『執念が生み出した"がに股"』
(週刊ベースボール2005年5月16日号より)

この男が打席に立つと、そのフォームをマネたファンで、ハマスタの右翼席が上下に揺れる。
"がに股打法"による勝負強いバッティングで、その名を売る横浜・種田仁。
その一見奇異な構えはもちろん、一朝一夕で出来上がったものではない。窮すれば通ず―――。
すべてはプロの世界で生き残るため、意地と執念が生み出した打撃フォームだ。


―"がに股打法"を始めたきっかけは、何だったんですか。

種田  始めたのは2000年の二軍戦の開幕一週間前です。当時は右ヒジや右足首を故障して手術するなどした後でしたが、その影響もあって、まったく打てない時期が続きました。ずっとファーム暮らし。
こんなパッとしない状態では、とうてい一軍に上がることは出来ない、と。試行錯誤を繰り返した上で生まれたのが、このフォームでした。


―具体的にどういう部分を直したのですか。

  種田  どうしても体の開きが早くなってしまう。この点をどうするかが大きな課題でした。テークバックの時に左肩が入りすぎてしまっていたために、踏み込んだ時に肩が早く開くようになっていたんです。そこで、踏み出した時にきっちり投手に向かって踏み出し、左肩もきちんと投手の方向に出ていけるようにしよう、と。
 そこで、体の開きが早いのであれば、初めから開いておけばいいのではないかと考えたんです。まず、左足のつま先をまっすぐ投手に向けた。そうすれば、左肩が入りすぎることは絶対になくなります。また、初めから開いておく事で、ボールを見極めやすくなるし、バットも最短距離できっちり出るようになるという利点もありました。
 そして、クイックの時に反応がどうしても遅くなってしまうので、つま先立ちにした。つま先立ちでも立ちやすいように、自然に股を開くようになったんです。それから、テークバックの時に体重移動がしやすいように、構えたときの重心は左足に置くようにしました。


―左肩が普通の構えよりもだいぶ下がって見えますが。

種田  このような構えですから、踏み出す時にどうしても体が浮き上がる感じになってしまう。それを抑えるために、アゴを引いて下を向くような感じにしているんです。
 グリップの位置は、少し引いてはいますが、振り出しまでほとんど変わりません。グリップの位置が一定であれば、体が前に行くことで自然に弓のように力が溜まって、振り出されていくようになる。でも、変則なのは最初の構えだけで、踏み込んで打ち出すところからは、普通のバッティングと同じです。


―バント、バスターにやりにくさは感じませんでしたか。

種田  いや、それはなかったですね。まったく問題はありませんでしたよ。

―周りのチームメ−トも、驚いていたのではないですか。

種田  そりゃ、びっくりしていましたよ(笑)。でも、この打ち方を始めた年には、さっそく結果が出ましたから、周りの目は関係ありませんでした。打つことが出来れば、どんな形であっても良かった。結果的に打てるようになったということは、これが僕にとって理想的なフォームなわけですから。

―誰かのフォームを参考にした、というのはあったんですか。

種田  それはまったくないです。もちろん、バッティングの課題についてはコーチの方に色々とアドバイスは受けていましたが、この打ち方に関しては、完全に自分でやった事です。「これで本当に打てるのか?」とは言われましたけどね。

―新打法の手応えを感じ始めたのはいつ頃でしたか。

種田  開幕して1ヵ月はファームの試合に出場していたんですが、そこである程度結果を出せた。そして一軍に上がって、5月くらいには「これでいける」という気持ちになりましたね。

―結果、この年は102試合に出場して打率.314。代打で11打席連続出塁の日本記録を打ち出すなど好成績、カムバック賞も受賞しました。

種田  でも、また次の年にはフォームが崩れてしまいましたからね。即席といいますか、完全に自分のひらめきで始めたものですから、なかなか1年間コンスタントに打てるようにはならなかった。やっと去年ぐらいからですね、安定してきたのは。

―その間、試行錯誤が続いたわけですね。

種田  鏡を見てフォームを確かめるのもそうですが、毎日の打撃練習でもいろいろと考えながら、微調整をしながらやっていましたね。

―コンスタントに打てない時期が約3年間あったわけですよね。その間に、横浜への移籍もあった。不安はまったくなかったのですか。

種田  不安も迷いも、まったくなかったですよ。うまくこのフォームを固められれば結果は生まれる自信はあったんです。もともと頑固ですし(笑)、負けず嫌いですからね。周りから吸収しながらも、自分でこれと決めたらそれを貫き通すのも大事だと思っている。もちろん、打てなかったら、また変えていたかもしれませんけど。でも、そんなにフォームをころころと変えられるほど、当時の僕には余裕がありませんでしたから。
 このフォームを始めた年がプロ11年目。"今年結果を出せなければ野球人生も終わる"という時期でしたから必死でしたね。確かに、この世界、手助けしてくれる方は周りにたくさんいます。でも、結局は自分でどうにか活路を見出さなければ生き残れない。最後は自分自身でどうするか、なんです。


