マリンが入団した85−86シーズンのウォリアーズは、嫌な雰囲気が漂うチームだった。そんなチームにマリンは寂しさを募らせていた。マリンは、小学生の頃から練習の虫だった性格が、災厄の事態を招いた。練習が終わってからもシュート練習をしていたマリンに「お前のせいで俺達が悪く見られるんだ。」と、あるベテラン選手が非難の言葉を投げかけた。
孤独と戦う為に、マリンは酒を飲むようになる。彼の家族は皆、酒好きだったし、強かった。父ロッドは、アルコール中毒を意志の力で克服した経歴を持っていた。
マリンはプロに入ってからパッとしない2年間を過ごした。プロに入ってからだんだんと、彼のプレイは乱れていった。オープンの状態でショートチャンスがくれば得点できるが、相手の横を抜いていくことは出来なかった。当然のことディフェンスも出来なかった。ウォリアーズの革命を徐々に進めていたヘッドコーチのドン・ネルソンは、87年12月、マリンにアルコール中毒の問題があるとズバリ指摘した。マリンは「酒を飲まずに2ヶ月は過ごせる」などと言って否定した。2日後の試合後、マリンがバーで酔っぱらっている所をファンに見られてしまった。ファンはネルソンに電話でその事を報告した。マリンは練習を2回休み、12月10、ネルソンは彼を出場停止処分にする。さらに2日後、ネルソンはマリンを故障者リストに入れた。
マリンはアルコール中毒と克服する為にクリスマスと新年を、ロサンゼルスにあるクリニックの小さな部屋で過ごした。プログラムは無事終了した。30日間バスケットボールに触れることなく家に戻ったマリンは、ウォリアーズのトレーナーとともに少しトレーニングを行い、91本続けてフリースローを決めた。その時、マリンの体重は111キロで、体脂肪率は16%だった。彼は自分の体を絞ることを決意した。
マリンは練習中毒になって、トレーニングに励んだ。毎日の様に、午前6時30分に起床し、8kgのランニング。その後、1時間のステアマスターに、1時間のエアロバイク。水着に着替えると、プールで何往復かしてから軽く昼食をとる。1間半、ウエイト・トレーニングをする。そして、体育館に行き30分間で400本のシュートを放ち、その後、フリースローを200本。実戦の雰囲気を忘れないように、シュートの間はグラボーに相手になってもらった。やがてマリンの201cmの体は97.5kg、体脂肪率6%に絞り込まれた。
見事に甦ったマリンは、NBAスター街道を突き進んだ。復帰1年目の88−89シーズンは、フィールドゴール成功率が50%を上回り、アベレージも26.5得点を記録、リバウンドは以前に比べてほぼ2倍の数字を上げている。2年目は平均25.1点をマークし、フィールドゴール成功率は53.6%。NBA史上、1ゲームあたり25点以上を得点して、高いシュート成功率をマークした選手はいない。ティム・ハーダウェイが「マリンに回せば、アシストになる。」と言っていた。マリンのジャンプシュートは正確だっだので、チームメイトは「レインアップ!」と呼んだ。
現在ではマリンのトレードマークになっている短く刈り込まれたヘアースタイルにしたのもこの時期である。(昔は結構、髪の毛が長かった。)