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1997年9月2〜3日(大宮〜酒田) 1997年9月3日(酒田〜盛岡) 1997年9月4日(盛岡〜函館) 1997年9月5日(札幌〜網走) 1997年9月6日(網走〜川湯温泉) 1997年9月7日(川湯温泉〜札幌) 1997年9月8日(函館〜秋田) |
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23時40分、私は友人二人と共にJR大宮駅から7泊8日の鈍行列車の旅に踏み出した。大宮から新潟を経由して日本海側を通り青森へ向かい、青函トンネルを潜って北海道に着くというのが当初のプランだった。乗り込んだ列車が、新潟県北部の村上という所まで走り抜ける夜行快速「ムーンライトえちご」。到着までの6時間ほどはまあまあ良く眠れた。
列車の乗り換えもスムーズに済み、一路山形県西部の酒田市へ。小腹のすいた午前8時半ごろに列車は到着した。駅弁(普通の幕の内弁当)を購入し次の秋田行きの列車に乗り込もうとした矢先に、我々を混乱の渦に巻き込む放送が駅に響いた。「秋田行きの列車は自然災害のため、運転を取りやめさせて頂きます」という放送である。低気圧が異常に発達して東北地方に豪雨を降らせていたのである。私達は時刻表とにらめっこをした結果、山形県中部 の新庄(山形新幹線の終点)に向かうことにし、慌てて列車に乗り込んだ。 |
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| 御用達の夜行快速『ムーンライトえちご』。朝起きたらそこは新潟!! |
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いざ新庄行きというローカル列車に乗り込んでみると、同類項の旅行者が何組かいたためかそんなに不安感はなかった。車窓自体は期待以上のモノであった。松尾芭蕉の俳句にも出てくる「最上川」というものに沿って列車は走っていった。その最上川には、いつ大雨になるのかわからないのというのに元気の良いおじいちゃんが観光客を乗せて船を漕いでいた。「あのじいちゃんは、地元人なのに、どれだけ土地感がないんだろう。それとも、観光客の期待は裏切れないのか…。もしも事故が起きたら…」などとお節介なことを思いつつ、列車は新庄に到着した。第二のアクシデント発生が新庄駅で待ち構えていることなど知る由もなかった。
悪夢はまだ終わっていなかった。新庄から北上して秋田県に入ろうと考えていたのだが、この考えはとても甘かった。秋田行きの列車は土砂崩れで止まっているというのだ。仕方がなく、東へ抜けて宮城県北部から盛岡県に入ろうとした。だが、ここでまた悪夢が我々を襲ってきた。「陸羽東線(宮城に抜ける線)は土砂崩れの可能性があるので運転中止にします」という言葉がそれだった。私達のプランはずたずたに崩され、文字どおりの八方ふさがり状態になった。残された道は山形市に向けて南下するのみ。にっちもさっちもいかないので山形に向けて出発した。 散々グチをこぼしながら山形駅に到着した。が、ここが捨てたものではなかった。駅弁が非常に美味だったのだ!「みちのく弁当の旅」というのを食べたのだが、これが大当たり。煮物から肉(たしか牛肉だと…)までのバランスが素晴らしかった。気を取り直して一行は仙台を抜け盛岡に向かった。このルートはさすがに外れなかった(というか、外れたらとてもまずかったのだが…)。こうして、夜の8時ごろに盛岡に到着。とにかく、この日は列車に乗りっ放しだった。夜行列車も含めて15時間は乗っていたのだ(!)。 |
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前日の大雨が嘘の様な青空の中、私達は6時50分というとんでもない時間(このテの旅行ではよくあるパターン)に出発した。前日は浦和レッズが勝ったため(確か相手は名古屋グランパス。スコアは多分3対1)、調子に乗って夜遅くまでスポーツニュースを見てしまった。そのせい(?)で、とても眠い中でのスタートとなった。「まあ、駅弁でも買ってくか!」と勢いこんで駅に行ったものの、店が開いていない…。しかも、駅は相当混んでいた。ラッシュアワーに巻き込まれたのである。
