「五感と勘」(X)
[リテナー]
今年(2001)の信州は雪折れのためかタケノコの発生が少なかった。昨年はあらゆるものが大量に生まれでたので大漁かつ大猟の年となり、自然界のバランスを心配していたがこれでちょっと一安心といえる。過ぎたるは及ばざるがごとしとはよく言ったものであるが、昨年のブナの実はシナスばかりが多かった。今年の発芽が大賀ハスのように何年も前のものが目覚めたものだとしたら・・。
不勉強だった。まさか・・、ナガイモの苗がリテナーに詰められて植え付けられることまでは知っていたのだが、それを土に斜めに配置することには思いもよらなかった。縦のものを横にする発想にはウナッテしまった。穴明きのプラスチックの網カゴに長イモの苗を入れて、畑を浅く掘り35度くらいで斜めに埋め込んでいく。ヒゲ根は穴から出て養分を吸収するが本体はカゴの中でまっすぐに伸びざるを得ない。川中島などの砂地でないと太くて長いイモは掘り取ることがもできないと思っていた。これなら万事解決でちょっと掘ればザックリと抜きとれるわけだ。だが、ナガイモに上と下や表と裏の顔ができやしないかと・・今年はよく観察してみよう。
リテナーを使えば四角い竹や、好みの凹凸の文様をもたせた床柱などを仕立てられる。また、ニワトリの産道の外につけることで、コロンブスの卵ならぬ角をもった卵をつくる試みもあった。さて、現代の教育は・・とっくに学校や社会の特定の倫理観というリテナーにはめ込んだ子供たちを育てていたのかもしれない。それどころか、受精卵の移植などが一般化する時代ともなると親に立派な(精神・肉体・資産)という三拍子が揃っていなければ、親は生まれた子供に不平等の面から告訴される時代がこないとも限らない。なぜなら、運命という語は死語となるわけだから・・ (@_@)
[プラスとマイナス]
トルファンの火焔山。玄奘三蔵は7世紀のはじめインドへ取経におもむくさいこの地を通っている。西遊記を読みふけり、牛魔大王に孫悟空ともども一行が苦しめられるさまに、子供心にも異郷の地の感を深くしたものである。火焔の山なみは天山の支脈で盆地の北に100kmにもつらなる。トルファンの年間雨量はたったの16ミリと超乾燥地帯ではあるが、太古には雨が降り水は豊富だったという。この盆地の東の端にはアイディン湖という湖がある。なんとマイナス154mで死海についで世界第二の低地である。だから、日中は40度を超え「唐三蔵 路にて火焔山に阻まれ、孫行者ひとたび芭蕉扇を調う」という記述もうなずける。
前述(五感と勘V)のジオイドの見方から高地にたいして低地探しをしたことがある。水が流れ込み流れ出すことのないブラックホールのようなところ・・そこで各地の塩湖や塩田を探した。卵が先かニワトリが先か。地球に生まれた淡水の湖は陸水の塩分を濃縮して現在の海を作った。モホール計画のように地球に穴をあけて内部をのぞくことも低地探検だ。宇宙の旅に比し意外にも陸地内部の探査はむずかしい。単なる宇宙空間なら地上の気圧との差はたったの1気圧でしかない。10mばかり水にもぐったくらいのものだから、あんなちゃちな(?)宇宙服でも凌げる。それに対しての海は1万メートルでは千気圧というけた違いの圧力を生む。ハワイ沖の愛媛丸の引き揚げやロシアの潜水艦の沈没事故でもネックはこの大きな水圧であり、宇宙開発より身近な海の開発がまだまだ魅力を残しているゆえんでもある。この先はマクロとミクロといった項にゆずりたい。
さて、自身に課した課題についてです。
[仮想視力]
土曜の夜に残業を終えて新宿に直行すると韮崎や小淵沢ではまだ未明の3時頃でした。やがて朝日が昇ると目がまぶしく疲れが出てきます。そこで長時間行動を続けているときなどは片方の眼鏡の下に薄いハンカチやディッシュなどをあてて、交互にしばらく休息させることで目の乾きと疲れを和らげていました。日差しの強い道を歩くときにサングラスがないと眩しくてしかたがない。そのようなときには一瞬目を開けては10秒ほど目を閉じます。慣れると歩みにしたがって四囲のありさまはまぶたの裏でゆっくりと形を変えていきます。まるでヴァーチャルリアリティの画面をみているように、木が、林が、岩が・・歩みとともにまぶたの裏で動いていくのです。
障害をもつ方々の介添えをしたときに、自分だったらどうするだろう・・・と疑問を持ったのが発端でした。まぶたの裏では必要な情報が集約され無駄が省かれています。山道では白い杖を持ったつもりで風を、匂いを、肌の感覚や足裏の感触を楽しみながら歩いてみるのです。こういった感覚の分野を仮に未来予測の意味をこめて「仮想視力」とよんでみました。
[動体視力]
