| 赤の8番 その1 2001.08.03 | |
| ■ 8番と初めて出会ったのは | |
8番と初めて出会ったのは、『ストライカー』1998年2月号だった。 2月号というのは、天皇杯と高校選手権の結果が中心記事である。特に、中高生をメイン対象としている雑誌だけあって、高校選手権については、出場校プロフィールあり、決勝・準決勝はもちろん1回戦に至るまで、写真入り全48試合の結果記事あり、将来が期待される有望選手の特集記事ありというとても豪華な内容だった。 この時は、東福岡の3冠達成と、大雪の中で行われた決勝戦ということで、大会そのものもとても盛り上がった大会だった。この年は、大当たりの年で、輩出した選手はその後1999ワールドユースを経て現在に至っている。小野信二は残念ながら予選敗退していたが、それでも当時からすでに『10年に一人の天才』として高く評価されていた。ちなみに2月号の表紙は、左に東福岡の本山、右に帝京の中田浩二という、K.Aへ入団するスター2人を配した表紙だった。 このなかで、8番も、『東北の天才』として10番目前後の扱いで報じられた。K.Aへの入団が決まっている選手として、大会でも指折りのテクニシャンという評価だった。ぼっちゃんぽい髪型が、明るい黄色と薄緑色を配した大船渡高のユニフォームと相まって新鮮な印象だった。私はそれまで知らなかったが、8番は、東北トレセンから17歳以下日本代表候補(だったと思う)に選抜された選手だったのである。 ここで白状してしまうが、私は岩手の出身である。岩手から、全国的にこんなに評価される選手が出てきたことに、私はワクワクしてしまった。(岩手は昔から地味だがサッカーは結構強い。遠野高校、大船渡高校、盛岡商業高校を3強とよぶ。Jリーガーにはヴェルディのしんきち、としみ兄弟と、8番の先輩であるフロンターレのこんのと8番の4人がいる。【他にいたら教えてください】) 以後、私は8番に注目し、8番だけを追いかける『熱意ある』サポーターと化したのだった。 ちなみに、高校時代も8番は、背番号8番だった。その後、K.Aに入団して、27番→17番→8番と進化している。来年は10番ではないかという話もあるようだが、私は、今のところ、8番には、8番がいちばん似合うのではないかと思う。 | |
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