復活… 男として歩む道
 入来祐作
2001年崩壊しかけていた巨人軍の投手陣に救世主が誕生した彼の名は入来祐作。ここ2〜3年は一軍で投げるチャンスもあまりなく投げては打たれ2軍で燻っていた投手だ。そもそも入来が一軍に上がったのは不調とケガで悩んでいた一軍投手陣の代わりだった。開幕は2軍で迎えた選手だ。
入来が1軍に呼ばれ耳に聞こえたのは入来に対する期待よりはなんとか持ちこたえてくれと言う嘆きだった。この入来の去年まで登録名は入来弟。
なぜ今年から入来にもだしたのか?答えは簡単。兄が自由契約となったからだ。兄の分までやってやる。きっと心の中でそう思っていたはずだ。
2001年シーズン発登板。我々が目にしたのは2年前の上原を思い出させるような速球、そしてそこから一転信じられないような遅さのカーブとチェンジアップを打者に向かって投げ込んでいく入来の姿だった。そこからもう止まらない。広島戦の完封を含む復活戦から6連勝をしたのだ。勝つようになり記者が入来に決まってこう質問する。「これで3年間のもやもやは吹っ切れましたか?」すると入来も決まってこう答える。「今まで僕が味わってきた
悔しさはこんなもんじゃない…」と。彼がこの気持ちを持ち続ける限りファンそしてチームは入来祐作と言う男を優しくみまもてくれるはずだ。そして今日もまた入来は決り文句のようにこういう「僕が味わってきた悔しさと苦しみはこんなもんじゃない。勝ち続けますよ」


 清原和博
 2000年冬。アメリカシアトルでこの男が自分の体を痛めつけていた。清原和博。巨人に入団以来何度涙を呑んだだろう?子供のころからの夢巨人軍に入団してはや5年目だ。移籍1年目本塁打こそ30本は打ったものの打率は.250以下。持ち前の勝負強さも消えかけていた。そこから清原の苦労は始まった。連日耳に入ってくるマスコミからのバッシング。でっち上げばかりを書かれもした。そして移籍3年目。開幕から極度の不振。長嶋監督さえも見放してしまった。「清原よりもマルティネス…」清原なき西武に助っ人として入団し西武をV2へと導いた選手だ。こうして清原はマルティネスにファーストのポジションをとられてしまった。「どうなってるんや俺の体…」悩んだ清原はその年『肉体改造』を行う。鍛えぬかれた体は野球よりかはプロレスの選手に近かった。前半戦はケガでほとんどふいにしたが後半から大爆発。マルティネスからポジションを奪い取り得点圏打率は4割を超えた。
そして2001年のシーズン。復活と呼ぶのにふさわしい成績を今残している。ここまで来たら復活と言わず生まれ変わってくれ清原・・・