「五感と勘」 (T)
[視線]
ここ20年ほどはスピード違反でつかまる事がなくなり免許のゴールドが続いているのはありがたい。取締りがゆるくなったこともあるだろうが、スピードを出さないわけではないからちょっとした注意が助けになっているものと考えたい。視界の高いワゴン車に乗っていると他の車の動きが低い車より察知しやすい。高速道路でなければ窓を細く開け音を聞く。ラジオは音量を控えめに。前方は直視するがワイドに動きを捉える。決して凝視はしない。常に四囲の車の先の動きをシュミレーションする。走行のリズムの乱れからは、ああ、この車はそろそろ曲がるなと予測される。
ノーマルなものは消去して異常な動きだけを察知すれば疲労は少ない。ネガティブフィードバックというのだろうか、定常的な音を消すのには集音した音の波形をずらして重ねる。そこで、動きを捉えるために写真を続けて2枚撮り、一方を反転現像してからこれらを重ねる。静止した物体は消えて位置を変えたモノはゴーストが残る。こういった変位を認知し分析する力が予測能力にあたるのではないだろうか。いうなれば情報処理能力であり、インターネットで得た情報だって活用する機能がなければタダのゴミ。
ドライブ中に昼飯を食いたくなったとき同乗者が前方に見えた蕎麦屋に寄ろうといった。なぜかイヤな予感がして・・「残念ですがいま火を落としたところですって言われるんじゃ・・」と軽口をたたきながら車を寄せた。ところが車を降りようとしたそのとき、中なら出てきた女将がノレンを下ろしはじめたのだった。ある時、引越した友人の新居を訪問しようと見当をつけて車を進めた。家などは新聞の取次ぎ所か酒屋で聞けばわかるもの。前方の酒屋に向かいながら「彼、酒を買いに来てるんじゃないかな・・」といった途端に、ビールと酒を抱えた彼の姿が店先に現れ・・皆唖然とした。数年前のことだが山菜採りで山中を歩いていた。遠くで犬が吠えているのでうるさいなとは思ったが、イヌが呼んでいるようなので庭先を訪れた。たまたま訪れていた飼い主とまたとない不思議な出遭いをすることができた。この話の「佐久の幽霊屋敷」は別の項に譲るとして、こうした何かに惹かれる偶然の出遭いこそ「導かれたもの」ではないのかと考える。イヌやネコ、鳥やケモノの振る舞いにも心の中に何かを投影するものがあるのだろう。
誰しも心に呼び合うものを感じるとき、インスピレーションが湧きあがるときってあると思う。マージャンでリーチ一発ツモッていうときの震えるような予感って確かにある。捨てられていく場のパイの流れ、お互いの指や目の動きなどから生み出される気配は必然性をもって響いてくるはず。それをどのように受け止めるかの問題ではないだろうか。
さて、スピード違反のことだが、危険個所を熟知した上でトラックやタクシーの変則的な動きを相対的に捉えることは五感の役目。そこからは培われた勘が共鳴してくれるかどうかが分かれ目となる。私が救われているのは対向車の運転手の気配である。もし対向車線でのネズミ捕りを目撃したら自分ならどうするだろうか。その先ですれ違うスピードの出ている車にはきっと特別な視線を向けることだろう。スポーツカーならザマーミロといった羨望の混じったまなざし。ぼろ車なら哀れみの視線。なにげなくとも対向車のスピードに流し目を送るはずだ。
[感受性]
だから対向車線の運転手の流し目・・視線を感じ取ること。決して顔かたちが見えるわけではないが、何か異常な視線を感じたときにはすぐ減速して退避する。2台3台と気配を感じたら百発百中である。おかげで寸前にネズミ捕りを逃れた回数は十指に余るから・・ンン十万円の節約になっているわけだ。40年間60万キロ。自損事故ゼロ。それまではスピード違反は運が悪く仕方がないものと思っていた。兄は赤のスカイラインGTRのせいもあるが同じスピードでもよく捕まる。マージャン・カード・囲碁・将棋・・ これらを上手に嗜(たしな)めば勘は鍛えられるものと思いたい。
私は山では無口なほうだ。だが不思議と引き合うものを感じる時がある。そんなときはもう一度遭ったら本物と考えることにしている。真の一期一会とはそのくらい厳しいものかもしれない。何万分の一の確率であっても、もう一度の出遭いの運(勘)に賭ける。出遭うべきものであればもう一度チャンスがくるし、値しないものは消え去ると。
身障者の手助けで車椅子を押し、盲目の方の手を取る。彼らの障害の代替え機能が研ぎ澄まされた刃のように私の心に突き刺さる。「これだっ」と思う。健常者が漫然と忘れているもの・・視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の一つ一つの本来の働きを思い出させてくれる。だから身障者との付き合いは私の五感と勘の師匠であり、山歩きは五感と勘の学校なのである。
山は自分を裸に、そして素直にしてくれる。孤(個)にもどることで、より広くもっと多くの仲間と同化し受け入れる素地がうまれると。
―孤影―
日暮れには 湧きあがるなつかしさ
月の夜は 影を抱きてさまよい
星の夜は まぼろしとともに歌う
闇の夜の 我が道に果てはなし
霧の夜は 乳色の絹 肌にやさしく
雨の夜は 飢えたる葉裏の喜び
風の夜は 波のうねりに身をゆだね
雪の夜の やさしきその音 愉し
心おどる夜は 足はずみ岩を攀じ
心しずむ夜は 重く樹々にすがる
目を閉じて 翳 解き放てば
つかの間 心 空に遊ぶ
−「五感と勘」(T)完−