「五感と勘」(Y)
[支配者は植物]
植物というと静物という置物に近い感じで受け取られるが、山歩きに精を出すようになって何か不思議な気配を感じるようになった。野山を夜中に歩くときには植物はただ静かに見守っていてくれる。ところが真昼の草木の気配は、何者にも負けまいと四囲に肘をはり己を主張している。彼らのはりつめた強い意志の力に気づくと恐ろしさを感じる。昼は日光と水と二酸化炭素での同化作用という動物にはない偉大な力を見せつけるが、夜は動物と同じく生活のエネルギーを生み出すために酸素を吸って呼吸をしているときなのだ。
植物は生産者、動物はそれを食う消費者と位置づけられているので、つい動物が植物を支配しているように思う。しかし、考えてみると餌を与えているのは植物の方であるから、動物を餌を与えて飼っているとも考えられるわけだ。植物は動物がいなくなってもなんとかなるが、動物は即ギブアップせざるを得ないのだ。成り年と不作とを繰り返すことで、リスやネズミなどの増殖をコントロールしながら自分の種子を運ばせる。色や匂いで呼びつけては昆虫に受粉のタイミングを指示している。支配者は植物。太陽のエネルギーを味方にした植物は強く動物はたんなるパシリでしかない。
[獲物を追い詰める目]
稲又の谷から青薙山(南ア)へと向かったとき、古い伐採跡地で踏み迷いサルトリイバラなどの茨の群れに捕まった。ギラギラと照りつける真夏の太陽の下では、草の葉や木の枝さえもいつもの優しさはではなく爪を砥いで襲い掛かる獣のように変身していた。脱出口を求めてリングワンデリングを繰り返すうちに太陽が黄色に見えてきた。水、水、水・・鋭い茨の鎖につながれ、倒れることもできずに白い骨を晒している廃屋のうめきが聞こえる。幻想と幻聴のただよう白昼夢の世界だった。じっとじっと獲物を待ちうけているカマキリのような・・あの植物たちの真昼に息を殺した葉裏の執拗な目が怖い。そう、強烈な紫外線にすら立ち向かっていく植物にとってのハンティングのトキは昼なのだ。あの思考力を麻痺させるような草イキレは何だったのだろう。
人類は自分たちの都合で遺体を火葬するようになった。生態系への還元すら拒否していたずらに増え続ける人類に、植物は絶望しているのではないだろうか。そして、森林浴などという餌をまいて喜ばせながら人間から闘争心を奪い、憧れと恭順にむけての洗脳を始めた。フィトンチッドは植物界のバリヤーとしてブルーへイズとなり野山を覆い、動物たちを慰撫し、やすらぎと恍惚の世界へと導いて行く。そして、あくまで恭順を示さないものたちにはアレルギーなどの生化学面での攻撃をしかけているのではと・・。
[アレロパシー]
生体、特に植物にはアレロパシーという力がある。他感作用・遠隔作用といわれ生産した物質がまわりのものに及ぼす作用である。地盤を先取りしたものたちが後に続こうとするものを阻害し排除する力である。おなじみのフィトンチッドは高等植物のもつ抗微生物阻害物質であり、植物間での阻害物質にはコリンがある。セイタカアワダチソウ、ヒメジオンなどのキク科の帰化植物はマトリカリア・エステル誘導体を出して地域防衛をする。抗生物質として医療でもてはやされているものもカビが生産する抗細菌物質なのである。
[群れと間引き]
つらい言葉だ。種子は沢山まいて・・あるていどに育ったら間引きをするのが常道だ。共育ちといわれるが仲間うちで丸くかたまってアレロパシーのバリヤーで外敵に対処している。小鳥やイワシなどは群れることで姿を変え力をもつようになる。だから弱いものほど大きな強い群れに憧れる。支配されることの安堵と群れの力をたのむ喜び。スポーツの観戦にはこういった望みをかなえてくれるものが多い。共通項で結ばれた安心感にひたることができるわけだ。勝てば自分の手柄であり負ければ他人のせいと考えれば気は楽になる。そして、こんなにいるのだから俺は大丈夫だというロシアンルーレットの世界。
こういった生物たちが地球環境の中で子孫を残していくには、多産・早熟・小型化などにより個体数を増やす方向(γ戦略)と、少数でも環境への適応を高めることで生き残りを増やそうとする方向(Κ戦略)とがある。環境が大きく変わったときに生き残れるのは昆虫などの前者であるという。人類が地球環境の急な変化を抑えられないとすれば、遺伝子操作で切り抜けるかγ戦略を志向しなければならない時代がくるのかもしれない。
[課題6 耳をふさぐ・耳をそばだてる]
無響室に入ると宇宙空間(?)の無重量の世界のような頼りなさを感じる。虚無の世界というのだろうか、目の前の広がりは彩りさえ薄い平面的な荒野に見えてくる。そして予測・・勘といった脳内の働きがかげをひそめてしまう。中途半端な耳栓なら音は回り込んだり忍び込んだりしてくれるが、しっかりと遮音していくとだんだんに鼓膜を通さない音が感じられるようになってくる。だが、その先では自分の呼吸や胎内の脈動が混じり四囲の世界が遠のいていく。
