。フレンチバケットが美味しいけど
            クッペというミニサイズは焼きあがったそばから消える。夕方には品薄で寂しい。
4 パナッシュ    敷島パン出資。UNY店は品物豊富&回転率の高さに驚く。日系/ローカルの
            ボーダーラインに位置する。ガンバレ&頼むで!
5 ラ・ローズノワール Wellcomeに出店率高し。こってり系、欧米系のパンが主流。ベーグルうまし。
             ケーキが美味しい。最近北角に出店。注目株



1月27日 イギリスの紳士

今夜の相手はイギリスから来たナイト(紳士)である。毎日がハレの諸氏とは異なり
日々是ケの筆者。地味に家と会社の往復に華を添える今夜の逢瀬。
中国返還後激減したはずの白人があたり一面を埋め尽くすのに驚く。こんなにもまだ香港に
住んでいたのか。いるんだねーと見回す。筆者2005年より路線を変更し相手の国籍を問わない
ことにしたため、早速物色にかかる。折りしも髪型を「白人が好むアジアの女風」に変え日々是
手入れも怠らぬ黒髪を振り回す。気分はシャンプーのCM「アジアチカ」。
 
はやる気持ちがタクシーを渋滞から逃がしわずか5分で会場に到着した。久しぶりの
コンベンションセンター。振り返ればB'zの公演で前列正面7列目にて踊りまくり、日本から
来たおっかけの友人は貧血寸前であった。イギリスからやってきた色眼鏡の太ったピアノ弾き
エルトンジョンの公演では友人と共に睡魔に襲われ、Kinki Kids公演では「この子達の歌って
知らないんだけどー」とのたまいトイレに呼び出されたものだ。香港にいると案外公演に足を
運ぶ機会があるものだと思う。
逃した獲物としてはホイットニーヒューストンとローリングストーンズ、プリンス、デビットボウイ
だろうか。
そして今夜はSting! あのポリスのメンバーであったSting!(と言いながらポリスって何?)
日本で言えば誰だろう、、という設問に友人はこう答える「谷村新司」 筆者回答は避けよう。
今回は新司の公演、もといStingの公演を報告したいと思う。
 
開演時間をとうに過ぎても席は一向に埋まらず開演8時香港時間8時半照明は落とされ
ドラムの音が鳴り出した。正面に立つ黒いスーツを召した男、それがStingだっ!
もさもさしていた観客は焦って席へ向かった。実は満員である。
最後尾の席からだと彼は長さ7センチに縮小され表情は特大スクリーンに頼るのみ。しかし音は
声は高性能マイクにより確実に鼓膜を震わせ観客の大脳に届けられる。
ほ、本物だ。あの声、かすれつつ、高音、渋く低音、ふるわせ、時にささやくように歌ってゆく。
 
彼の声は楽器だ、様々な音色、幅を使い分け曲を彼の色に染めてゆく。
おたまじゃくしの羅列がメロディーになり、歌になる。
昨今ミキシングの技術により下手でもCDになるとうまい歌手が激増しているが彼は違う。
CDと同じ、生でそのままStingだ。
世界狭しシンガー多しの中で世界ツアーを組めるシンガー。当然だろうがレベルが違う。
 
2曲目懐かしいポリスの名曲が流れる。洋楽に疎い筆者がポリス、Stingを知るたった一枚の
アルバム収録曲だ。名曲「Englishman in NY」Jazzテイストの高い曲に仕上がりピアノの音に
鳥肌がたつ感動。極上のアレンジは他の曲にも言え、新鮮に蘇る、馴染みのある曲たち。
コーラスの女性と見つめあいながら歌い楽器のソロも織り交ざる。
彼はシンガーだとばかり思っていたがアーティストなのだと再認識。
歌だけではないのだ。 
シンプルな舞台に濃紺、マンダリンオレンジの照明が美しい。
全てが上質な公演を大人の観客がこたえる。
 
いつしか筆者は彼の背中ばかり見ていた。背中の美しい男だ。ギターを弾きながら、背負いながら
背中の美しいカーブはゆるりと着たスーツの中でほどよい空間を保ちながら色気を放つ。
動くたび服がほのかに揺れる。白の袖口と襟が品の良さを強調する。
う、美しい。立ち姿の美しい男などそういるものではない。
髪は後退しても美しさになんの影響があろう。背中だ背中。首だ、手だ、指だ、色気だ!
 
心残りなのは映画「トーマスクラウンアフェアー」の主題歌が聞けなかったことであろう。
終了後倒れそうになりながら、友は「大人だねー」「来て良かったね」「ステキだねー」と
感嘆の言葉を並べる。
「目福ね」「女性ホルモン全開だねー」「もう妊娠しちゃうよ」。。。と筆者も大人の感想。
人は同じものを見て聞いても受取り方は異なるのである。
黒いスーツを妙に買いたくなり、今朝は彼のかすれた歌声で身支度を行い、明日のディナーの
予約を入れる。ひとつの公演の効き目は24時間。そろそろ切れる頃か。CD買って再注入か。
目も耳も心もホルモンも喜ぶSting公演、香港ではたった一夜の出来事であった。
 
 
 
 



9月12日   帝国ロシア

負けた。。場内の灯りが落とされ音楽が流れ幕が上がった直後、私は素直に負けを認め
心の中白旗を振った。静止からダンサーが一歩、二歩と歩き舞台中央にライトが集まり、
白いコスチュームをまとい、白い肌をしたダンサーを一層引き立てる。
ライトを吸い更に美しくなる彼等は、いくつかの「パ」(注:バレエのポジション)の後
足が宙に上げ、サテン地のトウシューズは頭のはるか上にまっすぐしなやかに伸びていく。
細く長い足は舞台を踏みしめる時も宙にある時も、シャープにまっすぐであった。
そこに関節も膝小僧もないかのよう。
帝国ロシアを経て共和国連邦になり、国名が変わろうともこの地の人々が持つ遺伝子
に何の変化があろう、顔は小さく、目は深く大きく蒼い。金髪に白い肌。アジアの女が欲してやまぬ
美の要素を生まれながらにもち続ける彼ら達。足は長く、背も高いのは性別の差なく享受する。
 
ロシア。遠い国よ、言語も文化も情報に乏しく歴史で学ぶ幾つかの出来事が更に遠い国へと
仕立て上げていた。それもほんの3年前までは。
しかし身近にモスクワ出身の人が現れ食からのコミュニケーションを日本語ではかる機会に恵まれ
るといきなり近くにやってきた「ロシア」。それは21世紀にふさわしい欧米への扉であった。
社交界で”政治と宗教の話はタブー”とされるが、農民の血を引く私はある日彼にこうぶつけてみた。
「北方領土を返してくれ」
紺碧の大きな瞳はまばたきもせず、声色ひとつ変えず、にこやかに彼は答えた。
「仕方ないよ、ロシアのものだから」
君は外交官か弁護士か。回答は短くそして問う者を煙に巻き、言葉を継ぎ足させない。「返す、返さない」
以前に「土俵に乗らない」「交渉を受け付けない」その姿勢に偉大さを感じたのだった。
しかし草の根外交ならぬ友人関係にいくつかの島はなんら影響を及ぼさない。背中からボールを
投げつけることもせず、靴の下にバナナの皮を置くこともせず。時折「物不足は解消されたか?」と
冗談を言うに留めていた。
体格と同じに寛大な彼はいつもニコニコと笑っていた。
彼の足は長く美しい。そして白い肌をしている。髪こそ少しブラウンがかっているもののこれ以上ない
青さの瞳である。これらに惹かれる女性がいてもおかしくはない。やはりロシアの遺伝子だ。
 
彼のような風貌を持つ男女が舞う今宵の公演「エフマンバレエ団プレゼンツ チャイコフスキー&
レッドジゼル」 From サンクトペテルブルグ In 香港文化中心
舞台前より2列目に陣取った私は連邦&帝国崩壊後も文化と芸術の蓄えによって今も一目も
二目も置かれるロシアという国の偉大さと、それらで外貨を稼げる力。新興アジアの国には
出来ぬ芸当。のっけからカウンタパンチを食らった私は、舞台が進むにつれ、自分がその舞台に
立っているかのような錯覚さえ起こしていた。
何故だろうか。
それは完璧な踊りにはアラを探す必要がないからである。ヒヤヒヤすることはない。回転、着地。
失敗するのではないかと思う必要などなく全てが余裕をもった動作をこなし微笑みさえ観客に
向ける彼等の舞にいつしか意識ごと吸い込まれていた。
 
衣装から時折落ちる一筋の羽、着地にわずかにしなる床、上気し頬、上下する胸元までも見える
2列目の席から見る舞台はバレエという芸術とはこういうものだと私に訴えかつ、寄せ付けない。
「さぁ、来るならおいで!やれるもんならやってごらんよ、でもバレエはこういうものだよ」と舞い語りかける。
「自分がその舞台に立っているかのような錯覚」と「寄せ付けない」と相反する言葉を使うがそれは
言いかえれば
「憧れをもってバレエを始めた少女が白いコスチュームを着てレッスン場にいる。
周りは高く、美しいバレリーナばかり。皆意地悪い笑みを浮かべ『やってごらん』と少女に言う。
かなうはずはないのは少女が一番に分かったにもかかわらずだ。やがて壁の華になる少女、
舞台を降りた。そして2列目という最も近い場から彼等を羨ましそうに見つめ、拍手を送る。」 
そんな物語を無意識下演じていた。 
 
やがて
己の肌や足を見つめため息をつくのだ。いくら経済が発展しようが、鍛えようが彼等にかなう
はずがない。地球ができたその時からこの現実は分かっていたはずじゃないか。
今から変わるはずのない肌の色、髪、瞳、足の形や骨の位置。
消え入りそうになる「いつかは私も」という希望を手の平で囲み、風から守る。
 
師匠は言う「必ずできる」
ロシアは笑う「分かるだろう?」
鏡は答える「黄色で黒で小さい」
目盛は示す「重すぎる」
 
私は次の日、店に行きウエアを新調した。


8月28日   白鳥の湖 第2部


第三幕 まだ続くのだ。
 
この演目は色々な振り付けがあるが今回は「人海戦術」っぽい部分があり団舞が多い。
薄い水色の衣装を身に着けた白鳥というより「湖の水」のような少女達が静かな舞を
するのだが、圧巻であった。幻想的でよろしい。ただ最前列のお太目なお姉ちゃんに
目が釘付けになってしまうのは筆者の置かれている環境がゆえ。
白鳥を追い王子は湖にやってくるが、体力不足のためへたばる。仲間にかくまわれ、
彼から身を隠すオデット白鳥はそんな彼をたたき起こそうとしては仲間に「やめとき!
苦労するでぇ」と制止されるが、振り切って起こす。
もうひとつの見せ場は「四羽の白鳥」で4人が手をつなぎ軽快なステップを踏むのだが
一歩間違えれば「フォークダンス」という舞。
M嬢は筆者の肘をこづきこうつぶやく「クリスマスパーティの出し物でしょう?これ」。。
そうなのだ、昨年はストッキングかぶり芸を披露したらしいが今年はもっと芸術的に優れた
出し物をすべきと筆者は提案する。4羽の白鳥は身長が同じでなくてはならない。
が、人選はたやすいと思う。
表現力に乏しい王子はたたき起こされ愛を再確認し、悪魔と闘う決意をするのだが、
いまひとつ説得力に欠ける。まぁ、仕方ない坊ちゃんだから。もっと色男な王子が理想。
愛の力は偉大だ、悪魔も白鳥に「このヤサ男がいいのぉー!」と宣言された瞬間にガクシ
と諦めるから不思議だ。もっと粘れよ!人の恋路をもっと邪魔しろよ!悔しくないのかいと
茶々入れたくもなるが、彼らは苦心の末めでたくハッピーエンドにて物語は終了と相成る。
 
劇中王子は白鳥を片手でリフトし、そのまま片手で着陸させる。
あぁぁぁ、やはり38キロだわ。ため息が出る。そして接吻する時には白鳥はつま先立ちの
上に足を180度に上げる。接吻も楽ではない。これから日々ストレッチせねばなるまい。
 
どうも着目点が「体重」「スタイル」に傾斜していることに気がつき、少々まともな鑑賞手記を。
M嬢によるとバレエの古典演目で主役というのは踊るパーツも多く、体力勝負になるそうな。
確かに立っているだけでも体中力を入れ、形を作らねばならぬのがバレエ、筆者さえ1時間半の
レッスンで帰り道にTaxiを利用したくなるほど消耗している位だ。
体力がないと技術があっても回れない。何故なら基本姿勢を作らねば回れず、作るには
体力がいるという循環参照。
よくできるよなーと尊敬につぐ尊敬であった。
ダンサーは首筋、デコルテのラインが美しい、鍛え抜かれた筋と筋肉が浮かび上がり、それは
「研ぎ澄まされた」という表現がピッタリくる。
 
すっかり魅了された筆者はカーテンコールにはつい「センセー!」と手を振ってしまった。
日の丸や大漁旗があれば尚良かったと心から反省した。いやいや、このご時世日の丸なんぞ
持参していると中国人に袋叩きに遭うかもしれない。クワバラくわばら。
やはり「おそろいのハッピに長い鉢巻」が丁度良かったかもしれない。
幕が下り場内に灯りが灯されると我々は顔を見合わせ「ステキだったねー」とワイワイ。
そこでそそくさ帰ってはいけない、A嬢のお隣さんとどうやって「お友達」になるかをまず
考えなくてはいけない。
うっぅぅぅん。 
「こ、これからのバレエについて語りませんこと」だろうか。
「今度一緒に踊って差し上げてもよろしくてよ」
いやいや
「今度リフトしてもらえませんか」が正直で良い。
あ、あのぉ、、、!もじもじ。
A嬢故意的傘忘れの技に失敗、しかと手にしている。。あちゃ、ダメだ。
M嬢観客の中に意地悪なバレエの先生らしき人物を見つけ追跡調査中。
うーん、、、。
あ、あのぉ! ★★! 
流し目にやられてしまった! クラリ。
こんな彼と一緒にバレエ踊ったらそりや上達するわな。痩せるわな。
噂の殿方とは、師匠が常にペアを組む男性ダンサーのMr Wongであった。舞台ではガッチリと
美しい筋肉質の体も一枚布をまとうとそれはほっそり、スラリとして見えるから不思議だ。
そしてその首筋に視線、物腰、舞台上とは違う魅力満載。
バレエ鑑賞しに来るとついでに「美しい男」にも近づけ筆者は幸せであった。
翌日の化粧ノリが良かったことをここに報告し、加えると彼の視線にやられたのかA嬢は直後より
「眠い、めまいがするぅぅ」を連発しておった。
恐るべしダンサーよ。
ここに述べよう、男性諸君バレエを習うと男前になれるぞ。そしてモテる(だってダンサー大半は
女の子だ)。回転も出来なくて良い。ただただ、筋肉つけて持ち上げてくれれば良いのだ。
ロビーで殿方を見失った我々は、きっと師匠の楽屋へ行ったものと推測し、後を追うべく作戦会議を
していた。さも関係者風に「師匠の楽屋ってこっちだっったけ?」で行くか?と言ってるうちに
意地悪バレエ先生らしき人物がそばを通ったので、いかに意地悪かをA嬢に説明していたら
やがてお腹の虫が「エエ加減にせぇ」と空腹を訴えてきたので、すぐそばに吉野家が見えたが
「バレリーナにそぐわない料理」と却下し、その奥でトーストとスープを注文した。
「デブはダメね、白鳥踊る資格ないわねぇー!」−筆者 棚が壊れそうだが続ける。
そうね、そうよねぇ。。。。(付和雷同)
「ちょっと食べた気がしないわ、この量じゃ。ニューヨークチーズケーキ食べるわ」
そうね、そうねぇ。。(付和雷同)
本当に筆者達が白鳥を踊れる日は来るのだろうか。
 
濃く、辛く、そして堪能とめまいの白鳥の湖、やはり芸術は好い。
皆様も劇場に足を運んでみてはいかがだろうか。
筆者はこれからも劇場通いを続ける。目的?そ、そりゃぁぁぁ。ねぇ。うふふ。
 
 

8月24日コラム  白鳥の湖


ほのぼのレイクではない。。。とのっけから落とすが好評バレエコラムの続編、
「白鳥の湖」観戦いや、鑑賞独占手記である。

8月21日土曜日午後3時開演 バレエの名作白鳥の湖のチケットは早々と売り切れになり
筆者は八方手を尽くして3枚のチケットを手に入れることに成功した。こういった時の粘りは
我ながら立派だと思う。結果は筆者が師事する師匠、こう表現すると落語のようだが、バレエ
の先生のご尽力により手にいれたチケットはステージ中央最も良い距離の席。チケットに
金額未記入なあたり関係者席と推測する。チケットは受付で封筒に入れられ置かれて
いた。

座席に向かうと隣に座りし見覚えある殿方に筆者達は動揺する。
明らかに他の「間抜けた香港男」や「家族に連れられてきた父」とは一線を画す。
黒のシャツにジーンズ、何のことなき服装なのに色香を漂わす、薄色のサングラスの
奥の瞳も大きく流し気味に我らを見る。
隣に座ったA嬢をこづき「得意の広東語で声かけてよ」「きっかけつくってよ」と筆者。
「ハンカチでも落としてみたら?」「あ、傘わざと忘れたらどうかしら」−M嬢
「そういうの苦手なんだよん、でも彼、普通語だったりして、、」A嬢 (弱気)
「第二外国語普通語だったんでしょ!イケイケ!バリ島での経験を今活かすんじゃ」-筆者
人妻にナンパをけしかける筆者。この殿方とは誰ぞ?ふふふ、躊躇のうちに開演のベ
ルが鳴った。

本公演の主役オデットを務める師匠は5月にバレエ団を退団したが、今回特別ゲストとして
出演されていた。日々我らのレッスン時にはラフな服装にチャキチャキとした物言い、冗談も
連発とおよそ「色気」は感じさせぬが、一歩舞台に出た、いや、出るその第一歩の足が
床に触れるそこから「違う」、30人のコールドに囲まれながら小さいのに空気を一気に
持って行くと華やかさを放出してくる。今宵の演目の真骨頂白い白鳥の衣装も美しい。

「うわっ、センセ綺麗。。」思わず手を振りたくなるが、芸術に連なる身マナーが大事と控える。
精一杯ガマンし「静かにしてくださる、お願いね」と英語でガキ&母親に苦情を伝えるに留めた。
(日本語で表記すると優しいが英語で語尾キツく言ったが、M嬢から誉められた)

このステージは香港内のバレエ教室からオーディションで選ばれたダンサーが出演するため
やおらダンサーが多い。が、白鳥などいくらいても良いのか人数を活かした幻想的な踊りも
ありそれらは前回見たシンデレラを大きく上回る。
まがいなりにも芸術に連なる身、人の失敗を追及する気はないが皆さん意外と足、ぐらついている。
一人は衣装がズリ落ちてしまい途中退出する場面も。
余談だが、意外とお太目なダンサーもいるのに勇気づけられる。いや、戒められる。
白鳥は太っていては絶対踊れない、いやいや、踊ってはいけないものだと痛感した。
ご存知の白鳥の衣装はイヤでも太って見える。顔も大きいと羽のヘアアクセサリーはタオルに
見える。

いくら優雅でもあの悲しめの幻想的な湖の場面では太った白鳥は「栄養たっぷり、元気いっぱい、
色恋沙汰も無関係!」風でよろしくない。
「結構デブもいるねんなー」−筆者
「いたいたいたー、2人くらい。やっぱり重そうだねー」A嬢
「あの衣装は太っていてはダメよ、無理よ、着てはいけないわ」M嬢
「いくらコールド(団舞員)でも太っていたら他とのバランスが取れないわねー」−筆者
自分のことを上げる棚は大きいほど良い。乗せても乗せてもまだ足りない。