列車の込みは、終点の八戸につくあたりまで続いた。正味2時間ほどの『ラッシュ2Hours』。ちっとも一時間ではなかった。。。「まさか、ここでラッシュに遭うとは…」という思いで一同いっぱいだったに違いない。それは、八戸で乗り換えた列車でみんなが爆睡した、という事実からも明らかである。 青森に到着したのは10時過ぎ。ここは、かつて青函連絡船が発着していた。と、いう事は石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の舞台という事になってくる。駅の端っこに行けば、まだそれなりにあの歌の雰囲気は味わえる、と実感した。そして、例の如く駅弁を買い込み列車に乗り込んだ。『帆立かま飯』とかいうやつだった。プラスチックの器が安っぽい事を除けば、まあいい味だった。青函トンネルを無事に潜り抜け、私達はとうとう北海道に上陸した。朝の盛岡の空も青かったが、こっちは色が違った。本当に『スカイブルー』なのである。とんびも気持ち良さそうに空を飛んでいた。14時頃、函館駅に到着。が、ここでの滞在時間は9時間ほどしかない。理由?それはあのいまいましい大雨である。本来だったらここに一日ぐらいいるはずだったのに・・・。 はじめに五稜郭を訪れた。そこで、一人がこんな提案をした。「五稜郭を一周してみない?」そんな暇な事をしている暇はないはずなのだが…。しかも昼の一番暑い時間に。にも関わらずしてしまった。メンバーの皆さん、こんな暇な企画に付き合って頂きありがとうございました。そして、いつのまにか夕方になり夕飯の心配をはじめた。せっかく函館に来たのだから海の幸でも食えばいいのに、私達はとんかつを食べた。要は何でもよかったのである。「とん悦」という普通っぽい店に入ったのだが、これが案外上手かった。あとで聞いた話だと、函館でも有名なとんかつ屋だったらしい。場所等は、そのうち正確なものを載せる予定…。 そして、夜。ここは、言うまでもなく夜景がとても奇麗。たまらなく奇麗。ライトアップされた教会もオツだった。函館山から見た夜景なんかは息を飲むほどのもの。当時は「男3人で来るのもいいけど、他の人と来てもいいなぁ〜」なんて事は、ちっとも思わなかったが(笑)。そんなこんなで、あっという間に時間は過ぎた。23時30分に、札幌行きの夜行快速『ミッドナイト』に乗り込み、先を急いだ。それにしても、JR北海道さんには、もう少し粋な名前をつけて欲しいものである。だって、日本語にしたら「夜中」。それじゃあねぇ...。とにかく、今度はもう少しのんびり訪れてみたい街、それが函館だった。 |
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| 青函トンネルを抜けて最初にみた風景。透き通る様な空と水の青さでした!! |
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| 函館の元町カトリック教会。センス溢れる建物とライトアップが程よく調和してます! |
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| 函館山からの夜景。言葉を失うほどの奇麗さ。あなたは誰に夜景を捧げる? |
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前回、ぼろぼろにその名称について意見を述べさせて頂いた夜行快速『ミッドナイト』はだいぶ寝ごこちのヨロシイ列車だった。寝ぼけまなこ状態で終点の札幌駅に着いたのが6時30分頃。乗り換え時間は20分ほどしかなかったので急いで駅弁を仕入れた。よくある「鮭の押し寿司」みたいなものだった。乗換えを無難にこなして終点の滝川駅に向かった。この滝川駅というものがまた曲者なのである。旭川まであと数十分というのに列車のほとんどがこの滝川止まり。特急はみんな旭川まで行くというのに。旭川まで行く普通列車は1日7本、そのうちの半数以上が早朝なのである。青春18きっぷでは特急・急行と名のつくものに乗れない。仕方なく(というか、こうするしかないので)、富良野を迂回することにした。地図でみて頂ければわかると思うが、非常にバカバカシイ大回りである。ま、この大回りも行ってみたら案外良かったりするのだが。 滝川から眠っているうちに富良野に到着した。ここでは乗り換えの接続が良かったため、展望台で写真を撮ってすぐ次の目的地へ向かった。ちなみに、富良野駅は日本で唯一(!)、展望台のある駅だそうである。見晴らしのほうも思ったより良かった。そのまままっすぐ列車に乗っていれば旭川に着いてしまう。それでは「つまらない」というので、途中で降りることにした。この選択はかなりのヒットだった。 降りてみたのは「美瑛」という駅。すぐにレンタサイクルを借りた。