参章 #7 「最終章を奏でる協奏曲の始まり―其の2」
小野の葬儀はしめやかに執り行われた。小野は2つの目玉を丸くくりぬかれ、
五臓六腑全てをきれいに切り取られていた。
広く荒れ果てた荒野の真ん中に小野の死体は無惨に放置されていた。
小野の死体はまるで日干しされた魚のようだった。からからに乾いてしまって、
もうそこからは本当にこの物体は今まで生き物としてこの世に存在していたのか
というような根拠を見出すことは、ほとんど不可能であった。
果たして現実的にこの物体は数時間前まで一般的にいう「生物としての活動」を
とっていたのか、この死体からは想像すらできなかった。無惨な死だった。
参列者の中で親族と呼べるものは今年3歳になる小野の娘ただ一人だった。
「目玉売ってこいや。俺の債務者にゃ片目無いやついっぱいおんねんぞ。
肝臓やったら俺の知ってるルートで25万でさばけら。なあ市川!」
と10年前の小野は市川に吐いた。
紛れも無く、そのつけだった。
小野の死体には荒野特有の湿気のない乾いた風が絶えず吹きつけていた。
切り取られた内臓や目玉の代わりに小野の体にはぎっしりとねじが詰め込まれ
ていた。大きいねじや小さいねじがきちんと規則的に埋められていた。
小野の死体の横には内臓や目玉がきれいに棚に並べられていた。
「腎臓230円」「すい臓198円」「右目89円」「左目128円」「肝臓25万円」
おなかを空かせた野良犬が小野の右目を美味しそうに噛み潰した。
潰れた右目は水の入った風船が針で刺されたときのように、ぶちっという音を
立てて四方に破裂した。犬は100円玉をかごに入れると足早にそこを立ち去った。
「釣りは?」
「とっときな」と犬は言った。
逆に花岡の死はありがちだった。もっともありがちな死だった。
その日、花岡は久しぶりに同郷の友人である名田宅を訪ねていた。
花岡はただ訪問するのでは味気ないという理由で、名田宅の屋根裏に侵入した。
そしてタイミングを見計らって屋根裏から登場し、名田を驚かす予定だった。
花岡は屋根裏でじっとそのタイミングを半日待っていた。
屋根裏には合計で6体の骸骨が転がっていた。頭のてっぺんから足のつま先まで
そのままの形をした理科室においてあるような模範的な骸骨だった。
骸骨にはよく見るとその骨一本一本に小さな字で名前が書き込まれていた。
頭蓋骨、肋骨、鎖骨、背骨。
名田らしい、と花岡は思った。
花岡は大好きなクロスワード・パズルをやりながら名田を終始観察していた。
名田は知らない女性をベッドに招き入れ、巨大な不安と対峙し、
「オー マイ プリティー レディ」という古い唄を歌っていた。
変わらない、と花岡は思った。名田は昔から何も変わっちゃいない。
名田はその後、家を焼いた。部屋中に石油をまき、何もかもを焼き尽くした。
名田はカーテンやじゅうたんを焼き、そして、昔からの友人を焼いてしまったのだ。
焼け跡に残されたクロスワード・パズルには一箇所だけが空欄になっていた。
※「し」からはじまって「し」で終わる最もありがちな「し」は?(4文字)
しょうし(焼死)、と市川は書き込んだ。
益田もまた死を遂げていた。
それは益田が救世主となって「地獄」行きの暴走車から大山を助けた瞬間だった。
益田は会員証を手裏剣代わりにして市川の刺客から大山を救った。
益田は10年前から会員証という仕事を天職にしていた。
会員証を作る、それだけだった。企業に売り込むわけでも、何をするでもなかった。
ただ一人部屋にこもり裸電球の下で会員証を作り続けていたのだ。
益田は会員証を作ることでエロスの絶頂にも似た感覚に陶酔することができた。
会員証、益田の人生そのものだった。
そして、益田はその仕事を初めに与えてくれた大山に義理人情を貫き通したのだ。
「会員証本日の目標10枚です」益田はそう言った。現実や状況、具体的な会員数、
それらの数字を正確に叩き出して益田はそう言ったのだ。
「会員証本日の目標10枚です」その瞬間に益田は命を奪われたのだ。
益田の心臓部に深くねじを突き刺しながら市川は言った。
「10枚?それが目標だと言えるかね」
もし益田があの時10枚と言わなかったとしたら、例えば20枚と言っていたら、