物語はやはり王子様を軸に進む。王子は古今東西マザコンと決まっており、来年筆者の配役と
なる「王子の母」は召使を引き連れ参上し「舞踏会で妻を選べ」と指示する。この役は筆者の
当たり役になるだろう、何故って高飛車な動作だけで済むから演技不要。

狩に出た王子は一人(一羽)の白鳥に出会う。夜道に仲間から離れて単独行動(夜道の
一人歩き)をしていた白鳥(オデット)は突然ナンパされたまげる。ひぇっ!こ、困るわ。とうろた
えるのだがそこが腕の見せ所。どこまでも弱弱しく驚き、戸惑いを白鳥になってダンサーは表現する。
右手は左周り、左手は後ろ側に右周り(ゆっくり目)、足は爪先立ち&5センチずつ移動に加え
震えるような雰囲気を出さなくてはならない。

見せ場である。
太っていてはできない。二の腕がタプタプいってしまってはジャマだ。足の震えを表現しているのに
脂肪がブルブル言うようでは台無しだ。それらの音は
「あらぁ、ステキな王子じゃん、ラッキー!もぐもぐ(食べる音)」になってしまう。
あぁ、バレエは技術だけではなくて、それを応用し表現力に変えないといけないのか
と知ると近づきつつあった「プリマへの道」がまた一気に遠のいていくのを感じた。
「もし、お名前を」ー王子 「名乗るほどのものではありませぬぅ」ー白鳥
ためらいながらも一目ぼれ同士の気をもたせるやり取りをしばし楽しむと、パタパタと
仲間の白鳥達の登場である。パタパタパタパタ、ヒラヒラ、やってくる。白い衣装がポップコーンを
頬ばる手を止める。白鳥は首が長く、手足が長くなければならないとまたもや知る。
王子とオデットが悪魔に引き裂かれて一幕は終わる。

「本当にいつものセンセと違うねぇー」−筆者
「キレイだねー、細いねー、片手でリフトされてたから40キロないよ」−A嬢
隣の殿方が席を立ち筆者達の前を通る「Excuse me」だ。
「ちょっと、ちょっと席変える?」A嬢
「だけどなんて言うのよ、私達エリコの門下生なんだけどぉーかしら?」M嬢
「今度持ち上げてちょ!かしら。。」筆者
「なんてもう日本語分かっていて全部理解されていたりして。。」M嬢
「着やせするタイプね、裸の時とは印象が違うわ」A嬢 意味深な人妻の発言。

第二幕
妻選びの舞踏会で王子は自分がいかにたくましいかを表現するべく舞う。かなり荒削りで着地に
失敗しつつも舞う。地方から特色を活かした舞を披露し自分がいかに姫の座にふさわしいかを
むき出しに表現する若い娘っ子が3名と彼女達の召使達による舞で盛り上がった後、
一人の黒い衣装を着た娘っ子が登場する。湖畔で出会った白鳥だ!と王子喜ぶも実は偽者(現在
ならばさしずめクローンか?)で「白鳥」ならぬ「黒鳥」。確かに美しいがこいつはちと意地悪そうで、ニヤニヤして
高慢ちきな舞をしながらも王子を誘惑し続ける。

ここは見せ場は黒鳥の32回転と言って観客の周りを回転しながら一周したり、ステージ中央で
連続回転を見せる。これはもう技術の勝負。クラクラ、なんてしちゃならない。ビシッと決めてナンボ。
白鳥の時は「ヒョロホロ」「うるうる」していたセンセも、黒鳥になったら一気に「ちょっと!あーた」という
勝気な江戸っ子に変身。それがまたウマイ!表現力って必要なんだなーとぼーとしている内に
32回転は寸分の狂いもよろけもなく、万客の拍手を受け終える。

マザコン王子が求婚した後、悪魔と共に黒鳥は高笑いを残し去ってゆく。そこにグットタイミング
どこかで携帯の呼び出し音がなった。
混乱の「王子の母」はステージ中央で「オーノー」と召使に体を支えられ第2幕は終
わるのであった。

さぁ、第3幕に参りますが、ここらで一服。




8月4日コラム  観劇

 

ある晴れた日曜日の午後。私は王子様に会うために黒のワンピースを着て紅をさし

紫外線防止の帽子をかぶり電車に乗っていた。

今日のような日はおめかして出かけるにふさわしいイベントだから。

10分少々目的の駅に着き人ごみを抜けると小さな広場に出る。中世の欧州遺跡に

よく見られる広場を囲むような階段をのぼるとレンガ色の建物がある。

軽く息をせききらして扉を押した。

 

「あら?場所間違えたかしら?」。。。。しばし呆然となる私はあたりを見回し王子様の

片鱗でも見つけようと躍起になった。ダメだ、やはり間違えたに違いない。

渡されたチケットをバックから取り出した。

「合っている」

しかし私の目にはここはどう見ても「仮面ライダーショーの会場」にしか見えない。

ロビーを奇声をあげた子供達が走り回っていた。

嘘だろう。。せめて「セーラームーン声優のコンサート」にしてほしい。

 

この日私が会いに行った「王子様」とは「仮面ライダーのイケメン男優」でもなく正真正銘

王子様である。それも童話の世界の王子様!そのガラスの靴は私のよ。おほほほほ!

 

「香港バレエ団公演 シンデレラ」 会場:沙田市大堂

 

香港にはドレスコードが皆無であるとこの日私は確信した。ほんのちょっぴりおめかしして

出かけた私達以外は見事にみーごとに全員「ご近所ルック」。パジャマ姿がいないのが

精一杯の有様。サンダル、Tシャツ、ジーンズ、ヨレヨレ、ボロボロ、黒ずみ。色落ち、しみ。

完全に「浮いていた」私達を見つけ「ニホンジン、トモダチ、フレンド」とナンパしてくる

オタク男まで登場して幕前からすっかりバレエモードは消えうせてしまった。

後ろではガキが喋り続け、隣ではオヤジがいびきをかき、前ではカップルがお触りまくり

ここはまるで「川崎球場(ロッテ対近鉄)」状態だ。

イイヤ、違うの、違うのぉー!私は「クラシックバレエを鑑賞に来たのぉー」と大声で叫び

たかったが、叫ぶのは前方別の観客がおっぱじめてしまった。

泣き叫び、奇声を張り上げ始めた。やがて係員に誘導され親子共々退場していったが。

どうやら暗所恐怖症だったらしい(想像)

中々バレエの話にたどり着かない。字数も限りがあるため焦ってきた。

とにかく狭いホールで座席幅、ピッチとも「中国東方航空」以下。体重制限もつきそうな狭さに

さすがの筆者もI got feel so badとなる。でも、バレエよ。バレエぇー!

 

ピヨロロォーンようやく始まった。

ピピピ、携帯が鳴る。。誰だよ。。まったくOFFにしろよ。おいおいおい!喋っているんじゃないわよ。

オーケストラの音色に耳を傾ける。ターリラリラーリ

時計のアラームが正時を告げる。ピピピピ!。。。 おいおいおいおい!そんなに忙しいんか!

まったくもぉー。どーなってんだ。

プリマの登場だ。シャナリ、スラリ、ふわりぃ。。。

ガサゴソ、パリパリ、ボリボリ。。。お菓子を食べる音が聞こえる。おいおいおいおい!外で

食ってこい!中で食べてはいけないのは常識やろ!

ついでに「マミー、眠い」。。。。。

おんどりゃ!出てけ!ここをどこだと心得るか!

「仮面ライダーショォー」ではないぞ「バレエ公演」だ!すっかり疲れ果ててついひと眠り。。

 

夏休み開始後初の日曜日は晴天に恵まれ各地でこの夏最高の人出を記録した。

晴天下家族連れの姿も多く見かけ各地の行楽地はどこも大変賑やかであった。

それは「クラシックバレエ公演も同様であった」。

 

途中3回の幕間の毎にオタク君は私達に寄って来ては「フレンド、ヤップンヤン」を繰り返した。

そして終演後私達の後をつけてくる。彼が行き過ぎてから人ごみに身を隠し駅に向かった私達を

彼はホームで待っていた。。。背中に冷や汗がツツツツと流れた。

合わせて戦慄が走る。

闘うなら高さ9センチのピンヒールを脱ぎ手に持ち殴るか。頭でシュミレーションしてみた。

柱に身を隠し電車を一本やりすごし、乗車位置を替え帽子を深くかぶり、友人は手持ちの

スカーフを「真知子巻」にして身を隠した。途中駅を小走りで乗り換え無事帰路についた。

オタク君の手に握られていたのは「セーラームーン全集」であった(事実)

折りしも今宵は満月。

月になりかわりお仕置きをしてほしかったのだろうか。

 

はて肝心のバレエ公演は。。。。

 

 

7月8日 毎度バレエのコラムになるが

最近フランス語を理解するようになり筆者のアカデミック指数が急上昇中である。
お前、英語もロクに話せない上、8年も住んでいて広東語もろくすっぽ理解せず、
中国語においては「おし」状態なのに何をフランス語だなんて言っておるか!
と、賢明な読者及び筆者近隣のお方達は一様に言いたいだろう。へーへー。
分かっております、はい。私とて、別にフランス文学に憧れたわけでもなく、ただ
必需品としてフランス語を覚えなくてはいけない状態になったがために覚えている
だけなのです。?! こりゃぁフランス男にでも恋したか?!
そうなりゃ第二の岸恵子か、中村江里子だ。それも良かろう。香仏を行き来する生
活もそれはそれでマイレッジが溜まってよい。
ちがう!ちがうっぺ!
フレンチ男になんぞ興味はないわい。(言い寄られたら別途検討)

フランス語はね、バレエのポジション名称なの。だからレッスン毎に耳にしてクラスメイト
との会話にたびたび登場するのがどうしても「おフランス語」なのよぉ。
「プリエの後ルルベでアラベスクってとてもトレビアンよねー」なんてやっている。
これが広東語だと
「プーリエェ ねぇー、はう、ごごぉー、ルールベェッヤッ、りごぉーホウホウレンねぇー」 と
なるから恐ろしい。聞きたくないものだ。
フランス語バンザイだ。

さて上記の通り母国語でメモリーオーバーになっている筆者の脳。ブライアンはもう次の
言語を受け付けようともしない。中国語を差し置いてフランス語をどうやってインプット
するのか。ここで覚えられなければプリマへの道も断念せざる得ないのかー!と必死で
考えた。ストレッチをしながら。
要は日本語にすればよい。 なじみの店!じゃない「単語」に置き換えれば良いのだ!と
筆者膝を叩いた!開脚しながら。
例えばこうだ。

フランス語    変換後

パッセ = だって
プリエ = プリン
ルルベ = 久留米
アッサンブレ = アンサンブル 又は 鳩サブレ
ブリッサード = ブリザード (ユーミンの唄にありますね)又はブルドーザー
サンジュマン = サンジェルマン (パン屋。City super に出来た)
フォンデュ = チーズフォンデュ (変換後が長くなる特別なケース)
ブラバー = グラマー
パドブレ = 金くれ
ピケ = 知恵(ちえ)
アンデオール = 編んでおれ
アンデダン =  だんだだん (昔いたコメディアン) なんでだん?でも良い

他 原言語すら覚えていないが「焼き鳥の串」と覚えているものさえある。

本当に私はプリマになれるのだろうか。
少々内輪受けなコラムで申し訳ないっす。


6月15日 「テレプシコーラ」

ここに5冊の漫画がある。
「テレプシコーラ」 山岸涼子 作 。

ペプシコーラ?と首を傾げることだろうが、違う!これは何語だろう。和訳すると「舞姫」に
なる。
ここまで来て賢い読者ならもうお分かりだろう、話題をさらったバレエコラムの第二弾だと。
ようやく両手に足りない回数のレッスンをこなし、仲間も一通り勧誘し終え、生活の一部に
しっかりバレエが根付いてきた2004年初夏。
クラスメイトのN嬢より「必読」と手渡されたこの漫画。少女漫画と侮るなかれ。
これがまた「基本に忠実な本格バレエ漫画」なのです。言うなれば「スラムダンク」のバレエ
版と言えば分かりやすいだろう。
バレエのポーズ、ポジション、現状、心構え、振り付けの意味、更には解剖学まで
まさに本格版なのだ。
そもそもこの作者の出世作「日出処の天子」は20年以上前に世に出た作品であるが、時を
経てもこれを越える作品はないと言われている大作なのです。当然筆者もこの作品は
学生の時に読み、それはそれは感銘をうけたものです。題材変われどまたここに来て
涼子さんにここまでやられようとは。。というのが筆者の偽らざる本音。

前フリが長くなりましたがこの漫画。簡単に言えば「スポ根漫画バレエ編」。
画、題材は美しいがとにかく「スポ根」。バレエへの道は「土星より遠い」ことを美しく知らせてくれます。
バレエ教室を営む母を持つ2人の姉妹は頭角を現し注目を集める姉の影に隠れひっそりと
バレエを楽しんでいたが、同級生(貧乏)のクミは貧しい家庭環境の中天性の才能に加え
元プリマであったおばの指導を受けバレエコンクールでは姉と優勝を争うほどであった。
ここに絡むストーリーには、おばの厳しい指導や親子でも決して甘えられないバレエへの
取り組みが書かれている。
中学1年にして有名バレエ団の公演に準主役として参加しバレエ界の新星スターの誕生と
なったその瞬間アクシデントは起きる。そしてそれは数奇にもクミのおばの人生にからんで
ゆき、はからずとも妹に光が当たってゆく。。。。
というのが5巻までのお話。

ジャンプして空中で足を組み変える技がありそれを「シャンジュマン」と言うのですが、おばは
まだ小学校5年のクミに向かい杖を振り回し「シャンジュマン100回!」と怒鳴り本人は
長風呂しちゃいます。そしてヘロヘロになったクミに向かい「休んでもいいが開脚したまま」と
命じ本人はステーキ、サラダ、アップルティーというディナーを取ります。
バレリーナは炭水化物を取りません。
バレエは上体を引き上げ、足はしっかり床に押し付けてという「身勝手」な姿勢を余技なく
されます。それをおばは「頭は宇宙につながっている!足は地球のマグマにくぐもり。。。」と
怒鳴り続けます。
しかしこのおば、謎多き人物。西洋カブレなのです。

ここまで読んで同じく漫画の「ガラスの仮面」を連想された方も多いでしょう。それはまだまだ
甘いのです。私は「金メダルへのターン」を即思い出しました。知っている方恐らく45歳以上?
こちらの話も水泳に身を投じた姉妹(やはり姉が頭角を現す)がライバルの登場に燃えながら
オリンピックで金メダルを獲得するまでのスポ根モノなのです。姉は不注意と驕りから水泳を
二度と出来ない体になり、妹に夢を託す。ライバルの「海門」は佐渡島出身。100メートルを
無呼吸で泳ぎ姉の記録を2秒も短縮してしまう。そして妹は姉の厳しい指導(ダイエットもあり)で「とびうおターン」を開発し姉妹の夢が叶うまでの物語でした。
やたらよく覚えているんです。この漫画。

N嬢から借りて以来毎日欠かさず読んでいたこの漫画に魅せられて筆者はバレエに向かっている。バレエへの道は土星より遠いのだ。まだ月にもたどり着いてないアポロ13号になって
しまうのか?
まだ足は180度に開かないし、額をつける予定の床も遠くにある。都度のレッスンで足はつり、
筋が痛み、翌日は体中がギシギシ言っている。
でも、レッスン後のあの覚醒はなんだろう。やおら目が冴え元気になる。
レッスン場に流れる空気には微量のコカインが含まれているのかもしれない。

念願かなって始められたバレエは力強いお仲間の支えもあって無事元気に継続している。
次は「レオタードデビュー」が目下の課題である。帰国したN夫人からも「現実を直視せよ」と
いうメールも頂戴している。
ますます活かされる「淑女協定=人のことは笑わない、口外しない」。
バレエショップに行き、まずは物色から始めよう。
バレエには「テレプシコーラ」と「レオタード」が2004年後半のテーマなのである。

5月11日 ballet


目下うつつを抜かしている「バレエ」について知りたい諸氏も多かろう。
鉄の壁が厚く中々情報が出てこないが故に興味も沸いているに違いないがそれには理由
がある。それはこのバレエレッスンを始めるにあたり、ひとつの淑女協定が存在するから
である。
「他人のことは笑わない。口外しない」
私がバレエを始めるにあたり、友人と固く誓ったこの協定が鉄の壁を作っているのである。
J Girlsの結束はさすがである。。

折に触れ「何故バレエ?」と聞かれる。 クラスメートのN嬢にも聞かれた。
30代も半ばになり何を今から、おっぱじめるんじゃい?が周囲の冷静な目線であろう。
それは充分承知している。
が「バレエ」なのである。

やがて終わりを告げるのは「バスケ人生」。そうそう長く続けることは体力知力時の運からして
無理だろうと筆者は判断した。確かに50歳を越えてもできるには出来るだろう。しかしそれは
若い頃しっかり技術、体を作り上げた貯金で食っているのであって、多少かじった程度の
腕前に衰える一方の体力を掛け算してみても、およそのことは分かる。
皆は貯金があるが筆者にはない(実生活同様)。
よくやって後数年。バスケとさようならする時がくるだろう。そうなった時体を動かす場を確保しておかなければならないと考えた。
まだバレエまで辿り着かないが、First Step はこうだ。

ハイキング?トレッキング?ひいては「チョモランマ登頂?」こりゃ和泉雅子道まっしぐらだ。
それは勘弁。手軽な所で「丹沢登山」こりゃ、50代から始めても良かろう。
南極単独歩行を目指すわけでもなく、辛い目に遭いながら完歩した挙句大金を寄付する気もなく。では、テニスと行くか?と思いつつテニスは3年前に開始済み。炎天下4時間プレイが災いしてシミを作った苦い過去がある。テニスはいい。40歳になってからでも再開しようじゃないか。さ、今、今!開始しないとこの先絶対始められないものは、なーんだ!と自問自答の日々の中一枚のDVDを見ていた。「マトリックス」である。
メイキングシーンやキャストのコメントを注意深く見ていると、いくらCGが発達しようとも、俳優本人が動けない(ポーズを作れない)と形にならぬことを知る。
ここに収められているトレーニングは8ヶ月となっており、トリニティーちゃんもしっかり「キック」をしているではないか。CGではなかったのだ。
やがて、違うお姉ちゃん(船長役の女性)の「ヨガをやっているからできると思った」というコメントが耳に入ってきた。
そうか、、ハリウッド女優になると日頃から鍛えるだけでなく、何かコレ!という役に立つものを
やっているのだな。オファーが来た時に慌てないように自分自身に貯金をしているのか。。。と
目から鱗が落ちたわけである。今からハリウッド女優を目指すわけではない。
ここまでで、Second Step なのである。

筆者はインタビュー記事を読むのが好きである。サクセスした者が語る言葉には必ず確固たる意思や強いPowerが織り込まれているのだ。スポーツ選手に始まり、大福好きの社長の記事まで、とにかく良く読む。
いずれは「徹子の部屋」ならぬ「○○の部屋」を作りたいとまで思っているのだ。
英単語は忘れるが、人の話は覚えている。
銀メダルを取ったシンクロスイミングの日本チーム 「昨年からバレエを取り入れ動作にしなやかさが加わった」。
アイススケート選手は語る「バレエを始めてから芸術点が伸びた」
某女優は語る「アメリカの監督に言われたのは、ハリウッドに進出したかったらアクションの練習を欠かすな。そしてバレエをやりなさい。すると魅せるアクションを体得することができる。でした」

バレエか。。。
バレエには何かがある。Key wordはバレエか。
そういえばNY Ballet団発行のトレーニングDVDが売れている。
ネスカフェのCMもバレエダンサーであった。違いの分かる男達か。
世はガチガチに鍛えた筋肉は流行ではない。あれはターミネーター2か、GIジェーンまでで
最盛期は「マドンナの東京公演」だろう。
薬を打ってシュワちゃんのような筋肉を作っても「賞賛」されぬのなら「打ち損」というものぞ。
褒め称えられる対象を目指さなければならない。それは永遠の嫁入り前王道を闊歩する身
としては「シュワちゃんコース」は進めない。
バレエが自問自答の日々に答えを打ち始めた。スケーターの優雅さ、女優もお勧め。
以前青山の割烹料理屋で会った森下愛子の「長い首」が頭でMIXし始めていた。
さて、バレエかとなったものの、どうやって道場を破るのか?
初心者がいきなり「躍らせろ」と言ったとて、白鳥の湖の後ろの横の斜め前で動かないで立つ
「木」の役すらもらえないどころか、受付嬢は私の体型を即値踏みし「断る」かもしれない。
その上、ここは香港だ。
広東語で習えば「語学も一緒に会得できて2度オイシイ!」なんてことは決して思わない。
二兎を追うものは一兎も得ずのことわざを思い出す。
日本語で習えるバレエなーんてないよなー。ここは香港。 バレエのために日本に帰ろうかと
筆者は思う。アパートの契約終了も迫っていた。

物事を探す時には必ず落とし穴や行き止まりはあるものの、必ずや解決方法もあることは
長い人生に得た教訓である。やがて糸口は掴めてくるはずと、仕事中のHP探しは続く。。
97年頃友人に誘われて観に行った香港バレエ団の公演を思い出した。プリンシパルは確か
日本の女性であった。スポンサーレセプションで顔を合わせたプリンシパルの名前を思い出した。Ms Ochiai...

