【大会名】第20回全日本トライアスロン宮古島大会

【開催日】平成16年4月25日(日) 

スタート AM7:30(制限時間14時間)

【場所】沖縄県 宮古島

【距離】スイム 3km

    バイク 155km

ラン  42.195km

 

【選んだ理由】

宮古は3回申し込まないと出られないと言う噂がある。あまりこのような事務的な条件は好きではないのだが今年が丁度私にとって3回目の宮古の申し込みにあたる。2回目はオロロンとミドルの大会2個の完走実績があったにもかかわらずダメだった。今年は学校を卒業してその後の進路をどうするかを決める重要な時期でもあり、宮古の申し込みをするか迷ったのだが長い間の憧れの宮古の20回記念大会でもあり、迷うことなく去年の10月頃に申し込むこととなった。でも去年のレースの実績はあまりいい結果ではなかった伊是名88しかない。色々と忙しい中やっと時間を作ってトレーニングして参加した大会だったのでとても有意義ではあったが、宮古の選考条件には今一インパクトが低い気がした。でも無いものは無いので開き直って申し込んだ。

 

【選考結果】

例年のごとく宮古の選考結果はクリスマス頃届く。今まで二回は薄っぺらい封筒で直ぐに落選だと分かったが、今年は大きい封筒で届いた時点で参加が受理されたのだと直ぐ分かった。噂は本当だった。3度目の正直だ。でも参加できることにはなったが実際に参加できるかが疑問になってきた。幸い参加費用の払い込みが1月後半が〆切なのでゆっくり考えることにした。

伊是名以来トレーニングは続けていた。少し時間があいてしまった時期もあったが12月に入ってからはかなり前向きに続けていた。住んでいたところが東京と違って寒い長野県だったので寒さと雪が心配であった。幸いにも北部の豪雪地帯に比べて中南部は雪が少ないらしい。それでもやっぱり雪は降るし気温は低いらしい。一番寒い時期はマイナス10度以下にもなるらしい。そんな気温を日常生活で経験したことはないのでトレーニングを続けるにあたりとても心配であった。でも宮古に参加できることとなった時点で出来るところまでやるしかないという気持ちが固まった。

 

【トレーニング】

伊是名88が終わった後も一応トレーニングは続けていた。ランを中心に、たまにバイクでヒルクライム中心のコースを走り、近くの町のプールにもたまには通っていた。特にランはなるべく多くやるように心がけ、夕方から夜にかけて走る。バイクは11月末で寒くて乗れなくなった。道も凍って滑るので危ない。結局バイクは翌年の3月末までほとんど乗れなかった。これがやはり後で問題となるのだがこればっかりは地理的環境的にやむを得ない。

長野県の中南部に位置するこの町は12月頃からグッと寒くなる。東京とはやはり寒さの質が違うようだ。朝夕は0度近くなり走るのにはやはり寒すぎる。冬用の装備もあまり持っていないので寒い日のランはきつい。夜走る時には道路が真っ白に凍ってスケートリンクのように滑ることもあった。加えて灯りがほとんどない所を走るの走りながら何でこんな事をしているのだろうと思う。走っている人などほとんどいないのだが、たまに居ると真っ暗の中で正面衝突しそうになることからランコースの暗さ加減が分かる。たまに降る雪は思いの外に直ぐに溶けてしまうのだが雪が降っている中のランも結構やった気がする。寒いというのはやっぱり辛い。手や耳が冷え切って痛くなってくる。膝も冷えて昔痛めたところが痛くなってくる。朝夕の気温がマイナス5度くらいになるとだいぶ辛くなってくる。今日は寒いのでやめという日もあったが空が澄んでいると満天の星空が見え、それがランの唯一の楽しみとなった。田舎でどうしようもないこの町も近くにトラックがひっきりなしに往来している国道19号が有り排気ガスが不快に流れてくることもあった。走らない人には全く気にならない事だろうが。

年末年始に東京に帰ってみるとその暖かさに驚いた。まるで秋くらいのようだ。こんなに暖かければバイクに乗るのも苦にならないだろう。環境がいいということは本当に羨ましいことだと感じた。環境の善し悪しがトレーニングの仕上がりの絶対的な差にもなるだろう。寒いということはあまり良いこと無しだと感じた。

 

