「五感と勘」(U)   

 佐馬は目を閉じる。閉じることでまず聴覚がより鋭敏にとぎすまされる。味覚や嗅覚も視覚に煩わされないことでより深く機能しはじめる。視覚はとても大きな分野を占めているために、それだけに頼り切って他の感覚を忘れがちとなってしまうのが怖い。

−さっき「勘」って言ったよね。自然の中での個や種の存続には「勘」のはたらきが大切じゃないのかな。五つの感のはたらきが結びついてこそ、先を見通す「勘」が生き生きとヒラメいてくると考えて見たいね。だれもが自然界の秩序の声を聴くアンテナ・・・・「視覚」「聴覚」「嗅覚」「味覚」「触覚」などを持ってはいるんだが、スイッチをoffにしているんだからもったいないよ。コンピューターにインプットされた生のデータのような、とってつけただけの学習では選択や決断にヒラメキは生まれにくいと思うね。人生が単なる学習の積み重ねでもギャンブルでもないとすれば、祖先から受け継いできた染色体の中の遺伝子の閉じている情報を五感の力で花開かせて、 細胞に生き生きとした活力を与えることが「勘」を活かすことになるのではないのかな。−           [木から落ちがサルへ]より

−旅に出ると大きく息を吸い込み、まず街の匂いを嗅ぐ。そして、目を閉じて風のささやきに耳を傾ける。ベルンのかぐわしい早朝のパンの香、ニューオーリンズの昨夜のざわめきを残したすえた熱い吐息。カトマンズの辻の小さな灯りに夜明けを告げる鐘の音。イスタンブールの薄い潮の香に乗って響きわたるコーランのうめき。ソウルの夕暮れの焼き肉の煙につつまれたキムチの甘酢っぱい取り合わせ。そして、京の格子戸としめった潤いの下駄の音・・・そこにはその街の歴史が揺れてただよう。−
                   
[街の香と山の香]より

 官能審査といわれる食品の食味を評価するさいには、赤の照明などで色の識別機能を失わせておき、その上でうまいまずいを評価させることがある。その場合、評価に正当な価値があるかどうかを識別しておく必要がある。ビールの銘柄などの場合では、単純な方法としてはコップを被験者に知らせずにAABなどと並べる。そして、Aと次のAが同じであることを認められた人の評価のみを取り上げる。そして、再試験して同じ結果になれば有意とみなされる。

 有意でないデータをいくら集めても無駄である。病院でアンケートをとって病人=タバコ吸っていない。街中での健康者=タバコを吸っている。だからタバコを吸っている人は健康だ。これに近い我田引水・支離滅裂の理論は政治家の方々がよくやる手だ。必要な条件を十分に理解しておかないと、こういった理論で煽動されてしまう。コマーシャルなんてこの代表的なところだ。まじめに見るほうがアホらしい。昔、テレビで落語家が金魚の水槽に保存料(食品添加物)を注いで金魚が死ぬところを放映した。ところが、金魚が死んだのはその保存料を溶かすために使った大量のアルコールのせいだったというお粗末。「ためして合点」は「ためして早合点」のほうが面白い。電子レンジで作るゆで卵はレンジで爆発が多発し非難を受けた。楊枝で穴をあけ水の中で・・というのだが、穴は凝固のさい閉じやすいから野菜の切れ端を刺しておくほうが確かだ。野菜自身が水分を出し変形しながら穴を保持してくれる。

 横道にそれたが、まず識別能力があるかないかでふるいにかけるわけだ。各社ではこういった色、味、香り、匂、触感などを識別できるトレーニングを摘んだパネル(要員)が大切に養成されている。佐馬が彼らに味覚や嗅覚などの点でもひけを取ることがないのは、山歩きでは視覚だけにたよらず、全神経を使いこなしていたためではないかと思う。

