『巨人は常勝でなくてはならない』
この理由を言える人がどのくらいいるでしょうか。
昔、私の巨人ファンの友達がこんなことを言ってました。
「巨人は日本を代表するチームだから」
もともと日米野球で日本代表として結成されたチームですから、
10000歩譲って良しとしましょう。
ではなぜ日本を代表するチームは常勝でなければならないのでしょうか。
それは国内でもっとも強いチームとして君臨し
メジャーに挑戦し、追い付き、追い越さねばならないからといったところでしょう。
かつて、1934年に巨人の前身であるチームが全米代表と戦った時、
16戦全敗という屈辱を味わっていますので、リベンジしなければならない。
例えばロッテが異常に強くなり、すべての記録を塗り替え、国内に敵なしになっても
全米代表と戦えるのは巨人だけなのです。リベンジしなければならないのです。
阪神やヤクルト、ましてやパ・リーグの日本ハムやオリックス等11もの球団は
巨人という強いチームに貢献するために
スラッガーやエースをお金と引き換えに提供しなければならない掟なのです。
巨人は強くあるために、どんなことをしても優勝しなければならないし
他球団はあまり強くなってはいけないのです。
ときどき素晴らしい選手が彗星のように現れると
「おっ、これはいけない。すぐに巨人に入れるようにしなければならない」
とルールも変更しなければならないのです。
そんなわけ、ねーだろ 凸(`^´X)
とはいえ、日本のプロ野球界のお偉いサンの頭の中は
近からずも遠からずといったところでしょう。
『巨人は常勝でなくてはならない』
つまりこの根拠は「ない」と言ってもいいくらいです。
しかしまったく別の観点から、その理由を見つけることはできます。
それは
読売新聞の売り上げを伸ばし、高額の広告掲載料を得るため、及び
日本(読売)テレビの広告スポンサーを確保するためです。(つまり高視聴率の確保)
常に国民的ヒーローを排出し、劇的に勝つことで
見るものを魅了し、満足させ、
麻薬のように巨人が勝つことを楽しみにさせる。
巨人中毒を起こさせ、新聞を売るのです。
そのためには、弱くてはいけないのです。
・巨人軍は強くあれ。
・巨人軍は紳士たれ。
・巨人軍はアメリカ大リーグに追いつき、追い越せ。
巨人はこの3つを掲げて出発したことは前回書きました。
しかし実によくできたスローガンです。
これから『巨人は常勝でなくてはならない』との整合性もあり
しかしまた、「常勝であれ」などとは決して言っていないのです。
むしろ、巨人は常勝であってはいけない。
日本のプロ野球を発展させ、競い合ってレベルを高めるために
国内リーグを作ったのは、正力松太郎です。1936年でした
セントラルリーグ、パシフィックリーグの2リーグに分かれたのは1950年。
これもその前年に正力が大リーグを意識して、日本もと、働きかけたものです。
読売に対抗するマスコミ企業である「毎日」を加え、
両リーグの発展を目論んだのです。
しかし毎日はすぐにプロ野球から撤退し、
マスコミによるあおり合戦にはなりませんでした。
これに関して、毎日や朝日の加盟に大反対したのは、読売だったという話があります。
それは単にせっかく立ち上げた「儲かる」プロ野球の甘い汁を吸わせてなるか
という貧困思想からくるものだったようです。
新球団の加盟と2リーグ制に反対だった巨人、阪神、中日、松竹
新球団の加盟に賛成だった南海、東急、大映、阪急がぶつかり
1949年11月26日に意見がまとまらず「日本職業野球連盟」が解散します。
そして翌年
南海、東急、大映、阪急に加え、
毎日、近鉄、西鉄の7球団がパ・リーグとして発足。
遅れて
巨人、阪神、中日、松竹に加え、
大洋、西日本、広島の7球団がセ・リーグとして発足します。
マスコミ球団の持つ意味は非常に大きく
プロ野球は読売の連日の巨人あおり放送によって
ここまで発展したことは否定できません。
しかし、その育ち方は良好とは言えず、
セ・リーグは、今やとてもスポーツと呼べるものではなくなったと思います。
パ・リーグ衰退の元凶を毎日の撤退と見る向きもありますが
さんざんマスコミに無視されてきたパ・リーグには
いわゆる巨人のような特別な球団がない分、健全に思えます。
セ・リーグは巨人という「うざったいフィルター」を通さねばならず
素直な応援・見方ができない状態です。
☆☆☆
『巨人は球界の盟主』
この根拠は何なのでしょうか。
これは「正力松太郎が日本で最初にプロ野球を作った」こと
に由来するもののようです。
巨人の公式ホームページには
大日本東京野球倶楽部(ジャイアンツの前身)が産声を上げたのは、
1934(昭和9)年。ここから日本プロ野球の歴史が始まった。
とあります。しかしこれは間違いです。
プロ野球の歴史はそのずっと以前から始まっているのです。
日本で最初のプロ野球チームは1919(大正9)年設立の
河野安通志を中心とした「芝浦の運動協会軍」です。
2番目が「天勝野球団」、そして芝浦の運動協会軍を継いだ「宝塚運動協会」が3番目。
「大日本東京野球倶楽部」は4番目のプロチームだったのです。