【出場の決意】

仕事の関係で4月から北海道の旭川に引っ越す事になり3月から4月にかけては準備などでとても忙しいことが予測され、加えて学校の卒業制作で1月から3月まで夜遅くまでかなりの時間がとられることとなった。更に宮古島へのツアーが定員オーバーでキャンセル待ちとなりレース当日に宮古島は渡れるかも怪しくなってきた。そして最大の心配は4月からの新しい仕事で勤め始めたばかりの4月に長い休みが取らせてもらえるのかであった。このように色々と課題は多いが初めて宮古島のレースを見に行った時のいつかは自分もどうしても出てみたいという気持ちがやはり強く、困難が多いからといって諦めてしまうのでは余りにも残念であり、自分自身の気持ちに整理がつかないだろうと思い、実際にレースに出られるかどうかは置いておいて、とにかく〆切までに参加費用を払い込みの望みをつないでおくことにした。

 

【それからレースまで】

予想通りに1月から3月上旬までは学校の課題作成で忙しくなり夜遅くまで実習をする日も多くなった。夕方やっていたトレーニングは余りできなくなったのでやむを得なく夜の9時過ぎか土日にやるようになった。でも外はやはり寒い。バイクの練習は問題外でランとスイムの練習に集中した。しかしバイクは11月以来乗っていない。大丈夫だろうか。

3月に入り学校が一段落すると今度は北海道への引っ越しの準備で忙しくなる。住むところを手配したり荷物をまとめて送ったりと結構手間がかかる。トレーニングもおろそかになる中まだツアーの予約は取れる気配がない。ツアーを使わない事も考えたが北海道からでは15万近くになってしまう。なんとかツアーを使いたい。ぎりぎりまでキャンセル待ちをすることにした。しかしJALツアーは選手が参加できないようなツアーを何故組むのだろうか。何度も電話をして居るうちに怒りがこみ上げてきた。でもしょうがない。  

4月から勤める会社の社長には直談判の意味で過去のレースのレポートを有りったけ送って読んでもらい、自分の宮古出場への思いを分かってもらい、結局はなんとか参加を認めてもらうことができた。

 

【トレーニングの状況】

ランとスイムの練習は忙しい中でもなんとか続けていた。しかしお世辞にも十分とは言えない量だ。オロロン対策の頃に比べると明らかに少ない。長野県の寒さも影響している。そして何よりバイクに乗っていない。なんと去年の11月末から3月まで一度も乗っていないという状態だ。これは無謀としか言いようがない。いつもならバイクは好きなので積極的に練習するのだが今回は逆に圧倒的に練習量が少ない。というよりゼロだ。心配を通り越して笑ってしまう。155kmもの道のりをランにつなげる形で乗り切れるだろうか。バイクで力尽きてしまっては意味がない。それよりもバイク自体がゴールできるのか。頭の中がバイクの心配でいっぱいになりながらも、やっぱり3月いっぱいはバイクの練習は出来なかった。

 

【4月に入って..】

北海道での新しい生活が始まった。新しい仕事が始まり慣れない土地での生活も手伝い疲れがたまる。毎日の食事を作らないとならないのも結構大変だ。家財道具がかなり不足しているのも気にかかる。だがレースまでにはもう4週間を切っており、余計なことでうだうだしている暇はない。しかし、なんと外は4月だというのに雪が降ったりしている。これは完全に予定外だった。ランは雪の舞う夜でも何とか続けていた。距離は走れないが。足りないバイクの練習を一気にやろうかと思っていたがこれではバイクの練習は無理だ。スイムは旭川のプールに何度か通うがまだ土地勘がないためか何をするにも時間がかかる。 

そんな厳しい中で救いだったのだ旭川のトライアスロンチーム「HANZO」に入れてもらいいっしょにトレーニングをできたことだ。トレーニングは1人でやるより仲間とやる方がなにかと効率がいい。大会までにスイムやバイクやランの練習に何度か参加して勘を取り戻すに役立った。しかし仕事の合間を縫って続けたトレーニングも決定的な自信を付けるまでにはほど遠かった。絶対量が少ない。とくにバイクは結局最高80kmを走っただけだった。これはかなりやばい。完走への赤信号が点滅し始めたのを感じた。

ただ唯一の安心は、大会の2週間前までJALツアーの予約が確定せず本気でレースの参加をやめようと思ったほどだが、それがやっと確定したことだった。でも本心は安心というより呆れていた。

 

