読売の企業体質として感じられるものに「脅し」があります。
新聞の拡張なども典型です。ものすごい数の被害者が全国におられます。
部数が多いのもうなずけます。
当然、巨人にもその脅し体質が顕著に現れています。
今回はスタルヒンの事件について書きますが、これはまだ1930年代の話です。
職業野球と言われていたこの時代から、現在に至る60年以上の間、
野球界での、巨人の「脅しによる政治手法」は変わっていません。
その象徴的な事件ですから、単なる昔の話として捕らえないでほしいと思います。
現在につながっている、巨人の本性です。
スタルヒンという名は聞いたことがあるという人は多いと思います。
(知らない人も多いかも知れない)
まずは記録だけ見てみますと
職業野球団「大日本東京野球倶楽部」(巨人の前身)に入団したのが1936年。
通算成績 実動19年間 586試合 303勝176敗 350完投 83完封
31無四球試合 1960奪三振 防御率2.09
350完投、通算防御率2.09という凄い成績です。
現在のプロ野球と単純に比べることはできないとはいえ、化け物みたいな成績です。
特に1939年はこの年のチームの66勝のうち42勝(日本記録)をあげているのですから驚異です。
スタルヒンは、1917年にロシア革命があり、
父が将校であったため祖国を追われ1925年に北海道旭川市に亡命してきます。
当時9才。スタルヒン一家は喫茶店を経営していたようです。
旭川の小学校に入学し、運動神経抜群だった彼は、野球部に入部します。
旭川中学(今の高校)でも並外れた力を発揮し、甲子園出場も夢ではなくなりました。
ちょうどそのころ父・コンスタンチンが殺人事件(1933年1月)を起こし
刑務所へ入ることになってしまいます。懲役8年。
そして喫茶店の経営も行き詰まりました。
そんな中で野球部の部長や部員がお金を出し合い生活を支えていたといいます。
投手として大活躍していたスタルヒンでしたが、突出した才能に読売が目をつけました。
どうしても欲しい事情もありました。
まず学校と交渉しますが、甲子園の夢がかかっているのに手放すはずはなく、
獲得に失敗。そこで読売はとんでもない手を使います。
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●2000/07/27
旭川中学で甲子園出場を目指していたスタルヒンを,
自社が主催する日米野球出場のための
全日本選抜チームに合流させることを画策していた讀賣が,
本人の許可なく新聞でメンバー発表。
旭川中学の校長との交渉が難航
(甲子園出場を目指す最中に引き抜かれたのではたまらないため)すると,
国籍問題を利用して,彼らの身元引受人にその座を辞退
(これをやられると,日本国籍の無いスタルヒン一家は国外追放となる)をさせた。
そして,国外追放の回避と服役中の父の減刑を条件として
スタルヒン側を説得,思惑通りに事を運んだ。
というのが大体の流れのようです。
●2000/09/28
ソ連亡命者で日本国籍のないスタルヒン一家の保証人を脅し離れさせ、
言うことを聞かなければ強制送還で一家の命は無いぞと脅し、
言うことを聞いて入団すれば大金を与え父親を刑務所から出してやると、
暴力団も逃げ出すような汚いやり方をした。
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どうですか。わかりますか。
当時、本人の意志は“甲子園”であり、学校としても手放すつもりはなく、
市民も引き止めにかかるほどこの地元の学校の甲子園出場を夢見ていたのです。
読売は、まずスタルヒン一家の保証人を脅し辞退させます。
そして旭川警察の特高課(暴力、でっちあげ、
何でもありのとっても恐い連中です)を動かし学校へも脅しをかけます。
「無国籍で保証人もいない人間はいつまでも日本にはいられないんだよ。
何かあったらこの学校はちゃんとその責任とれるんだろうね」(推測)
てとこでしょうか。(こんなもんじゃないと思うが…)
そのウラでスカウトの秋本という人物が契約の条件を、
旭川中学の元教師など地元の人間を交渉役にしてスタルヒン側と詰めていました。
結果、支度金1000円、月給120円、
野球が出来なくなった時は一家の生活を保障、母親も上京させる。
というものでした。★注1
