♪はしれー!はしれー!○○○ー!!
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このページでは私が競馬を通して、感じた事や思った事、思いでのレースを書き綴って行くページです。
ご意見がございましたら、喫茶「たっく」まで・・・。
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・・・これが世界の脚(2000・3・12)
凱旋門賞を制し、日本で共用されていた「トニービン号」が心不全により、急死した。
彼の偉大な成績もさることながら繁殖生活も順風満帆で、将来を有望視されて
いた分、その早い他界はあまりにも残念である・・・。
初年度産駒に、「ウイニングチケット(日本ダービー)」、「べガ(桜花賞、オークス)」、
「ノースフライト(安田記念、マイルチャンピオンシップ)」といきなりの大活躍で、
その後も名牝「エアグルーブ」を出し、常に産駒の成績は上位を占めている。
去年、「べガ」の仔「アドマイヤべガ」が日本ダービーを制したように今後は
「トニービン」の“母の父”としての活躍が期待されると共に、
彼の素晴らしい遺伝能力を後世に伝えていく事となるだろう。
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男の意地(2000・3・13)
3月12日阪神競馬場で桜花賞トライアル「4歳牝馬特別」(4歳牝馬限定、1400メートル芝)
がメインレースとして行われた。
1番人気はもっか3連勝中無敗の「サイコ−キララ」。
男馬顔負けの素晴らしい馬体と実績、調教状態からも当たり前の結果である。
今回、この馬で話題になったのが、2年前、同じく3連勝で桜花賞トライアル(チューリップ賞)
に挑戦し、4着と惨敗した「ファレノプシス」(桜花賞、秋華賞)を送り出した、浜田光正
調教師と浜田師の専属騎手、石山繁騎手の子弟コンビだった。
屈辱の2年前・・・
3連勝、「ナリタブライアン」のいとことして、早くもクラシック候補に押し上げられていた
「ファレノプシス」。デビューから手綱を取ってきた石山騎手は当然、チューリップ賞でも
手綱を取る事となったが、断然の1番人気を大きく裏切り、結果は4着・・・。
賞金面で結局は桜花賞へ駒を進める事は出来たものの、直前の乗り変わり。
桜花賞の勝利ジョッキーには石山騎手ではなく、武豊騎手が・・・。
今年の春・・・
「石山を男にしたい。」浜田師はそう言ったという。
師匠は男に同じチャンスを与え、そして「重賞初制覇」の記録と共に
彼はファンの期待を見事に応えてくれた。
彼は心の中ではすでに「ふっきれた」らしいが、きっとまわりの重圧は相当にきついもの
だったであろう。それを乗り越えられたのだから、これからは関西の実力派ジョッキーとして
どんどん成長していくであろう。是非、頑張って欲しいものである。
「フリー」の騎手がリーディングを争う昨今、こういった子弟コンビが活躍してくれるのは
ドラマがあり、見ているものの感情移入が大きく競馬が面白い。
自厩舎の馬で重賞を制覇し、「涙の表彰台」となった福永祐一騎手。
クラシックを惜しいところで勝てず、最後の「菊花賞」を師匠の弟子に対する愛情で
見事に優勝を勝ち取った、渡辺薫彦騎手。
その他、松永幹夫騎手、角田晃一騎手など。
競馬はいろいろな人間が携わっている。そういった事が最も表われているのが
「子弟コンビ」ではなかろうか。
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(名馬列伝1 前編)弟は大丈夫だ!(2000・3・15)
現在サイヤーランキングで毎年のように上位を争っている一頭、「ブライアンズタイム」。
彼が日本で供用され、初年度産駒にニ頭のG1馬を輩出した。
一頭はオークスを制し、エリザベス女王杯(当時は4歳牝馬限定)で女傑「ヒシアマゾン」との
デッドヒートを見せた「チョウカイキャロル」。
そして、もう一頭は言わずとしれた三冠馬「ナリタブライアン(以下ナリブー)」。
ナリブーの母馬は「パシフィカス」。この牝馬はアメリカから輸入された「ノーザンダンサー」
