管理人が今まで印象に残ってるスポーツ名場面ベスト10を公開します

第1位 阪神タイガース18年ぶりの優勝
(2003年)
昭和60年の優勝以来低迷を続けていた阪神タイガースが星野監督を迎えて復活、監督就任2年目の2003年はペナントレースを世紀の大独走。そしてマジック2で迎えた甲子園球場での広島戦に赤星のサヨナラタイムリーでサヨナラ勝利を収めその後ヤクルトが横浜に敗れたことにより見事18年ぶりの優勝を決定しかもその日甲子園球場のライトスタンドで観戦。しかし日本シリーズはダイエーホークスの前に惜しくも敗れる。
第2位 ドーハの悲劇
(1993年)
Jリーグ発足によりレベルの上がった日本サッカー悲願のワールドカップ初出場に向け、カタールに乗り込む、そして宿敵韓国を撃破し、最後のイラク戦に勝利すれば出場が決まった、そして運命のイラク戦、中山のシュートで勝ち越し、出場決定かと誰もが勝利
を信じたロスタイムまさかの同点ゴールを許し出場は幻に終わる。当時大学1回生だった俺は悔しさのあまりその夜ずっと眠ることも出来なかった。
第3位 日韓共催ワールドカップ
(2002年)
初めてのアジアでの開催となった日韓共催ワールドカップ日本はロシアにワールドカップ初勝利を挙げるなど予選リーグで2勝し決勝トーナメントまで勝ちあがる。決勝トーナメント1回戦でトルコに敗退、審判の誤審が問題になるという残念なこともあったが開催は大成功。決勝戦はロナウドを要したブラジルがドイツを破り5回目の優勝。このような素晴らしい大会を一度も生観戦出来なかったのが心残り。
第4位 日本ワールドカップ初出場決定
(1997年)
今度こそ悲願のワールドカップ出場に燃える日本はアジア第3代表の座をかけてマレーシアのジョホールバルでイラクと対戦、中山のシュートで先制するも、一度は逆転を許すが、城のゴールで追いつき、勝負は延長へ、そして中田のシュートのこぼれ球を岡野が見事にゴールを揺らし、悲願の初出場を決める。これで俺の4年分の夢が現実となる。
第5位 ダイナマイト打線で阪神優勝
(1985年)
開幕前は決して前評判の高くなかった阪神タイガースだったが、バース・掛布・岡田のクリーンナップと驚異の核弾頭真弓を擁した強力打線が火を吹き快進撃を続ける、そしてマジック1でむかえた神宮球場のヤクルト戦で中西が最後のバッター角をピッチャーゴロに打ち取り見事21年ぶりの優勝を決める。日本シリーズでも強敵西武ライオンズを撃破し初の日本一に輝く。当時小学校6年生だった俺が生まれて初めて見た阪神の優勝だった
第6位 ソウルオリンピックで鈴木大地金メダル
(1988年)
ソウルオリンピックで水泳の背泳ぎ鈴木大地は100Mでアメリカのバーコフとの激しいデットヒートを制し見事金メダル、その時の
「大地追ってきた、鈴木大地追って来た」の実況は有名。
第7位 オグリキャップ奇跡のラストラン
(1990年)
平成の名馬の名を欲しいままにしたオグリキャプも故障もあり勝てなくなった、そして引退レースとなった有馬記念で奇跡が起こった、スローペースとなったレースで直線に入るとなんとオグリキャップが抜け出し見事有終の美を飾った。このレースは競馬ファンにいや全ての国民に感動をあたえた
第8位 10.19川崎決戦(近鉄VSロッテ)
(1988年)
西武と近鉄のマッチレースとなった1988年のペナントレース、優勝の行方は近鉄VSロッテの最後のダブルヘッダーに持ち越されたここで連勝しないと優勝のない近鉄は第1試合を逆転で勝利し迎えた第2試合、引き分けに終わり優勝を逃す。しかしその翌年近鉄はブライアントの伝説のダブルヘッダー4連発で見事優勝を飾る。
第9位 原田涙の金メダル
(1998年)
リレハメルオリンピックでのジャンプ団体目の前にあった金メダルを原田のまさかの大失敗で日本は銀メダルに終わった、その後原田の家には抗議の電話が大量にかけられた、そして4年後の長野オリンピックでは原田の見事なジャンプもあり見事日本は見事金メダルを獲得、この時の原田の大粒の涙に多くの日本国民も涙した
第10位 山下傷だらけの金メダル
(1984年)
ロスオリンピックの柔道無差別級で金メダル確実と言われた山下泰裕に準決勝で右足を負傷するというアクシデントが起こるそして強行出場した決勝戦でエジプトのラシュワンを見事破り感動の金メダル。この時のラシュワンのあえて山下の右足を攻めない紳士的な行為も共感を呼んだ

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