間違えてはいけないのは正力の功績はプロチームを作ったことではなく
国内に“リーグ”を作ったことであると思います。
細かい話はいいとして
『球界の盟主』と言われるためにはいくつかの条件があると思います。
・不正がないこと
・模範であり続けること
最低限この2つは必要でしょう。ということはダメですね。
正力は『プロ野球の父』と言われていますが、これにも異論があります。
アマ球界の権威とも言うべき、飛田穂洲によれば
「河野安通志、押川清両氏のほかにプロ野球の父と呼べる人物はいない」
と言っているのです。
ただこのへんは、プロとアマが考え方で対立してしまったことで
いまだに引きずっている確執でもあります。
アマチュア側は「教育的」「精神的」なものを大切にし、
これが今の高校野球につながっています。
決して間違いではないにしても、スポーツを楽しむということから遠ざかったものでした。
プロは、不幸にも「読売主導」であったと言っておきましょう。
日本にはスポーツ文化がマトモに育つ環境がなかったと言っていいのかもしれません。
どちらにしてもあまり「父」として認めたくないというのが私の率直な意見です。
その「読売の父」について見ていきましょう。
読売新聞は
1874(明治7)年11月創刊された。
間もなく東京最大部数紙となる。
明治末期には一時経営が行き詰まるが、
大正時代に入って部数は徐々に伸張した。
しかし新築社屋が関東大震災で焼失、
復旧の立ち遅れで部数は急減して経営危機に陥った。
正力松太郎(1885〜1969富山県)
1911(大正元)年 東京帝国大学 独法科卒。
1913(大正3)年、警視庁入庁。警察署長、刑事課長などを経て
1921(大正11)年、官房主事兼高等課長。
米騒動、普選運動、東京市電ストなどを弾圧、第一次共産党検挙などで注目を集めた。
1923(大正13)年、虎の門事件(後の昭和天皇の狙撃事件を防げなかった)
の責任を取り辞職、翌年懲戒免職。
その直後(2月25日)、東京市長・後藤新平の取り計らい(10万円を正力に与えた)で、
当時経営危機に陥っていた讀賣新聞を買い取って、社長に就任。
わかりやすく書けば、軍国主義の民主勢力弾圧の最右翼と言えるでしょう。
のちにA級戦犯として巣鴨刑務所に収監されます。
戦争の「報道」などに関しての責任を問われたのでした。
しかしその2年後
1947(昭和22)年に釈放され、1951年に追放解除になり、讀賣新聞に復帰しました。
1953年には正力が日本で最初の民間テレビ局である、日本テレビを創設します。
「報道」で戦犯とされた人物が、再び「報道」の道に進めた理由は何だったのでしょうか。
ここでアメリカの登場です。
アメリカは戦後日本に共産主義国ソビエトが入ってくるのを恐れていました。
電波は日本をアメリカナイズするための手段として最適であったと思われます。
戦犯とはいえ、
反共色の非常に強い正力松太郎を引き出した
というのが見方としては正しいような気がします。
それとは別に、正力は天才的に勘が良かった。
日本初の民放を運営するために「街頭テレビ」を考えだしたのです。
当時、テレビ受像機は平均的なサラリーマンの年収額に相当する高価なものでした。
普及台数が少ないため、スポンサーが広告の効果を疑問視したでしょう。
正力はプロレス中継に着目、街頭テレビで流し、そこにCMを入れる。
その絶大な効果にスポンサーが付くというわけです。
正力は私が調べた範囲では
「発明家のような豊かな発想のできる軍国主義の民主勢力弾圧の最右翼」
といった感じで、どうにも落ち着きが悪い人物です。
余談になりますが、正力松太郎は
柔道選手であり、警察官僚で、大衆新聞社の経営で成功し、
プロ野球の父・民放の父・原子力の父・大衆娯楽の父と4つの父であり
プロレスブーム生みの親・プロ野球初代コミッショナー・国会議員・A級戦犯
であるのです。
文春文庫で「巨怪伝 上・下」という分厚い本が出ていて
これにはかなり詳しく書かれているようです。
(まだ読んでいません。読んだらまた印象が変わりそうです)
さて
話が前後しますが
1924年『讀賣』を買収した正力松太郎は、
大衆の欲求、好みに沿った編集手法をとり、
大衆の好奇心を煽るイベントを多く催したそうです。
これも正力の才能なのでしょう。多分。
1931年の第1回日米野球はその1つでしかありません。
(この時の日本チームはプロではありませんでした)
この第1回日米野球大会には
試合保証金と試合実費を引いた利益分は
すべてアメリカ側に提供するという契約があり
(事業として大成功だった)
読売新聞社は、一切金をとらなかったといいます。 赤字でした。
果たしてねらい通り、これが読売のイメージアップと読者増加につながります。
自社の宣伝としてのイベントだったのです。
日米野球の目的を
「日米親善と、読売新聞の宣伝」
と正力自身が言っているのです。
翌1932年3月28日に施行された『野球統制令』
(文部省訓令第四号 『野球ノ統制並施行ニ関スル件』)
が日米野球に影響を与えます。
プロとアマが対戦することが禁じられたのです。
