マリンは大学をセント・ジョーンズ大をいう私立のカトリック系大学を選んだ。マリンはすばらしい環境や施設を求めるのではなく家から電車ですぐの場所にある大学を選んで、家族を生活の中心に考えていた。
1981−82シーズン、セント・ジョーンズ大は21勝9敗の成績を残し、マリンの1年目のアベレージは16.6点だった。そして2年目、彼はチームのスタートして頭角を現した。マリンは動きが少しスローだとか、ジャンプ力が足りない、肉体的にも強じんになるべきだ、と分析する人が多かったが、マリンの得点を阻止する方法をわかっている相手は少なかった。セント・ジョーンズ大は全米3位でその年のシーズンを終了。さらに翌年もマリンはドンドンと力(アベレージ22.9得点。)を伸ばした。
1984年2月21日にビッグ・イースト・カンファレスのライバル高であるジョージタウン大との試合が記憶に残っている。セント・ジョーンズ大は、試合終了間際に2点リードを奪っていた。だが、ボールはジョージタウン大側だった。しかし、マリンがボールをスティールすると、味方にパスしてレインアップが決まり、セント・ジョーンズ大が75対71で勝利した。この試合のマリン成績は、33得点、4アシスト、3スティール、4リバウンドをマークした。
1984年、マリンはロサンゼルス・オリンピック代表チームのメンバーとともに夏を過ごした。ボビー・ナイトコーチの指揮の下、金メダルを獲得した。マリンは全試合の8ゲームに出場。得点は、マイケル・ジョーダン(137得点)に次いで2番目に多い93得点。チームのスターターではなく、出場時間もチーム5番目でしかなかったにもかかわらずだ。
| セント・ジョーンズ大での現在NBAでプレーしている選手 |
| 年度 | 名前・現所属チーム | POS |
| 85 | ビル・ウェニントン(キングス) | C |
| 87 | マーク・ジャクソン(ペイサーズ) | G |
| 90 | ジェイソン・ウィリアムス(ネッツ) | F |
| 92 | マリック・シーリー(ウルブス 2000年5月21日に交通事故死) | G |
| 92 | ロバート・ワーダン(ネッツ) | C |
| 98 | フェリッペ・ロペス(グリズリーズ) | G |
| 99 | ローワン・バレット(76ers) | G |
| 99 | タイロン・グラント(ホーネッツ) | G |
| 99 | ロン・アーテスト(ブルズ) | G |
| 99 | ゼンドン・ハミルトン(マーベリングス) | F |
マリンが4年生の時ののセント・ジョーンズ大は31勝4敗で、NCAAトーナメント前年度優勝チームジョージタウン大を再度破った。前回を同じで、大番狂わせの勝利だ。そして再び全国3位にランキングされたがNCAAトーナメントでジョージタウン大との再戦では敗れてしまった。マリンの大学最終学年のアベレージは19.8得点。セント・ジョーンズ大の歴代通算得点の記録を破る2440得点を取りトップに立った。しかも、オール・アメリカン・ファースト・チームに選ばれ、大学バスケットの年間最優秀選手賞ジョン・ウッデン賞まで獲得した。セント・ジョーンズ大でマリンはビル・ウェニントン(キングス)、マーク・ジャクソン(ペイサーズ)と共にプレーしていた。セント・ジョーンズ大のチームメイトだった黒人選手が、「俺が知っている中で、ストリート・バスケットを理解している唯一の白人だ」と言った。
マリンがプロ入りするのは当然のことだった。しかし、NBAドラフトでどういう訳か、一巡目にゴールデンステイト・ウォリアーズから指名を受けたが、全体からは7番目の結果となった。
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