めったに買わない香港ポストにその名を見つけたのは、偶然にもその数日後であった。
「バレエ教えます」  Ms Ochiai,,
糸口はここにあった。

日頃ズーズーしい筆者ではあるが、内弁慶サル山のボス猿(筆者申年)なため、共に道場
破りをしてくれる「パートナー」を探していた。
いともたやすく「では共に」と賛同者は見つかった。さすが長年友人関係を続けている友だ。
さー、後は電話してみるだけとなった。
が、そうは簡単に行かない。

「でもさぁー」と友は続ける。
「いきなりこの年齢が初歩から習えるところなんてある?しかも夜8時だよ。意地悪な先輩なんかたっぷりいたりして、私達壁の花で。。。」
それはそうだ。初心といってもレベルがある。初心の初心。バレエの「バ」の字なのだ。
ふと筆者の頭によぎったのは。。
意地悪な先輩が私達の上達をねたんでトウシューズに画鋲を入れるかもしれない。
血まみれの足の指。シニヨンに髪の毛をまとめないといけないなら、髪も伸ばさなければ。。。
発表会にかかる諸費用、ひいてはチケットを買ってくれるお金持ちの親父。。
バレエへの道は険しい。
プリマドンナの道ではなく、バレエの入り口までの道のりが険しいのだ。
画鋲-血まみれ-発表会。。。。「やってから考えろ!」という神のお告げが来るまでの数日先生への電話はできぬままであった。
平素より筆者は「遠くの石を気にするあまり、足元の石ころにけつまずく」ことが多い。
要するに「優先順位が分かっていない」のだ。

「もしもし、」
道場破り「たのもぉー」が始まった。
シューズの買い方を教わり、針と糸で縫いつけ当日を迎えて筆者と友人。
前日のやり取りはこうだ「この縫い付け方ってどうするんだろうか。他の生徒と同じでないと
田植ヤローになってしまうだ」「
「決して互いのことは笑わぬこと」 ここでかの名言が発せられた。
女の友情も捨てたもんじゃない。
ドキドキ。。。
先生との対面。ドキドキ。 細い。。。
お教室へ入る。
ドキドキ。。。。
他の生徒は、、、いない。
2人だけだった。
遠くの石に気をとられなくて良かった。
(本当は踊れるレベルの生徒がいたらしいが、私達の素人と一緒に指導するのは不可と先生の気配りで別クラスを設置した経緯がある)
めでたくプリマへの道は開けた。

先輩ダンサーに意地悪されないと分かった筆者、今度は自分が意地悪する相手が欲しくなり
矛先を「J Girls」に向けた。
「バレエ一緒に習わない?」
ヒヒヒ、釣れた。J Girlsを釣るのは簡単だった。
ひひひ、画鋲まで後少しだ。
(その前に自分がトウシューズまで辿り着くかが問題)




2月22日 匿名希望さんよりの投稿

2010年の生活はどうなっているか?という記事を見つけた。
2010年の世の中がどうなっているかなんて誰も分からないけれど
自分とその半径数メートルなら、分かるかもしれないなと一人トラムに乗りながら考えた。

と、その前にBack to the futureと言う映画を少し紹介。1985年製作の映画。
今から19年前の作品になる。そこでは1955年にタイムトラベルしたり、また30年後の2015年に飛んだりしている。そこで表現されていた2015年の世界では、車は空を飛び、映画ジョーズは第19作まで作られているし、スケートボードも空を浮かぶホバーボードに進化している。
しかーし、2004年をオンタイムで生きる私達には分かる。どう技術革新が起ころうと車は空を飛ばないし、ジョーズもマトリックスも決して19作まで製作されることはないと言うことを。
そこでチャチャ入れることがこのコラムの目的ではなくて、1985年にとって
2015年、30年後というのは本当に未来のことだったことを知れば十分。
でも、私達には2015年は容易に想像できる。時間とは恐ろしい。
11年後だもの。

ここで冒頭の2010年に戻そう。どうなっていると思う?
ある人なら、生まれたばかりの子供が小学校受験の真っ最中かな、
新しい家でも買っているかも。2度目の転勤で支店長として再度香港に
赴任しているかも。いい加減独身生活にピリオドを打ち正月にはハワイに
行ってるかも。コツコツ買い続けてきた株が大当たりしたり、トヨタの株が
半額になり、香港ドルが紙切れ同然になっているかもしれない。
香港の大富豪の末裔と結婚し、ピークに居を構える可能性や、NY本社へ
転勤で、これまた5番街に住んでいたり。すっかり髪の毛が後退しているかも。
と、えらく現実的な予測ばかり並べてしまうけれど、6年後はなんて現実的
なのだと思うでしょう。

冒頭の記事、大手広告代理店がまとめているレポートによると、2010年には
1 今、ちょっと劣勢に受け止められている30代独身女性が倍増し、普通になる。
2 男性の40代独身及び50代独身が増加する。
(ってことは、皆結婚しないってことじゃん!そのままスライド)
3 独身カルチャーが主流になる→少子化進む

そうか、そうなると2010年には「えー!あなた結婚しているのぉー!!いやだー」と
既婚者が「マイノリティー」になり、独身が正々堂々と闊歩できるらしい。
今、負け組とまで称される30代独身女性もスポットライトを浴びる日がくるらしい。
そうなればこっちのもんだと先行き明るいと手を上げて喜んだ。
ならば、皆の冷たい視線に耐えるのもあと6年、ちょろいもんだ。と、そこで指を使って
数字を数えてみる。ひぃ、ふぅ、みぃ。。。
いや、待てよ、2010年に30代の女性の独身が。。。とある。
しまった!その時私はすでに40代に突入してしまっている。ちょっと間に合わない。
まったく時代の先端を行くのも大変なものだわと舌打ちをしたりする。

人の考えというのは、技術革新ほど早く進まないのだろうか。青だか、赤だかの
蛍光灯(素人にとっては蛍光灯でしかない。。。。すまん)の発明よりすることって
あるんじゃないだろうか。
くだらない成人式よりすることあるんじゃないんだろうか。
独身でもいいじゃん?という考えを皆がしてくれたら、もっと楽になれるのにと思う
反面、結婚相談所及びそれ関係の仕事がなくなるから、不景気になるかなー?
と、6年後の自分を想像しながらの通勤は中々楽しい。

皆様も2010年の自分を思い浮かべると楽しいですよ、一度お試しあれー!



10月7日 
もっとディープな深セン・・・
 
J’sのエースコックセンター・ノビツキ(パーマがとれてきたけど)、肉離れ起こして前線復帰が危ぶまれる中、いかにリハビリに励んでいるのかと思いきや、深センで危ない中毒にかかりそうになっていたのですね。
 
確かに私の細君が知り合いに連れられて深センへ行き、服作りをしてきたのが二ヶ月ほど前。この世で一番怖いのは「人の口」。良いことも悪いことも尾ひれが付いてネズミ講ごとく広まる。でもこれ、本当に「なまじっか安い」んです。好きな生地からデザイン・サイズを指定する
完全オーダーメイドでこの値段!ユニクロが儲かるのが解かります。
アルマニやフェレやジョルダノで服買うのが馬鹿らしくなります。かなりやばい − 同感です。
 
 
でもここではもう一歩ディープな深センでの服作りを紹介します。
 
私はいきなり「東門」から経験しました。羅湖の駅からタクシーで10分程、深センで一番危険な地区だそうだ(確かにそういったニオイがする)。日本人にも大分知られてきているようだが、そこは駅前の羅湖商業城より安い、と言ってもシャツ一着で20〜50元しか違わないので、
そういった事に興味ない人は便利で安全な駅前へどうぞ。
 
工業ビルの様な所の二階全フロアが生地屋と仕立屋で犇めいている。仕立屋は慣らす為に一店決めておくこと。
香港のホテルに入っているような仕立屋とは雲泥万里、薄暗い所に机を一つで、おっちゃん・おばちゃんが店番をしている。
何十もある生地屋は大抵用途別になっており、寝具やカーテン系専門店もあるので店舗を営む人や内装屋なども来るらしい。
 
生地の幅により例えばシャツ一枚で約2.2メーター位必要なので、生地屋のネーチャンと値段交渉に入る。
言葉のわからない所で交渉なんか面倒などと言う輩にはこの醍醐味が分からないでしょう。
50元とか言ってくるので、30元で返してやります。冗談じゃない!みたいな事を言うので(多分)、普通語はわからない、35元やっ!いいから切れー、といって生地を切らせ、それを自分の手元へヒッタクッテから35元を渡してやる。まず文句は言わない。なぜならそれが適正価格かそれ以上だからだ。
あまり拒む様だったら他の店へ。妥協したらアカン!関西系のオバタリアン(古い!)になるのだ。日本人が相場を吊り上げてはイカンのだ〜。
 
仕立屋ではデザイン・サイズをなるべく細かく、出来れば紙に書いて渡す事。「慣らす為」と書いたのはまず一発で思いどうりに出来上がる事がないから。床屋や飲み屋と同じで、通うことでお互いの癖や好みが分かってくるもの。相場はシャツ一枚で40〜45元。ここであまり値切ると、作りを悪くされるので生地屋よりは従順に。
出来上がりで80元。どや!駅前より安いやろ!これだったら失敗しても諦めがつくし、何枚作ってもタカが知れてる。
ズボンも生地・仕立てで同じぐらいの値段。
知り合いが作った毛100%のアルマニ風スーツ、替えズボン付きで750元位だった。
 
 
知り合いの関西人女性、東門の常連。一回で10着以上、シャネルやグッチのコピーも含めて作っていく。
男物より安いので、殆ど使い捨て感覚で着こなすようだ。私も値切り方とか大分教わった。
でも彼女達は深センへ行くからには服作りだけではなく「満喫コース」を楽しむのであった。
 
日曜日、数人で連れ立って11AM頃に羅湖に入り、まずは駅前の商業城をひやかし、昼飯へ向かう。駅から歩いて15分ぐらいの人民南路に面している日本人経営のイタメシ屋だ。これが味もサービスも申し分なく、値段はローカル感覚では高いが、香港の7割位といったところで大変満足。腹ごしらえをしたらタクシーにてイザ東門へ。
仕立屋で前回オーダーした服を試着・チェックし、新しい生地を漁り、またオーダーし、といった事をやってると4〜5時間あっという間につぶれる。だが折角の休日、ここで終わらせない。
東門から何と蛇口までタクシーを飛ばし、行きつけのマッサージ屋へ向かうのだ。
そこで2時間ほどゆっくり揉んでもらい(40元+チップ)ローカルの、これまた行きつけの中華飯屋へ。旨くて安い!
最後は蛇口から香港島へ向かうフェリーをつかまえ、1.5時間の帰途へ・・・ 
 
ここまでディープに深センを楽しんでる日本人女性達がいるとは頼もしいものです。
でもどんどん行きやすくなる深セン、もっといろんな満喫方法が出てくるのを期待してます。

 

9月13日に頂いた投稿  幼い日の記憶 (○ちゃんの場合)
 
ひとつ前の「コラムど投稿」で、前の投稿者が幼い日の記憶について書いていらしたので、
私も書いてみようと思いました。幼い日の記憶。。。
 
ひとつ目。私が3歳のときに弟が生まれた。父と兄と一緒に病院に行き、ベッドのところにいる母と赤ちゃんと対面したが、私はヤマシタのアイスクリームというチョコとバニラとイチゴ味が3段になったアイスキャンディーを食べていて、暑い日だったため、それが一気に溶け始めて、赤ちゃんの顔を見るどころではなく慌てて食べた、という思い出。
 
もうひとつは、幼稚園が大好きだった私は風邪をひいてお休みしなければいけない羽目になりそうだったとき、母に見つからないように、わきの下で体温計をクルクルと回し、熱が上がらないようにして幼稚園に行った事。これが素直だった私が悪知恵が働きだした3歳。
このときに私が考えたことは、「私は今3歳。ママは私の嘘が分からなかった。私が将来子供を生んだら、3歳っていうのは親をだませるんだって覚えておこう。私はだまされないぞ。」ということだった。
いま思えば、母は私の嘘に気が付いていたけれど、そこまで幼稚園に行きたいのだったら、と、知らん振りしてくれていたのかもしれない。
 
最後にきわめつけ。
これを友達に言うとみんなが「うっそ〜」というのだが、多分、あれは少なくとも1歳半ぐらいだと思うのだが、一月に一度は会っていたはずの祖父母の家に行った時、私が、立って歩いていたら、
祖母が「○ちゃん、歩けるの〜!?」とびっくりしていた場面を覚えている。
そして、そのときに私が考えたことが恐ろしい。
「前から歩けるよ。ハイハイが好きだっただけで。でも、おばあちゃまも驚いてるし、これがはじめてってことにしておこうっと」と・・・。
はっきりとこう思ったことと、そういう場面を覚えているのだが、みんななかなか信じてくれない。私は超天才児だったのか。
 
今、うちの子供たちは2歳5ヶ月と10ヶ月。まだ下の子なんてお話もできないけれど、実はもう色々と考えていて、それが私のように記憶として残るのかもしれない。
 
ちょっとつまらない文章でした。すみません。
                                     by (マルちゃん)



8月31日に頂いた投稿 「記憶
 
皆さん、生まれた時の記憶があったらと思いませんか?産道を通る時、初めての呼吸、親との対面と
もっとも祝福され、劇的な瞬間を覚えていることができたら素敵だと思うのですが、残念ながら誰も
覚えてはいません。
それでは「初めての記憶」はいつ頃であったか覚えているでしょうか。生きてきた年数によって異なるとは
思うけれど、幼稚園の遠足だったり、夏、縁側でのすいかだったり、田んぼでの稲刈りだったりと大きな
トピックス、イベントによる「心の動き」で時間の経過を補い記憶にしっかり残っていることが多いはず。
 
ふと、思い出してみた。初めての記憶
 
不法入国であわや終身刑!
 
筆者の母は横浜の女学校を出ている。といっても新制ですから普通の女子中学、女子高校。当時の言葉を借りると”女学校”だそうです。港や地場で商売されている家のお嬢さんが多かったらしく、戦後の物資乏しき頃にもやや裕福であったらしい。その同級生の1人が米軍兵と結婚されそこに着付けを教えに母は何度か私を連れて通っていた。母は着付けの免状保持者で家でも着物を着ていた時期もあり。
筆者が幼稚園入園前のことだと思う。
その記憶は母の友人宅の玄関から始まる。犬の置物が玄関脇に置かれていた。
敗戦国日本は米軍に多くの施設、土地を撤収され横浜にも多くの撤収地があったと後年社会科で習った。多くはその後返還され、住宅地に変わっている。マイカル本牧もそのひとつである。
母の友人が住むそこは米軍住宅の中の一軒家、広大な敷地、手入れされた芝生が見渡す限り続き子供ながらに見聞きしていた”アメリカ”を充分に実感させた。「洋風」で「おかしのような」お家も羨ましかった。
着付けなんぞ子供が見ても楽しいはずなく、ややして外へ出たいと申し出ると母は「屋根がオレンジの家だからね」と指示し「はい」と返事をしてから外へ出た。玄関横の犬の置物を「目印にしよう」となでてから、普段目にすることない広大な芝生へ飛び出した!遠くに芝に覆われている丘がありその斜面をすべり降りたらさぞ気持ちよいだろうと一目散に走り思い切り転がった、誰もいない晴天の昼。走り、すべり、転んで思う存分楽しんだ。
一息つき欲求が満たされるとはて、喉も渇いたし家に戻ってと後ろを振り返った。するとそこにはオレンジの屋根の同じ家がずーっと並んでいた。家の屋根全部がオレンジだった。
目印にすべきオレンジの屋根がたくさんある。。呆然とした。前だけ見て飛び出して来た筆者はここで初めて後ろを振り返ると、どの家か分からない。途方に暮れ、母を恨んだ。全部オレンジだよ、おかあさん。。広大な芝生の草原に1人立ち尽くす筆者。
ややして黄色いバスが近くで止まり青い目をしたお人形達が降りてきた。皆不思議な顔をして筆者を見るも筆者も不思議な顔で見返した。なんせ初めて目にする”動く青い目をしたお人形”だ。絵本の中の人達だ。「○×△▲○*×〜!」、、、何かへんてこりんな言葉を発している。「走ってお山に登ったら家が分からなくなった」と正直に告白しても「「○×△▲○*×〜!」???。通じるわけがない。身振り手振り、heart to heart englishを試みるとあら不思議子供同士魂レベルが近いのか何やら意思の疎通が出来始めた。喉が渇いたと伝えると背中のリュックから水筒を出し飲ませてくれた。
数名に囲まれし、数分から10分強の出来事。ややして髪の黒い同胞がやってきた。
「あなた!どこから来たの?」日本語にほっとし、ついぞ心が緩みウルウルと泣き始める筆者。横からお人形達はハンカチを差し出してくれた。あぁなんと心優しき人形よ。その日本人のおば様は家政婦としてここに勤務していると言い、泣きながら事情を話す私に困惑していた。何故なら母から教わっていた迷子になった場合のケーススタディーは”名前と住所と電話番号を大人に伝え警察に連絡してもらいなさい”だったが、いくらここで「横浜市戸塚区の。。。」と言っても「なに?それ?なんだー?」とう反応しか返ってこない。おかしいな?勝手が違う。
そう、ここは外国人居留地、治外法権、米軍管轄下の占領地、日本であって日本でない場所だったのだ。筆者の存在はいわゆる「不法入国者」にあたる。「どうやって来たの?」と聞かれ「オレンジの屋根の家に母と来た」。
「オレンジの屋根ね。。」何度見ても見渡す限りオレンジの屋根である。確かに嘘ではない。
「玄関の横に犬の置物が〜!」。。。「みんなあるんだわ。。」。。。。困惑色増加。
人形達も笑っている。なんだ〜!どうしたんだぁ〜!家が分からないのぉ〜?赤ちゃんみたい〜!。
キャッキャッ!
 