そこで
1934(昭和9)年、読売新聞社主催の第2回日米野球の際、
日本で4番目となる「プロ」の全日本軍チームが結成されたのです。
これが巨人の前身・大日本東京野球倶楽部です。
この時は、
超大物ベーブ・ルースを招いたこともあり、注目度も高く、
読売新聞の部数拡大とともに、読売の名声も確実に上がりました。
宣伝価値の非常に高いものでした。
その効果は絶大でした。
1931(昭和6)年は22万部。この年の日米野球から急激にのびていきます。
1934(昭和9)年の巨人軍結成時に約58万部まで伸びた発行部数は
1938(昭和13)年には100万部を突破、
1944(昭和19)年には約192万部になり、
朝日、毎日と肩を並べるところまで成長しました。
1936(昭和11)年2月5日に日本職業野球連盟が結成されます。
プロ野球リーグの誕生です。
以下の7チームでした。
東京巨人軍(現在の読売ジャイアンツ)
大阪タイガース(現在の阪神タイガース)
大東京軍(後の松竹ロビンス。大洋ホエールズと合併し現在は横浜ベイスターズ)
名古屋軍(現在の中日ドラゴンズ)
阪急(後の阪急ブレーブス。現在のオリックスブルーウェーブ)
東京セネタース(後に解散)
名古屋金鯱軍(後に解散)
太平洋戦争がはじまると、野球、ラグビーなどの輸入スポーツが
敵性スポーツとして排斥され、相次ぎ中止されていきました。
しかし、プロ野球は中止にはなりませんでした。
理由が凄い。
正力松太郎および大政翼賛会(事務総長有馬頼寧)の指示で、
プロ野球は「国防献金試合」を行い、
興行収益を新聞社を通じて「戦争献金」をしたことにあります。
このへんは正力ならではというところでしょう。
プロ野球はこれにより「日本国民を元気づけるもの」と位置付けられたわけです。
こうして全面的に戦争協力体制を打ち出したのは、
正力の思想とも合致したのでしょうが
重要だったのは、プロ野球報道が『読売』の主力商品であったことです。
プロ野球の中止は読売新聞の固定読者を大きく減らす可能性があったのです。
いや、それどころか
他紙が自社主催のスポーツ競技が相次ぎ中止されたことで
スポーツ報道が弱まり、スポーツ欄を楽しみにしていた読者が、
結果的にプロ野球記事を掲載していた『読売』に吸収されていきました。
『巨人は常勝でなくてはならない』
『巨人は球界の盟主』
これは読売によってつくられた大義名分で
実際は、自社の利益のために常勝でなければならなかったのです。
現在もそれは変わっておらず、
また、そのおこぼれをちょうだいする他球団の姿が情けない。
常勝であるために、巨人が有利になるようにルールを変える提案をされても
素直に従うところが、なんとも残念なことです。
プロ野球はスポーツとして報道されていたのではなく
新聞のための「野球というイベント」を見せられているのです。
とことんフェアでなければならないスポーツの姿はここにはありません。
巨人主導の野球が「イカサマ」であるというのは
この根本的な存在の仕方にあります。
読売の利益のための野球は、日程によくあらわれています。
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●2001/6/9
(巨人にデーゲームがないのは)
TVでナイター中継するためです。野球の普及よりも目の前の金!
客よりもスポンサー(収入)が大切だというのが読売の経営理念。
子供・ファミリーなんて所詮相手にしていない。
強欲スタイン・ブレナーのNYヤンキースでさえ、
土日祝日はデーゲームでやってます。
ドーム以外のビジターゲームでも主催球団が放映料欲しさに
ファン無視のナイターでやっています。
メディアが球団を持つと所詮そんなもんだ。
●2000/01/06
巨泉氏は
「今野球よりもサッカーをする少年が増えている。
その意味でも土、日、祝日はなるべくデーゲームでやってほしい。
太陽の下で親子で試合を見ることで
野球に感動を覚え野球少年が戻ってくるかもしれない。
それなのに巨人は全試合ナイターでやっている。
理由は簡単。TVの視聴率が大事だから。」
と巨人の末期的現状を痛烈に皮肉っていました。
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マスコミ企業の立場を利用して
巨人というものを普及させた功績は確かに大きいものですが
その作られた茶番劇を評価するわけにはいきません。
『巨人は常勝でなくてはならない』
『巨人は球界の盟主』
時代は大きく変わっているのに
相変わらず自分だけが勝つことを義務付けられているかのような
昔ながらの言葉を、恥ずかしげもなく使い続けています。
それを理由にやりたい放題。
目的が巨人の普及であって、野球ではない。
サッカーチーム・ヴェルディが簡単に切り捨てられたのは
目的がサッカーの普及ではなく、
ヴェルディの普及を思うようにできなかったからです。
視聴率は回復せず、さらに落ち込み
新聞の部数も低迷することで
読売が巨人を手放す可能性もあります。
その日が来ることを願って止みません。