耳は左右にあることによって波の位相差などから遠近や向きがわかる。音源からの波に加えて、周りの物体からの反射波や回折波がホログラフィーの映像のように立体感をもたせてくれる。ある種の蛇は熱線(赤外線)に反応するというが、我々だって肌で得る感覚もある。ジャグジーの気泡による振動や激しいドラムによる陶酔感。乗り物のリズミカルな振動は心地よい眠気を誘う。これらはボディソニックという分野だろうが、耳以外の器官で感じる振動も感覚に彩りと深みを添えている。
耳をふさいで歩くことにより聴覚の隠された大きな力を再確認し、耳をソバダテて歩くことの有為性を考えてみたわけである。脳内の神経組織には聴覚の占める割合が非常に大きいという。この部位の解明が勘といわれる世界に通じているのではないかと楽しみにしている。車の運転やスキーとか自転車競技などでは意識を自分より5mとか10mも前においている。意識の仮定したラインに従って肉体は後から検証していくようなものだ。こういった意識の先行力をどれだけ高められるかが勘の鍛錬に通じると思う。
[課題7・8 食事や水をとらずに歩く]
食事と水はエネルギーを生み出し、代謝を円滑にするためには欠かせない。真夏に丹沢の主稜を山中湖から大倉へと駈け抜けたときには4リットルでも足りなかった。飲んだ水がそのまま鳩尾あたりから滴り落ちてしまうありさまにはむなしさを覚えた。道に迷ったり骨折などの非常事態になったなら我々はどのくらい動けるのだろう。あせって水を求めて谷にくだり遭難という話も聞く。砂漠を行くラクダはコブに貯えた脂肪からエネルギーと水を補給するというが、ヒトはどのくらいの乾きに耐えられるのだろうか。新宿から青梅に向かうカチアルキという飲まず食わずの歩きも試みられているのだから・・と。医者は血液の粘度があがり危険だから運動中は十分に水分を取るようにとはいうのだが試してみることにした。
まず、食べ物であるがこれは食べなくても結構歩けるものだ。朝食前に丹沢の大山や塔ノ岳あたりを歩きまわってもまったく問題はない。荷物が10kg以内なら半日程度ならかなりのハイペースを持続できる。水は食べ物の消化吸収と排泄に体温の上昇を抑えるためだろうから、食べる量と質を工夫したり体温の上昇をおさえる歩きを試みた。水はどんなときでも下山時には500ccは残していることを信条としている。次に数例をあげた。
(実施例1:櫛形山 6月末)展望台(4:08)―裸山−唐松岳−林道北端−展望台(7:33)/
アヤメの写真を撮りながら周回。ガムと氷砂糖少々。3時間25分
(実施例2:箱根外輪山周回 3月)箱根湯本(6:10)−塔ノ峰−明星ケ岳−明神ケ岳−金時山−湖尻峠−三国山−山伏峠−箱根町(17:30)/100円の乾パン一袋。水は残雪があった。最後はペースダウンしたが50kmくらいを11時間20分
(実施例3:閼伽流山周回 5月)下平尾(7:14)−閼伽流山−1228mピーク−平尾富士−下平尾(13:17)/うがいのために水150cc使用。ガムと果物の缶詰1。笹薮などのバリエーションを含む25kmを6時間3分
とにかく歩き出しは内臓に負担がかからないようにペースを落として体温の上昇を抑える。休憩は立ったままで短時間。やたらに胃や腸を刺激しなければ血液内の糖分の消費にともない肝臓からの補給があり、体内の脂肪の燃焼もおきて空腹は感じない。その日の体調にもよるが、食物を摂ると水分の補給が必要となる悪循環に悩まされることがある。私の場合は荷物を5kgくらいに抑えると負担がなく、エネルギーの消費と供給とのバランスがとれて距離が延びる。体内に貯えられているエネルギーを効率的に利用(燃焼)させることを体に覚えさせることが必要らしい。宝の持ち腐れにしたくはないものである。汗は体温の上昇を教えてくれるバロメーターだから、体調を整えるためには汗のでかたにはいつも注意している。とにもかくにも脳を熱で犯されないようにと、常に頭部を冷やすことに努めている。塩分の少ない健康な汗をかき、脳を高温から守ることができれば体はついてくる。頭寒足熱のためにもCPUにだけは風を送りたい。
人間はいつから規則正しい3度3度の食事や、同じ繰り返しの生活をおくるようになったのだろう。これでは健康は維持するだけ。不規則あってこそ精神も肉体も健康の増進が図られる・・と考えてみたい。
− 五感と勘(Y)終わり −
「ヒトが自然を保護するという立場ではなく、自然の仲間から見放されないためにはヒトは今、何をすべきか・・」といった視点から、生物のもつ能力の不思議などに触れております。独断と偏見の私見であることはご了承ください。