の大会参戦記

 

1998年2月20日(金)
98 PIA HIMARAYA CUP MOGUL FESTA参戦記
長野オリンピックも里谷多英選手をはじめとする日本人選手の大活躍により大成功のうちに終了しました。
長野オリンピック第14日目に行われたノルディック複合の後半距離が行われた時と同じくして,岐阜県高鷲村のとあるスキー場で,関西雑疑団(当時Team Dig-Dug)のメンバーの一人が,98 PIA HIMARAYA CUP MOGUL FESTA に参加しました。

2月19日(木): 10時半頃に西宮を出発し,尼崎インターから名神を平均時速80キロでかっ飛ばし,大垣インターから国道21号線を走り,岐阜各務原から東海北陸自動車道を時速95キロで超かっ飛ばし,岐阜大和インターから国道156号線(通称いちころ),さらに広域農道ヤマビコロードを経由し,約280キロの道筋を午前2時15分頃に到着した。
仮眠室を2500円で無事ゲットし,3時前に眠りにつく。仮眠室代には,朝食代,翌日夕方5時までのロッカー,スパ使用料を含んでおり,非常に安くてよかった。仮眠室は,今回は二段ベッドであり,まわりの人のいびきがときおり聞こえるだけでよく眠れたと思うが,緊張のためかよく目がさめた。

2月20日(金): 大会当日。
朝,6時45分頃に起床し,朝食をとる。大会の案内をみたところ,大会の受け付けは,6時30分から7時30分までであり,油断すると棄権になるところであった。フー アブナイ。
無事受け付けをすまし,ゼッケンは71番をつけて準備をし,さーゲレンデへと思ったが,外は雨。
平日2000円割引券を使って2000円で日券を買い,7時30分すぎにリフトに乗るが,会場に着く頃には,びしょぬれとなる。この雨は一日降り続いた。

さて,モーグルコースに並び,コースのインスペクションを行う。大会の申込書には,「予選突破をめざす」と大口を書き,妙な自信もあった。しかし,滑りはじめると現実を知る。確かに,大会用にコブの間隔を狭くし難しくなってはいたが,5コブと滑れない。エア台では,今年あみだした(?)ツイスターとダフィーを試すどころではない。エア台に入る前にスピードの制御ができないもんだから,スプレッド゙をしようとして着地すると必ず爆発。3回滑ったが,完走どころかモーグルコースのまわりにしきってある網をぶち抜いて転落する始末である。本気でDNS(棄権)を考えた。

しかし,せっかくきたのだからと気をとりなおして自分の順番を待つ。その間3回小用でセンターハウスまで滑り降り,またリフトでびしょぬれになる。自分の順番の20番くらい前から,スタート地点のテントで待機し,ついに自分の番となる。
ここで,解説しよう。RNS(run no score)の条件は,1.2回の完全転倒でよい。2.片方の板が外れた場合,はくまでの10秒ルール,3.両方の板がはずれる,等がある。この中の1.にTeam Dig-Dugのメンバーは最も近づく事ができた。

DJのスリー,ツー,ワンのあとに気の抜けるホワイトピアーというスタートコールにあわせてスタートした。雪質は,降りしきる雨のためちょっとべた雪である。
懸念はすぐに現実となった。3ターンくらいであっけなく転倒。まだ第一エア台にも達していない。RNSが迫ってくる。エアーは予定していたスプレッドとツイスターを,スプレッド2回に変更を余儀なくされ,しかも着地後2回とも止まってしまわざるを得なかった。最後のターンに全てをかけるが,5ターンもまともにできず,ちょっかってしまいそのままフィニッシュ。DJに完走が目標ですと変更してもらえばよかったと後悔した。

結果 : 参加賞のマグカップをゲット。
滑り終わったときにもらった紙パックのコーヒーは,エアーの練習しようとしてこけたときにポケットの中で破裂。まわりの雪とウェアを茶色く染める。
閉会式時のじゃんけん大会では見事勝ち抜き,余った賞品のうちサロモン製の小さいグローブを勝ち取った。