視力には静体視力と動体視力がありますが、一般には静体視力が使われています。しかし、動きのあるものをとらえる動体視力はとても大切だと思います。黒板へ書かれた文字のノートへの転記だって、字は動かなくてもたくさんの文字の上に次つぎと視線を動かすわけですから単なる凝視ではありません。まして速読や音読の場合などでは動体視力を鍛えてないと後れをとることになってしまいます。こういった意味では速読術という読み方はなかなか面白いものでした。はや読み、はや聞きを繰り返すことで、高地訓練を終えたアスリートが楽々と平地を走ることができるように、感覚器は鍛えられて適応性を広げていくのでしょう。英語力の向上にはこういった速聴がきわめて効果があるとされています。
[課題3 片目で歩く]
隻眼の障害者は数多いですが、健常者とほとんど区別がつかないくらいの生活を営んでいます。立体視ができないので距離感がつかめないとはいいますが、距離感とは目だけで計測するものではないでしょう。聴覚も大きな役割を果たしております。だから片目でも慣れれば特別な行為をするのでなければなんとかなるものです。単調な山道や林道歩きのときは寝不足を補うために、ガーゼやティッシュをメガネの内側に入れて交互に片目を休めてみた。意外と歩けるものであり、10分くらいの交代を繰り返すことで疲れがかなりやわらぐような気がします。
[課題4 目を閉じて歩く]
いっそのこと目を閉じて歩いたら・・とはいっても、そうはいくものではありません。そこで、目を閉じて5秒ほど歩いてみるとこれは簡単です。では、10秒なら・・何とか歩ける。そこで15秒とだんだんに間隔を延ばしていきました。道の先に落ちている木の葉や石ころなどを確認してから目を閉じて歩いていく。そして、足先をその上にピタッと乗せる努力を繰り返すことで距離感を養います。しだいに距離を伸ばしていきます。網膜に残る残像をまさぐりながら歩むわけですが、しだいに残像が自分の動きに合わせて形を変えていくような気配を受け取れるようになってきます。むしろ、自分の感覚が体の先を進んでいくといった方があたっているかもしれません。周りの情報を整理して見えない部分を推測する力・能力といういのでしょうか、先読みの予測を感じ取れるような気がします。
光は直進します。あたりまえのことですが、ひょっとすると回折や干渉などにより可視光以外の波長部分がさまざまな形で情報を流しているかもしれませんし、目には見えなくても裏側からの情報を感じることが可能なのかもしれません。こういったことは聴覚においてよりいえることなのです。直接の波と回り込んでくる波。これらに付随する互いに干渉しあった複雑な波などが情報を伝えてきます。それらを分析して像として識別する能力を養うことができれば・・というわけです。コウモリだって単に反射してくる超音波をとらえるだけではなく、複雑な波長の干渉波やズレなどを識別することで情報から立体像をとらえて飛翔しているのでしょう。脳細胞の機能はこういった聴覚へは大きな分野をさいていると聞いています。ここでいう聴覚とは耳で得られるものと限るものではありません。ですから、目で見えないからといって自己の周囲の事象をとらえられないと決めてよいとは思えないわけです。
[課題5 本を読みながら歩く]
閉鎖された長い林道をひたすらに歩かねばならないことがあります。深山幽谷の気にひたれるところではいいのですが、伐採や植林の雑然としたコースを歩くときには恨めしくなります。つとめて夜や未明に歩くことにしていますが、やむを得ないときには週刊誌などを読みながら歩くことがあります。ラジオやカセットを聞くということもできますが、試みとしてやってみました。
小学生の時代に遠い学校への行き帰りには教科書を片手に歩きました。マンガや雑誌なんて手に入らないころでした。中学生になると図書館から借りた本を読みました。就職してからは駅前の貸し本屋で帰宅時に借りた雑誌や週刊誌を電車の中で読み終えて翌日返しました。ゆれる電車の中でも文字を像としてとらえることで先読みも生きてきます。こんなわけで速読のくせはまだ残っていました。ですから、山で歩きながら読んでも結構読めることがわかりました。丹沢の塔ノ岳あたりのハイキングコースなら山道でも大丈夫でした。岩や木の根とか枝の張り出しには自然に身体が反応し避けてくれるものです。人間(生物)の身体に備わった機能というのはなかなか面白いものだと気づきました。だた、読んだものがどれだけ強く記憶されているかはまだ評価しておりません。小中の学生時代には結構記憶に残すことができたのですが・・。
こういった試みは本を読むことが目的ではなく、何かをしながらでも併行して感覚が機能することを確かめたかったからです。ですから、二冊の本を同時に読むなどといった同一感覚でのマルチチャンネル化については未知の世界です。コンピュータなどでは並列処理が行われているのですから、人間にも不可能ではないかもしれません。しかし、同一の感覚を2つに分離して働かすということはなんだか精神分裂症になりそうで怖いですね。
− 五感と勘(X)終わり −
またまた分裂症的な理論展開ですみません。生物のもつ能力の不思議にちょっと触れてみたかったのです。この五感と勘の世界は独断と偏見で書かれていることをお許しください。