チーム名ACミラン
創立1899年12月16日
本拠地本拠地:イタリア/ミラノ
スタジアムGIUSEPPE・MEAZZA(ジュゼッペ・メアッツァ 通称・サン・シーロ)
[1926年完成/85,700人収容]
チームカラーロッソ・ネロ(赤と黒)
ユニフォーム・スポンサーOPEL(オペル)
ユニフォーム・メーカーadidas(アディダス)
ファンの呼称ミラニスタ
会長シルヴィオ・ベルルスコーニ
副会長アドリアーノ・ガッリアーニ
監督カルロ・アンチェロッティ


チーム史:1899年12月18日、ミラン・クリケット&フットボール・クラブが創設された。翌年から競技活動を開始するが、その年は連盟選手権を勝ち抜けなかった。1901年、最初のスクデットを獲得する。2回目は、ミランFCと名前を変更した翌年、1906年である。1907年にも優勝し、連覇を果たした。選手たちは早くも手にした3度の国内タイトル誇りに思った。

選手権の形態が変わると(il campionato a girone unico)、ミランは良い成績を挙げられなくなった。最高順位は、1937/38年の3位。上にはユベントス、インテルがいた。翌年、ミラン・サッカー協会(Associazione Calcio Milan)に名称を変更。チームの黄金期は、伝説的なグレノリ・トリオの活躍で、1950年代初めにやって来た。1950/51年に4度目のスクデットを獲得。その後、55年、57年、59年にもリーグ優勝を果たした。

 1960年代に入ると、ミランの快進撃は止まらなくなる。62年に8度目のスクデットを獲得。63年、イタリアのチームでは初めて、チャンピオンズ・カップに優勝する。67年、コッパ・イタリア優勝。翌年には、スクデット、コッパ・イタリアの2冠を達成する。

 1968/69年は、熱狂的なファンには忘れられない年になった。チャンピオンズ・カップに優勝し、インターコンチネンタル・カップで世界の頂点に立った。1970年代に入ると、以前ほどの強さは影を潜めるが、トゥラーティ通りのオフィスには価値あるトロフィーが届いた。そこには、3つのコッパ・イタリア、カップ・ウィナーズ・カップ、1978/79年のスクデットなどが持ちこまれた。

 1980年代初め、ミランは球団史上最悪の年月を過ごすことになる。セリエBに2度も降格することになるのだ(最初は1978/79年、次が1981/82年)。1985/86年、シルビオ・ベルルスコーニが会長の座に就いた。その勇者はサッカー界に新しいメンタリティを取り入れ、アリーゴ・サッキを監督に迎えて11度目のスクデットを獲得した。その後、チャンピオンズ・カップ、インターコンチネンタル・カップ、その他様々な欧州カップ戦のトロフィーを立て続けに持ち帰り、新たな黄金期の到来を思わせた。ファビオ・カペッロが監督になると、ミランは短期間で4つのスクデットを獲得する。さらに、アテネでバルセロナを破り、チャンピオンズ・カップを獲得する快挙も成し遂げた。 カペッロ監督が去った後のミランは、2年間、欧州のトップ争いから取り残される。98/99年、アルベルト・ザッケローニが監督に就任。一年目で、誰も優勝を予測しなかった、奇跡的なスクデット獲得をもたらして喝采を浴びた。 だが、2000/2001年のシーズン中にザッケローニが解任され、その後チェーザレ・マルディーニ、マウロ・タソッティが就任、00/01シーズン結果は6位に終わり、2001/2002シーズンはファティ・テリムが就任された。その4ヶ月後テリムが解任されアンチェロッティが就任した。
トロフィー
セリエA優勝16回
チャンピオンズリーグ優勝5回
コッパ・イタリア優勝4回
リーグ・スーパーカップ優勝4回
ヨーロッパ・スーパーカップ優勝3回
カップ・ウィナーズ・カップ優勝2回
コッパ・ラテーナ優勝2回
トヨタ・カップ優勝3回