退院後のリハビリ

2003年10月1日〜31日


「ファイナルメニュー」

10月の診察も滞りなく終了した。そして私は最後のメニューを先生から渡された。
先生が手渡すとき、「ファイナルだな。」と言い、それを聞いた瞬間に喜びと、なぜか寂しさまでこみ上げてきた。
なにがともあれ、あと1ヶ月。再発防止に向けリハに勤しむ事を強く心に誓った。さらに先月からリハにやってきた奥様との交流を深め、一席もうけられたら言うことなしである。




「セパタクロー観戦」


セパタクローの全日本大会がsawaraの母校で開催された。sawara、リハのI先生、そして私の3人で観戦をした。
生セパタは期待を裏切らず、いや、それ以上にエキサイティングなものだった。「脚であんな事!!」と驚きの連続。私はもちろんデジカメ持参で、シャッターチャンスをうかがっていたが、逃しまくり、こんなことしてたら試合を純粋に楽しめないと途中で撮影を断念した。
sawaraに「こんなに見ごたえがあるのに、なんで広まらないのかなぁ。」とたずねると「激しいので障害スポーツにならないのですよ。」と言った。確かに激しい。ジャンプの着地失敗でACL断裂なんて大いにありうる。
 しかし、セパタの普及はこれからという段階なのだろう。友達の勤める中学校で「セパタクローをやってみよう!!」というイベントがあって、「ねぇ、やってみない?」とランニングが出来るようになった頃に誘われた。その時の私はちょっと惹かれたのだが、今日セパタを見る限り、惹かれている場合じゃなかった。



 試合後、sawaraの友達に間近でリフティングや、練習風景を見せてもらった。するとそんな様子を見ていたI先生は「ねぇ、あの子なんかちょっとニーイン気味なんだよね。ああいうのは切りそうだよ。」と「セパタしている子って結構かわいいねぇ。」と言う私の横でつぶやいていた。彼は女の子の脚を職業的な視点からしか見れないようだ。
さらに普通に話をしていたのに、脚に関することに話が及ぶと、「だから、Tさん、片足ジャンプの着地は重要なんだよ。」と片足ジャンプが不得意な私に向かって言い、急に一般人→先生の顔へと戻ったのだ。びっくりした。
試合が終わり、体育館を後にしたのは夕方だった。来年はこの舞台にsawaraが立てるといいなと思う。




「卒業検定」

ついに卒業検定種目だ!それは「台ジャンプ」(正式名称はなんというのだろう?)。諸先輩方も見事これを成し遂げて卒業していった。 1〜3段階の台があり、踏み切り、着地をチェックされるのだ。「ふふん、ちょろいぜ。」と台ジャンプを甘く見ていた私は、ここでてこずり、台を上っては下りを繰り返す日々が続くのであった。 ちなみに私の身長は158cm。

「台ジャンプ」の様子はこちらで

私は「忍びの者」の様な華麗な着地が決まらず、悶々とする日々が続いた。動画もまだ十分に忍べていないかもしれない。




「ファイナルメニュー」


リハビリを始めてから32週。(私は一回だぶったので36週だが)ここからの筋トレメニューの追加はない。追加項目としては・・・

・スキーをどんどんやってよい。
・コンタクトプレーをどんどんやってよい。
・柔道の乱取り始めてよい。
・レスリングなどの格闘技の対人プレーを徐々に始めてよい。
*36週より柔道やレスリングなどの格闘技を本格的にやってよい。

といった、運動復帰を促す項目の追記のみ。さらに・・・

・筋力強化やストレッチングなどの基礎トレーニングを十分に続けること。
・スポーツを思いっきりやってください。(ただし、無謀なことはしないこと。)
・定期検診にはくること。(再受傷予防のため)

注意を促す項目も追記されていた。




「診察にて」〜そういえば、10月あたまの診察でこんなことがあったんだ。〜

いつものように脚の太ささや曲げと伸びをチェックされた。
さらに、「バドミントンをしてどんな感じか。」と質問された。しかしながら私は最近あまりバドミントンをしていなかった。
「最近やってないのですが・・・。」と答えると「それじゃあ、何か別のスポーツをしたか?」と聞かれ、思いついたのは先月の動画、「キャッチボール」とともに行ったフリスビーだった。思わず私は「フリスビーをしました。」 と答えた。(別にキャッチボールでもよかったと思うが、私としては、フリスビーの方が躍動感があるとそのとき思ったのだ。)すると先生は、「フリスビーは100%でできたか?」と質問してきた。ええっつ、フリスビーで100%って言われてもさぁ・・・。しかし先生どうやらマジのようだ。私も先生の真剣な質問に答えるべく、その時の状況をなるべく事細かに思い出し、「酒も入ってましたが、足元はふらつかず不安はありませんでした!100%でできました!!」とは答えずに、「80%位だったと思います。」なんて飲みながらフリスビーをやっていたことはふせつつ、無難に答えてみた。



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