彼の名前は何度も聞かされてきた。それはいつも尊敬を伴っていた。柔術の世界では、
彼は「真の男」と考えられている。その男が柔術の真の姿を代表することに誰も疑い
をもたない。
日本のプロモーター達は彼の価値を知り、疑いようもないベストだと見なしている。
彼らが特別な試合を組む時には、彼の名前を真っ先に思い浮かべる。
彼はヴァーリ・トゥードというスポーツを5年ほど前に日本に紹介し、その後、どん
どん大きくなっていくイベントに舞い戻って行った。
もちろん、その男の名はヒクソン・グレイシーだ。
今年5月、ヒクソンは史上最高のイベント、コロシアム2000に出場するため日本に向
かった。12チャンネル・テレビ東京の協力により、ブラジルでも1時間遅れで放映さ
れた。彼は日本最高の選手である船木と戦った。
さぁ、多くの人が史上最高のファイターと信じる男をチェックしよう。
(キッド)あなたが、まだ子供だった時に頭角を現していた頃の事を覚えています。
あなたは、15才くらいだったが、皆、特別なものを感じていた。自分だけではなく、
イパネマのビーチ(イパネマはリオの流行文化の中心)でツルんでいた友人達全員
が、そう感じていました。
自分は、まだ柔術に関わってさえいませんでしたが、サーフィン仲間がヒクソンは
グレイシーの中でも最高だと言っていたのを覚えています。
あなた自信が自分は特別であり、ファイターの一人ではなくベストなファイターに
なろうと自覚した時期はあったのですか?
(ヒクソン)私は、たいへん若い頃から柔術に関わり、試合を始めた。人生では、
ある時期まで、みんな群の中団に過ぎない。
私が、このスポーツで特別なものを感じたのは、最高の人達と練習を始めた時だ。
この時、自分は16か17才で、紫か茶帯だったが、彼らと練習するのをとても快適
に感じだした。彼らは自分より年上で力もあったし、自分は敵わなかったから、
こういったトップの連中と練習すると多くを学べると思った。
すごく成長できたよ。私は、まだ発展途上だったが、自分には特別な才能がある
こと、天賦のもの、他の子供達が持っていないものが与えられている事に気がつ
いた。それを自覚してから、真面目に取り組みだした。自分の才能をできる限り
伸ばし、最高の結果を得られるようにしたんだ。
私には、この道が自分に開かれているのかわからなかった。しかし、いつも充実
していた。やりとげた達成感からではなく、毎日少しずつ上達して新しい地平が
見えて来たことによる充実だ。今までに渡って、私は後ろを振り返って自分のや
り遂げた事に満足したりしていない。今でも新しい地平にたどり着くように努力
しているんだ。これが人生を美しくエキサイティングなものにする方法だと信じ
ている。
(キッド)誰があなたを指導したのですか?また、生徒としての自分はどうでし
たか?一番影響を受けたのは誰ですか?
(ヒクソン)私は、ホーウス、ヘウソン、ホリオンとの4人の兄弟の一番下だっ
た。三人とも私にとって、ファイターとして、そして男として劇的な影響を与え
てくれたよ。リオ・ブランコ・アカデミーが縮小してインストラクターが少なく
なった時、ホリオンとホーウスは、そこで長い間教えていた。私もアシスタント
として出かけていった。しばらくして、ホーウスはコパカバナに移り、カーウソ
ンのスクールでも教えるようになった。
だから私はコパカバナでホーウスと、リオ・ブランコでホリオンとかけ持ちで過
ごすようになった。その時から、私は彼らから全てを吸収するようになった。
知識と精神、そしてインストラクターとしてファイターとしての生き方だ。
しかし、柔術では、自分自身のスタイルとあり方を確立する時期が来る。私自身
も、彼らは自分より上で私に色々教えてくれる存在ではあったが、父の意見や教
えを参考にしながら、自分に合わない物を選び、自分自身のスタイルを確立させ
始めた。そして、ある時、私は彼らに教えられた事は、そのまま真実ではないん
だと気がついた。自分は違う感じ方をしたし、教えられた事を違う方法で使って
いたからだ。
私は、彼ら皆が私の成長を大きく助けてくれたと信じている。しかし、ある時点
から人は自分で泳ぎ始める。その時から、自分のスタイルが確立されるんだ。私
は誰のスタイルも真似してこなかった。
(キッド)数年前、まだヴァーリ・トゥードがメジャー化する以前に、あなたは
日本へ行き、対戦相手を探しました。これについて話してくれますか?
何故、
日本へ行ったのですか?
