コラム(第3回)

色々と思うことをコラムとしてまとめています。

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楽しいこと。苦しいこと。

 先日、夜に近くの町を車で通った時のことです。信号待ちで何の気なしに歩道 を見ると、マラソンの格好をしてデイバックを背負い、手には懐中電灯と地図を持ち 走ったり歩いたりしている人達を見かけました。時間はもう夜の8時をまわり、とっ くに日は暮れ辺りは真っ暗です。私はマラソンなどのイベントにも参加しているので、 その人達がとても長い距離を走るマラソンのイベントに参加して、まさにその競技中 のランナーであることの察しがつきました。おそらくまだゴールに向かっている途中 であり、道を確認しながら先を急いでいるように見受けられました。マラソンの大会 は大抵は朝早くから行われるので、夜になってしまうという事は相当長い距離を走っ ているという事で、それだけ参加しているランナーの人達も疲れているはずです。事 実、夜の暗さと11月の寒さの中でその人達は大分疲れているように見えました。

 そんな姿をぬくぬくと車の中から見ていた私は、「大変だろうな、辛いだろうな 、早く競技なんか終えて温かい風呂にでも入って寝たいだろうな..」などと考え、 その人達を半ば疲れ切ったかわいそうな人達という目で見ていました。おそらく町ゆ く人も同じ気持ちだった人がいたでしょう。

 マラソンなどの持久系スポーツはとにかく辛いものだと思われがちです。事実激 しいスポーツな為にとても辛いし、いったい何のためにそんな辛いことをするのだろ う、本当に楽しいの?と思われる事も多いです。そのランナー達を見た時は私は不覚 にも自分が同じスポーツをするモノであるにも係わらずに、そのランナー達は辛いこ とをひたすら終える事(ゴール)だけを考え、その先にある快楽(休息や満足感)だ けを夢見て、今の自分に辛抱や我慢をして足を進めていると思っていました。私も普 段マラソンに限らず、生活の中で苦しい事や辛いことが有ると、その辛いことを何と かしようと思うのでは無く、その代替えとしてご褒美を求めます。それはおいしいも のを食べたり、欲しいものを手に入れたり、好きな所に行って楽しんだり、思う存分 に怠けて休んだりとまさに欲求の赴くままです。そしてそのような飴とムチは当たり 前で必要な事だと思ってました。それは我慢して困難を成し遂げた者の当然の権利だ と。もちろんこれも間違ってはいないと思います。

 そのランナーを見た日も、行きたいところへ行き、食べたいものを食べ楽しいこ とをした帰りでした。このところ、肉体的にも精神的にも大変なことが多かったから これ位のご褒美は当然だろうと。でもそこでふと考えました。楽しいこと自体は否定 しません。でも辛く苦しいことの見返りに楽しむことが本当に楽しいのだろうかと。 辛く苦しいこと自体が正しいことなのだろうかと。

 走ることを例に取れば、やはりそれはとても辛いことです。疲れるし苦しいし、何 よりずっと継続して続ける事はとても大変なのに、その反面少しでも休むと今までの努 力が水泡に帰してしまう。トライアスロンのレースのためにずっとトレーニングをして いた時も、苦しいけれどひたすらレースで完走をしていい結果を残すためにはやむを得 ない。楽しいのは二の次、三の次、苦しいのは当たり前だと思い、どちらかというと負 担で憂鬱に感じていました。そしてレースに出た後は苦労の積み重ねから得た予定通り の満足感と余韻に浸っていたのです。その為、レースを終えてしまうと緊張の糸が切れ てしまい、今まで努力をして来た自分を持て余してしまいます。レースが終わったのだ から更に苦しくつらい練習をしてどうなるんだろう。何を目標に頑張ればいいのだろう。 もう得るもの(飴)は無いのだからやらなくてもいいじゃないか、そして自分はもう十 分頑張ったと納得しようとします。しかし後の満足感を得るためだけにひたすら辛く苦 しい中で耐えて努力するこのやり方(考え方)について、本当にこれでいいのだろうか と思いながら、このやり方さえ満足に出来なくなっている自分に気づきました。