の直仔で血統面でも期待された肌馬だった。
しかも、輸入された時にはすでに一頭の仔をおなかに宿していた。
父馬は「シャルード」。すなわち、秋の天皇賞で故障するまで連対(1着か2着)し続けた
「ビワハヤヒデ」である。
当然、弟のナリブーにはそれなりの期待が込められていた。
だが、デビュー2戦目で初勝利を挙げたものの、その後は勝ったり負けたりで
ファンの期待とは程遠いものだった・・・。
あるとき、主戦騎手の南井克巳騎手(現調教師)がこの馬が足元を気にする事を
大久保調教師に訴え、次のレース(「京都3歳ステークス」)から
のちのトレードマークとなった「シャドウロール(足元の影等で怯えてしまい、レースに
集中できない馬に装着する矯正馬具)」を装着する事となった。
そこからはナリブーの快進撃。暮れの「朝日杯3歳ステークス(G1)」を制し、
3歳チャンピオンとなった。
4歳になってからはまさに順風満帆。重賞を次々と制し、3冠の第一関門「皐月賞」。
2着馬に3・1/2馬身差を付け、レコード勝ち。
次に「日本ダービー」。断然の1番人気で望み、5馬身差の圧勝。
夏を越して臨んだ「京都新聞杯(G2)」では「スターマン」にゴール前で差され、
まさかの2着ではあったが、本番の「菊花賞」では前レースの鬱憤を晴らすかのように
2着馬に7馬身差、しかも前年同じレースでレコード勝ちした兄のビワハヤヒデのタイムを
コンマ1秒塗り替えるレコード勝ちだった。史上5頭目の3冠馬の誕生である。
このとき関西テレビの名アナウンサー杉本清氏(現フリー)の実況が印象的だった・・・。
「弟は大丈夫だ!弟は大丈夫だ!弟は大丈夫だ!10年ぶり・・・10年ぶりの3冠馬ぁー!」
「菊花賞」の前週「天皇賞」での出来事。前述した通り、兄の「ビワハヤヒデ」はこのレースの
最後の直線で「屈腱炎(これを患うと完治しにくく、一度完治したとしてもまた患ってしまう
馬にとっての不治の病)」を発症し、5着と惨敗して、引退に追い込まれてしまった。
それだけ、ファンには3冠の夢以上に兄の雪辱を晴らして欲しかったのである。
・・・そして暮れの「有馬記念」。当然、ファン投票1位に選ばれ、断然の1番人気。
結果は女傑「ヒシアマゾン」に3馬身差をつけ、快勝。4冠を制し、
その年の「最優秀4歳牡馬」「年度代表馬」に選ばれた。
数あるスターホースの中でも、他馬を寄せつけず、その爆発的な勝ち方をする馬は
そういない。わたしが競馬にのめり込んだのはナリブーの存在があまりに
大きすぎたからである。「強い馬が勝つ!」馬券的には面白くはないが
こういった目のさめるような走りをする馬がいないことには、競馬が面白くない。
私が生きている間にまた、あの「黒い弾丸」に出会えたらなあ・・・。
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(名馬列伝1 後編)デッドヒート!(2000・3・15)
「年度代表馬」に選ばれ、まさに「エリートコース」を歩みつづけたナリブー。
古馬になり初戦、春の「天皇賞」を目指し、その前哨戦となる「阪神大賞典(G2)」に
出走。1.0倍の断然人気に応え、7馬身差のお決まりの圧勝。
「天皇盾」はもうそこにあった。
・・・ところが4月、今までの激戦が祟ったのか「右股関節炎」を発症し、
「天皇賞」どころか春の全レースを棒に振る事となった。
・・・・・・・・・・・・・・・「初の挫折」・・・・・・・・・・・・・・・・
ゆっくりと治療し、復帰後第一弾のレースには秋の「天皇賞」が選ばれた。
ところが今度は今までずっと主戦騎手として鞍上にいた南井騎手が
レース中のゲート内で暴れた馬から落馬し、重傷を負ってしまったのである。
当然、鞍上は乗り変わりとなり、関東の的場均騎手が手綱を取る事となった。
この悪条件、いかに「3冠馬」であろうとも乗り切れるものではない。
だが、あまりに負けすぎた。結果は・・・12着。
次の「ジャパンカップ」。1番人気に推されたものの、結果は6着。
そして、「有馬記念」。・・・5着。
「歌を忘れたカナリヤ」である。あの強いナリブーは何処へ行ったのか?