(ヒクソン)あの旅は元々、Marcello Behringのアイデアなんだ。彼はサン・パ
ウロに引っ越し、日本へ行って自分の試合を探すスポンサーを獲得した。彼が私
を誘ったんだ。
その後、スポンサーとこじれて彼は行けなくなったんだが、私は良い機会だと思
った。当時、私は既にアメリカに住んでいたんだが、Sergio
Zveiterと日本へ行
くことにした。
私は紹介状を持って、日本でプロフェッショナルな格闘技に身を投じている人達
に会いに行った。しかし上手くいかなかった。当時はヴァーリ・トゥードの概念
を理解してもらえなかったし、彼らにとって、試合は全て演武のように振り付け
られたもの (choreographed organized matches)
だったんだ。
状況を変えるには、長期間滞在しなければならなかっただろうね。
(キッド)どうして、アメリカに来たのですか?
(ヒクソン)色々な理由があったんだ。プロとして柔術を、そして私自身を向上
させる状況がなかったんだ。私は、このスポーツのトップだったし、良いスポン
サーも持っていた。柔術に関しては、これ以上望むべくもなかった。しかし、私
は結婚していて子供もいたから出費も大きかった。これ以上、自分を向上させる
のは難しいと感じたんだ。
アメリカにはホリオンのセミナーのアシスタントとして以前から年に6,7回来て
いたが、ここにはブラジル以上にチャンスがあると考えるようになった。だから、
私はアメリカに移住してホリオンを手伝い、柔術を広めていくことに決めたんだ。
柔術という芸術を、金銭的な面だけでなく人間的にも広めていくためにだ。
(キッド)アメリカでは、どんな困難にぶつかりましたか?
(ヒクソン)最大のハードルは、当時、誰も柔術を知らなかった事だ。だから、
我々は非常にゆっくりと組織を造り、クラスを教えながら、一人の生徒が口伝え
で誘い、他の生徒がやってくるのを待った。もう一つの困難は、英語を学ぶこと
だった。しかし、少しずつ、全てがしっかりと形を成していった。
仲間意識がどんどん強くなり、彼らは柔術をサポートしてくれるようになった。
そして、全てが毎日のように発展していくようになったんだ。
(キッド)ガレージで教えることから始めたというのは本当ですか?
(ヒクソン)そうだ。我々はガレージから始めた。しばらくして、最初のスクー
ルができ、そして私自身のスクールを持つようになった。
(キッド)現在のアメリカでの柔術を、どう思いますか?
(ヒクソン)私としては、実際にアメリカで活動してきた時間を考えると、上手
くいったと思っている。
人々は、賞賛と尊敬を示してくれる。他と同じく、大変な仕事だよ。でも、柔術
の発展は必然であって、今後も止まらずに続いていくと信じている。
(キッド)あなたは、インストラクターとしても素晴らしいと知られています。
レッスンには、どのようにのぞみ、生徒をどうしようと考えていますか?
(ヒクソン)私は、生徒を、より良くしようと思っている。自分を生徒の立場に
置いてみて、生徒をどうやったら手助けできるかを、色々な方法で探している。
(キッド)今日、柔術の練習を始める生徒に対して、どのようなアドバイスをし
ますか?
(ヒクソン)今の状況を快適に感じるように努力しろ。インストラクターと一緒
にいるのが快適に感じられるように努力しろ。そして、この経験を毎日の習慣に
しろ。周りの人間の期待に沿えるかどうかなんか気にするな。試合や勝ち負けな
んか気にするな。
目的は自分の中に第二の本質を手に入れることなんだ。それは、自分自身の肉体、
知性、そして精神面を理解させてくれる。
(キッド)コロシアム2000の試合後のプライベートなパーティで、あなたは自分
の宇宙をひとつの国から世界に広げたと言っていました。これから先、どんな希
望を持っていますか?
(ヒクソン)ヒクソン・グレイシー・インターナショナル柔術アソシエーション
でやっている事こそが、やりたかった事だよ。私は柔術選手が生活する方法を確
立したかった。これこそが、私が長い間ずっと考えてきた事だし、今やシステム
を確立することができたと信じている。これからすべきことは、この仕事のクオ
リティを維持しつつ、できる限り世界中へ広めていくことだ。
アソシエーションの成長はずっと続いている。柔術を学びたがっている国に広め
るのが私の夢なんだ。
(キッド)それは、柔術の世界では難しい仕事だと思います。ほとんどの人は、
そういった変化を嫌うでしょう。私の考え過ぎかも知れませんが、柔術は、今ま
であまり尊敬されてきたスポーツではありませんでした。あなたは、今までに人
々が柔術に憧れるような構図を作り出してきました。
その道のりで、今までに、どのような障害に直面しましたか?