【いよいよ出発】

4月22日の深夜に旭川を車で出発して千歳に向かう。ツアーは千歳発しかないのでしょうがない。旭川空港は車で10分くらいの所にあるのに。。荷物を直前に慌てて用意したので忘れ物が無いかも気にかかる。千歳までは約150km位有る。明け方に空港に着いて駐車場に車を預ける。ここからが大変だった。一度羽田で乗り換えをして再び那覇に向かう。そして那覇で再度乗り換えをして宮古島に向かう。飛行機の都合で那覇で2時間くらい待ち合わせした上に飛行機が1時間遅れて、結局は宮古島に着いたのは18時頃になり旭川を出てから実に16時間以上の長旅だった。バイクを含めて荷物を一切送らなかったのでまるで夜逃げのような大荷物を抱えた状態でである。本当に疲れた。持っていったGPSで旭川−宮古島間直線距離を測ると実に2600kmもある。気温は当然差が大きく、旭川の出発時は6度くらいだったが宮古島は当然25度近い。予想はしていたが完全に暑さに面食らっていた。 

すぐに宿「華」に寄って荷物を置きその足で平良市内の開会式場に向かう。会場に着くとものすごい数のトライアスリートで溢れ替えていた。流石は参加者1500人の大会だ。予想はしていたが実際に見ると驚いてしまう。しかし自分もやっとその一員になれたかと思うと少し誇らしく思う。ついにここまで来られたと。。

以前の所属していたチーム「トレイルブレーザー」のメンバとも久しぶりに合う。開会式の後はウエルカムパーティーでたくさんの食べ物や飲み物が振る舞われた。ビールも出たがレース前の緊張も有りそこそこにして早々に退散する。宿に戻ると風が本当に気持ちいい。南国の爽やかな柔らかい風だ。昨日までは刺すように冷たい風だった。暖かいということの安心感から少し緊張が抜けていく中、宮古の夜は静かに更けていく。

 

【大会前日】

翌日は午前中にバイクを組み立てる。DHバーを付けセンサー類もしっかり付ける。もう慣れたことだが失敗しないように気を付けながら。レース開始後のトラブルはどうしようもない。平良市内で宮古ソバを食べたり観光したりするが、町中には応援の横断幕や飾り付けなどがたくさん有り、まさに島中が宮古島トライアスロンのレースムード一色だ。これには嫌が上でも盛り上がる。でも悪い気はしない。今回は主役だから。。

その後にスイムとバイクのスタート地点の宮古東急リゾートにバイクを預けに行く。ここは誰もがいつかは泊まってみたいというほど環境がいい。スタート地点まで3分くらいだ。でも値段も高いらしい。バイクが1500台も並ぶとまさに壮観だ。自分のバイクがどこにあるかも分からなくなる。その後のスイムの試泳にいくが天気も悪くどんよりとしていたためちょっと泳いだだけだった。水は結構温かいが風は結構肌寒い感じがする。熱帯魚も泳ぐきれいな海らしいがそれよりも3000mも泳げるだろうかと不安になる。その夜は早めに夕食を食べてトランジションバック等の最後のチェックなどを入念にやって早々と9時前に寝る。不思議と緊張はない。もう今更焦ってもしょうがない。

 

 

【大会当日】

  朝の3時半に起きてあわただしく朝食を食べて準備をする。まだ暗い5時過ぎに宿を出て送迎のバスを待つ。天気予報では一日中曇りか雨降りだといっていたし、事実朝は空は厚い雲に覆われていた。暑く無いのは自分にとっては都合がいいのだがやはり天気が悪いと気が滅入る。会場に着くと既に多くのトラアスリートで熱気が漂っていた。受付してナンバリングしてもらうと気合いが入る。トランジションバック等の荷物を預けてウエットスーツを着てスタート地点に向かう。だいぶ緊張してきた。ここで少し雨がぱらつく。上空には報道のヘリコプターが飛びまわり海にはたくさんのライフガードが漂っている。自分史上で今までレースで3000mの距離を泳いだことはない。最高が2000mだ。それなりの練習はしているのだが毎度スイムは死ぬ気で出ていく事にしている。そのくらいの覚悟し事実危険でもある。なんとか再び砂浜に上がってきたい。とても多くの観客が見ているのだから。もう後戻りは出来ない。

 