そこで筆者の目に黒い車が写った。さっき人形達を載せた黄色いバスが停まったあたりに停車し1人が顔を出しこちらの動向を伺っている。当然ながらこの人も”青い目をしたお人形”の大型版である。
子供の学習能力は素晴らしいもので、いくつかの英語を理解できるようになっていた筆者はその車の横に白く書かれた英語を即座に理解した。「POLICE」と書かれている。警察だ。
明らかに筆者を見ている。人形達に囲まれ明らかに体格で劣る日本人体型の筆者をも見逃さなかった。ややして車のドアは開き”青い目の人形大型版”はこちらへ向かってきた。予想以上に大きい。。
筆者の目の前には青い目人形大型版の膝上があり、ピストルが装着されている。頭の上で交わされる日本人家政婦とPoliceマンの会話を気にしつつも、筆者はまだ人形達とボディーランゲージで会話していた。「困ったねー」「どうしたんだろう」「なにしていたの?」「あの丘を登っていたのよ」「私達もよく上るよ!」「ホント?」といった能天気な会話の上では
「不法侵入者はしかるべき処置をとらねば、米日両国大使館へ即連絡し、米日安保条約の第27項の解釈を今一度改めなければならない。本件は米日両国の国交問題にも発展しかねぬから、慎重に。。」等々。
 
青い目の大型版は腰を下ろし目線を筆者に合わせ「不法侵入だから軍に一緒に来なさい」と
言った。
「えぇ〜!」「違いますって、そんなー、私はただ丘を登って。。。」と言っても通じるはずも
ない。筆者、ここで
自分の無力に気がつく。2頭身のだるまになり転がった。手も足も出ないとは
このことだ。
青い目の大型版が手を差し出し「ついて来なさい」と目が言う。
手を差し出されてもそれは王子様ではないPoliceだ。抵抗できるはずもなくそのまま黒塗りの装甲車もどきに向かって歩いていった。振り返ると人形達も事情が分からぬようだ、そう子供にとって国境はないのだ。なすすべなく車に乗せられようとした瞬間、筆者の名を呼ぶ聞きなれた声が背後からした。
母だ。。。!
状況を把握していない母は、娘が人生最大の危機に面しているにも関わらずノンビリ歩いてくるではないか。友人と2人でやってきた。母の友人が説明し、数分後めでたく釈放された。
あと少し遅かったら、留置所行きだったかもしれない。3歳で前科者になりアメリカ入国時に空港で入国拒否に遭っていたかもしれない。
後日聞くと「米軍住宅に初めての不法侵入者」だったそうで、あと少し遅れたら大変なことになっていたと言われた。
 
ここから30数年が経ち未だに身振り手振り heart to heart Englishを活用している筆者も情けない
ものがあるが、その後デートで近くを通った.(山手のドルフィンの対面)折、この厳重なゲートの向こうにある手入れされた芝生、点々と建つお菓子のような家々、あの丘、青い目の人形達が頭に浮かびもう一度足を踏み入れたい気持ちにかられた。
ゲート横、ライフルを下げた門兵に「昔ここに来たことがあって、もう一度入ってみたいのですが」。。。
それは「昔、不法入国したことがあって、もう一回あのスリルを味わってみたいので。。」と罪を暴露して
いるのと同じと、国際政治情勢を学んだ(嘘)筆者理解し眺めるだけにしておいた。
パスポートを持つずっと以前、ふっと外国にスリップした出来事、しかしそれは不法侵入だった。
それが筆者の幼い頃もっとも鮮明に覚えている記憶である。
 
 

8月11日 思い付いた様に帰省

日頃コミュニケーションを取らない唯一の上司に無言で休暇届けを突きつけ、仁王立ち
したら、あっさりサインをくれたので行ってきました「夏休み In 東京4日間の旅」。
 
第1日目
アメリカの友人がちょうど帰省しているので、それではと女3人で集まりピーチクパーチクしようじゃ
ないか!と
選ばれた会場は「フォーシーズンズ椿山荘」、今はやりのレディースプラン。
広い客室、シャワーブースが別になっているバスルーム。一寸マダムになった気分に浸る。
アメニティーは「ロクシタン」。中々気が利いている。夕日を追いかけ、夕闇に浮かぶ3重の塔を眺め
せみの声に耳をすます。夏だ、日本の夏に帰ってきたのは6年振りなことに気がつく。
庭園に囲まれた閑静な目白に位置するこのホテル、本当に静か。ホスピタリティーもよく満足のステイになる。
そしてここにはなんと温泉がある!
温泉宿だと脱衣所が汚かったり、インテリアも二の次だし、タオルも「○○商店」と印刷されているようなものだが!ここはフォーシーズンズ!!バスローブ、バスタオルに、ロッカーからなにから「ホテル」なのでよん。大浴場に漬かり浪曲を歌うのはちょっと恥ずかしいか?尚、浴場壁に富士山の絵はない。サウナ隣接。プールとジャグジーはインドアながらガラス張りで庭園も緑が目に美しい。あぁ〜帰りたくないわ。。。ホテルでフレンチのディナーを取る。アルザス産の白ワインを空ける。
ピーチクパーチクは深夜まで続き、ルームサービスの朝食メニューを吟味した結果「和定食」を
チョイス!
漆の入れ物に品よく納められ届けられる。う、おいしい。ごはんも美味しいぞぉ〜!
ちなみに単品で頼むと2800円也。 レディースセット様様だ、女に生まれてよかったわ!特権。
 
第2日目
チェックアウト後新幹線利用の友人に合わせ東京駅前丸ビルでの買い物。
へ??これ?こんなビルに何百万人も訪れたわけ?なにが面白いの?と疑問符。香港に比べれば
素敵だけれどかといって何がというものでもない。
少々の買い物をし、コンランショップで目に栄養を付けたらお腹がなったためレストランフロアーへ。
洋食屋で「オムライス&ハンバーグセット」を選ぶ。ポテトグラタンとナポリタンもついている。
懐かしいお味。コンソメスープもいいぞ!2000円也。
洋食はないの、香港にはないのぉ〜!とタオルハンカチを握り締め食す。量多すぎ。カロリー高すぎ。
 
友人を見送り荷物を抱え地下へもぐる。目指すは「千代田線大手町駅」繋がっているようで遠い、
階段を上り下り、一旦地上へ出て右折の左折で走る!次のアポは7時20分渋谷。1時間しかない。
しかしその前に赤坂のホテルにチェックインしなくてはならない。大汗でホテルに到着、部屋にかばんを
投げ込み、買ったばかりの「かわいめスカート」に履き替え溶けた顔を戻し速攻渋谷へ向かう。
千代田線赤坂より表参道乗換え渋谷〜!である。東京の地下鉄は迷路だ。効率良い乗り換えが
難しい。。定刻通り到着するも「ひ、人が多い〜!」ウロウロキョロキョロしていたら「赤坂のマンションに監禁されてしまうかも。。」とビクビク。「「モデルにならない?」と言われたら困るぅー!」と複雑な心境を大人の理性で隠す。友人発見!元香港駐在員の彼等とガード脇につらなる小さな飲み屋通りにある焼き鳥屋へ。
8人で満席、お上品な老婦人が1人で営む。創業52年とのこと。ふうー。
鳥のフォアグラ、ササミを生で頂く。うまー!!ビール後赤ワイン。グラスが大きいぞぉ。
焼き鳥も大きい。
お腹いっぱいだわ。でお一人様2000円。自家製漬物も涙をさそう。
渋谷の街の変化、歴史についてお話を伺いし、再開発予定地区にあるこの通りの未来を憂いた。
だんだん色気、味気のない街になってゆく東京ハリボテのバーチャルチックな街になってゆく、江戸気質
はどうしたんだい!これじゃ徳川家康も泣くぜ!うりゃ!江戸の心。
そして江戸の夜は長い。
カラオケに連行され曲数の多さに驚く!なんでもあるぅ〜!で80年代前半の曲を中心に歌う。
そして96年以降の曲は眠る。知らん。読めないグループ名は飛ばす。知らん。延長を重ねること
数回。
午前3時。ホテル到着。お肌に悪い。
 
第3日目
ランチは赤坂のすし屋!「雅セット」1300円也。これなんと1.5人前。しか〜し、ペロリ。
ネタ、厚いぜ、シャリ小さいぜ、種類多いぜ!でご満悦。ビールも空け昼から女二人でほろ酔い。
所用あり中野へ。友人に電話したら飛んできてくれた。午後のお茶をする。
風月堂でナプレオンパイ&アイスティー(レモンスライス1枚のみ。。香港なら5枚は確実)。
次のアポは7時に恵比寿だと伝えるとこの電車のこのあたりにのり、どこで乗り換えるのだぞと細かーに
指導され(本当におのぼりさんなんだわ)無事恵比寿到着。
今宵のアポは元香港駐在員の藤○氏!ご家族一緒に洋風居酒屋での夕餉となった。氏、本日は
府中まで仕事で行ってたとかで、凛々しいスーツ姿。さすが金融業の貫禄。
なんと氏以外全員AB型の藤○家にABの筆者加わり更にパワーアップしたラインナップ。
かわいい藤○Kids。本当にかわいいのよん、誘拐したいわ。バスケトークも花が咲く!
白ワインを3本空け日本の食材に舌づつみ。 楽しい!とぉーにかく楽しい。ケラケラ!で満腹。
オクラと豆腐サラダ、しいたけクリーム煮をパンにつけて食べたり、刺身サラダに、チーズ焼き。。。
ちょっと粋な手の込んだメニューが並ぶ。目移り。
ご子息(弟)は眠くなってきちゃったから10時頃次回のお約束をして別れた。
 
ホテルまでの道すがら、、、
コンビニの灯りがまぶしい。ついフラフラリ。。デザートコーナーに吸い寄せられミルクプリンを購入。
オハヨ乳業製。うまい。テレビを見ながらパクリ。睡魔に勝てずテレビは道半ばにて断念。
 
第4日目
朝10時半保土ヶ谷駅にて母と合流。墓参りへ。横浜名物ランドマークタワーを目の前(のように)眺める
墓地に祖父母の墓がある。こんな便利な所にあって良かった。ちなみに市営。現在新規受付なし。
墓地の空は広い。電線もない。ただただ一山全てが墓地。ここは横浜のド真ん中なのに。
しかし!ここに行くまでは迷路だ。細い道、一方通行をかいくぐって行き止まりの寸前を左折して。。。と素人では無理だ。母、さすがなり「ここは私の通学路よ」と自慢の回顧録に耳を傾けつつ到着。
墓参り3点セット(ごみ袋−お花の葉や、ごみ結構でます。使い捨てゴム手袋、シャベル)を用意すると
更に充実した墓参りとなる。
お茶屋さんの軒先でしばし風に吹かれ、風鈴の音に耳をすます。日本の夏、本日開始、めでたく梅雨明け。
じいちゃん、ばあちゃん、頼むよぉ〜!とまたもや下心いっぱいのお参りをして、一路ランドマークにある
「ロイヤルパークホテル」へ。久しぶりの運転に勝手が分からない。ここはロスじゃないから道が狭いよと言い訳。最上階の日本料理店で昼食を取る。夏の会席膳4000円也。とりどりの惣菜が美しく盛り付けられた膳。
最後はリクエストして「しょうがごはん」。うまい。。
デザートはフルーツゼリー。
山下公園を望む景色は絶景かな。横浜スタジアムも直径7センチに見えるほど。
2時過ぎロビーより出発のリムジンバスにて成田へ2時間の旅。夏休みの日曜日道路は混んでいたらしい。熟睡したら成田だった。
筆者が日本を去るにあたってこれだけはと選んだものは「ドトールコーヒーのジャーマンドック」だった。
ちょっと小腹がすいたときこれ以上に適切な量の軽食はない!そしてカフェオレを頼む。
しめて540円也。
うまい。。う、うう。。。おいしい。懐かしい。
数年ぶりにキャセイの成田便を使ったためこの場所にドトールが存在しているのを知らずにいた。同じ
第一ターミナルにいたのに、今まで知らずに。。バカバカ!
背中のリュックには機内用の食料「にぎりセット」と「大福」がスタンバイ!あとは機上の人になる
だけだ。。。
が、待てど暮らせど飛行機は来ない。結局1時間半近く遅れて離陸。 
全席満席かつ香港家族のオンパレード。テレビ見て大笑いのツッコミーのでにぎやかな機内(うるさい)。
いつから東京ー香港線は香港人に占領されたのだろうか。同胞の姿なくマイノリティーとなる。
水平飛行になりさっそくお寿司を開き一人パクパク、白ワインももらってゴクゴク。食後、することないからグーグー。香港到着午後10時15分。あっという間だったわ。
エキスプレスに振られ、オクトパスを足し、タクシーに並んだら12時だった。いやはや。お疲れ。
手荷物にしてきたのは我が家の畑でとれたキュウリ、トマト、しその類に米類。重いがうまい。
母の愛を感じて夜中にトマトをかじった。
 


アメリカ旅行記 パート5 (番外編) 
 
旅館の朝ご飯を食した後朝風呂で歌う。旅館を出て路線バスで駅へ向かった。
グリーン車に乗りこみ窓に顔をつけて懐かしい景色を目で追う。変わってないな。
横浜の郊外育ちではあるが、勤務先が湘南地区だったこともあり懐かしい。
地元に着く頃を見計らってお腹が鳴る。家族行きつけの寿司屋ののれんをくぐる。
あれやこれやと質問攻めになり、常套句である「まだ嫁にも行かず。。」を繰り返し
お刺身を食した後特上寿司に茶碗蒸しに舌鼓を打つ。
 
母と別れて東横線にある友人宅へ。途中念願の「ドトールコーヒー」でカフェラテと
ジャーマンドックを食べる。これこそ香港進出してほしいチェーン店なのだ。もう
スタバはいらない!う、うまい。
友人宅へ持っていくお土産をデパ地下に探しに行くとその物資の豊富さに狂喜乱舞
し財布を握り締めウロウロ、キョロキョロ。素晴らしい!デパ地下とは文化だ!と
1人興に行っていた。うんうん。すばらし!
両手いっぱいに食料を抱え(トランクは成田から宅急便手配済)東横線に乗った。
吊広告も楽しや15分の旅を終えバスに乗る。横にはラーメン屋が。。い、いかん!と
バスに駆けこんだ。ラーメンか。。。しみじみ。友人宅ではカレーと特製豚肉サラダ。
 
横道にそれるが私が日本に帰って真っ先に食べたいのは「カツ丼」である。
あの超高カロリーで甘い香りのカツ丼。香港で美味しいのないのよ。本当。
 
翌日新宿で用を終え友人と天麩羅屋へ。揚げたてを都度運んでくれる。う、満足。
これで1,500円。お得。ごはんも当然おかわり!
夜、恩師との夕食。5年ぶりの恩師。NY生活経験もある恩師は即座に私を寿司屋に
案内する「御寿司平気?」「はい!!もう!」バクバクいった。冷酒も上手い。
赤坂にある寿司屋、名前は知らない。TBSのそばだった。
その後地元民の恩師は「幼馴染」の「住職」さんと合流し、これまた地元民経営の
カントリーBARへ移動。ボトルが出て飲んだ。日付変更線が変わった頃タクシーで
送ってくれるのかと思いきや「いきつけ」の「京王プラザ」のBARへ連れられて行った。
ほんの一区間なのに700円もする首都高を使ってと運転手に依頼する彼等。。。
分からん。一体何モノ?
ここでもボトルが登場。大パノラマを肴にボトルを空けると思いきや恩師、中々やるな、
「シャンパン頂戴!」。あのぉ。。ここにウイスキーあるのに。。と小心者の元生徒。
次に隣のBARに移り(同じだと思うのだが)またもや別のボトルが登場!一体あんたら
何本ボトルをKEEPさせてんねん!働いているんか!と聞きたかった。
もうフラフラである。取っておいた赤坂のはずれにあるホテルに着くなり爆睡。
 
翌日は仕事関係で会ったデザイナーとの食事会。昼は別の仕事関係者とお寿司!
お吸い物が美味しかった。夜も田町の寿司屋である。平目の皮を
あぶりタレをつけた御寿司がお気に入り。人の分にまで手を出し満喫。
焼酎を2本空けて気がついたら深夜2時である。赤坂のホテル泊。
 
以前勤務していた会社に顔を出し夕食。お座敷個室での「鍋」。冷酒もつけてもらおう。
この当たりになるともう胃薬常備状態になる。しかし!今回を逃したらいつ来れるのか!と
胃を励ましつつ食す。ここまでくるともう意地だ。意地も汚くなると手に負えぬ。
一体あなたは香港で何を食べているの?と聞かれた。ちゃんと食べていますが。。。。
日本は違うのだよ。うん。
 
最終日の朝はFREE.ホテル近くで朝ご飯セットを食べ本を購入し、日本橋へ。
何故日本橋かというと、箱崎直結だから。三越で最後の買物をして空港へ向かう。
ここでもデパ地下荒し。御寿司に生系ケーキ、賞味期限を確認、自分のバゲッジと相談し
厳選した商品を購入してゆく。万札は30分で消えるのであった。
機内食を断り購入した御寿司を食べ、最後の最後まで御寿司を食べて香港に帰る。
これほどまでに食い意地の張った旅も珍しい。
あぁ、美味しかった!幸せ!でした。
以上アメリカ旅行記 & 番外編を終わりたいと思います。ありがとうございました.。


アメリカ旅行記 パート4 (番外編)
自分では旅行記は完了したものと思っていたが、ある日熱心な読者から
「続編UPされてませんね」との指摘をいただいた。完結していたのにと
読み返せが確かにこの終わり方は「続編がありますよ」的に締めくくられていた。
だいぶ時間は経っているがこのまま未完の大局にしておいては末代までの
恥と重い筆をもう1度持ち原稿用紙に向かった。
 
飛行機を降りたのは世界有数のアクセスの悪さを誇る成田空港。
次の目的地は「東京・横浜・箱根」である。リムジンバスに乗り横浜で降り、
JRに乗り換え途中駅で母と合流。そこでグリーン車に移り(母の支払い)
到着したは伊豆のひなびた温泉宿。空港から直行である。
電車内で母が買っておいてくれた折り詰めのお寿司を食した。うまい。
 
温泉に浸かったのち、冷たい天ぷら、乾いた刺身、焼いて数時間経過したであろう
干物をおかずに白いご飯(暖かくておいしかった)をたいらげる。
しかし、いくら乾こうが冷たかろうが「おいしい」のだ。他にも漬物や豆腐類など
数種類の惣菜がテーブルいっぱいに並ぶ。ここはもうビールなんぞ飲んで腹をふくらしては
ならぬと「冷酒」である。
賢い選択であった。ごはんは当然「おかわり」。横ではテレビが日本語を喋っている。
ど、動画で見るジャニーズなんて(注:ジャニーズ事務所はインターネット上での写真掲載
一切を禁じておりテレビ/映画以外では動画では見ることができない)久しぶりだ。。
目も腹も満腹である。
「腹の皮つっぱると目の皮たるむ」。即布団はひかれおやすみモードになった。
ああ、なんと温泉とは人を自堕落にさせるのだろうか。。。
 
翌日典型的な「旅館の朝ご飯」をしっかりいただいた後、目指すは温泉である。思わず歌いたくなる。
「旅ゆけぶぁ〜!箱根八里のぉ〜」。DNAに染み付いている日本人の心を再認識させる温泉よ、ありがとう。
宿を箱根に移し、今度はちと「まし」な宿に母子胸をなでおろす。ちなみに二人共
「高級志向」である。
朝食を8時に食べても1時近くにお腹が鳴り湖畔のフレンチレストランへGO!マダムの情報網に脱帽。
冬の陽射しが水面に反射する、冬の平日人も少ない湖畔の景色を眺めながら、大半のお客が
「セットランチ」を食べる中我々はメニューの一番上に書かれる「スペシャルランチ」をチョイス!
3コース+特製デザートである(デザートもコースのではない。リクエスト版だ)
当然「ワインもつけてね!」となる。
魚を選び「焼津港直送本日の魚のグリル」に「新鮮なお魚のサラダ」など普段口にしにくい
「産地直送系」を選ぶ。う、うまい!新鮮だ。肉はいらん!魚だ、野菜だ!と香港、アメリカで
飢えていた舌と腹が要求しているのは「魚に野菜の日本バージョン」なのだ。
どれも繊細で美味しく美しい。あぁ本場フレンチは知らぬが日本のこの「さっぱり」したフレンチが
一番好き!とうなり皿まで舐める(嘘)
 
冬の日は早く翳る。店じまいをする土産屋に追われるようにバスに乗り旅館へ戻る。
雄大な山の景色が美しい。あぁ、我祖国よ。。。と望郷心を刺激される。
箱根か、、餃子を食べに来たな。あのそば屋あるかな。駅伝にスピンカーブに。。としばし懐かしむ
小1時間の旅。
 
旅館の夕方は「団体客の声」と「料理の匂い」でいっぱい。母のリクエストで一番遠い部屋。
眺めも悪くない。到着しお風呂に入るとお約束の「ビール」である。
母のリクエストで「スーパードライ」が冷蔵庫に並ぶ。ゴクゴク。。つい口を出てくるのはこれまた
お約束の「極楽、極楽」。これまたDNAよ。
さあ、お待ちかねのお夕食。母のリクエストで「肉なし魚と野菜中心」。湯葉や豆腐、お魚と
さっぱりしつつも味のバリエーションがある。テーブルいっぱいに並ぶ料理に日本語放送。
結局これに尽きるわ!と「ごはんおかわり」。お腹いーっぱい食べてゴロリとなる。
昨日と同じである。気になるテレビを遠くに聞きながら「おやすみなさい」となった。
温泉とはまったく自堕落なるものぞ。
 
翌日から横浜と東京でのグルメになる。
続きはパート5で! 