―話は変わりますが、横浜はとにかく若いチームと言われますけど、ベテラン勢の力はすごいですよね。何かやってくれるという雰囲気があります。

種田  僕らは必死にプレーするだけですから。ファンに感動してもらいたいし、野球の面白さを伝えたいですからね。そう思ってもらえるんでしたら嬉しいですが。僕たち上の者の必死さが若手に伝われば、「自分たちも必死に頑張らねば」と考えるでしょう。そういう気持ちに全体がならなければチームも強くならない。野球は難しいですからね。いろいろなものを後輩達には伝えていければな、と。

―具体的にはどのようなことを伝えたいと思いますか。

種田  技術面よりも精神面ですね。若手はがむしゃらになりがちだし、確かにそれも大切なんですが、時には冷静に判断することが必要だと。たとえば、自チームがチャンスのとき。相手投手はもちろんですが、打者も、確実に走者をかえさなければというプレッシャーがあるので、きつい。そんなときにいかに楽に打席に立てるか、気持ちの切り替え方ですよね。

―種田選手は昨シーズン、リーグ1位の得点圏打率(.386)を挙げました。

種田  僕の場合、"とにかくバットに当てれば走者はかえってこれる"くらいの気持ちなんです。ボールを遠くに飛ばす力はないし、無理やり外野フライを打とうとも思わない。内野守備が前のときは、野手の間に強い打球を飛ばせばヒットになるし、守備位置が後ろであれば内野ゴロでもいい。そして、ボールも自分がしっかり振れるコースしか待っていません。そこに来たら絶対逃さないという強い集中力を持って臨んでいますね。とにかく、気持ちを楽な方向に持っていく。苦手な球は打てないんですから。

―01年途中に横浜に移籍してきましたが、レギュラーの保障はなかった。でも昨年、村田選手や内川選手を押しのけて、しっかり内野の低位置をつかみました。そして勝負強いバッティング。"がに股"の話もそうですが、「執念」というものをすごく感じるんですが。

種田  ハハハ。やっぱり現状にあぐらをかいているようではいけませんからね。僕はもともと危機感があったほうが燃えるタイプだし、ハングリー精神がなければ、成長は出来ないと思う。自分自身を追い込んで、どこまでも上を上を目指してやっていかないと。今年34歳ですが、もう、成績が悪ければすぐに若手にレギュラーを奪われるし、クビを切られる年ですから。

―入団当初は4年で結果が出なければ辞めるという覚悟だったそうですね。

種田  それでダメなら仕方ない、というのが自分の中にはあった。4年間という区切りの中で結果を残せないなれば、ケジメを付けなければいけないと思っていましたし、親ともそういう話をしましたから。それくらいのやる気がなければ、生き残れないぞと考えていましたね。

―それがもう、今年、プロ16年目になります。

種田  ハングリー精神を持ち続けたというのはありますが、基本は何でも楽しんでやらないと、とは思っているんです。このフォームで成績が安定してきて、やっとこの年齢になって野球を楽しめるようになってきた。しんどい、しんどい、とばかり考えていても上達はしないです。確かに、この打法を始めたころは状況的にもきつかったし、必死さだけで、正直苦しかったですよ。でも、いつかは楽しんで野球ができると信じていたし、だから頑張れた。この年齢になると、正直、残りの野球人生のほうが短いですから、これからも悔いのないように楽しんでプレーしていこうと思いますね。

―個性派という言い方は失礼かもしれませんが、種田さんは、まさに"記憶に残る"選手だと思います。

種田  今のフォームにしたことによって、野球ファンの皆さんはそうだし、そうでない方にも僕の名前を知ってもらえるようになった。このように雑誌やテレビの取材を受けるようになったわけですからね(笑)。知名度も上がったし、プラス効果も出ている。試行錯誤を経て、たまたまこのような形になったわけですが、うれしいですよね。

―スタンドには"タネ・ダンス"を踊るファンがいます。

種田  皆さんにマネをされるのはとても幸せだし、力になります。これからも、楽しく踊ってもらえるように頑張りますよ。



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