「五感と勘」(W) 

 私の人生を補佐してくれてきたものに「速記術」・「速読術」・「記憶術」の3つがあります。まるで忍術の虎の巻のようですが、感覚を研ぎ澄ますことで有限な時間と空間をより長く広く大きく使うことができると思いたいのです。速読術では字や文章を総体的な絵として感覚的に捉えます。速記術は字の集合を簡略に記します。そして記憶術はポイントをいかに総体的に整理し強く印象づけるかです。必要なものと不要なものを切り離し整理する空間的な要領といったところでしょうか。

 生きているうちに頭を使えっていいますが、日本人はなぜ大陸の人のように頭に荷物を載せて運ばないのでしょう。人が多く道が狭く曲がっていて坂が多いからでしょうか。でも、田舎でもそういった習慣はありませんね。日本人の骨格が不適当なのか調べてみたくなりました。山でメガネが壊れてしまったら・・テープか何かで抑えればいいですが、なくしてしまったときはどうしましょう。もう一つ予備を持っていくことも考えられますが、紙に穴をあけてそのピンホールからのぞくだけでも、暗くはなりますがピンとはよくなりますね。

 大昔は大切な火種は絶やさずに大切にしていました。ポルトガル伝来の種子島銃は火縄を吹きながら・・これでは雨が降ったら戦は中止ですね。マッチすら配給だった時代にはツケギを作りました。薄いベニヤ状の木片の端を熔かした硫黄に浸けて、端から少しずつ割っては炭などの熾き(残り火)にあてるとまず硫黄が着火します。青い炎がやがて木部に燃え移りオレンジの明るい炎と変わっていきます。まるでオリンピックの聖火のように神々しく見えたものです。

 コールマンのストーブには手が届かず、工業用の安いメタノールに酢酸カルシウムや乳酸カルシウムなどの溶液を混ぜてメタ(固形燃料)を作りました。狭く通気性の悪い昔のテント内では、目や鼻への刺激が強すぎて使うときには外に追い出されました。エタノールなら食うことも(飲むことも)できるのではと挑戦しましたがダメでした。高級アルコールやワックスで大型のキャンドルをつくり、炊事に使ったりと雑誌などから見ようみまねで工夫していました。今では手軽で安価なガスカートリッジが山で結構使えるようになりましたね。

 雨には油紙からビニール。そして今では防水通気性のあるゴアの生地が全盛です。コンパスはトリプルセンサーといった高度計なども内蔵した多機能のもの。GPSや携帯といったものまで身の回りには新しい時代の新しい技術が一杯です。では、こういったモノがなければ野山は歩けないのでしょうか。楽しく快適に歩くとはこういった利器で武装することでしか得られないことでしょうか。



 では、前回記載しました私自身への課題についてです。
1夜の闇を歩く 2睡眠をとらないで歩く 3片目で歩く 
4目をつぶって歩く 5本を読みながら歩く 6耳をふさいで歩く
7食事を摂らずに歩く 8水を飲まずに歩く

[1夜の闇を歩く]
 ヒトは火を味方につけて他の生物より優位に立ちましたが、次第に闇の中での視力を失いました。火は暖かく明るく日や陽に通じています。そして人を守ってくれました。大きく輝けば炎となります。生の食べ物に火を通すのが炊事ですね。火を蓄えれば炉となりどんどん活用範囲が広がりました。しかし、扱いを誤れば災いとなるわけです。火をたくわえておけば灰になり、水をかければ消える=滅ぶことになるのでしょう。火や日の恩恵を再確認するためには火や日を失ってみるのが早道でしょう。

 カメラが故障したときやパトローネを開けてフィルムを交換するときにはダークバックの中で指を動かします。しかし、中が見えないので慣れるまではなかなか指が思いのままには動いてくれません。そのようなときには目を閉じて指を動かすと、雑念が消え指先の感覚が鋭くなりあっという間に作業が進みます。無駄な視覚へのエネルギーを切り捨てて、目のない世界に飛び込めば代替する感覚が生き生きと働いてくれる。指先にも目が乗り移ってくれる。この目とは心で捉える像のことです。