3月8日 アメリカ旅行記 パート3
 
サイキックによりパワーアップした私は連日の浮遊感と覚醒にちと恐れ始めた。
サンディエゴ近郊の友人にこの件を話したところ、ある「ナーブマッサージ(神経)」を
勧められ好奇心も助けて予約を入れた。
今度はロスから南へ45分程南下したリッチな方々のリタイア先にある一軒のお家へ
住所とFaxを頼りの車を運転してゆく。
香港から何キロ離れているか知らんが、広いアメリカで点を探すように移動するのを
たった1週間で何事もないかのようにしている自分にはたと気がつき「たくましくなった」と
誇らしくなった。調子に乗るとミスするのが今までの私だが、サイキック以降はミスしない。
迷うことなく、到着したが予約時間より相当早く到着したので、海辺で降りてぼんやり
していたり、スターバックスに入りカフェラテをすすっていた。
この日霧なのか、雲なのか分からぬ白い空気が海をおおっていてまるで雲海のようで
あり、とっても神秘的な景色であった。なぜかここでBGMは「井上陽水」。
ちと感激して涙。
マッサージを受けている間中左肩後方がやけに暖かい、ポンワリと微風が漂う感じと
表現したら分かりやすいだろうか。後で確認したらそこには天使の宗教画が飾られて
いた。な、なんだ?このホンワリ感は?
う〜ん、やはり只者ではない。
マッサージはさして特別なことをするわけではないが、施術後現在の体調や精神状態を
告げられる。まあ、健康だということだけど肝臓が弱い(酒か?)と注意された。
他はなんとサイキックの話と重複していて、今後こういう方向にしましょういう内容が
まったく同じであった。
 
テロ警報がミディアムからHighへ引き上げられてから数日。田舎にいると分からないが
世は戦争に向けて進み、テロにナーバスになっていたことを帰国時空港で知った。
全てのトランクをX線かけた後、鍵を預けさせNoを聞き荷物の隅々にまで検査が入る。
それは本人は5mほど離れた場所で待機させられるだけで、立会い禁止だ。
水関係(化粧品)が特に厳しい。アメリカで買ったテーピングも量が量だけに入念な
査察が入る。ああ、私がイラクなら隠せるのにと思っても後の祭り。
ようやく終わり2階へ移動したら、今度は手荷物&服装検査が待っていた。
コートを抜き、ポケットの中身を出し、Bagを渡し金属探知GATEをくぐったら、まだまだ半分。
メタル鋲のついたベルトが再検査対象になり、靴を脱がされ中まで査察され、全身
金属探知棒を振りまわされる。行列の上にこれである。
朝早い便もあって疲れもピーク。搭乗後爆睡し何時飛び立ったのか知らないが、またもや
おつまみをもらいそこねてしまった。。
やたら韓国人が多い便で、隣は「初めて搭乗老夫婦」である。3国後表示のメニューに
ハングルはない。まったくお手上げらしい。
スッチー:チキンorビーフ?
じじ : ?????
スッチー:何を飲みますか?
じじ:(ばばに聞いて)コーラー
スッチー:Sure。。。(で水を渡していた。。ぶっ) これを繰り返すこと数回。
同じアジアの娘としてはじじの発音も分かるんだ。うん。でも左右で繰り広げられる珍事を
どうすることもできず笑いを耐えていた。
無事成田に到着し、今回の旅行のおまけで「東京滞在美食の旅5日間」が始まった。
 
 
 


3月4日 「凄い才能」

私の身内にはすごい才能を持った人がいる。
なんと自分のオナラを自由に操れるのだ。
我慢することが出来る人間はたくさんいるだろう。
しかし、出したい時に出せる人間はそう多くないはずだ。
私の身内のその"彼”は、人が寝ている顔の前や、
密室になると、必ずといっていいほどGood Timingで
オナラをする。
結婚する前までは、彼がオナラをするところを一度も
見たことがなかった。人間、変わるものである。
いまや、子供は、"彼”がお風呂に入るときに下着姿になると、
お尻を指さして「ブゥゥ〜。」という。
子供は無邪気で正直なものである。

でも、彼はきっとこれを身内の前でしか披露しないので
あろう。
それはもったいないので、こういう才能を持つ人間が
いることをここで紹介することにした。

皆さん、これが誰か決して詮索しないで下され。

悩める乙女より

*凄い才能を持った人が居るものですね。省エネ時代の
  昨今、そのメタン瓦斯を何か有効利用出来ないもの
  でしょうか?誰かトヨタに売り込みしませんか?


3月3日 
コラムで投稿 ロスの旅第二弾
 
今回の旅の目的にサイキックリーディングを受けるというのがあった。
いわゆる前世や現世含め霊の力で透視するというもの。これは友人の
強い推薦もあるが現状打破を目指し、またその気配を感じている私も
強い興味があったから出発2週間前に予約をした。
聞くところによると受けられない人は受けられないそうで、時間という
顕在的事情ではなく、エネルギーが邪魔するとかで実際友人のまわりで
1発でOKが出た人は稀とのころ。
ロスからFreewayに乗り約1時間半、美しいビーチ沿いの小さな町の住所を
頼りにドライブしていたが、メモしてきた住所には「通りの名前」が抜けてい
たが、携帯という文明の力で無事到着し、驚いた。
ちゃちい造りの「長屋住宅ロスバージョン」なのだ。クリニックやダスキンが
テナントで入る平屋の建物。地震がきたら即OUTだろう。
 
恐る恐るベルを鳴らしたが、開いている。ドアを開けるとそこには派手な服と
化粧の中年女性がゴミ袋を下げ外に捨てに行く時であった。体型は当然
アメリカバージョンである。
ああ、掃除のおばさんかと思いながらもアポイントをとっている旨伝え座った。
室内はサイキックな絵画、アロマの薫り、ヒーリング音楽とそこらのエステと
同じである。世界中からのお礼状がファイルしてあり、そこに大統領夫人からの
お礼状がないかを探していた頃、呼ばれ別室へ。
したら「あのおばさん」がヒーラーでだった。唖然としつつも緊張が一気にUP
いくつかの注意事項を言われ、私が名前と生年月日を告げ、録音テープをONに
してリーディングは始まった。
現在のパワーレベル、前世の関係、今後、後ろにいる人、仕事、感情と多岐に
渡り一方的に話したり、カードで表示したり、質疑応答と1時間はあっという間に
過ぎた。彼女が私に言った言葉は予言というより彼女に見える私の行動だそうだ。
 
サイキックには思わぬオマケがついていた。
その晩から睡眠が一気に浅くなり、睡眠と覚醒の間をさまようような浮遊感があり
睡眠時間4時間弱になる。
金縛り、夢、デジャブーと続くとどうやらサイキックでなにかがOpenしてしまったの
ではないかと思わざる得ない。しかし元気だ。。
翌日友人家族が住むサンディエゴ郊外のとある町へ移動し、その晩行ったのは
ネイティブアメリカンの居住区にあるカジノ。ラスベガスだけではないのだよ、カジノは。
その横のレストランのブッフェでは野菜コーナーを急襲し数日間の野菜不足を補い
心ゆくまで果物を食した。後カジノに行くも博才のない私がたった一度だけスロットに
ポケットのお札を入れボタンを押すと、ディスプレイの数字が増えた。
クーポンボタンを押し出てきた紙には掛け金の数倍の金額が印刷されている。
たった1Pushで4倍に儲けたお金を受取り、やはり今年はラッキーだと言った
ヒーラーの言葉を思い出した。
不思議な浮遊感や金縛りはは日本に帰国すると治まり、現在はまったくない。
アメリカの磁場が関係しているのかもしれない。それとも私もサイキッカーなのかも。
 


2月28日 アメリカ旅行記
その1

退職を機に手に入れた約1ヶ月の自由な時間。強烈な力で引き寄せられ
ロスとサンディエゴ近郊への旅行をしてきた。
初めての西海岸。香港居住前にNYに行った以外アメリカ経験はない。
(ハワイは別)
公共交通機関が発達している香港を持ちこんではいけないとはJ's Kidsの
大学生のアドバイス。彼によると車の運転できなければ動けないそうで
これはたとえ英語力に不安があろうが、左ハンドルだろうが、マイル表示
だろうが自力で運転せねばならないと悲壮な決意の素渡米。
 
出発前日遠足前の子供のように38度の発熱。フラフラになり荷造りし、
成田経由ノースウエスト便に乗るためまだ暗い香港を出発した。まだフラフラだ。
機内食を断りただただ眠り続け、3時間+9時間のフライトを終え無事ロスに到着。
レンタカー事務所へ行き車をピックアップ。。カウンターには誰もいないじゃないか!
電話したら「バスに乗れ」の指示。バス?バス走っているけどバス停はどこに?
なのだけど、機内食を断ってきた胃が食料を要求し始めたのでベーグルを購入。
クリームチーズを塗りパクパクしていると、Heartsのバスは何度も来ては去る。
手を上げれば止まるというのを他人のフリ見て理解。ベーグルごと手を上げたら
止まった。名前を言うとドライバーは端末にイニシャルを入力し、それが事務所に
つながり事務所に到着する仕組み。いやぁ〜世の中進んでいるんどすなぁ〜!
おらぁー田舎もんだしぃ〜と極東から着たアジアの子を装う。
 
今回の宿泊先は私の香港人の友人の高校からの同級生とアメリカ人のご主人が
暮らすアパートである。お2人共会ったことはない。結婚式の写真と電話番号を前日に
渡され電話しろと。かなり無謀。しかし彼女の母親から半ば無理やり預かった孫への
洋服はトランクの半分を占めているから、堂々と無銭宿泊を決めこんでいた。
無事対面したご夫妻。あれれ?写真と違う。結婚式では化けていたと判明した。
アパートへ案内され部屋から外を眺めるとそこには滑走路が。。。滑走路脇にアパートは
あるのだ。昔のカイタックのようだ。24時間稼働。うるさーい!とは言えないわ。
なんせ無銭宿泊。
熱で体力が落ち、時差ぼけが始まりご主人が近所の道を指導しつつ走っていても
ボンヤリするし、なんせ極東の娘。何を見ても物珍しい(きょろきょろ)。聞いちゃいない。
彼は仕事場で車を降り「あとはこの道をまっすぐ行き、○○道を左折してうんぬん。。
行けば着くからね。じゃ夜にまた」と行ってしまった。1人残されしアジアの娘。
あいよ!と運転しノリで車を走らせると案の定道に迷う。よくあるパターンにはまる。
あれれ?あれよあれよとノリで幹線道路に
合流してしまい皆が100キロ位で飛ばしてくる!「キャァ〜!」でも前進あるのみ!
ギャァ〜!@@@目がまわるー@@
と、とにかく小道(んなもんあるかいな)で落ちついて、地図を見て確認と目論むも
小道がない。そこで気がついた。地図もなければ、住所を書いたメモもない(冷)
絶望とはこのことぞ。この広いアメリカのロスで道に迷った場合の対応を教えて
くれなかった親を恨むも後の祭り。依然100キロで車は走り続ける。
これでは誰に尋ねるも泣きじゃくるだけの迷子状態だ。情けないぞ。
ようやく千鳥走りの末見つけた小道へ強引に右折し、前の車について駐車できる
場所を探したが、ない。100m先に発車する車を発見し車を停め「お、落ちつけ!」と
携帯をつかむ。「待てよ?ここがどこが説明する必要があるぞ」とまわりを見まわすと
見覚えあるアパートが目に入ってきた。
悪いがロスは初めてだ、ロスに何百万世帯あるか知らんが知っている家は一軒
だけのはず。
「????」首をかしげて約1分。
。。。「はっはははぁ〜!!!これじゃぁ〜ん!!(笑)」そうなのだこのアパートだったのだ。
どこをどう間違って走ったかは今となっては定かではないが、結果オーライでちゃんと
アパートに到着することができた。今でも不思議でならない。
もし駐車した場所が5Mでもずれていたなら、迷子放送をしてもらわねばならなかったろう。
LAPD沙汰(映画の見過ぎ)になり強制退国だったかもしれない!ここはアメリカだし。
すごい強運に驚く。私は歩くラッキーかい?と図に乗り高笑いし車を入れ部屋に入った。
旧暦で言う新年の2月4日神がかりな幸運で命拾いし1週間のアメリカ滞在が始まった。
やれやれ。
次回は「サイキックと幸運パート2」をお送りします。
 
 


2月21日 或る読者より

「味酒乱・ど・ジャポン」
いつも楽しく拝見致しております。

実は昨日ここに行きました。正確に言うと、和三郎とシェアする
元にんにくやに行ったのでした。

依然のにんにくやはキリンのリカーライセンスを使っていたため、
今は取得中とのこと。(来月位には取得できるとのことですが?)
当然お酒は持ち込めますので、料理代だけですから、結構安く
あがるのではないでしょうか?

因みに昨日は2人で(突っ込まれる前に行っときますが、同伴
じゃあありませんよ。
「我昨天下中文課以後、和我的同学一起去了。」です。

食べたもの
(1)スイス風お好み焼き(何処がスイスなのだろう?)
(2)はまちのかま焼き
(3)串揚げ盛り合わせ
(4)石焼キムチビビンバ(ご飯なし)

持ち込んだというか買ってきてくれたもの。
(1)サンミゲル4缶(40ドル弱?)
(2)白ワイン(60ドル位?)

2人合計で400ドル強位だったかな?お味は前にそんなに行った事
があるわけではありませんが、そこそこではないでしょうか?

何かあれば皆さんで大量に酒持ち込んで楽しめると思います。

尚、既にご存知だったらすいません。

    
*因みに和三郎の奥のスペースがニンニク屋なんだそうです。

1月17日 「ありがとうボランティア」

また1月17日がやってきた。
Column de Hong Kongにボランティアのことが書かれてあったが
同じ地震でボランティアにお世話になった側から書きたい。
伝えたいのはこういう場合、ボランティアが如何に大切かということ。

今から丁度8年前、ある会社のサラリーマンであった私は関東に単身赴任中。
3連休であったため神戸の自宅に帰って居り、その日の朝一番で赴任地に
戻る予定であった。そこへ大きな地震。地震とはユラユラ揺れるものと思っていたが、
ダンプカーにぶつけられた様な衝撃、次の瞬間、反対側からまたダンプカーに
ぶつけられた様な衝撃、ガンガンガンと5〜6回、15秒ほどすると、夜風がスゥーと
寝室に吹き込み、薄明の空に星が見えた。窓枠が飛び、壁が崩れたのだ。
家族全員の無事を確認し、ほっと一息ついた。
夜が明けて勤め先に電話をして無事を伝えるが、充分な人が出ていないらしく、
要領を得ない。

さて、わが社の場合地震の翌週(5日ほど経って)ようやく地震対策本部が
人事室の下に設けられ、そこが社員の被災者の要望に対応することになった。
しかし不幸なことに会社のトップも被災していた。
対策本部はまずトップの家に駆けつけ色々と手助けする。当然といえば当然、
会社のトップなのだから。我が家は屋根を覆うシートが欲しかった。
対策本部に連絡すると、あなたの名前はリストに入っていないという。

聞いてみると単身赴任者は在籍する工場が面倒を見ることになって
いるという。そんな馬鹿な! 抗議してやっとリストに載せてもらった。
シートは取りに来てくれという。
電車は走っておらず、車で行こうにも国道に亀裂が入って思うように走れない。
脇道を行こうとすると家屋が倒壊していて通れない。それでもシートの置いててある
社宅まで2時間ほどかけて何とかたどり着いた。

そこであれも欲しい、これも欲しいというと、皆さんに分けないといけないから
そんなにはあげられないという。考えてみればそうだろう。予算も限られているし、
集めた物資も限られている。そんなことを許せば際限なく要望が出るのではないか。
上の人から叱られるのじゃないか。会社で仕事をする時は大体上司の許可を得てから
実施するが普通。自分で決められない。その気持ちはよく判る。
自分がその立場であったら多分同じことを言うだろう。
お役所なぞ最たるもので過去に前例があるか?この人にこれを認めたら、ほかの人が
言って来たら認めなければならない。それならダメと言っておこう、と云う発想。
得てして組織とはそういうものだ。

翻って思う。ここに至るまでの間にどれくらい大勢のボランティアが我が家に
来てくれただろう。
何か困ったことはありませんか?水は?食べ物は?コンロは?
キャラバンのように大勢でリュックを背負ってやって来てくれた。見知らぬ人も一杯。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。

ボランティアの人たちは被災者の身になって、何かしてあげられることはないかを
一生懸命考えてくれる。一方会社とか役所の人たちは決められたことはやってくれるが、
決まっていないことをやるのは苦手。上を見て横を見て下を見て、なんとか何もしないで
過ごしたい。悪口の様だけれど多分私も逆の立場だったら同じ様な事を言ったり、
したりしたのだろう。
ただ残念な事に対策本部の人はその後も一度も我が家には来なかった。

地震の時の経験から言える。ボランティアでなければ出来ないことが一杯ある。
事情が落ち着いて赴任地に帰って皆に伝えたこと。
「リスクに対してマニュアルを作るのも良いが、いざといった時は直ぐに社内でボラン
 ティアを募集して事に当たらせよう。それが最良のマニュアルだ。」

すぐ近所で家の下敷きになって亡くなった人もいたが、幸いにして我が家では怪我人が
なかった。

家が倒壊した為建て直し、30数年働いた退職金が無くなりはしたが、
あの時にボランティアの皆さんから頂いた優しい心を思うと大した事にも思えない。

    
*世の中不条理な事は沢山有りますが、それに直面して漸く見えてくる
   真理も有ります。物事の本質を見極める、考える、行動する事の重要さに
   ついて改めて考えさせられる投稿です。



9月20日 読者からのmailより抜粋(2)

○○さんの蝦嫌いにはそんな理由があったのですね。

アジアでは何処行っても味付けが違うだけで、蝦料理は避けては
通れない食材の一つだと思います。その環境下だからこそとは
いえ、肉体的にも弱点を克服された点、ここに改めて敬意
を表させて下さい。

それにしても、XXさんのレポートにありましたが、タイで生の
伊勢海老がでてくるとは、あな恐ろしや。

しかし、先日夏休みに家族でタイに行った時に、あたったら強烈な
ことで有名なあの食材が、伊勢海老同様生でサーブされてました。

答えは「牡蠣」。

食べ方はカリカリに揚げたオニオンリング、万能ねぎ?みたいな
青いねぎを上に乗せ、レモン汁を絞りそのままかぶりつくという
到って簡単なもの。姉夫婦の知り合い(日本人)がタイ人と結婚
されているので、一緒に会食した時にそのご主人が注文しました。
その奥さんのお話では、おいしいけど、日本人はまず10中8、9
は食中りで病院に担ぎこまれるそうな。