スコアは1.27ポイント(1位は,23.08ポイント)で147人中128位。下位には4人とRNSが15人でした。

大会総評 : 現実を知りました。今度は練習して2桁の順位を目指します。もしくは完走だい。
しかし,今度のウィングヒルズの大会(エコーバレーに変更になる)も予選突破を目標と書いて申し込んだような...。

PS : この大会には1999-2000シーズンのキャンプで教えてもらった先生二人(秋田さん,神野さん)が上位入賞してましたとさ。

1998年3月29日
Hart MOGUL CUP in ECHO VALLEY 参戦記
1998年3月28,29日にエコーバレースキー場で開催されたハートモーグルカップに,関西雑疑団(当時Team Dig-Dug)から会長とダメヌーピーが参戦したので,その様子を記します。会長は大会初参加でした。

3月28日:ワンポイントレッスン(コーチ:チームジャパーナ及びスティーブフェアレン)
3月29日:Hart MOGUL CUP in ECHO VALLEY

何といってもこの大会はゲストがすごかった。
長野オリンピック出場選手3名を含む全日本ナショナルチームの4人がジャパーナの契約選手としてきてくれた。
ご存知長野オリンピック13位で,三浦雄一郎を父にもつ三浦豪太さん(ゴンちゃん)。
長野オリンピックで自分の限界に挑戦し,転倒した原大虎さん。
IBMのコマーシャルで人気爆発。長野オリンピック7位入賞を果たし,今やアイドル状態の上村愛子ちゃん。
北海道,長野以外の地域(福井)からナショナルチーム入りを果たした坂下美香ちゃん。
そして,極め付けが里谷多英ちゃんを育てた長野オリンピックの影の功労者,全日本ナショナルチームモーグルコーチ,スティーブフェアレン。と錚錚たるメンバーに加え,深井和明さのさかモーグルスクール校長率いるチームジャパーナの面々(堀米さん達)がデモ滑走をしてくれた。

大会のコースは,推定斜度15度程度の緩斜面であったが,エアー台が丘のようになっており,最初見たときは何じゃこれと思ったが,とんでみると意外とランディングかった。(後に深井さんとスティーブフェアレンがお遊びでつくったものと判明)
ワンポイントレッスンは大会のコースを各々滑り降り,下でコーチ陣が滑りをみて指導してくれるというものだった。
初参加の会長は,スティーブフェアレンに懇切丁寧にレッスンしてもらっていた。しかし,同時に(デュアルで)滑り降りたダメヌーピーはごまめ状態で,誰も滑りを見てくれなかったため(コーチ陣約10名もいた),2回も寂しくゴールエリアを立ち去らざるを得なかった。
ダメヌーピーも午後にはスティーブフェアレンに無事レッスンしてもらえた。喜びのあまり,レッスン後にスティーブと呼び捨てで呼びつけ,写真を撮らせてもらっていた。

また,2日間を通して,ナショナルチームのメンバーがデモ滑走を何度も行ってくれたのだが,とにかく凄かった。ターンは安定してるし,なにしろエアーがむちゃくちゃ高い。上村愛子ちゃんも女子でありながら,トリプルまでやってくれた。昨年のハートモーグルカップの時(ダメヌーピー初参加の大会)もデモ滑走してくれたが,その時とは滑りも人気も雲泥の差だった。この時のデモ滑走のビデオがノースランド出版から発売されています。
その夜は,名前につられて予約したペンション モーグルに宿泊した。

昨年のタングラムで行われたハートモーグルカップのときは,前日杏仁豆腐しか食べれなかったダメヌーピーだったが,今年の前日は夕食時にビールを飲みリラックスしていた。しかし,その後の食事中に胃が痛くなりつつもしっかりとデザートまで食べ,結果が大いに期待される体調となった。