そして決定的だったのは服役中の父のことでした。減刑してやるというのです。
表には出てきませんが、
当時の読売新聞社長・正力松太郎が関係していたのは間違いなさそうです。
正力はかつて警察ナンバー2の役職・警視庁官房主事として
特高を指揮していた人物です。★注2
「スタルヒンの父コンスタンチンの減刑」は、
右翼の黒幕的な大物・頭山 満の委任状を、スカウトの秋山が警察へ提出したといいます。
右翼と警察の癒着、正力のコネの勝利ということでしょう。
これによって例外中の例外で、2年の減刑が約束されたのです。
当然これがスタルヒンの心を大きく動かしました。 やり方が卑劣すぎる。
父の刑は実際減刑され、食事も待遇も良くなったという。(文献は様々出ているようです。)
このようにして、1934年、18才の時(未成年ですよ)、
国籍問題等で旭川中学を中退させられ、
「国外追放免除」の恩を売られたスタルヒンは、
今の巨人の前身の「大日本東京野球倶楽部」に入団させられるわけです。
それまで生活を助けてくれた野球部への強い思いもあり、
申し訳ない気持ちからか、旭川を出る時は、
午前3時の夜行列車で夜逃げ同然に上京したといいます。
欲しい選手は、どんなに汚い手を使っても取るというのは、
ここ最近の話だけではないということです。
巨人というチームは球団設立時からずっと、
汚い手口で選手を獲得し続けています。
最近の方が露骨だと思います。
自分の思惑通りにルールを作るやり方も、
本質的にこのスタルヒンの事件と変わりないし、
ウラで買収し、選手に逆指名させたり、同様にFA選手を獲得しています。
しかし、買収は犯罪ではないでしょうか。
なぜマスコミの評論家や有名人は、誰もこの「犯罪性」を口にしないのでしょうか。
(政治家には無理でしょうが)
選手も「金じゃない」といいながら、ホイホイ釣られて行くとは情けない限りです。
受けた側も本来同罪です。
最近ではニ岡、上原、高橋由、江藤、工藤などの主力はみな
10億、20億というウラ金が動いたと言われています。
半ば常識的に話されていることです。
10億ですよ、社会でまじめに働く人たちの生涯所得は2億かそこらですよ、
私はおかしいと思います。理不尽だと思います。
プロ野球選手は公人です。ましてや夢を売る商売でもある。
きちんと説明できないカネなら受け取るなと言いたい。
しかも最初のうちは巨人には行かないとか、他球団への入団を希望していた人ばっかりです。
こんな連中はいくら技術があっても、何の価値もない。
カネ欲しさに巨人に行ったと思われても仕方ないし、それで十分夢は壊れている。
(高年俸は百歩譲ってまだ理解できる、正式な契約金もまだわかる。ウラ金は許せない)
巨人ファンは、この状況を批判をすることができないのだろうか。
読売系の新聞購読をやめるのも意思表示になる。
各業界にいる巨人ファンは、何らかの形で意思を示すことはできないのか。
一番行動しなければならないのは巨人ファンではないか。
それとも正しい行為だと思っているのだろうか。
マスコミも批判しない。長嶋には媚びを売る。巨人礼賛番組ばかり。
受動的なファンが多い中で、批判の声がないのは、物事を考えさせないのと同じです。
また「好きな選手」と「巨人の犯罪性」を
別物と考えている巨人ファンは多いのではないでしょうか。
モラルの崩壊というのはこういうところから起こるような気がします。
昔は、私は巨人ファンでした。もちろん巨人の試合のみが流される地域で、
他の情報がないのです。それに現在と同じ偏向報道。
例えばパ・リーグなどは結果のみニュースで知るだけの状態。
セ・リーグも巨人から見た他チームであって、到底他球団のファンになり得ない状況です。
江川事件がきっかけでファンは完全にやめました。マインドコントロールが外れたのです。
江川事件に匹敵する事件はその後いっぱい起きていますよ。わからないのでしょうか。
巨人の歴史には、どの年代を見ても、主力といわれる選手の中に
このようなイカサマ入団による選手が必ずいます。
あの長嶋茂雄も例外ではありません。
今後、このスタルヒンから始まっているひとつひとつの汚点を、
疑惑も含めて、取り上げていこうと思います。
以下、ログとおまけです。
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●2000/07/28