死んだ益田を前に大山は考えた。
あるいは20枚なら市川は殺さなかったかもしれないな、と大山は思った。
「どうですか?大山さん。10枚が目標だと言えますかね」
「いや、ちと少ないような気もする。でも、まあしょうがないでしょね」
「そんなことでいいんですか。月末は近いのです」
大山にしても市川に会うのは10年ぶりのことであった。
目の前の市川はあの時と何も変わっていなかった。
「人は管理されたら終わりですね。大山さん」と市川は言った。「人は管理された
ら終わりなんですよ。分かりますかな、あなたに」市川はにこっと笑った。
「いちかわ」と大山は言った。「ところで何でお前がここに?」
「何で?そんなことあなたが一番よく知っているはずですよ。僕のおぞましい
過去。10年前、あの場所で僕がどれだけ虐げられ無惨な生活を送っていたのか。
そして彼らを統帥しなければならない立場にいたあなたが、彼らの行為、そう、
あれは虐めと言って間違いないな、ああ、痒いな。親指が痒くて仕方ねえ。彼ら
の虐めに対し見て見ぬふりをしていたということ。そして挙句の果て、あなた
自身も虐めに加わっていたということ。あなた自身が、誰よりも、率先して、
僕を虐めていた、ということ。僕を脅し、僕を辱め、僕を、僕自身のなにかを、
完全に壊してしまったということ。そうですね大山さん。あなたですね。
クレジット・カード会社のバイト生に指示を出していたのは。市川を虐めろ、
どんな手を使ってもいい、責任は全て俺がとると」
「俺は何もしていない」大山は額から滝のような汗を噴きだしながら否定した。
「俺は何もやっていない。そうだろう。俺は、俺は・・・」
「ふむ。さすがに主演男優を取るだけのことはある。演技が抜群にうまい」
「俺は、俺は何もやっちゃいないんだ。分かるだろう」
「そういう風に監督に仕込まれたのかね。そう演じれば怯えてるように見えると」
「いや、これは演技ではない。だってそうだろう。演技でこんなに大粒の涙が出る
と思うかね」大山の目からは大粒の涙が溢れていた。でもよく見ると微小の
ねじだった。小さなねじが大山の涙腺から絶え間なくこぼれ出ていた。
市川は大山の首を迷い猫でも捕まえるように軽く持ち上げた。
「地獄行き続行ですよ。大山さん」市川はそう言うと、側に止めてある自分の
愛車に大山を放り投げた。大山は軽々と飛ばされて、市川の車にすっぽり収まった。
その側には大山の黒塗りの車が見事にクラッシュしていた。
フロントガラスに頭をつっこんだ運転手の脳みそには3羽のカラスがたかって
いた。3羽のカラスはお互い競い合い、争い合いながら脳みそをつついていた。
食べかけの苺で車窓に書いた「銀幕のスター」の文字が大山の目に虚しく
映っていた。市川は自分の愛車にエンジンをかけた。
「この音、懐かしくありません?」と市川は言った。「懐かしいでしょこの音。
スープラって言うのです。維持するの大変でね。このポンコツ!」
市川はフロントガラスに頭突きをした。
市川の言葉の響きにはどこかしらおかしな点があった。
どこか大山を試すような妙な響き方をした。「懐かしいでしょこの音」
大山は落ち着いて車内を見渡した。どこかで見たことがある。
スープラ?お、おれの車だ。あの当時乗っていた、俺の、車だ。
大山は胃が震えているのを感じた。胃がぶるぶると痙攣したように
震えているのだ。人間が本当に怯えているときは胃がぶるぶると震えるんだ、
そうなんだ監督、これは勉強になった。
でも、俺はもう、生きられない。
大山は怯える気持ちを抑えながら一通り車内を見渡した。
そして、後部座席に懐かしい二つの顔を認めた。
「お久しぶりですね、大山氏」
顔が倍に膨れ上がった名田は言った。
「まさかこういう状況で顔を合わせるとは、大山代表」
両腕を引きちぎられた太田は言った。
平成21年8月7日 深夜時点。
・花岡(全身焼身による)死亡
・小野(内臓摘出心停止による)死亡
・田代まさし(原因不明)死亡
・益田(頚動脈からの出血、及びねじ)死亡
・亀石(老衰)死亡
生存者
・名田、太田、大山、以上4名。 +市川。
‐‐‐つづく