翌日香港に戻る予定だったので食べませんでしたが、義兄は一緒に
パクついてました。その後の結果は・・・・・・、なんと大丈夫。
義兄は日本人でないのか、それとも胃腸がどうかなってるのでしょう。

話し変わって私は香港でひどい食中り2回経験しました。(家、
というかトイレから一歩も出れない状態。)でも食べたのは全部
日本料理屋の生もの。ちなみにその二箇所は在銅羅湾の○○○と、
○○○○○○です。(お知りになりたければお教えしますよ!)
では。

*銅鑼湾の日本料理屋って3文字の所が多いので、6文字ってあったっけ?と
 
 考えてみたら、筆者がミシュラン・コーナーで絶賛しているあそこがそうでした。
  日本人倶楽部。まさかね・・・。

10月16日 読者からのmailより抜粋

実はわたしも奥様に負けない大のエビ好き。
そんなわたしもやっぱりびびりました。
初イセエビノフナモリにお目にかかったとき…。

タイのプーケットで国際〇〇会議に出席した私。
会議以外の日はお客様方と昼も夜も宴会。
世界中から集まった〇〇業界の人たちは南国の島で浮かれ気分。
そんな(タイで一番暑い季節の)ある日、素足では歩けないくらい
砂が焼けたビーチでこれまたランチ宴会。
私がシーフード&エビ好きだって知ってる大口顧客様が言いました。

「今日は○○のために店で一番大きなエビを頼んだよ!!!」
私:「えぇー、うっれしぃいいいいいい(営業)」。
この炎天下、誰が刺身を想像するのでしょう。
でもやっぱり来たのは伊勢海老のお刺身様だったのぢゃ!(石村風)。

これを食べずして一人前のセールスにはなれん、と思い笑顔キープのまま
いざお食事タイム。(の前はやっぱりおとーさん、おかーさんの顔が浮かびました)。

…やはり私はえび好きでした。
おいしかった。なんともなかった。
このあと刺身に限らず何度とな
くこわそーなものにチャレンジしたけどいつも元気だった。
出張帰りの人たちがみんな「いやー途中はらをこわして大変で…」なんてよく聞いたけど、
私はそんなこと一度もなかった。
けっこーいけるもんですね。それとも私だけでしょーか。
 
ってそんな話どーでもよいのだけど今後もホームページ繁栄を願ってます。
がんばってくだチャイ(またまた石村風)。
まりちゃんおいたちきろくもいつもみてるよ。
たまには我が家にあそびにきてください。

                                        XXより

  *おてまみアリガトさんです。現在かみさんの締め付けが厳しく、帰宅組の
   様相を呈している筆者ですが、其の内おちゃけ頂きに伺います。ムゴイ。

6月19日  某生命保険会社に勤める読者より。


はっきり申し上げて、保険の仕事からもう10数年離れてますので、
確かな事は申し上げられませんが、筆者がご指摘される通り医療保険
は儲かりません。但し、被保険者が全て独身の若い男性であればそう
でもないとは思いますが、現実問題として当然ご家族連れでお見えに
なられている方が多いため、その収支は当然の如く悪化するといっても
過言ではありません。(特に小さいお子さんのおられるご家庭では、
ちょっと風邪を引いたと言っては、カノッサやアドベンの様に日本語・
英語が通用する様な高い所に行かれる場合が多いからです。)

ですから保険会社側の論理では、当然この商品の位置付けはあくまでも
サービス商品、100円ショップでは原価が100円以上するいわば
客寄せ商品の位置付けで、企業が契約者となり被保険者を従業員とする
死亡保障契約と抱き合わせで頂きたいのが本心です。

また、ご企業との契約は、一度ご契約頂いても年度毎に更新しますので、
競合の存在・各ご企業の経費圧縮というご時勢の厳しき折、その値下げ
圧力というのはかなり厳しいもがあります。従って、更に収支は悪化する
という状況になっている模様です。

幸い弊社はこちらで保険の元受業務ではなくエージェントなので、リスク
は少ないのですが、値下げによる仲介手数料減という影響は避け得ない
のではないでしょうか?

私も怪我で入院したりして、色んな病気に苛まれる方々を身近に接する
機会がありましたが、やはり人間は健康第一です。是非皆様のご健勝を
お祈り申し上げます。ちなみに収支改善のために皆様のご健康をお祈り
するという訳ではありませんのであしからず。

 
*昨日upした「コラム de 香港」に早くも反応有り。やっぱ読んでくれている人は
   ちゃんと居るんですねぇ。で、某保険会社駐在員の同氏によると、彼の
   保険商品やっぱり儲け出てないみたいです。大変でんなぁ。
   どの業界も厳しいのは同じですね。

4月19日   転籍苔生さず。(某氏の告白)


私も20数年前に転職しましたが、子会社から親会社への移籍なので、転職とはいえないかもしれません。

 

子会社の時は、TOSBAC−40、TOSBAC−20という東芝のミニコンピュータのセールスエンジニア兼韓国専門輸出営業でしたが、親会社でも韓国専門輸出営業で約10年間1年のうち1/3は韓国出張の日々でした。多い時は179日韓国に出張していました。183日を超えると韓国の所得税を払わないといけなくなるため、179日で打ち止めにしたとかっこよく言いたいのですが、現実は胃潰瘍で血をはいて、入院したためです。生え抜きにまけないように、精神的にいつも緊張し、疲れていたためと思っています。

 

上司に恵まれ、中途入社のハンディキャップもなく、今の職までなっていますが、転職で天職を得たと思っています。ただ生え抜きのメンバーのなかにはやっかみがあって、いやみ、誹謗中傷はしょっちゅうでしたが、上司がかばってくれたため、大事にはなりませんでした。ですから私も輸出部長時代に25人の部下のうち3人が中途入社でしたが、かわいがってやりました。しごきだったかもしれませんが、彼らは今ベテランの営業としてがんばっています。

 

40歳ぐらいまではよくヘッドハンターから、電話、手紙等でお誘いがありましたが、45歳の時に米系の印刷機の会社の副社長という話を最後にパタッとなくなりました。話がなくなるということは現在の会社でも必要なくなっているかもしれません。今思えばソニー生命ができた時にあったお誘いにのっておればよかったと後悔していますが、これもお誘いがあるうちが花と思ったのがあさはかだったのかもしれません。

 

閑話休題

ミニコンピュータをよくご存知でない方のために説明しますと、今のパソコンからはとても想像のつかない代物です。

本体メモリはコアメモリで標準は8KB(8MBではありません)で、MAX64KBというおもちゃみたいなものです。たしか8KBで百万円したと記憶しております。

HDDも1MBのものがありましたが、何百万円する価格で、使ったことはありますが、システムにして売ったことはありません。

今PCカードタイプのHDDで5GBのものが、5万円で購入できますが、信じられない安さです。

FDDなどもミニコンにはついていなかった時代です。ペーパーテープリーダ、ペーパーテープパンチが、プログラム作成に欠かせないものでした。

ハードウェア、ソフトウェアともに知識がないと、プログラムも組めないため、東芝の青梅工場で、組立、調整および最終出荷前検査をやりましたが、苦しいけれど楽しい2ヶ月でした。

言語もアセンブラでソフトを組まねばならず、メモリ容量が小さいため、プログラムステップを短く、また演算時間を短くするために一つの命令の所要時間を計算しながら、プログラムを作ったものです。

またプリンタもASR−33という代物で10字/秒という低スピードで、ちょっとした1000ステップぐらいのプログラムを組んでアセンブルする時も、時間単位の世界でした。

大学時代に(一応、計測工学科でした)勉強した、NAND論理回路、機械語、FORTRAN、ALGOLなどの基礎があったため、こなしていけました。学校の勉強なんて役にたたないと思っていましたが、どこで役にたつかもしれない見本でした。

 

元に戻って、転職の話を続けますが、3人の中途入社のうち、1人は同じ計測工学科の7年先輩も部下になった時は、どうしようかと悩みました。私が45歳で、彼が52歳、そして私が学生のころ、彼は助手をしていて、材料力学の演習や、実験指導を受けた相手です。彼のほうがやりにくかったと思いますが、他にも2人8年先輩の部下がいたこともあって、仕事はお願いしますと下手にでて、頼んでいました。ただ、通信文に関しては、厳しくチェックをし、私が見ないで外部に発信してはいけないと、きつく厳命したため、関係がおかしくなった時もありました。

その彼がスペインで倒れ、ドイツ入院した時は、たまたまフィンランドに行っていたため、ヘルシンキから、デュッセルドルフまで飛んで(文字通り)いったこともありました。幸い1週間ほどの入院ですみましたが、外国の病院で心細い状況の時、救いの神に見えたそうです。その後の関係は良好でした。

 

ROLLING STONEのように動き続けて、苔の生えないように、これからも生き抜きます。

 

以上

*俺の話を後世に伝えずに死ねるか!と折れたあばら骨も引っ付かない中、痛みを我慢しつつも
 投稿した体験記。人生、ドラマ有りですね。

11th March   [Smoking in the Rain]

Two old ladies were outside their nursing home, having a smoke, when it
started to rain. One of the ladies pulled out a condom, cut off the end, put
it over her cigarette, and continued smoking.
Lady 1: What's that?
Lady 2: A condom. This way my cigarette doesn't get wet.
Lady 1: Where did you get it?
Lady 2: You can get them at any drugstore.
The next day, Lady 1 hobbles herself into the local drugstore and announces
to the pharmacist that she wants a box of condoms. The guy, obviously
embarrassed, looks at her kind of strangely (she is, after all, over 80
years of age), but very delicately asks what brand she prefers.
Lady 1: Doesn't matter son, as long as it fits a Camel.
The pharmacist fainted.
 

*香港で人気有る煙草って、「峰」かな?そりゃ、そりゃ台湾か・・・。

2月25日 味覚の違い

味覚というのは、人によって様々だと思う。
うちの主人と私もだいぶ味覚が違う。
結婚する前から少し不安に感じていたが、主人は異常に辛いものが好きだ。
私も辛いものが結構好きな方だが、主人の辛いもの好きは限度を超えている。
塩っからいのも唐辛子系の辛さも好きで、何にでもチリソースやタバスコをかける。
はっきり言って、お料理を作った者にとっては、すっごく腹だたしい。
微妙な味付けもなにもあったものではなく、パスタはもちろん、オムライスでも、
冷奴でも、肉料理、魚料理、卵料理、なんでも辛くしないと、「おいしくない」らしい。
彼にとってはカレーの中辛など、カレーとは言えないらしい。
中国の四川省に旅行したときなど、朝、昼、晩と激辛の四川料理に、
同じツアーの日本人全員、3日目にはウンザリしていて、ほとんどお箸が進まなく
なっているのに、主人は一人でモリモリと食べていた。
それも一番辛そうな花椒が山盛りの鶏の炒め物などを。。。

また、私と主人の間の決定的な溝は、私が大のエビ好きで、主人が大のエビ嫌い
であることだ。
私は小さいころから、「お誕生日の日の食事」というと、「エビのてんぷらかエビフライ」
というぐらい、エビが好きだった。私のエビ好きは友人の間でも有名で、
友達の家に行ったら、そこのうちのお母様が、
「○ちゃんの好きなエビのお料理、用意しておいたわよ」と言ってくれるぐらいだった。
ところが、よりにもよって、結婚した相手は「エビ以外なら何でも食べられます」
という程のエビ嫌いだったのだ。
まだ付き合いはじめて間も無いころ、私が大のエビ好きだと知らない彼は、私の前で
エビの悪口を散々言った。
初々しかった私は、それを黙って聞きながら泣いた。
だって、心の中で「エビ=私」に置換えてみたら、本当に悔しくなり、
はじめて主人に向かって「エビの悪口、いわないでよ!」と怒った。
これがはじめての喧嘩(主人に言わせると一方的な)だったと思う。

私の持論では、主人が髪の毛を気にするようになったのは、辛いものの食べすぎ
でもあると思う。
唐辛子の辛さというのは、身体の新陳代謝をよくする働きがあり、もちろん頭も汗をかく。
そこで、朝シャワーを浴びる習慣の主人は、夜、汗をかいたまま寝る。
そうすると、やっぱり髪の毛が抜ける。
だから、辛いものを食べるのを、ほどほどにしなさい!と言ってるのにちっとも
言うことを聞かない。
誰か私の代わりに言ってくれる人、募集中。

話は変わるが、おいしさ、というのは見た目も重要な要素だ。
盛り付けひとつでお料理がググっとグレードアップするというのは本当だと思う。
最近、コーヒー好きの我が家では、会社の人からコーヒーメーカーを頂いた。
で、毎朝飲むのだが、主人はいつも、「インスタントじゃなくて美味しいコーヒー入れて」
という。
時々、時間が無いときは、インスタントのコーヒーをコーヒーメーカーで作ったふりをして、
コーヒーメーカーのポットにいれ、それを持っていくが、彼は
「うん、さすがにインスタントとは違うね」と言って満足して飲んでいる。
私は心の中で、「よっ!味のわからない男!偽グルメ!」とさけんでいるのだが。
(ばらしてしまったので、もう2度と使えないだろうな。この手は。)

いつか、主人が私の味覚に近づいてほしいな、と願いつつ、今日はこの辺で筆
をおくことにします。

△ちゃん


  *今や投稿常連の△ちゃん、海老が一杯食べられる香港に住めて良かったね。

2月14日  「くじ運」について

私は昔から、人よりちょっとだけ「くじ運」がいい方である。
ちょっとだけ、というのは、大当たりはしないけど、くじの値段より、ちょっ
とだけ儲ける、という意味である。
たとえば、この1年の間でも、5〜6回ビンゴゲームやら、なにやら”くじ”
をする機会があったが、大抵何かしら当たっている。
去年の旧正月前の取引先のAnnual Party(忘年会)では、その会員制クラブの
お食事券(ペア)を2年連続で当てた。
また、2つ所属している県人会でも、参加した数だけ、参加費用よりも高そう
な商品(フェラガモのネクタイ、サントリーの「山崎」、源吉兆庵のお菓子詰
め合わせなどなど)をGetしている。競馬でも、主人は一度も勝ったことが
ないらしいが、私は初めてで、ちゃーんと儲けを出した。(いくらだったか覚
えてないけど)
他にも、会社のパーティーでも、仏蘭西屋のシャツオーダーメイド券など。。。

一番最近は、スタークルーズ船上で催されたビンゴパーティーで、2等の
「HK$822.50−」である。
なんでこんな中途半端な数字かというと、私と同時に当たった人がもう一人い
たからだ。この人さえいなければ、HK$1645.00−は私の独り占め
だったのに。。。現金だけにやっぱり嬉しい。
と、まあ、このように、ちょっとだけ儲ける、というのはこういうことなのです。

話は変わるが、私の実家では、父の影響からか兄弟でちょっとお金を賭けた
ゲーム好きだった。(今思えば、教育上悪い)
たとえば、お正月といえば、お年玉が入ってきてお財布がホクホクとなる。
そうしたら、そのお年玉を元にして、百人一首大会が開かれ、それで優勝した
ら、お年玉が増える、という寸法である。
もちろん負けたらほかの人に巻き上げられてしまう。
そういうわけで、我が家の12月は、家族みんなが百人一首をブツブツと覚え
る月なのだ。
お手洗いにいっても、百人一首表が貼られている。
また寝るときも枕もとには百人一首の本。食事をしながらも百人一首を頭の中
で繰り返す。学校の行きかえりの電車の中ももちろんそうだ。
そういうわけで、私は、一番最初の1文字で下の句がわかる、というような、
百人一首オタクになってしまった。
高校の時、同じ学年で百人一首大会が開かれた。
もちろん、優勝した。
だって、みんな我が家の誰よりも覚えてないんだもん。

ちょっと話はそれたが、私は「くじびき」というのもゲームの一種だと思って
いる。だからひとつの趣味というぐらいすきなのだ。
宝くじも(1万円があたったことがある。かわいいもんだ。)、インスタント
くじも大好きだ。
また、海外でカジノがあれば必ず行く。
大きなお金は賭けないが、スロットマシーンなどで、必ず、「ちょっと儲け」
を出してやめる。
スペインでは2万円ほど稼いだ。アトランタでは8000円ほど稼いだかな。
マカオでは、トントンで終わった。

こういう私の旦那さまは、株以外の賭け事が大嫌いらしい。
今回のクルーズでも、嫌がる旦那さまを無理やりビンゴに連れて行った。
当たった私を感心してはいたものの、翌日またやろうというと怒られた。
私からしたら、株というのは、私のやってることよりもっともっと危険な賭け
事だと思うんだけど。。。
そういえば、私がちょこちょこ当たっているゲームで、主人が何かあたってい
るのを見たことも聞いたこともない。
本当にくじ運の悪い人だ。
でも、世の中、こうやってバランスがとれているのかしら。。。

これからも、いろんなものが当たりますように。
いつか、宝くじで3億円当ててみたいな。


  *結婚も一つの賭けですよね?確かに貴女、くじ運は良い。

(2月6日) (Insider取引について) 


インサイダー取引の規制の件ご回答致します。

結論から申し上げると有ります。
法律はSecurities (Insider Dealing) Ordinanceで規定され、
ここでは詳細は控えますが、どういう人がインサイダーにあたり、
どういった場合がインサイダー取引か書いてあります。

個人投資家に適用されうるペナルティーは多分、インサイダー
取引で得た若しくは回避した損失が政府に回収されるだけでなく、
かつ最高その額の3倍のペナルティー支払いを命ぜられます。

一応インサイダー取引は刑・民法上の違反にはなりませんが、
The Insider Dealing Tribunal (裁決機関)が罰します。
だから牢屋入りはしません。

まぁ個人の場合中々立証は難しいとは思いますが、もしお取引先
の社長からその会社に関わる重要情報を聞き、その社長がインサイダー
取引で引っかかった場合は多分周辺者もお取調べがある可能性
も有りますので、是非ご注意を。

私事ですが投資の仕事をしてますと、色々と会社への報告が面倒
なので自分で証券会社に行って個別株を買ったことがありません。
香港株なんかも散々昔から売り買いしてきましたが(こういう
書き方をするとなんかデイトレーダーと思うかもしれませんので、
それは全くやってません。)、ご自身のアカウントで買われたと
いうのはすごいですね。

釈迦に説法だと思いますが、ただ一つ敢えてアドバイスさせて頂けるなら、
美味しい話はこの世にはありません。また一番難しいのは売却タイミングです。

○倍に増えるということも稀にありますが、個人資産の基本ベンチマークは
短期金利だと思うので、それを上回るリターンを手にすれば良いと言うお気持ち
で投資されて頂ければ、あまり大きなリスクをおとりになることも無いかと
思います。(良く言われるのはもうは未だなり、未だはもうなりですので、
タイミングを計ってたら何時までたっても売りにくくなるのはもうご存知
ですよね?)