さて,3月29日の大会当日がきた。すごくいい天気である。結果を暗示しているようであった。2人は朝早くおきて,エントリーを済ませた。参加人数は,140人程度である。2人はゼッケンをもらった。BIB NUMBERは,4(会長)と10(ダメヌーピー)であった。つまり,予選が始まったら4番目と10番目に滑るわけである。バーンは朝早いためまだ硬かった。
開会式が始まった。女子の予選が終わればすぐに自分の順番がくる。

開会式,デモ滑走,ペースセッター(神野さんもその一人)が滑り,女子の予選が始まった。女子はみんなけっこううまい。女子の予選が終わった。誰一人として転倒した者はいなかった。さあ,いよいよ男子の予選開始である。そして,BIB NUMBER 4番の選手(会長) とコールがあった。アテンションGOでスタートした。ちょっとスピードを落としてスタートした。DJの井上薫が,暴れん坊将軍が好きで,徳田真之介などと言っている。第一エアーはコザック,そして快調に飛ばし,第二エアーはスプレッド,その後はしっかりとターンしFINISH。見事な完走である。そして,現時点での順位はなんと4位であった。

その後すぐにBIB NUMBER 10番の選手(ダメヌーピー) ,用意はいいかな?とコールされるがよく聞こえなかった。なぜか英語のAre You Ready?でストックをあげ,アテンションGOでスタートした。なかなか快調である。第一エアー,スプレッドがきまった!と思った途端,前のめりになり着地で転倒。板まで外れる。大会を通じて初めての転倒者であった。急いで板をはきに走る。DJの10コールが容赦なく始まる。10,9,8とカウントは進むが,板に到達しない。10秒で板がはけなかったらRNS(棄権)となる。3,2で板を準備し,ワンで履けた。セーフだった。DJもOKと言ってくれて,気を取り直して滑り出す。
その後はナイスランで,第二エアーはツイスターをやったつもりでFINISH。一応完走である。井上薫が,「君が輝くのはバンプの上だ!」と励ましてくれ,ギャラリーもあたたかい拍手をしてくれた。一応完走である。

そして,その時点での結果をすぐに確認した。BIB NUMBER 4番は6位,BIB NUMBER 10番は9位であった。

最終結果:
BIB NUMBER 4番 会長(103位)
BIB NUMBER 10番 ダメヌーピー(115位)
2人とも賞品はなしでした。閉会式に参加していればダメヌーピーはブービー賞をもらえたはずだったのに。

ハートモーグルカップに備えて
関西雑疑団(当時Team Dig-Dug)は3月14,15日のモーグルキャンプに参加した。参加者は会長,副会長,ダメヌーピー,グズヌーピーであった。主催はApresskiの白川さんである。コーチ陣は,さのさかモーグルスクールの深井和明校長率いるハートチーム(後にチーム ジャパーナに改名)の計5人であった。
その時ならびに,アプレスキーのホームページの「白川直樹のひとりごと」から,モーグルにおいてもカービングの技術が重要である事を知る。
キャンプが終わってから,前記ハートモーグルカップが開催されるまで2週間あった。そこで,この2週間のトレーニングの様子をここに記したい。

1. 職場(7階にある)の上り下りにエレベーターを使わない。階段を使ってトップからきれこむ感覚を養う。
2. 実験室で人がいないときに腹筋をする。また,サルにジャンプしてツイスター(たまにツイツイ,ダフィー等)する練習をみてもらう。
3. 電車に乗ったときは,手すりにつかまらないで立ち足裏感覚を養う。但し,座れるときは座る。
4. 本間篤志が推薦(モーグル基礎編Video;立風書房)する温泉にはいる感じで風呂に入り,出てからストレッチをする。
5. ロシアの伝説のモーグラー セルゲイ,モーグル界の帝王 エドガー,王者ジャンリュックのビデオをみてイメトレする。しかし,うますぎてあまり参考にならない。