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 そんな時に、夜になってまで疲れた体を引きずってひたすら前に進むランナー達を 見たのです。鮮烈でした。そして翌日に、何の気無しにしばらく走っていなかったやや長 めの距離のランに出ました。もう外は真っ暗で寒く、街灯がほとんど無いこのあたりは走 っていてもほとんど闇の中です。最初の5km位はどうも雑念が入って色々考えている事 がまとまりません。走ることに集中できていないのです。今までみたいに、どうして自分 は走っているのだろうという気持ちが先行してしまい。でも暗く静かな道を一人ひたすら 走り、10kmを超えた頃から少し変わってきました。これは本当に辛いだけなんだろう か。そうだとしたらどうして自分は走り始めたんだろうかと考え始めたのです。何か理由 が有ったはずだと。それを取り戻せばいいのだと。静かな闇の中に自分の足音だけが響き、 おぼろ月の光がうっすらと自分の陰を足元に落とし伴走しています。冷たい空気は熱くな った体を冷やし、すぐに後ろに吹き飛んでいくのを感じました。月をきれいだと思い風を 切り裂くスピード感と、思うように自分の足で自由に走ることが出来る幸せを感じました。 すると今まで重かった足が軽くなり前にどんどん進むようになりました。だんだん走るこ とに集中し、雑念は吹き飛び頭の中は白くなり澄んで冴えていく。そんな感覚がよみがえ り始めました。そうしてこう思え始めたのです。「そうか、今自分が走っているのは後で おいしい事が有るのを期待しているのでは無く単に走るのが好きで純粋に走りたいからな んだ。何かの見返りを求めているのでは無く走る事自体が気持ち良くて楽しいから始めた 事なんだ」と感じました。どんどん前に進む軽快な感覚、汗が出て不要なものが体から出 ていく感覚、エネルギーが力に変わり活性化している感覚、そんな感覚が体をめぐり始め ると今まで抱いていた気持ちが全て吹き飛んでいきました。走りたいから走る。ただそれ だけ。気持ちいいから走る。ただそれだけ。これは我慢して苦労して自分をすり減らして 別の何かを得るためにやっている事では無いのだと。そして求めるものでも無いのだと。 同じ事をやるにしても自分の気持ちの持ち方ややり方次第で結構変える事が出来る。単に 昼間に漫然と同じコースを走るのでは無く、今日みたいに少し環境を変えてたり色々な事 を考えてマンネリにならないように工夫したりしてみただけで感じる気持ちがこんなに変 わる。忘れていた新鮮さを思い出すことが出来る。こんな中で今まで勘違いし忘れて始め ていた「何のために努力するのか」の本来の意味を少し取り戻した気がします。こんな事 で大げさかも知れませんが。

 でもこれは私自身に当てはめてみると走ることだけに関していえることでは無い気が します。何か自分にやりたいことが有ってそれを実現するためには、あらゆる苦労や困難 、努力もいとわない。これは有る意味大切だと思いますが、やはり目標や夢があってそれ に至るまでの過程も工夫して楽しく納得のいく内容である事が必要だと思いました。好き で始めたことなのだから、それが目標を達成する為だけの単なる苦痛な一過程だけになっ てしまってはやはり悲しい気がします。目的地が同じなら通る道は例え遠回りしても楽し い方がいい。これは実際には難しいことだとは思いますが、今回の一件を通して心がけて いきたいと改めて思いました。

 余談ですが、私が自転車に乗り始めたきっかけでもあるのですが、北海道をオートバ イで旅していた時に、冷たい雨が降り天気が悪くて霧が出て寒く視界も悪い中、長い登り 坂を登る一台の荷物を沢山積んだ自転車を見かけました。その姿を見て、辛くて大変だろう な、落ち込んでいるのだろうなと思い、励ますつもりで手を振りました。その時です。今ま で下を向いていたサイクリストが突然顔を上げ、信じられないような笑顔で手を振り返して くれたのです。それを見て私はハッとしました。辛いように見えるその姿も、実は自転車が 好きで旅することが大好きで、こんなに条件の悪い日でも悲観的にはならず、しっかりと自 分を持って辛い中に楽しさを見いだしながら前に進んでいるのだと強く感じました。それを 見てから私も是非その世界に加わってみたいと自転車を乗るようになったのです。

 夜のとばりが降りた中を白い息を吐きながら長い間走って来て更に先に進んでいくランナ ー達。その姿は好きなことをやっているから感じられる自信に溢れ、そしてその表情には困難 ながらも自分で納得のいく道を走って来た者だけが持つ余裕と満足げな微笑みが浮かんでい たような気がします。誰のためでもなく自分のために。。。

つまらない話でした。