差し出がましく書いてしまった点、お詫び申し上げます。

*先日の株式投資に関するコラムに対して、某読者よりAdviceを頂きましたので、
 掲載させて頂きます。流石専門家。参考になりますなぁ。

(11月24日)
老人と猫

我が家の猫のひたいほどの庭に、ここ数年3匹の猫が出現する。
この庭には長年の夢であったゴルフの練習用の芝生が植えてある。
芝生の丁度中心に当たる辺りにこの3匹の猫が糞をする。これがまた臭い。 

我が家には以前犬を飼っていた。 中国犬のチャウチャウである。
人に吠えるわけでなく何の役にも立たない犬だと思っていたが、今から思うと
彼女の生きていた間にはこのようなことはなかった。 3年前にこのチャウチャウが
老衰で死んでから猫が出現するようになった。
経験のない方には判らないだろうが、この猫の糞の臭いこと。 チャウチャウももち
ろん糞はするが、もっと人目につかぬところに、匂いのないしかもコロコロして
始末のしやすい性状であったが、この猫の糞は適度に湿り気があって、
スコップに素直に入らない。
老人が嫌がるのをからかうように我が家のベランダからの正面に用をたしてゆく。

我が家の庭に出入りできる通り道に、2000円ばかり投資して金網を張った。
もうこれで大丈夫と思っていたら、ある日猫が入っていた。 コラーと言って追いか
けたら、1メートルばかりの網をヒョイト飛び越えて逃げていった。 
マイケルジョーダン顔負けである。
J’sも会員不足で悩んでおられるようだが、まだまだ候補は沢山いる。

こうなればボケ老人と猫の知恵比べである。 すぐに思いつくのは空気銃を買って、
狙い打つこと。
世の動物愛護家からはなんとむごいことをとお叱りを受けそうだが、この老人も結構
動物好きで以前、猫も犬も飼ったことがある。 それでも毎日この匂いをかがされ、
後始末をさせられたら、次第に隠されたる残忍性が顔を出してこう云う事も考えてしまう。
昨今のマスコミ状況からすると、空気銃で可愛い猫を撃ったと言う事になれば、格好
の記事にされるのは間違いない。 
秀才といわれた友人の一人に悩みを打ち明けると、そりゃあ飼い主に言いつけろ、と
秀才らしからぬ回答。

老人は狂牛病にやられてスカスカの頭をひねって、次なる施策を実行に移した。
 
先の金網をもう一段高くしてそれでもつたってくる塀の上に100円ショップで買っ
た画鋲を上向きに接着剤で貼り付けた。画鋲の数にして100個以上である。
もうこれでやって来ないだろうと半ば安心し、半ば期待しながら様子を見た。 
その2日後なんと又やられている。 
庭に出て見ると猫が塀の上に座っているではないか。 
あそこには画鋲を植え忘れたのかと思って行ってみると、そこにはちゃんと
ビッシリ植わっていた。 
猫を飼っている詳しい方がおられたら教えて欲しい。 
猫は画鋲の上でも歩けるのですか、座ることもできるのですか。 

画鋲が刺さるかどうかは、猫の足にかかる体重と足の踏み出し速度、
画鋲の先端の鋭利さ、それに足の裏の皮の厚さ位がファクターだとは想像できるが、
なにか大事なものを忘れているのでしょうか。

次なる一手を考えている。これは前からやろうと思っていたことだが、パチンコである。
近頃の若い人にはわかるまいが、この老人が若い頃は、パチンコなるものを手作りで
作って遊んだものだ。 Y字がたの枝を切って、チューブ状のゴム紐をつけて、弾は本物の
パチンコの玉。
ところが最近はチューブゴム紐を売っていない。 パンツの紐では力が足りない。 
あきらめていたが別の友人に相談したら、マッチャ町で中国製、製造物責任保証つきの
パチンコを買って来てくれた。
チューブ状ゴム紐の威力充分のもので、この友人、老人が猫にいじめられてノイロー
ゼ気味なのを同情してのことでプレゼントしてくれた。
製造物責任注意書きに人に向
かって打ってはなりません、猫は構わないようだ。
念のいったことに、直径8mmほどのかんしゃく球つき。 もし本物のパチンコ球で
猫の額に当たって、死にでもしたら新聞沙汰になると心配してのことである。
昨日から待ち構えているのに姿をあらわさない。 かんしゃく球の試し打ちで2発ほ
どパンパンと鳴らしたのに恐れをなしたか。

老人と猫の知恵比べ、果てしなく続きそうだが、読者のどなたかでいい知恵があった
ら新聞沙汰になる前に教えていただきたい。 

薬剤を撒くこと、猫の嫌がるというトゲトゲ状プラスチックは効果なし。

スポンジ頭の老人より

*香港で猫って見かけませんな。全部食べちゃうんだろうか?
 犬が居ないのはそういう理由だから、と友人が言っていたが信用は出来ない。
 スポ爺がノイローゼで参ってしまう前に、皆さん,良いアイデアを本欄、或いは掲示板で
 教えて下さい。

(11月10日)
赤ちゃん教室体験記

親元を離れ、一人で(あっ、ダンナ様が普段おうちにいるA家では二人で、
か)香港で子育てするにあたって、周囲のママ友達の情報やアドバイスという
のは有り難く、またとても心強い。

今、わが家の一人娘は7ヶ月となり、一人でお座りができるようになり、ハイ
ハイを(まだ下手ではあるが)している。また、手で支えると数秒間立つこと
ができる。
そんなれっきとした”赤ちゃん”、先日赤ちゃん塾(のようなもの)
に体験入学してきた。

香港には、0歳児を対象としたクラスのあるプレイスクール(プレスクール)
というのが多数ある。中でも日本人のママたちに人気なのは、やはり日本語で
乳幼児たちと遊び、教育もしてくれる「○○クラブ」や、「△△館」などだ。
お金と時間に余裕のある家庭で、その他にインターにも行ったりする。
あるプレイスクールなど、月謝が安いこともあって、1歳8ヶ月からしかは入
れないにもかかわらず、Waiting Listは1年半先まで一杯なので、我が娘
も、生後2ヶ月で香港に来たときに、あるママ友達から、「人気の□□の
Waiting Listに乗せてもらえるように申込に行かない?今、申し込めば丁度
1歳8ヶ月目ぐらいに入れると思うから。」と誘われた。
まだその時は、生まれて2ヶ月しか経っていない娘の「プレイスクール」の事
など思いもよらず、驚きのあまり、「1年半後に香港にいるかどうか分かんな
いし。。。」と消極的な返事をした。
だが、2歳近い子供たちのいるママ達と話をしていると、みんな、「子供があ
そこに行くと本当に楽しそうだから、申し込んでおいてよかったわ」と言って
いるので、娘が1歳8ヶ月の時に、まだ香港にいられたらいいな、と思ってい
る。

娘が体験入学したのは、そういうのとはまた違うものだったが、「日本ではそ
れはとっても有名で、待望の香港校が数年前にできたので、行ってみるけど
一緒に行かない?」という、ママ友達の誘いに、単に「無料」、という言葉にひ
かれ、赤ちゃんを連れて行ってみた。
3ヶ月前から通っている、という現在8ヶ月の赤ちゃん1人のクラスに、迷惑
も顧みず、私達、見学者5人(+赤ちゃん5人)が参加させていただいた。

まず、先生が、一人一人の赤ちゃんの目の前に、火をつけた蝋燭を持ってい
き、「はーい。今日の○○ちゃんのお洋服の色は何色かな〜?(ママと赤ちゃ
んが答える)そうだね〜。水色のお花模様だね〜。それじゃ、フーって蝋燭の
火を消してごらん。(ママと赤ちゃんがフーっと消す)はい。よくできたね。
それじゃ、次は、時間だよ。(時計の絵カードを見せ、すごい勢いで次々にめ
くりながら)12時15分、1時15分、2時15分、3時15
分。。。。。。」。

私と娘は驚いた。。。一体、これは何が行われているのだろう。。。。。。。。。。
なんだかちょっと怪しい。。。私と共に体験入学して
いるママ友達みんな、驚きの表情を隠しきれないでいる。。。
それにもかかわらず、先生はかまわずに続ける。
すごい勢いで、目にもとまらぬ速さでカードをめくり、早口でカードの内容を
口に出す。それも無表情で。。。
「はい、次は数字だよ。、今日は奇数だよ。1、3.5、7、9、11(もち
ろんすごい速さで)」そして、次々と色んなカードが出てくる。「はい、次は
果物だよ。りんご、みかん、バナナ、すいか、栗、。。。」
「はい、次はきれいな絵をみようね。ゴッホ、「海辺の貧しき人々」、
ピカソ「なんとかかんとか」、モディリアーニ、「へのへのもへじ」。。。」。
そして、極めつけは、私たちお母さんですら読めず意味もわからず聞いたこと
もないような四字熟語(虎視眈々しか意味がわからなかった)、また、俳句、
反対語(善悪、男女などなど)などが次々と難しい漢字カードと共に出され、
またそれを先生が早口で読んでいく。
とにかく、50分、息をつく暇もないほど、忙しく勉強していくのだ。
もちろん、赤ちゃんに分かっているとも思えない。どの赤ちゃんもお腹がすい
たといっては泣き、眠いといっては泣き。。。うちの娘も、先生の持つカード
を見ないで、隣の赤ちゃんが泣いている方ばかり気にしている。
いや、どの赤ちゃんも、ではなかった。3ヶ月前から通っている現在8ヶ月の
赤ちゃんは、じーっとカードを見て、先生の言うとおりタンバリンをたたき、
クレヨンを渡されたら画用紙になにやら描いたりしているのだった。
うーん。不思議だ。

最後に、今日、体験入学をした人たちにパンフレットが配られた。1週間に一
回。50分の授業で、980ドル/月だ。高い。。。

そして、何がなにやらわからないまま、50分の体験入学は終わった。
みんな口々に、「なんだか洗脳されてるみたい。」とか、「信仰宗教みたいだ
ったね」とネガティブな反応。
うーん。我が家もどうしよう。
でも、あとでパンフレットを見てみると、それは、勉強ではなく、右脳を刺激
して、いろいろな赤ちゃんの感性を伸ばす、というようなもだった。
この体験入学に誘ってくれた友達に、恐る恐る尋ねた。「ねえ。このスクール
を卒業した子たちって、大きくなってどうなってるの?」
「よくわかんないけど、テレビでやるような、子供クイズ選手権なんかで優勝
してるような子は、ここの出身者が多いらしいよ」
そういえば、テレビで、駅名なんかをペラペラと言ったり、円周率を小数点以
下100桁ぐらいまでスラスラと言ったりしてる、記憶力のいい子供を見た事
がある。
そういう子がここの卒業生だったとは初耳だった。

まあ、娘には、子供クイズ番組の優勝者になってほしいわけじゃないけど、勉
強好きな子になるのなら入れてもいいけど。。。。。
うーん、母親になって、こんなに早くから教育問題で頭を悩ませるとはぜんぜ
ん知らなかった。
私の子供時代は幼稚園の受験からだったけど。。。
最近の赤ちゃんは、まだ0歳のうちからこういうところに通ってるのか。
大変だなあ。

新米パパも子供の教育費を覚悟してがんばってね!

新米ママ

*管理人はみかん箱の中でクワガタ扱いさながら放ったらかされて育った
 人間なので学習塾すら行ったことがない。そういう人間から見ると
 今時の子供は大変だなぁ、と心から思いまっさ。


(11月3日)

家族旅行

11月に長女が結婚することになり、その前に家族旅行を4人でしようということになった
のは
5月頃であった。

長女は、タイのプーケットへポケットしに行きたいという希望があり、また、シンガポー
ル、ビンタン島(インドネシア)、マレーシアへ行きたいとか、妻は毎朝部屋の窓から見
える船に乗ってみたいとの話がでてきた。

全員の希望がまとまらず。ただ時期は9月にしようということにはなった。

それから、仕事の合間を見ては各種情報収集を始めた。

家族全員United AirlineMilage Plusのメンバーなので、まず、United Vacationの日本および
香港の
Siteを見てみる。日本のHPをのぞくと、9月の料金はまだ決定されていないが、
タイ、ビンタンなどはホテルにもよって、¥100,000/1人と高く、とても当方の
予算(秘密)にはマッチしない。香港の
Siteに至っては、7月上旬というのに、料金は
5月末までのものしか出ていない。
United Vacation HKに電話して、9月の料金はいつ発表
になるかを確認したら、「2〜3日以内に発表します。」とのことであったが、1週間
ぐらいして
Siteをのぞいて見ても、以前のままであった。そこで再度電話をしたら、また
「2〜3日以内」。
頭に来て、新しい料金表が出たら、FAXをして欲しいと番号を教えたのにその後、
全くの
No Reply。故にUnited Vacationを利用することをGive Up

ついで、○通で有名な香港の旅行代理店に、資料を請求し、パンフレットを貰ったところ
が、高いツアーのみ、そして、同じく9月の料金はまだ出ておらず、多分予算に合わない
(少なすぎる)こともあって、これも
Give Up

同時にStar CruiseHPを見てみると、Super Star LeoStar Piscesという2隻があり、
料金も部屋によってピンキリであったが、価格表の一番下に、香港とマカオ居住者限定と
書かれていた。

そこで、問い合わせのメールを入れ、香港IDを持っていない日本人の料金はどうなるのか
を確認した。

返事がMr. Galen JonesというDirectorから送られてきて、日本人でも香港IDを持っている人
は、香港、マカオ居住者料金で
OKであるとのこと。そしてIDカードを持っている人と一緒
であれば、外国人でも同じくその料金が摘要されるとのことであった。そして、9月末の

Super Star Leo
スケジュールが合わずGive Up、結局9月28日出発の一泊二日の
Star Pisces Night Cruiseにすることにした。しかし、当方4人なので(夫婦と娘2人)
ベッドのサイズが気になり、大人が2人ゆったりと眠れるかどうかと海が見える窓があるか
どうかの確認をしたところ、
AAABExecutive Suiteはダブルベッドと引き出し式の
シングルベッドがあり、
ACJunior SuiteAEAdmiral Suiteにはダブルベッドがあり、
大人2人が寝るのには充分な大きさであり、窓は大きいものがあるとのことであった。
そして、予約は旅行社を紹介するので、そちら経由でお願いしますとのことであった。

HPで調べた料金(一人/一泊)は金曜日出発の場合は

AA HK$1,999
AB HK$1,699
AC HK$1,399
AE HK$1,199


であった。

名鉄ワールドトラベルの関係会社の百勝旅運(PAK SHING TRAVEL)の日本語のわかるLuさん
を紹介され、早速予約をいれたところ、が、
LuさんがStar Cruiseと連絡をとったところ、
夫婦はいいが、もう一つの部屋に泊まる娘さんのほうは日本人の料金が摘要されるとの返事
がきた。気の短い私はカッときてすぐ
Star CruiseDirectorにメールを入れクレームをつけた
ところ、営業の
Manager Simon Hoさんから、誤解があって料金は香港人と同一でOKとの
返事がきた。

翌日、どういう訳かAAタイプ$1,999の料金が特別料金で
$1,899x4=$7,596.-
それプラスポートチャージ$120x4=$480、計$8,076という百勝旅運から
連絡がきた。

そして、当日のTicket受け渡しおよび待ち合わせ場所はLane Crawfordの受付で、劉さんと
いう百勝のガイドが待っているとのことであった。

当日、5時45分に4人でLane Crawfordの前に行くと、3人の男性が立ち話をしており、
1人は
Star Cruiseのマーク入りのジャンパーを着ていた。こちらは1人だと思っていたので、
話しかけなかったが、その内の1人が「揖○さんですか?」とたずねてきたので、
「そうです。」と答えた。何と、
Star CruiseDirectorGalaen Jonesさんと営業Manager
Simon Hoさんとガイドの3人であった。

妻と娘二人には、予約完了までの詳しい経過を話していなかったので、何故こんなに3人の
出迎えがあるのかキョトンとしていた。
2人と名刺交換し、チェックインのところまで案内
してくれ、何とまたまた驚くことが、おこった。
Simon Hoさんが後で船の中を案内して
くれるというのだ。一番高い部屋ではあるが一介の旅行者に対してである。

チェックインはすでに開始されており、まず香港の出国、そしてその後部屋の鍵カードを
貰い、パスポートを預ける。乗船口には縫いぐるみの人形が立っており、乗船する人と写真
を撮っていた。

エレベータで10階にあがり、部屋に入って5分ぐらいした時に、女性のアシスタント
パーサーが現れ、パスポートだけでなく
IDも預けてほしいとのことであった。

その後約1時間、Simon Hoさんが上から下まで船の中を案内してくれ、最後に
Super Star LeoVCD、パンフレット、絵葉書の入った袋を2つ置いて、好い旅をと挨拶
して下船していった。
午後
7時頃になっていた。

 

大分長くなったので、これを前編とし、後編は乞うご期待!

                                                       揖○翁

*臨機応変な香港人の対応が良く分かる旅行記有難うございます。
 3日程前に頂いておりましたが、Master パソコンに不具合が生じた為、Upが遅くなりました。
 申し訳ありません。
後編もお待ちしております。

(10月29日)
香港のお金持ち

香港のお金持ちというのは、日本のお金持ちとはケタが違う、と聞いていた。
確かに、香港のお金持ちは桁違いに凄く、また多そうだ。

実は、一駐在員の妻である私にも、一人だけ、香港のいわゆるお金持ちの知り
合いがいる。どうして知り合ったか、というのは話せば長くなるので今回はやめておくが、
香港の、ある財閥の会長夫人である。ご主人は香港人だが、奥さんは日本人だ。
一度、その方のお宅にお邪魔したことがあるのだが、とにかく、私を乗せて
行ったタクシーの運転手さんが、「あ、あなた、ここに住んでいるんですか???」
と声をふるわせて尋ねたほどの豪邸だった。
背の高い門を、門番らしき男の人があけてくれ、中に入ると、モダンな家が
建っていた。
庭には二匹のチャウチャウが放し飼いになっていた。
そして、中に入ると、白いブラウスに黒いパンツ姿のおそろいの制服を来たメ
イドさんたちが、一、二、三、、、。とにかくたくさんいる。(ぱっと見ただけで
10人はいたと思う)
そして、驚いたことに、広いリビングの真ん中を、家の中から庭にかけて、川
のようなプールが流れていて、お天気のいい日は、プールで中から庭に泳いで出ら
れるようになっていた。風水もちゃんとしている。(んじゃないかと思う)
そして、リビングの向こう側へ行くためには、下のプールがすけてみえる、2
メートルほどの幅のあるガラスの橋をわたって行く。
そして、プールサイドであるリビングには、軽く40人は座れる長いテーブル
が置かれ、テーブルについた私たちお客を、メイドさんがついてグラスに飲み
物やお料理をサーブしてくれた。
グルーっと見渡せば、本当に素敵なモダンな家なので、そこの女主人である知
人に、「ほんとに素敵なおうちですね。」とため息まじりに言うと、「娘が建築
学科を出たので、その卒業記念に作らせたの」だそうだ。
うーん。すごい。
一体どうしたらこんなにお金持ちになるのだろう。
見渡せば、その家の周りには、その家に負けず劣らず、立派な家が立ち並んで
いた。香港島の北側にも、こんな豪邸の立ち並ぶ場所があったとは!!!