【スイム(3km)】

参加者全員で雄叫びを挙げてついに7時半に号砲と主にスイムがスタートとなる。12時間以上の長丁場のレースがついに始まった。1500人もの選手が一斉に海に飛び込みしぶきが盛大に上がる。そんな中でバトルに巻き込まれないように少し遅れてスタートをする。足がつかなくなったらもう後は先に進むしかない。ウエットのおかげで水は余り冷たく感じない。でもやっぱり海はプールとはかなり勝手が違う。波は有るし深いし広いしとても塩っぱい。最初はゆっくりしたペースでウオームアップしながらだんだんとペースを上げていく。きれいだと評判の海も今日は曇っているので今一海底も見えない。水はとてもきれいなのでまわりの他の選手がまるで宙に浮いているように見える。とにかく疲労しないで確実に進むことを心がけて泳いでいるうちに思いの外に順調に折り返し地点の1750mに達する。波も流れも余り感じない。こんなに調子が良くていいのだろうかと思うほどだ。折り返しても好調は続く。腕は調子よくまわり足もできる限り動かす。ゴーグル越しに空を見上げるとやっぱり雲が厚い。せっかくのきれいな海なのに残念だと考える余裕もある。後ろから他の選手が追い抜いていっても気にしないで自分のペースを維持する。2500mを過ぎてやや疲れを感じ始めるも、順調は変わらず続きだんだん海の底が浅くなってきてついに足がつくようになる。砂浜を走りながらついにやったと思う。無事を心から喜びながらこれで完走は大分近くなったと思った。スイムは練習の成果が出たようだ。浜ではたくさんの人が応援している。人垣の中を駆け抜けるのは気持ちいい。誇らしい感じがする。その中を抜けてシャワーを浴びてウエットスーツを脱ぐ。少し肌寒い。バイクトランジットまで走ってバイクの装備に着替える。ここでトイレに行ったりしている間に結構時間をとってしまう。確実な準備は大切ではあるがもっと急げば良かった。

 

【バイク(155km)】

バイクをスタートして結構風が強いことを感じる。まだ暑くないのが救いだがバイクは決定的に練習不足なのでそれを肝に銘じて調子に乗りすぎないように心がける。とにかく155kmを無事に走りきってランにつなげたい。それでもスイムの遅れを取り戻したいのと、自分はバイクが得意であるという気持ちから前を走る人を追いかけて可能な限り飛ばしてしまう。平良市内を抜け西平安名崎に向かうがとても風が強い。トライアスロンのバイクで風が強いのは結構致命的でもある。体力の消耗が激しいし競技時間の長いバイクは少しでも条件が悪いとタイムに響く。風は東から吹いているので島を右に回るコースは辛い。特に向かい風のエリアは海沿い島の北部で風の影響をもろに受ける。池間大橋を渡って池間島に入り一周して再び橋を渡る。ここで海がマリンブルーにきれい見えるのを感じだんだん天気が回復して太陽が照ってきたのを認識する。気温も大分上がってくる。水不足にならないようにエイドでこまめに吸水して、アクエリアスやバナナで補給をする。用意したパワーバーも定期的に食べる事にした。結構順調のまま東平安名崎をまわって50kmを越え100kmまではかなりのバイクを抜く事が出来た。とても調子が良く感じそして事実調子に乗っていたのかも知れない。来間島までの島の内部の下り坂区間では速い人を追ってギアをトップに入れこぎ続けた。まだまわりを見る余裕もあり沿道からたくさんの島の人々の応援を受けながら「この熱い応援が憧れていた宮古なんだ」と感じ感動さえしていた。更に強くなり始めた日差しを気にしながらもこの予想外の快調さに、これはバイクは結構余裕かも知れないと思い始めた。