残り時間は1時間半。手早く地図をもらい、チャリンコに乗り込んだ。カルビーのジャガイモ倉庫などを横手に見つつ、とある高い丘に行ってみた。そこからの眺めは最高のものだった。周りに視界を遮るものは何もない。サルビアの花は、ラベンダーを思わせるような奇麗さであった。と、思ったら隣の畑では農家のおっちゃんが野菜の収穫をしている。この対比ががなんとものどかなさを引き立てるのである。ここにずっといたかったのだが、時間がない、ということが判明したため慌てて駅に帰ることに。列車にはなんとか間に合ったが、旭川に着くまでなにがあったかは記憶にない。適度な運動というには程遠い「ツール・ド・美瑛」(?)だった。 美瑛からのお昼寝もちょうど終わり旭川駅に到着。乗り換え時間は1時間ほど。久し振りにファーストフードの看板を見かけ(旭川駅構内のロッテリア)、ついつい食べたくなるがこれをこらえる。ラーメンも食べたかったがこれも時間の関係から却下。しぶしぶ列車に乗り込んだ。乗った列車は快速「きたみ」。1日3本しか走らない普通列車のひとつなのである!先日述べた滝川よりも列車の運行状況がひどいのである。ただ、車窓は本当に良かった(=普通列車が1日3本なのも妥当なのかも…)。小川のせせらぎを感じるわ、森の風を感じるわで乗ってて退屈しなかった。石北峠という北見への中間点をすぎる峠の牧場では、牛に混ざってシカがいた。私はいち早く気づきカメラに収めようとした。だが、列車は止まってくれるはずもなく無情にも通り過ぎていった。シャッターチャンスを見事におじゃんにしまったのだ。仕方なく、私は近くにいた牛を撮って慰みとした(-_-;)。 北見から網走行きへの乗り換え時間も少なかった(3分!)ので、座れるはずもなかった。しかも、高校生の帰宅ラッシュ。列車の最後尾、しかも運転席の横に行かざるを得なかった。だが、これが当たった。運転席のとなりで(最近の列車は運転席が立ち入り禁止になっているのだが、その隣はまったく普通にいることができる場合が多い。特に地方では)、私は運転手気分を味わってしまった。周りは暗くなっていたので、まさしく「夜汽車」という雰囲気を味わうには持ってこい網走の駅では記念写真まで撮ってしまった。案外、別れが惜しい列車だったのだが、今も元気で走っているのだろうか???網走に到着したのが19時半ごろ。約1日列車に乗り継いで北海道の端から端まで辿り着いた。そんな余韻に浸る暇もなく私達は宿に向かい、夕食を食べに行った。当然、前述した列車とも泣く泣く(?)お別れをした。 予算の都合上、お寿司だとか鍋だとかは食えなかったので、旭川でラーメンを食べられなかったリベンジ(?)の意味を含めてラーメンにした。そこで食べたのが網走ラーメン。当初、期待はほとんどしていなかったが具がとにかく盛りだくさんだった。12種類はあっただろうか。量が少ない時の保険に頼んでおいたチャーハンの存在が霞んでしまうほどの「意外な」おいしさだった。腹は8分目をとうに通り越して12分目くらいまでいっただろうか?そして、帰り道には何気なくPHSの電波を見てみた。すると、アンテナが立っていなかった(!)。思わぬところで、「遠くまで来たんだなぁ〜」と実感してしまった。 |
![]() 美瑛にそびえる『ケンとメアリーの木』。 ダイナミックなポプラでした。 |
![]() 展望台から北海道の大地を一望。北海道一の名峰、大雪山を一望!! |
![]() ラベンダーの季節は終わってましたがサルビアもかなり奇麗でした!! |
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その日は朝早く起きなければならないはずだった。が、とうとう寝坊をしてしまった。始発のバスで行きたいスポットがあったのだが、タクシーを借り切るしか手段がなくなってしまった。網走から車で30分ほどのところにある能取湖がそのスポット。9月初めにしか見られないというサンゴ草の群生地なのである。小さい湖なのだが、それだからこそ湖一面を埋めるサンゴ草が目立つのだ。案の定、湖は真っ赤なサンゴ草であふれていた。タクシーの運チャンを一時間半ぐらい借り切っても来る価値はある場所だった。駅への帰りには網走刑務所へ寄った。が、時間がなかったので入り口まででおり返してきた。正味5分ほど。その時の運チャンの「もう帰ってきたんか?!」と言わんとばかりの顔は今も鮮明に覚えている。そりゃ、こっちももっとゆっくりしたかったけど。。。寝坊のツケは大きかった。運チャンの「今度はゆっくり網走に来いよ!」という言葉を胸に刻み込んで我々は網走を後にした(^。