私は、日本の「お金持ち」である、西武の△氏の豪邸を外から見た事がある。
西麻布だったか南麻布だったかの高級住宅地に、広大な芝生の庭の向こうに
白亜の豪邸が建っていた。
友達が、大学時代、その息子からお付き合いを申し込まれた事がある、という
経験があり、その豪邸に遊びに行ったことがあったらしいので、中の様子を教
えてもらった。
その広い庭の下は、なんと車が100台(確かではないが、とにかくたくさ
ん)停められる駐車場になっていて、夜になると、その庭(バラ園もあるらしい)と
白亜の豪邸がライトアップされるらしい。
確かに大金持ちだが、きっとそういう人は、日本の人口の本当に本当に一握り
に違いない。
香港は、人口の割りに、そういう人の比率が高いのではないかと思う。

私もあんなお金持ちに憧れてしまうが、宝くじの一等が当たっても、3億円で
はああいう生活はできないだろう。
やっぱり、主婦発明家を目指して、みんながアッと驚くアイディア商品で特許
をとって。。。。。と、夢は膨らむ。

そういえば、ドラえもんの作者の藤子不二男(?)たちは、あれだけいろんな
アイディアを思いついてるけど、それが商品化され、特許をとったものは無いのだ
ろうか。
暗記パンとかいいと思うけどな・・・。

                                  
△ちゃん

*管理人も一山当てて現役を引退、小さな喫茶店でも開いてDay traderとして
  のんびり生きたい、という夢を持っています。
  それでどうやって一山当てるかというと・・・・・ギャンブルもせんし、宝くじも買わんし、
  道で銀行小切手を拾う位か、可能性有るとしたら。

(10月14日)
香港に住んでいる日本人のほとんどが、「香港って結構住みやすい国」と
思っているのではないか。
確かに家賃は目が飛び出るほど高い、という意味では住み難い、と言えるのかもしれない。
しかし、日系スーパーに行けば、ちょっとお金を出せば日本のものは何でも手に入るし、
日本食が食べたいと思えば、お寿司をはじめ、うどんもてんぷらも日本のラーメンでも何でも食べられる。
贅沢を言わなければ、十分満足な生活、と言えるだろう。
どこに行くにも近いし、タクシーは安いし、片言の英語でもみんな親切だし、
おしゃれなお店も多いし。。。。

私は幼少の頃、インドネシアのジャカルタに住んでいた事があったが、小さいながらも、
日本のものがほとんど手に入らない生活に最初は苦しんだ。(ような気がする)
日本のテレビ番組は無い。当時はビデオなんていうものも無い。
「ミツバチマーヤ」や「マジンガーZ」、「トムとジェリー」などの8ミリテープを、
家族でシンガポールや香港に旅行した時に親にせがんで買ってもらい
(その頃にもシンガポールや香港にはそういうものがあったのが驚きだが)、
自分達だけで見るのは勿体ないので、近所に住む日本人の子を集めて上映会をしてもらっていた。
そして、同じ物を何度も見て楽しんだ。
そういう生活に比べたら、当時から香港は、日本のものが溢ていた。。。。というと大げさかもしれないが、
少なくとも私は今の香港の生活に、ほとんど不満を感じない。

ところが、私の英語の先生をしていたアメリカ人の四十代の男性は、
”I hate Hong Kong.”とまでいうほど、香港を嫌っている。その人は、香港に来る前、
東京の広尾という超一等地の広い一軒家に5年ほど住んでいた。
そこでも英語の先生をしていたのだが、たくさんのいい日本人の生徒たちに囲まれ、
日本の生活を楽しんでいたらしい。
その後、香港に来て、今は陽明山荘の近くの超豪華アパートの最上階に住み、
リビングの一方の窓からは、香港ゴルフクラブ、レパルスベイを見下ろし、もう片方の
窓からは、香港島の北側のピークから見るようなすばらしい景色を見下ろし、
回りには自然がいっぱいあり、ちょっと歩けば大きなパークンショップもあり、、、
という申し分ない場所に住んでいる。
景色のない我が家のアパートと比べると、羨ましい限りである。
それに香港では日本よりも、ずっと英語が通じるし、アメリカ人の彼にとって
は、日本よりずっと快適で住みやすい国だと思われる。
ところが、彼が香港のどういうところが一番嫌いかというと、まず第一の理由
が、「空気が悪いこと」なのだそうだ。
山のてっぺんに住んでいて、先生のお宅にいくと、私は深呼吸をしたくなるほど
空気はきれいなのだが、先生は気に入らないらしい。
また、「香港人が時間にルーズなのが許せない」のだそうだ。
確かに私も、「2時〜3時の間に修理に行きます」という修理屋さんに、何度裏切られたことか。
5時間待たされたあげく、結局、その日は来なかった、ということも1度や2度では無い。
確かに私も、そういう点はムカっと来るが、それが香港ぎらいになるほどの事では無い。

また、先生がいうには「声が大きすぎる」のも許せないのだそうだ。
東京の品のいい街に住んでいた先生は、きっと大阪のオバチャンたちが大声で
しゃべる光景を見たことが無かったのだろう。
あまりに香港の悪口をいう先生に、私も「自分が香港が好き」ということは言えなくなり、
一緒になって、小さい声で、”I hate Hong Kong, too."と言ってみた。
でも、やはりうそはつきたく無いので、”But”と続け、”My husband likes Hong Kong very much."と、
夫は香港好きであると言ってみた。
そうしたら、先生は、"Your husband is crazy!!!" といって本気で驚いている。

よかった、私が好き、だなんていわないで。。。

でも、その後、空気の悪いことっていうのが欧米人にとって、大大大問題であ
る、ということを、フランスの団体が香港で行われる国際会議を、空気が汚染されていると
いう理由でキャンセルした、というニュースを聞いて、改めておもった。
また、先生の奥さんの会社(アメリカのシカゴに本社のある広告代理店)で
は、香港は、空気が悪いために、行きたくない国のワースト10に入るそうだ。
ハードシップも高いらしい。

結局何が言いたいかというと、香港は、この空気の悪さをもっと深刻に感じなければ、
あんまり人気のある国にはなれない、ってこと。
確かに、最近、セントラルを歩いていると、私にも感じられるほど空気が悪い(ような気がする)。
あくまで、気がする、だけだが。(自信持って言えないところが悲しい。)
小さな娘を連れて出歩いているママとしては、娘の鼻毛が日本の子供以上に伸びないで欲しいと
願うばかりである。(勿論お手入れはするよ)
                              
  △ちゃん

*香港人が冬でもエアコンをがんがん回すのは、それで空気が綺麗に
  なると思っているからだそうですね。一応彼らも気にしてんだ。


(10月7日)

香港に来て驚いたことアレコレ

香港に来て、そろそろ2年が過ぎようとしている。
最初に驚いたのは、何と言っても、あの便利な”オクトパス”。
今や、香港の人口の数よりオクトパスが出回ってる、という話も聞いたことが
ある。
確かに便利だ。だって、いまや、オクトパスはMTRなどの電車、バスだけでな
く、MTR構内の3分間写真、ミニバス、ジュースの自動販売機でも、駅の売店
でも、学校の売店でも使えるそうだ。
こんな便利なものがどうして香港に!?と思ったら、実は、ある日本の電機
メーカーが開発し、日本の商社が香港に導入したらしい。日本はこのシステム
を導入するには範囲が広すぎたらしい。香港がちょうどいい大きさだったの
か。

次に驚いたのは、香港の甘いお豆腐デザートの「豆腐花」。
あれが、いかにも普通のお豆腐と同じようにスーパーの豆腐売り場に並んでい
る。
これには騙された。
我が家の人口は当時2人。お豆腐を食べたいと思うと、ちょうどいい大きさな
のが、豆腐花のパック。見かけは普通の豆腐と同じなので、買って帰って味噌
汁に入れたところ、そのユルユルのお豆腐はお味噌の中で飛び散った。そして
味は。。。ご想像にお任せする。

また、香港の女性のゲップにも驚いた。
日本では、きれいな女性はゲップはしないものだ。いや、もちろんするのだろ
うが、隠れてするか、出ないように努力する。しかし、香港の女性はいくらき
れいでも、奥様然としていても、みんな恥ずかしげもなく、大きな音で”ゲッ
プ”するのである。
こういうマナーの驚きは、他にも色々あるのだが、もう一つだけ言わせて頂く
と、私はトラムの2階の席に座ったとき、何度か、そこで湯麺をすする人をみ
かけた。
日本では、ああいう交通機関では、普通、お弁当は食べないと思う。まして
や、汁の入った麺など。。。
そして、私が見たトラムの中のお弁当族は、みんな食べ終わったあと、足元に
食べ終わったお皿の入った袋を置き、その袋が倒れて汁が流れ出しても知らん
振りだった。運悪く隣に座った私は、いつも靴に汁がつかないようにつま先で
座り、座っていながらかえって疲れてしまうのだった。

また、これほど進んだ香港なのに、自動ドアが少ないのも驚きだ。

、、、と、今日はここまでにしておこうっと。

     △ちゃん

*住めば都。慣れてしまえば貴方も人前でげっぷをするようになる。
 そうすれば貴方は一人前の香港人と認められるでしょう。頑張れ!△ちゃん。

(10月6日)

5.「新米パパに新米ママの皆さんへ」

この10月からの日経新聞の「私の履歴書」に元GEのジャックウェルチが
書いている。始まったばかりだが彼の生い立ちから始まる。
彼の現在あるは母親のお陰と。厳しく、しかし優しく、ほめて自信を持たせ・・・・、
ゲームをして勝つ喜びと勝つ工夫を教え・・・・。

この筆者
は子育てを終わり、ジャックのお母さんではないが、子供はほめて
自信を持たせて育てるべしと、よく判っていた積りだが、
生まれてすぐには、会社勤めから疲れて帰ると泣き声がうるさい、
這えば立て、立てば歩けと無理難題を押し付け、少し大きくなって学校へ
行きだす頃になると、勉強しろ、成績が悪いのとこきおろす。
感情のおもむくままに、月日が経ち子育を終わってしまった。
ハット気がつけば、子供は親を煙たがり、親子断絶。出来上がった子供は
ウェルチどころかアウチ。

皆さんはこのような轍を踏まぬようこころして子育てに励むべし。
ジャックウェルチの履暦書でも読んで、子育ての大事さに思いをはせていただきたい。
もう一度子育ての機会に恵まれたらこんどこそとは思うが、
後悔先にたたずとはよく言ったもの。
せめて新米パパとママに反省の弁を聞いてもらって、
21世紀の日本を担う人材を育てていただきたい。
それらの人材にわが年金の支給がかかっている。

あるダメ親父より。


* 意外と反響を呼んでいる新米ママ、新米パパへの応援歌。
  先輩ママからの投稿も期待したいものです。
  因みにJ・ウェルチの母曰く、「負け方も知らない奴が試合に勝てる訳が無い。」だそうです。
  我J'sは負け方は知っているんですがねぇ・・・。

(10月5日)

4.パラシュートを防災グッズに 

先月11日のアメリカのテロ事件から、もうすぐ1ヶ月が経とうとしている。
実際、ああいう事件に巻き込まれたら、私なんて真っ先に死んでしまう
方だと思うが、高層ビルの多い香港では、飛行機激突とまではいかなくても、
老朽化したビルの崩壊や火事の危険ぐらいは考えておいた方がいいかもしれな
い。

今朝のニュースで、テロ事件以降、NYでは、今まであまり普及していなかった
携帯電話が急に売れ出したそうだ。最後に肉親と話をするため、とニュースで
は伝えていたが、消防車に自分の居場所を伝えるためにも随分電話がかかってきたそ
うだ。また、香港でも、今回の事件以降、ランドマークに入っている某日系企業では
ヘルメットが配られたそうだ。ヘルメットぐらいで、崩壊するビルの瓦礫から身を守
れるとは思わないが、少しは役に立つのかもしれない。

そういえば、阪神大震災の後、我が社の大阪支社では、ヘルメット、簡単な救
急用品、懐中電灯、乾パン、ミネラルウォーターが一つの袋に入った防災グッズを、各
デスクの下に置いておくように指示され、実際、防災訓練の時以外は使ったことはない
が、確かに安心ではあった。

NYのWTCほど高層のビルは香港にはと思うが、はしご車が届かないほどの高い
ビルは数多くあるだろう。
そういうところでは、防災グッズの中に、一人一個パラシュートを付け加える
とういのはどうだろう。
今回の痛ましい事件で、超高層のビルから何人もの人が飛び降りる映像をテレ
ビ、新聞などで見るたびに、「この人たちの中で助かった人はいるのだろうか」と、胸
が痛む。
でも、高層階の人達が、もし一人一つずつパラシュートを持っていて、各フロ
アに設置しておいた梯子を遠くまで伸ばして端から思いっきり遠くに向かってジャンプし、
飛び降り、運よく、落ちる間に風に流されてビルにぶつかったりせずに下まで着地してい
たら。。。。。。
そうしたら、少なくとも、飛び降りた人の中の10人に1人ぐらい助かる人が
いたのではないか。。。
もちろん、ある程度の高さがないと、パラシュートが開くまでの間に、地面に
激突、ということも考えられるので、何メートル以上の階の人達、と、限られてしまうかもし
れないが。

最近、このアイディアをある人に話したところ、「はしごの途中で”恐くて飛
び降りれない〜”ってモタモタするようなおまえみたいな奴がいるからな」と、一言で片付けられて
しまったが、どうしても誰かにこのアイディアを伝えたいのでこの投稿欄に書いてみた。
皆さん、いかがお思いでしょうか。
                                   
                                パラシュート販売業者(冗談です)


*そう言えば阪神大震災の時に携帯電話が急速に普及したんですよね。
  アメリカって意外と携帯電話普及してなかったんですね。のんびり(大らか?)してそうだもんな。

3.巷で話題の画像。「At World Trade Centre in 11th Sep, 2001」

  

どうやらヤラセらしいですが。

2.早速新米ママさんにアドバイスの投稿が。
  有りがたいこってす。頑張れ!新米ママ、新米パパ!

(10月1日)

「新米ママさんへ」

初めての子育て、それも親元親族から離れた海外での経験。
私も雌二匹の父親として同じような体験をしました。
特に初めの子の時には随分悩み、自分の無知・不甲斐無さ・不安などで男親の
マタニィティーブルーとも言える状態に陥った事を思い出します。
 
お父さん、貴方はどんなに頑張っても母親の代わりにはなれないのです。
胎児の時からある程度人間らしい営みが出来るまで、子供に対する所謂スキンシップの
時間・密度という意味では男親はどんなに逆立ちしても母親には適いません。
父親として初めは何とかこのギャップを早く・効率的に埋めようと努力します。しかし一哺乳類
である人間の乳児の育ちは犬猫などに比べるとかなり遅いのです。つまり早く父親としての
ステータスを確立させようと焦っても乳児には分からないのです。
男親としての責任感から乳児を可愛がり、スキンシップを求め、返って来る愛情を欲すと同時
に大変な想いをしている母親、つまり自分の細君の負担を何とか軽くしてやろうとする
愛情・努力が空回りしてしまいます。こんなに頑張っているのに子供は泣叫び、妻まで
解ってくれない、「やってられるか〜!」・・・という図式です。男親の精神的な焦り・怒り・
喪失感などが女親の不安を招き、これが子供に悪影響を及ぼします。
 
お父さん、母親に精神的安定を与えてやってください。やり方は各家庭によって違います。
でもその為には自分が安定していなくてはなりません。乳児に直接的な愛情を注ぐ・求める
よりも効果的ですし大切です。今は間接的な愛情が大事な時です。あと数ヶ月・一年もすれば、
いやでも「パパ・パパ」と纏わり付いてきます。
 
お母さん、男親の気持ちも分ってやってください。父親として又は夫としてもそれなりに
悩み、努力しているのです。一歳前の子供は母親の愛情だけで溺れています。無理やりに
男親を押付けても拒絶しますし逆効果です。今が一番体力的にも精神的にも大変な時ですが、
心を大きく構えて接してやれば必ず報われます。
 
なぜ泣くの?
ご存知の通り、言葉で表現出来ない年齢の子供は泣くことで意思表示をします。
経験上、幾つかのパターンを学習しました。
1.空腹
2.乾き(喉の)
3.眠たい
4.不安感
5.不快感
1〜3までは結構単純で欲求を満たしてやれば泣きやみます。
不安感とは傍に母親が居なかったり、逆さに吊るして怖い時に泣きます。
不快感には不安感も含まれるのでしょうが、痛みがあったり、熱があったり、急に驚いたりした
時の状態なのですが、なかなか特定できず親も不安になります。また、ただ単によく泣く子
だったりして、それでも普通に食欲があれば問題ありません。1〜5のどれにも当てはまらず
それでも泣くのでしたらあまり神経質にならずに、「こいつはよく育つな・・・」ぐらいに構えて
やった方がいいでしょう。泣くたびに(夜泣きも含め)親が苛ついたり喧嘩したりすると逆効果
で、もっと泣きます。上にも書いたとおり、心を仏にして接してやりましょう。
 
子供は色々な段階を踏んで育っていきます。良く泣く、寝る、食べる、風邪をひく時期などなど。
子供によって違うし、親によっても違います。子供はある時期を過ぎると驚くほどスクスク
育ちます。動物的生命力の性さえ感じます。
 
お父さん、お母さん、焦らずに肩の力を抜いてのんびりと育ててやってください。
 
    2女児の父

1.記念すべき投稿第一号。読む人が読めば、あ、あの人の投稿だな、という内容ですが、
  ふむふむご苦労されている様ですね。頑張れ新米ママ!

(9月30日)

新米ママの憂い

4月に女の子が生まれた。
私と主人にとってはじめての子供で、顔もかわいいのだが(とすっかり親ば
か)とにかく全てが本当にかわいくて仕方がない。
最近の、赤ちゃんを虐待したりする父母がいるなんて信じられず、またマタニ
ティーブルーなんていう言葉が存在するのも信じられない。夜、授乳のために何
度起こされても、静かなホテルのレストランで大泣きし、ほとんど食事に口を
つけられないまま退散せざるを得なくても、とにかく私を頼っているのが感じら
れ、私の今までの二十数年の(えっ?)人生で、こんなに人に頼りにされた事がな
い私としては感動すら覚える。
それに、潔癖症の私が、赤ちゃんのオムツ(それもう○ち付き)を代える事が
できるようになるなんて信じられなかった。赤ちゃんが生まれて、私の小学校以
来の友達数人に、「ところで、○子ちゃん、赤ちゃんのオムツはちゃんと取り代
えてるの?それが心配で。。。」と心配されたけれども、心配ご無用!毎日何度も
とり代えて、そのニオイも、いい匂いと思ってしまうほど、ちーっとも気にならな
いのである。
これがママになるという事なんだな〜、と最近、特にジーンとすることが多
かったのであるが。。。それなのに。。。である。

最近、5ヶ月になった娘は、少し人見知りをはじめ、私の姿が見えないと、私
を探し誰が抱っこしても、とにかく泣くのであるが、特に大泣きする相手は、なん
と、一番彼女のことを愛している新米パパである、私の主人なのだ。
新米パパの主人は、最初のころ、娘かわいさの余り、ついついふざけて、頬っ
ぺたをムギュゥーーーーーっとつまんでみたり(私もやられた事があるが、結構痛
い)、高い高いをして(187センチの主人が高い高いをすると、本当に高い)、
フっと落とす振りをしてみたり、また嫌がる娘の口を、自分の大きな口でふさいでブッ
チューっとキスをしたり。。。
多分、そういうことが積み重なって、きっと娘の頭の中で、「この人はとって
も恐い人。
ママがいないところで、この人と一緒だと何をされるかわかんない」っと、思
いこんでしまったのだろう。
私も小さいころ、恐がりだったにもかかわらず、よく父に高い高いをされ、心
臓がパクっとなるほどドキドキして、いつもおお泣きしていた。
そのせいで、小さい頃の私は、「Untouchableの○子」と呼ばれ、ママ以外の
人に髪の毛を撫ぜられても嫌がるような、すっかりかわい気の無い子になってしまっ
た。娘はまだ5ヶ月。
なんとかパパが、そういう「恐い人」でなく、本当は優しくて、楽しいパパで
ある(?)ということを教えこもうと、「パパって優しいね」と朝起きたときから寝る時まで
つぶやいていた矢先。。。
昨日ついに事件はおきた。

とうとう新米パパがキレたのだ。
日頃娘に泣かれる為余りスキンシップを図ろうとしないパパに、兎に角仲良くする様に
泣いたら抱いてあげて、とお願いしていた。赤ちゃんが泣き出した為、パパはあやそうと
渋々抱いていたのだが、泣き止むどころか更に酷くなったらしい。
「もうこんなに泣くなんて!俺があやす意味なんか無い!無意味だ!」と、赤ちゃんを
無造作に床に残し、プイッと居なくなってしまったのだ。

私はポカンとしてしまった。どうして、赤ちゃん相手に、こんなに本気で怒る
のだろう。。。
なんといっても相手は赤ちゃんで、まだ何を言っても仕方がないのである。
私は今、何だか2人の赤ちゃんに囲まれてるようだ。
それなのに、パパは、「俺と同じ5人兄弟にするためにあと4人だ!」
やめてください。。。

    夫と赤ちゃんの関係に悩む新米ママ


今後も投稿は続く・・・・と思う、多分。

本コラムへの投稿はこちらへ。

Top Pageに戻る。