アビプロの歴史



<発芽>
1996年、T.S氏の提唱で「アビプロ」の概念がはじめて明治大学アビーロード内に生まれる。SUMATA哲路(後の社長、会長)が共鳴し、連動。しかしこの時の「アビプロ」はまだまだカルトな存在でアビーロード内での市民権を得ることはなかった。アビプロメンバーは他のアビーロード部員と同じ空間で呼吸をすることさえ許されず、隠れキリシタンのような存在であることを余儀なくされた。

<覚醒>
98年4月、1年以上の暗黒の歴史を歩んできたアビプロも、音楽業界、格闘界との熾烈な争奪戦の末、即戦力「スッポンッポン・レオネ」(後の社長)の獲得に成功。1998年4月、アビプロを正式に旗揚げするに至る。SUMATA哲路が社長に就任。旗揚げ戦の開催を表明し、アビプロの第1歩を示す。



98.5 旗揚げ興行


×バッカス壮一郎(リバースインディアンデスロック)デビルタカマン○
※バッカス、自分でかけたインディアンデスロックでギブアップ


○SUMATA哲路(飛びつき十字固め)スッポンポン・レオネ×
※"床上手"SUMATAが面目躍如




<飛翔>
99年5月、旗揚げ戦が興行的に予想外の大成功を収め、気を良くした社長はタイトル設立とサマーアクションシリーズの開催を発表。後に「名勝負数え歌」と呼ばれるアビプロ選手権が誕生する運びとなった。


98.8 サマーアクションシリーズ


デビルズvsアビプロ本隊抗争決戦タッグマッチ
  ×デビルタカマン    (0−1)   スッポンポン・レオネ○
デビルタカハシ   (エビ固め)  SUMATA哲路
※『巨木』デビルタカハシのトレーニング不足が致命傷に


アビ―無差別級選手権試合
○スッポンポン・レオネ(タイガードライバー)SUMATA哲路○
※スッポンポン、ベルト奪取し初代王者の誕生。




<肥大>
98年8月、一躍人気団体となったアビプロではあったが、人気上昇とともに客の求めるエンターテイメントとアビプロの理念が微妙なズレが生じ始めていた。やっと掴んだファンを繋ぎとめるために社長は、多摩川河川敷においてデスマッチを敢行することをブチ上げた。「無謀だ!」との世間の声を無視して、試合は行われた。


98.8.30 多摩川河川敷ノーロープストリートファイトデスマッチ


△スッポンポン・レオネ(無効試合)SUMATA哲路△
※文字通りの「泥」試合は判定不能




<回帰>
98年9月、河原デスマッチが失敗に終わったうえ、満身創痍のSUMATA社長とスッポンッポンは原点回帰を誓う。「闘魂復活10番勝負」とも言える二人の戦いはここから再スタートすることになる。その手始めとして, 99年の最初の興行はタイトルマッチで行うことを表明。


99.5 スーパーパワーシリーズ


アビ―無差別級選手権試合(レフェリー:KING)
×スッポンポンレオネ(岩石落とし固め)SUMATA哲路○
※SUMTAベルト奪取し2代目王者に。




<流星>
99年7月、草創期アビプロを支えたレスラーたちが引退し、SUMATA、スッポンポンの両エースだけが残った。そこに追い討ちをかけるが如く、SUMATAが次シリーズ限りでの現役引退を表明。レスラー不足に悩むアビプロはフロント太田の提案により新弟子を採ることを決めた。初の新弟子検査では柴田(後のぺ○ス)と越中似の二人が入門。二人の新弟子を擁したアビプロは次の興行、サマーアクションシリーズ'99に向けてサイパン合宿の計画を立てた。しかし、この無謀な計画は企画倒れに終わり、体もできぬまま興行に突入することになる。
99.8 サマーアクションシリーズ'99


柴田、越中似 デビュー戦(レフェリー:太田)
○柴田(ドラゴンスクリュー⇒足四の字)越中似×
※見えない力が働いた疑惑のレフェリング


SUMATA哲路引退試合
アビ―無差別級選手権試合
(レフェリー:太田)
○スッポンポンレオネ(龍原爆固め)SUMATA哲路×
※スッポンポン見事に恩返し、SUMATAに引導を渡し3代目王者に




<再生>
99年11月、スッポンポンレオネが新社長に就任。SUMATAは現役を退き会長へ就任することが正式に発表され、新体制アビプロがスタート。SUMATAなきあとのアビプロを支えるため、フロント太田が次シリーズで、ベイダー招聘を画策。太田がそのまま交渉に着手したが、待遇面で折り合いがつかず頓挫する。戦力不足に喘ぐアビプロは再度新弟子検査を行う。忍者(居酒屋)での面接試験の結果、MINE(後の中西学)と松本の二人が合格、入門が決定。新弟子の入門に突き上げを感じた越中似が『デビル』襲名を発表し、本格的にヒールに転向する。


<蜜月>
99年12月、アビプロ選手とフロントの一同が梵婆家(明大前)で密会。若手レスラーに心構えを説く。この時マッドマックス(MINE・松本)が結成される。


<麻薬>
2000年2月、スッポンポン、ぺ○ス(元柴田)、中西学(元MINE)の三選手が引退したはずのSUMATAとの対戦を要求し「汗つきTシャツ」をSUMATAに突きつける事件が勃発。SUMATAはそのTシャツを口にくわえながら「リングは麻薬じゃ」と言う名言を残し、一時現役復帰と次シリーズへの参戦を表明。アビプロ群雄割拠時代の到来であった。

2000.2 エキサイトシリーズ


中西学(元MINE)デビュー戦タッグマッチ(レフェリー:ヒラツカ)
 スッポンポン・レオネ    (1−0)      SUMATA哲路
     ○ぺ△ス    (四の字固め)      中西学×
※ぺ○ス(元柴田)得意技「年功序列」で中西学(元MINE)にご挨拶も観客暴動


ノンタイトル特別試合(レフェリー:ぺ○ス)
×スッポンポン・レオネ(逆さ抑えこみ)SUMATA哲路○
※ベテランSUMATA,現役社長に大金星も骨折



<息吹>
2000年3月、骨折を機にSUMATAが完全に引退し、会長職を退いた。SUMATAはビジネスの世界への挑戦を宣言しアビプロ界から完全に足を洗う。アビプロはスーパースターを失うと同時に、SUMATA・スッポンポン時代に終止符が打たれた。かくして、アビプロの一時代は終焉を遂げることとなったが、若手の台頭が著しいアビプロは今後も更なる発展を続けることであろう。2000年5月から始まる、スパーパワーシリーズ2000も目を離すことができない。




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