スタルヒン投手の話ははっきりいってショックでした。
沢村と2人で第一期巨人黄金時代を支えたピッチャーにそんなことがあったなんて…。
戦前の巨人はまだ「紳士の球団」だと信じていたのに非常に残念です。
沢村はじめ戦争で散った巨人OBは今の現状を天国で嘆いているんじゃないでしょうか…。
戦後すぐにも南海からの「別所引き抜き事件」がありましたしね…。
●2000/08/21
巨人軍非栄光の歴史(石川隆太郎 新評論)を買って読んでみました。
元週刊ベースボール編集長が書いたもので、
プロ野球草創期からの巨人の汚さが、半端じゃなかったことが手に取るように分かりました。
正力や務台など読売新聞歴代トップは今の「ナベツネ」よりひどい。
正力など、スタルヒン強奪のため右翼の頭目や警察関係まで利用したようだ。
巨人の汚辱にまみれた歴史を知る上で、
この本はアンチのバイブルと言っても過言ではない。皆さんにもお薦めします。
おまけ
■スタルヒン プロフィール
1916年5月1日 ロシア生まれ。
1925年 北海道旭川市に亡命。9才。
1925年4月 小学校入学。
1934年 18才の時、国籍問題等で旭川中学(今の高校)を中退。
1936年 職業野球団「大日本東京野球倶楽部」(巨人の前身)に入団
1938年 33勝をあげ最多勝
1939年 42勝の日本記録。(この年のチームは66勝)
1940年 38勝ととにかくべらぼうな活躍
1939年からの戦争が激化
1944年 巨人を追放
1946年 大平パシフィック(横浜の前身)に入団
1947年 太陽ロビンスに移籍
1948年 金星スターズに移籍
1949年 大映スターズ
1954年 高橋ユニオンズに移籍
1955年 転々と球団を変え、トンボユニオンズで300勝達成、303勝で引退
1957年1月12日 自動車事故で死去 40才
★注1 支度金1000円、月給120円
これを現在の金額に換算しようと思ったんですが、きちんと出せませんでした。
かなり不正確ですが、当時の1円の価値は、現在の1200〜7000倍(すげーアバウトです)
と出ました。
よって支度金は現在の120万円〜700万円、月給14万4000円〜84万円に相当します、って
アバウトすぎる。 (T_T)
当時の職業野球にはまだ市民権がなく、
野球でメシを食うこと自体が罪悪視されていたと言われていますので、
今のように億に匹敵する金額ではないようです。
しかしながら、スタルヒンはまだ学生で、
収入もままならず野球部の仲間に生活の援助をしてもらっていたことを考えれば、
かなりいい額ではあったと思います。
ただ、この換算した額が本当に正しいのかどうかわかりません。
誰か当時の貨幣価値か、給料についてご存じでしたら教えてください。
★注2 正力松太郎
初代コミッショナー。プロ野球界の父とか言われているらしいが、
根っこがこれじゃ野球界がちゃんと育つ方が不思議です。
戦後の1946年、A級戦犯として公職を追放されたというんですよ。
これだけでもひどいことなのに、1954年、衆議院に当選し科学技術庁長官として入閣。(何で?)
そして原子力事業の土台を築いたという。(もー個人的には最悪だと思う。)
もともと地方新聞だった読売新聞は、1924年に何と正力が「買収」している。
それから1953年に日本テレビを開局。
なんでこんなに強い権力があるのか、きちんと調べていないので謎が多いのですが、
これもいずれは調べ上げて特集してみようと思います。
多分読売の本質がつかめると思います。
「後楽園」にもその力が及んでいます。
後楽園で開催されるプロ野球、プロレス、ボクシングや遊園地などの招待券や割引券が、
読売新聞の読者拡大のため、積極的に活用されます。
特に野球は効果的だということです。
前回にも書いた通り、巨人の野球は単純にスポーツとして捕らえるには無理がある。
見せ物的性格が強い上に、フェアな精神がないのです。
新聞の宣伝材料なのだから、勝敗はともかく(勝つのが一番いいが)、
人気のある監督にこだわったり、スター性のある選手は手段を選ばず獲得したりと
球界のための行動とは言い難いことばかり。
スター選手が10人いたら、10人ぶんどる考えなのです。自分さえよければいいのです。
さらに勝つためのイカサマも巧妙で、
それについてはシーズンが来たら詳しくやろうと思います。