年が明け、明け6歳。地道に復活を目指し、調教され続けた。
そして、初戦にまたもや「阪神大賞典」が選ばれた。
「ジャパンカップ」から手綱を取り続けた「天才」武豊騎手は次のレースから
南井騎手に手綱が戻るので、これが最後の騎乗となる。
武騎手は「これだけの名馬だから・・・」。
そして「阪神大賞典」。ライバルは同じ「ブライアンズタイム」産駒で、
暮れの「有馬記念」ではナリブーに土を付け優勝し、ナリブーと同じく
4歳で「年度代表馬」となった、田原成貴騎手(現調教師)騎乗の
「マヤノトップガン」。
二頭の年度代表馬が相対することから土曜日にもかかわらず、
物凄い数の入場者となった(私もそのひとり・・・)。
ニ頭の年度代表馬がオッズを分け合う形となり、最後まで勝負は
わからない状態だった。ナリブーの焦点は体調。果たして、レース感は
取り戻しているのだろうか?
3000メートルの長丁場。スタートが良かったのはナリブーの方だった。
二頭は「折り合い(馬に不快感を与えず、上手く乗りこなす事)」に専念し、
ゆっくりと駆け出した。道中、位置取りはパターン通りに前にトップガン、
後ろにナリブー。うまく折り合っている・・・
二周目の向こう正面、3コーナー手前からトップガン田原が動き出す。
それにつられて、ナリブー武も動き出す。二頭が他の馬をゴボウ抜きし、
4コーナーでは二頭が並んで先頭に立った。
直線前、鳴り響く歓声。すでに観客の目は前の2頭に向いている。
ナリブーが差せば、トップガンが差し返す。トップガンが差せば、ナリブーが
差し返す。勝負はゴール板までわからない・・・
ゴール板前、首の上げ下げ。そして、同時にゴールイン!
どちらが先か全くわからなかった。
そしてスクリーンに映し出されたのは写真判定の結果。
ハナ差ナリブーが差しきっていた。古豪の復活である。
1年ぶりの勝利。まさに執念で勝ち取った「勝利」だった。
レース後、武騎手は「鳥肌が立った」程の物凄いレースだったと振り返った。
ただ、これがナリブー最後の勝利となった。
次の「天皇賞」では遅れてきた大物、横山典弘騎手「サクラローレル」にゴール前
差しきられて、二着。
次の「高松宮杯(現高松宮記念)」では距離不足(1200メートル)で4着。
そして、このレースがもとで「屈腱炎」を患い「宝塚記念」を前に引退となってしまった。
彼は4歳時、とてつもない強さを見せつけ、近寄りがたいスターホースであったことは
否めない。だが、挫折を味わい、ファンの声援に応えたことにより、
単なる「エリート」ではない「親しみ」をかんじた人はたくさんいるだろう。
人生の上と下の両極端を見たことで単に強いだけでなく、
精神的にも強靭であったことがこの馬の最大の魅力である。
最後に去年、突然天へ駆け上っていってしまったナリブーの冥福を祈ると共に、
残された二世代のナリブーの仔からスターホースが出ることを切望してやまない。
(ナリタブライアンの仔は今年の夏がデビューとなります。)
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(名馬列伝2) 天へ上った快速馬 (2000・3・23)
「逃げ馬」。誰よりも速く走り、そしてゴールまで誰も抜かせない。
「好位差し」が主流の近代競馬で掟破りの走りを見せる逃げ馬は
個性的で見るものをハラハラさせるが、つい応援してしまうのが
人間の心情。
アイネスフウジン、メジロパーマー、ミホノブルボン・・・
みんなその見事な逃げっぷりでG1の勲章を勝ち取った名馬である。
その中でも中距離路線で活躍し、中距離にも関わらず、
マイル戦並のスピードで逃げ、最後の直線でまた突き放す
「サイレンススズカ」は「逃げの名馬」の中では印象度が強い。
父は今をときめくリーディングサイヤー「サンデーサイレンス」。
母は輸入牝馬「ワキア」。
サイレンススズカはデビュー前から評判が良く、上位戦線で
争えることを期待されていた馬だった。
だが、重賞級のレースではイマイチ成果があげられず、
ダービーの出走権は取れたものの、ダービーも散々たる結果であった。
また気性も激しく、ゲート内で暴れ出しスタート前にもかかわらず、
ゲートをくぐりだしゲートから出てしまうというエピソードまであった。
そんなサイレンススズカは秋になって、菊花賞の前哨戦「神戸新聞杯
(G2)」で大胆な逃げを撃ち、完全勝利を確信したその瞬間、
遥か後方にいた筈の「マチカネフクキタル」が強烈な追い込みを決め、
まさかの2着になってしまった。
長距離の「菊花賞」を断念したサイレンススズカは次に選んだレースが
秋の「天皇賞」だった。
