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五輪書特集
「太刀の持ち方」
太刀の持やうの事、太刀のとりやうは、大指ひとさしを浮る心にもち、
たけ高指しめずゆるまず、くすしゆび小指をしむる心にして持也、
手の内にはくつろぎのある事悪し、敵をきる時も手のうちにかわりなく、
手のすくまざるやうに持べし、
もし敵の太刀はる事、うくる事、あたる事、おさゆる事ありとも、大ゆび
ひとさしゆびばかりを、少替る心にして、とにも角にもきるとおもひて、
太刀をとるべし、ためしものなどきる時の手の内も、兵法にしてきる時
の手のうちも、人をきると云手の内に替る事なし。
(解説)
太刀を持つ時は、親指、人差し指を浮かせ気味(本当に浮かせてはな
らない)にし、中指は絞めず緩ませず、薬指と小指は絞める気持ちで持
つ。例えれば雨の日にコウモリ傘を支える感じが似ている。
手の内というのは、太刀を柔らかく握って、相手がパンと打てば、それに
応じるだけの力をいう。相手が四の力で打てば、それに五の力で返す、
六で打てば七で打つというような反応する力が出てこないといけない。
空がないように、ぴたりと着けておくのでは手の内は生まれず、くつろが
ないような握り方でよくない。
かといって人差し指を伸ばして構えるのは「手の内にはくつろぎあること
悪し」とされている。
一言で表現すれば「太刀は持つもの、とるもので、握るものではない」と
いうことだと解釈する。 |
「紅葉の打ち」
紅葉の打と云事、敵の太刀を打おとし、太刀取なをす心也、敵前に太刀
を構、うたん、はらん、うけん、と思ふ時、我打心は無念無想の打、又
石火の打にても、敵の太刀を強く打、その儘あとをねばる心にて、きっ
さきさがりにうてば、敵の太刀必おつるもの也。此打鍛錬すれば打お
とす事やかし、能々稽古あるべし。
(解説)
紅葉の打ちというのは、刀の落とし方である。相手が刀を握っている。
それをポンとたたく、そして押える。原理的にはポンと叩かれたら握り
しめる。その後、瞬間ちょっと手の内のゆるんだところを叩けば落ちる。
これが紅葉の打ちである。
「流水の打ち」
剣道で稽古していると、打とうと思うときに相手がパッとくると受ける側
に回ってしまう場合がある。そういう受ける側は流水の太刀ではない。
相手の動作にこだわらず、無念無想で打ってゆく、これが流水の打ち
である。流れる水の如く自然で素直な打ちが流水の打ちなのである。 |
「たけくらべ」
たけくらべと云事、たけくらべと云は、いづれにても敵へ入込時、我身の
ちぢまざるようにして、足をものべ、腰をものべ、首をものべて、強く入、
敵の顔と顔とならべ、身の丈をくらぶるに、比べ勝つと思ふほど、たけ
高くなって、強く入所肝心也、能々工夫有べし。
(解説)
たけくらべは、相手と構えた場合、自分の方が背が高いという気持ちで
対すると、姿勢もよくなってくる。
さらに心も少し位を高く持つことで相手を使いこなすという心法の原動
力
になっていく。
例え背は低くとも心は相手より高く、上から相手を下に見て構えるという
ことである。 |
「刀の道筋」
太刀の道と云事、太刀の道を知と云は、常に我さす刀をゆび二ツにて
ふる時も、道すじ能しりては自由にふるもの也、太刀をはやく振らんと
するによって、太刀の道ちがいてふりがたし、太刀は振りよき程に静か
にふる心也、或扇、或小刀などつかふやうに、はやくふらんとおもふに
よって、太刀の道ちがいてふりがたし、それは小刀きざみといひて、太
刀にては人のきれざるもの也、太刀を打さげては、あげよき道へあ
げ、
横にふりては、よこにもどり、よき道へもどし、いかにも大きに肘をのべ
て、つよくふる事、是太刀の道也、我兵法の五ツのおもてをつかひ覚
れ
ば、太刀の道定りてふりよき所也。
(解説)
太刀の道さえ知っていれば刀は二本の指でも操作できるものであり、
太刀の道にそって自由に振るものだ。早く振るのではなく、肘を伸ばし
て強く振る。二天一流の五方の形では、中段、上段、下段、左脇構、
右脇構からの太刀筋が示されている。つまり刃筋を立てた太刀筋こ
そが、刀の道筋なのである。 |
一拍子の打ち
敵を打に一拍子の打の事、敵を打拍子に、一拍子といひて、敵我あ
た
るほどのくらいを得て、敵のわきまへぬうちを心に得て、我身もうごか
さ
ず、心も付ず、いかにもはやく直に打拍子也、敵の太刀、ひかん、は
づ
さん、うたんと思心のなきうちを打拍子、是一拍子也、此拍子能ならひ
得て、間の拍子をはやく打事鍛錬すべし。
(解説)
一拍子の打ちというものは、敵と向き合ったならばいつでも打ち込める
気迫を持ち、相手の隙を見つけたならば、身体も心も動かすことなく直
ちに打ち込む拍子のことである。相手の太刀をはずそう、かわそう、と
か、「打とう」と思ってから体が動く打ちは一拍子の打ちではない。 |
山海の心
さんかいのかわりと云事、山海の心と云は、敵我たたかいのうちに、
同じ事を度々する事悪き所也、同じ事二度は是非に及ばず、三度する
にあらず、敵にわざをしかくるに、一度にてもちいずば、今所一ツもせ
き
かけて、其利に及ばず、各別替りたる事を、ほつとしかけ、それにもは
かゆかずば、亦各別の事をしかくべし、然によつて、敵山と思はば海と
かけ、海と思はば山としかくる心、兵法の道也、
(解説)
戦いの中で同じことを二度、三度と繰り返すのは悪いことである。敵に
は同じ攻めだと思わせつつ、別の場所を攻めるのが効果的だ。
敵には山と思わせて、実は海と攻める心、これが山海の心である。 |


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