
うれしかったこと 金 正和
子供のころ、確か小学2年生ごろまで、私のところは1階が仕事場で、2階が住まいだった。いわゆる家内工業で、靴メーカーの下請をしていたのだ。だから、幼稚園から帰ってくると、いつも家には両親がいた。でも、共働きだから、当然のことながら相手にしてもらえず、近所のガキたちと日が暮れるまで遊ぶことに…。いつも両親がいる安心からか淋しくはなかったが、一度だけ淋しい思いをしたことがある。幼稚園で誕生会をしてくれた時のこと。同じ月生まれの他の園児と共に合同の誕生会に招待されたのはいいが、みんなはお母さんと一緒に来ているのに、私の場合は6歳上の姉が一緒だった。当時姉は12歳。「仕事が忙しいから、お姉ちゃんと行っといで」と母に言われ、「うん!」と大きくうなずき喜んで行ったのはいいが、他のお母さんたちと比べると、どう見たってお姉ちゃんはお姉ちゃんで、母親変わりにはならず、やだなぁと内心思ったものだ。その時の記念写真が残っているが、なんとも冴えない顔で、我ながら情けない。まあでも、ウチは他の家とは違うんだと、自分なりに理解していたので、こんなことでもない限り全てがごく当たり前なことだったし、不満も特にはなかった。だから、傘を持たずに学校に行って、帰るころに雨が降って来たって、母親が迎えに来てくれることなんかあるはずもなく、学校の玄関先で自分の子供を待ち構える母親たちを尻目に、雨の中を一人走って帰ったものだ。でも、ほんとこんなこと、我が家では当たり前過ぎて淋しくとも何ともなかった。家に着いたらビショ濡れで、『オカンッ! 湯あげタオルちょうだい!!』 当時、バスタオルのことをウチでは湯あげタオルと呼んでいた。お風呂からあがって使うタオルだからだと思う。そんな日常生活だった。ところが、ある雨の日、いつものように走って帰ろうとした途端、ギュッと腕を捕まえられた。ふと、見上げると、そこにオカンがいた。いるはずのないオカンの顔と向き合うと、時間が止まると言うか、一瞬、間があいた。そして、すぐに細い目がほとんど無くなって、左右合わせてニ本の線になったことは言うまでもない。ムチャクチャうれしいのに、素直にうれしいとは言えない当時の私がそこにいた。その後、二度と迎えに来てもらったことはないが、この日のことは今でも鮮明に覚えている。これこそ私にとって、究極の愛だった。オカン、あんたは偉い!! たった一回傘を持ってきただけで、子供にこう思わせることができるのだから…。でも、後ほど聞いたところによると、たまたま学校の近くに用事があって来たからついでに寄っただけだったらしい。さすが、オカン!参った!! これはテクニックと言うより、ほとんど神業だ。それとも、ほんとにたまたまか!
今年の正月、不覚にも涙を流して泣いてしまった。それも、オヤジの手を握り締めたまま。なんでこうなったかと言うと、まだ明るい内に、隣のオヤジさんから家で一杯やるから一緒に飲もうと誘われ、ほんの一杯のつもりで行ったところ、正月だし、家は隣だし、たまには近所のオヤジたちとコミュニケーションも図ったほうがいいだろうと、なんだかんだと頭の中でどんどん理由をつけて、超プラス志向になってしまったのだ。フラフラになってウチに戻ると、オヤジとオカンと姉とそのダンナがダイニングのイスに座っていた。ちなみに、私には二人姉がいるが、この姉はあの幼稚園の誕生会で一緒だった例の姉で、正月休みだからと神戸から夫婦で遊びに来ていたのだ。しばらく、みんなで何かを話していたようだが、いつの間にかたまたま正面に座っていたオヤジの手を握り「オヤジ、産んでくれてありがとう………」と言って涙まで流してしまった。翌日のバツの悪さって言ったらもう…。超恥ずかしかった。でも、一生に一回くらい産んでくれてありがとうって言ったっていいかもしれない。だって、滅多に言う機会なんかないし! きっと、言われたほうはうれしかったに違いない! いや、そうに決まっている! 聞けないけど…。