スタートから気分良く飛び出し、またもや無謀とも言える大胆な「逃げ」を撃ち、
誰もが「あー終わりだ・・・」と思った。結果は5着。
あの逃げで、しかも「エアグルーヴ」などの一線級の名馬相手にこの結果は
今後の期待へ向けて大きな収穫だったにちがいない。
次走は海外遠征。香港でのG2レースへの出走となった。
結果は出なかったが、この時から手綱を取った武豊ジョッキーは
何かの手応えは掴んだであろう。
それが効して、日本に帰ってからは連勝街道まっしぐら。
古馬になり、オープン特別を勝ち、重賞を勝ちまくった。
中でも「金鯱賞(G2)」では大胆な逃げで、最後の直線で
昨年の勝ち馬「ミッドナイトベット」に大差をつけてレコード勝ち。
そして臨んだ「宝塚記念」。鞍上は武騎手から乗り代った南井騎手。
武騎手は誰よりもサイレンススズカを恐れていた。
武騎手の予想通り、サイレンススズカは大逃げを撃ち3・4コーナーで
一息入れて、2200メートルを逃げ切ってしまった。
夏が過ぎ、秋の「天皇賞」を目標に選んだレースが「毎日王冠(G2)」。
出走予定馬の中には「グラスワンダー」「エルコンドルパサー」といった
強力4歳馬の名が入っていた。
しかし最強の逃げを撃つサイレンススズカには最強4歳馬も
ついて行く事ができなかった・・・
・・・そして運命の日。秋の「天皇賞」。
逃げ宣言サイレンススズカは逃げ馬有利の最内1番枠。
しかも、得意の2000メートル。調子は絶好調。
負ける要素が全くなかった。勿論断然の1番人気。
スタートと共にポンと飛び出したサイレンススズカは
いつもの様に大逃げ。2番手に10馬身以上の差をつけていた。
ここまでくれば勝ちパターン、誰もがそう思った府中名物「欅の木」を
越えた瞬間、急に減速。武騎手を乗せたままのサイレンススズカは
脚を引きずったままその場に立ちすくんでしまった。
・・・間もなく骨折が判明し、「予後不良」処分とされてしまった。
レース後、その処分について、「かわいそうだ」という事で論議された。
たしかに脚が折れただけでなぜ殺すのかということだが
これはあくまで「人間的」な考えであって、実際足が折れた馬は
折れた後が悲劇になるのであり、安楽死させるのが馬にとっては
よい事なのである。
4本の足で立つ馬は一本でも脚が駄目になると、違う足に重心が
かかり、つめが腐り「てい葉炎」を患い、全身に回りだして悲惨な最後を
遂げるのである。(かつての名馬「テンポイント」も同様のケースで死亡。)
その後、「毎日王冠」でサイレンススズカに土をつけられた「エルコンドルパサー」は
4歳で「ジャパンカップ」を制し、5歳で海外重賞を勝ち、「凱旋門賞」で僅差の2着と
なり、年度代表馬となった。かたや「グラスワンダー」は4歳の暮れに「有馬記念」を
制し、5歳で「宝塚記念」「有馬記念」の両グランプリレースを制した。
世界に日本の競馬のレベルの高さを知らしめたエルコンドルだったが、
そのエルコンドルを苦しめた名馬がいたということを
忘れてはならない。また、天皇賞の後のサイレンススズカの活躍が
見られなかったことが何より残念で仕方がない。
今はサイレンススズカの冥福を祈ると共に、3つ下の弟「ラスカルスズカ」に
兄貴の分まで頑張って欲しいと思う。
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競馬場へ行こう(阪神競馬場篇) (2000・4・10)
私は地元という事でよく仁川へ散歩がてらに出向く事がある。
といっても、距離はそこそこあるので単車か阪急電車で行くことが多い。
おしゃれな観光地、宝塚にミスマッチなギャンブル場というイメージを
抱きがちになるが、これが大改装後におしゃれな競馬場となって、
いまや大きな公園のようなデートスポットともなっている。
昨日行われた「桜花賞」からでも想像できるように
桜が咲き乱れるとても美しい競馬場でもある。
とくに桜花賞のスタート地点(1600bスタート地点)は
多くの桜が咲き乱れ、「桜の女王」を目指すにふさわしい絶好の
場所となっている。
阪神競馬場はJRA全競馬場から見て、どくとくな形をしている。
2コーナーから3コーナーまでの向こう正面は上がり気味の直線となっており、
3コーナーでは急なカーブを描いている。真上から見るとまさに
「おにぎり」型のコースとなっているのである。
そのトリッキーなコースが時折、変わったペースを産む事がある。
その代表例が「魔の桜花賞ペース」である。
スタート地点から先を争うように内内を狙うので、スタートからいきなりの
ハイペースが発生し、先行した馬は殆どが潰れてしまうというものである。
では、なぜ内内を狙うのか?