しかしそれは間違いであったとすぐに気づくことになる。来間大橋の帰り付近から明確に疲労が出始めた。最高80kmまでしか練習していなかったからか。疲労のためにペダリングが極端に重くなりスピードが目に見えて落ちていく。風にも押されてしまう。そして後ろから来る選手から抜かれるようになる。これは本当にやばいと思いこれまでかとさえ思った。練習不足のつけがここに来てついに出たのかと。水分を補給しバナナなどを多く採って回復を望むがなかなか回復しない。足には疲労が色濃く残っている。余り応援にも応えられなくなり始めた。自分のことで精一杯だ。しばらく我慢して疲労が少し回復してきてもペースは上がらない。まわりの流れに何とかついていく程度だ。いつもバイクは最後まで追い上げまくってランにつなげるのが自分のスタイルだった。それが今回はランを前にして既に失速している。そんな自分がもどかしい。完全な練習不足の気がした。それに加えて意に反して天気が回復して気温がぐんぐん上がり始めたのが疲労を助長していた。南国の太陽は強い。北海道とは比べものにならない。一年間は涼しい長野にいた関係で暑さには弱くなっていた。北海道では4月でもなんと雪。。前半は勢いと気合いで調子を保っていたが知らす知らずのうちに強風と高い気温で体力を削られていたのだろう。更に暑くなる中、疲労でモチベーションを相当落としながらもなんとか再び池間島をまわり、やっとの事で155kmの長丁場を走り終えてランのトランジットに滑り込むことが出来た。幸いにも完全に体力を使い果たすまでは至らなかったがかなりのダメージをバイクで負ってしまったのは次のランに相当の不安材料を残すこととなった。思ったより多くのバイクが既にトランジットに置いてあったのも落ち込みを大きくすることとなった。

 

【ラン(42.195km)】

2年前にレースの応援に来たときに見ていたトランジットの光景の中に今まさに自分が居る。「こいつらなんてすごいんだろう」と思って見ていたその主役となって。ランシューズに履き替えてエイドで出来るだけ水分と食べ物を取り42.195kmの長丁場に向かって出発する。太陽はカンカンに強くなり気温も上がっている。時間は午後2時くらいか。一番暑いときだ。バイクでかなり足を使ってしまい疲労が相当たまっているのを感じる。オロロンの時もかなりきつかったが今回の方が疲労している感じだ。暑さのせいもある。重い脚を懸命に動かして体が徐々にランモードに入るように努力する。  

平良の町の中には応援の人々がたくさんにて盛大に応援してくれている。旗を振ったりサンシンなどの音楽を演奏したりと流石に宮古だと思った。しかしもう既に元気に応えるのが辛くなっている。まだスタートしたばかりなのに。やっぱり暑い。エイドで水をかぶり水分をたくさん取る。ランの練習も数はこなしたが最長は20km位しか走っていない。フルマラソンが走れるか不安ではあった。しかしこの時点ではまだ大分日も高く、ゴールの制限時間まではかなり余裕があり(7時間くらいあった)結構余裕でゴールできるかなと甘く見ていたのかも知れない。7時間で走りきればいい。憧れの宮古のゴールは勝ち取ったも同然だと。こんなはずでは無かったという暑さもバイクでの予想外の消耗もまだなんとかなるだろうとこの時点では考えていた。

平良の市内を抜けて前半でとばせるだけスピードを上げて時間と順位を稼いで、来るべき後半のペースダウンに向けて余裕をため込んでおこうと思っていた。事実調子は持ち直したように感じてペースもそこそこ良かった気がする。エイドでは水、アクエリアス、オレンジ、黒糖などを確実の採り決して脱水やハンガーノックにならないように心がける。ボランティアの小中学生と高校生が丁寧に対応してくれる。本当に感謝してもしきれない。そして先を目指した。思いの外にアップダウンが多いコースだ。しばらくしてそれに気づく。赤茶けたサトウキビ畑が広がり強い太陽で道が揺らめいて見える。気温もかなり上がって暑い。

10kmを越えた頃から右足のモモが少しピクピクと痙攣してつりそうになってきた。こんな事は今まではなかった。バイクでハイペースを維持したつけだろう。でももう後悔しても遅い。こんな早い段階での体のトラブル。今までの大会では一度も使ったことがなかったエアーサロンパスをかけてなんとかしのぐ。これ以上悪化しないように。完全につってしまったら大変だ。ペースを落として負担を軽くすると少し良くなった。でも疲労が重なりどんどん辛くなる。時間も過ぎていく。とにかく5km毎を走りきるのを心がけて頑張る。でもペースはどんどん落ちる。風が結構強く日差しも強く気温も高くとにかく暑い。足の痛さもあり汗と冷や汗、脂汗が流れ続ける。足の疲れはどんどん加速しながら蓄積して、折り返しを終えて帰ってくる選手を見ながら、果たして自分はあそこまでたどり着くことができるのだろうかと朦朧としながら思う。同じ位置を走っている自分の姿が全く想像できない。走り始めた頃はランは快調で余裕でゴールできると思っていたのがとんでも無い間違いだったことに気づく。夕方が近づき日が傾き斜めから差し始める中延々と続く畑の中をやっとの事で通り過ぎてやっと折り返し地点の赤い巨大な三角コーンまでたどり着く。沿道で応援している人々が羨ましい。ついに半分来たという安堵の気持ちとまた同じ距離を走らないとならないという絶望が交錯する。ゴールまで12時間を何とか切りたい気持ちはまだあったがこの時点の疲れの状態を考えるとゴールさえ相当に怪しい。既にコースを知っているので帰りの辛さはただごとではない。足はだるく重さも半端ではない。常につりそうになる。もう走っているというペースではなく後ろから来る選手にどんどん抜かれてしまう。悔しいがついていくことすら出来ない。