(調髪)調髪を自分でやるには常識では鏡を使います。しかし、左右が逆になり後ろや上が見えませんのでなかなか苦しいものです。そこで、3面鏡なども使ってみましたがかえって混乱してしまいました。次はビデオカメラを据えてモニターで映像を見ながらの調髪です。いいアイデアと自賛したのですが、モニターではなかなか髪の黒い微妙なところが捉えられないのです。そこで、思い切って目をつぶって大まかに手入れをしてみました。後ろから見ているつもりで手触りをたよりにハサミを動かすと、あっという間に済んでしまいました。あとは鏡を見ながら簡単に修正するだけです。大昔しの人々は水鏡でなんとかやっていたのですから・・と言うことで少し自信を持ちました。

 視覚の分をどれだけ他の感覚器で補えるかというわけです。そういった意味では視覚障害者の方々の動きがとても参考になりました。目を閉じるとかわりに心の目が開きます。しかし、耳をふさぐとどうでしょう。目の前のものが平面的になり厚みが消えてしまいます。裏が読めないのです。目を閉じた上に耳をふさぐとこれは地獄です。自分の心臓の鼓動と血液のざわめきだけの呪縛の世界は、なぜか恐怖のどん底に落された気持ちになります。これから先は6の耳をふさぐの項でいたしましょう。

 夜の闇とはいっても僅かでも星明りや月明かりがあります。曇っていても散乱した夜光は物影をおぼろに浮かび上がらせてくれます。灯火なしでは・・妻は見えないといいますが、感じるのは心であってわずかな視力を助ける他の感覚の力だろうと思うのです。灯火を持つと四囲の自然の気配から自分だけが異質に浮かび上がって、意識の幅がしぼんいくようです。灯火が照らすのは身近なところだけであり、ちょっと離れると照度は急速に減じてしまいます。闇の気配に自分だけが見詰められているのは恐怖です。原生林の中に自分の顔だけがスポットライトで浮かび上がったとしたらどうでししょう。むしろ闇にまぎれて歩くほうが気が楽なのです。

[2徹夜で歩く]
 勧められることではありませんがマージャンや飲酒のその足で山に向かうこともあります。山ではいつも計画どおりに歩けるというわけではあり得ません。予期せぬことにより時には遭難に近い状況に陥るかもしれません。体力と気力を喪失していると気が動転して次の方策さえ立てられなくなります。ときにはこういった苦難を乗り越えるための体力と気力に慣れておくのも手かと思います。

 一晩くらいは寝ていなくても歩けるものですが、2晩ともなると幻聴や幻視が起きるなどの危険が伴いますので無理は避けたほうが賢明でしょう。心臓のポンプは休まず動いているのではなく、収縮時に働いた筋肉はしばらくの休みがあるのです。神経は寝ていても完全に眠っているわけではありません。必要な各部の器官もきちんと働いていてくれます。身も心も効率よく少し休ませることです。

 予期せぬ事故には靴の破損があります。このごろの靴は丈夫で壊れることはまずありませんが、リュックや衣服の補修も兼ねて中くらいの太さの針金を1mほど持っていきす。コンパスや地図の紛失には予備を持つことですみますが、いつ食料などを獣に盗られないともかぎりません。水は誤ってこぼすこともかるでしょうからボトルはいつも2つ以上。500ccは残して下山してから捨てることにしています。(以下は7・8の項)
千日回峰行などという特異な行もありますが、この項では本格的な山を幾晩も寝ずに歩き通すという意味ではなく、ちょっとぐらい寝なくても音を上げないためには・・という意味です。

 
TVで見た汗の話し:体温を調節するために汗は出る。だから脳を冷やすために顔や頭にはたくさんの汗がでる・・ということまでは知っていた。だが、健康な人は動くとすぐ汗をかくが、運動を止めるとすぐ汗がひく。健康な人の汗の塩分は0.7%で不健康な人はその倍もの高濃度の汗をかくという。塩分(イオン)は汗腺を刺激するために送られるが、健康な人はその塩分を回収して再利用しているというのである。汗腺を刺激した後で塩分がリサイクルされていることを初めて知った。健康な人は汗をかいても塩不足になりにくいわけなのだと。



----- 森のシンフォニ− -----

    肌に聴く渓のつぶやき  霧のしずく 
    闇に薫る苔の甘さ    樹脂の渋み
    雨に唄う森のいのち   心には眠らぬ木霊
    目を閉じれば   サウンドオブサイレンス



※これらの文はあくまで個人的な見解を述べたにとどまります。確固とした医学的な裏付けがあるわけではないことをご了承願います。私の山歩きとは違い医学に基づく学術的視野の故下嶋先生の「ランニング登山」などのデータなども参考にさせていただいております。