(ヒクソン)今では、私のやり方を受け入れない者達を説得しようとは思ってい
ない。彼らは物事を私の方法で見るべきだ。私が感心があるのは、私のシステム
をサポートしてくれる人達だ。どんな事であっても世界中に均一に広める事がで
きる者はいない。
だから、私は全ての人を変えて納得させる人間になろうとは考えていない。私は、
このスポーツの特別な場所にいると信じている。私がやっている事、私の仕事は
有益なものだと信じている。
私は自分のアイデアに従ってくれる人達を心配していない。彼らは、私のやり方
を快く思ってくれるアソシエーションのサポーターなんだ。私のやり方を受け入
れ、一緒にやっていけない人達には、グッド・ラックをだ。
(キッド)あなたのアソシエーションは世界中に広がろうとしています。どんな
国に代理人を置いていますか?
(ヒクソン)私のアソシエーションは、どんどん発展している。ヨーロッパ各国、
ニュジーランド、日本、ブラジル、アメリカの数州、カナダに代理人を置いてい
る。わかるだろう?世界的な活動になり始めているんだ。アソシエーションの発
展は、私にとって大きな喜びだよ。
(キッド)8月には、第二回トーナメントが開かれます。第一回は柔術トーナメ
ントとして標準的なものでしたが、今回はどうなりますか?
(ヒクソン)より大きい、より良い大会になると期待できるのは間違いない。
参加選手の数、組織の質、チーム・ワーク面、そして交遊面で、前回より優れた
ものにしたい。
大変なことはわかっている。最初の大会は成功したが、同じ事を、より大きな形
でやろうとしているからね。その目的に向かって、一生懸命やっているよ。
トーナメントが大成功するのに自信があるよ。
(キッド)トーナメントにはアソシエーションのメンバーだけが参加できるのですか?
(ヒクソン)アソシエーションのメンバーだけが参加できる。8月の19日と20日に
UCLAのジョン・ウッデン・センター・パビリオンで開催されるんだ。
詳しくは、私のホーム・ページを見てくれ。
(キッド)あなたは、何年にも渡って多くの偉大な成功をおさめてきました。選手
として、そして個人として。いままでで、プロとして最高の瞬間は何時ですか?
(ヒクソン)プロとして最高の瞬間は、いつも一番最近の勝利だよ。それこそが、
今までの全ての作業の結果だからだ。私はブラジルと柔術をコロシアム2000という
イベントに持ち込んできた。そして、私のキャリアの中では特に輝かしい勝利では
なかったが、勝利した事が忘れられない瞬間として残っている。
(キッド)船木との試合の前には、何を予測し、重視していましたか?
(ヒクソン)私は、今までの人生でずっと、このようなプレッシャーにさらされてきた。
この試合が自分にとって重要なものであることは分かっていたが、こういった精神状態
が自分自身やプロとしての技術に影響を与えないようにした。こういった状況では、経
験を積めば積むほど精神状態が日常生活に影響を与えないようにできるようになる。
(キッド)それでは、今回のファイトへの準備は今までと変わらないものだったのです
か?それとも、今回は何か特別なことをしましたか?
(ヒクソン)私は、自分のトレーニング法を、特に技術的な面では変えなかった。
肉体的なトレーニングを増やした。試合の時にピークを持っていけるような時計を自分
の中に持つようにしたんだ。しかし、技術的にはいつもと同じだ。ファイトの時に持っ
ているべき精神状態には明らかに注意した。トレーニングはいつもと同じだよ。
(キッド)あなたは、ホイラー、ホクソン、バレットを伴って観客の歓声が作る見えな
いトンネルを歩いて行きました。リングへと向かって花道を歩きながら、何が頭をよぎ
りましたか?
(ヒクソン)私は、あらゆる期待と考えを消し去るようにしていた。ファイトの瞬間に
反応しなければならないので、頭を空っぽにしていた。あらゆる考えを頭から消すよう
にしたんだ。
(キッド)試合の解説をしてください。
(ヒクソン)戦いが始まって、すぐにクリンチになった。私もクリンチしながら、ロー
プにつまった。船木は、とても落ち着いていた。我々は膝とパンチを交換した。私は、
すぐにグラウンドに持ち込んで極めようとは思っていなかった。船木もグラウンドに持
ち込みたくなかったから、焦ってはいなかった。
だから、ファイトは、そのままこう着したようになった。船木も、その状態で快適だっ
たようだから、5分から10分くらい時間が過ぎた。ある時、彼は私をギロチン・チョーク
に捕らえたが、私の腕が内側に入っていた。私は、それを利用して、グラウンドにテイク
・ダウンできるかを考えていた。
しかし、グラウンドへ移行した時、彼はギロチンを解いてトップを取った。その時にパ
ンチされたんだ。顔を殴られたというより、直接眼球を叩かれたような感じで、私は完全
に視力を失った。これが、彼にコントロールのチャンスを与えた。彼は立ち上がり、キッ
クを始めた。
観客は熱狂して歓声をあげていたが、私は自分を冷静に保っていた。船木は桜庭がホイス
にやった積極的な戦法を取り、桜庭のやった事をリプレイしようとした。私は、落ち着い
たまま時間を取り、彼の膝を蹴って、チャンスを見て立ち上がって、クリンチした。
この状態から、テイク・ダウンに成功し、マウントを奪って落ち着いて打撃を行った。
このやっかいなポジションでも、船木は非常に冷静だった。彼は私に腕を取られないよう、
バックを取られないようにしていた。落ち着いたまま、ラウンドが終わるのを待っていた。
そこで、私はバックに廻ることにより、彼を驚かせることにした。彼の予想していなかっ
た動きで驚かせ、混乱させて、チョークを取るチャンスを創ったんだ。
私はチョークに入り、彼がコントロールを失い、「眠り」に入るのが分かったので、レフ
ェリーが割って入る前に技を解いた。
(キッド)レフェリーは、何故止めなかったのですか?