^;)。 何とか摩周行きの列車にのりこんだ。だが、ぎりぎりまで網走観光をしていたこともあり座れなかった。だが、ここは立っているべき場所かも知れない。私達の乗り込んだ列車は釧網線という。文字どおり「網」走と「釧」路を結ぶ線だ。この途中に摩周湖なり屈斜路湖なりがある。たいそうな観光路線の様な気がするが、実際そうでもないらしい。バスにお客を奪われてしまっているため、いっぱいいっぱいの運営を強いられている現状だそうである。ただ、車窓は本当に素晴らしい。「盛りだくさんの車窓」という言葉はこの線のためにあるのでは、と思ってしまったりもする。進行方向右手には6月〜7月にピークを迎える原生花園がある。9月頃は草があふれていたが。左手にはオホーツク海。線路から海を隔てるものが木製の杭だけ。思わず絵に描きたくなってしまうような光景だ。座っていては両方の車窓を楽しむことはまずできない。列車の一番後ろ、運転席の隣に位置するのがベストではないだろうか?列車はオホーツク海と別れると登りに入り、峠越えに入った。そして、ひと段落ついたころに摩周駅に到着した。 摩周駅に到着したと思ってほっとしているヒマがなかった。駅に降りたらすぐ摩周湖行きのバスに乗り込まなければならなかったからだ。席は運良く空いていたものの、お腹には食べ物が何も入ってはいない。つまり、腹ぺコなわけである。摩周湖は晴れていた。季節にもよるのだろうが、「ここ最近はそんなに曇らない」とお世話になった旅館のおばちゃんも言っていた。「霧」のイメージとはかけ離れていたものの、この日は摩周湖の「透明感」を実感できた。お土産センターっぽい所に立ち寄ってから向かった先が硫黄山。ここらへん一帯の川湯温泉の源泉となっているところである。イオウの匂いが立ち込める普通の山だった。ここで、私達は初めて温泉たまごの製造過程を目にした。そこら中から湧き出る噴煙の上にたまごを置いて温泉たまごにしていたのだ(!)。「温泉たまごってこういう風に作るんだ」と思わず感心してしまった。 次に屈斜路湖へ向かった。はじめに行ったのが「ミンミンゼミ生息地最北端の地」。この地より北にはミンミンゼミは生息しないらしい。私達は、セミに限らず「なんとか最北端の地」とか「〜最南端の地」といった表示に異様に趣を感じてしまう傾向がメンバーにあるらしい。私も例外ではなかった。その後に屈斜路湖の湖岸に向かった。看板に「ここらへんを掘ると温泉が出ますよ!」っていう案内があったので、早速掘ってみた。40cmぐらい掘ったら温かい水にぶつかった。温泉ゲット!!ちょっと嬉しくなった。噂は本当だった、っていうわけである。そして、この日にお世話になる牧場に向かった。夕食はジンギスカンの食べ放題。食事のお世話をしてくれたお姉さんは、関西から来てるらしく、突っ込みも軽妙だった。「男3人で旅行なんて、珍しいなぁ。さみしくならへんの?」と軽いジャブ。が、空腹のため、そんなジャブも相手にせずひたすら皿を平らげた。気がついたらジンギスカン5人分くらいを平らげていた。メンバーの証言によると、私が3〜4人分を食っていたらしい。 夕食後に花火大会があるというので連れていってもらった。ものすごい迫力があった。花火そのものは極めて普通のものなのだが、見ていた場所が打ち上げ地点から50メートルと離れていなかったのだ!星空を見上げる要領で花火をみたわけである。花火の中にある紙屑までも降り注いできた。まったく、ダイナミックな花火だった。次の日からはお祭りだったらしい。ここは横綱大鵬の出身地、それにちなんで女相撲も行われるそうだ。次に来る時はもうちょいゆっくり来たい土地である。 |
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| 網走付近にある能取湖。9月上旬にはさんご草(天然記念物)が満開になります!! |
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| 『霧の摩周湖』は晴れていました。とっても静かで奇麗な湖。透明度世界No,1も頷けます。 |
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| 硫黄山でのヒトコマ。噴煙でたまごを蒸していました。これは出来立てホヤホヤに間違いありません!? |
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| 屈斜路湖沿岸では砂を掘ると温泉が出ます。30秒後に温泉をゲットしました! |