以上のトレーニングを積み重ね,自分の今できるベストの滑りをしようと決意して,エコーバレースキー場に乗り込んだのであった*。


1998年4月5日
LANGE&DYNASTAR CUP in ICHINOSE 参戦記
1998年4月5日に志賀高原一ノ瀬スキー場で開催された LANGE&DYNASTAR CUP in ICHINOSE に,関西雑疑団(当時Team Dig-Dug)から会長とダメヌーピーが参加したので,その模様を記します。

前の週に行われた Hart MOGUL CUP in ECHO VALLEY で完全燃焼した二人であったが,4月4日の朝には志賀高原の一ノ瀬スキー場での開催される予定の三井物産スポーツ主催のLANGE&DYNASTAR CUP通称ジャンリュックの大会に備えて高天ヶ原に集結していた。ジャンリュックに会うため,Team Dig-Dugのメンバーもあらかた揃っていた。天気は2日とも快晴であった。
日中の気温は10度くらいまであがり,雪もベシャベシャになったが,さすがは志賀,夜は-5,6度くらいまで冷え込み朝はガチガチのひどいコブの状態だった。大会コースは4日の夕方やっと完成し,前大会と違いほとんどインスペできなかった。斜度は20度前後かと思われたが,朝はバーンが硬くてとても滑れたものじゃなかった(上手い人は滑れていた)。宿は高天ヶ原である。一ノ瀬までリフトを乗り継いで行かねばならなかった。

大会前日の4日の朝,一ノ瀬の大会のコースをみに行く時,大会コースの隣のにあるモーグルコースのエア台で撮影が行われているのに遭遇した。誰が撮影されているのだろうと思ったら,なんとジャンリュックではないか。俄然盛り上がる。そしてもう1人,豪快なエアーを決めている人がいた。ダメヌーピーは,ハートカップのときに原大虎さんをみつけた時のように,すぐに附田雄剛さんであることに気づいた。しばし2人の撮影の様子を眺め,ビデオを忘れた事を悔やんでいた。また,その向こうの大会コースでは,でっかいワンメイクのジャンプ台がそびえており,ふと見ると誰か(後にDYNASTARチームの岩渕隆二さん,荒木勇作さんらと判明)アイアンクロスヘリやグラブヘリを豪快に決めていた。でも,まだ大会用のコースはできていなかった。

一行は撮影を見た後に練習を開始した。場所を一ノ瀬から高天ヶ原に移してである。この日の高天ヶ原は,リフトから見て右側がスラロームの大会に使われており,人はみんな左側のコブ斜に集まり延々コブが続いていた。春スキーのため雪質はベシャベシャで,フルアタックをかけるモーグラーもみうけられたが,板の先落とし&トップから切り込む滑りができず悩みが感じられた。コブの下部の緩斜面に近づくと,たまにいい滑りが出来たような気がした。しかし,最近はコブばかり滑っているので,再び(スキーを始めた頃のように)筋肉痛に悩まされるようになってきた。運動不足のせいか?

翌4月5日大会の朝:昨日の後遺症で体が痛く,朝起きれず,開会式は高天ヶ原から一ノ瀬までの移動のリフトの上で聞くことになる。インスペは一回きり。コースは硬く,3ターンとまともにできないで吹っ飛ぶ。悲惨。エントリーにはぎりぎり間に合う。インスペ後だったので,ほんとに出る?などという会話が会長となされる。でも,BIB No.が112番と134番だったので,その頃にはコース柔らかくなり,まともに滑れるんじゃないかと密かな期待がうまれるが*。

結果:
1. Team Dig-Dugでエントリーしたはずが,チーム名がディグダグ・パックマンになっていた。
2. 123,124位をディグダグ・パックマンで独占。リザルトには,140位まである。
準優勝の選手は下山研郎さんで,附田雄剛さんが初優勝した斑尾のワールドカップの1回戦の相手がそうだったような。
3. ジャンリュック賞の PHENIX のニューウェアー争奪ジャンケン大会;一回戦敗退。
4. 附田雄剛にサインをもらう。後に,それが非常に貴重であったことを知る。

以上で1997-1998シーズンの大会参戦記を終了します。

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