(ヒクソン)レフェリーには、ストップの権限が与えられていなかった。レフェリーが試
合を止めて船木が「何故、止めたんだ?何ともない。タップしていない。」と言ったらど
うする?この点で、我々は自分の行為の結果に責任を持っていた。もし、彼がタップせず、
私が技をかけ続けていたら、彼は眠りに落ち、アームバーを受けた時と同じように、何か
障害が残ったかも知れない。
ホイラーの時のように、レフェリーが止めるのは正しくない。レフェリーは、あの時、
ホイラーが怪我をすると思ったようだ。ホイラーは自分の腕が折れるか、タップするかを
判断できるだけ経験があるし、そこには自分もいて、判断することができた。
ヴァーリ・トゥードの試合では、レフェリーはファイトに干渉するべきではない。もし、
かけられたのがチョークだったら、ホイラーは防御して呼吸できていた。
(キッド)あなたは、偉大なイベントで偉大な勝利を飾りました。このような偉業の後、
どのように感じますか?
(ヒクソン)今までに重ねてきた人生の1ページと同じだよ。もし、この試合の勝利に拘
りすぎれば、自分を駄目にするだけだろう。私はこれから刻まれる未来ではなく、過去の
イベントに意識を奪われたくない。私が勝つことができたのは、いつも身体を保ち、試合
ができる状態でいたからだろう。勝つことができて、神に感謝するよ。もうひとつ、過去
を振り返らず、次の対戦相手に集中してきたからだろう。私は、いつもプレッシャーの中
で生きてきた。多くの人が私の敗北を見たいと思い、私を敵視する人達も私の敗北を望ん
だ。だから、勝利の瞬間は嬉しかった。しかし、その瞬間を過ぎてまで、その思いを引き
ずったりはしない。
私は、勝利する準備はできている。しかし、同時に敗北する準備もできている。勝とうが
負けようが、私は今までの自分の生き方を続ける。だから、私は過去のことを心配するの
ではなく、新しい地平、新しい可能性を考えることに集中したいんだ。
(キッド)最近では、多くの柔術選手がヴァーリ・トゥードの試合で苦戦しています。
何故だと思いますか?
(ヒクソン)私はヴァーリ・トゥードは複合的な芸術だと考えている。柔術は、その最も
重要な部分だ。アカデミーでいつもトレーニングしていることは、そのままヴァーリ・
トゥードの試合で使うことができる。しかし、これはアカデミーで柔術をやっていれば、
ヴァーリ・トゥードの試合に100%対応できるということではない。
(キッド)ヒクソン、どうもありがとう。
(ヒクソン)ありがとう、キッド。
それでは、ヒクソンがコロシアム2000での試合後のプライベートなパーティーで語った
言葉で締めくくろう。
「ある時期まで、私はブラジルに住み、私の全宇宙は、そこにあった。私が自分を捧げて
きたのは、アカデミーとブラジルの弟子たち、グレイシー・ファミリー、そしてブラジル、
ブラジル、ブラジルだ。その後、ロケットが私を乗せて、世界へと連れていった。今や私
は多くのブラジル人ではない友人と弟子達を持っている。私は、ブラジル以外から来た多
くの兄弟達を得た。私は、自分の心と血と感情をブラジル人ではない人々と共にしてきた。
私は、彼らに感謝の言葉を言いたい。今や、私は世界中の多くの人を通じて柔術を代表し
ている。私は柔術をみんなに与え、君たちと共有したい。これはブラジルを誇りとするこ
と以上に重要な、私の生涯の役割だ。現在まで、十年間、アメリカで暮らし、ヨーロッパ、
アジア、そして世界中を旅し、今や柔術を通して私と同じ情熱と精神的つながりを共有す
る人々を得ることができた。私が、この話をするのは、柔術を通しての私の愛は、今やブ
ラジルを超えているからだ。世界中の柔術を愛する人達へ、私は皆さんのことを本当に心
に思っています。ありがとう。」