太陽もだんだん傾き辺りが夕闇に包まれ始めた。昼間の暑さが去り大分涼しくなってくる。オレンジ色の光が延々と続く道に斜めに反射している。日が暮れていくのを見ると少し寂しくなってくる。少し肌寒くなりエイドではもう水をかぶる気分にはなれない。このまま足を動かしていれば確実にゴールは出来るんだと自分に言い聞かせる。でも今すぐに立ち止まってしまいそうなほどに辛い。自分のラン目標は「歩かない、停まらない、諦めない」なのでこれを守れないと意味がない。タイムはともかくこれを死守することだけに精神を集中する。

20〜30kmの区間は距離の看板が間違っているのではないかと思うほど長く感じる。なかなか進まない。エイドで停まるたびに屈伸やマッサージをして足を誤魔化すがその時間も長くなっていく。でももう誤魔化しきれなくなってきた。体中の血の気が引いていくような疲れに襲われる。応援にも応えられずに無言で走り続ける。そして応援により勇気づけられるはずが、逆に「ガンバレー、ワイドー、あと少し」と応援してくれる島の人々に、こんなに疲れているのに無責任に応援してもらっても所詮選手の気持ちやつらさが分かるはずが無いだろう、とイライラしてしまったりする。今までのどのレースでもそんなことを思ったことは無かったのに。その位に消耗していた。こんな状態で本当に最後まで走り続けられるのかと終わらない自問自答を繰り返す。もう辺りは薄暗くなってしまった。応援が途絶えて久しい静かなコースで孤独に陥っていく。自分はなんでこんなに苦労して走っているのだろうとずっと考えていた。ボケッとして。

やっとの事で残り5kmの看板が見えたがそれさえも走り続けられるか自信がない。歩けば大丈夫だろうが走っていないと意味がない。それを守るためだけに40kmちかく、5時間かけて走ってきた。そして暗かった景色が平良の町の中に入り少し明るくなってくる。一時は応援が無くなりひたすら孤独に陥っていたのだが再び途絶えていた応援が聞こえ始めやっと正気に戻る。そして気を取り直して応援に対して「ありがとうございます。頑張ります」と応えられるようになり始めた。応援はどんどん増えていった。その盛り上がりを直に肌で感じながら、これ程にみんなに応援してもらえるなんて自分はなんて幸せなんだと思った。そしてこんなに好きなことを思いっきり出来ることの素晴らしさを実感しながらこの極限の時間が楽しくさえ思え始める。やっといつもの自分に戻った気がした。宮古島の人達、ありがとう。こんなに楽しませてくれて。。

本当にあと少しだ。2kmくらい。12時間も頑張ってきたのだと実感し、オレンジ色の光に包まれた通りを一歩一歩ゆっくりと確実に進んでいく。最後の登りにかかるとゴールの競技場からアナウンスが聞こえ灯りが見え始める。あそこへ早くいきたい。楽になりたいと思う。残りの1kmは登り坂なので再び辛くなってくる。でももう大丈夫だろう。そしてついに応援の人であふれ帰る競技場のゲートをくぐる。そこは別世界のように光輝き熱気にあふれた空気が充満していた。人があふれ歓声が満ちていた。今まで静かな暗い中をずっと走ってきたのでそのギャップはすごい。今まで出たどの大会よりも段違いに盛り上がったこの空気に緊張がよみがえる。最後にだらしない姿を見せては行けない。そう思いスピードを上げきちんとしたフォームでしっかりと走ることを心がける。トラックの踏みごたえが足に伝わる。あと一回左に大きく曲がればゴールが見える。憧れ続けた真っ白に輝く宮古のゴールが。。そして長かった一日が終わる。

 