この時期は阪神開催も終盤になり、荒れた馬場のため今まで張っていた
「仮柵」をはずし、内側の芝はパンパンの走りやすいものとなっているので、
当然内内を狙ってくるのである。
また尖がったような3コーナーのカーブが外側の馬を外へ外へと追いやってしまうので、
かなりのロスが出てくる。これもスタート後にいきなり内へ入ってくる要因と
なっている。
ギャンブルがそれでもまだ受け入れられていない現在、競馬場の存在を
忌み嫌う方はたくさんいると思う。だが、競馬を一種のスポーツとして
見た場合、この競技場(競馬場)の素晴らしさを改めて感じる事であろう。
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(名馬列伝3) 坂路の申し子 (2000・4・12)
現在、東の美浦で調教を受けている競走馬を「関東馬」、西の栗東で調教を受けている
競走馬を「関西馬」と呼んでいるが、やはり地元意識が強いせいか関西に出身の
私はつい関西馬を応援してしまう。いわば、競馬界の巨人−阪神戦である。
(馬産地の殆どは北海道だというのに・・・)
かつては「東高西低」の実力分布だったのが、平成に入りそれが逆転する。
関東馬が強かった要因の一つが中山競馬場の最後の直線で高低差2bの坂が
あるようにその「坂路」が馬を鍛えていると考えられていた。
(昔の阪神競馬場には坂路がなかった・・・)
そこで、栗東トレセン(滋賀県:トレセン…正確にはトレーニングセンター。
いわゆる調教場である。)の調教コースに「坂路」が設けられる。
その調教はあまりにも過酷である。賢い馬はその辛さに坂路コースの手前に
再度立つと、引き返そうとする。
その辛い坂路を2本、3本・・・5本も駆け上る一頭の優駿がいた。
彼の名は「ミホノブルボン」。
ミホノブルボンは代用の血統である。
母馬は無名のサラブレッド。その母馬に優秀な「ミルジョージ」を種付けしたかったが、
予算上断念せざるを得ず、その代わりに似た血統の「マグ二テユ−ド」という
あまり名の知られていない種牡馬をつけることとなった。(最近のマグニテユード産駒では
高松宮記念を優勝した「マサラッキ」が有名。)
3才になり、戸山厩舎に入厩。この血統から、あまり大きな期待はされていなかった。
ただ、戸山調教師(故人)は回りの状況とは一味違っていた。
ブルボンは類稀な天性のスピードを持っていた。
デビュー戦を楽勝勝ちし、遂には暮れの3歳チャンピオン決定戦「朝日杯三歳ステークス」
を優勝。とくに彼のスピードは生涯生かされる「逃げ戦法」の大きな武器となった。
年が明け、4歳。4歳牡馬と言えば、勿論「クラシック(3冠レース)」である。
だが、ブルボンは大きな壁にぶち当たる。その血統からは決して有利ではない
「距離の壁」である。
スピードの塊のようなブルボンにとっては2000b〜3000bのレースは
常識から考えても、無理な話である。
だが、戸山師は独自の理論を持っており、それを実証させようと考えていた。
「無名な血統でも、スタミナがなくても、人間が手を加えてやる事で、馬は強くなる。」
というものであった。
偶然にも昭和60年に栗東に坂路が完成し、ブルボンは生涯ここで調教されることとなった。
その成果はすぐに現れる。「スプリングステークス(皐月賞トライアル)」を勝ち、
皐月賞をも制した。そして、「日本ダービー」。彼は2400bの距離を走りぬく為、
1日に4〜5本の坂路調教が施された。
それが身を結び、2着馬に5馬身の差を付け、完勝。残すは3冠最後の「菊花賞」。
放牧に出されたブルボンは夏を上手く乗り切り、トライアルの「京都新聞杯」を完勝。
もはや3冠は手の届くところにあった。
そして「菊花賞」。スタートと共にポンと飛び出したのが逃げのブルボンではなく、
もう一頭の逃げ馬だった。ブルボンの走りを乱し、
もはや波瀾のムードとなった。だが、ブルボンは上手く2番手を追走。
3、4コーナーでは先頭馬をかわし、先頭に踊り出た。
だが距離の壁がこたえたか、舌を出しながら苦し紛れに走るブルボンに対し、
最後の直線で後ろから猛追をかけるもう一頭の優駿がいた。