 深めのコップに汲んだ水の匂いを嗅ぎ、色と濁りを見る。次に口に含んで味を調べる。一晩放置して滓(おり)の発生や赤水や黒水への変化を見る。しかし、取水口の水道局の係りの方の嗅覚はくやしいが一桁上だ。だが、これはトレーニング積めば嗅覚もある程度は高めることができるという手本だと受けとめ、習熟することをまだ諦めてはいない。そのためにはタバコはダメというのだが、酒はなぜか許容される。食前酒の習慣も食欲を増させためだから、味覚自体も鋭敏になるということだろう。しかし、嫌なものを隠蔽する部分もあるかもしれない。

 とにかく、色、味、香りの面では鍛えられた感覚の知覚能力には、最新の分析機器もまだまだ及びもつかない。その上、動物はその種によって抜群の能力をみせてくれる。そこで動物の感覚にはいろいろな利用価値が生じる。豚によるトリュフ(キノコ)の探索やイルカの海難救助や探査への利用、空港などでの麻薬探知犬の活躍などはどなたもご存知のことであろう。たまたま南米でコロンビアの空港に降りることがあった。予定外であり予備知識もないままロビーへと向かったが、軍人か警察官かわからないものものしい係官が立ち並んでいる。その間を警察犬(麻薬犬)を連れた意地の悪そうな女性兵士が行き交う。犬にも引き綱をもつ女性兵士とも目が合うのが恐ろしい。だが、目をそむけたらかえって怪しまれるかもしれない。一声吠えられたら・・いや、けしかけられたら・・あの女性が麻薬を手に隠して、さも私のポケットで見つけたように皆にしらせたら・・東南アジアなどのような軽い保釈金なんてものではすまないだろう。こんなときには一人旅は気が弱くなる。海外旅行では目つきの悪い警官が一番恐ろしい。(コロンビア:麻薬密売の基地、いつクーデターがおきても不思議はないといわれる国)

 さて、こういった感覚器のはたらきだが、ライオンなどの野獣は満腹なら狩には出ない。冬をひかえている時とか、襲撃癖の本能をもつ種族は別としての話だが、飢えは感覚器の感度を増すことは確かである。買い物上手のコツは、買い物に出る前にコップ一杯の水を飲むことで十分とか。不要なものまで買い集めてしまう癖のある方は試して欲しい。言い換えれば空腹は五感の感度を鋭敏にし勘を鍛えてくれるといえる。

 空腹の原点は食であるが、人間にとっては精神的な飢えと乾きも大きな要素である。飢えと渇きが無ければ必要なのもが見えてこない。先人たちの断食行というのはこの両面を狙っていたのだろう。家庭でも学校でも小さいうちに、もっともっと両面での飢えと渇きを学ぶべきだと思う。飢えてこそ見て聞いて味わい嗅ぎ触る行為が生きてくると佐馬は思う。



「気配」

そう、目を閉じてそっと佇む
じっとそのまま心眠らせ
かたわらを過ぎて行く何か
私の存在は無視されて
そう、私は透明人間

そう、誰にも知られず邪魔もせず
埋もれることなくうずくまる
ときは消え去るものでなく
ときはいつでも前にいる
そう、共に旅する夢をみる

そう、もひとり私が遊離する
ゆらり影絵と浮揚して
我が身に添いていとおしむ
心の傷のマッサージ
そう、ゆらりゆらいでゆらゆらと

そう、存在の土俵はすべての受容
見えないからこそ何かがみえる
聞こえないときこそ何かがひびく
ミクロもマクロも輪になって
そう、裏も表もメビウスの輪

そう、束縛の重力に心もひずむ
自由な私と ゆがんだ私
いまわしい遺伝子のヘビ
ひとりに戻るのが怖い
そう、存在とは群れのこと

そう、私はガイアの一細胞
お釈迦様の掌の孫悟空
色即是空 空即是色
だからこそ 我が身がいとおしい
そう、だからこそ すべてがいとおしい

そう、私は透明な暗闇
さまようのは星空にあいた石炭穴
深海魚たちのユートピアはどこ
私の知らない私に逢いたい
そして、もっともっと私と語り合いたい

・・・


         −「五感と勘」(U)完−

※独断と偏見の立場で書かれている面はご容赦ください。