最後の直線に入った。アナウンスが自分のゴールを告げるが何と言っているか分からない。辺りにいる人も目に入らない。そして先には白いゴールだけが輝いている。あと50m。どうやってゴールしようか。手を大きく広げて天を仰ぐ。その瞬間の為だけに12時間頑張ってきたのだ。アナウンスの声が消えた。全ての思いも消えた。ゴールの人だかりが見え、白いテープが目に入った瞬間にゆっくりと大きく手を広げてゴールに滑り込む。そしてついに宮古を完走した。頭の中が真っ白になりすぎて透明だった。感無量だった。メダルを首にかけてもらい、フィニッシャータオルを首にかけてもらい、花輪を頭に乗せてもらいフィニッシャースタイルに変身する。ゴールを出迎えてくれた知り合いにつらく大変だったことをしゃべり続ける。長かった今日一日のことを。。

やっととまれた。もう走らなくていい。その安心感だけが充満していた。終わったのだ。

人でごった返す競技場内で自分が誇らしく輝いているように感じた。ついにゴールをして立ち止まってみるとあれだけ苦しかった思いが嘘のように治まり、何でもないことのようにさえ感じる。でももう走り出すのは無理だろう。今日は。。

結果は12時間15分と目標の12時間は切れなかった。でももうそんなことはどうでもいい。完全に完走することができたのだから。ずっと興奮し続けていた。他の人達がゴールしてくるのを見ている間も、花火が打ち上がっている間も。二年前に多くの人々のゴールシーンを見ながら誓った宮古の出場と完走。それはたった今その思い通りに最高の思いを得ながら現実のものとなった。ゴールしてくる選手はみんな辛そうだが幸せで嬉しそうだ。家族などに出迎えられていっしょにゴールに吸い込まれていく。この一日の苦しみや辛さ、そしてこの上ない楽しさといっしょに。南国の真っ暗な夜が今夜ばかりはこの上なく光り輝いていた。優しい風が吹いていた。夏の匂いがした。

今年はとても暑かったのでゴール後に倒れて救急車で運ばれる人が多い。どうしてそんなにすり減るまで選手は頑張るのか。それは口では説明できない。そして本人以外は分かることはないだろう。本当に長かった宮古の一日がたった今、やっと終わった。

 

 

【レース後】

宿に戻って仲間と完走の祝杯を軽くあげる。その後はすぐに卒倒するように寝る。疲れすぎて夜中に目が覚めた。外に出て南国の涼しい風に吹かれながら、オロロン以来の人生史上2回目の最大級の疲労を改めて実感する。よくやったものだという気持ちを新たに噛みしめながら。なにか違う自分になったように感じながら。。ストロングマンか。

翌日は体はだるいが思いのほかに疲労は残っていない。平良の町に出ておみやげを買ったり、バイクを取りに行って梱包したりする。昨日とはうって変わってのんびりとした時間が流れる。今までレース前の緊張が続いていた気持ちから解放されたからだろう。午後からは閉会式とパーティーに出るがもう過去のものといった感じがしてしまう。パイナガマビーチで泳いだりして残りの宮古での時間を過ごす。とてもゆっくりと時間が流れていく。その夜は仲間と町に繰り出し夜遅くまで完走を祝い色々な話で盛り上がった。泡盛を飲み島らっきょうなどを食べる。レースに向けて食生活には気を付けていたので久しぶりにはめを外した。翌日は仲間を見送ったり見送られたりして5日間過ごした宮古島を後にした。色々なことが有りすぎて長いようなあっという間のような気がした。帰りも羽田を経由して帰るが人々でごった返す雰囲気に急に現実に戻される。

やっとの事で夜に旭川に戻ると気温は5度であった。日本は広い。

 

【最後に】

トライアスロンを始めて約3年で念願の宮古島トライアスロンに完走できたのはとても幸運だと思います。トライアスロンの魅力はやったものでないと分からないというのも分かった気がします。レース中はこんなにつらく苦しい事を何でしているのだろうと思う時有ります。しかしそれ以上に、楽しく嬉しく気持ちよく感動することが沢山あります。まだトライアスロンを始めたばかりの初心者ですがこれからも続けていきたいと思います。あのゴールの瞬間はいつまでも忘れないでしょう。

 

【リザルト】

レースナンバー:430番

トータルタイム:12時間14分21秒

・スイム    :1時間 9分35秒

・バイク    :5時間58分15秒

・ラン     :5時間 6分31秒

 

総合     :1434人中768位