ダービー、京都新聞杯で続けてブルボンに苦汁を舐めさせられた、
「ライスシャワー」である。(後にメジロマックィーンを倒し、天皇賞を2回優勝。
宝塚記念で非業の死を遂げる。)
ゴール前でライスシャワーにかわされ、その後を追ってきた「マチカネタンホイザ」を
クビ差しのいだものの、3冠ならず・・・
夢は破れたものの、戸山師のその「スパルタ調教」は見事に実証された。
ただ、その後戸山師はガンを患い、帰らぬ人となってしまった。
8戦7勝、2着1回。パーフェクトである。だが、常にG1の舞台で激戦を繰り返してきた
ブルボンにとって普通6〜7歳までの競走馬生活を凝縮しすぎた。
鍛えぬかれた「サイボーグ」のようなその馬体も脚部不安により、菊花賞後に
引退へと追い込まれた。
このまま順調なら、恐らく古馬になってもG1の一つや二つは、いや、それ以上は
取っていただろう。だが、その早過ぎる競走馬生活がいまやブルボンの
強さを伝説化しようとしている。産駒の活躍は今一つだが、
数年後、彼のような力強い逃げを見せる産駒がクラシックを賑わしてくれたら・・・
そう思うとまた競馬が止められないな、と思う今日この頃である(笑)。
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クラシック (2000・4・16)
今日、中山競馬場で3冠の第一関門、「皐月賞(芝2000b)」が行われる。
俗に皐月賞は「速い馬が勝つ」と言われ、スピード自慢の4歳馬が集結する。
今年もどんなレースが繰り広げられるのか楽しみなところである。
ところで先ほど記述した「3冠」とはなんぞや?ということになるが、
つまり3冠レースとは4歳牡馬(牝馬も出走可能)限定の三つのG1レースを言い、
またの名を「クラシックレース」と言う。
また、4歳牝馬だけで行われるG1レースを「牝馬三冠」と言い、「桜花賞」
「オークス(優駿牝馬)」に限って、クラシックと呼んでいる。(「秋華賞」はクラシックレース
ではない。)ちなみに、日本競馬史上「牝馬三冠」となったのは「メジロラモ−ヌ」ただ
一頭(当時は「秋華賞」ではなく、「エリザベス女王杯」)である。
話は戻るが、その牡馬三冠レース第一弾は先ほど述べた「皐月賞」。
続いて6月に施行される「競馬の祭典」こと、「日本ダービー(東京優駿)」。
俗にダービーは「運の良い馬が勝つ」と言われ、ここまで無事に来た馬が勝つと
言われる。(東京競馬場・芝2400b)
最後は11月に施行される「菊花賞」。
俗に菊花賞は「強い馬が勝つ」と言われ、スピードは勿論の事、3000bという
長距離と京都の2回の坂越えを耐え抜くスタミナが要求される。(京都競馬場・芝3000b)
これらの三つの4歳限定G1は一生のうち1回きりのレースとなるので、
調教師も万全の調整で臨んでくる。一つでも勲章を取れれば幸せである。
それを三つとも取ってしまう優駿が時折出てくる事がある。
この優駿を「3冠馬」と言い、日本競馬史上には5頭の3冠馬が誕生している。
最初は戦前に誕生した「セントライト」。いまや伝説の名馬である。
2頭目は昭和30年代に最強を誇った名馬「シンザン」。
調教師武田文吾氏は愛馬「シンザン」の強さを「ナタの切れ味」と賞した。
3頭目はファンの多かった「ミスターシービー」。
その強さは最後の直線で数十頭をゴボウ抜きするほどの強さだった。
4頭目はその1年後、生涯で7つのG1を獲得した「皇帝」こと
「シンボリルドルフ」。いまや「トウカイテイオー」の父としても有名である。
最後は記憶に新しい「ナリタブライアン」。その強さは3冠レースで付けた
2着馬との着差でもわかるように誰の目から見ても明らかだった。
こうして5頭の3冠馬が誕生したわけだが、これからもたくさんの3冠馬が
出てくるであろう。ただそれが私の目で見れるかどうか、それだけが気がかりである。
今年も3冠馬の誕生を祈って、今日の皐月賞の行く末を見守るとしよう。
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