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この日は旅行の折り返し点にあたる。ひたすら東京へと向かうのだ。ただひたすら向かうのも面白味に欠けるので、釧路湿原に寄り、トロッコ列車に乗っていくことにした。だが、釧路湿原とはヒトコトで言ってもとてつもなく大きなものだった。列車の待ち時間2時間で回り切れる代物ではなかったのである。私達は釧路湿原のさわりとトンボを感じることしかできなかった。そして、トロッコに乗り込んだ。『ノロッコ号』の名前の通りちんたらと走る列車は、釧路湿原の広さを嫌という程教えてくれた。ただ、タンチョウはみる事ができなかった。 釧路からは湿地帯の様なところをトコトコと走り帯広へと向かった。天気はそんなに良くなく、雨もちらついていた。外の景色は海が近く、だだっ広い湿地帯。突然、ボックスの向かいに座っていたメンバーが私を突っついて、「窓の外を見ろ」という仕種をした。「何だよ〜」と眠い目をこすりながら外を見てみると、外にはタンチョウのつがいが立っていた。カメラなど構える余裕はまったくなく、ただみてしまった。釧路湿原で見れずに、太平洋の海沿いの湿地で見かけるなんて…。ただただビックリするのみだった。 途中の池田駅で、メンバーの一人が駅弁を買った。が、キヨスクで注文してから持ってくるという完全予約制の駅弁だった。乗り換え時間があまりなかったこともあり、メンバーはおばちゃんを急かしたてた。おばちゃんも現状を把握したらしく、製造元に「超特急でお願いしま〜す!」と注文をつけた。そしたら、なんと5分でその弁当が到着した。まさしく出来立ての駅弁。だが、その出来立て鶏弁(そぼろ)は、味見と称する私達のチェックで3割ほどが失われた…。そして帯広に到着。 私を除くメンバーは帯広で夕食を仕入れた。私にとってこの日は何も飲み食いができない鬼門の日であった。貯金を既に使い果たしていたこともあり、残り3日間のうちの1日を400円ぐらいで過ごさなければならない事態に追い込まれた。お土産などは当分買う事もできない。食事もろくに食えない。メンバーも私に貸すほどの資金はなかった。結局、この日は帯広から富良野、滝川(行きに通った路線)を通り、札幌に向かった。そして、ミネラルウォーターを買い、夜行列車に乗り込んだ。結局、この日使った金額は300円。上手くノルマを達成して次の日からは普通の生活に戻る事ができたのである。こうして、北海道滞在最後の日は慌ただしく過ぎてい |
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夜行列車の朝はさすがにちゃんと起きれるものだ。目覚めがあまり良くない私ですら、この旅3回目(!)となっては、いい加減馴れた感がした。しかも、寝なれた『夜行快速ミッドナイト』(この旅で2回目)。とにかく、朝が爽やかなのだ!とは言っても前日からの財政難は続いたまま。朝ご飯は函館の朝市でというモクロミは見事に崩れた。朝市は見なかった事にして(笑)、青函トンネルを潜って、青森に向かった。無事に本州に辿り着き、我々は一路秋田へ向かった。が、まっすぐ秋田に向かうのでは面白味がない。途中の弘前から遠回りをする事に決めた。まっすぐ秋田に向かっても列車の接続が悪いため大した時間ロスがないのがその決め手であった。乗り込んだ列車は『五能線』というローカル線。この地方の旅番組では必ず紹介されるメジャーなローカル線なのである。
途中、冬になると達磨ストーブや鈴虫を乗せて列車を走らせる地方ローカル私鉄「津軽鉄道」が接続する五所河原を通過。夏だったため、周囲には達磨ストーブも鈴虫もいなかったが、その代わりに年代モノの列車を発見。製造何十年もたっていそうで、走ったら間違いなく『ギシギシ』きしむ音をさせながら走りそうな列車だった。言うならば日本を漫遊し終えた水戸黄門と言ったところだろうか(?)。 |
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| 青森の五所川原駅。秋の鈴虫列車、 冬の『だるま』ストーブ列車で有名です! |
隣の写真に載ってる趣のある列車です。 |
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| ロマンチックローカル線『五能線』から。手を伸ばせば海が手に取れそう… | |
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| 『五能線』その2。荒々しい岩が波の力強さを語っています。絶景かな! |